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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

第3漢江橋の灯遠く

2009-11-12 04:37:48 | アジア

 ”ヘウニ・ヒット集”

 「やべ~萌えた」とか軽薄な事を言っては、CDを聴きながら頭を抱えてみるのである。このジャケ写真に澄んだ歌声、これは演歌歌手というより普通にアイドルではないか。

 何日か前にここで、「橋の歌には、人の心を異世界に誘う何かがあるのではないか?」なんてわけの分らん仮説を書いてみたのだが、そこで取り上げた韓国の”第3漢江橋”のオリジナル歌唱盤を見かけたので、手に入れてみたのだった。
 歌い手は”ヘウニ”なる少女歌手であり、70年代半ばに現地ではかなりの人気を博していたようだ。当時、韓国歌謡界をリードしていた作曲家、吉屋潤のお気に入りでもあったそうな。そのルートに乗ったか78年に日本でビューなどしているようだ。が、私は彼女をまるで見た記憶がない。それほど本格的な日本進出でもなかったのか、それとも、進出に失敗したのか?

 このCDは、そんな彼女の初期のヒット曲を中心に編んだベスト盤である。澄んだ高音を響かせる清潔感漂う美少女歌手、というのが当時の彼女への評価だったそうだが、確かに清楚な歌声が凛として流れて、どれも気持ちの良い作品となっている。ジャケ写真もご覧の通りなかなか爽やかな魅力を演出している。

 まるでド演歌の”第3漢江橋”系列の曲ばかりかと予想していたが、意外に清楚なフォーク調の歌から、”国民歌謡”とまで言いたくなるような御清潔なホームソング調まであり、というかむしろ彼女の個性はそちらの方に向いているようにも思えてくる。
 が、リアルタイムで彼女の歌を体験した人の証言など調べてみると、やはりメインとなって韓国の人々の支持を受けていたのは演歌系の曲だったようだ。アルバム終盤の数曲のようにちょっぴりお洒落な都会調のポップス曲など、当時の韓国国民が見ていた新しい明日の面影などが透けて来て、良い感じなのだが。

 清楚なフォーク調の歌とド演歌が同居するアルバムというのも不思議なものなのだが、製作スタッフも歌っている当人もあまり気にしないであっけらかんと作り上げてしまっているような印象を受ける。あまりジャンル意識も芽生えていなかったということなのか。
 へ~、こんなのがあるんだ、などと納得しているうちは良かったのだが。そんな私は、この下に貼るYou-tubeの映像を探してみて、大いに困惑することとなる。彼女、ヘウニのこのアルバムを吹き込んだ頃の映像というものがまるで見つからないのだ。

 いや、彼女の映像自体はいくらでも見つかるのだが、これが皆、デビューから20年も30年も経ってしまって、すっかり貫禄の出た、出過ぎた、つまりすっかり重量化してしまって、なんか沼の主みたいになってからのヘウニの映像ばかりなのだ。なんだこれは。写真で見た、あの清純な少女歌手ヘウニのイメージはどこにあるのだ。
 自分の若い頃は見たくないから封印する、とかご本人が言うわけないし、政治的理由で弾圧する性質のものでも無し、どういうわけだろうね、これは?

 誰か、この理由を知っている人がおられたら教えていただきたいが、ともかくこれではしょうがないので、若き日の彼女の面影が若干でも残っている映像、彼女が羅勲児たちと一緒に”第3漢江橋”を歌っているものでも貼っておく事にする。それにしても分らないなあ。なぜ?





バーツラフの翳りに

2009-11-11 03:07:40 | ヨーロッパ

 ”Svet Podivinu”by Sylvie Krobova

 チェコという国のさまざまな歴史の舞台となってきた、あのバーツラフ広場の名の由来になっているバーツラフ公の物語を先日、テレビの番組でやっていた。
 いまだ、チェコの人々の心の拠り所となっている聖バーツラフ。とか言うが、どのように偉い人だったのかの部分は、私がチャンネルをあわせたときにはもうやってしまったあとだったので分らない。申し訳ない。興味のある向きは各自お調べ願いたい。

 ともあれ。彼のための祝日には教会の聖堂に彼自身の頭蓋骨が引き出され、人々は敬虔な祈りを捧げる。もうさあ、何百年も前に死んだ人なんだから静かに眠らせておいてやればいいじゃないか。慕わしく想うのは分るけどさ、と異教徒たる我々は思ってしまうのだが。
 
 今回は、チェコの女性シンガー・ソングライター、Sylvie Krobová が昨年出した2ndアルバムである。彼女のことは何も知らない。1stも聴いていないし、手元には何の資料もない。ジャケにはチェコ語しか書いてないから、資料的なことも何も分らず。
 ただジャケ写真が妙に心に残り、「このCDをここにこのまま置いては行けない」との突然の思い込みから購入してしまったのだった。

 ジャケに描かれているのは、暗闇の中、蝋燭の灯を掲げて何ごとか祈る人々の姿。その絵には全面に執拗に穴が穿たれて、意味は分らぬままに尋常ならざるイメージを受け取らざるを得ないのだが。穿たれた穴はジャケの内側にも及び、中ジャケや歌詞カードにも穴のイメージは執拗に書き込まれている。なんなのか、これは。

 Sylvie Krobová はここではそっと寄り添うように奏でられるアコーディオンだけをバックのピアノの弾き語りに徹している。やや張り詰めた調子で、彼女は歌いあげる。ジャケの雰囲気にはとてもあっている感じの、闇と対峙し、見据え、その底知れぬ空虚に挑むような歌声で。その闇は実は彼女の内なる魂の世界につながっているように思えるのだが。

 彼女の書いたメロディは、スラブ民族の伝統に連なるような憂いを秘めた調子に、ときおり忍び込む現代音楽風無調っぽさなどあり、非常に高度な音楽的教養を感じさせる。そして、そんな”豊かな教養”の枠をときに食い破ってあふれ出そうとする情熱のきらめき。
 重く垂れ込める曇り空の下、古い古いプラハの町並みが続き、そんな揺れ動く感情を胸に沈めたまま、冷えた大気の中、歩を進める一人の女性の姿など想像してみる。




喪われた島唄

2009-11-08 01:25:25 | ヨーロッパ

 ”Leaving Mingulay ”by Maggie MacInnes

 スコットランドの新進気鋭の民謡歌手でハープ奏者であるMaggie MacInnesが、彼女の母方の祖先の出身となる島、ミングレイと、そこに生きた人々に捧げたアルバムです。
 ミングレイというのはスコットランドの西部に浮ぶ島で、1912年以後、無人島になってしまっているんだそうです。

 何で無人島になってしまったのか?海からの風に晒された痩せた土地が、高く広がった大空の下に横たわっている・・・ジャケ写真からうかがえるそんなミングレイの風土から想像する限り、それはどうしたって豊かな暮らしが約束された場所とは思えません。そして新しい世紀が開き、押し寄せる近代。人々が他の土地に新生活を夢見たからと言って、責める理由はないでしょう。
 そして1912年、ミングレイから人影は途絶えた。

 Maggie は、かってミングレイに伝承されていた歌や、人々が生活の中で好んで歌っていた歌などを、愛情を込め再現してゆきます。あるいは、かってのミングレイの日々に捧げる、自作のハープ曲を奏でます。
 それは、聴く前に予期していたような、喪われたものに対する切々たる哀惜の念を込めたテンションの高い演奏という感じではありません。むしろ出来上がりはさりげないものになっている。

 心静かに過ぎて行った人々の暮らしを想い、もうそこにはいない人々の体温を感じ、喜怒哀楽を共にすること。そんな事をMaggie は、このアルバムを作るに当たって心がけたのではないでしょうか。
 忘れ去られていた島の民謡が奏でられるたびに、ミングレイの人々が送った日々の記憶が静かに、モノクロの静止画で一枚一枚、再生されて行く。

 終わり近くで演奏される、Maggie 作曲になるタイトル・ナンバーではじめて、遭った事もない、でもたまらなく懐かしいミングレイ島の人たちに寄せる、時の流れを越えてその声を聴きたい、その笑顔を身近かに感じたい、そんな切ない想いが溢れます。
 けれど、もう人影もない小島の磯には、北の海からの冷たい風が吹き抜けるばかりなのでした。

 このアルバムの音はYou-tubeには見つからなかったんですが、ミングレイ島の民謡があって、これがなかなか良い感じなんで、変則ですがこいつを貼っておきます。




イチゴの馬車よ、バンコックへ

2009-11-07 01:37:00 | アジア
 ”Perd Puk-ka-tu Jai”by Lookpud Pimchanok

 タイにノッポーンというレーベルがありますが、あれは私なんかにはありがたいレーベルだなあとしみじみ思う昨今なのであります。いわゆるタイ演歌、ルークトゥンを出しているレーベルなんですが。
 ここは、タイ方面ではいろいろブログを参考にさせていただいている”ころんさん”に言わせれば「コテコテの、型にはまった音ばかり送り出している」と、あまり高評価は与えられないレーベルということになる。

 まあ、タイ方面をメインに聴いておられる方にはそういうことになるのでしょうが、私のようにたまにタイを聴く際には、まさにそのノッポーン風の典型的タイ演歌ばかりを聴きたい浸りたいと願う者には逆に、そこがありがたいレーベルということになる。そのワンパターンはこちらの期待を裏切らない、と言いますか。
 まずそのジャケ・デザインが良い。上の写真でその感じが伝わるかどうか。ともかくキンキラキンの満艦飾、誰のどの盤を見てもキャバレーのステージか村祭りの夜か、みたいな賑々しい意匠となっております。私のようにタイ文字なんか一言も分からない者にも盤を見るだけで「あ、ノッポーンだ」と分るってのが嬉しいじゃないですか。

 そこの所属の歌手たちの中でもとりわけ将来に期待したく思っている歌手が、これはここでも2007年に出たデビュー・アルバムを取り上げたことがある今回のこの子、 Lookpud Pimchanokであります。
 ころんさんは”デビュー時は多分15~6歳だったと思われる”と書いておられるんで、今年出たこの盤もまだ十代なんですね、彼女。うわあ、これは眩しいくらい若いね、と思える。ルーツ・ミュージックの世界ばかり漁っている身には。

 私が彼女に惹かれたきっかけは何のことはない、そのデビュー盤のジャケ写真のLookpud Pimchanokが、なんだか我らが”こりん星”の小倉優子姫に似ているように思え、面白半分に贔屓してみたくなってしまったからなんですが。
 でも、実際に音を聴いてみたらこれが。かわいらしくもそればかりではない、力強いローカルポップスの歌い手がそこにいた、というんで一発でファンになってしまったんです。

 そして満を持して聴いてみた、この2枚目。きっちり表現の幅も広がっていると感じられ、いやあこれはますます楽しみになってきたなと、「ホラ見ろ、こりん星はやっぱりあるんだよ」とか訳わかんないこと言って胸を張ってしまう私なのであります。
 彼女の歌で一番好ましく思えるのは、そのコブシの入れ方。流れ星が遠くの山の頂をよぎりながらその光跡をユラユラと揺らめかせる、あの美しくも儚い繊細な美しさにも似た、可憐な声の裏返りであります。バックバンドがカチカチと刻むリズムや、ダンサーたちの華麗なる踊り。その合間を縫って、彼女のコブシは優雅な放物線を描いてバンコックの夜空に美しい弧を描くのであります。良いなあ。

 こりん星はね、みんなの心にあるんだよ。いやもう勝手にLookpud Pimchanokをタイの優子りんと決めちゃっていますが、いいんだ、彼女のファンがこの日本に何人もいるでも無し、好きなようにやらせてもらいますわ。

 下の試聴、不思議な振り付きでコッココッコと歌ってますが、これはなんでしょうね?鶏の歌でも歌っているのでしょうか?



パタゴニア、風の吹く歌

2009-11-06 02:17:31 | 南アメリカ

 ”Miremos al Sur”by Ruben Patagonia

 民俗衣装に身を包んだ、いかにも”南米大陸先住民”といった顔つきの逞しい男が草原に座り、不思議な形をした長い笛を吹き鳴らしている。近くには手持ちの太鼓やガットギターも転がっている。男の背後には湖が広がり、さらに遠くには雪を頂いた山々が聳え立っている。そんなジャケ写真。
 ルベン・パタゴニアなる、アルゼンチンのフォルクローレ歌手が1997年に発表したアルバムである。タイトルは”南を想え”といった意味のようだ。

 椎名誠に「パタゴニア―あるいは風とタンポポの物語り」という南米探訪記があって、そいつは妙に心に残る紀行文学であり、これは誰かも言っていたことだが、椎名誠の本の中で一番好きかも知れない、私は。

 パタゴニアとは南アメリカ大陸の南端、南緯40度あたりを流れるコロラド川よりさらに南の地域をさす。アルゼンチンとチリ両国にまたがり、一年中強風が吹き荒れる荒くれた風土の、まさに地の果てといった印象の土地である。波打ち寄せる海岸の向こうに遠く、南極大陸が広がっている。
 椎名誠は、冒険野郎として長年憧れていたその土地に出かけた体験記を書いているのだが、ただその探検行は、体調の良くない奥さんを一人東京に残しての、気がかりな旅である。早くから決まっていた仕事のスケジュールは、こなさねばならぬものだった。

 その”気がかり”が独特の陰影を椎名誠の筆に落とし、南米最南端のうら寂しい土地の風景がそのまま彼の心象風景と重なり、読み手は広漠として広がる南の辺地と椎名の心の奥深くと、二重の旅を見守ることとなる。
 その読後感が鮮烈だったので私は本を読み終わった途端、それ以前は聴きたいとも想わなかったアルゼンチン・タンゴがめちゃくちゃに聴きたくなって(本にはタンゴの事など一行も出てこなかったのだが、ほかにするべき事を思いつけなかったのである)レコード店に走り、以後、今日まで、あの退嬰的音楽の大ファンである。

 このアルバムも、そんなパタゴニア熱(?)の内にあった頃に買い求めたもの。何しろアーティスト名がパタゴニアである。かの土地に生まれ育ち、土地が内包する歓喜も矛盾も、その芯の芯まで噛み締めて育った人なのであろう。と想像はするものの、彼に関する資料は無いに等しい。我が国ではまだ、まともに紹介されたことのない人のようだ。
 その言葉の響きや、CDのジャケ裏にある曲目リストのスペルなどから想像する限りでは、どうやら彼の使う言葉は彼が先祖から受け継いだ先住民の言葉と征服者たちの言葉、スペイン語との入り混じったもののようである。どんな物事を歌っているのか知りたいと願うものの、一体この言語を完全に理解できる者が世界に何人いることか。

 このアルバムで彼は、シンプルなパーカッションの響きだけをバックに、ガットギターの男っぽい無骨な弾き語りを聴かせる。岩石のような豪胆な声で、いわゆるフォルクローレを歌うのだが、かの音楽に含まれる独特の哀感がそのパワフルな歌声で形を与えられることによって、まるでパタゴニアの地を休み無く吹き荒れる強風と、その風音の狭間に漏れ聴こえる太古からの人々の嘆きみたいに聴こえてくるのだった。

 パタゴニア。太古、アジア大陸に発し、北はベーリング海峡を渡って北アメリカに渡り、そして南下、ついには南北アメリカ大陸縦断を果たしてしまった名も知れぬ民族の最後の到達地点という、その淋しい土地。今日も薄明の中、風は吹き荒れているのだろう。



伽耶琴の胸の内には

2009-11-05 02:58:53 | アジア

 ”Kayarang”

 カヤグム(伽耶琴)といえば韓国の伝統楽器、韓国琴ですな。これは、その楽器を演奏する女性二人組、Kayarang のアルバムであります。
 この二人は姉妹なんですかね、似ていると言えば似ているんだが。表ジャケでは妖艶っぽく写っていますが、中ジャケではもう少しエエトコのお嬢さんっぽく写っています。まあ現地では、そんなお嬢さんがおしとやかに奏でる楽器、なんて存在なのかも知れませんね、カヤグムというのは。
 で、このアルバムは中国の女子十二楽坊でしたっけ、あれあたりをイメージして韓国伝統の音楽を分かりやすく聴かせちゃおう、なんて企画なのかとジャケだけ見てると思えるんですが・・・

 最初の無伴奏のカヤグムの演奏は、まあイメージ通りですわ。内省的な・・・水面に出来た小さな波紋がそっと広がって行く、みたいな音のイメージ。その次の、フォークタッチの水彩画のような曲を爽やかなデュエットで聴かせる曲も、おや、彼女たちは歌まで歌うのか、なんて呑気に構えていられるんですが。
 3曲目から、このアルバムの本領がいきなり炸裂するのでありました。

 チャンチャカチャンチャン、チャチャチャッ、チャンチャカチャカチャカチャ~♪と、みもふたもないイントロに乗って韓国名物、必殺のトロット演歌が始まってしまうのであります。カヤグムの繊細な音世界もなにもあったものではない。
 お嬢様二人は、その清楚なイメージのままの爽やかな声でコブシをコロコロ廻しながら、日本だったら昭和30年代風って事になるんでしょうね、コテコテの演歌やらベタベタの歌謡曲やらを笑みを含んだ声で次々に、懸命に歌ってくれるんですが、これ、どこまで好きでやっていることでしょうか?

 ビジュアルも声質もお嬢様イメージのお二人だけに、エエトコの大学を出た新入社員がはじめての忘年会で、歌ったこともないド演歌やうろ覚えの昔の歌謡曲を先輩連中に所望されるままに懸命に歌っている、なんて光景も連想されて、なにやら痛々しい。
 いやいや、現物に遭ってみたらこれが全然イメージとは逆のドテライねーちゃんたちだった、というのもまた芸能界ではよくある話ではあるんですが。
 ともあれ。名花二人のえげつないアナクロ歌謡ショーぶりが、なんだか嬉し恥ずかし気分を盛り立てるソウルの夜なのでした。う~む・・・

 今回、You-tubeに試聴は見つかりませんでした。残念。

緑の風のマリア

2009-11-04 01:39:57 | ヨーロッパ
 ”Doagh”by Maria McCool

 3日は、異常に気温の下がった日でした。あちこちで早過ぎる初雪の知らせが届いていたようだし、私も朝、いつもの調子でバイクに乗って集金に出かけ、何メートルも走らないうちにあまりの寒さに家に取って返して羽織る上着を探す、なんてドタバタを演じました。
 というか、今は3日の深夜、暦の上では4日になったばかり、なんて時間にこれを書いてるんですが、なんかしんしんと冷え込んできてます。天気予報じゃ明けて明日には元の暖かい日が戻るとか言ってましたが、どうなることか。

 ここに取り出しましたるCD。歌い手の Maria McCool はアイルランドの新人トラッド歌手。これが2枚目のアルバムだそうです。タイトルになっているのはアイルランドも北の外れ、ドニゴール地方にある半島の名だそうですんで、まあ、いかにも寒そうで、今の気分にぴったりかな、と。

 アイルランドのトラッド、なんていうと、ややこしい話が始まるかと思われるかも知れませんが、私はする気がありませんのでご安心を。あるいは、期待しないでください。
 ま、そんな話は知識がないからしようと思ってもできないんだけど、あってもする気はありません。知識のひけらかし合戦とかうっとうしいじゃありませんか。とか言うと、この時点でもう叱られるか。

 でもありますよね、「俺はこの音楽に詳しいんだぞ、凄いだろ」なんてファンがウンチク語りたがる音楽って。まず昔からその傾向があるのがクラシックとジャズですな。ロックだったらプログレ。フォーク系だったらトラッドと相場が決まっています。
 その人たちの論の進み方は、”この音楽は凄い→凄い音楽を凄く詳しく知っている俺はすっげー凄い”ですね。私はもう、そんなゲームにつき合わされるのはうんざりなんで、アホの看板を掲げておきます、というお話であります。いや、学者先生はそんな話をされるのが仕事ですから文句を言う筋合いではないですが、私はとりあえず関係ない、ということで。

 さてこのアルバム、シンセによるストリングスや多重録音による一人二重唱がときおり差し挟まれる以外はピアノの伴奏のみの静的空間に Maria McCool の、静かな、そして豊かな歌声が響きます。
 彼女の歌声に私は、トラッドより出でてよりナチュラルな、ごく当たり前の”歌”であろうとしている、みたいな響きを感じます。ただ大きく息を吸って、一人の人間としての矜持と節度を持って歌に対峙する、それだけを心に。

 収められているのは、多くはゲール語の歌詞を持つ伝承歌が中心の選曲。どちらかといえば内省的なゆったりとした、美しいメロディの曲ばかりです。その狭間に、”ダニーボーイ”なんて、ある意味、手垢の付いた通俗民謡や、ジョン・デンバーの”緑の風のアニー”なんてポップス曲が差し挟まれ、しかもそれが何の違和感もなく収まっているのが、この Maria McCool という歌手の懐の深さと思います。
 何の違和感もなく?いやむしろ、それらの歌はこの民謡中心のアルバムの世界を広げ、今日の息吹を吹き込むのに大いに貢献していると言えましょう。そうそう、最終曲はドヴォルザークのあの曲です。

 内ジャケに、タイトルの半島の海岸であろう風景写真があります。打ち寄せる最果ての荒海に洗われ、吹き寄せる北風に晒されて白く乾き切った海辺の風景の中に、朽ち果てそうに立っている石作りの上代の建築物があります。
 すべての歌は、音楽は、いつかはその物寂しい海岸に吹き寄せる風の音に紛れて消えていってしまうかに見える。だがそれは実は、ずっと昔にその場所に足跡を示した人々の命の流れに迎えられて行くことなのだ、なんて呼びかけが聴こえるようであります。

 このアルバムの所収曲はYou-tubeには無いみたいで残念なんですが、Maria McCoolのその他の歌が見つかったので貼っておきます。彼女の歌はどれも良いもんね。



イエイエなる歌謡曲の畔

2009-11-02 03:42:43 | ヨーロッパ
 ”ゲンスブールを歌う女たち”

 まあ、心酔しておられる方も多いんじゃないかと思います、フランスの無頼派シンガー・ソングライター、セルジュ・ゲンスブール。無精ヒゲにちびたタバコをくゆらしながらヤバい詞をぶちまけるのが、彼の公式イメージ。彼はまあ、普通に見たら貧相でだらしないブ男だったんですが、たいそう女にはもてたんだそうで。
 特に、彼の作った曲は女たちが競って歌いたがったようですな。これは、そんな逸話からゲンスブールの表現者としての側面に明かりをあてようなんて企画盤です。

 有名歌手や女優が、まさにそうそうたるメンバーが顔をそろえ、ゲンスブール作品をそれぞれの歌唱で聞かせてくれます。ミレイユ・ダルク, カトリーヌ・ドヌーブ, バンブー, イザベル・アジャーニ, ブリジット・バルドー, ジェーン・バーキン・・・いちいち挙げて行くのもアホらしいんですが、そんなきれいどころが総出演。アルバム終盤には愛娘のシャルロット・ゲンスブールとのデュエットまで聴かせます。

 まあ、なんともお洒落であでやかな一枚と申せましょうか。プッツン女優としてその名も高いアジャーニの、勝手にあっちの世界に飛んでいってしまいそうなテンションの高さが妙に可笑しい歌もあれば、実にあっけらかんとすべてを歌い飛ばしてしまうバルドーなど、それぞれの個性も楽しめる仕組み。ゲンスブールの提供した曲とアレンジもカラフルにそれらの個性を演出しています。

 とか言ってますが、私はたいしてゲンスブールに詳しいわけじゃない。そもそもフランスの音楽にあんまり興味がもてなくてろくに聴いてないんだから。(その理由は何度が言って来てますね、”フランス音楽を紹介しようとする日本人の権威者連中の態度が胡散臭い”から、興味を持ちかけても、なんか白けちゃうんです)

 そんな話は今回はいいや。

 先に書いたように、自作自演歌手のゲンスブールの過激な表現に心酔しておられる方々も多かろうと思うんですが、ワールドミュージック裏町派の私としてはむしろ彼を、”優秀な歌謡曲作家”として評価したい気持ちがある。このアルバムで言えば中盤、フランソワーズ・アルディの”さよならを教えて”のアダプトからフランス・ギャルの”夢見るシャンソン人形”の作曲へ流れて行くあたりにそれが最高潮に溢れかえります。

 こんな、大衆の下司な本音の水脈のド真ん中を掘り当てるみたいなメロディ創作能力。ある意味下世話な歌謡曲としてのフレンチ・ポップスの優秀な作り手であり、それゆえに私は彼を評価する、と。

 どこまでポーズだったんだか、”次から次にいい女をモノにするブサイクでむさい助平オヤジ”って私生活がついに女房子供に愛想をつかされ見捨てられ、晩年は肺ガンを病み(タバコを片手に、がトレードマークだったからねえ・・・)病院に収容されてもタバコ吸い始めの中学生みたいに医者に隠れて吸い続け、孤独のうちに死んでしまった。考えて見りゃそんな人生も昔ながらの裏町歌謡詩人の伝統にこそ連なるものであったのであろう。

 それにしても・・・今回、この文章を書くために久しぶりにこれを聴いたんだけど、”神様はハバナタバコが大好き”ってのは、こんなに泣ける曲だったっけ?
 あっと、でも下に貼ったのはフランソワーズ・アルディの唄(笑)



奄美、南海のロッキン&ジャンピン

2009-11-01 02:47:17 | 奄美の音楽

 ”星降ル島ヌ唄”by 前山 真吾

 昨夜は”人が橋を歌うとき”なんて文章を書いた。こちらの話の進め方のムチャクチャゆえに、もしかして誰にも意味が分らなかったかもしれないのだが。人は橋に歌心を喚起されたとき、そこに彼岸を見ているのではないか」とか、そんな事を言ったつもりなんだが。なんて余計な文章を付け加えるとますます意味が分らなくなるのだろうが。

 そういえば、奄美の島唄にも橋を唄った歌があったのだった。らんかん橋という。「大雨が降ってらんかん橋が流されてしまった。おかげで河が渡れず、遭えなくなった恋人は泣いて帰った」という内容の唄。遠い昔にあった出来事から生まれた唄だろうか。昔において欄干があるというのは、かなり立派な橋のはずだが。

 この唄など聴いていると、なんだか七夕の、星空を舞台にした織女と牽牛の逢瀬の物語など思い起こされてしまう。やっぱり橋は人の意識を違う世界に飛ばすカタパルトじゃないかとか、言いたくなっても来るファンタスティックな歌なのであった。
 今回はその”らんかん橋”も含まれた奄美民謡の若手、前山真吾のデビューアルバム(2006年作)である。

 飛び出してくる歌声に漲る、フレッシュさというか若い男のリアルな存在感がまず印象に残る。(ご本人は録音したものを聞いて、”自分はまだ青いな”とくさっていたそうだが)
 同じ若手でも中孝介のような繊細な唄い口とは違い、かなり太い声質で土臭く迫る。そのもともとの声の太さと、奄美の伝統的な裏声を多用する歌い方の関係などに、裏声唱方の成立由来が見えてくるように思えて、なかなかにスリリングな気分である。

 前山自身、奄美の唄に興味津々という気持ちがあり、民謡のフィールドリサーチなども積極的に行なっているそうで、その成果としての、他の人とは収録曲が一曲もダブらないアルバムなど、そのうち出してくれたらなあ、などと勝手な期待を公表しておこう。

 ところで。実は私がこのアルバムで大いに心に残ったのは、前山の三線が織りなすリズムだったのだ、なんて言ったら、何しろ相手は”唄者”なのだから叱られてしまうかもしれないが。けど仕方がない、私はこのアルバムを聴いていて、唄と三線が織りなすリズムに思わず体が動き出してしまい、デタラメな踊りもどきを始めていたのだから。そんな経験ははじめてだ。

 湧き出してくる、それこそ奄美の海に寄せては返す波のきらめきのようなリズム。それも、生まれたばかりの。そいつを新世代の唄者としての”売り”の一つとしても良いではないか、などとも思ったりする。
 ともかくなんだか眩しいアルバムだなあ。




見えない橋が導く所

2009-10-31 01:17:30 | 音楽論など

 昔、”アメリカ橋”という歌があって、演歌の山川豊や狩人なんて連中が歌っていた。まあ、あんまり興味の持てる歌でもないので、「アメリカ橋って知っていますか」という歌いだしの歌詞とメロディしか記憶にはないのだが。というか、なんで昔一度か二度聴いただけの歌の、ここだけ覚えているんだろうな。

 橋の歌といえば昨年、ここに”思案橋ブルース”の話題を書いた。
 あの歌、おそらく現地長崎の繁華街か何かに”思案橋”という橋があり、おそらく地元の恋人たちが、やや煮詰まった恋の行方に悩み、別れちゃおうかなあ~などと思い悩みながら橋の下を行く水などぼんやり見つめる、そんな風景を描いたのだろうと思っていたのだが、現実にはその場に橋などないとある日に知って驚いたのだった。
 結構由緒ある建造物だった思案橋の現物はとうの昔に撤去され、それ以前に肝心の、橋の下を流れていた川もとっくに暗渠となって姿を消し、その場には川が流れていた気配さえ残っていないのだった。

 写真を見ると、そこにはただ賑やかにネオンサイン瞬く繁華街があって、”思案橋通り”とかの表示がある。そこではもうかってあった”橋”は記憶からさえ姿を消し、土地登記上だけの存在となっているようだった。にもかかわらず”橋”の歌は作られ唄われ、全国的なヒット曲にさえなってしまった。
 この不思議な風景にはずいぶん夢中になり、いろいろな幻想を東シナ海のほうまで伸ばしたものだった。まあ、この件については何度も書いているが。

 昔の歌ばかりで恐縮だが、”異邦人”をヒットさせた久保田早紀が”4月25日橋”なる歌を作っている。
 彼女がポルトガルの地図を眺めている際に見つけた地名で、彼女はその橋の名にインスパイヤされて、小さな別れの歌を書いた。もう人々には忘れ去られかけている、町外れの古ぼけた橋の上で別れて行った恋人たちに関する歌を。

 後日、彼女がポルトガルを訪れ、目の当たりにした4月25日橋は詩人の感傷のネタになるようなヤワな代物ではなく、国家の威信をかけて作られたような、堂々たる大橋だったそうな。その曲を現地のミュージシャンをバックにレコーディングしなければならない立場の彼女は、非常に困ってしまったそうだが。でも、事情は分かるような気がする。そんなセンチメンタルな幻想を呼びそうな橋の名と思えば思えるもの。

 人の心にとって橋にちなむ歌を書く、あるいは好んで聴く、唄う、というのにはどういう意味があるのだろう。上に挙げたような奇妙なエピソードに触れるにつけても、何か特別の意味がありそうな気がしてならないのだが、それがなんなのか、まるで見当もつかずにいる。

 最近だったら韓国の演歌、”第3漢江橋”だなあ。他の事を調べていて、この曲名に出会った際、ビビッと来てしまったのだ、私は。自分はこの歌を好きになるだろう、と。
 You-tubeで探し当て、実物に当たってみても、その想いはつのるばかりだった。曲調は想像したより幾分かハードだったものの、韓国らしい辛口の感傷の吐露と思えば十分に納得できる。私はその曲を一発で気に入り、翌日には仕事の合間に鼻歌で歌いさえした。

 漢江といえば韓国の首都、ソウルの市内を横切って流れる大河である。そこにかかる橋。しかも”第3”である。きっと、街の外れの物寂しいあたりにひっそりとかかっているのではないか。大都会ソウルの外れ、寂れた街工場とか古ぼけたアパートとかがシンと静まり返って立ち並ぶあたり。鉛色に垂れ込めた雲の下、奇妙な運命の糸にもてあそばれた一組の恋人たちが今、別れを決める。第3漢江橋の下を流れる濁った水の流れを見下ろしながら。

 You-tubeの画像が、「修正前の歌詞」と「修正後の歌詞」とに分れているのも気になった。何ごとか韓国政府の禁令に触れ、オリジナル・ヴァージョンは発禁を食らったのだろうか?これはひょっとして”政治絡みの悲恋”という、初期の五木寛之の小説みたいな世界が展開されているのではないか。

 早々にオチを明かせば”第3漢江橋”は別れの唄ではなく、逆に恋が結ばれた恋人たちの喜びの歌であり、歌詞が改められねばならなかったのは、その一節に”私たちは一つになった”とあるのが儒教社会・韓国で顰蹙を買い、”私たちは誓い合った”と修正せねばならなかった、という事情であり、まあ五木寛之的ロマンはそこにはなかった。私の繰り広げた妄想は、相当にピント外れだったことになる。
 まあこんな具合で、橋の歌を前にすると人は妙な胸騒ぎに襲われずにいられないのだ。と思う。そんな気がする。なんなんだろうなあ、これは。

 さて、下の試聴は、その”第3漢江橋”である。もちろん歌詞はオリジナル・ヴァージョン。まあ、韓国語、分んないから同じことなんだけどさ(笑)