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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

あの日、コンゴのディスコでは

2009-08-10 01:35:51 | アフリカ
 ”THE WORLD IS SHAKING”
 (Cubanismo From The Congo,1954-55)

 独立前の”両コンゴ”における都市型大衆音楽の記録という事で。つまりは、コンゴが独自のルンバ世界を確立してブラック・アフリカを席巻、”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われる以前、まだアフリカに里帰りをしたアフロ・キューバン音楽のコピーなどにコンゴの人々が夢中になんっていた頃の記録なのだろう。
 リンガラ・ポップスの夜明け前、神話時代のレコーディング。こういうのってワクワクしてしまうよなあ。失われた歴史のページを開けるって感じかな。

 当時のコンゴの社交界、いやいや盛り場の雰囲気を伝える中ジャケの写真群が興味深い。これもズート・スーツの流れを汲むものといってしまっていいのか、独特の幅のパンツを履いた伊達男どもと、アフリカの伝統衣装で着飾った女たちが踊りを楽しむダンスホールが泣ける。
 ステージの上のバンドの足元に置かれた優雅なほど古臭いスピーカーが嬉しい。当時は、「そんなものはジャンゴ・ラインハルトしか弾きたがらないだろう」と突っ込みたくなるようなF穴のギターが愛用されていたようだ。バンドのメンバーには革靴を履いている者も、サンダル履きもいる。

 そして聴こえ来るは、物悲しくも懐かしい、アフリカ式キューバン音楽の鄙びた響き・・・・と言ってしまうのは簡単だが、なんか聴いているうちに「今も昔も変わらないんじゃないのか」なんて気がしてきてしまったのだった。
 だって、このギター群の響き。こいつはそのまま今のキンシャサに直結するものとして聴こえるんだもの。この”ギター・愛好会”ぶりが、さあ。「ほら、あのフレーズが出たじゃないか、あ、これは」と、入り込んで聴いているとそんなに昔の音楽を聴いている気分でもなくなってくるのだった。

 さすがに途中でブレイクしてリズムが変わりダンス・パートに突入、なんて事にはならないし、パーカッションの大々的な参加もなく、カチカチとクラーベを打つのんびりとした拍子木の音が響くのみではあるのだが。それでもともかく複数のギターが技巧を凝らして絡み合いつつバンドをガシガシと引っ張って行くのだ、リンガラ・ポップスに向って。

 親指ピアノが前面に出た曲もカッコいいし、あちこちで濃厚に漂うアフリカ臭(あって当たり前なんだが)には、やっぱりドキドキさせられる。
 この頃からすでにコンゴは一歩前に出ていたと思わせる前のめりの創造性が刺激的だ。カッコ良いっス。
 
 (さすがに試聴は、You-tubeにはありませんでした)



大島豊さん、公開質問です

2009-08-09 02:45:42 | 時事


 拝啓・大島豊様
 2002年暮れに行いました最初の質問以来、再々質問差し上げましたが回答がいただけないままなので、改めて公開質問させていただきます。

 ラテン音楽誌、「ラティーナ」の2002年11月号における、「アルタン」のメンバーへのインタビューを読ませていただきました。その際の大島さんの発言の一部に納得できないものを感じました。広島への原爆投下を「我々にとっての9・11なのです」などと”説明”しておられる部分です。我々日本人の被爆体験を、そこまで矮小化して語ってしまって良いものか。
 「ある意味で」なる注釈は付いていたものの、その理不尽さへのフォローにはとてもなっていないと感じました。さっそく、それに関する疑問文を、ラティーナ誌の読者投稿スペースである”オピニオン”のページに送りました。そして後日発売された12月号。同ページにそれに対する回答とおぼしきものが掲載されましたが、編集部の不手際が原因であるとの、なんとも因果関係の釈然としない内容でした。そこで、まことにぶしつけなお願いで恐縮ですが、大島さんご自身から、この件に関する説明をいただけたらと思い、ここに公開質問させていただく次第です。よろしくお願いいたします。

 皆さまへ・下が、ラティーナ誌に送付したメールの全文です。文中、”インタビュアーのかた”とあるのは、大島氏を指します。念の為。

    #       #       #

 ラティーナ11月号の、「アルタンまつり2002とマレード・ニ・ウィニー・インタビュー」においてインタビュアーのかたが、広島への原爆投下を「8月6日はある意味でわれわれにとっての9・11なのです」などと表現しておられるのには唖然としました。
 「世界のあちこちにおいて”テロ”を繰り返してきた”テロ国家”であるアメリカが、もう一つのテロ勢力によって攻撃を受けた」すべての民族、国家を公平に考えればそのようにしか要約できない、あの”9・11”の事件と、人類史上初めて行われた、同じ人類に対する核爆弾の投下という重すぎる出来事が、果たしてイコールで結べるものなのでしょうか。(「ある意味で」の一言は、それに対する補足には、まったくなっていないでしょう)
 インタビュアーの方の、あまりにも欧米に対して隷属的過ぎる価値観には、唖然とするよりありません。まるで、「崇高な欧米の皆さんの世界の出来事に比べたら、卑しい我々の世界に起こった事など、持ち出すことさえはばかられる小さな出来事なのですが」とでも言わんばかり。
 平和記念館を訪れ、広島への原爆投下について学ぶべきは、アルタンのメンバーよりもまず、あのインタビュアーのかたではないでしょうか。

マンダレィ行きの駅馬車は

2009-08-07 03:44:58 | アジア


 ”Mandalay Yauk Shan Ta Yauk”by poe Ei San

 資料がみつからないんで良く分からないんだが、我らがミャンマー・ポップスのアイドル、ポーイーセンが昨年に出したらしい、まあ新作と言っていいでしょ、アルバムであります。どうやら今回はカントリー・ミュージックの特集のようです。

 冒頭、こちらのマシンがぶっ壊れたのかと思いました。なにやら面妖なサウンドが飛び出してきたんで。いやまあ、ミャンマーの音楽は多くの場合、異郷に暮らす我々には面妖ですが、今回はそういう意味ではなく、なんだかひどくモコモコとした音像だったんでね。
 その、こもったような音の壁の中にスチールギターもホーンスもピアノもドラムも一緒くたに、団子状になってしまっている。その中で一人自由に跳ね回る、アメリカ西海岸風(!)の、明るい音色のギター。
 なんだ、こりゃ?ミャンマー風のフィル・スペクター・サウンドへのオマージュですかね?・・・まさかね。

 でも、その狭間から飛び出してきた歌声は、いつもと変わらぬ愛嬌のあるポーイーセンの明るい歌声。訳の分からんままに聴いてきたミャンマーの天然プログレポップスだけど、彼女に関してはもうオッケー、ポーイーセンに外れなし、でいいんじゃないでしょうかね。
 このアルバムにおいては、いつものミャンマー・ポップスの迷宮構造はありません。分り易いポップス調で、ミャンマー風のカントリー・ソング集を楽しげに歌うポーイーセンがそこにいるだけ。好きなんですかね、ミャンマーの人たちはカントリーっぽいポップスが。

 でも、気まぐれな長雨に翻弄されたかと思えば不意に居座る酷暑と、なにやらうっとうしい今年の日本の夏に飽いた我々には、この、何にもややこしい事をやっていないアルバムは、なんだか爽やかな風を一陣、送ってくれるんですね。ともかく私は、なんの予備知識もないまま聴いて、ひととき癒されましたもん。肩凝りが軽くなりましたもん。

 中盤に収められたディズニー映画のナンバー、”ハイホー”をうまく味付けに使ったアップテンポのナンバーなんか、オシャレなものです。
 ポーイーセンはカントリーっぽいコブシも上手く使って快調に歌いこなして行くけど、これ、お馴染みのミャンマー歌謡独特の節回しにも通じるように聞こえてくるのが面白いところ。この辺で、カントリーがミャンマーの人たち好まれているのかな?

 それから、このような西洋音楽の音階のシンプルなメロディが続くと、ポーイーセンとアグネス・チャンとの歌声がかなり似ているのに気がつき、これには苦笑い。そうか、ポーイーセンの歌声からアクを除くとアグネス・チャンになるのか。
 これはちょっと・・・昨今の”社会運動家”としてのアグネスの動きには腹に据えかねているところがあるんで、あんまり楽しい発見じゃないけどね。まあ、アイドルやっていた頃のアグネスだけ思い出しておくことにしましょ。

 さて今回も試聴は見つけられませんでした。You-tubeにポーイーセンの歌はたくさんあるのですが、何しろミャンマー語の読めない悲しさ、どれがこのアルバム収録曲か分らず。という事で、ご勘弁を。

ラオスから来た男

2009-08-06 01:24:30 | アジア


 ”カナ・シンラピン”by ボー・ペン・ヤンドーク

 というわけで、この間のダーオ・バンドーンに続きましてタイの怪人盤・その2であります。何もこんなにクソ暑い時期に、こんなくそ暑い音を聴かなくても良さそうな気がしますが、まあ、ヤケクソ気分のマゾヒスチック・ハリケーンですがな。

 なんでも今回のこのヤンドークなるオッサンはラオスの出身で、70年代、タイに暴れこんで、かの国のディープなシーンで活躍、これはその時代のヒット集だそうです。
 タイの民謡の宝庫といわれる東北のイサーン地域、さらにその東北に位置するラオス国といえば、それは根の国のそのまた根、みたいなポジションであります。
 ヤンドークのおっさんは、どのような事情でタイに繰り出して来たのか知りませんが、おそらく貧しいタイ東北部から大都会バンコックに出稼ぎにやって来たイナカモノの青少年諸君相手に、彼らの「故郷恋しや」なんて心情に訴えかける田舎臭い音楽をゴリゴリに演じ、小銭を稼いでいたんじゃないでしょうか。

 ヤンドークの演じる音楽の実態は、もう民俗音楽といっていいような素朴なものなんだけど、その音楽魂のど真ん中には、すれっからしの都会人相手でも平気で渡り合える根性の座りっぷりがある。なんというか、田舎者の無神経に都会人の凶悪が加味されちゃった、みたいな感じでしょうか。素朴な民俗調の調べにファンクと呼んで良いような重たいリズムが打ち込まれ、ぶっといロバの嘶きみたいなヤンドークのボーカルが吠えまくる。

 我々日本人に一番気になるのはやはり、中盤に置かれている”恋の季節”のカヴァーでしょう。そうです、30年前にはやったピンキーとキラーズのあれを、なぜか彼ら風に演奏しているわけです。
 ヤンドークによるオッサン声編と、バンドのメンバーによる女性ボーカル編、そしてタイ語によるものと、3ヴァージョンも収められている年の入りよう。こうして、よく知っている曲がかの地のミュージシャンの解釈により様々に変形して行くのを楽しめるのは、ワールドミュージック・ファンの秘密の楽しみの一つでしょうな。

 で、聴いていてちょっと感心したのが、おそらく意味なんて分っていないであろう日本語の歌詞が結構正確に発音されているところ。意外に神経の細かい奴なのかも知れない、とか想像してみる次第。
 ともあれ、音の底に蠢くパワフルな生命力を、夏バテ気味の身としてはせめて見習いたいところでありました。暑いっスね、しかし。
 あ、試聴は今回も見つかりませんでした。聴かせたいものに限って、こんなものですね。

ノッポーンの輝く夜に

2009-08-04 03:29:21 | アジア


 ”Ber Toe Ber Hong Mai Tong Mar Khor”by Orn Orradee

 毎度言っておりますが、いかにワールドミュージック野郎と言えども、常にすべての地域の音楽の大ファンでいるわけにはいかない。一日が24時間しかない以上、そんなに音楽を聴ききれないし、そもそも資金が続かないよ。
 というわけで、なんとなく聴きそびれてしまう音楽というのは出てくるのであって。たとえば私にとってタイの音楽などもそれの一つであった。面白そうなんで気にはなっていたけど、聴く余裕がないんで見て見ぬふりをして来たのであった。

 が、ネットで知り合った人たちのブログの記述など読むにつけても気になるところはあり、ついに我慢できずに、かの国の演歌たるルークトゥンなどから聴き始めてしまった昨今である。CDを買う費用をどう捻出しているのか、私自身も分らない。

 遅まきながら、という具合に聴き進んでみると、どうもノッポーンなる現地のレーベルの音が心地良く感じられると気が付いた。もっとも、このレーベルに対するタイ音楽愛好家諸氏の評判といえば、保守的で型にはまったド演歌専門レーベル、と言ったところで、あまりよろしいとはいえないようだ。
 が、私が快感と感じているのはまさにその部分、ノッポーンの下世話でベタな、余計な小細工などやらない大衆路線の音作りなのである。まあ、この先聴き続けて行けば私にも別の感想が出てくるのかも知れないが、今のところは。

 音ばかりでなく、そのジャケ写真など、繁華街のネオンの輝きを連想させるような、いかにも派手でどぎつい色使いで、タイ語の読めない当方でも一目見れば「あ、ノッポーンだ」と分る辺り、なかなか楽しいし、そもそも便利だ。
 そのノッポーン・レーベルの若手の大看板の一人が、以前ここでも取り上げたメンポー・チョンティチャーのようなのだが、彼女と双璧をなすといったら良いのか、もしかしたらライバル関係であるのかも知れないのが、このオーン・オラディ嬢である。

 この盤の冒頭の曲、最初の一節が流れ出した時、私は、「おお、これはタイの蔡秋鳳じゃないか」とぶっ飛んだものだった。あんな台湾演歌の大物を比較の対象に引っ張り出したらオラディ嬢自身が迷惑するだろうが、いや、そのくらいの大衆音楽の歌い手としての品格を彼女の歌に感じ取ってしまったんだから仕方がない。

 その、コブシともビブラートとでも、あるいはヨーデルと呼ぶ事さえ可能だろうが、声をレロレロと翻しつつメロディを織りなして行く歌唱法は、民謡調とか演歌調とか言う以前に、彼女特有の表現として、すでに完成されつつあると言えよう。
 クラシックなどの歌唱法を唯一正しいとする人たちにすれば、実に愚劣で悪趣味な発声法なんだろうが、お生憎様、大衆音楽の真実ってのは、あなたがたの理解の及ばぬこの辺りに存在しているものなんだ。

 またその下品なる歌唱を、あくまでも気品のある姿勢を崩さずに披露するオラディ嬢の芸風が良いですな。私が蔡秋鳳を引き合いに出したくなったのはつまり、この辺りで。蔡秋鳳にも、そんなところがあります。下劣な庶民の娯楽との烙印を押された大衆歌謡を彼女は、女王の威厳を持って歌い上げる。下品なる歌唱法はそのままに。
 路地裏の庶民の快感原則が、ここで聖女たる歌い手により昇華され、片々たる人々の喜怒哀楽を掬い上げて、下町の空にキラキラと輝くのでございます。いいなあ、オーン・オラディ。




タイの田舎風R&B煮込み

2009-08-03 02:40:06 | アジア


 ”ダーオ・バンドーン”

 というわけで、一部で噂のタイの怪人、ダーオ・バンドーンをついに聴く機会を得たという次第である。
 しかしこれは聞きしに勝る音楽性というべきか。独自の音楽世界をまったくのマイペースで突き進む、さすがの逸物だ。

 冒頭から、タイ東北部イサーンの民俗色豊かな”モーラム”の節回しと、特にバックのホーンセクションなんかに顕著なR&Bっぽさの混在に、まず頭をやられる。
 バックのバンドはレコーディングの際にあてがわれたのだろうと理解するにはしかし、この音楽性がバンドーンの個性に馴染み切っているのだ。イサーン丸出しのコブシ世界と、妙に場慣れしたR&B臭さの奇妙な同居。

 バンドーンの歌唱もまた、タイの田園調と思わせておいて、ひょっこり黒人音楽の影響が顔を出してみたりで、この取り合わせをどう理解していいのか。タイ東北部の田舎から出てきた民謡歌手がアメリカ兵から買った中古のモータウン・ヒット集かなんか聴いて天啓を受け、ナウいポップス歌手を志した結果、訳の分からないミクスチュア音楽の道に踏み迷ったとでもいうのだろうか。

 などと首をひねるうちにもバンドーンの音楽世界は、情け容赦もなく進行して行く。あっけらかんと歌われて行くのは、どうやら彼のオリジナル曲らしいのだが、こいつも実にユニークな展開を見せる。

 アップテンポのものにおいては、奇妙な癖のあるリフレインがたびたび差し挟まれ、般若心経を詠んでいるのかとも、また落語の”寿限無”を語っているかとも思わせる瞬間がある。その一方、民謡調のスローものでは、それなりに汎東アジアっぽい郷愁でこちらの胸を一杯にしかけるのだが、その気でいるとバックのサックスがジャジーなフレーズをいきなり響かせ、するとピアノ弾きもつられて(?)カクテルラウンジ風の展開を一瞬見せ、「えっ?」とこちらが耳をそばだてた時には、もう曲は終わっているのだ。

 その後も、ラテン音楽の影響は顔を出すわ、昭和30年代調の歌謡曲のバックにスチール・ギターが鳴り渡ったりと、奇天烈大行進は夏の夜を切り裂く。この脈絡と節操のなさが妙に嬉しい。

 まあ、こんな事を書いているときりがないんで、タイの雑食性大衆音楽の現場で強力に揉まれつつ育ったのであろう奇妙な果実、ダーオ・バンドーンに敬意を表して終わっておこう。こんなとんでもない奴が出てくるから、ワールドミュージックのファンはやめられないのよな。うん。

 試聴?見つかりませんねえ。あったら面白いから絶対貼りたかったんですが。

ケニアを流れて

2009-08-02 05:23:43 | アフリカ


 ”3rd Album”by Lovy

 えーと、これはオルケストル・スーパー・ロヴィの盤ですね。何度かこちらでもお話に出てきました、より安定した働き口とギャラを求めて国境を越え、東アフリカへ向ったコンゴ(旧ザイール)のバンドの一つですな。そんな彼らが出稼ぎの地、ケニアでリリースしたアルバムのようです。

 これ、手に入れたのはもう20年以上前なんだなあ。当時、東アフリカで活躍する出稼ぎリンガラバンドに興味を惹かれ、何とかその連中の現在進行形の音が聴けないかなあ、とか思っていた。けど、当たり前のザイールのバンドの盤の入手も思うに任せない状況なのに、ケニアの音なんて。とハナから諦めていたところに、ひょっこり数種のケニア直輸入盤が現われましてね、我が日本の輸入レコード店の店頭に。

 もちろん、大喜びで買い漁りましたよ。その中には、そのすぐ後に日本の写真雑誌、”写楽”なんてのにオフ・ステージ姿が載って驚かされた”ファースト・モジャ・ワン”とか、最近、名作と噂の盤をリリースしましたモーゼ・ファンファンなんかの作品が含まれていた。
 で、「この調子でガンガン、ケニアの音が聴けるようになるんだろうか」とか期待したんだけど、この一波で終わりだったなあ。その後、こんな上手い話はないまま、ワールド・ミュージックの季節は終わって行ったのだった。

 スーパー・ロビーの音楽は好きでしたね。リーダーのロビーの素っ頓狂なくらい甲高く、でも強靭なバネを感じさせる歌声と、故郷コンゴにいる頃よりは(って、その頃を知っている訳じゃないけど、まあ、想像でね)ずっと音数は少なく、でも何倍も鋭角的なものになっているサウンドがカチカチと地を穿つ、そんな、ある意味、都会的なタフさを帯びたその響き。いかにも”異郷で戦っている”って感じがして、かっこ良かった。

 まあこのアルバム、音楽もそんな具合でもちろん好きなんですが、上に掲げたジャケ、これが妙に気に入ってましてですね、ちょっとこのブログにも載せておきたかった、そんな事情もあるんです。
 かっこつけてカメラの前でポーズをとる歌手のロビー。でも、後ろに写っているのは古ぼけたオート三輪の軽トラ。このズッコケ感がなんともいえず楽しくてね。この写真がコンゴで撮られたのかケニアで撮られたのかわからないけど、このいかにも路地裏のヒーローって感じ、愛さずにはいられません。

 どうしているんでしょうねえ、彼らなんかは今頃。まだステージに立っているんだろうか?立てているんだろうか?20年以上の歳月ってのは重いよなあ・・・

 (さすがに試聴は見つかりませんでした)

ニューヨークの奄美島唄

2009-08-01 01:33:15 | 奄美の音楽



 思い返せば・・・奄美の島々を突然の浮かれ騒ぎと奇妙な悲喜劇模様に叩き込んだ、あの皆既日食騒ぎ(もうずいぶん前の出来事みたいだ)の当日はまた、奄美出身の歌手、我らが城南海ちゃんの3rdシングルの発売日でもあった。私がその事に触れないのをお嘆きの向きも。まあ、おられないというか、ほとんどどうでもいい、そりゃ誰だ、という人ばかりかとは思うが、クッソー、いいよ、どんどん書いて行ってしまうから。

 それはもちろん、城南海ちゃんのシングルはちゃんと買ってあり、それなりの感想も書きかけていたのだが。

 その前に。南海ちゃんはこの春先にニューヨークに出かけていたのを知ってた?その地で開かれていたチェリーブロッサム祭りとかいう、まあ日米親善の催しのゲストみたいな形で、かの地のアメリカ桜の元で小コンサートを行なってきていたのだった。ちょうどあのインフルエンザ騒ぎ(こいつもまた、相当に昔の事のような気がする・・・)の最中だっただけに、感染者続出のアメリカへ出かけるにあたってはずいぶん迷ったようだが。

 で、その際の出来事は南海ちゃんのブログなどに記述されており、アメリカ人の客たちの間に南海ちゃんの歌声が沁み込んで行く様子、ついにはアンコールまでかかった、なんて頼もしい報告が自身の筆で(ブログだが)描写されていたのだった。

 やあ、それは見たかったな、どこかのテレビ局が取材してないのか、などと思いつつ待ったのだがオンエアの噂もない。もどかしいなあ、どんな具合だったのだろうなあなどと中途半端に日を送っていたのだが、そんなある日、全然別の事を調べている最中に、その様子、つまり”城南海・ライブ・イン・ニューヨーク”の様子が、あのYou-tubeに何人もの人々によって挙げられていることに気が付いた。
 なるほどなあ、こんな事、とっくに気が付いていなければいけなかったなあと自分の要領の悪さを悔やんだものだったが、しょうがねーだろ、オヤジなんてそんなものさ。

 で、ですね、そこで三線を爪弾きながら奄美の島唄を歌う南海ちゃんを見ていたら、大事な3rdシングル、どうでもよくなっちゃった。だってさあ、やっぱり奄美の島唄の方が重さ深さにおいて、圧倒的に勝ってるんだもの。聴いていて、血の騒ぎ具合が全然違うんだもの。

 ・・・なんて事、言っちゃいかんな。あの、城南海ファンの皆、今度のシングルも買わなきゃいかんよ。勝負なんだから。
 とかなんとか。本日、めちゃくちゃなこと書いてるけど、いや、読んだらすぐに忘れて欲しい。うん、まあ、そういうことだ。




乾杯、ダルエスサラーム!

2009-07-31 02:08:35 | アフリカ

 ザンジバラ第5集 ”Hot in Dar”

 東アフリカのスワヒリ大衆音楽を紹介するシリーズの第5集である本作は、70年代から80年代にかけてのタンザニアのダンス・ミュージックの姿が捉えられている。
 サハラ以南の、いわゆるブラック・アフリカを席巻したコンゴ(旧ザイール)のルンバの影響を、彼らもまた濃厚に受けつつ、しかし独自の、良い意味での緩さを獲得し、独自のファンキーさを謳歌していた、そんな時代のタンザニアのダンス・バンドたち。これは、久しぶりに聴いてみたらなかなかの拾い物だったのだ。

 この頃はもう、”本家”のコンゴの最前線では時代遅れとなりつつあったのではないか、トランペットとサックスからなるホーンセクションが奏でる、どこか素っ頓狂なイントロがすでに楽しい。同じくコンゴのそれと比べるとずいぶん水分の少ない感じのギターが数台、似て非なるフレーズを絡ませ合い、その交錯する辺りから生き生きとしたリズムの泉が湧き出る。

 それにしても、ベースの自由度は恐るべきものだ。リズム楽器としての自覚さえなく、気ままに弾きたいフレーズを弾き散らしているだけとさえ思えてくる。が、楽曲を支える大きなリズムのくくりの中では、そいつは強力なスパイスとして機能する。
 そして始まるボーカル群は、まさにインド洋の果てしない広がりの中をのんびり水浴しながら世間話を交わすような、雄大にして伸びやかな響きがあり、聞き手をすっかりリラックスさせてくれるのだった。

 ともかくここに収められたどのバンドの音楽にも、タンザニアの夜を覆う、どこかに海の風を孕んだ熱くでっかい空気の感触が覗われて、その独特のリズミックな極楽感覚はたまらない魅力である。で、どうしても綾なす海、インド洋の潮の香りなんてものをこの音楽から感じてしまうのだが、それはこちらの思い込みなんだろうか?
 というわけで、このクソ暑い日本の夜の向こうに無理やり幻視してみるタンザニアはダルエスサラームの一夜に乾杯。

 (試聴は、探したけれど見つけられなかったので・・・)

点滴でもいいからアルコールを入れてくれ

2009-07-30 02:20:58 | いわゆる日記
 

 このところ、いろいろ現実世界はゴタゴタ続きで、あんまり音楽の話が出来る気分でもない。とはいえ更新しないのも悔しいんで、さっき気まぐれでやってみたバトンでも公開しておこう。

 ~~~~~

●今の着信音は?

携帯だったら持たない主義なんで。

●待ち受け画面は?

だから持たないと言っておろうが。

●お酒は飲める人?

医者から、「飲むな」との指示が出ております。
まあ、この四半世紀、連日の飲んだ暮れDaysだったからね。

●好きなお酒は?

何でもいいから飲ませて欲しい。
今となっては。

●お酒の失敗を教えてください

若いときに調子に乗って飲み過ぎた事。
本当の意味で飲まずにはいられない今、飲めないとは・・・

●ストレス解消法は?

だから、無い。なくなってしまった。

●今この瞬間の髪型は?

名乗るほどの髪型ではない。

●今この瞬間の服装は?

トランクスにTシャツ。

●あなたの勝負服どんな感じ?

勝負とか、しないし。

●あなたの人生で一番の思い出は何?

バイトで”はっぴいえんど”のアンプ運びをやっていた時、
ライブ会場で早川義夫に「ここまでの道、混んでた?」と
尋ねられたが、あの早川に初対面とて緊張して答えられず、
明らかに「こいつ、バカか?」という顔をされたこと。

●生まれ変わったら何になりたい?

遊び人の女。

●異性の第一印象、まずどこを見る?

チチ。

●外見で好きなタイプは?

チチデカ&ロリ。

●内面で好きなタイプは?

人の内面なんか分るものか。

●あなたにとってmixiとは?

いくら日記を書いてもコメントもらえない場所。

●財布の中身は?

現金3130円。運転免許証。図書館利用カード。

●何歳に戻りたい?

何歳でもいいから、酒を飲んでも良かった頃に戻して欲しい。

●愛されるよりも愛したい?

俺を愛する人もいなかろうよ。
といって、誰を愛するつもりもなし。

●最近のマイブームは?

マドロス演歌。

●1日の睡眠時間は?

まあ、2~3時間か。

●好きな色は?

限りなく透明に近い青きドナウ。

●これを聞くと切なくなる曲は?

グループサウンズ末期の曲。

●曲名は?

フラワーズの”ラストチャンス”

●その理由は?

マイナーなGSのメンバーに加わらないかと、そこの事務所の人に誘われ、高校を辞めて家出をして本当に加入しちゃおうかと凄く悩んだ。その晩、ラジオから流れていたのが、上の曲。

●好きな相手で音楽の好み変わる?

変わらない。

●結婚は何回したい?

あれは何度もするものなのか。

●今まで何のバイトした?

さまざまな。

●今の生活楽しい?

苦しい。苦しくてたまらない。酒が飲みたい。