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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アイルランドからの最高級クリーム

2009-12-06 02:24:21 | ヨーロッパ
 ”Lumiere”

 私がときに使うフレーズとして、「いもしなかった場所には帰れませんてば」というのがある訳だけれど、そのフレーズで突っ込まれるのを覚悟で言ってしまおう。
 アイルランドへ帰ろう。行ったこともない島国だけれど、その国に帰ろう。そもそも今、時は冬の始めなのであって、この音楽の向こうに見えてくる穏やかな緑の原野の風景なんか、かの国へ行ったって待ってくれてはいないのである、それも分っているのだけれど。

 アイルランドのトラッド界を代表するきれいどころのお二人、Éilís KennedyとPauline Scanlon がこのほど結成したデュオチームのデビュー盤であります。
 完全なジャケ買いだったんだけど、聴いてみたら中身はジャケと同じくらい良かった。

 何より二人のコーラスが良い。たまらなく柔らかく優しく絡み合い、最上級の織物みたいに美しい文様を描き出している。あるいは最高の出来のクリームを口に含んだ感じだろうか。二人のコーラスによりメロディはふわりとこの世に生まれ出て、ゆったりと空気の中に溶け出して行く。
 二人の伸びやかなコーラスのうちで、決して激することなく乱れることなく、ひたすら緩やかな癒しの軌跡を描いて上昇し下降するメロディたち。よくもまあ、こんなに良い曲ばかり選んだものだなあ。二人の繊細な優しさに満ちたコーラスを生かせる曲が古い民謡ばかり、見事に並んでいるものなあ。

 α波出まくり、という奴だろうか。癒される、癒される。などと能天気に浮かれているうち、気が付けばアルバムはゲール語曲連発の神秘を秘めた終盤に至っており、こちらの魂は彼女らの思惑通り(?)大昔のアイルランドの晴れた空の下で、なにやら古代アイルランドの蔡事の列に加わったりしているのである。
 と言うか、それでかまわない。出来ればそのまま現世に帰って来たくないくらいだ。




カテリーナの大地トランス

2009-12-05 02:56:08 | ヨーロッパ
 ”НА ГИТАРНОЙ СТРУНЕ”by Катерина Голицына

 アーティスト名はこれで”カテリーナ・ゴリツィナ”と読むのだそうな。せめてロシア文字を読めるようにならねばと思いますなあ。で、タイトルは「ギターの弦に乗せて」という意味だそうです。
 カテリーナは90年代、「カチューシャ」なるディスコバンドのヴォーカルを担当、「ロシアの恋人」としてナウいロシアの若者たちの煩悩をギンギンに刺激する存在だったそうです。が、結婚、出産を経てロシアのシャンソンなるものに目覚め、より深い歌の世界に踏み込み、実力派の歌手として生まれ変わった、という次第のようです。

 この”ロシア・シャンソン”という音楽名は時々聞きますが、実態はよく分らない。まあ、ヨーロッパの大衆歌の世界に時々見受けられる、「単なるポップスではない、人生の深淵を歌う歌」とかいう、ある種、考え過ぎもある芸術志向歌謡と考えておけばいいかと思うんですが。
 ロシアにはこの種の人生歌について、”ロマンス”なる呼び方もあり、ロックがかったロマンスの歌い手、なんてジャンルに、カテリーナは分類されているようです。

 このアルバムは、カテリーナが出産を終えてカムバックした後に出した2枚のアルバムからのベスト選に新曲を加えたお特用盤、と言うことなんですが、収録曲21曲中、新曲が7曲、というのは不思議な構成であります。まあ、このアルバムが彼女との初対面であり、今後、他の作品に出会えるかどうか分らない(ロシアポップスをコンスタントに手に入れるなんて、どうすればいいのやら)当方としては、そんな事は気にする必要もないのだが。

 カテリーナはクバン・コサックなる民族の出身だそうで、冒頭、ドッカンドッカンと打ち込まれるバスドラの性急なリズムの響きに乗り、ぶっといガラガラ声で、パワフルで土着色いっぱいなメロディを歌い上げるその歌声を聴いていると、確かにコサック騎馬団がロシアの大地を駆け抜けて行く勇壮な姿が目に浮ぶようです。
 そのサウンド、垢抜けないディスコみたいな”バスドラ4つ打ち”が終始打ち込まれて行きます。そこ被るロシア・ポップス名物、安っぽいシンセのコード弾き。その狭間に忍び入るようにアコーディオンやバイオリンが民族色を加味して行くんですが、そいつはそれこそシャンソン風だったりドイツの場末のキャバレー風だったりで、それほどロシアの血液を感じさせるものではない。

 が、歌い上げられるメロディはマイナー・キイの、”いわゆるロシア民謡”好きにはたまらない、センチメンタリズムをワシ掴みにするような、日本の古い歌謡曲にも通じるようなベタな感傷に満ち満ちた響きを持っています。この濃厚な歌謡性は凄い。これがコサック民族の感性なんでしょうか。
 で、そいつを歌い上げるカテリーナの歌声は先にも述べましたようにともかくひたすらパワフルなのであって、感情表現に押し引きの”引き”というものがない。なんかヨーロッパの港町の訳ありの裏町で顔役のお姐さん、みたいなヤバさ漂わせつつのこの迫力、ここはもう言うこと聞いておくしかないだろ、みたいな無力感さえ覚えてしまいます、ひ弱な東洋人としては。

 ドスの効いた太い声でひたすら凄みつつ、スピーカーの向こうから怒涛の寄りで迫ってくるボーカルと、メロディのひたすらな切なさとが不思議な対比を見せます。そして、そのすべてを貫いて無遠慮に打ち込まれる四つ打ちのドラムス。
 この感じ、何かに似ていると思ったら韓国のポンチャク・ミュージックに近いものがあるんですな。一本調子の乗り一番でひたすら驀進する音楽。単調に進行するリズムの上の終わりなき狂乱。なんだか分らないうちに巻き込まれてしまう奇怪なトランスの世界。

 人生歌ってます、と言う人の歌をつかまえてポンチャク扱いしたら叱られちゃうかもしれませんが、いや、大衆音楽の真実的にはこれは十分に褒め言葉なんだが。



漢江ブルース・1925-1955

2009-12-03 01:56:39 | アジア

 ”Behind Time - 1925-1955, A Memory Left At An Alley”by Han Young Ae

 韓国のブルース・クィーンとして知られるハン・ヨンエが2003年に出した、トロット演歌ばかりを集めた異色作だ。
 しかも、副題として年代が記されているように、第2次世界大戦と朝鮮戦争の時期を中心に据えた、韓国人民が尋常でない辛酸を舐めた時期にテーマを絞って歴史的意味の濃い大衆歌ばかりを集めた、相当に重い主題のアルバムである。

 スライドギターが唸る戦前フォークブルース調、民俗パーカッションが拍子をとるチンドン調、軍楽のリズムに乗った行進曲調、あるいはウッドベースが唸るジャズ調と、アレンジはさまざまに変化する。その切り替わりのありようはまるで、古いニュースフィルムが歴史の一齣一齣を、薄暗いスクリーンに映し出すかのようだ。
 ハン・ヨンエの重くパワフルなボーカルが、すべてを灰色に染め替えつつ、その時代を生きた人々の、ぬぐえどもぬぐえども石の上に染み出てくるような、時代に染み付いた想念をすくい上げ、歌い上げる。

 歌い出しはフォークで、その後ブルースに入れ込み、ついには”韓国のジャニス”と言われるまでに至った洋楽志向の彼女が演歌のアルバムを出すにあたっては、相当にディープな決意があったのだろうと思われたが、意外にも始まりは、ステージでその種のものを歌ってウケが良かったから、という軽いものだったようだ。
 が、アルバム製作のためにレパートリーを選び、歌の背景を調べて行くうち、とても安易な懐メロアルバムなど作るわけには行かない気持ちになってしまったという。”大衆音楽の真実”という鉱脈に突き当たってしまったのだろう。彼女が本来持っている”業”ゆえに、というべきなのかも知れない。あえて”1925-1955”なるテーマを選んだのは彼女自身なのだから。

 日本でもよく知られた”木浦の涙”に始まり、ロシア歌謡さえ交えながら韓国演歌の古典が歌われて行く。ついには歴史の闇の底に至って、そのハスキーなシャウトを響かせる。そんなハン・ヨンエの姿は、なんだか古代の巫女のようにも見えてくる。
 伝統的韓国演歌とブルースの融合。異種結合も何もない、両者はごく当たり前に混じりあい溶け合って、人間に襲い来る過酷な運命と、それに飲み込まれた人々への鎮魂と、それでも消えることのなかった人々の意思の灯火について語り始めるのだ。

 凍りつく真冬の大気の中、永遠に明けない夜にランプ一つ掲げて歩を進めて行く。そんなイメージが胸に焼きつき、ハン・ヨンエのハスキーな呻きがいつまでも耳を去らない、そんな深い深いアルバムだ。

 (下につけた試聴は、このアルバムの2曲目に入っている”波止場”という、まあ、アルバム中、唯一明るい曲と言える代物であります。韓国のマドロスものなんでしょうかねえ)




アフリカ!アフリカ!聴こえるか?

2009-12-02 04:43:19 | アフリカ

 ”Awa Kise Olodi Won”by Ayinla Omowura

 なんだかんだとジタバタするうち、気が付けば今年も余すところ一ヶ月を切っていて。こりゃもう認めるしかないんだろうなと。何をかといえば、今年のアフリカはパッとしなかったなあ、と言う事実である。
 そりゃまあ、歴史的レコーディングの復刻と言う奴に関してはなかなかの年で、興味深い盤がいくつもリリースされたので、なんか華やかな年だったかのような印象もあるのだが、新作で「こりゃ凄いや」と、「さすがアフリカだ」と舌を巻く、なんて盤はついに届けられなかった。これは淋しい話ではないか。どうしちゃったのかなあ、アフリカは。

 あ、ここで行ってるアフリカはサハラ以南、いわゆるブラックアフリカと言う奴ね。北アフリカ、マグレブ地帯のベルベル人たちメインのバカ騒ぎには相変らず恐れ入っています、ハイ。
 強いてあげれば、コンゴはキンシャサの不良ハンディキャッパーたちのバンドの暴走ぶりくらいか、印象に残ったのは。
 まずいなあ。まあ、いくらなんでもこのままアフリカ音楽が失速していってしまうとは考えられないけどね。早いとこ突破口を見つけ出してもらいたいと思う。

 などと言いつつ、我が最愛のアフリカのミュージシャンのCDなど、こうして取り出してみたのである。ナイジェリアのアパラ・ミュージックの中興の祖(?)であった、アインラ・オモウラ。思えば彼のCDがここにこうして十数枚もある、という事実が凄い。それは某レコード店の頑張りに追うところ大なのであるが(店の名は教えてやらない。入荷するナイジェリア盤の数は限られているのである。そりゃあそうだよ)夢のような話だ。

 こんな状況、CDの出始めの頃には冗談でしかなかった。アインラ・オモウラのCDだなんて。そもそもナイジェリア盤のCD自体、出る日が来ようとは想像が出来なかったものなあ。
 はじめてオモウラの音楽に接したのは、1980年代の話になるが東京は西荻にあった某レコード店だった。サニー・アデの音楽が話題になり始めた頃で、そろそろ我が国の輸入盤店にもアフリカ音楽の盤を並べる店が出て来つつあった。
 ともかく炸裂するパーカッション群と強力なバネを秘めたドス黒いボーカルが繰り広げるワイルドなコール&レスポンスの暴走に圧倒されたものだ。

 複雑に絡み合いながら地を這うような重いビートを織りなすパーカッション群のざわめき。ナイジェリア音楽ではお馴染みのトーキング・ドラムやグギゴギと響く低音親指ピアノの独特の響きを中心に、名も知らない打楽器たちがカラフルにして狂おしいリズムの饗宴を繰り広げる。それに乗ってオモウラの、アフリカの黒人汁の一番濃いところを抽出したようなドロドロの喚き声が炸裂する。日本民謡と代わらないペンタトニックの音階で、深いイスラミックなコブシ入りの錆びた歌声が巨大な蛇がのたうつように闇の中を突き進んで行く。

 当時のナイジェリア盤のLPであるから片面ノンストップの演奏が当たり前であるが、オモウラはほぼ全編出ずっぱりで吠え続ける。エネルギーの弱まる瞬間などない、どころではない、まだまだ歌わせろ騒がせろと言わんばかりのパワーの奔流が目の前を走り抜けて行く。
 たまらないよねえ。今、聴き返してもオモウラの音楽のもたらす興奮は変わらない。ここまで出来たんだから。もっともっと先まで行って欲しいアフリカには。

 それにしてもどうしちゃったのかなあ、アフリカは。ラゴスは。キンシャサは。燃えているのか?何年でも待つからなあ。こちとら、アフリカ音楽のアルバムを集め始め、その巨大な音楽大陸の懐に接した時のあのときめき、驚嘆を忘れやしないよ。あの輝きが帰る日を信じているから。

 ・・・いけね。上に挙げたジャケのアルバム、You-tubeに入ってないや。まあ、オモウラの他のアルバムの音も、そう変わりはないから(!)別のを貼っておきます。




流行語大賞コメディアワー09’

2009-12-01 22:06:59 | 時事

 流行語大賞。毎年、そこではじめて聞いたような言葉が紛れ込むんで「そんなの流行してねえぞ、捏造はやめろ!」とそのたびに猛攻撃していたのだが、それが効いた(?)のか、いつのまにか「新語・流行語大賞」とタイトルに一言付け加わっていた件(笑)

 ちなみに今年の候補語の中の「そんな流行語、はじめて聞いたぞ大賞」は、「弁当男子」ですな。なんだよこれは。
 他にも今年の候補語は、「新型インフルエンザ」とか、ただ単にその年あった事をあげているだけで全然機知が感じられないものが多い。選考委員諸氏、ボケが来てますな、確実に。

”橋”の導くもの

2009-12-01 05:52:13 | その他の日本の音楽

 ”雨 / 渡良瀬橋”by 森高千里

 まさかこのような盤を前にしてあれこれ言いたくなる日がこようとは思わなかったわけである。
 かって若者たちに独特の人気を誇った歌い手である彼女のレパートリーのうち、とりわけウエットな物件二曲をカップリングしたシングル盤である。仕事で出かけた某所でかかっているのを聴き、後になってなんだか知らないが気になって仕方なくなり、慌てて通販サイトに注文した次第であるのだが。

 このような盤が出るということはそのような需要があるということであり、しかもそれは、彼女の人気が生々しかった時期にではなく、もはや”懐かしの”的存在となった今になってでなくてはならなかった。「ようするにお前らが聴きたかったのはこれなんだろう」、そんな売り手側の総括の言葉が添えられてさえいるように思える。
 かって彼女を微妙なアイドルとして支持した若者たちも、さすがにもう人生のそれなりのポジションに流れ着き、諦念の末の沈黙のうちに身を沈めている頃である。

 両曲とも、描かれているのは成就出来なかった恋愛を振り返り嘆息する女性の姿である。時系列で言えば”雨”は恋愛喪失直後であり、”渡良瀬橋”はある程度時間を置いて静かに振り返る様子が描かれている。いずれにせよその世界は濃厚なアジア的湿度に満たされており、現実に雨が降っている”雨”はもちろん、曲の舞台上の天気としては”晴れ”のようである”渡良瀬橋”も、描かれる風景が歪むほどの湿度の高さのうちにある。

 彼女自身の作詞になる”渡良瀬橋”のエピソードがどれほど現実に即しているのか知らない。ここで追憶される恋愛はすべて空想の産物であり、曲の実態は実は、舞台となった故郷、あるいは過ぎ去った青春の日々に対する感傷であると考えたほうがいいような気がする。
 ともかくファンでもなんでもない単なる野次馬の私には、”渡良瀬橋”やら”八雲神社”、”公衆電話”や”夕暮れ”といった民俗的呪物(?)が妙にリアルに感じられ、逆に肝心の”男とのエピソード”は、なんだか作り物っぽく見えている。

 これらの曲が彼女の歌手としてのキャリアのもっとも盛んな時期に生み出されたものであり、そんな時期特有の”ついうっかり到達してしまったなにものか”であることは確かだろう。そのなにものかの正体については、それこそ諦念の底でしか認め得ないような原寸大の我々の恥ずかしい姿だったりするのだが。

 それにしてもやっぱり、”橋”の絡む歌には何かがある。これが気になって仕方がないのであるが。




TV・DAYS

2009-11-30 05:23:29 | 時事


 今、亀田と内藤の試合をやってるけど。俺はテレビ中継の解説に鬼塚が出てくると「このインチキ・チャンピオンが、何を偉そうにもっともらしい事を言ってるんだ!」とか、いまだに腹が立ってくるんだよなあ。亀田でも内藤でもいいからさあ、むしろ鬼塚を叩きのめしてみてくれないか、その場で?

 テレビをつけたら、「泣ける動物映画紹介」なんて番組をやっていたので、「また号泣営業かよ!」とムカつく。”フランダースの犬”を新しく映画化するとか、いろいろ。そうか、また安易な金儲けがしたくなったのか、ギョーカイの奴等が。なるほどね。

 SBカ○リーハーフカレーのCMで。 「カ○リーハーフだとママが楽しそうだから嬉しいな」とか、ぬいぐるみの熊が言ってますが。「楽しそうだから嬉しいな」とは、なんとブザマな日本語だろう。これを書いたコピーライター君、君も言葉の専門家なら、少しは頭を使おうよ。

 「有田みかん」のTVCMで。「一日2個でニッコニコ」とは何かね?「2個」と妙に具体的に数を挙げる割には、その効能が「ニッコニコ」って、ずいぶん漠然としてるぞ。「1日2個食べると××の効果があります」と言い切る根拠が見つからなかったのか?洒落を言いたかっただけとも思えないしなあ。

マレンコフ氏の夜、その他の夜

2009-11-28 03:45:09 | その他の日本の音楽


 ウエブ上でいろいろお付き合いいただいている”ちあきなおに”さんから、先日、あのマレンコフ氏が亡くなった事を教えていただいた。ウ~ム・・・と感慨に浸るほどのかかわりもなかった人だが。というかそもそもこれで、逢ったことさえないまま終わってしまったことになる人だが。享年84歳。まあ、大往生といえようか。

 マレンコフ氏は東京は新宿の裏町の飲み屋街に生きたギター流しの最後の生き残りの一人だった。あるいは夜の裏通りのヌシ、伝説の人。
 ネットで調べてみると、流しを始めたのは昭和24年のことだそうな。一度はカタギの仕事に付きながら、音楽への情熱病みがたく流しの生活に身を投じた。いずれは歌手としてデビューなど夢見ていたのだろうか。
 ギターを抱えて飲み屋を渡り歩き、「どうです、一曲?」と酔客の歌の伴奏をする。三曲でいくら、なんて形のチップを受け取る。

 客が歌おうとする曲が分厚い歌本の何ページにあるかすべて記憶していたとか、リクエストされて弾けない曲はなかったとか、さまざまな伝説。紅灯の巷をギター一本で半世紀以上も生き抜いて来たのだから、それはさまざまな逸話も生まれたろう。
 先に書いたとおり、私は飲み屋街でマレンコフ氏に遭遇したことはないし、だから彼のギターで歌う機会もなかった。どのようなタッチのギターだったのか、一度生で聴いてみたかったが。残念ながら、私は新宿のゴールデン街などを取材したドキュメンタリー番組の片隅で何度か彼の姿を見た記憶があるだけだ。

 あっと。これこそもっと早く書くべきだったが、マレンコフとはもちろん呼び名で、氏はコテコテの日本人である。若き日、当時のソ連の首相マレンコフに相貌が似ているからと付けられたあだ名であり、そいつがそのまま通称となった。活躍した場所が場所、時代が時代だけに、思想的背景とかあるのかと思えばそうではない、その肩すかしの感じがなんとなしに楽しい。
 マレンコフ氏の生涯を捉えたドキュメンタリー映画が製作途上と聞いたが、さて、どのようなものか。彼の身の内にあった喜怒哀楽というのは、どんなものだったのだろう。

 マレンコフ氏とは出会えなかった私だが、なにしろ盛り場生まれの盛り場育ち、彼ら流しの生態というものには、それなりに親しんではいる。彼らはこの世を支配する効率的銭もうけのシステムの狭間に生まれた余白みたいな盛り場の夢のあわいに幻のように現われ、酒臭い空気の中を泳ぐように生きていた。
 妙に上気した気配の漂う盛り場の夜のトバクチ。灯り始めのネオンサインの下、申し訳なさそうでいてふてぶてしくもある、みたいな不思議な間合いの後ろ姿を見せながら店の暖簾を掻き分ける彼らの姿は、子供の頃の記憶の中にも映画の一場面のようにある。

 そういえば私は一度、ドサクサまぎれに流しとしてギャラを受け取ったことがある。夜の酒場で知り合いの流しとギター談義をしていたら、彼らの仲間と勘違いされ、ご指名がかかってしまったのだ。
 相手はヤ○ザの幹部で、「違います」とか言って機嫌をそこねるのもヤバかったので、ちょうど知っている曲でもあったので、その場のノリで一曲、伴奏をあい勤めてしまった。何、こっちだってもともとはバンドマンだ。
 で、その分のチップをポケットに押し込まれたのだが、流しの兄さんの「いいから貰っておきなさいよ」という真剣過ぎる口ぶりが可笑しくて、いまだはっきりと覚えている。

 そんな彼らの姿も、カラオケの普及により、まるでカウンターにこぼれた水をお絞りで拭き取ったように一瞬で消え去ってしまった。



ロック、ワルシャワ、1969

2009-11-27 04:49:13 | ヨーロッパ

 ”Enigmatic”by Niemen

 このところ、仕事上やら日常の人間関係やらでつまらない行き違いが多く、すっきりしない気分が続いている。なんだかいつまでもシトシトと降り続いて嫌な雨だなあ、などと思いながらさっきから座り込んでいたのだが、ふと窓を開けてみると雨など降ってはいず、乾いた道路に冷たい月の光が降り注いでいる。
 こんな気分の時はそれを慰めるような音楽をなどと、これぞと思える盤を探し出し、かけてみればそれはたいていの場合まるで見当違いの選択であるのであって、その音楽のおかげでさらに気分は落ち込んでしまったりする。

 というような聴き方をついしてしまうのが、この1960~70年代のポーランドを代表するロック・ミュージシャン、Niemen である。なんと言うか何をやってもついていない、なんて落ち込み気分の良き友、みたいなところがある。
 ダサい長髪とヒゲと詰襟っぽいスーツが、まるで昔の安いサスペンスドラマに出てくるインチキ神父みたいにも見えるNiemenが、何本もの蝋燭が立てられた、こいつも怪しげな空間の真ん中でハモンドオルガンを弾いているジャケ、これがもうパッとしないのだが仕方がない。これがあの頃(1969年度作品)の東欧ロックのノリというものである。

 冒頭からクラシック調の荘重な混声合唱と教会オルガン風のNiemenのプレイとの対話が続き、人の意識の闇の底に一気に引きずり込まれて行く。ドラムスのリズムを伴ってボーカルが聴こえてくるのは8分ほど経過した後。
 Niemenの深い陰りのあるソウルフルなシャウトは、どうしてもその国の悲劇の歴史などに想いが行ってしまうポーランド語の独特のニュアンスと相まって、とてつもなく重い響きをもってこちらに伝わってくる。19世紀ポーランドの詩人の作品をもとに作られたアルバムと聞くが、どのような内容のものであるのか・・・

 マシュー・フィッシャーみたいなタッチのオルガンのフレーズと詠嘆調の教会音楽っぽいメロディライン、そしてR&B色濃いボーカルは、当然ながらあのプロコル・ハルムなど思い起こさせるが、かのバンドのようなロマンは見当たらず、代わりにより深い思索性が感じ取れる・・・という方向にどうしても受け取ってしまうんだけど、悲痛極まる重苦しいボーカルを聴くにつけても、業の深い人だったんだなあなどとも感ずる。1939年生まれ、2004年没。

 何はともあれ、60年代末の”あの時代”の深さ暗さ重さを煮締めたような作品といえよう。当時のポーランド・ロック界のレベルの高さにも驚嘆するしかない。




アララテの山から

2009-11-25 03:48:09 | アジア
 ”El qez chem sirum”by Lusine Aghabekyan

 アルメニアのポップス。というのは、これまでに2~3のCDを聴いたことがないでもない、くらいの付き合いであり、もちろん全然詳しくなんかない。歌手名がもう読めない。資料では、「ルシン・アガベキアン」となるらしいが。凄いよ、アルメニア文字の形って。ミャンマー文字と良い勝負じゃないのか。
 そもそも、イスラム教国居並ぶ西アジアにあって”最古のキリスト教国”の孤塁を守るなんてのは相当のつわものと言えるんではないか、アルメニアの国民性は。

 国土の90パーセントが海抜1000メートルの山地にあるなんてのは想像を絶する。そういえば首都の近くにそびえるアララテ山というのは、あの”ノアの箱舟”が洪水を乗り越えて漂着した地と言い伝えられている場所だった。
 その他、歴史の十字路とも呼ぶべき地勢にあるこの小国が舐めた、そして現在も解決の付いていない近隣諸国との紛争による苦難など・・・について語り始めたらキリはないし、当方の柄でもないのでやめておくが。ともかく音楽だってただ事で済むとも思えない。

 この盤、サウンドなどはこれまで聞いたアルメニアものの中では一番、”西アジアっぽさ”を感じさせない出来上がりになっている。現地では相当にお洒落な存在なのかも知れない、時にセクシー、時にコケティッシュな歌声を聴かせるこの歌手、アガベキアン嬢は。
 曲調にしても、なんか”雪が降る~あなたは来ない~♪”みたいなメロディが頻繁に出てきて、むしろ南欧のどこかの国のポップスと言われても信じてしまいそうな感触がある。西アジアっぽいイスラム臭さは、ほとんど感じられない。

 だがそれでも、旋律のあちこち、歌の節回しのそこここに潜む乾いた寂寥感が、この歌たちの本籍が風吹きすさぶ孤独な大地の果てにある事を、聴き進むうち、聴き手は深く心に受け止めるところとなるだろう。
 そう、寂寥感。そいつがこの音楽を特徴付ける最大のものといえるのではないか。欧米のロックをごく当たり前の顔して自分のものにしているバンドを従え、巧妙にショー・アップして歌い上げるアガベキアン嬢の歌の背後に吹き抜ける、遥か砂漠を旅して来た風たちの囁きが。