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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スタイフィ因果回廊

2009-10-16 03:47:53 | イスラム世界

 ”HALIM CHIBA "

 さらに凶悪は続きます。2日連続でアルジェリアのスタイフィ・ミュージックで申し訳ない。しかも無骨な男盤。
 非常に興味を惹くかれている北アフリカマグレブ地域の音楽、とはいえ見かける物件ことごとくは買えないわけで。懐具合というものがある。さらに、どの盤もはじめて聞く名のミュージシャンばかりだ。
 そこでどのような選択が行なわれるかといえば、ジャケに映っている歌手の人相が悪い順に買ってくるってんだから弱ったもので。いや、でも、この種の音楽の場合、これが一番良盤に当たる確立が高いと信じる。ジャンル的に、きれいなネーチャンが写っていれば買い、というモノではないと思う。

 今回の物件も、まずは同じくの北アフリカ風河内音頭とも言いたいスットコ・リズムに導かれ、始まります。次いで、鼻をつまんだようなシンセの音がまるで日本民謡のような追分風メロディ(?)を高々と吹き鳴らし、主人公のHalim氏の、グネグネと折れ曲がったフレーズが呪文のように連なるボーカルの登場。もちろん、ボコーダー処理が加えられ、すっきり歪んだ(?)コブシ・ボーカルの世界が堪能できる。
 昨日紹介のHora氏の、ヤクザが啖呵を切るようなハードボイルド調と比べると、このHalim氏は、より伝統的イスラム歌謡に近い路線に生きる人のようです。トタッカトカタン♪と跳ね回るリズムに乗って唄われる歌も北アフリカ地方の民族楽器の音を模したのであろうシンセの音も、現地の民俗音楽をそのまま電化したような風情が見受けられます。 

 その辺の保守反動ぶりがカッコいい人という印象でしょうか。まず、シュワ~ンとシンセが鳴り渡るなかでアザーンみたいなイスラミックなメロディを粘っこく歌い上げ、リズム・イン後、砂漠にのたうつ蛇、みたいなグネグネしたフレーズを饒舌に重ねて行く、その辺のタフな骨っぽさが地味にかっこ良い。
 韓国のトロット演歌や日本のスーパーのBGMなんかでよく聴かれる、つまりは結構東アジアっぽいミャンミャンした音色でイスラミックなフレーズを奏で続けるキーボードと、掛け合いというか怒鳴りあいを執拗に演じつつ、北アフリカ大衆歌謡の発火点へ螺旋を描きながら突入して行く、そのある種因果なHalimの姿に、妙に血が騒ぐのを覚えるのでありました。



砂漠の凶悪音頭、スタイフィ

2009-10-15 01:53:19 | イスラム世界

 ”NACERDINE HORA”

 相変らずマグレブは燃えているか、というオハナシです。情報不足で現地の事情さっぱり分らぬまま、貴重で稀少な現地盤を見かけるたびに購入しているのだが、手に入れるたびに現地のトレンドはさらにとんでもない世界に突入しているかに思われ、毎度、手に汗握る思いをさせてもらっている。
 というわけで、どうやらこの盤あたりが北アフリカはアルジェリアのスタイフィなる音楽の最新事情であるようだ。

 ジャケ写真で、伝統の衣装を身にまとい民俗楽器を奏でる男たちを後ろに従え、サングラスをかけて人相凶悪、安物のスパイ映画の主人公よろしくの風体でこちらを睨むのが、どうやら歌手本人であるようだ。
 このジャケを見て、まず連想してしまったのがイギリスのプログレバンド、ブランドXが89年に発表した”モロッカン・ロール”なるアルバムのジャケだった。アラブ方面を舞台にしたアバウトなアクション映画でも始まりそうなその、薄っぺらながらもヤクザな雰囲気が、まさにつながっている。

 あのアルバムも悩ましい代物で、冒頭、なかなかカッコいい中東風味のエスニック・ロックでサンスクリット語の歌など披露し、「うわあ、こんなサウンドがギッチリ詰まったアルバムなのか」と大いに期待させておいて、それ以外は、まあワールドミュージック好きの耳には”普通のロック”としか聞こえない演奏を展開して、大いにガックリさせてくれたものだ。(普通のロックファンはきっと、「変な唄が一曲で終わってくれて良かった」とか思ったんだろうけど)

 もちろん、こちらのアルバムはエスニックな迷宮に一直線でなだれ込む。
 もうこの種の世界では当たり前の民俗楽器と電子楽器が渾然と入り乱れるなか、イスラミックなメリスマのかかったボーカルが、さらにボコーダーをかまされて異様な雰囲気をかもし出しつつ、これも毎度お馴染みの前のめりにひたすら突っ込むばかりのリズムの狂騒世界が提示される。ドスの効いた図太いノリが心地良い。
 昨今のマグレブのトレンドは、このスットコトットコと素っ頓狂に跳ね回り打ち込まれるリズムなのだろうか。な~んか、ここまで来るとマグレブ音楽のリズム上の河内音頭化まであと一息、みたいにも聴こえてくるのだが。

 それにしても息切れしないね、マグレブは。名前を覚える間もないくらい次々に聴き応えのあるミュージシャンが名乗りを挙げ、というか、どうも無名のミュージシャンの作品のほうが面白い傾向があるような感じがある。このあたりのシーンの沸騰具合が、なんとも聴く者の血を騒がせる次第である。
 ところで、この歌手の名前にある”Hora”というのは、バルカン音楽の同名のものと何か関係があるんだろうか?なんて疑問への回答は、まず永遠に得られないんだろうけど。




サイケなる河の畔で

2009-10-13 04:02:11 | アジア


 ”The Sound of Wonder!”

 世界のあちこちで発生していたサイケデリックな音楽を発掘・復刻を行なっているというか、ある意味全人類の恥を片っ端から暴き立てる事を生業としているようにも見える因果ものレーベルfinders Keepers。今回も凄いのを引きずり出してきましたわ。
 インド映画はよくBOLLYWOODとか呼ばれてますが、これはパキスタン映画、通称LOLLYWOODの世界のサントラ音源から'73年~'80年までに発生していたサイケな音を集めたもの。
 あのインドのフィルムソングの暑苦しい狂騒的世界に60年代風のエレキギター・サウンドやら70年代風のシンセ・サウンドやらをチープにしてけたたましいセンスでぶち込んで、なんとも恥ずかし嬉しい民俗サイケの極彩色が展開されています。

 ファズの効いたエレキギターやオルガンが”エレキでゴーゴー!”な60年代っぽい絡みを見せるかと思えば、そのバックでタブラが鳴り渡り、メイン・ボーカルが伝統色濃いメロディを歌い上げ、どういう来歴があるのか分からないアコーディオンがあちこちに顔を出し、そこに無理やり突っ込まれたシンセがピコピコと走り回る。
 クラシックのお勉強をした人がスコアを書いたのであろうストリングスが荘重に聳え立ち、隙を狙ってジャズっぽいフレーズが支配的となる一時もあり。時間も空間もめちゃくちゃですな、これは。どんな映画で使われたのやら。

 というかここに収められた音楽群、全体に昭和30年代頃の我が国を覆っていた騒々しいノリとかなりの部分、共通するというか同根というか、やってることはほとんど変わらん気がする。このアルバムのどこかで我らが植木等御大が顔を出してスーダラ節を唄い踊っても私は全然驚かない。そりゃそうだろうな、と思うだけで。
 そう、彼らの恥はわれらの恥、と言いましょうかね、もう、こういう音楽をやってしまったんだからしょうがないだろ。そもそも人類の原型はここにあるのだから、みたいな気分にもなってくるアジアの秋の夜なのでありました。

 試聴は・・・どう探せば良いのかわかりませんでした。すまん。というか、曲名で探していたら、ここに収められているのとは別の演奏家による同じ曲のまともな演奏、というものにいくつも出会って、ちょっと驚いたのでありました。

海辺のコラール

2009-10-12 04:59:21 | いわゆる日記

 たびたび書いていることだけれど、しばらく前に経営していた店をたたみ、いわゆるシャッター通りの仲間入りをした。その後、別の商売を始めるパワーもなし、どこかに勤める気もなしの中年ニート道を歩いている。
 そんな、定休日も何もない生活のくせして、やっぱり日曜日の夜が切なくて仕方ないのはどういうわけだろう?「明日からまた新しい一週間が始まる」と思うと、重苦しくどす黒い想いが肩の辺りに覆いかぶさってくるようでやりきれない。もう開けねばならない店も、通わねばならない会社もあるわけではないのに。

 私は海辺の温泉地のど真ん中に住んでいるのだが、土曜日にはさすがにかきいれ時、押し寄せる観光客で賑わい、街は活気に溢れる。
 そして翌日、日曜日の夜は、「まあ、一段落ついたかな。明日からまた通常営業だ」みたいな、一服後の満足感と哀感の入り混じったような独特のダルい気分が流れ、街はその空気の中、ふと輪郭のゆるんだような生暖かい表情で夜の中に横たわっている。

 そんな日曜日の夜、海岸沿いの遊歩道をウォーキングしていたら、若い(ように夜目には見えた)女が一人、ヨットハーバーに向って立ち、クラシックの発声で朗々と何かを唄っていた。
 当方、クラシックはろくに聴くこともなく、何も知らないに等しいのだが、聴いた感じでは、それは古い歌曲のようで、どこの言葉かは分らぬが神を讃える関係の唄、と思えた。
 片側には係留されたヨット群が控える夜の海が広がり、片側には国道の向こうに盛り場のネオンサインが瞬いている。そんなシュチュエーションで一人、ソプラノを響かせる女は相当に場違いな存在ではある。が、その歌声は意外に夜の海辺の空気に馴染むようで、静かにあたりに広がっていた。

 遊歩道のベンチにはあちらに一組、こちらに一組と若い男女が寄り添って座っているのだが、連中がどんな顔して”歌う女”を見ているのか、もう街路灯も消されているので暗くてうかがい知ることは出来ない。
 自分は、こいつはなかなか良いものだな、もう少し聴いていたいなと思ったのだが、近くに歩を進めるだけで唄を中断してしまうくらい本人も微妙な心理状態で歌っているようで、立ち止まって聴き始めたりすると、唄をやめて立ち去ってしまう感じもある。しょうがないから当方、遊歩道とその隣の駐車場を無意味に行き来しながら、彼女が海に向って行なう神との対話を盗み聴いていたのだったが。

 彼女はどういう立場の人だったのかね?クラシックを学ぶ学生?街の愛好家?ちょっと危ない人?
 夜の散歩の途中、ヨットハーバーの向こうに広がる海を見ているうちに唄ってみたくなったのだろうか。まあ、そりゃ確かに気持ち良いかもな、とは思える。でも、今まで誰もあの場で唄なんか歌った奴はいないんだが。
 これからも毎晩、唄ってもらえないものかなと期待するのだが、あれはおそらく観光客なんだろうから、それはありえないだろうけどね。



”アトム”を疑え!

2009-10-11 05:53:51 | 時事

 この頃、アメリカ製の「アトム」のアニメの宣伝がやたらと目につくんだけど、これが不愉快でならないんだよね。
 あの映画、出演キャラの顔がどれも”欧米風白人顔”に描き変えられているでしょ?これがなんとも居心地が悪いというか気持ち悪くてならない。
 もちろんあれはわざとやっているんだよね。手塚風アニメの顔の再現が、あれだけ金をかけた映画のスタッフの技術で出来ないわけがない。
 連中は暗に主張しているんだよ、「本来、これが人間の顔である。こういった感じのもの以外のものは人間として邪道の、劣等人種の顔である」と。
 そのような白人優越主義的考えかたを、アニメという親しみ易いメディアを通して世界中の大衆の意識下に植えつける事、それがあの映画の隠された使命であります。
 やすやすとだまされて感動までしちゃう人がいるかもしれないけどさ。そいつに気がついておこう、と呼びかけたい。

(上はイラクの切手。”郵便学者・内藤陽介のブログ
http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-category-31.html”より引用)

マダガスカルの夕日の唄

2009-10-09 02:32:14 | アフリカ

 ”Lafrikindmada” by Lindigo

 久々、アフリカはマダガスカル島の沖に浮ぶ島国、レユニオンから届いた島唄”マロヤ”の新作ヒットアルバムだ。
 冒頭、無伴奏のコブシ入りの詠唱が始まったときは、そのニュアンスがまるでナイジェリアのアパラみたいに聴こえてドキリとさせられたのだが、リズムが入りコーラスが被さりしてみれば、そのノリはずっと軽やかで、どこかにほのかな潮の香りさえ漂う。

 どちらもパーカッションとボーカルがメインの音楽でリードボーカルとコーラス隊のコール&レスポンスも多いという事情もあり、行き掛かりのついでで比べてしまえば、ナイジェリアのフジやアパラとこのマロヤでは、この涼やかさが決定的な違いだろう。地の底に引きずり込まれそうな重苦しさはマロヤにはなく、パーカッションのアンサンブルもむしろサンバなどに近い軽やかさ。

 また、イスラム風に曲がりくねったコブシ入りのメロディがうねりつつ続くフジ等と比べ、このマロヤはよりシンプルな、メロディというよりは断片的なフレーズの繰り返しがメインであり、構造的には原始的な民俗音楽に近いものである。にもかかわらずマロヤのほうがずっとお洒落な都会調の響きがあるのはなぜだろう?これも旧宗主国、フランスの影響なんだろうか?そういえば一部、歌詞がフランス語だったりする。

 ミュージシャン自身にしてもそうで、中ジャケの写真など、さっきシャワーを浴びてコロンを振ってきました、みたいな爽やかさが漂うリンディゴのメンバーである。
 もう何枚もアルバムを聴いてきたのだが、このマロヤなる音楽、さっぱり正体がつかめない。マダガスカル沖ということで、アフリカのインド洋領域の音楽と捉えるべきとは分っているのだが、その先の見当が付かない。

 見当をつけようとしても、この涼やかさ、軽やかさ、そしてどこかにふと漂う潮の香りと不思議な哀感に心をもって行かれてしまって、インド洋の果てに吹く風の感触など茫然と想っていたりする。この哀感漂うメロディはどこからどのような道を辿ってやって来たのだろう、なんて事をぼんやり考えていたりする。

 アフリカン・ポップスといったってこのマロヤ、聴く側の感じで言えば、むしろ秋が似合う音楽なのだ。アルバムの終わり近く、アコーディオンが簡単なフレーズを何度も繰り返し、パーカッションのアンサンブルがそれに呼応してリズムの共演が行なわれても、演奏の場は熱狂に向うことなく、どこかにシンとした島の空気の存在を伝えるばかりだ。

 そうこうするうちにアルバムの最終曲に至り、インド洋に沈む夕日のイメージを残しながら、パーカッションのアンサンブルはフェイド・アウトして行く・・・




荒れ模様

2009-10-08 04:54:03 | 北アメリカ

 ”Stormy Weather”by Lena Horne

 昨夜はですねえ、「台風なにするものぞ。こんな時こそ行かねばいかん」とか言って、夜のウォーキングに行って来ました。バカですねえ。で、30分ほど歩いたところで急に雨が振り出したんで、慌てて帰ってきました。まあ、初めから企画に無理があった訳ですが。

 その時にも、「台風本体はまだ遠いはずなのに、もうこんなに激しい風が吹くのか」と呆れたものだけど。さてどうなることやら。今、夜明け近く、台風は現時点では名古屋の辺りにいるようだ。これからこちらに向ってやって来るのだろうか。いつもはこの辺が就寝時間なんだけど、そうすると台風のちょうど来たあたりに寝込んでいたと家族からヒンシュクを買うかもしれないなあ。

 家の中にいると雨音が聴こえるだけだけれど、表に出て耳を澄ますと夜の底から響いてくるような低く力強い風音の気配みたいなものが聴こえる。

 こんな時に思い出すのは、”荒れ模様”という曲である。第2次世界大戦中、アメリカ軍に従軍している黒人兵を慰問する目的で作られたという、出演者全員が黒人というジャズだらけの凄い映画で、当時のジャズ周辺の黒人ミュージシャンやタップダンサー総出演の貴重なものとか。
 「とか」なんて情けないこと言ってるが、いつか見ようと思って今だ果たせていない。DVDでも買って来れば澄む話ではあるんだけど。いつでもできる、とか思っているとやる機会は結構永遠にやってこないんだなあ。いまだに、この映画のタイトルが何で”荒れ模様”なのかも知らずにいる。

 そんなわけで。下はその映画の主題歌、”荒れ模様”であります。台風に捧ぐ。どうかおとなしく来て、暴れずに去って行ってくれ。



トロットNo1!

2009-10-07 04:35:27 | アジア

 ”トロットNo.1 第一~二集”

 若く貧しく無名だった若き日の古賀政夫先生が、ままにならぬ人の世の虚しさに寄せる慟哭の想いをギターの調べに乗せて紡ぎ出した一夜から幾星霜。いまや演歌音楽は東アジア大衆の共有財産、恥ずべき至宝と化した感がある。
 たとえばかの音楽は韓国においてはトロットと呼ばれ、いずこも同じ、名もなき庶民の娯楽として安易に消費されている。これもその状況を映し出す一枚。

 ジャケに”DJ”とか”パーティ”などという文字が見える。それによって一目で分るように、ディスコアレンジされ、メドレー形式で繋ぎ合わされた韓国の最新ヒット演歌曲集である。これを聴けば韓国庶民の意識の潮流が、しかもその最底辺が、くっきりと読み取れよう。
 韓国製のこの種のものの通例として盤の片面ノンストップで演奏は進行する。バスドラ4つ打ちのビートに絡むチョッパー・ベース、といった演奏を今どきダサいではないか、などと言ってみたところで仕方がない。かの国ではもう、若者からオッサン、オバハンまでが、ダンスフロアで、あるいは花見の席で、親戚の法事で、友人の結婚式で、こんな具合に踊り始めてしまったのだから。

 伝統的な演歌のメロディからアメリカン・ポップスの影響下にあるものまで、収められている楽曲形式の幅は広い。無秩序と言ってもいいくらいである。それらが、曲のつなぎ目などにかぶせられた躁状態の「アーッサ!」等の掛け声で、すべて等価とされてカオスを形成する。
 ある曲は味わい深い実力派の歌唱により、ある曲は若いアイドル歌手による甘ったるい歌唱により唄われている。それらは編集者の気まぐれにより、ランダムに繋ぎあわされているのだが、なに、砂糖菓子のような声で歌っていた若いアイドルの女の子がサビに至り突然、玄界灘を吹き抜ける突風のような潮錆びた声を体の奥から押し出したりもするのだから、韓民族のハガネの喉、おそるべし。

 続々と、間を置くことなく繰り出される韓国演歌最新ヒット。我らひ弱な日本民族がいいかげん聴き疲れた頃、やっとのことでアルバムは演奏を終える。しかもそれは、「収録予定時間を過ぎたから」と言わんばかりに唐突に。エンディングの盛り上げもなしに、あっけなく終わってしまう。それもまたク~~~ル!
 まこと、韓国庶民のパワーはあなどれないと畏れ入るよりないのである。

 この盤と直接関係はないのだけれど、韓国トロットの現場の空気を伝える映像がYou-tubeにあったので貼ってみました。
 ↓


タブラは唄う

2009-10-06 04:14:48 | アジア

 The Voice of Sarod From The Strokes of Drums
 ”Tabla Tarang”by Kamalesh Maitra

 インドの古典音楽の一つ。タブラ・タランという形式の音楽だそうだ。
 演奏者の廻りに十数個の、それぞれ音程の違うタブラを置き、叩きまくって音楽を織りなして行く。こいつはなんともユニークなパフォーマンスであり、聴くたびに圧倒されている。

 演奏の形としては、アフリカあたりの木琴の低音部の演奏に近いものを感じもするが、もちろんこちらはモノが太鼓であるゆえ、アタックの違いがある。
 掌や指が太鼓の皮に打ち付けられて弾む際の”ブルルン!”という感触が、音の奥でバネとして作用し、粘着力ある躍動感ともいうべき奥行きを音に与えている。

 リズム演奏であると同時にメロディが奏でられている不思議。演奏が白熱するにつれ、インド音楽特有のラーガの音階そのものが打撃音となって走り抜けて行く、その迫力に手に汗を握らずにはおれない。

 官能美漂うテーマ提示部分から、打楽器が優越的に所有している躍動感に満ちた、ワイルドなインタープレイまで。シンプルな伴奏が付いただけの太鼓の独奏でしかないはずなのに、演奏のスケールの大きさゆえ、聳え立つ豪奢な宮殿を見上げるような気持ちに襲われる。野太い表現力に恐れ入るばかり。


 この演奏者のものがYou-tubeになかったので、他のプレイヤーのタブラ・タランの演奏を、まあ見本代わりにと言ってはなんですが、下におきました。



ジャケ買い埠頭

2009-10-04 02:49:30 | アジア

 ”Long & Lasting Love”by Vivian Chow

 先日話題にしたころんさんのテーゼ、「音盤は値段で買う」には賛成できない、と言うよりまったく理解できないのであるが、ころんさんのもう一つのテーゼ、「中華圏の女性歌手のCDはジャケ買いする」には、諸手を挙げて賛成な私である。
 まあ、中華圏でなくたって、とも言えるんだが、やはり人種的に近しい中華の女子の存在感は生々しく、レコード店頭で、あるいは通販レコード店のカタログ上で、つい欲情にまかせて中華な美女のCDに財布の紐を緩めてしまう次第である。

 そういえば香港ポップスに夢中になっていた頃、ヴィヴィアン・チョウのアルバムなんかずいぶん買ったよなあ。同好の諸君からは「あんな歌の下手くそな女のCD、集めてどうするんだよ」とか、非難の目で見られたものだ。けど、美人で巨乳なんだから、それだけで購入の理由は十分あると私は信じていたぞ。

 そして時は移り。香港は北京政府に返還され、彼女は芸能界から身を引いて、もう新譜のCDも出る事はなくなった今、私のヴィヴィアン・コレクションを見る彼らの顔に一瞬、羨ましそうな影が横切るのを私は見逃さない。ざまあ見ろ、あの時、もう少し自分の心に素直になっていたら良かったのさ、お前らも、と私は勝利のオタケビを、こっそり胸中で挙げるのである。

 実際、彼女のアルバムには歌いこまれていたのだ。

 喧騒の大都会、香港。聳え立つ摩天楼と、名物、ネオンサインのまばゆくどぎつい輝き。そんな”借り物の土地における借り物の繁栄”の華やぎを過ごす街の片隅に立つ一人の少女の姿。
 いつの間にか過ぎていってしまうだろう少女の時間に、刹那の夢憧れを握り締めて、彼女はアクの強い広東語による物売りの声と車の警笛音が飛び交う路上に立っている。少女が全身で感じている生ある時間を吹き抜けて行く東シナ海の風。
 そんな姿を歴史に刻み込むのに、ヴィヴィアンのか細い弱々しい歌声が、どれほど効果的だったことか。

 今、芸能界を退いたと聞く彼女がどのような日々を送っているか、もちろん私は知ろうとも思わない。借り物の時は終わってしまったのだ。その幻をいつまでも追ってみたところで仕方がないだろう。そういえば、あれほど入れあげた香港のポップスにも”返還”後は、まるで興味を失ってしまっている私なのだった。