goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ナターリア、氷の中の情熱

2010-03-23 00:35:21 | ヨーロッパ

 ”Сны”by Наталья Власова

 ロシアのシンガー・ソングライター、ナターリア・ヴラーソワの”スヌイ”なるアルバムであります。
 彼女が1998年から2005年にかけて作った曲を集めたアルバムとのことで、もしかしたら、その間に放ったヒット曲を集めたベストアルバムなのかも知れない。
 例によって何にも資料などありはしないのだが。いや、ネットにいくらでもありはするのだが、ロシア語なので当方、読めず。面目ない。

 ジャケ写真など、アメリカあたりのインテリ女性シンガーみたいな雰囲気を漂わせており、いや実際、そんな存在の人なのだろうと想像する。中ジャケの写真などもいかにも知的ないい女として歳を重ねることに成功した大人の女性である。ややアンニュイな空気も漂わせ、ギターなど爪弾きながら自作の唄を歌う。
 もともとはクラシックを学んでいたそうだが、途中でポップスに転向している。とはいえ、その音楽にクラシックの要素はほとんどうかがえず、歌声もクラシカルなものではない。普通の、落ち着いたポップス歌手の声である。

 サウンドは、いかにもロシア・ポップスらしい隙間の多いクールな音空間に、生ギターや電気ピアノの爪弾かれる音が響く簡素なイメージのものだが、これは歌手ナターリアのイメージを生かす方向に作用している。しっとりと落ち着いたバラードで良い味を出す彼女の歌の世界は、なんとなく”凍った薔薇”みたいなイメージがあり、それはクールな音作りによく馴染むのである。

 灰色の空の下、何もかも凍りついた動くもののない荒野。澄んだ氷の塊の中に凍り付いて封じ込められている真紅の薔薇がある。鉱物と化したかに見える薔薇ではあるが、実はその中心に寒気にもめげずに力強く通う一筋の赤い血の流れがある。
 そんな情熱を胸に秘め、北の果て、極寒のペテルブルグの街の石畳の路をカツカツとヒールの音を響かせ、背筋をスッと伸ばして歩み行くロシア女性、ナターリアの息遣いが伝わってくるような物静かだが力強いアルバムなのだ。

 ナターリアの書く、ロシア風の哀感がこもった独特のメロディが、聴く者の心に深い余韻を残す。




夜の向こうの優しいタンゴ

2010-03-22 02:03:10 | 南アメリカ

 " LA VUELTA de ROCHA " by Orquesta JUAN de DIOS FILIBERTO

 ずいぶん前に、気まぐれに聴き始めたタンゴに妙にはまってしまい、以来、時代錯誤のタンゴファンを続けているのだが、きれいな女性歌手のCDジャケ買いにも飽いて、歴史的楽団などを聴き始めて一番驚いたのが、このJUAN de DIOS FILIBERTO氏の作り出すサウンドだった。それまで聴き馴染んでいたタンゴの音や音楽の方向性と、あまりに手触りが違っていたので。
 冒頭、バロック音楽でも始まるのかと思う楽器のソロなどあり、そして柔らかなストリングスの調べに包まれて特徴的なフルートやクラリネットの響きが華麗に踊り、そしてなにより楽団の打ち出すリズムがダンスバンドのものではない。リズムは奥に引っ込み、全体の感触は非常に室内楽的な優雅なものなのだ。

 こちらのタンゴに対するイメージとしては、かっての荒っぽい植民都市ブエノスアイレスの港町ボカに生まれた、都市の悪場所の匂いを引きずった、ベタな歌謡性を背負った扇情的なダンスミュージック、といったものだったのだが、こんなに楚々とした繊細な美しさを誇示する世界も、その一方に存在していたのか。

 記録を見ると、楽団リーダーのフィリベルト氏は1885年、ブエノスアイレスのボカ地区に生まれ、1933年に自身の楽団を持ち活動を開始。作曲家としても、”カニミート”など、タンゴの名曲とされる作品をいくつも残している。そして、自身の音楽の中心に”センチメンタリズム”を置き、それを非常に重要視した、ともある。
 タンゴにおけるセンチメンタリズム追求の究極が、この音楽には珍しいフルートやクラリメットを前面に押し出し、室内楽的アンサンブルを志向した、このようなサウンドとなって行ったのか。

 たとえば悩み事に眠れぬ深夜、ふと付けてみた枕元のラジオから流れ出した、どことも知れぬ遠くのラジオ局から送られてくる、そのかすかに聴こえる美しいメロディに心慰められる、などという物語にはピタリとはまる音楽と思う。こんなにも繊細な優しさを込めて音楽を送り出してくれたフィリベルト氏に、とりあえず地球の裏側から東洋の酔っ払いを代表して杯を捧げておこう。



あっかんべーの旗の下に

2010-03-20 03:36:39 | その他の日本の音楽
 ”あっかんべー橋”by 渡り廊下走り隊

 こんな事を書くのも何なのであるが、今、”渡り廊下走り隊”の「あっかんべー橋」がいい。

 ”渡り廊下走り隊”なんて言ったって知らない人が普通だが、今をときめくあの大人数アイドル集団の”AKB48”の構成員5人によるユニットである。
 といってもその実態は5人の真ん中で歌っているコ、マユユこと渡辺麻友を売り込むのが主目的のグループとも聞いた。まあ、私の歳でこんな余計な事まで知っているのはむしろ恥と言うべきだが、それはともかく。

 その彼女らの新曲というのが「あっかんべー橋」であって、これに妙にはまってしまった当方なのである。楽曲としては、それこそ彼女らが通っている中学校の校庭とかで踊られるような典型的なフォークソング曲の、あっけらかんとしたパロディである。
 この曲、AKB本体の新曲が春定番の”桜”ネタの歌詞を持つ合唱曲というか校歌斉唱のパロディみたいなものなので、その辺からのスピンアウトというか悪乗りとして思いついたのではないか。そんな気がしてならないのだが。

 アコーディオン高らかに鳴り渡るアレンジを聴いているとこちらのワールドミュージック耳は”トラッドっぽい音楽”と受け取ってしまうのだけれど、そこでタイトルの「××橋」の元ネタは知らぬが、恋愛にかかわるたわいない女学生のおまじないの類が歌われているのも興味深い。ヨーロッパの伝承曲もどきに歌詞をつけるにあたって作詞家の心は、原始宗教に連なるようなフォークロア調の発想を呼び起こしてしまったのか。

 ”走り隊”のユニフォームはセーラー服のパロディなのだけれど、そもそも日本の女学生は何でこのような衣服を身に付けることになったのか?なぜ、ヨーロッパの民俗ダンスを我々は体育祭の余興に踊る羽目になったのか?
 この地球上で起こっている、歴史の妙な成り行きに起因する文化的行き違いが”走り隊”のあっけらかんとした歌唱によって、青空の下で笑い飛ばされている。

 もちろん他方ではその行き違いがとんでもない悲劇も引き起こしているんですがね、いや、だからこそ、「もっとやれ、走り隊!」とか声援を送ってみたくなったりするのであります。



ナポリの街角から

2010-03-18 03:36:35 | ヨーロッパ

 ”La Raccolta”by Neri Per Caso

 こいつらは・・・我が国の若い衆もやっておりましょう、”ボイスパーカッション”など駆使しましてですね、楽器をいっさい使わず、重ねた歌声だけで聴かせてしまおう、なんて趣向のアカペラ・コーラス・グループ、イタリア版ですな。これはそんな彼らの1990年代半ばから2002年にかけてのヒット作を集めたベスト盤のようだ。
 ジャケに、何だか日本の劇画みたいなタッチのメンバーの似顔絵があしらわれており、そいつらはでかいアメ車なんかに乗り込み、街行く女の子に声かけている、そんな様子が描かれている。まあ、この絵なんかがグループの個性をよく表していると言っていいんではないでしょうか。頭は軽いけれど気の良い、楽しい街のアンチャンたち、という具合の。

 歌われているのも軽いポップスが多くて、聞き流していると、右の耳から左の耳に抜けていってしまう。でもそこにちょっぴりイタリアの陽光の明るい手触りが残る、そのあたりが良さでしょうか。
 バックに楽器を使わず、コーラスが売りのグループとは言っても、気軽に歌い流している感じで、重層的に入り組んだ脅威のコーラスワークを聴かせてやろうなんてうっとうしいことは考えていない、多分。
 また、このタイプのグループならおそらく黒人のコーラスグループからの影響が事の始まりだったんだろうけど、黒っぽくやろうとか、そんなこだわりもあまり感じられない。それこそ町で出会った女の子の気をちょっと惹いてやろうとか、音楽の真ん中にあるのはそんな下町のネオンサインみたいなチープな輝きだ。

 いや、いいと思うんですよ。それで楽しいって音楽があっていい。いや、洒落や皮肉で言うんじゃなくて、本気でね。そんな気安さの上にイタリア大衆音楽のベタな歌謡性とアメリカ黒人音楽のノリが結びついて、出来上がっているひと時の楽しみ。楽しいじゃないですか。

 などと思って聴いていると、盤の中頃に、ナポリの大物シンガーソングライター、”ピノ・ダニエレ”の曲、”Quando”が取り上げられていて、こいつの処理の仕方なんか結構深いものがあって、こりゃあんまりバカにしたもんでもないな、とかちょっと反省したりして。
 メンバーたちの尊敬するミュージシャンの作った曲だから、なんて裏話でもあるんでしょうか、他の曲よりも陰影にとんだ歌唱を聴かせ、終盤のスキャットによるアドリブの応酬など、相当に聴かせます。
 うん、いいんじゃないの。もし、「ピノ・ダニエレを歌う」なんてアルバムが出たら、必ず買わせてもらう。出ないとは思うが。



我が心草原に

2010-03-17 03:48:24 | アジア
 ”2006愛殺版”by Angela Chang

 いかにもジャケ買いで申し訳ないくらいだ。中華世界でなかなかの人気アイドルらしいアンジェラ嬢ですが、何しろこの、カワイイを通り越してややアクの強いくらいのルックスですからね、どんな子なのか気になってしまい、即購入。
 何でも彼女、あのシルクロードの民、ウイグル族の血を引いているとかで、個性的なルックスはその辺から来ているらしい。
 もっとも、飄々として、かつぶっ飛んでいる感じのその芸風(ステージ風景など見ていると、お笑いコンビ・オセロの松嶋尚美に似た芸風ともとれる)は、民族的出自がどうのこうのというよりは幼い頃から学業のためカナダに住んだ、なんて(家が金持ちでもあったんでしょうね、それは当然)育ちに関係しているに違いない。「欧米かよ?」って奴ですな。

 彼女独特のちょっと粘る感じの歌唱を軽々と当世風ダンスビートに乗せてのアップテンポのナンバーがやっぱり魅力的だし受けているんだと思いますが、それよりも私などが心惹かれてしまうのはその狭間に差し挟まれる切々たるバラードのもの魅力。こいつは結構胸に染みるんだ。中華世界でも本音はその辺が好まれているんじゃないかと睨んでいるんだけどねえ、私は。

 冒頭に収められたバラード、「隱形的翅膀(見えない羽、といった意味らしい)」で、野に咲く花の間を飛び回る虫たちに想いを託し、青春の日々と自然の豊穣への賛歌を歌うこの曲の内に溢れる陽光と感傷に、一発でやられてしまいますな、精神がシンプル構造の私などは。
 この”花々を飛び回る虫”はアルバムの基本イメージになっているらしく、歌詞カードにもミツバチの着ぐるみ(?)などまとった彼女のお茶目な姿などが拝めるのでした。
 この曲、日本の70年代フォークみたいな曲調ですが、台湾では昔から普通に歌われている台湾フォークでありまして、日本から台湾にもたらされたのち、日本ではやらなくなってもかの地ではさらに興隆を続ける、まあ台湾でときおり見かける不思議物件でありますね。

 などと、お洒落なダンスビート曲と切ないバラードの移ろいを楽しんでいたら。
 最後に収められていたのがスコットランド民謡、”アニー・ローリー”の中国語訳であったのには一本とられました。一瞬、目の前に浮ぶ、スコットランドの高地と台湾山地のゴタマゼになった爽やかな、ちょっと不思議な風景。
 このアルバム、やっぱりエレクトリックなアレンジのダンスナンバーの狭間に仕込まれたフォークアルバムなんじゃないかな、その正体は。
 アルバムのそこここから吹き零れてくる緑の息吹に、なにやら青春の日の血のざわめきなど、ふと蘇る春の宵だったりするのでありました。



もう一つの牢獄、もう一つの脱出

2010-03-16 01:56:48 | アフリカ

 ”DAKAR - KINGSTON”by YOUSSOU NDOUR

 なんかユッスー・ンドゥールの新譜ってのが微妙な話題を呼んでいるらしいですな?私はユッスーの、というかセネガルの音楽自体にあんまり興味がないんでまだ聴いていない、というよりこれからも聴くことはないんですが。でも、その話題になりようにはちょっと興味をもった。

 なんかユッスーの新譜はレゲ集なんだそうですね。で、彼の支持者の皆さんの感想としては「なぜ、今レゲ?」という肩透かしを食った戸惑い気味の困惑って感じのようだ。レゲのカヴァーなんかじゃなく、セネガル独特の、ンバラっての?それをきっちり聴かせて欲しかった、とファン諸氏の心には、「アルバムが出たのは嬉しいけれども、めでたさほどほど」みたいな不満がわだかまっているようです。

 そこで私は思い出したことがある。昔、アフリカ生活の長かった人がエッセイか何かに書いていたんだけれど、アフリカで一番一般的に聞かれている"ポピュラー音楽"は実はレゲなんだそうで。リンガラがブラックアフリカを席巻したのなんのと言っても、もうとんでもないド田舎の村に行って、とにかくラジオから聴こえてくるのはレゲだった、なんて。
 つまりはそういうことじゃないのかなあ?

 アフリカのミュージシャンがアーティストとしての野心も何も抜きに無防備で音楽やっちゃうと、レゲになってしまう。ユッスーの新譜を覆っているのは、そんな”ぶっちゃけ現象”の発露というべきものじゃないのか?
 そして、ワールドミュージック・ファンが高い評価を与えている”彼らのルーツ&ポップミュージック”って、実は現地ミュージシャンにとって、すごく無理してやっている不自然な音楽の側面もあるんではないか、なんて気がしてるんですよね。

 もちろん、そうではない、現地の大衆の間から自然に沸き起こってきた台地の調べであったりするのでしょうが、その反面、彼らミュージシャンの心の底に、時に、こんな不満が炸裂する時もありはしませんかねえ?

 いわく。
 「なーにがグリオの伝統だよ。年がら年中、そんな辛気臭い音楽をやっちゃいられねえってんだ。俺はなあ、ストーンズを聴いてミュージシャンに憧れた人間なんだ。今、本当に作ってみたい音楽はボブ・マリーの”ワン・ラブ”なのさ。ンバラ?ああ、やるとフランス人が喜ぶ音楽だろ?」

 私は問題のアルバム、そんな風に静かに静かにユッスーが切れて見せた一発じゃないかと推測してるんですが。

 まあ、一度も聴いた事のないアルバムの事をよくもまあ平気であれこれ言うなあってなものですが、上の文章を普通に読んでいただければ、これはユッスーの新譜の評判を取っ掛かりに、ワールドミュージックに接するにあたって、私が以前より気になっている事を述べてみたもの、とご理解いただけるはずです。



南に飛ぶ想い

2010-03-15 02:41:53 | 南アメリカ

 ”Lugares comunes”by Inti-Illimani

 曇り空の下、プラットホームに楽器を並べて汽車(電車と書くより風情があろう)を待つジャケ写真に、このベテラングループ、インティ・イリマニが背負って来た特異な”旅愁”が忍ばれる。
 1967年結成のチリのベテラン・フォルクローレ・バンド。たまたまヨーロッパ・ツアー中に故国でピノチェト将軍のクーデターが起こり、そのままヨーロッパに留まらざるを得なくなった、”長き旅路”の日々。

 とはいえ、亡命生活を彼らは有意義な研鑽の日々として生かしたのではないか。たとえば冒頭、パーカッション群に支えられてクラリネット、フルート、ヴァイオリンが室内楽的に絡み合う表現の深い美しさには陶然となってしまう。この抑制の効いた美しさなどは・・・
 いや、時の流れは容赦なく、もうオリジナル・メンバーは二人しか残ってはいない。若手へのバトンタッチは進んでいるのだが。

 その若手の一人はキューバから来た黒人であったりし、グループの汎中南米化は進んでいるようだ。演じられる音楽も、南米各地の根の音楽をミクスチュアし洗練させた、知的興奮を誘う奥行きの深いものである。風はアンデスの山中からブラジルのショーロの嘆きを伝え、メキシコの太陽の輝きを歌う。
 不勉強でスペイン語が分らず、彼らが静かな口調で描き出す、南米諸国の民衆の喜怒哀楽を受け止めきれないのが無念なのであるが。

 曇り空の下、異郷の冷たい風に吹かれつつ育んだ豊かな音楽。決して激せぬ抑制した語り口の奥に、母なる南の大地と過酷な運命に不当にも翻弄される人々の面影が過ぎる。ニーノ・ロータに捧げられた最終曲の美しいメロディが妙に後を引く。
 そして音楽が終わり、CDを納めて裏ジャケを見れば、彼らの立ち去った後のからっぽの駅が風に吹かれているばかりである。



燃え残りし我ら、この岸辺で

2010-03-14 02:59:22 | その他の日本の音楽
 ”果てしなき闇の彼方に”by おぼ たけし

 深夜も深夜、午前2時とか3時とか4時とかいう時間帯にテレビがアニメの番組を流し始め、「なんだこりゃ?」と呆れたのも、もはや遠い昔、そんなものはいまや見飽きた日常の光景となってしまった。考えてみれば、「ではアニメの放映が、夜の早い時間帯や昼間なら正常といえるのか?その根拠は?」と問われても応えようがないのであって。

 ひときわ印象に残っているのが、水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」の原型である貸本漫画時代の作品、「墓場鬼太郎」のアニメ化されたもの、なんて代物を何の予備知識もないままに偶然深夜のテレビで見てしまったことだ。
 おそらくはじめからある種の効果を狙って作られていたのだと思うが、アニメというには妙に動きが少なく薄暗い、夜店の幻燈ショーみたいなその映像作品に人の寝静まっている深夜、一人で向かい合っているのは、子供の頃、風邪の熱に浮かされるままに見た悪夢との再会を思わせた。

 そして・・・これは数ヶ月前の話となるのだろうか、その日もブログの原稿打ちながら横目でテレビの画面を見つつ無駄に時間を過ごしていたら、「あしたのジョー2」なるアニメが始まったのだった。時はもう午前4時を廻っていたと記憶している。
 「あしたのジョー」に関して私は、強力に熱中していた連中のすぐ下の世代に属している。リアルタイムでファン化するのも可能だったが、もちろん私があのようなものに反応するはずないね、私は当時、マンガに関しては「ガロ」などのアングラ・マンガを暗い顔で読み耽る出来損ないの文学青年もどきだった。

 で、ちょうどいいや、あれがどんな物語だったのか、遅まきながら確認してやろうとそれなりに気を入れて画面に向き直ったのだが、どうも雰囲気がおかしい。60年代と70年代の狭間という熱に浮かされた時代の空気があまり感じられないのだ。妙に整然と進行するストーリーによる意外なほどのクールな空気感がかもし出す雰囲気は、むしろ先にあげた「墓場鬼太郎」の静けさを連想させる。私の場合、それを見た夜明け近い深夜という条件がますます作品の「しらっちゃけ感」を倍化させた。

 おかしいなと調べてみた結果。タイトルにある「2」がクセモノだったのだ。本作品ともいうべき「1」のほうは1970年から1年間、いわばリアルタイムで製作されたのだが、途中で急進行するストーリーがアニメ製作に追いついてしまい、やむなく途中でアニメは製作中止となったとか。そんな無茶なと思うが、まあ、あの時代はそんな時代だった。
 そして、その先の物語をフォローすべくアニメ「2」が作られたのがおよそ10年後の1980年だった。10年もの時が過ぎれば、血気盛んな若者もそれなりに現実の苦さを知るようになる。なにより、時代の喚起した熱が10年もの歳月を同じ熱さをもって燃え盛るのは不可能だ。

 物語の中に潜んでいた様々な矛盾も「2」においては製作者の手が入り、論理的なストーリー展開が実現されたのだという。しかし、”論理”なんかで受けていた作品だったのか、あれは?
 そもそも1980年に「あしたのジョー」なんて話題になっていたっけ?明らかに時代は変わっているのだから。
 まちがいなく「あしたのジョー」は、1960年代と70年代と言う、まさに世の中が熱に浮かされていたような不思議な時の狭間に燃え盛った奇怪な炎の一形態であった。そいつを、どのような事情があったか知らないが、10年もの時を置いて、しかも論理の矛盾(おそらく、そこにこそ虚実皮膜のドラマの玄妙な間があった)を洗い流してきれいに整地した続編を世に送り出してしまうとは。負け戦は目に見えている。

 しかし、「1」と「2」の、どちらもでチーフ・ディレクターをやっている出統氏(ちなみに私、この名は初対面で、どのような方か、まったく存じ上げません) をはじめ、スタッフたちは、この作品を作らずにはおれなかったのだ。青春残侠伝に片をつけねばいられなかったのだ。真っ白に燃え尽きて、なんてカッコいい終わり方が青春の出口に用意されている事などあるほうが不思議な、カッコつかない人生なのだから。
 などと勝手な当て推量を胸に秘めつつ、いつしか私は深夜の「あしたのジョー2」を楽しみに見るようになっていた。

 「2」のタイトルナンバーである、「果てしなき闇の彼方に」を、オリジナルのおぼたけしの唄と、なぜか後半流れるようになった作詞作曲者である荒木一郎本人歌唱の両ヴァージョン聴きたいがために、「あしたのジョー・サウンドファイル」なるCDまで買い求めた。
 さすが荒木一郎は、”それ”を過ぎたもの、過ぎ去ってしまったものとして、むしろ鎮魂歌といえる形態の曲に仕上げている。曲の形態としてはむしろブルースである。今、私にとっては一杯やったときの最愛好曲である。

 そういえば今度、「ジョー」を実写版で取り直すんだって?やめとけばいいのにねえ。絶対にそれは失敗作になる、それはもう決まっているんだからさ。カッコいい時代はもう、ずっと昔に過ぎていってしまったんだからさ、俺たちを置き去りに。そんな俺たちの見るべき夢は他にある。



音楽の面影

2010-03-13 04:19:39 | 音楽論など

 んごっ。んっんっんっんっ。んごんごんごんごんごんごんごんごっ。ごっごっごっ。んごんごんごんご。ごごごごごごごご。んごんごんごんご。んごっ。んごっ。んごっ。んごっ。

 ぶんたった♪ぶんたった♪へなはれ~ほねへれ~けへねふれへれ~くふめれ~へねへれ~ふへねくれとろ~ふなはれ~ほれるね~へけるくらはほ~~~ほこほねれらえけれそ~ふねへえれそも~~~ぶんたった♪

 ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわぴぽぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。ぴぽ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわしゅ。んなでくわぴぽぴぽ。ぴぽ。




To-Ya、あの頃の唄・・・

2010-03-11 00:10:31 | アジア
 ”First Album”by To-Ya

 今月のミュージック・マガジンの”K-pop特集”など見ながら、えらいことになっちゃったなあ、とか呟いたのであります。隔世の感、というのだろうか。
 だってさあ、この記事を見た若い世代が、かって韓国では日本語の歌はご法度だった時代があるとか、信じられるだろうか。なおかつ、韓国側が日本の唄を禁じたのは、日本のショービジネスに入ってこられると、まだ未発達だった韓国の芸能界がひとたまりもないと恐れたから。と・・・これはそのような説があっただけなのかな?とにかくそんな風に言われていました。
 それが、こんな風に日本の音楽雑誌に、それも理屈っぽいことでは定評のある(?)MM誌で特集が組まれるほどの勢いで、逆に日本に侵攻してきているのだから。

 という訳で、そんな時節にあえて10年前の話を。今はもう解散してしまった韓国の女性コーラス・グループ、”To-Ya”であります。知ってる人がいたら、その反応は「懐かしい」でしょう。アイドルグループではなく女性コーラスと言ったのは、ちょっと大人の雰囲気が売りの彼女らだったから。
 彼女らは、どういう事情があったのか、韓国から日本にやってきて、まず日本でデビューしています。なんか日本のテレビ局が番組内でした企画として、彼女らが呼び寄せられたそうな。
 この辺、歯切れが悪いですが、実は私は全然その動きの実態を知らない。そんな事があったなんて全然知らなかった。何ごとが起こっていたのか、リアルタイムで見届ける事も出来たのになあ。

 ともかく、それが2000年の出来事。その翌年、彼女らは韓国でデビューします。日本でのデビューはあくまで企画の上のお遊びで、こちらが本当のデビューと言うべきなのかもしれません。そしてリリースされたのが、このアルバムです。
 ほぼ10年前のアルバムなんだけど、この時点でもう、韓国R&Bのスタイルって出来上がっていたんじゃないか。”ソウルフル”という事象の韓国風解釈が彼女らの歌声の中にパワフルに突き抜け、バシバシと押し上げてくるボトムのリズムに煽られつつ、力強く躍動している。R&B系アイドル・ポップスとして、今聴いても魅力的な作品と思います。寄せ集めグループゆえ、と言うことなんでしょうか、ソウルっぽいボーカルとアイドルそのものの歌声の交錯するあたりも、奇妙な魅力として聴こえてきます。

 そして、確かに10年前の作品ですね、なんかどこかにのどかな響きが潜んでいる。そいつが何だか妙にいとおしく感じられるんですわ、今となっては。今日の韓国ポップスの、あの刺すような鋭さとは違う、ぬくもりみたいなものがね。
 彼女たちが本国以前になぜか日本でデビューする羽目になった、その詳しい事情を私はいまだに知らずにいるんだけれど、どのみちテレビ番組の悪乗り企画なのでしょう。さらに、グループの活動低迷期にメンバーの一人が日本のレストランでバイトをしていたのにファンの一人が遭遇した話、なんてのも聞きました。
 そんな逸話と、このアルバムの中に流れる人肌の温もり、そして過ぎてしまった時の流れが、なんだかセンチメンタルな思い入れをいつの間にか育んでしまっています。

 現在、メンバーの一人は結婚し、後の二人は別のグループのメンバーとしていまだ活躍中と彼女らの近況を聞いていますが、とりあえず彼女らに幸福なる日々をと祈っておきましょう、月並みですけど。いやあ、ほかになんか気の聞いた結びの言葉がないかと思うんですがねえ、こんな時。