土曜日の夕食後、ダラダラとテレビの前に座り続けていたら、あの手塚治虫の”ジャングル大帝”なんてアニメが始まったのだった。
まあたいした手塚ファンでもない、というかそもそもアニメにまったく興味がない自分であるのだが、名作と名高い作品でもあるので一応目を通しておこうとそのまま見続けたのだった。
それにしても、あれは何とかならないものですかね、毎度、アニメを見るたびに違和感を感じて仕方がないんだが。
というのはほかでもない、男の子とか、この作品の場合は体の小さな動物などのセリフがみな、女性の声優によって演じられるというアニメの通例です。あれがねえ、聴いていてどうにも納得できないんだが。
変声期前の小さな男の子の甲高い声を女性の声優に割り振るというのは、そりゃ演技力に問題がある年少の男の子にやらせるより便利だから行なわれているんだろうけど。
でも結構、日本ぐらいでしか行なわれていない習慣なんでしょ?ドラエモンの声を担当していた大山のぶ代がいつぞや「外国に行ったらドラエモンの声を男の声優がやっていた」とか、まるで妙な風習を見たような口ぶりで話していたが、あなた、変わっているのは我が国のほうなんですってば。
そういえば外人タレントのケント・デリカットも、「あれは変な習慣です。ちょっといやらしい気がする」なんて語っていたものだ。外人なんかに日本の風習をあれこれ言われるのは基本的に気に入らないが、こいつばかりは「うん、そうだよなあ」と肩を組みたい気分。なんか気持ち悪いよ。ケントが「ちょっといやらしい」と表現したのも”当たり”であって、どこか性に関する生暖かいジョークが公然と交わされているみたいな、微妙な気恥ずかしさがある。
この辺は感じる奴と感じない奴がいるのだろう、「高い声の役は女性にやらせる」という習慣があらたまる気配は、とりあえず、ないのだから。でもさあ、恥ずかしい事なんだよ、ほんとにさあ。
私が目にした、この珍習慣のもっとも極まった例といえば、”鉄腕アトム実写版”の最終回だろう。あ、そんなのが昔、あったんだよ。”鉄腕アトムを人間の役者が演じていたことが。
アトムを演じていたのは少年、といえる年頃の俳優だったのだが、彼は最終回、カメラのほうに向き直り、ゆっくりと鉄腕アトムの特徴的な、あの頭のトンガリの付いたカツラを脱ぎ、「長い間ご覧いただき、ありがとうございました」とかなんとか最終回の挨拶をしはじめたのだ。女性の声で。彼の口は空しくただ動くだけ。聞こえてくるのは女の声だけだ。
アニメならともかく、生身の俳優に声優をつけるという発想もどうか。アトムを演じていた彼も俳優の端くれ、最終回の挨拶くらい自前の声で出来るだろう、いくらなんでも。
これなど、”少年の声は女性声優にやらせる”というのが固定観念としてスタッフの頭にこびりついていたせいじゃないかと想像するのだが。
この惨劇、リアルタイムでも見ていたのだが、何年か前、”笑えるテレビ映像”みたいなバラエティ番組で再会することが出来た。子供の頃見て「なんだこりゃ?」と思った物件は、オトナになってもやっぱりアホらしい、と再確認した次第である。