”Fairest Floo'er”by Karine Polwart
スコットランドのフォーク界と民謡界の双方で、若くして次第に大きな存在となりつつあるという歌手、Karine Polwartの2007年作。フォーク界と民謡界というのも変な言い方だが、つまり自分で書き下ろした新しい曲を中心に歌うシンガー・ソングライターの世界と、古くより土地に息ずく伝承歌を正しく唄う作業をもっぱらとするトラッド歌手の世界との双方で活躍する歌手である、彼女は。という意味。
ちなみにこのアルバムは伝承歌中心の、彼女のトラッドの側の顔を拝める作品である。
などと分かったような事を言っているが、実は彼女の唄を聴くのはこれがはじめて。「そのうち聴いてみようと思っていたのだが、やっとアルバムが手に入ったので」というのが実情。まあ、世界中の音楽を相手にしてるんだからいろいろ行き届かないところも出てきますわい、旦那さま。
などといいつつ聴いてみた盤は、ピアノだけをバックだったり自身のギターの弾き語りだったりの地味な作り。灰色一色の部屋にいる彼女の呟く独り言に耳を傾けるような気分になる。
もっとも印象に残るのは、ここで彼女は古いスコットランド民謡を、まるで昨日、出来たばかりの歌のように唄っている事。多くのトラッド歌手は伝承歌を唄う際、自らの存在を大きな時の流れのその中に託し、過去との対話を行なおうとする部分がある。伝承歌の中に刻まれている過去に生きた人々の息遣いまでも感じ取り、今、ここにいる自らの歌声として唄ってしまおうと。
たとえば子供相手に昔話をする時。人はまず、「昔々あるところに」と前置きをし、聞き手の子供たちの意識を異質の時空へ連れ出す事をする。
が、彼女の歌には、とりあえずここでは、その様子がないのだ。時の流れを前提とした神秘の創造は行なわれず、彼女は何百年も前に起きた男と女の悲劇や孤独に送られた人生を、まるで昨日、隣人の身の上に起きたような気安さで唄い出す。”昨日、横丁でヘンリー王を見たんだけどさ・・・”
大いなる時の流れという神秘のベールを剥ぎ取られ、かって17世紀を生きた人々は徒手空拳で21世紀のエジンバラ市街の雑踏を歩き始める。
こんな伝承歌表現というものがあるとは思ってもみなかったので、なんとも不思議な気分になってしまったのだ。何の前提もなしに浦島太郎やかぐや姫の話を今日に放り出して、成立するものなのかどうか。
それでも、曲の登場人物に隣のアパートの住人みたいな視線を向けて唄われる彼女の伝承歌は、いつの間にやら独特の生々しさを獲得し、聴く者の胸に迫ってくるのだった。これはどういうことなのか、彼女の他のアルバムなども聴いたりし、いろいろ考えてみたいところだ、これは。