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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

古きアジアの岸辺に

2010-03-09 01:48:19 | アジア

 ”WHARN GUNGWARN VOL.1”by KUMWHARN WEERAWAID

 寒いね。この間、春一番って吹いたんじゃなかったっけ。なのに寒いね、もう3月なのに。地球温暖化とかいうのはイカサマだ、というのの、これは証明なのか、その逆の証明なのか。もはやどういう理屈だったか分からなくなってる。

 さっき海辺のコンビニに買い物に行ったついでに、夜の海岸遊歩道を歩いてみた。夏になれば深夜であろうとスケボーやる奴はいる、犬の散歩をする奴はいる、それらを避けて道の端に寄れば、人目を避けて寄り添ってる二人連れにけつまずいてしまう、そんな場所だが、さすがこの季節、この時間に人影はない。
 通りに沿って一直線に夜風は吹き抜け、通りから見下ろすヨットハーバーからはギシギシと繋索の鳴る音が登って来るのみだ。海沿いのホテルのネオンサインは暗い水面に映り込んだまま凍りついている。
 この数日、雨やら寒さやらを言い訳にサボりっぱなしのウォーキングの埋め合わせに歩いてみようとしたのだが、いや、寒くてやっちゃいられないから簡単に中止してしまったのだった。

 こんな季節に聴いてみたくなった南の国タイの音楽があった。ジャンル的にはタイの演歌といわれるルークトゥンというジャンルのもののようだが、とはいえ陽気な大衆歌謡の賑わいとは段違いの、意外な世界が広がっている。
 ともかくしっとりと濡れたような静けさに包まれた、祈りにも似た静謐な歌世界なのだ。と言っても宗教臭さではなく、どちらかといえば過ぎ去ってしまった優しい時代への郷愁に満ちた優しい人肌の静けさなのだ。

 一瞬、ルークトゥンではなくクロンチョンか?とも思ったが伴奏が違うし、音楽の雰囲気がまるで違う。クロンチョンの潮騒のざわめきのような寄せては返すリズムのさざ波はここにはなく、あるのは悠久の時の流れの中で、旅人たちが古道に残して行った足跡一つ一つみたいな遥かなエコーを感じさせる控えめな拍動だけである。
 これは、ルークトゥンの懐メロ集とか、そんなものなのではないか。他国のものとばかりも思えない、こちらの懐にまでもぐりこんでくるような懐かしさは、その曲調に日本の古い歌謡曲なんかにも通ずるニュアンスを潜ませているから、と思える。

 このアルバム、毎度タイ関係では頼りにさせていただいている”ころんさん”のブログで知ったのだが、ころんさんはこのアルバムに”東アジア歌謡の古層”を想定して論じておられた。なかなかに血の騒ぐ展開と思える。とはいえ、それに加担しようにも、こちらはまるでタイ歌謡の知識も持ち合わせない。けど、勝手な空想を広げて楽しむことは勝手だろう。

 絶妙にコントロールされたKUMWHARN WEERAWAID 女史の歌声は、シンと静まり返った水際にポツンと落とした水滴がそっと波紋を広げるように繊細なヴァイブレーションをもって広がって行く。東アジアの民衆文化の流れの淵に沿って。
 目の前に暮れかけた広い空が広がり、その空の下、遠く遠くに懐かしい人がいる。もう会うことも叶わない人なのだけれど、せめて子供の頃に習い覚えたこの歌をあの人のいる方角に向って歌ってみましょう。
 そんな想いの一つ一つを、フルートやアコーディオンやストリングスの柔らかな響きがそっと包み込み・・・東アジアの空は暮れて行くのだ。


 (もの凄く残念なことに、このアルバムの試聴は見つけることが出来なかった。これは絶対、聴いて欲しかったんだけどねえ。
 と言って、何も貼らないのも淋しいんで、大物ルークトゥン歌手のスナーリー・ラーチャシーマーのものなど下に。まあ、上の文章とあんまり関係ないけど、懐かしめのルークトゥンてこんな感じ、という紹介の意味で)



バンジョー弾きのベル・エポック

2010-03-08 00:57:42 | ヨーロッパ

 ”Lucettina”by jean-Marc Andres

 フランス人のバンジョー弾き。おそらくデビュー作であろう前作は、達者過ぎるテクニックのバンジョーのソロでラグタイムを弾きまくった賑やかな一作だった。ただ、あまりにもテクニックに走り過ぎたゆえに、逆に聴いていると単調に感ずる、という演者も聴く側も悩ましい結果に終わっていた。
 が、今作は”ベルエポック・アンサンブル”と称する、バイオリンやアコーディオンなどをメインに配した小楽団をバックに、”引き”の魅力も考慮に入れた懐の深い音楽で勝負に出てくれた。こいつはのんびり酔える。楽しい。

 演ずるは、ノスタルジックであくまでお洒落なオールド・ヨーロピアン・ジャズの世界。”花の巴里”なんて古い言い回しがいかにも似合う。
 当然思い浮かぶジャンゴ・ラインハルトのジプシー・ジャズのエコーも遠く近くに感じられる仕掛けになっている。ジプシー・ジャズかミュゼットか・・・気品あるスイング音楽の世界。

 このようなバンジョー音楽がベル・エポックの巴里で演奏されていたかどうか知らないのだが、あっても何も不思議ではないと思える、見事な振り返り音楽っぷりなのだ、すべてのサウンドが。電気楽器も一つもなし、おそらく各楽器の即興演奏の際に使われるフレーズも、戦前のパリで使われた音使い限定で行なわれているのではないか。ここにSP盤の針音でも入れておけばきっと、2005年の作品とは誰も思わず。
 何もかもがゆっくりと移ろっていた”パリ、あの頃”への憧憬に満ちたノスタルジックなラグタイム・バンジョー一座の一幕ショー。華やかにして切ないです。



ロッキン・ルイジアナ!

2010-03-07 02:13:19 | 北アメリカ


 ”Dis Ain'tcha Momma's Zodico”by Travis Matte

 もしかして今、白人系のロックンロールと言うものが一番健全なありようを示しているのはアメリカはルイジアナ州南西部、ケイジャンの里ではあるまいか、なんて思えてくるのだった、こんなアルバムを聴いてしまうと。

 アルバムの主人公のトラビス・マッテはまだ若い白人の青年であり、ダイアトニックのアコーディオンとボーカルの担当。バンドはほかにベースとドラムと、このザディゴなる音楽でよく使われる、洗濯板をかき鳴らすパーカッション担当者がいるのみ、というシンプルさ。でも言われなきゃそんな小編成でやってるとは感じられない、キビキビとしたロッキン・カントリーを聴かせてくれるのだった。

 演奏されるのは、ルイジアナ州南西部、フランス系アメリカ人居住地域の大衆音楽の定番であるブルース、カントリー、ブギウギにワルツ。
 とにかくこのマッテ君、くっきりとした輪郭の音楽を奏でる人で、自身のアコのプレイもキビキビとしているし、歌声もやや甲高く鼻にかかってはいるが明るい声質で歯切れの良い、いつも湯上りみたいな爽やかな歌声を聴かせてくれる。

 ベース弾き氏がちょっとテクノなノリがある人で、ボコボコボコボコと定規を当てるように四角四面のビートを進行させてゆく。そいつに反応してカチカチと洗濯板がかき鳴らされ景気の良いドラムが弾めば、なんだか”野生のテクノ”みたいなコンパクトにまとまったノリが心地良いのだった。
 ハイライトは、あのキャンド・ヒートのヒット曲、”オン・ザ・ロード・アゲイン”だ。こいつは楽しい。マッテ君はこの曲をノリの良いロックンロールに仕上げてカチカチとシバきあげて行く。

 そうなのだ、なんかカチカチしているのだよなあ、マッテ君のノリは。アコーディオンのフレーズも、ときどきシンセっぽい響きが混じるように思えるのは気のせいか?結構、ウチではそんなの聴いているのかも知れないよ、いや、何の確信もないんだけど。

 という訳で、久しぶりにアメリカ南部の泥んこ遊びを楽しんだヒトトキだったのだ。



すれ違った唄

2010-03-06 05:02:50 | その他の日本の音楽

 この間から”もう飽きてしまった”という曲の記憶が心に蘇り、それが気になってならない。ずっと昔に聞いた曲なのだが、できればもう一度聴いてみたく思う。そこで検索などかけてみたのだが、結果ははかばかしくない。というか、妙だ。
 曲名”もう飽きてしまった”で、長谷川きよしのそのようなタイトルの唄に突き当たるのだが、どうもその曲ではない。記憶の中のその唄と似ているような気もするのだが、何か違う。実にすっきりしない気分だ。
 これはどこかに記憶の食い違いのようなものがあるのだろうと思う。長谷川の曲と、別の曲の記憶とをごちゃ混ぜにしているとか、ややこしい錯誤が。

 この辺のもどかしさでいえば、私が「ふうてんブルース」として記憶している曲もまた、ずいぶん長い事すっきりしない気分にさせてくれている。
 はじまりは私の高校時代に遡る。いろいろ納得できない出来事ばかりのその年代であり、重苦しい懊悩を抱えて、が、何も出来ずにただ深夜、眠れぬままラジオを聴いていたのだが。
 そんな時、ふと流れてきた女のけだるい歌声が、私の心にベタ、と染み付いたのだった。

 ”なんだってどうだっていいじゃないか その日暮らしのフーテンに
  なんで明日など あるものか”

 曲で言えば”東京キッド”みたいな感じのちょっと古め(その時点でも)の歌謡曲調、そして自堕落なタッチの歌詞内容にふさわしく、物憂げな、と言うより投げやりな歌唱が、その時の私の心のありようにフィットし、妙に忘れられない曲となったのだ。
 と言っても、不意に流れてきた歌謡曲の一節であり、上に記した部分しか、メロディも歌詞も覚えていない。かといって、とりあえずロック少年だった当時の私がそんな曲に拘泥して詳しいところを調べようなどとも思わなかったし、調べようにも手段が思いつかない。

 中途半端な気分のまま日々は過ぎた。唄は、この中途半端な断片のまま忘れ去られることもなく、私の心に住み着いた。その後私は、人生においてどうだって良くない形勢になりそうな事件に巻き込まれるたび、心の中でこのフレーズを呟いてきた。現実の、何の助けになるものでもなかったが。

 長い事、この唄のタイトルを”ふうてんブルース”と信じ込んでいた。で、何年か前、昔の歌謡曲の復刻CDにそのタイトルが記されているのを知り、ついにあの曲のフル・ヴァージョンが聴けると、おおいに期待したのであるが、さっそく買い込んだCDから聴こえてきたのはまったく別の曲だった。
 おお。ここに来て、ついに私はあの唄のタイトルさえ不明である事実に直面させられてしまったのだ。などと深刻になるほどの問題でもないのだが。とか言いつつも、私はこの唄の幻影をどうやら一生引きずりかねない形勢であるのだが。

 まあ、どうでもいいんだけどさ。と、こんな場面で口ずさむのが、この唄なのである。
 下に貼ったのは、「この唄あたりが曲調としては近いかなと思える西田佐知子の”東京ブルース”である。似てないかも知れないけど、まあ、どうだっていいじゃないか。



踊り明かそうアラブの夜を

2010-03-05 03:43:08 | イスラム世界

 ”Dabke Wa Dabeeke”

 ある人のブログで話題にされていたりで気になったりもしていたアラブの大衆舞踊音楽、”ダブカ”の盤を聴く機会を得た。

 いま、大衆舞踊音楽とか書いたけどその素性、例によってよく分らない。婚礼の席で出席者によって踊られたりすると言う事なので、まあ日本で言えばナントカ音頭みたいな存在なのかと想像していた。あるいは韓国におけるポンチャク・ミュージックの如く、オッチャンオバハン祝いの席に勢ぞろいで浮かれて踊るおめでたい、まさに祝祭音楽なのかも、などと思っていたのである。

 が、こうして現物を聴いてみると相当にテンション高く、あんまり笑い事の音楽ではない。バシバシと打ち鳴らされる民俗打楽器群に被り、気ぜわしく吹き鳴らされる木管系民俗笛が乾き切った砂漠の風を運ぶ。結構これはハードボイルドな音楽だぜ。

 サビの効いた喉の男女の歌い手により力強く歌い上げられる素朴なアラブのメロディ。近代的なアレンジを施されたアラブポップスをそれなりに聴き慣れた耳には、その質実剛健っぽさが逆に新鮮で、爽やかなかっこ良さを感じたりする。

 華美を排し質朴に徹した民俗色濃い音楽、ということで、ふとカッワーリーなども連想してみたり。もっともこの辺は、まだこのアルバム一枚を聞いただけでどうこう言うのは早過ぎるだろう。とりあえずここは初対面のアラブ音頭、ダブケが予想以上にパワフルでカッコいい音楽だったと、そこまで覚えておくことにしよう。

 下に貼った試聴は、現地のサラリーマンなんだろうか、おっさんたちが一列に並び、ステップを踏む笑える映像で始まるが、他にも赤ちゃんたちのよちよち歩きの映像をダブカのリズムにシンクロさせたりした画像もあり、やはり民衆の暮らしに根ざした音楽の感触が濃厚だ、ダブカ音楽。



踊る鳥人間

2010-03-04 03:09:00 | ヨーロッパ

 ”Klossa Knapitatet”by Samla Mammas Manna

 とりあえず”ワールドミュージック・ファン”として音楽ファン稼業を再出発させた頃、ヨーロッパのロック、とりわけ”プログレ”と呼ばれているものをその視点で捉えなおすとなかなかに面白いものに見えてくると気が付き、シーンを一周遅れくらいで追い始めたのだったが。

 その当時、一番の難物と感じられたのが、このスエーデンのバンド、サムラ・ママス・マンナだった。
 そもそもが、このふざけた響きのバンド名は何だ。いまだに意味が分らないままなのだが。やっている音楽もそれ以上に異様なもので、ともかく油断して聴いていると目まぐるしく入れ替わる変則リズムに乗って、何だか明るいような暗いようなモヤモヤしたメロディがピロピロ駆け回るキーボード等によって奏でられ、訳の分らないうちに演奏は終わっている。
 深刻ぶって難解な演奏をする連中を理解するのは実は易しいものだが、この連中のように愛嬌たっぷりにやられてしまうとどうにも音楽への入り口が分からなくなってくる。

 それでも何度か聴き直しするうちに、彼らの創作物の根幹にあるのは、酷薄に進撃する時代の貌への微苦笑とでも言うべきものであるように思われてきた。風刺と諧謔、という奴だね。
 なにやら薄暗い、と感じられた彼らが多用する旋律は、どうやら彼らの国スエーデンの民謡と、それを取り巻くジプシーやらユダヤ民族の音楽やらを元ネタとしているらしい。そんなルーツ志向の音楽要素を皮肉なユーモア一杯の、なおかつムチャクチャ高度なジャズロックのサウンドで調理して見せたのが、サムラなるバンドの基本姿勢のようだ。

 それにしてもバンドの、この土着志向というのはどこから来ているのだろう?バンド初期の中心人物の一人が、スエーデンの民謡のフィールドでも大きな存在のアコ-ディオン・プレイヤー、”ラーシュ・ホルメル”であった、という事実も大きいのだろうが。
 なんだか彼らの音楽に耳を澄ませていると、スエーデン民族が太古より心の内に抱える祖霊が地の底で目覚め、地を揺がす哄笑を洩らす、なんて幻想も浮んでくるのだが。

 アルバム・タイトルは”打倒、資本主義”なる意味らしいが、もちろん、この連中が本気でそんなメッセージを送るはずもなく、”そんな事を時流に乗り、好んで言って得意になっている連中”に対する皮肉なのだろう。このアルバムの製作された70年代初めには、まだまだ”政治の季節”の火種はくすぶっていた。
 という事で付けられた代わりの日本盤邦題が”踊る鳥人間”と。要するにジャケの奇妙なイラストからイメージを取ったのだろう。日本のバンド、筋肉少女帯の「踊るダメ人間」ってのは、この辺の影響下に作られたのかな?

 こちらとしては70年代に活躍したバンド、と総括済みでいた彼ら、20世紀も終わり近くになって再結成、新作をリリース、しかもその内容も素晴らしいもので、これにはちょっと驚いたものだ。




猫の踊る話

2010-03-03 02:18:07 | ものがたり
 猫は死んでいました。それはもう、どうしようもなく死んでいたのです。何しろ先ほど魚屋の角で車に轢かれた猫の体はすでに死後硬直を起こしていて、猫の横たわっている真冬の夜のコンクリートの道路と、冷たさにおいても硬さにおいても、それほど変わりのない様子になっているのですから。
 自分の体は死んでしまったが、この魂はどこへ行くのだろう、動けぬ体で猫は、そんな事をぼんやり考えていたのですが、いつの間にか一人のニンゲンの紳士がそんな猫を見下ろしていたのです。
 「こいつで試してみようか」
 紳士はボソッとそう呟くと、手に持ったスコップで固くなった猫の死体を乱暴に地面から引き剥がし、袋につめて歩き出しました。

 それから後のことを猫はあまり思い出したくありません。紳士は猫に何本もの注射をし、電極を差し込み、それから何本もの鉄の棒を猫の体に押し込みました。もうとっくに死んでしまっている猫に痛みを感じる能力はありませんでしたが、もしその能力が残っていたらさぞかしひどい苦痛を感じたであろうと思わずにはいられない、それはそんなに乱暴な作業でした。棒の差し込まれた皮膚の穴からは、濁った液がどろりと流れ出しました。
 猫の体に棒を差し終えると紳士は、机の上のパソコンを操作しました。すると差し込まれた鉄の棒が勝手に動き出し、猫の死んだ体はユラユラと立ち上がり、ぎこちない踊りを踊るのでした。とうに死んでしまっている自分が踊りを踊っている。しかも、生きている猫なら絶対にしないような無理のある動きをしながら。それはとても奇妙な気分でしたが、猫にはどうするわけにも行かず、踊り続けるしかないのでした。

 紳士はそんな猫の様子を見つめ、満足げに頷きました。「よし、想像以上に上手く作動している。こいつで行こう」
 紳士は立ち上がり、取り出した携帯でどこかに連絡をとろうとしましたが、そこでふと、スイッチを切られたのでまたも動かないからだとなってしまっている猫に向き直り、こんな風に話しかけました。
 「ほかにいくらでも猫はいるのに、どうして自分がこの役割に選ばれたのか、不思議に思っているだろう?それはお前がとても不幸な猫だからだよ。ノラ猫として生まれ、なんの生きる喜びも感じることなく、車に轢かれて死んでしまった。私の装置をスムーズに作動させるには、そんな不幸に満たされた動物の心が必要なのだよ」
 冷たい目で猫を見下ろしながら紳士はそう言い、部屋を出て行きました。

 翌朝、猫は「スタジオ」という名の場所に連れて行かれ、アヒルとかいう奇妙な鳥と一緒に何度も踊りを踊らされました。猫は、このアヒルという鳥もまた、猫と同じような事情でここにいるのだろうかとぼんやり考えたりもしましたが、アヒルとのコミュニケーションをとる方法が分りませんでした。
 あまり何度も踊ったので、終わり頃には鉄棒を差し込んだ皮膚の穴からまたも濁った液が流れ出したのでした。その液はひどい悪臭を伴うものでしたので、いつも猫は乱暴に消毒液を叩きつけられたのでした。すでに死んでいる猫にとって、それはさほどの苦痛では、もちろんなかったのですが。

 スタジオで撮られたフィルムはCMというものになってテレビで流されたのですが、紳士の目論んだとおりに社会は「猫とガキさえ見せておけば勝手に幸せになるおめでたい連中の集合体」であったらしく、そのCMは好評のようでした。だから次々に続編が作られ、猫はそれなりに忙しい思いもしました。運動量に比例して猫の体内組織は劣化して行くようで、踊るたびに猫の体はグシグシと音を立てて軋み、悪臭のあるにごった液が滲み出ました。

 そんなある日。猫たちとCMで共演している女優が撮影の合間、休憩中の猫を見ながら、こういったのです。
 「最初は死んだ猫の踊りなんてグロテスクとしか思えなかったんだけど、見慣れてしまうと、こんな化け物でも可愛く見えてくるのよね」そう言って彼女は猫の頭を撫でようとしました。
 「あ・・・」
 あの魚屋の曲がり角で車に轢き殺されて以来、冷たい石となっていた猫の心が、その女優の気まぐれな一言に反応して、ポッと熱を持ったのでした。
 スタジオの隅に立っていた紳士はそれを見、「あ、そいつに向ってそんな事を言ってはいけない」とあわてて叫びましたが、遅かったようです。不幸に満たされた心が成り立たせていた猫のゾンビは、たとえひとかけらでも優しさが苦手だったのです。
 猫の体はビクン!と一つ大きく痙攣したかと思うとドロリと溶け崩れ、一瞬にして薄汚れた液体の溜まりとなってしまいました。

 翌日から、不幸な猫を探して街をさすらう紳士の姿がまた見られるようになりました。どういう理屈で動いているのか分らないアヒルは、毎日元気に食事をあさりながら次のパートナーを待ち、猫に優しい言葉をかけた(たいして優しくもなかったのですが)女優は、つまらない痴話喧嘩の際、同棲中の恋人に殴られ、脳内に出血を起こして死んでしまったそうです。

faketrans

2010-03-02 06:00:20 | いわゆる日記

「旅の終わりの停車場に あの子未練の雨が降る。
 ああ渡世人無情 関八州がずぶ濡れさ」

 ”a Rainy Night in Georgia”by Brook Benton


「洒落たつもりの都都逸に オジキの思い出舞う駅よ
 影はヤクザにやつれつつ あてない汽車待つ ああ木曾の秋」

”Desperados Waitin for the Train”by Guy Clark

 ・・・何を訳の分からない事を言っているのだ?ってなものですが、いやあ、先日来、Twitterの片隅で始まっている、”faketrans”なるお遊びの記録です。
 「fake-trans」とはなんなのか?といえば運動(?)の中心人物、音楽評論家の小川真一氏の言葉を引用すれば、「歌詞を適当に訳して(意訳、超訳、創訳も可)格言風に呟いてみる」というもの。
 まあ要するに思いつくままのアホのやり放題であります。私はとりあえず「すべてを演歌にしてしまえ」計画といいますか、上のようなものを発表してみたのですが。
 この種のコントが、やっぱりすべて言い捨ての”呟き”システムでは生きる、ということですかね。



赤道直下のターンターンターン

2010-02-28 00:17:02 | アフリカ

 ”BEND SKIN BEATS”by Tala Andre Marie

 タラ・アンドレ・マリー。アフリカは赤道直下、我が国とは主にサッカー関係で時々変な縁が出来てしまう国、カメルーンのトップ・ミュージシャンである。盲目であるため、時に”カメルーンのスティービー・ワンダー”なる呼び方もされるようだが、アフリカには各国にそうあだ名される人がいるみたいなので、これはあんまり重要な情報ではないのかも知れない。
 彼はともかく、あのジェイムス・ブラウンにデビューアルバムの中の曲をカバーされるという栄光の記録があり、でもなんかそればかり称揚されるとちょっと鼻白む気分もありで、かってLP時代にタラ・アンドレ・マリーの日本盤が出たにもかかわらず私は買っていなくて、その辺、何となくへそを曲げた結果かも知れない。

 そんな次第で、このカメルーンの大スターの音楽を聴くのはこれがはじめてなのだが、確かにこれはいけてる人と言っていいのではないか。あのファンクの帝王JBがカバーしたというから、熱っぽいファンク・サウンドが炸裂しまくるのかと思いきや、むしろかなりクールな響きのある洗練されたファンク・ナンバーが整然と展開されたのである。
 ボーカルもクールというより知的という表現を使いたい落ち着きようであるし、唄、作曲と共に”売り”であるらしいギターのプレイも、渋めのファンキーな展開を示し、これも捨てがたい魅力あり、である。

 この、音の細部までに神経が行き届いた繊細さというのは、アンドレ・マリーの個性なのか、それともカメルーンという国の持ち味なのか、などとぼんやり考えつつ聴いていたのだが、驚きはまだその先に待っていたのだった。

 このアルバムはアンドレ・マリーの初期総集編とも言うべきもので、70年代のデビュー当時のレコーディングから1998年の曲まで、20年以上にわたる彼の活動の軌跡が収められている。その中でも最初期に属する作品が面白いのだ。
 なにしろフォークロック調なのであり、しかもその内にしっかりとアフリカらしさも滲み込ませている。この、赤道直下のクソ暑い国のポップスとも思えない爽やかさには、ちょっと魅せられてしまったのだ。キャリアの始めの頃は彼、こんなフォーク調の曲が好きだったんだなあ。

 そういえば、この記事に添付しようとYou-tubeを漁っていたら、彼がエレキギター一本抱えてミニライブをやっている映像がいくつかあり、そこでの彼はバーズのジム・マッギンも相好を崩すであろう実にジングル・ジャングルなギター(分る人にしか分からない表現だが、すみません、先を急ぎます)をかき鳴らしてもいるのだ。
 ギター・プレイをさらに観察してみると、アフリカン・ポップスを語る際に必ず出てくる”アフロ=キューバン調”ではなく、むしろロックギターがルーツにあるとあからさまに伝わるものがあり、何だかこのカメルーン男にますます親近感を抱いてしまったのだった。

 もう彼はアフリカ調フォークロックはやらないのかなあ?やればいいのになあ。初出時はカメルーンの人々はどんな顔してこのサウンドを受け止めたのか、などと空想は広がる。いやいやまだまだ面白い音楽はあります。




童神?それは違うだろ

2010-02-27 05:19:35 | 奄美の音楽

 奄美の城南海ちゃんの次の新曲が、古謝美佐子が歌っていた”童神”となる事を知った。。なにそれ?今、かなり面白くない気分の私であります。
 なんかドラマの主題歌に使われるらしいが、そんな”沖縄の威を借る奄美”みたいな扱いで南海ちゃんが売れても何も面白くないよ。奄美と沖縄の区別が付かない人も普通にいるからね。

 ”童神”は古謝女史が書いた歌詞にヤマトンチュの作曲家がメロディをつけた、”一見沖縄風ニューミュージック”でしょう?その予定調和的”きれいなメロディ”のうちには出来合いの南国イメージで飼い馴らされたきれい事の沖縄があり、そいつを奄美の南海ちゃんが指でなぞらされるって訳だ。
 そもそも、これまで南島出身の先輩たちがやって来た手垢が付いたような企画の繰り返しを、なんで南海ちゃんがいまさらやらなけりゃならないのだろう?

 めちゃくちゃ白けてます。

 いや、沖縄の唄を取り上げるのはすべて反対とか、そんな事を言うつもりはない。”スローラジオ”なんかで南海ちゃんが三線片手に沖縄の唄をひらりと取り上げ歌ってみせる、あの感じは大好きなんだけどね。奄美~沖縄間をユラユラ浮遊するうちに、ちょっぴり型崩れがし、奄美風にクセの付いた沖縄のメロディは、不思議に聴く者の血を騒がせるものがある。あいつはむしろファンだ、私は。

 ”童神”を歌うってのはそれとは違う。南海ちゃんを出来合いの(しかも沖縄の)観光パンフレットの中に封じ込めることだ。彼女がこれまでやって来た、そして我々が応援して来たそのこととはまるで逆行してみせる事なんだ。
 つまらない、と思う。売れませんように、とファン生命をかけて願っている。