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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

シンガポール・ゴーゴーの短い夏

2010-01-27 04:14:02 | アジア

 ”Singapore A-Go-Go”

 1960年代後半から70年代はじめのシンガポールにおいていっちゃんナウかった、サイケでハレンチなエレキのポップスの、現地だけで知られていたシングルを集めた秘曲集であります。あの頃、東南アジアの真ん中で何が起こっていたのか、非常に興味を惹かれるところである。
 何しろアルバムタイトルがこれである。もう、振り切れている。しかもご覧の通りのジャケである。極彩色の浮かれた世界の幻想乱れ飛ぶご乱行が見られるぞと、もうウキウキと聴いてみたのだが。後の感想は、そう単純なものでもなかったのだった。いや、音楽自体は期待通りの素っ頓狂なものであったのだが。

 基本、バックは当時世界のあちこちにこんなバンドが発生していたんだろうな、ベンチャーズとかをアイドルとして。と思われるお手軽エレキ楽団である。そいつに乗って中国民歌やら、欧米ポップスや日本の歌謡曲のカヴァーなどが節操なく歌われる、まさにオモチャ箱をひっくり返したような赤道直下中華街特産、ゴタマゼ大衆音楽のお楽しみが展開される。

 収められているのは女性歌手が多いが、コロコロとコブシを廻し甲高く声を張り上げる、上海歌謡の伝統に連なるような歌声がときおり見受けられもする。だが若い国シンガポールに生きる若い娘らしい自由な息吹がそいつを押しのけて顔を出し、誇らかに生の歓びを歌い上げる今日的アイドル風歌唱法が明らかに芽吹いて来ており、これには心を躍らされる。
 そんな歌唱が、バックで鳴り渡る「エレキバンド」のラフなロックのリズムと相まって、新しいアジア歌謡が生まれようとしている、その胎動が確かに伝わってくる。

 何だか凄い瞬間に立ち会っているような気分の高揚を味わえるのだった。内ジャケに再現された当時のレコードジャケットたちのカラフルな楽しさも、シーンの盛り上がりを伝えている。
 が、そんな幸運な時代も長くは続かなかったようだ。ここで聴かれるような”シンガポールのゴーゴー”はほどなく現地の若者たちの支持を失い、ついにはレコードのプレスもなされなくなったという。

 盤の解説者は、シンガポール・ゴーゴーの高揚が、東西冷戦、文化大革命の中にあった中国、ベトナムで終わりなき戦いを演じ続けるアメリカ、などというシンガポールを取り巻く時代の現実に共鳴するものとして発生し、発展したものと定義していた。そして時代は変わって行くのだ。
 毛沢東は死に、アメリカはベトナムから敗走し、気まぐれな若者たちは他の楽しみを見出してレコードの売り上げは振るわなくなる。所詮は時代の仇花であった、ということか。歌手たちはもとのちっぽけなナイトクラブのステージに帰り、音楽は忘れ去られて行く。

 そういわれれば、今日のシンガポールのポップスは、ここで聴かれるものの末裔とはいえない姿をしたものである訳で。
 そんなシンガポール・ゴーゴーの始末記をジャケ解説で読み進むうち、アルバムの中でもひときわ可憐な歌声を聞かせてくれた歌手、Lim Lingちゃんが、とうにこの世を去っている事実などに突き当たると、なんともシンとした気分になってしまう。
 何のことはない、このアルバムに収められているのは30年も40年も前の音楽であるわけで、長い時の流れのうちには、歌い手のうちの誰かが死にもするだろう。そりゃそうなのだが。

 何だか彼女の死が、シンガポール・ゴーゴーの短い夏の物語を象徴するみたいに思えて来てしまうのだった。南の港に寄せる波は、あの日も今日も変わらぬが、と・・・



ウズベク、風の道

2010-01-26 03:24:04 | アジア


 ”Dunya”by Yıldız Usmonova

 ウズベキスタンを代表する女性歌手、ユルドゥス・ウスモノーヴァの昨年作。彼女の作品はもうずいぶん前に一枚聴いたことがあるのだが、そいつは現地のポップスに西欧のプロデューサーが手を加えた当時の流行りの”いわゆるパリ発ワールドミュージック”だったので、あまりピンと来ず、手放してしまった記憶がある。

 (ここで有能なるワールドミュージック好きのプロデューサー諸氏にお願いである。他所の土地の音楽をいじり倒すのはやめてくれ。そいつを”紹介”するのは大いにやってくれてかまわないが、あなたの趣味でヒップホップの要素を無理やりぶち込むとか、そういうことはやめて欲しい。余計なお世話であるし、他民族の文化への侮辱であろう)

 ところが今回の盤は、そのような欠点が解消されてウズベクの大衆音楽の味を楽しめる作りになっている。電気楽器は使われて入るが目立たないように後ろに回り、民俗打楽器のリズムがグッと前に出てきている。絡みつくように旋律を奏でる弦楽器の響きにも血が騒ぐ。なにより彼女の歌声が円熟の域にいたり、相当の迫力で聴かせる。佳境にいたり、ハスキーなんて言葉じゃ生易し過ぎる、ガラガラ声でシャウトするあたり、こちらの心まで熱くなってくる。

 当方として、もともとウズベクを含む中央アジアのポップスには心惹かれてならないところだったのが、これでますます気になってきてしまうなあ、CD、なかなか売ってないんだぞと嘆息してしまう出来なのだった。

 彼女の歌うのは、いわゆるイスラム色濃い音楽なのであるが、”本場”である中東のアラブ・ポップスにはない、いわばラフな良さがあり、足元からタクラマカン砂漠の砂埃が沸き立つみたいなラフな叙情に、どうにも心騒ぐのだった。
 周囲をアラブ文化に囲まれた環境で濃密に熟成されたアラブ歌謡、というのもゴージャスな悦楽をもたらしてくれるものだが、こちら、いわば辺境である中央アジアのイスラミックな歌謡表現には、また独特のスリルがある。

 ここでリンガラを夢中になって聴いていた頃を思い出してしまうのだが、私は当時、本場である”アフリカン・ポップスの総本山”ザイール(現コンゴ)の高度に進化したリンガラ・ポップスより、アフリカ東海岸、ケニアあたりで頑張るB級ローカルバンドの、いわば邪道のサウンドに妙に惹かれてならなかったものだ。異郷に生きる緊張感と、”権威”から離れた自由さと。そんなものが脈打つ彼らの音楽。

 あれと同じような辺境ポップスの着崩した魅力が、”イスラム音楽の一種”としてとらえた時の中央アジアポップスにはある。
 本場アラブものと比べれば濃密には構成されていないサウンドには、常に自由な風が吹き抜けており、広く厳しい自然の中で他民族との相克などにも出会いつつ歴史を重ねてきたウズベクの人々の生の記憶が、その歌の中に生きている。

 ウ~ン、このあたりはもっともっと聴いてみたいね。やっぱり心惹かれる中央アジアのポップス!ということで。


大貫妙子時間の発生

2010-01-25 03:08:03 | その他の日本の音楽

 ”Cliche”by 大貫妙子

 この土曜日、BSで放映された大貫妙子女史のライブを各々見ながら、流行りのTwitter越しに知り合いの音楽ライター、Oさんと話し合ったのですが。
 Oさんは大貫妙子の歌う様子を眺めながら「彼女は体の中に彼女だけの時間を刻む時計があるんじゃないだろうか」と書き込んだのですよ。それに応えて、私はこう書いた。

 「ムサい男の影とか感じさせないところがいいです。そもそも付き合っていないのか、それとも感じさせないだけなのか知りませんが。
 生々しさってものがないでしょ?実体験があったとしても、それを彼女は自身の美学で再構成せずにいられない完全主義者。だから彼女は現実から離れ別の時空に漂い出してしまう。」
 などと。

 凛、という文字の似合う女性、と言うことになると大貫女史などもまさに、と思います。
 彼女が独自の美学にもとずいて作り上げた音楽世界は、隅々までがきちんと計算しつくされてホコリ一つない完璧さを誇る。
 私が一番好きな作品は”クリシェ”ですかね。まるで雪の結晶の中を覗き込んだみたいな、ひんやりした人工的な空間に、大貫妙子のヨーロッパ幻想が象嵌となって刻み込まれている。これは文句なく美しいですね。

 でも現実の世界ってのは完全な形はしてないんですね。ドサクサでデコボコで。成り行き任せのいい加減な姿で宇宙に浮んでいる。だから大貫妙子の音楽世界は、ちょっとだけ現実から離れてしまう。

 これがノリ一発の感性のみのミュージシャンだったら、そのまま宇宙に彷徨い出していってしまうんでしょうが、その辺の事情も見据えることの出来る理性を持っている大貫妙子は、そうはならず。
 静かに地面に立ち、まるで飛んで行こうとする風船の紐を持つみたいに自らの作品世界を、現実世界に押しとどめている。

 だから彼女の世界は地上とはちょっとだけずれた時を刻む時計に律せられつつ、この地球の上数センチにユラユラ揺れながらあり続けている、というわけなんですな。見方によってはちょっと滑稽でもの悲しい風景なんですが、彼女があくまでも凛!としてるんで、間抜けな姿にはなりません。




”R&Bのキムヨナ”の光芒

2010-01-23 01:19:35 | アジア

 ”不朽の名作”by Lena Park(Park Jung-Hyun)

 え~、”R&Bのキムヨナ”ってのは他の人の使っていたフレーズです。誰だったかなあ。で、”不朽の名作”ってのは、このアルバムのタイトルを日本語訳するとこうなるらしい。
 で、そんな彼女は韓国R&B界のもはや大スターですな、Lena ParkことPark Jung Hyunちゃんであります。

 1976年3月23日生、生まれも育ちもアメリカのロサンジェルスです。父親が牧師で、彼女は幼い頃からその教会で歌っていて、ゴスペルのコンテストで何度も優勝し93年にはゴスペルのアルバムまで出している。これはもう、幼い頃より筋金入りだったようだ。
 で、98年にアルバム『Piece』で韓国デビュー。お洒落な帰国子女として売り出されたんだろうなあ。ともかくそのアルバムが50万枚も売れ、大会場でのコンサートも即刻チケット売り切れの大騒ぎだったそうな。
 その後も彼女は充実した音楽活動を続け、韓国R&B界の若き重鎮となりつつある、と。

 とか書いていてもなかなか苦しいものがあるのは、私はその時点の彼女をリアルタイムで追いかけていないんですな。当時、韓国の音楽を聴いてはいたんだけど、トロットとかポンチャクとか、ディスコ演歌路線の音ばかり聴いていて、この辺は外角低めに見送るというか軽くスルーだったのだった。だからよく知らないんだ。今頃になって付け焼刃で彼女の事を調べたりしている状況で。
 何でそんなことになるかというと、彼女が「アメリカ帰りのお洒落なR&Bの妖精、リナ・パーク」としてはじめて韓国の音楽ファンの前に姿を現した頃のレコーディングがこうして”不朽の名作”なる凄いタイトルで再発されたから。

 名作と呼ばれながらも、ながらく絶版だった天才少女リナ・パークの1stから3rdまでがセットで、しかも一枚分の価格で再発されるというんで、こいつは良い機会だと購入してみたら、これが良かった。素直にこういうものも聴いておかなきゃいけないなと反省しつつ、今、この3枚組の迷宮に踏み迷って出られない状況であるわけです。
 韓国音楽ファンには「今頃、何を言っている」と呆れられるんだろうが、ふん、笑わば笑えというのだ。

 確かに幼少の頃からゴスペルを歌っていただけあって、特にスローバラードなどの輝きはただ事ではないと素直に脱帽します。とにかく”凛”という漢字がめちゃくちゃ似合うキリッと歌声の屹立する様子は、そりゃあもう、あと一息で天国の扉の輝きがあります。
 1stのレコーディング時で彼女は21歳、まだ声に幼さがあるものの、ウィークポイントになっていない。むしろそれまでも一つの個性として表現の中に生かしてしまう。この年齢の女の子でなくては表現し得ない、鮮烈なハングルR&B表現がもはやデビュー作で一つの完成を見ているといっていいのではないか。

 ところで彼女、祖国においてそれだけの成功を収めながら、人気に一段落付くとアメリカに帰国し、大学に復学してしまうんだから、クールなお話で。要するに彼女、あくまでも”韓国系アメリカ人”なんだろうな。この、どこか気の抜けるような挿話も含めて、なかなか良い話だなあと思う次第で。

 で、さて、問題はその後の彼女のアルバムも集めようかどうしようか、ということで。この先を聴き進めば、「これはちょっときついかな」ってな作品に出会ってしまうかもしれない。そう上手い話ばかりは転がっていないのが現実というものですからね。このままデビュー当時の天才少女ぶりにただ酔い痴れていたい気もするのですなあ。



正義は我らに

2010-01-22 15:47:39 | 時事

 先日、ブログ仲間のころんさんがテレビをはじめとするマスコミの、大衆に対する意識操作の危険性について書いておられたのですが、そちらに寄せてみた私のコメントを、ちょっと言葉を整理してこちらにも再録してみます。

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 >マスコミって、視聴者に疑問を持たせない方向に印象操作

 私、民衆の側にも、印象操作を「されたい」って願望があるのではないかと思うのです。 テレビの画面に見入る人々の心の中に、「操られたい、言うとおりに考え行動してみせるから、どう考えどう行動するべきか、さあ指示をくれ」という想いがありはしないか。

 面倒くさいことは考えたくない。ややこしいことはどこか”上のほう”で考えてもらえばいい。自分たちは余計なことに心悩ませることなく、とにかく安全な強い方、多数派の方に付き、面白おかしく盛り上がって行きたい、と。 (”愚かで弱い少数派”を鞭打つ、陰惨な娯楽に生きがいを見出しながら)

 それが証拠に、彼らに向って「それが本当か、もう一度考え直してみようよ」とか呼びかければ。「うっとうしい奴だな」と、反発を買うこと必至であります。
 「酷薄な独裁者は見ず知らずの地獄からではなく、民衆の心の暗部からやって来る」という言葉もありましたね。

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ルーマニア最初のポップスター

2010-01-20 00:17:32 | ヨーロッパ


 ”Margareta Paslaru”

 マルガレータ・パスラウ、と発音するのですかね?ルーマニアの伝説的人気歌手であり、作曲もし、俳優も兼ねた人です。

 1943年の生まれ、15の年に芸能界にデビューしています。現代ルーマニアにおける”ポップスター”の雛形を作り上げた人である、なんて話も読んだ記憶があります。どこまでリアルに受け止めたら良いのか分りませんが、リリースしたレコードの数も多いし、ネットから記事もワサワサ出てくるし、肝心の歌の実力も素晴らしいですし、いずれにせよルーマニア芸能界における大物であったことは事実なのでしょう。
 過去形で書いているのは、彼女は1983年、ルーマニアを離れてアメリカに移住してしまっているからです。どのような事情でか知りませんが、移住の時期は、あの悪名高きチャウセスク大統領が権勢を極めていた頃で、それと何か関係があるのかもしれません。

 彼女の全盛期を何時ととらえるべきか分りませんが、代表曲をいくつか聴いてみると、”東西文化の激突地点であるバルカン半島の音楽”としての面白さはあまり見受けられません。むしろ古代、ローマ帝国の”飛び地”として発祥した、東欧におけるラテン民族の国としての血をより強く感じさせるものが多いようです。つまり、フランスやイタリアの大衆音楽の影響が相当に強い。
 特にイタリアのカンツォーネからの影響は濃厚で、「みごとなB級カンツォーネぶりだ!」などと、ニヤニヤさせられてしまう部分もあり、いや、同じラテン民族ということで、これがルーマニアの大衆の自然な嗜好であるのかもしれないんですけどね。

 その他、タンゴを歌ってみたり初期のロックンロールの影響も受けてみたり、急にシルビー・バルタンそっくりのフレンチ・ポップス状態になったり、その辺の節操のなさはなかなか憎めないものがあります。
 でもほんと、初期の彼女の歌が私は好きですね。その歌唱は伸び伸びとしていて歌う喜びに溢れ、音楽総体も先に述べたようにイタリアをはじめとして、世界に開かれた広々とした歌心、なんてものを感じさせてくれます。地中海の陽光は燦々と差し込んでね。

 これは彼女がどうというより、その当時、50~60年代頃のルーマニアと言う国に溢れていたメンタリティがそんなものだったんじゃないでしょうか。まだルーマニアが貧しいけれど無邪気で幸せだった頃。その頃のキラキラした思い出が溢れている歌たち。その後、ルーマニアはいろいろとややこしいことになって行くわけですが。

 あ、彼女、1970年に来日もしているんですね。”第1回東京国際歌謡祭”とかいう催しに参加するために。ちなみにその回の優勝曲は、ご存知、と言っていいでしょうか、”ヘドバとダビデ”の歌う”ナオミの夢”だったそうです。彼女はどんな唄を歌ったのかなあ。 当時の彼女、あのメリー・ホプキンのヒット曲、「悲しき天使」をロックバンドをバックにサイケなアレンジで歌ったりしてた尖っていた時期だったんで、見たかったなあ。フィルムとか残ってないかなあ。いや、残っていたとしても彼女の事なんかろくに知られていない日本で放映されるはずもないよね。


哀歌リパーク

2010-01-19 05:33:47 | その他の日本の音楽
「三井のリパーク」ってCMのシリーズがありますが、そのCMソングが妙に悲しげなメロディで、なんか嫌だ。

 この歌を聴いていると、画面に映っている幸せそうな家族はこの先一時間も立たないうちに交通事故かなんかで全員死んじゃうんじゃないかなんてイメージが湧いて来て、気持ちが暗くなっていけません。そういう定番って、あるからさ。

 なぜあんなメロディをあそこで使う気になったのかね。”ささやかだけど暖かい家族のふれあい”とか表現しようとしたら、あんな哀愁メロディが出て来ちゃったんだろうか。そんな感性は昭和30年代に置き忘れて来たかと思っていたのだが、我ら日本人。

 それでも、薄倖そうな歌声を聞かせ、画面にも娘役で姿を見せているアイドルの夏帆ちゃんが、清楚っぽいキャラのくせして実は巨乳である事を思い出して、やっと我々は精神の均衡を得ることが出来るのであります。

 ただ寝転がってテレビを見ているだけの人生も結構疲れる。



シーシー・ライダーの午後

2010-01-18 04:51:14 | 60~70年代音楽

 ”See See Rider”by Eric Burdon & Animals

 ネット上の知り合いのE+Opさんがアニマルズの歌っていた”シーシー・ライダー”に関する話を書いておられた。何だか便乗したくなって来たので、下のようなものを書いてみた次第である。私のものはE+Opさんのそれと違って、なんの含蓄も資料的価値もないのだが。

 シーシー・ライダー。私はこの曲に最初、アニマルズ盤で接した。だから私にとってこの曲の”正しい演奏”はアニマルズのものである。
 ヒラヒラしたオルガンのフレーズをまとわり付かせながら、ドスドスと重いリズムが遠くから、まるで特撮映画における恐竜の接近音みたいに近付いてくる。エリック・バートンのヤクザな叫びが重なる。やあ、いいな、いいな。
 間奏の、ヒルトン・バレンタインのキンキンとアタマの芯に響く硬質な、やかましいギター・ソロもはた迷惑でザマミロ気分に心地良くなれた。意味の分らない文章だろうが、まあヘビメタ聴いている青少年のような心境だったわけだ。

 ストーンズの場合は”海の向こうのロンドンの不良”だったのだが、アニマルズの不良っぽさはどこか演歌に通ずるような垢抜けなさがあり、そこがカッコ悪くもあり親しみやすくも感じられていた。ゆえに、好んで聴いてはいたがあまり自慢の出来る趣味とは思っていなかった。
 プロのミュージシャンでも”アニマルズ好き”を表明していた奴なんて故・鈴木ヒロミツくらいしかいなかったろう。人気はあったバンドだから、もっと支持者がいてもおかしくないんだが。

 確かこの曲の前にヒットした”孤独の叫び”って唄は、アメリカ南部の刑務所の労働歌を集めた録音テープから見つけてきた曲の切片をメンバーがアレンジしたもの、と聞いていた。(後にグランド・ファンクがカバーした奴だ)この曲だってルーツを辿ればアメリカ大衆音楽の相当な深みに至る。
 でもそんなことには気が廻らずに、単なるポップスとして受け止めて浮かれていたのが神話時代の60年代だ。若く純粋な日々。曲の背景を知る楽しみを見出すのを、智恵の実を食べてエデンの園を追われたアダムとイブに例えたら見当ハズレか?

 高校受験の時、私は休み時間に同じ中学からその高校を受けに来た連中と、手拍子打ちながら、何度も何度も”シーシー・ライダー”を歌っていたのを思い出す。
 何が面白かったのか、ゲラゲラ笑いながら歌っていた、何度も何度も。
 私たちのほぼ全員にとってその高校は滑り止めであり、たとえ受かろうとこんな学校に入ってやるもんか、アホと思われるじゃないか、とバカにし切っていた。
 結果。その場にいた者のほとんどはその高校ではなく、第一志望校に入れたのだが、皆、入った高校の校風に馴染めず落ちこぼれ、非行化するか自閉した。私を含めて。

 やはりロックは悪魔の音楽と思う。よく分らない結論だが。



聖者のラッパに耳を塞いで

2010-01-17 01:33:07 | 音楽雑誌に物申す


 聴いたこともないのに好きになれない音楽、なんて理不尽な扱いの物件が私のうちにある。それはたとえば”ソウルフラワーユニオン”というバンドだったりする。念のためにもう一回言っておくが、私、このバンドの音は一度も聴いたことがない。でも、「嫌だな、聴きたくないな」という気持ちが歴然とあるのは事実だ。
 何でこんなことが起こるのかというと、このバンド、ミュージックマガジンとか、その場所で発言をしている人たちに受けがいい、というか支持を受けているところがあるでしょう?

 で、私がこれまで接して来た、そんな場所での彼らを賞賛する論調というのは、「ソウルフラワーは良いバンドだ。なぜなら彼らの音楽は、これこれこのような理由から、こんなに正しい。それゆえ彼らの音楽は素晴らしいのだ」なんてものばかりだった。というか、そんなものしか読んだ事がない、私は。
 世界の真実を正しくとらえ行動する、正義のために戦うバンド。なんて具合に光り輝く美辞麗句を集めているでしょう、彼ら。

 なんだかなあ・・・と、うんざり気分になってしまうのだ、そんな事を言われると。「音楽の良し悪しは、それが正しいか間違っているかなんてことで決まる筈がない」と考えている私は。音楽を正義のための下働きであるべきだと位置付けかねない論には、嫌悪を抱いてしまうのだ。
 「美しい音楽は、清く正しい心から産み出されねばならない」と思い込んでいた黒人兵の悲劇を描いた五木寛之の「海を見ていたジョニー」なんて小説でも思い出してみようか。

 私はむしろ、「演歌は未組織労働者のインターなのだ」と呟きつつ、自らの作った音楽を良識派の人々から下劣な音楽として葬り去られて行く、同じ五木寛之の小説、「演歌」の登場人物、”演歌の竜”に共感を持つ人間である。
 あるいは、「私の作った演歌という音楽は、日本人が不幸な生活を送っている証しであるのです。私の願いは、日本人が幸福になって、演歌などというものを忘れてしまうことなのです」と作曲家・古賀政男先生が語った事実を胸に刻んで忘れたくないと考えている者だ。

 私はソウルフラワーのメンバーが自分たちの音楽をどのように位置つけているのか、知りません。ただ、上に述べたような論者たちをひきつけるような音楽活動を行い、それら論を自分たちの周りから排除しようとはしていないようだ、と見えはする。言いがかりっスか、これ?

 いつのまに、音楽の良し悪しを「正義か否か」で決めるようになっちゃったんですかね?本来音楽ってただカッコいいから、聴いていて気持ちよいから素敵なんではないですか?
 たとえばあなた、ここに「正しい音楽」とだけ記されたディスクと「正しくない音楽」とだけ記されたディスクとがあったとして、どちらを聴いてみたいですか?私は断然、正しくない音楽を聴くなあ。面白そうだもの。なんか血が騒ぐもの。魂を自由にしてくれそうだもの。

 「いろいろ誤読してください」と言わんばかりの文章を書いてしまったな。まあ、いずれにせよ話はなかなか上手くは伝わりません、覚悟はしてますわ。



流れの中へ帰る時

2010-01-16 05:39:49 | アジア

 ”It's Possible'”by Metawat Sapsanyakorn

 タイのジャズマン、メータワット・サップセーンヤーコン。愛称がテーワン。ともかく進取の気性に富む人物で、これまでにも自身のサックスとタイの民俗楽器との饗宴による、ジャズとタイの民俗音楽との融合など演じて、我々スキモノを楽しませてくれた。
 静かな水面に揺れる蓮の葉みたいな瞑想の最中にある伝統音楽の香気の中を、テーワンの奏でるサックスのジャズィなフレーズが駆け抜けて行く様は、実に鮮烈なタイ音楽再興のイメージを描き出してくれたものである。

 そして今回は、意外にもバイオリンを手に、自国の伝統音楽との対戦、第3ラウンドに挑んで見せてくれた。ともかくも、こんなに達者なバイオリン奏者でもあったというのが、まず驚きなのであるが。
 演じられている音楽も、バイオリンという楽器の持っている特性なのか、テーワンが意識的にそうしているのか、かって自身がサックスを吹いて作り上げたタイ民俗ジャズとは相当に様子が違う。より形から自由になった音楽を演じており、サウンドとしてはむしろロック、いわゆるプログレッシヴ・ロックに近付いている。

 そしてジャズというこだわりから自由になったテーワンは、何だか童心に帰ったみたいな奔放さで、タイの古典大衆音楽と戯れている。遊んでいる、ただ無心に音楽と。
 そのような演奏が繰り返されるうちに、テーワンが巨大なタイ音楽の流れのうちに抱きとめられ、魂の故郷に回帰して行く姿が見えてくる。すべてのこだわりを捨てて、自由な光の中へ。こういうのを解脱と呼ぶのだろうか。何だか神聖な光かなんか差して来ちゃう感じなのである。