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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

声のアストロ

2009-09-06 04:10:22 | その他の評論

 土曜日の夕食後、ダラダラとテレビの前に座り続けていたら、あの手塚治虫の”ジャングル大帝”なんてアニメが始まったのだった。
 まあたいした手塚ファンでもない、というかそもそもアニメにまったく興味がない自分であるのだが、名作と名高い作品でもあるので一応目を通しておこうとそのまま見続けたのだった。
 それにしても、あれは何とかならないものですかね、毎度、アニメを見るたびに違和感を感じて仕方がないんだが。
 というのはほかでもない、男の子とか、この作品の場合は体の小さな動物などのセリフがみな、女性の声優によって演じられるというアニメの通例です。あれがねえ、聴いていてどうにも納得できないんだが。

 変声期前の小さな男の子の甲高い声を女性の声優に割り振るというのは、そりゃ演技力に問題がある年少の男の子にやらせるより便利だから行なわれているんだろうけど。
 でも結構、日本ぐらいでしか行なわれていない習慣なんでしょ?ドラエモンの声を担当していた大山のぶ代がいつぞや「外国に行ったらドラエモンの声を男の声優がやっていた」とか、まるで妙な風習を見たような口ぶりで話していたが、あなた、変わっているのは我が国のほうなんですってば。

 そういえば外人タレントのケント・デリカットも、「あれは変な習慣です。ちょっといやらしい気がする」なんて語っていたものだ。外人なんかに日本の風習をあれこれ言われるのは基本的に気に入らないが、こいつばかりは「うん、そうだよなあ」と肩を組みたい気分。なんか気持ち悪いよ。ケントが「ちょっといやらしい」と表現したのも”当たり”であって、どこか性に関する生暖かいジョークが公然と交わされているみたいな、微妙な気恥ずかしさがある。

 この辺は感じる奴と感じない奴がいるのだろう、「高い声の役は女性にやらせる」という習慣があらたまる気配は、とりあえず、ないのだから。でもさあ、恥ずかしい事なんだよ、ほんとにさあ。

 私が目にした、この珍習慣のもっとも極まった例といえば、”鉄腕アトム実写版”の最終回だろう。あ、そんなのが昔、あったんだよ。”鉄腕アトムを人間の役者が演じていたことが。
 アトムを演じていたのは少年、といえる年頃の俳優だったのだが、彼は最終回、カメラのほうに向き直り、ゆっくりと鉄腕アトムの特徴的な、あの頭のトンガリの付いたカツラを脱ぎ、「長い間ご覧いただき、ありがとうございました」とかなんとか最終回の挨拶をしはじめたのだ。女性の声で。彼の口は空しくただ動くだけ。聞こえてくるのは女の声だけだ。

 アニメならともかく、生身の俳優に声優をつけるという発想もどうか。アトムを演じていた彼も俳優の端くれ、最終回の挨拶くらい自前の声で出来るだろう、いくらなんでも。
 これなど、”少年の声は女性声優にやらせる”というのが固定観念としてスタッフの頭にこびりついていたせいじゃないかと想像するのだが。
 この惨劇、リアルタイムでも見ていたのだが、何年か前、”笑えるテレビ映像”みたいなバラエティ番組で再会することが出来た。子供の頃見て「なんだこりゃ?」と思った物件は、オトナになってもやっぱりアホらしい、と再確認した次第である。

アフリカン・カリプソの午後

2009-09-04 20:49:48 | アフリカ
 ”Marvellous Boy ; Calypso From West Africa”

 1950~60年代あたりに西アフリカ各地で愛好されていたというカリプソ音楽のヴィンテージ録音集。ガーナやナイジェリアあたりのミュージシャンによるレコーディングということであります。
 かってベルギーの植民地であった関係で公用語としてフランス語が使われていたコンゴで、アフロ=キューバン音楽が好まれていたなんて歴史とどうしても並行して考えてみたくなる。 やはり言葉が分るというのは重要な要素なんでしょうか。

 イギリスの植民地支配を受けていたガーナやナイジェリアで受けていた”洋楽”が、カリブ海でも同じイギリス領で、唄も英語で歌われているトリニダッドで生まれたカリプソである。 一方、元ベルギー領でフランス語が公用語として使われているコンゴで流行したのが、同じラテン系の言葉であるスペイン語の歌詞を持つアフロ=キューバン系の音楽であった、という。まあ、そこまできっちり分かれるものかどうか不明ですが。

 とりあえず聴いてみたのですが。同じアフリカ人による”洋楽コピー”でも、アフロ・キューバン系音楽の持つミステリアスでエロティックな雰囲気というのとは、確かに違うものがあると感じられます。
 こちらは、元が風刺と諧謔の音楽であるカリプソでありますからね、音楽に込められた情念のようなものについては、よりクールな覚醒感覚があるように思えますな。アフロ・キューバンのカチッと決まった形式と比べると、よりルーズで、なおかつユーモラスなパフォーマンスもあるカリプソでありますゆえ、かなり肩の力の抜けたやりたい放題の姿勢が覗われるわけです。

 その”やりたい放題”ゆえに、結果として”アフリカン・カリプソ”はアフリカの伝統音楽の水脈にもぬけぬけと直結してしまっているんじゃないでしょうか。各楽器が長々とジャズィーなソロを聴かせる、なんて技巧的な箇所においても、その、ちょっとした間抜け感覚もある飄々とした手触りが、まぐれ当たりでアフリカ音楽の古層に到達してしまっている、そんな風景が見えてくるような瞬間があるのです。

 そしてこれらの音が時を経、たとえばフェラ・クティのアフロ・ビートに、あるいはサニー・アデのジュジュ・ミュージックへと展開して行く訳ですな。と思って聴いて行くとなかなかに血が騒ぐものがある。
 けどまあそんな事を思う以前に、日向ぼっこ感覚の間抜けた(褒め言葉)ファンキー感覚の緩い刺激を楽しんでいたい気がするのですね。

 この盤自体に関わる試聴は見つけられなかったのですが、この盤に収録されているミュージシャンによる別の録音など貼っておきますんで、どんな感じの音楽かなどお確かめください。
 ↓



ジェイソンを待ちながら

2009-09-03 01:12:01 | ヨーロッパ
 ”seishinbyouin”by atrium carceri

 ダーク・アンビエントなるジャンルの音楽だそうです。ブライアン・イーノなんかが提唱した環境音楽の流れの果てに生まれたジャンルのようで、ようするに不吉な音ばかり詰め込んで聴く人間を嫌な気分のさせるのが目的の音楽。そんな音楽を誰が聴くのかって?音楽を聴いて嫌な気分になるのが好きな人でしょうね。
 これは、スエーデンの、こんな音楽ばかりやっているユニットの2ndアルバム。私も実はこの手のものを時々聴きたくなる方でありまして、北欧に変態ありとその名も高いこのユニットをいつか聴かねばと思っていたわけです。

 このジャンルのほとんどがそうであるように、この盤もシンセとサンプラー大活躍で、ひたすら不安を掻き立てる不気味なドロ-ン音が鳴り渡る暗黒の音像がドロッと、終始スピーカーから流れ落ちます。
 まあ、このジャンルの音の美学基本は、教会の鐘の音と鳴り響くグレゴリオ聖歌でしょうね。いつかどこかでご覧になったホラー映画のBGMで、きっと聴かれた記憶がおありかと思います。
 そこにシンセが悲痛なメロディの断片を差し挟み、突然、エコーのかかった重低音がドスン!と雷が落ちるようなタイミングで打ち込まれ、聴く者の心臓を痛めつけます。あとは斧を持ったジェイソンとか稲川淳二の登場を待つばかりだ。

 この作品の非常に特徴的なのは、全編に渡って日本語のセリフが聞こえて来ること。なんでもメンバーが日本のアニメのファンで、そのセリフをフィルムから拾ってきてはオノレの音楽に貼り付けて喜んでいるそうな。彼らに日本語が分っているのかどうか分らないのですが、薄ぼんやりとシュールな物語の進行するのが読み取れるような気分になったりします。
 私はアニメを見る習慣がないのだけれど、その方面がお好きな向きには、「あ、あれをここで使ったのか」とか推察できて面白いかもしれません。

 で、あんまり触れたくないのですが、このアルバム、上のようなタイトルとなっております。この日本語のローマ字表記が正式タイトル。もちろん、日本人対象に付けられたタイトルではありません。日本盤なんか出てないし。
 で、アルバムの全体はタイトル通りと言えるんでしょうか、人の心に去来する狂おしい幻想が乱れ飛ぶ、重苦しい悪夢の表出となっております。

 まあ、聴いていると肩が凝って来るくらい、青白い緊迫感溢れる出来上がりなんだけど、でもそれなりの地獄の悦楽、みたいな安らぎの想いが聴き進むうちに心の底に湧いてくるのはなんなんだろう?ランナーズ・ハイみたいなもの?まさかね。



妖精境の砂竜の唄

2009-09-02 04:01:26 | ヨーロッパ

 "Susie Fair" by Maggie Sand and Sandragon

 バンドのリーダーのマギー・サンド女史は母親がオペラ歌手という環境でもあり、クラシック音楽の影響下に育った人だそうです。その素養を生かしながらイギリス民謡を中世音楽やルネサンス音楽のフォームで演ずるユニークなバンドを作ってみた、それがこのサンドラゴンということで。メンバーもなかなかきらびやかなキャリアを誇る腕達者を揃えているようです。

 日本で言えばどうなるのかな、邦楽界のお師匠さんたちが、あえて秋田民謡とかを演奏してみた、なんて感じになるんだろうか。
 クルムホルンとかハーディガーディなどという古楽器の優雅な響きが耳につきます。聴き慣れたフォーク畑の人たちの演奏するイギリス民謡とは確かにずいぶん手触りが違って聴こえます。テクニックが安定しているんで、ともかく安心して聴いていられる。その反面、大衆音楽独特の野趣には欠ける、ともいえましょう。演奏も、そしてマギーさんの唄も、滑らか過ぎるんですな。

 本来民謡はその素朴な手触りを楽しむものとすれば、これはちょっと違う。華麗なテクニックで豪華に装飾をほどこされて鳴り渡るそれは、かなりフィクションっぽく聴こえます。つまり、ある意味作り物っぽくもあり、で。
 なんだかアニメ化された中世騎士譚とか、人気のファンタジィ、”ハリー・ポッター”の映画シリーズなどが聴いているうちに目に浮んでくる感じですな。その、よく出来た異世界幻想が楽しめないものなのかと問われたら、いや、そりゃ楽しいと答えるよりないんですが。

 音楽の中で踊り出す妖精や騎士たちの幻想。その楽しさ。その影で伝承唄に込められた、遠い過去を生きた人々の喜怒哀楽の手触りが見えなくなってしまう。
 この辺、微妙ですなあ。結局、音楽に何を求めるかによって、この音楽の評価も違ってくるのでしょうね。

 音のサンプルを張ろうと思ったんだけど、残念ながらありませんでした。

落成記念講演会

2009-09-01 05:09:18 | いわゆる日記


 部屋の片付けをしていたら出てきた古新聞、なんてものはつい読んでしまうものなのだけれど、ちょっと記録しておきたいものがあった。
 2003年の11月23日付けの”日刊スポーツ”紙に載っていた話であります。

 ×岡県×田町立×田中学校で体育館が落成し、その記念講演が行われることになった。
 で、そこの校長は以前、講演を聞いて感銘を受けた記憶がある数学者の秋山仁氏、あの、昔のヒッピーみたいな格好の数学の先生ですね、たまにテレビでも見る。あの人に講演を頼もうと考えたそうですよ。そこで校長先生は県に相談、連絡先として県内の放送局を教えてもらったそうな。さっそく彼は放送局に連絡を取った。

 そして、首尾よく出演(というのか?)交渉はまとまり、そして落成記念日当日。講演会場にやってきたのは。数学者の秋山仁氏ではなく、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの元選手、秋山幸二氏であった!

 なんということでありましょう。県に出演交渉の仲介を頼んだ際、校長は「秋山」と、苗字のみしか告げなかったので県は元野球選手のほうと勘違いし、秋山元選手が解説者を務める放送局を紹介してしまったのだそうであります。

 これって凄い話だよなあ。「秋山」と苗字だけ告げれば話が通じると信じ込んでいた校長も凄いが、話がまとまるまで、何人かの人が介在したと思うんだけど、その間、誰も間違いに気がつかなかったというのが凄い。さらに、当日、本人が、”野球の方の秋山”がやって来てしまうまで、間違いについに気がつかれないままだったというのもたまりませんね。

 ちなみに学校側、しょうがないから”プロ野球の”秋山氏に事情を告げ、謝罪して、代理の講演を頼んだそうな。秋山氏も「私でよければ」と快諾、講演を行った。というかまあ、その気で来たんだからね、もともと。

 結果、会場の生徒たちは大喜びで、講演後、”プロ野球の”秋山氏にサインを求めて殺到、大騒ぎになったとか。このエンディングも素晴らしいなあ。
 サインを求めて黒山の人だかりって状態になってる、講演後の”プロ野球の”秋山氏を見ながら、校長の胸中に去来するものは何だったのであろうか。
 数学よ。おお、幻と消えた、含蓄深い数学の話よ。せっかくの落成記念日だというのに・・・

 (けど、体育館の落成記念日なんだから、それでいいじゃねーかって気がしないでもないぞ)

80年ぶりの帰郷

2009-08-31 02:35:17 | 南アメリカ

 ”Seis Cuerdas Y Una Voz”by Anibal Arias Y Oscar Ferrari

 ともに80歳を越えた大ベテランのタンゴ歌手とギタリストの共演盤である。ほかに伴奏はなし。その歳になってもきちんと現役の音楽家である二人の、かくしゃくたるプレイがあるのみである。2006年作。

 ”唄ものタンゴ”の懐かしのメロディ定番曲を中心にして、穏やかな表現ながら溢れる歌心が零れそうな共演が続く。物静かながら枯れてはいない、そんな切なさを含んで、歌声にもギターの音にも、まだまだ艶を感じる。
 歌手の自作詩朗読やギタリストのソロ演奏などを差し挟み、ギターと唄だけの編成ながら聴いていて飽きる事がない。

 歌謡タンゴの創始者である巨人・ガルデルの作った”帰郷(ボルベール)”が中ほどで歌われていて、これがたまらなく甘美だ。
 遠くの土地を長い事さすらった男が、年老いて故郷に帰ってくる。男の心は懐かしさで一杯だが、同時に名付けようもない不安に囚われてもいる。帰った故郷で何に出会ってしまうのか。忘れたはずの夢にか。形も定かならぬ期待と恐れに、胸騒ぎがやまない。

 今日ではあまり録音される事もない古い恋歌、”ラモーナ”が収められているのが嬉しい。 最晩年のディック・ミネ氏が、国営テレビで放映された最後の”ディック・ミネ・ショー”でクロージングに歌った曲。当たりを取った歌謡曲でもなく、ジャズ歌手といわれた一般的イメージに付き合ったものでもなく、ディック氏が生涯最後の大舞台を締める曲に選んだのは、タンゴの国の古くて優しいメロディのワルツだった。

 きっと今、二人はこうして帰って行くところなのだ。自ら奏でる宝石みたいな音楽に乗り、80年前にいた場所に帰って行く。その輝きと、漂う一片の物悲しさ。
 一音一音を噛み締めるように音は紡がれて行く。



海の最後の日

2009-08-30 04:57:19 | ものがたり

 その日は夏休み最後の日で、その時私は小学校6年生だった。

 空気の中にまだ夏の暑気はわだかまってはいるものの最盛期の勢いはすでにうせており、何よりその日はどす黒い雲が空を覆い、まるで海水浴日和などと言えたものではなかった。だが私は、物好きにも海水パンツ一枚で浜辺に出たのだった。夏休みが終ってしまうのだから夏は今日で終わりと観念するよりないのだが、私はまるで泳ぎ足りていなかった。その夏のはじめに心に描いていた水泳浸りの夏休みは、台風の到来やらなどに阻まれ、まるで実現できていなかった気がしていた。

 だから、たとえ泳ぎに向いた日でなかったとしても私は、家のすぐ前に広がる海岸に直行し、こなしきれなかったノルマを解消せねばならなかったのだ。
 いやいや、ただ単に楽しかった夏休みを終らせてしまわないための呪的行為としての海水浴を行おうとしていただけだったのかも知れないが、その時の私は。

 もうすっかり秋の色が支配する砂浜には、海水浴客などは十数人が出ているだけだった。誰も皆、寒そうな様子で浜に佇むばかりで、妙に黒褐色が勝った色の波が打ち寄せる海には入って行こうとしない。砂浜の監視員は、今日で終わりとなるバイトゆえすでにやる気も失せており、なにより閑散とした浜のありように倦んでいた。

 彼は本来そこに詰めているべき監視台から降りてきて、どうやら顔見知りらしい小学生相手に砂を投げつけては「汚いから海に入って体を洗え」と命じ、小学生がその通りにするとすかさずまた砂を投げつけ、「ほらほらどうした、まだ体が汚れているぞ」と因縁をつけるという、つまらないイジメを陰湿に続けていた。

 私は気持ちを鼓舞して海に入りはしたものの、びっくりするほどの水の冷たさに、すぐに浜に上がってしまい、成すすべもなく打ち寄せる波をただ見つめるだけの、砂の上の海水浴客の群れに加わるしかなかった。

 そんな砂浜での一時の人気者は、誰かが連れてきた黒い大きなシェパードだった。その犬は、誰かが砂浜の上のボールなどを海に向かって投げるたび、フルスピードで海中に飛び込んで行き、それを口に咥えて得意げに戻ってくるのだった。皆は何度も海に向かって物を投げ、そして犬は大張り切りでそれを咥えて来た。海水浴客は本来の目的の海水浴が寒空ゆえにままならぬうさを晴らすかためのように、オーバーな歓声でそれを迎えた。犬はますます得意になり、尻尾をさかんに振って次の獲物を催促した。

 そこで私はつまらない細工を思いついた。私は海岸の砂を丸く固めて砂団子を作り、それを犬に示してから寄せる波に向かって投げつけた。犬は猛ダッシュで海に飛び込んだが、もちろん砂団子は海水に触れると同時に霧消しているのだから、咥えて戻ってくる獲物など存在しない。犬はしばらく困惑した様子で海中を探索していたが、やがて諦め、すごすごと何の獲物もないまま、浜辺のギャラリーの元に戻って来たのだった。

 皆は間抜けな犬の様子に大笑いだったのだが、小細工をした当人たる私は、戻ってきた犬のいかにも申し訳なさそうな様子に、ひどくばつの悪い思いをしてしまった。邪心のないイキモノを騙してしまったことへの良心の呵責という奴が、胸の中に湧き上がって来たのだった。あんな事をするのではなかったと心を痛めたのだが、といって、犬を相手では事情を話して謝罪をするのも不可能だ。

 そんな事からひととき内省的な気分になった私は、そこで初めて気がついたのだ。いつもは友人たちと騒いでいた浜だったが、今、私の周囲にいるのは、知らない人たちばかりだと。砂浜で犬と戯れる、見知らぬ人々。いつもの遊び仲間はどこへ行ったのだろう。通いなれた浜までもが、なんだか見知らぬ場所のように見えてくるのだった。
 私はすごすごとその場を離れ、浜の外れにある石段を登った。その先は国道に通じ、国道を横切れば私の家がある。それは八月最後の日であり、夏休みはその日で終わりだった。

 その翌日から砂浜は立ち入り禁止となり、浜を撤去する工事が始まった。以前から下水道の流入等により海水の汚染が指摘されていた浜であり、そこを遊泳禁止にして砂を掻い出し、テトラポットを並べてしまおうという市議会の決定が出ていたのだ。浜が”泳げる海”であるのは、あの日が最後だった。翌夏からは海岸の防波堤の向こうには無愛想なテトラポットが並ぶだけの立ち入り禁止の海が広がり、私たちは、そして町は、自由に泳げる海を失った。
 
 いくらなんでも観光地の海岸を遊泳不能のままにしておくのはもったいなかろうと市当局が気がつき、海岸にいったん並べたテトラポットを撤去し、その場所に湘南方面から砂を持ち込んで人工海水浴場が作られ、奇妙な形ではあるが”泳げる砂浜”が町に戻ってくるまで、その後、20年以上の時を要した。




横丁の珊瑚礁

2009-08-29 03:23:09 | アンビエント、その他
”SLEEPY LAGOON”by Harry James & His Orchestra

 以前、買ったばかりのあるウクレレ奏者のアルバムを聴きながら車を走らせていて、「うわ、この曲には子供の頃の思い出が大量に詰まっているぞ」と、強烈に意識されるメロディに出会い、突然に膨れ上がった懐旧の念に胸かきむしられた事がある。ともかくその曲を聴いていると、今はすっかり様相を変えてしまった、家の裏口から続いていた横丁の風景や物音、通りの臭いまでもが実に生々しく脳裏に蘇ってくるのだ。なんだなんだこの曲は。

 家に帰ってからジャケの曲名を検めてみると、”SLEEPY LAGOON ”とあった。眠れる珊瑚礁、か・・・曲名には特に心当たりはない。そもそも懐旧の念と言っても、この曲が私の心に蘇らせたのは、私が物心付いたばかりの頃の思い出であって、もちろん当時は音楽ファン開眼はしていないし、洋楽をタイトルまで把握しつつ愛聴なんてしていたはずもない。

 この種の思い出というのは結構いい加減なところがあって、後付けの記憶が折り重なってイカサマの思い出を形成している場合もあり、中学時代の出来事のBGMと信じ込んで来た曲が、ハタチ過ぎていなければ聴いているはずのない曲であったりする。今回の件も、子供の頃に聴いた似たような別の曲と取り違えていたりしている可能性大なのだが、まあ、確かめるすべもないことだし、この曲を聴いて子供時代を過ごした事にしてしまう。

 というわけでこの曲、タイトル通り南の陽の下で珊瑚礁が昼寝でもしている様子を描いたもののようだが、独特の南国感覚というべきか、ハワイアン調でもなし、ちょっと東洋風でもあるような、不思議な異国情緒と哀感が漂うメロディラインである。
 ひょっとしてこの独特のエキゾティックは、当時の欧米人にとっては南太平洋などなかなか行くことも出来ない憧れの地であったがゆえにでっち上げられた、人工的な異世界風味ではなかったのか?などと想像しているのだが。

 作られたのは1930年代、詞が付けられ、人気トランぺっターのハリー・ジェイムスの楽団に取り上げられてヒットしたのが1940年代初期というのだから、私が子供時代に聴いた、と考えるのは苦しい。当方としてはいつもの遊び場である横丁で鬼ごっこかなんかしている際に、どこかの家の窓辺に置かれたラジオから流れていた、なんて状況を想定しているのだが。まあ、懐メロとして流れていたという設定もありではあるのだが。

 先に書いたように、曲を覆うのはちょっと人口的な匂いもするリゾート感覚であり、そのメロディに浸っていると、確かに緑の水の広がりの中を行くような感触に包まれるのだが、そこに潮の香は感じられず、気が付けば自分は非常に小さな体となってラムネのビンのガラス球の中を泳いでいるのである。右手に水泡と見えたものは、ガラス球の中に出来た細かい空気の泡である。下方に見える珊瑚礁もどきは、同じようにガラスの壺に入れられた量り売りの駄菓子のようだ。

 いつの間にか自分は仲間たちの溜まり場である駄菓子屋の店先にいて、皆と一緒に強そうなベーゴマの品定めをしている。ニッキ水やヤキイカの香りがして、午後の日差しはもう西に傾きかけている。ほどなく、夕食の時を告げる母親の声に、仲間たちはそれぞれの家に帰って行くのだろう。喪われてしまった。そんな路地の楽しみは、とうの昔に。
 仲間たちは長じて、職を求めて他の土地に居を移し、いつの間にか帰郷する事もなくなった。

 なんだか取り残されてしまった感じの私は、これだけは昔と変わらぬ陽光の元で”SLEEPY LAGOON ”を聴いている。夕暮れがやってきて、海からの風が残暑の町を吹き抜けていった。
 


もう飽きましたが、R&Bごっこ。

2009-08-28 04:54:23 | その他の日本の音楽

 最近、コーセー化粧品のCMソングを歌手の倉木麻衣が歌ってますが、あの唄、JUJUって歌手が歌ってた”余命一ヶ月の花嫁”のテーマソングの類似品みたいに聴こえて、なんか聴くたびに不愉快になるんですが、そうでもないですか?声が半分声として出てこないで息として漏れてるみたいな発声法といい曲調といい、いかにもそんな感じ。
 わざと”今ウケ”に合わせようとやっている部分もあるんじゃないかなんて感じられて仕方ないんだけれど。そういえば倉木、デビュー当時も「ウタダのパクリ」なんて評判があって、ダウンタウンの浜チャンが番組内でそう指摘した際には、なんか抗議騒ぎになったりしたような記憶がある。

 それと関連する話なんですが、このところの”新人実力派女性歌手”って事になっている連中って、みんな似たような”R&B大好きです声”とでも言うんですかね、黒人歌手真似っこ大会みたいな声の出し方状況になっていて、もういい加減、食傷気味です。
 どいつもこいつも揃いも揃って、”あっなったんが~んがんがあぁあぁあ~のっこっしていぇいいぇったぁあぁ~♪”とか、”そうくぇえんびちゅあぁあぁ~♪”とかなんとか、ネットネトの納豆が糸引くような発声法を誇示しまくっている。

 あの歌い方を開拓した女性歌手たちってのは本当に黒人音楽に寄せる想い一途なものがあったんだろうと思うけど、その後、それこそ雨後の筍状態で出てきた後追い連中は、ただ出来合いの表現法をなぞっているだけ、出来合いの道を走って来ただけでしょ?それだから、聴いていてこんなに退屈と感じられる訳でね。

 もう、いいかげんにしない?とか言ってみても、そんな声はどこへも届かないみたいだ。
 それらに対する需要の側には、目新しいもの、見慣れないものは受け付けず、聴き慣れたもの見慣れたもの、どう反応すればいいか、供給する側から教えられて分っているものしか受け入れようとしない昨今の消費者ってものがいる訳で。救いのない世の中になってしまいました。まあ、女性ボーカルに限った話でもないですが。

ウズベキスタン憧憬

2009-08-27 02:50:42 | アジア

 ”Armon Yig'lar”by Hulkar Abdullaeva

 ウズベキスタンといえば、少年時代の憧れの場所であったのだった。きっかけは、当時の大愛読書であった光瀬龍のSF小説「たそがれに還る」の中に描かれていた、タクラマカン砂漠灌漑事業の場面にあった。そこで働く、日本人のようなモンゴル人のような名前を持つ男たちの孤独な肖像と、風吹きすさぶ地の果ての砂漠の描写に心奪われた。それから中央アジアの歴史を機会あるごとに触れるようになっていった。

 中央アジアのそのまたど真ん中にあって、古くから歴史の局面の大舞台となって来た場所。さまざまな民族が、エキゾティックな砂漠の自然を背景に興隆と衰亡を繰り返した、そのカラフルな歴史のロマンに心奪われた。
 時は流れ。つい最近、そんな少年時代の夢想の地の大衆音楽に、やっと触れる機会を得た。これはその内の一枚。

 その音楽世界は、歴然とイスラム文化の影響下にあるのだけれど、西アジアの国々のように濃密な文化の宮殿に腰落ち着けているわけではなく、広大な中央アジアの草原に向けて開かれている。その感性は、茫漠たる砂漠を渡る風の中で噛み締める旅人たちの孤独の響きがする。
 妖しげなハチロクっぽい打ち込みリズムと、中央アジア系民俗楽器群によるアラブ風装飾音も煌びやかな、織物のようなサウンド。それに乗って素朴な民謡調のメロディが歌い上げられて行く。

 可憐で素朴な乙女の歌声と濃密な官能を秘めた歌声とが、曲調によってさまざまに揺れ動くHulkar Abdullaeva嬢の歌声は、そのままウズベクの土地を流れ去っていった多様な文化の傷痕でもあるようだ。その彼女の面差しにも華麗な衣装にも、かってウズベクの地に生を印した人々の面影が息付いている。
 旅愁は遥か、カスピ海から黒海までも飛んで行く。あちらがトルコ、こちらがイラン、モンゴルがありロシアがあり、空行く雲があり、溢れる音楽がある。