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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

マルコ・ポーロ幻想

2009-08-26 00:56:27 | ヨーロッパ


 ”Die Rückkehr des Marco Polo” by Marco Ambrosini & Katharina Dustmann

 題して”マルコ・ポーロの帰還”と。ヨーロッパ中世音楽研究家で音楽クリエイターでもあるイタリア人、Marco Ambrosini氏と、ドイツ人の打楽器奏者のKatharina Dustmann女史、お二人の連名によります1997年作品であります。
 とか言ってるが、どのような人たちか知りません。どうもジャズやクラシック畑のヤンチャ者の皆さんが放った実験作みたいなんだけど。こちらとしては不思議な意匠のジャケと”マルコポーロの帰還”なるタイトルに興味を覚えただけの”一か八か勝負で買ってみた盤”であります。

 盤を廻してみると飛び出してくるのがスインギーなウッドベースに導かれ、なんとも闇の底から聴こえて来るみたいな不気味な不協和音コーラス。いや、なんか懐かしくさえある”現代音楽と前衛ジャズの融合系実験音楽”の響きでありました。”アングラ”なんて古臭い言葉がもの凄く似合うサウンドですな、これは。

 十数人に及ぶ参加メンバーは、それぞれが複数の楽器をこなし、しかもことごとく腕達者、という鉄壁振り。その方面では、いずれ名のある人々なのでしょう。
 しかも操る楽器はサックスやヴィブラフォンといった”普通”のものからニッケルアルパ、ケルティック・ハープなどというヨーロッパの民俗楽器に加えて、ウード、ダルブッカ、ベンディールといったアラブ方面のものやら、さらにはマリンバ、バラフォン、ビリンバウと世界各地のものが入り乱れ、もう手が付けられません。
 ボーカル陣も民俗調の地声コーラスで現代音楽風の譜面をこなすうち、ついにはホーミーの一発も軽くこなしてしまう凄まじさ。

 とはいえこの盤、遠い昔にマルコ・ポーロが訪れた国々の音楽がカラフルに再現される、なんてお楽しみ盤ではありませんで。どちらかといえば、伝説の旅人なるマルコの心の闇への探求を試みた、みたいな思索的な色彩が強い出来上がりとなっている。
 マルコ・ポーロの旅を内宇宙への旅と捉え、マルコの見た旅の風景が心の闇に通じ、その闇を辿ることがすなわち、マルコが地図上で行なった実際の旅を辿り直す事に通ずる、なんてややこしい構造になっているようだ。

 各楽器は凄まじいテクニックで刺激しあいながら壮絶な即興演奏を繰り出し、人の心の闇の底へ深く深く潜入して行く。その狭間に、幻のように行き過ぎる、エキゾティックな東洋の面影を宿した音塊たち。それはある時はデフォルメされたバルカンの舞曲であり、中央アジアの牧唄であり、またアメリカ大陸先住民のウォー・クライである・・・
 ともかく、こんなに不自然な音楽を演じているのに、めちゃくちゃリアルなこの手触りはなんだろう?こんなにも頭でっかちな音楽なのに、強力に発せられる、この肉体性はなんだろう?ヨーロッパの人間には、こんなに屁理屈で煮固めたような音楽が”天然”であるのだろうか?

 などと、つまらない事を考えながら凄まじく刺激的な音の絵巻を堪能したと、とりあえず夏休みの宿題の旅日記には書いておこうか。あ、試聴できるものを探したんですが、見つかりませんでした。残念。



地球港の立神は

2009-08-23 23:57:54 | 奄美の音楽
 ”加那ーイトシキヒトヨー”by 城南海

 さて、待望の城南海ちゃんのデビュー・アルバムである。それはいいんだけれど・・・一聴、「あ、そういうことだったのか」と、私は頭を掻いたのだった。
 これまで城南海がリリースしてきたシングルCDに関して抱いて来た疑問が氷解したと言うか、彼女に対する自分の理解が結構セコかったなと反省させられもしたのである。
 だいたいが、数日前にここに書いた、デビュー時の城南海を追ったドキュメンタリーへの我が感想というものが、こうなってくるといかにも小さな論であり、実に情けなくなってくる。
 あの文章で私は、「奄美の先輩唄者たちが集まった宴席で、自己流の島唄を比較的最近歌いだしたばかりの彼女は気が引けたのではないか」なんてくだらない方向に気を廻したが、城南海の音楽志向はそんな小さな世界にとどまるものではなかったのだ。

 では、いったい彼女は何をやりたいのだ?と問うなら、すでに彼女は自身のブログでも述べている。グイン、つまり奄美の伝統のコブシで世界の音楽の読み直しを行ないたいのだ、と。
 その文章を読んだ際、私は、まあ「世界の願い、交通安全」とか「人類が平和でありますように」とか、その種のありがちな標語的コメントかと思ったのだ。申し訳ないことに。
 歌手がインタビューで語る、「ジャンルにこだわらず音楽を作って行きたい」とか、ありがちなコメントがあるでしょ?なんか意味ありげだが実態がよく分らない。一応、言ってみただけ、現実に何をやるかといえば何をやるでもなかったりする。その一種と受け取っていたんだなあ、私は。が、彼女は本気だったのだ。

 このアルバムを聴いてみると、確かにここには城南海による「グインで編み直す世界音楽」のための試案が展開されている。グインを視点に掘り起こすワールドミュージック。そのための序章。
 そのタイトルからふと、奄美民謡の「太陽ぬ落てまぐれ」なんて曲を思い出してしまった冒頭の曲、”太陽とかくれんぼ”。そこではまず、南米からアフリカへと通ずるようなリズムに乗せて神話的風景が提示され、もう一つの世界の扉が開けられる。
 デビュー曲”アイツムギ”も新しく軽いサンバっぽいリズムが付され、奄美の伝統世界が海によってつながった、より広い世界に向けて漂い始める気配を感じ取れるようだ。
 その後も内外の民謡や民話にインスパイアされた曲が続き、カラフルな世界巡りが続いて行く。世界がグインによって目覚め、スイングし始めようとしている。

 一曲、アイルランド民謡が取り上げられているが、それは我々の知っている”正しい”メロディとは微妙に違っている。これなど、”グインvs世界”のとても分り易い構図であり、興味をそそられるのだった。中孝介の歌う”アベマリア”などと聴き比べてみるのも面白いだろう。
 それにしても城南海は、どこからこんな事を思いついたのだろう?そして、この盤のあちこちに溢れる、いいようのない”切なさ”の正体は?そしてこれから城南海はどれほど遠くへ行くのだろう?楽しみになってきた。非常に楽しみになってきたぞ。



秒速アルジャーノン

2009-08-22 21:01:57 | ものがたり

 ばかのぼくがぱんやさんではたらいているとだいがくのえらいせんせいがきて、ぼくのあたまをしりつしてあたまをよくしてくれるというのでだいがくにいきました。だいがくにいってしりつをうけるとその効果は即効的であり、また絶大なものであった。そして私は、知能に障害を持って生きてきた日々の何たるかを知りだいがくからかえってくると、ぼくはまたばかにもどっていました。せんせいはおかしいなこんなはずではなかったのになにがげんいんかしらべてみようといい、ぼくのあたまにちょうさのためのよびしょちというのをしてくれました。するとその効果は意外なもので、私の知能指数は、またも顕著な上昇を見せたのである。私は執刀医と共に、この件について様々な検証を加えてみたのだが、その途上で不意にぼくはまたばかにもどってしまったのでぱんやさんにもどりました。ぱんやさんではたらいていると、まただいがくのせんせいがきて、あのよびしょちのかていでいがいなこうかがあらわれたので、もういちどしりつをしようといいました。ぼくはもうしりつはいやなのでないていやがったのですが受けてみると、またも効果は絶大にして即効的なもので、私の知能は前回の処置時よりも、さらに向上していたのである。予備処置の過程のどこかに、知能の上昇を喚起するなんらかの有効な方策が存在しているのではないかと言う仮説を立て、だいがくのせんせいとぼくのあたまをずっといいままにしておくためになにかいいほうほうはないかなとはなしあっているうちに、ぼくはまたばかにもどってしまったのでぱんやさんにかえりました。だいがくのせんせいがまたやってきてもういちどとらいしてみようといいましたがぼくはもうだいがくにはいきませんでした。ただ、ぼくのあたまのけんきゅうのためのじっけんにつかわれていたねずみのアルジャーノンがしんでしまったというのでアルジャーノンのおはかに献花をお願いいたします、と書いて、私は、そのような文章を書いている自分に気付き驚嘆した。今回は、例の”処置”を受けることなく私の知能が回復しているのだ。原因は定かならぬとは言うものの、私の脳内に、私をこのまま高度な知能の状態にキープしておくための何らかの作用が起こっている可能性が高い。繰り返されたあの”予備処置”に、まぐれ当たりとも言うべきなんらかの効果は、やはりあったのではないか。私はパン屋を走り出、大学に向かう道を全速力でたりらりらんのほーいほい。

遥かなるケイジャンのオタケビ

2009-08-21 03:01:59 | 北アメリカ


 ”Les Memoire du Passe”
  by Lesa Cormier / August Broussard and the Sundown Playboys

 ワールドミュージックのファンとしては、かってヨーロッパ諸国がアジア・アフリカ諸国を植民地支配した際に残していった音楽の種が現地の音楽とどのような具合に激突をして、どのような新しい音楽を生み出したのか、なんて罪を孕んだドラマには当然、血が騒ぐ次第である。それぞれの国が持つ文化の様相に応じて、紡がれるドラマの個性にも違いが見えて、興味は尽きない。
 たとえば、特に圧倒的な影響を及ぼした感じでもないのに、結果を見てみると世界中に重要な音楽の種を蒔き残していったポルトガルなど、実に不思議な存在と思う。いまだにその事情がよく分らないので、ここでは触れないが。

 スペインの音楽が新大陸侵略の歴史の中でアフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちの音楽と出会い、カリブ海で行なった交雑の過程は、なんとも”血の婚礼”とか名付けたくなるようなアクの強いドラマとなっているが、同じラテン系文化でもフランスの音楽と現地の音楽の関係は、また相当に違うものがある。
 フランスの音楽が異郷に出かけて行くと。分りにくい表現しか出来ないのだが、そして、私の感覚ではそう感ずる、といった話でしかないのだが、フランス音楽の場合、現地の風土や風俗に抱きとめられてグズググに溶け崩れ、ドロドロに溶けて異郷の土と混ざり合い、まるで形を失うかに見える。が、よく聴いてみると不思議な香気、あるいは臭気が深々と土の奥深くから立ち上っているのに気が付く、みたいな、それは渋い形状をしているのだ。
 (あ、これはあくまでも大衆音楽の世界の話ね。”シリアス・ミュージック”とか、そこら辺の事情はまったく知りません)

 そんなわけで今回持ち出したのは、アメリカ合衆国深南部はルイジアナ州のローカルポップス、”ケイジャン・ミュージック”の激渋盤。
 ルイジアナ州はご存知の通り、アメリカ合衆国が独立する際、フランスから金銭で譲渡された土地とのことで、そこには昔から少なからぬ数のフランス系住民が住んでいた。今日でもフランス語を話し、フランスの文化を継承しつつ生きる人々。
 彼らが各種民族文化が入り乱れるアメリカ南部で作り上げてきた民俗ポップスがケイジャン・ミュージックというわけで。
 まあ、いい加減な私などは知らない人には「ああ、ようするにフランス語のカントリー・ミュージックだよ」とか、めちゃくちゃ雑な説明をするのが常なのだが。でもまあ、大まかに言えばそんなものでしょ?

 で、この盤である。レイク・チャールスというケイジャン文化ど真ん中、みたいな土地にあるローカルレコード社から2001年にリリースされた盤なのだが、その中身はたぶん、その50年前にもその土地で演奏されていたのと同じではないかとも思われる音楽である。
 ジャケ写真には、もう嫌になるくらいアメリカのド田舎の頑迷な年寄りたち、みたいな男たちが並んでいる。そして針を落としてみれば(おい、CDだぞ)まさにその通りの音楽が流れ出してくる仕組みだ。

 昔々から引き継がれてきたフランス系アメリカ人の大衆文化たるケイジャン・ミュージックのあまりにもオーソドックスな唄と演奏。と言っても演奏者たる彼らには、伝統文化を守ろうなんてうっとうしい思い入れはありません、多分。爺さんたちはただ、彼らが村の年寄りたちから教えられ、自分たちの楽しみとして演奏してきた音楽をそのまま、相変らず自分たちの楽しみとしてやっているだけ。それだけの話。
 軽快なツー・ステップ。優雅なワルツ。まあ、演じられるのは主にこの2パターンなのだが、遠い故郷フランスでは優雅なダンスミュージックだったはずのそれは、新大陸の風土の中で実に野趣に溢れた、まあようするにド田舎のダンスミュージックの泥臭い逞しさ楽しさを獲得してしまっている。

 ギター、ベース、ドラムスにスチールギター、というカントリー音楽の標準編成にアコーディオンとバイオリンが入った、実にオーソドックスな編成のケイジャン・バンドであり、サウンドもまた、ひねりも何もない明快で分かり易いものとなっている。
 トップに置かれているのは、私などには「昔、小坂一也が歌っていた”悲しきディスクジョッキー”みたいなメロディ」としか聴こえないオリジナル曲である。かって日本で流行ったくだらない曲、「ケメ子の唄」みたいなイントロが恥ずかしい露骨な循環コードのロッカ・バラードが何曲もあり、アメリカ南部のいなたく生暖かい風情を伝える。
 終幕近くの聴かせどころには、ハンク・ウィリアムスの「泣きたいほどの淋しさだ」みたいなメロディのバラードの絶唱が置かれている。この曲もバンドのメンバーのオリジナルということになっている。

 なにより嬉しいのが、ボタン・アコーディオン奏者でありヴォーカリストであるAugust Broussardの存在である。
 容貌魁偉な彼が古めかしいボタン式アコーディオンを抱えてマイクの前に進み出、しわがれ声のフランス語のカントリーナンバーをわめき倒す時、現地の文化と一緒に畑に埋もれ、ひん曲がったジャガイモになってしまったパリのエスプリとか何とかが見えてくるような気がするのである。
 こいつは、文化の国おフランスの面目丸つぶれの猥雑なエネルギーの発露が妙に嬉しいアメリカン・ローカルポップス、ケイジャンの痛快盤なのだった。



城南海の”夜明け前”

2009-08-19 05:03:43 | 奄美の音楽


 ”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”

 奄美出身の新人歌手、城南海ちゃんの話です。という事は当然、ミーハー乗りの内容となります。お許しを。
 今、BSフジで放映された”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”を見終えたところです。
 南海ちゃんのデビュー当時に製作され、鹿児島ローカルでだけ放送されたという、”城南海~女性シンガー デビューへの軌跡~”なる、1時間弱のドキュメンタリー番組があると知り、ずっと気になっていたんだけど、さきほどBSフジで再放送がなされて、やっと見ることが出来た。いや、すっきりした!

 内容はタイトル通りの、新人歌手の経歴紹介やらレコーディングやライブ活動など、デビューに向けての新人歌手の日々を紹介するといったもの。
 当然ながら、奄美の文化に興味があったり、島唄が特別好きだ、なんてマニアな人のための作りはされていないから、特に突っ込んだ内容となっていない。
 まあ、それは初めから予想のつくことであったし、こちらだって南海ちゃんへの興味のベクトルがこのところすっかりアイドル方向に傾き、モーニング娘の番組を見るのとあんまり変わらない視線で画面を眺めているのだから、あんまり偉そうなことは言えない。

 それでもいくつかの新発見はあり、たとえば彼女がピアノに打ち込む少女であり、高校はその専門のところに通っていた、なんて事実。それは、今日まで城南海ウォッチングを続けて来た私も分からなかった。彼女の言動にも音楽性にも、その種の専門教育の面影は感じ取れなかったのだが。
 その一方、これはすでに一部知っていたことだが、城南海は子供の頃から島唄の世界に生きて来たわけではなく、高校時代に兄の影響で島唄に興味を持ち、ほとんど自己流でマスターしたとの事実。

 以前、中村とうよう氏がミュージックマガジン誌上で批判していたように、相当に形式の遵守に厳しいらしい奄美島唄の世界のことである。”奄美島唄大賞受賞→歌手として認められる”という”正統”の道を歩まなかった城南海のような歌手は、奄美を離れた鹿児島の地でなければ認められるチャンスもなかったと考えていいのだろうか?

 だから番組の終盤、”思いがけなくも奄美の先輩唄者たちが、デビューをひかえた南海のために集まってくれた”の場(まさか中村瑞希たちが、ほんの一瞬にしろ、画面に登場するとは思わなかった!)など、その1シーン1シーンの”そのまた裏”が気になって仕方なかったのだ。先輩たちは城南海を迎え、歓迎の唄遊びお始めたのだった。
 奄美ですごした子供の頃は島唄に興味はなく、鹿児島に移り住み高校に通い出してから歌いだしたという”我流”の城南海の島唄は、だからこそ私などには斬新なスリルと創造性を孕んだものと受け取れるのだが、先輩たる彼ら彼女らにとって納得の行く出来合いのものだったのだろうか?
 そして先輩たちを変則的な形で追い越して”メジャー・シーン”にまだ10代の身を投じようとしている城南海にどのような感想を抱いているのか?

 番組は、「先輩たちは暖かく城南海を受け入れてくれて、寄り合いの席はまるで彼女のデビュー祝いの宴席となり、唄は次々に飛び出し、人々は次々に立ち上がり、踊り出した。島の人々はいつもの通りに暖かかった」と言う方向に”まとめ”に入って行ったのだが・・・
 先輩方は、「言いたい事もあるが、盛り上げてくれた」のだろうか、「番組制作サイドからの要望があったからそのように振舞った」のだろうか。それとも、こんな勘ぐりは私の性格の歪みゆえで、あの暖かい島の人たちの新人の壮行をかねた集いは、掛け値なしに本物だったのだろうか?

 と、まあ、こんな事をふと考えてしまった次第であります。屈折しててほんとにすみません。しかし可愛かったね、城南海ちゃんは。



トッカータとフーガとパイナップル

2009-08-18 03:28:19 | 太平洋地域
 ”Ukulele Bach”by Herb Ohta

 ハワイ在住の日系二世のウクレレ名人、オータサンことハーブ太田が2000年に発表したアルバムなのだけれど、あんまり聴いた事のある人が、というか、このアルバムの存在自体を知っている人があまりいないみたいだ。
 どんな事情かなかなか発売にならず、オータサン自身もハワイと東京を往復し、結構めんどくさい思いをして吹き込んだこのアルバムが結局陽の目をみないのでは?と心配になったようだし、発売後も、まあマイナーなレーベルのせいもあろうが、あまり話題になったとも言いがたい。

 私にしてからが、ある通販サイトのカタログの端のほうに、あんまり売る気もなさそうに置かれているこれを見て、「へえ、こんなアルバムが出ていたのか」とそこで初めて知って買い求めた次第で。で、その後、すぐにそのサイトは”発売中止”の表示に変わっている。アマゾンとかでははじめから扱いはなかったようだ。
 とはいえ、私がここで話題にしたのがきっかけで、このアルバムが幻の名盤扱いで”発掘”騒ぎとなり、さあ、紙ジャケデジリマボートラ付きで再発売しろ!との音楽ファンの声が燎原の火のように広がる、なんて事にも、まずならないだろう。
 なぜならこれは、ウクレレ一本で弾いたヨハン・セバスティアン・バッハ作品集などという素っ頓狂な、かつ誰が面白がるのだ?みたいな企画盤であるからだ。

 トッカータとフーガ、ブーレ、シシリアーノ、なんてのから”主よ、人の心の喜びよ”なんて曲まで、よく知られたバッハの曲が何の伴奏もなしに全16曲、ウクレレ一本で演奏されている。ギャグなし、ギミックなし、実直な性格のオータサンらしい、誠実にバッハの作品と向き合った達者な演奏が収められている。
 けど、使用楽器がウクレレだからね。これは、本来は”出オチの芸”でしょ?ウクレレ持ってステージに出てきたから何をやるのかと思ったらバッハを弾き始めた。無茶をしやがる、けど、結構上手く弾きこなすじゃないかと、初めは笑いが、そのうち賞賛の拍手が起こる、と。

 で、まあ、その一曲で終わっておくのが無事であろう。それがこのアルバム、全曲バッハですよ。しかも無伴奏。確かにこれ、話題にもならずに終わったのも無理はないかなあ・・・
 とか言ってますが。かねてよりオータサンのファンである私は、実はこのアルバム、気に入ってるんです。聴いているうちに、オータサンのウクレレの鄙びた響きによってポケットサイズに変容されたバッハの音楽の魂が、人の掌の上で風に吹かれてコロコロ転がっている、みたいな奇妙な幻想が生まれてくるのであって。なんだかすべての事象の輪郭が丸くなり、生の喜びを歌いだすような。まあ、私もいい加減、訳の分からない話をしているけど。

 と言うわけで。もちろん、You-Tubeに試聴用の画像はありませんでした。かわりに、似たような事をやっているジョン・キングと言う人のウクレレによるバッハ演奏を下に貼っておきます。というのも、どうかと思うが。




オイルシティ・メッシン・アラウンド

2009-08-17 01:36:12 | イスラム世界


 ”Timenna”by Abdullah Al Rowaishid

 ここのところ気になっている”アラブの白装束野郎”シリーズ(?)である。いや、そういうジャンルがあるのかどうか知らないが、独特の白い民族衣装に身を固めた男性歌手の盤は各種目につくしね。
 そして、クウェートの大歌手の本年作というこの白装束盤などは聴いていると、「ダブつくオイルマネーを持て余してろくでもない罪を重ねてしまった男たちのダルい午後のブルース」とか、勝手に副題を振ってやりたくなったのである。
 もちろんこちとらアラビア語はまるで出来ないんで、「どんな歌詞なのか?」の実際はなにも分らず、完全に言いがかりなのではあるが。

 ともかくなんか歌手自身にゴージャス感漂っているのである。ジャケ写真、袖口に覗くでかい(高価そうな、と言うより”でかい”とまず思える)腕時計やら、民族衣装に身を包んで豪華な革張りの椅子にそっくり返った際の決まり具合はどうだ。そしてこれはあのヴィン・ラディンなんかも同じものを感じるのだが、先祖代々スケールの違う金持ちであるがゆえにであろう、なんの屈託もなく伸びきった身長は、そして顔の長さはどうだ。

 まあこんな事、書けば書くほどこちらの品が下ると言うものだが、何しろ相手は地面を掘れば石油が出てくる国のヒト。どこを掘ったってなにも金目のものは出てこないから地味に働くしかない貧乏国国民の我々には当然の事としてさまざま僻む権利がある。なにしろ、このCDの演奏時間が77分越えているのも、お大尽からの施し、みたいに思えてしまうのだ、私など。

 独特の、粘着質の歌声の持ち主である。ムチのようにしなう独特のコブシの廻しが、妖しげな陰影を振り撒く。
 スローめの曲も多く、湾岸諸国風の華麗にして壮大なる、民族色濃いアラブポップ・サウンドをバックに、時にじっくりと囁くように迫る。ひっそりとウードがかき鳴らされ・・・ひときわヤバい雰囲気があたりに漂う。
 分厚いストリングスと女性コーラスをバックにするシャウトも、たとえばライの歌い手が行なう叫びとはまったく違う意味がありそうに響く。

 ウード一本をバックにじっくりと絡み合い、切々と語りつくす5曲目が勝負どころだろうか。彼ら一族の内なる、砂漠の遊牧民の魂と正面から向き合ったみたいな気分になるこの唄あたりからロワイシッド大尽の歌声は、グッと深みを増すように感じられるのだ。
 この盤で聴かれるウードは高名な奏者によるものなのだろうか。ここぞ!という瞬間に現われては忘れがたいフレーズ一閃を決めて行く。
 これまで接してきたアラブの歌謡世界には、まだまだ未知の広大な領域があるのだなと思わせる一枚と言えるだろう。

 民俗打楽器群がドクドクと脈打ちストリングスが波打ち、アラブの夜を独特のリッチ感と、それと裏腹な不思議な寂寥感に染め上げながら、ロワイシッドお大尽の粘着質の歌声がベッタリと渡って行く。冒頭にわざと書いてみたゼニカネ妄想はどこかに吹っ飛び、お大尽のボーカルはなんだか路上のブルース歌手のような切実さを持ってこちらの心に忍び入っている。こいつはクセになるかも知れない。



カリプソ2009の戸惑い

2009-08-14 03:40:58 | 南アメリカ


 ”University of Calypso ”by Andy Narell & Relator

 まずカリプソの新譜である、と言う事実が嬉しい。実力派のベテラン二人が、カリプソの伝統曲をサカナに和やかに円熟の芸って奴を披露してくれる、なんとも楽しく、不思議に懐かしく、そしてたまらなくあったかい音楽の泉。これは絶対お勧めだ。誰が聞いても楽しめる、素晴らしい音楽だもの。

 渋いギターと軽妙な唄を聴かせるリレイターの方はカリプソ界のベテラン歌手で、いかにもそんな感じのコミカルな歌い口でカリブ海の喜怒哀楽を伝える。
 一方、達者な、ちょっと上手過ぎる感じのスティール・パン、つまりドラム缶の蓋の部分に凹凸を打ち込み木琴のように音階を打ち出せるようにしたトリニダッド諸島特有の民俗楽器を聴かせるナレルの方は、実はアメリカ人で、スティールパンの演奏の可能性をさまざまな分野に広げつつある人のようだ。どうもこっちはもともと、別の楽器のプレイヤーだった形跡がある。このアルバムのプロデューサーも兼ねているようだ。

 この二人にシンプルなリズムセクションが加わるだけの小編制のバンド演奏で、非常に端正な、室内楽的と言っても良い、きれいにまとまってスイングする演奏を聴かせる。
 他のメンバーもとても達者なプレイヤーたちで、クラリネット奏者を中心にフレンチ・カリビアン・ジャズとでも言うべきものの演奏が始まったりするあたり、非常に広々とした気分にさせてくれ、音の展開につれ、眼下にカリブ海文化圏の音楽地図が広げられて行くみたいで、その知的興奮てえんですか、たまりませんわ。

 でも、気持ちよくなる一方で、カリプソなんてものは本来、カリブ海の黒人のブラックなジョークが脈打つもっとアクの強い音楽で、こんな風に異文化圏の人間がニコニコと寛いで聴いていられるのは一種の退廃、あるいは衰退の証しなのかも知れない、なんてある種落ち着かない気持ちがよぎる一瞬もあるのも事実だ。
 気持ちよく聴けてしまうから逆に、なんか後ろめたい気がするってのも性格暗過ぎる話なんだろうけどねえ。

 でも、いかにも人の良いオジサン然としたリレイターだって、若い頃はもっと尖がった性格だったかも知れないし、カリブ海の黒人たちの中には、「白人の演奏するカリプソなんて」と内心、忸怩たる思いの者もいないとも限らない。
 まあワールドミュージックというもの、いつも文化や人種の垣根の向こうを覗き見ているみたいなものだから、この問題はいつもついて来るんでね。考えたってしょうがないと言えばしょうがないものなんだけど。
 それでも今夜も遭いたくて、エンャコラと船を出す、と歌ったのは野坂昭如だったねえ。




雨上がり、タガログの唄

2009-08-13 01:55:09 | アジア

 ”OPM”by Sarah Geronimo

 これを夏バテと言うのでしょうか、このところのクソ暑さが耐えられませんで、なにをする気にもなれない状態であります。ただもうエアコンの前にへたり込むだけの日々が続いているわけで、もうすっかり”廃人”の呼び名がふさわしい私なのです。
 が、せめてここの文章でも書いておかねば、おりから当地を襲った地震で私が被災したかと考える方もおられるやも知れない。実際、もったいなくも私を気遣うメッセージを下さる方もおられた訳で。たとえば部屋の隅に積み上げたアイドル写真集の山に押し潰。あ、この話は洒落にならないのでやめるにしても。とにかく無事をアピールしておかねばと、パソコン起動させた私であります。

 で、先日の例の地震ですが、確かに大きな揺れではあったんですが、私、マヌケな事にそれを地震とは気が付かないまま終わってしまった。
 と言うのも、ちょうどその時刻は台風も当地に接近しておりまして、大変な降雨と雷がわが町を襲っていたんですね。そんな次第で私はその時間、玄関から川と化しつつある道路を見つめ、休みなく鳴り響く落雷を聞きながら、こりゃ大変な事になったものだなあと呆れていたのであります。
 そんな時に最初の揺れがやって来たもので私は、「やあ、これは大変な風台風じゃないか。暴風で家が揺れてるよ」なんて見当違いな事を考えながら玄関の柱に掴まった事を覚えております。 と、次にもっと大きな決定的な揺れが来た。遠くで何か大きなものが倒れるような音もしました。が、それでも私は「ありゃりゃ、どこかにでかい雷が落ちたぞ。明日、雨がやんだら見物に行ってみよう」とか、ますますマヌケな事を呟き、玄関を締め、風呂に入って寝てしまったのでした。

 で、翌日、遅くに目を覚ましてニュースを見てはじめて、それが地震であった事を知ったと言うわけで。とぼけた話ですがねえ、私の家にも周囲にも別に何の被害もなく、誰も地震なんか話題にもせず、盆休みの観光客相手に銭もうけに邁進している。高速道路の崩落のテレビニュースなんかをどこか遠くであった事件のような顔して横目で見ながら。
 まあ、そんなもんなんですわ、現地の状況としては。

 と言うわけで最近、なんとなくいい加減な気持ちで聴き始めているタガログ語ポップス、なおかつバラードものであります。歌うは、有望新人のサラ・ジェロニモ嬢。
 何がいい加減かって。まず、この音楽が現地フィリピンでどのような存在であるのか、当方、さっぱり分かっていない。
 なんでタガログ語でなければならないかと言えば、もともとがアメリカのポップス等と表面上はあんまり変わらないサウンドであるフィリピンのポップスであり、これで英語で歌われるとアメリカのポップスを聴いていればいいのであって、わざわざ面倒くさい思いをしてフィリピンの盤を求める理由がなくなる。

 それならタガログ語で歌われていても音楽性という意味ではやっぱり同じ事ではないか?と問われると、これがまた、どう答えて良いのか分らなくなる。確かにその通り。いやいや。言葉が違えば音楽は相当変わりますよ。その”違い”を要領よく説明する言葉を私は現在、まだ持ちえていないんだが。まあ、あと20年ほど待って欲しい。
 それにしてもタガログ語で歌われる盤、というのは現地フィリピンの人々にどのような意味を持っているのですかね?フィリピンの大統領の演説、なんてのは普通、英語で行なわれますよね。ああいうことが行なわれる国ってのはおおかた、国がいくつかの部族語圏に分かれていて、そのどれを”標準語”に採用しても別勢力から苦情が出る。だからとりあえず”旧宗主国”の言語をもって共通語にしとこうって事情があるわけでしょ?

 で、音楽の場合も部族の垣根を超えてCDをたくさん買ってもらうには英語で歌っておこう、と。海外市場も計算に入っているのかな。そこへ行くとタガログ語で歌われている場合は、よりドメスティックな、もうタガログ語の分る人だけ聴いてくれればいいや、民族の懐の奥深くで商売しちゃおう、とかそういう覚悟の元に製作された盤と、まあ私は考えているんですがね。その辺に匂うものを感じて、追いかけているのです。

 で、この盤。微妙に彩色は施されているんだけど、ほぼ白黒のジャケ写真が、内容と良い具合に響きあっている気がします。盤を廻せば抑制が効いた洗練されたサウンド、繊細なメロディ・ラインが湧き上がる。歳に似合わぬ歌唱力で美しいバラードを歌い上げるサラ嬢の姿がシンと静まり返った空間の中に浮かび上がる。
 その、ある種ストイックな感触は、遠くの夜空に浮かび上がる音の聞こえない花火みたいな楚々とした美を演出しています。まあ、サラ嬢の素顔が、私がここで予想しているような深窓の令嬢かどうかは怪しいものですが、そのような演出が一応成功していると。

 日本人だったら過剰とも感じるであろう、濃厚な感情移入のほどこされた歌唱も、そこはかとなく静的なモノクロームな手触りのストリングス・アレンジの底にスッと吸い込まれて消えて行き、濃い後味は残さない。
 あとに残るのは、独特の、これはブラジル人だったらサウダージとか言いそうな、すっと以前に喪われ、遠くに行ってしまったものへの感傷。のように響く想い。
 これは私がインドネシアや、このフィリピンのバラードものを聴く際に気になっている、かってヨーロッパ人がアジアの大衆唄の中に置き忘れていった情熱の残り火の気配なんかとも通ずるものなんですが。

 などと、訳の分からない事を言いながら退場。暑いっスね、それにしても。




ニライカナイ・レイジーブルース

2009-08-11 04:10:24 | 沖縄の音楽


 ”桃源楽”by 吉育

 ハーモニカ、と言うよりはこのアルバムに関しては、その演奏スタイルからブルースハープと呼ぶべきなんだろうけど・・・
 これはブルース系のハーモニカ演奏による沖縄名曲集。妙な事を思いついたもので、なかなか不思議な切り口から沖縄音楽の楽しみを広げている。2007年作。
 プレイヤーは京都で活躍中のブルースマンとのこと。そもそも沖縄の音階なんか吹けない筈の構造の楽器を見事に操り、とても素直な手触りで、かの地のメロディを紡いでくれている。

 というか、私は無謀にも確信持って言うけど、これ、ふと”PW哀りなむん”をハーモニカで吹いてみたら結構決まっていたんで、そこからアイディアが膨らんでアルバムが出来てしまった、なんてことはないかなあ?
 いやなに、あの第2次大戦直後、アメリカ軍の捕虜になった沖縄島民の悲哀を描いた曲のメロディをはじめて聴いた時、「あれれ、これは沖縄音楽であると同時にブルースでもある、みたいなメロディだなあ」なんて感じたことがあるものだから。

 その”PW・・・”はチューバなども入ったオールドジャズ風というかボードヴィル調のアレンジで、コミカルな中にも悲哀が滲む感じの演奏を聴かせるが、その他の曲も多彩なアレンジがほどこされている。
 チンドンっぽいバックが付いたりシロホンやウクレレが鳴り響いたり、おもちゃの国の行進曲風になったりアイリッシュ・トラッドっぽくなったりと変幻自在に、この世のどこかにありそうでいてありえない楽園のファンタジィを描いてみせている。夏の暑さに倦んだ体と心にとても気持ちの良い出来上がり。そして時に聴く者の心を、気ままな旅への欲求で一杯にしたりもする。

 もっとも私の好みで言えば、もっとシンプルな音も良かった。たとえば三線、あるいは生ギター一本だけをバックにのんびりと聴かせてくれたら、なんて考える。ふらりと沖縄に立ち寄った旅人が気が向くままに、その地で出会ったメロディをポケットに忍ばせてきたハーモニカで吹いてみた、なんて図が出来上がるんじゃないか。その時、スカスカの音の隙間から吹いてくる風の感触はちょっとしたものじゃないか、なんて思うんだが。

 第2集の計画があるなら、その方向で検討してみて欲しい。まあ、あんまりありそうな気もしないのだが。そこをなんとか。

 試聴も貼りたかったんだけど、さすがにネットのどこを探しても音がなかった。