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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

アパラチアの呼び声

2010-04-07 17:06:20 | 北アメリカ

 ”Appalachian Bride”by Stuart Mason

 アメリカ合衆国東部に連なる巨大な山塊、アパラチア。開拓時代、このイギリスと同じくらいの広さを持つ地域に住みついた人々は、時代の経過と共に他地域から孤立し、自給自足の生活と固い信仰と古くよりの伝承文化の中に生きる時期を長きに渡って過ごした。
 この地帯で歌い継がれる民謡のありようは、アメリカ人の心の故郷とでも言うべきものなのだろうか。以前、この場で取り上げたがジョン・セバスティアンの歌う”フェイス・オブ・アパラチア”なんて唄には、遠い昔から姿を変えることなく祖先からの唄を懐に抱きしめて日々を送る山の暮らしへの憧憬が歌いこまれていた。

 そんなジョンの憧れに何となく共鳴してしまう自分の心というのも不思議なもので、何しろ私はアメリカ人でもなんでもない。にもかかわらず、私のはアパラチアの音楽や人と暮らしが懐かしいものと感じられる。帰りたい、と感じる。いたことのない場所に。これはおそらく、幼い頃にウエスタン映画やカウボーイを主人公にしたアメリカ製のテレビドラマを愛好した経験などが、関係してくるのだろうとは思っているが。

 今回のアルバムは、そのアパラチア地方の伝承音楽の正面からの再生を試みたものである。
 普段はフォークグループのメンバーとして活動しているスチュアート・メイソンは、ここではまるで200年前からアパラチア山中に隠棲しているジイサンの如き、枯れきった歌を聴かせている。
 父祖の地、スコットランドへの頌歌、民造酒作り賛歌、敬虔なる信仰の想い。何代にも渡る家族の歴史。スチュアートのしゃがれ声は、過ぎた時を巻き戻すタイムマインのようだ。遠い時代のくすんだモノクロームのフレーズを奏でるマンドリンやバイオリンの響きがそれら唄を縁取る。

 数え切れない伝承を懐に抱いて眠るアパラチアの山々。山懐の古い粗末な家々や、荒い息を吐きながら山頂へ昇る蒸気機関車などの姿を想う。やっぱり私には関係ないのに帰ってみたい場所。その場に降り積もった記憶の集積が、そう思わせるんだろうか。




タンゴ・エレクトリコの閃光

2010-04-06 01:47:45 | 南アメリカ

 ”Buenos Aires Late 2”

 タンゴの本場、アルゼンチンはブエノスアイレスでしばらく前から見られるようになった新しい動き、タンゴ・エレクトロリコ。タンゴの電子音楽化である。
 バシバシと打ち込まれる機械打ちのディスコ・ビート。シンセが空間を埋め、ダブ処理をされたギターのカッティングが脈打つ中を、バンドネオンが昔ながらの港町ボカの哀愁を呟きながら横切って行く。サンプリングされて無表情と化した昔の大歌手の声が、「悲恋・悲恋・悲恋・悲恋・・・・」と、機械的に呟き続ける。そこに、果てしなく続く時の回廊の先の未来都市、ブエノスアイレスの幻が浮ぶ。

 これは本気か、それとも悪いジョークなのか?
 はじめのうちは、その何でもなりの世界に「なんじゃこれは?」と、まあゲテものとしか受け取れなかった私なのだが、時を経るうちに聞き応えある内容の作品も次々に出てきて、そぞろ旧守派の私もこれらの音楽を認めざるを得なくなってきた。
 というか、ぶっちゃけた話がエレクトリック・タンゴの世界の面白さがようやく分ってきて、今まさに夢中になりつつあるといったところだ。

 ここに挙げた盤は、昨年活躍したタンゴ・エレクトリコのバンドの名演を集めたコンピレーション。エレクトリック・タンゴ聴きはじめの者には、その世界の概要が見渡せてなかなかありがたい一枚である。
 名門、ゴタン・プロジェクトによる、タンゴ楽団がテクノの音を真似たような渋い演奏に続き、様々な、これまでタンゴでは使われなかったような管楽器を動員してジャズィに迫るターミナル・タンゴの曲のテーマは、普段は隠れているタンゴの中の黒人性のようだ。3曲目の”ミロンガ・センティメンタル”は、バッハの曲を狂言回しに、タンゴがカリブ海への旅に出てしまう。

 一瞬、スペンサー・デイヴィスグループの”愛しておくれ”かと思うようなイントロのベースラインに驚かされる最終曲まで、手を変え品を変え、まったく飽きさせない奔放さなのだ、とにかく。盛り上がっているんだろうなあ、シーンが。
 様々なリズムの工夫がなされ、自在にパーカッションなども持ち込まれた結果、各演奏はジャンルの壁を乗り越え、人種の境を食い破り、多彩な音楽表現を獲得している。
しかもそれでいて、タンゴの持っている神秘性や感傷はそのまま保持していてくれるのも嬉しい。

 ジャケのニュアンスは、ネット越しに伝わるだろうか?夕日に照らされたブエノスアイレスの港があり、建物群に白い延長線が書き加えられている。この街の未来図の断片が示されている。「こんなもの、どうなるんだか分りゃしねえんだぞ」といわんばかりのそっけなさで。
 この盤のタイトル、あえて誤訳して、「ブエノスアイレス午前2時」とでもしておこうか。ともかくタンゴ・エレクトリコ最高!




ベニンのファンクの80年代

2010-04-03 22:36:36 | アフリカ

 ”LEGENDS OF BENIN ”

 アフリカのローカル・レーベルを発掘&CD化し、他の世界の者には知られることなく燃え盛っていたその地の音楽シーンの動きを顕かにする”アナログ・アフリカ”シリーズから、また凄いのが出た。と言うか、今回も驚かされたのはベニン音源。ベニンって国は、こんなに凄い音楽大国だったの・・・
 一昨年だったか、再発盤のベスト10を選んだ時、やはり”アナログ・アフリカン”シリーズの中から、70年代の西アフリカはベニン=トーゴ方面のアフリカン・ファンクの動きに焦点を当てた”Afrikan scream Contest”なんて強烈な奴を選出したものだったが、今回の盤はその続編とも言うべき、70~80年代ベニンのミュージシャンが残したアフリカン・ファンクの大爆発の様を捉えた一発だ。

 おおらかにやみくもに黒いビートを炸裂させていた”アフリカン・スクリーム・コンテスト”(それにしても、なんたる凄まじいタイトルだろう)から10年の歳月を経、ベニンのファンクは明らかに進化を遂げていた。前作をスライにたとえれば”スタンド!”期であったとすれば今回は、今回のベニンのファンクシーンは明らかに”暴動”期に突入している。
 ただ素朴に熱い爆発を聴かせるばかりでなく、どこかにクールなファンクネスの魂が不敵な面構えで脈打ち、凶悪とさえいえるアフリカン・ファンクを花咲かせている。音楽性の幅もぐんと広がり、レゲ等の要素なども取り入れさらにその世界はパワー・アップ。

 それにしても。今後も”アナログ・アフリカ”にはローカルで燃え盛っていたアフロ・ポップスの発掘を続けて欲しいと願うのではあるが、このベニンのファンク物語はこの先、どのようなストーリー展開を迎えるのだろう?とそちらの方も気になってくるのだ。
 だって今日、ベニンという国は巨大なアフロ・ファンクの提供国であるわけではないのだから。これらの音源を聴けば、そうなっていてもおかしくないのに、どうして?
 いや、かの国がその後に辿った運命などを思えば、何となく先は見えるのだけれど。




”韓流ジャニス”以前のハン・ヨンエ

2010-04-02 14:06:02 | アジア
 ”1ST ALBUM”by Han Young Ae

 なんだか”珍獣ハンター・イモト”みたいなジャケのイラストでありますが。まあ、存在感ありすぎの彼女でありますから、なんでも描き放題って気分もあるんでしょうな。

 ハン・ヨンエ。1955年生まれ。韓国のソウル&ブルース・ボーカルの創始者の一人とでもいうんだろうか。70年代、フォ-クグループの一員として音楽の世界にデビューし、その後、学生街で仲間たちと作ったブルース共同体、伝説の”新村ブルース”の初期メンバーとして活躍、韓国における黒人音楽の土着化(?)に寄与した。おそらくその頃に、あの”韓国のジャニス”なるあだ名も頂戴しているのだろう。

 彼女のその後のソロ・アルバムの一枚を私は、まだ韓国のポピュラー音楽を聴き始めの頃に手に入れている。取り出してみると92年盤。弱ったな、タイトルはただの”ハン・ヨンエ”だ。
 モノクロのジャケ写真に写った彼女は、ジャングルの如く乱れた髪の下に眼光鋭く、まるで民話に出てくる山姥にしか見えなかった。そんな彼女が屈折したファンク・ビートを刻むバックトラックに乗せて、呻くような陰性のシャウトを繰り返すその盤では、すでに彼女なりの韓国風ソウルミュージックの表現は完成されていたと言っていいだろう。
 私は、「うわあ、韓国にも強烈な個性で黒人音楽にトライする女がいるんだなあ」と舌を巻いたものだった。

 これはそんなハン・ヨンエのソロ歌手としては一枚目のソロ・アルバム(85年作)。
 出て来た音の、明るくのどかな表情に驚かされる。黒人音楽に入れ込み始めた時期に吹き込まれたアルバムゆえに身構えていたのだが、飛び出してきたのは爽やかなフォークっぽい歌謡ポップスだったのだ。この頃の彼女はまだ、新村ブルース以前に加わっていたフォークグループで身につけた青春歌謡的音楽性を引きずっていたのだろう。

 ともかくアルバム全体に、「空行く雲を追いかけて」なんて、青春の高揚やら傷心やらの交錯する、ナイーブな日々の記憶がたゆたっている。ハン・ヨンエの声自体は、すでに聴き慣れた超ハスキーボイスとなってはいるんだけれども。
 まだハードな人生が時を刻み始める前の、つかの間の猶予期間か。なにやら眩しい陽だまりの記憶である。

 (さすがにこの時期のハン・ヨンエの画像等は見つからなかったんで、今回は試聴なし)

神々の長い午後

2010-04-01 04:53:26 | イスラム世界
 ”Moorish Music from Mauritania”by Khalifa Ould Eide & Dimi Mint Abba

 そうか、ここまで来てもまだ”アラブ圏”なのかと遥かな気分にさせられてしまう西アフリカはモーリタニア。アラビア語圏の最西端と聞いた。イメージとしても砂漠しか浮ばない。なにかと”地の果て”っぽいイメージで見られるモロッコなどよりもさらに我々にとっては”西の果ての地”なのであって、その生活ぶりなど、まるで遠いものに思える。
 とはいえこの国、かなりの量の海産物を我が国に輸出しているのだそうで、意外なところで近しい国ともいえるようだ。とは、この間、偶然テレビ番組で見て得ただけの知識。

 この盤から聴こえてくる音楽は基本的に”民俗音楽”なのであって、”裏町歌謡曲派”のワールドミュージック好きとしては頻繁に付き合っているタイプの音楽ではないが、そのあまりの迫力に、引きずり込まれるように聴き入ってしまった。なんでもそのスジの人々にはすでに10年以上前に民俗音楽としての”名盤”の評価を得ているアルバムのようだ。

 まずは砂漠の日差しのうちで乾ききったような民俗弦楽器のカシャカシャした音がうねるようなドローン音を伴ったペンタトニックをかき鳴らす。錆びた男の歌声が渡って行く。その上に覆いかぶさるように各種民俗打楽器が打ち鳴らされ、女性コーラスが追いかける。
 まさにハードボイルド。柔な部分がどこにもない。何もかもが厳しい砂漠の自然と強力な太陽の光に晒され、乾ききって無駄はそぎ落とされている。

 使われている音階そのものは日本民謡とかなり近く、時々おやっと思うほど聴き慣れたコブシに近い唸りが聴こえる。ただ、そのメロディのありようにも我々の感性では追いつけない剛直さが滲む。
 乾き切った世界に、ピアノの黒鍵だけを叩き付けて書き上げたようなメロディがうねり、パーカッションが弾け複雑なリズムの交錯を見せる。厳格に律せられた宗教的瞑想の世界。
 何だかこの地上に生き残った古代の神々の音楽を聴くような感触がある。




風は激しく

2010-03-31 04:50:08 | 北アメリカ

 ”Four Strong Winds”by Ian and Sylvia

 月曜日の夕方、買い物に行ったら街のスーパーの生鮮食料品や惣菜売り場の棚がガラガラで「あれ?」とか思ったものだが、店員同志が困惑した様子で「県道の××峠でトラックが立ち往生しているらしい」なんて囁きあっているのを聞いた。へえ、そういうことなのか。
 街の背後に控える山々を越えて県西部からわが町に降りてくる県道があって、どうやらそこで様々な産品を積んだトラックが突然のドカ雪にやられて立ち往生しているらしい。

 こちらは雪なんかちらつきもしない低地(?)に住んでいてそんな事情は知らなかった。わが町にやって来る観光客たちは海沿いの国道を使うから、やはり雪の影響は受けない訳で、街中の連中は何も気が付いていなかったわけだ。
 どうやら知らないうちに我々の街は陸の孤島と化してしまったようだな、などとオーバーな事を考えて面白がってみるのも、今頃雪に埋もれた山中のトラックの運転席に自分がいないからなのだが。

 いい気なもんだよ、私などはほんの何年か前まで、それに近い物資の運搬を仕事にしていて、その苦労は分っているくせに、関係なくなった今はこうして、完全に野次馬席に座ってしまっている。
 暮れ始めた裏山を眺めてみる。特に雪で真っ白、と言う感じでもないのだが、ここからは見えない場所でややこしいことになっているのだろう。この冬の最後の名残りが、あの山の向こうで暴れている。などと思ってみると妙に民話の世界めいた気分になり、そして気が付けば、確かに足元からシンシンと、この何日かは感じたことのない寒気が這い上がってきていた。

 こんな風に寒気吹き荒れる季節に何とはなしに口ずさんでいる、なんて曲があるのであって、たとえばカナダの夫婦デュオ”イアンとシルビア”が60年代にヒットさせた”風は激しく(Four Strong Winds)”なんてのも、その類の唄だ。近年ではニール・ヤングなんかもレコーディングしているから、そちらの方が通りは良いか。
 季節労務者の唄、といってしまっていいのだろうか。恋人を故郷に残して、仕事を求めて北国カナダの厳しい自然の中をさすらう男の独白。どこか芯のあたりにしっとり濡れたものを孕んだメロディで、そのあたりがカナダの感性か。

 永遠の夕暮れ、みたいな幻と現実の狭間を、広大な北の大地に向って一人歩いて行く孤独な男の後姿。その、翳りのあるメロディと”薄明の中を彷徨う”なんてイメージが何か心に残り、とくにイアンとシルビアのファンだったわけでもないのに、そしてそれほどフォークソング好きでもなかったくせに、なぜか心に残っている歌だ。

 何度か述べたが私の通って高校はフォークソングの愛好家がやたら多かったところで、それもピーター・ポール&マリーの信奉者ばかりだった。ロック好きとしてはかなり暮らしにくい日々であり、せめてこの”風は激しく”みたいな曲が話題になればなあ、とか思ったりしたのだが、その頃はもう、連中に何を行っても通じないと分っていた。3年間、馴染めたと思えたことのなかった学校だった。
 だからその年の最初の北風を通学に使っていた電車のホームに立って感じた時など、”風は激しく”のメロディを一人口ずさんでみたりもした。勝手にカナダの放浪者と、何となく仲間はずれになっている自分とを重ね合わせて感傷的になっていたのかも知れない。

 それから、洒落ではすまないような年月が流れ、やっぱり私は夕暮れの暗い山を見上げ、一人で”風は激しく”を口ずさんでいる。まあ、それだけのことだ。こんな風にしてまた一つ季節を乗り越え。そしてまた、春がやって来るのだろう。



非在の風吹く港町

2010-03-29 02:10:05 | その他の日本の音楽

 ”歌声の港”by 泊

 彼らの韜晦癖ゆえ、といっていいんだろうか、何となくすっとぼけた懐メロ演歌再生集団みたいに認識されている感もあるユニット「泊」である。が、実際に音を聴いてみればとんでもない話であって、深く屈折して奥行きの深い表現世界がそこには広がっている。甘く見たら簀巻きにされて港の外れに浮くこととなろう。
 主に聴かれるのは、戦前の我が国における洋楽志向のサウンド作り、それも、「こんなだったらイカスだろうな」と空想された世界である。巧妙に取り入れられた歌いまわしやサウンドによるタンゴやシャンソンがフラグメントとして舞っている。今日に生きる彼らの美意識によって慎重に選ばれたお洒落だけがそこにある。

 が、これを聴いて「懐かしいなあ、あの頃」と振り返っても、そこには風が吹いているだけ。
 ノスタルジイとは、あらかじめ理想化された過去をでっち上げておいて、そいつをあったものとして「あの日に帰りたい」などと言ってみる、ある種のペテンなのだそうだが、では、生まれてもいなかった時と空間に打ち立てた幻想郷への郷愁を歌うのはなんと呼べば良いのか。
 このアルバム、歴史を後ろ廻りに経巡って奇妙な近代史幻想を奏でた加藤和彦の”ヨーロッパ三部作”あたりと同種のファンタジィとして語られるべきなのだろう。サウンドは加藤作品よりずっと地味、歌唱は加藤のものより圧倒的にテクニシャン、という対照を成すので、連想はしにくいかもしれないが。

 古くからマドロス演歌の主人公は歌の文句の中で繰り返して来た。「オイラ、オカで暮らしてみようと思うのだけれど、気が付けばつい、マドロス暮らしに舞い戻っちまう」と。反省文の割には何だかずいぶん嬉しそうに。
 後にするから港は切ない。逆向きの双眼鏡で眺めるうち、いつしか仮の故郷も本物となってしまうだろう。いずれ、行き着ける船路ではないのだから同じことではあるのだが。



ブエノスアイレス、無頼の面影

2010-03-27 03:06:33 | 南アメリカ

 ”EL Cantor de Buenos Aires”by Roberto Goyeneche

 タンゴの歌手などと言うと普通、陰のあるやさ男なんかが、か細い美声でメソメソ悲恋を歌う、なんてイメージになっていると思うのだが、これまで何度も書いてきたようにタンゴは、もともと怪しげな仕事に手を染める輩が徘徊し様々な人種が混交する荒っぽい植民地の都市であったブエノスアイレスの治安の悪い裏町で発達して来た音楽だ。その芯には相当に柄の悪い魂が鎮座ましましている。
 このRoberto Goyenecheなんて歌手などは、そんな”ガラの悪かった頃のタンゴ”の面影を今日に伝えていた人といえるだろう。

 はじめてこの人の唄を聴いた時の衝撃は忘れられない。ドスの効いたガラガラ声で巻き舌のスペイン語を放り出すように叩きつけて来る。その曲がまた、彼の持ち歌の中でも特にメロディの起伏の少ない、語り物の要素の多い曲だったせいもあるのだろうが、それまで一度もタンゴ歌手に感じたことのない迫力だった。たとえて言えばディランの”サブタレニアン・ホームシックブルース”や”ライク・ア・ローリングストーン”をタンゴの世界でやってしまった感じ。

 その男臭い低音のボーカルはヤクザっぽく崩されたメロディの中で、都会の悪場所の持つ危険で、でも抗しがたい魅惑を歌い上げており、人間の厄介な欲望のありようを見事に表現していた。例によって資料を見つけられず彼の育ち等の詳細を私は知らないのだが、1926年の生まれであるこの男はどのようにして、こんな強力な禍々しさとタンゴ独特の陰影が共存する表現力を身に付けたのか。

 あの”芸術タンゴ”のアストル・ピアソラが、裏町のゴミ捨て場を漁り生きている浮浪の幼児をテーマに、人が心に抱えたやましさややりきれなさを歌い上げた”チキリン・デ・バチン”なる楽曲を発表する際、このRoberto Goyenecheを歌手として登用した、と言うのは非常に納得できる話と思う。そのようなヘヴィな現実の中に降りていって、その場に”聖”の火を灯すとしたら、その役はRoberto Goyenecheがうちに秘めた無頼の魂にしか出来ることではない。

 性格俳優かコメディアンみたいな味わいありすぎの顔の下に、それにはあんまり似合わない感じのがっしりした長身が控えている。この男は二枚目なのか三枚目なのか、ほんとは怖い人なのか実はいい人なのか。よく分らないままに男は、皮肉っぽく唇をゆがめて笑いながら、ブエノスアイレスを覆う夜霧の中に姿を消して行くのだった。



スワヒリ・ルンバで燃えた日々

2010-03-26 02:56:21 | アフリカ

 ”SWINGING SWAHILI RUMBA ”by ISSA JUMA & SUPER WANYIKA STARS

 こんな具合に毎日しつこく雨が降り続くならいっそ、カラカラに乾いた音楽を聴いてやろうと、東アフリカで70~80年代に活躍したスワヒリ・ポップスのバンド、Super Wanyikaの出たばかりのベスト盤というかメモリアル盤を取り出してみた。
 期待通り、湿度0パーセントのギターのフレーズがキンカラコンカラ鳴り渡り、これは気持ちが良いや。
 とまあ、これで終わってもいいんだが、それもあんまりでしょ。

 このWANYIKAなるバンドは、タンザニア出身の歌手、ISSA JUMAによって結成されたバンドで、当時、サハラ以南のアフリカ諸国を席巻していたコンゴルンバ、日本で言うところのリンガラ・ポップスの圧倒的影響下に自らのサウンドを編み上げていた。他の多くの東アフリカのローカルバンドと同じく。

 このバンドをはじめて聴いた20年ほど前、「アフリカにおいて、かってイギリスの植民地だった国の音楽はベースラインが面白い」と言った人がいたんだけど、誰だっけ?まったく思い出せないが、あの説にはどの程度、音楽理論上の裏付けがあったのだろう?
 見当も付かないが、とりあえずこのバンドを聴く限りでは確かにベースの動きは面白い。もうやりたい放題にボコボコと跳ね回り、バンド全体をリズムの網に引っかけてとんでもないところに連れて行く。

 そして、アフリカの太陽の下でカラカラに乾燥してしまったみたいな音を奏で絡み合うギターたちやドラムスが跳ね回り、そしてバンドの主人公であるISSA JUMAが艶っぽく男っぽい声で歌いだすと、大地の上を泳ぎ出す巨大な魚、みたいな独特の疾走感をもってバンドは走り出すのだ、アフリカの大地を。

 リンガラ・ポップスの本家であるコンゴのバンドの圧倒的な影響下にありつつ、自国の音楽的伝統を随所に滑り込ませる、そんな動きを東アフリカのいくつかのバンドは見せていたが、彼らWANYIKAもまた、その一つだったと言えるだろう。ISSA JUMAのバンドはケニアでいつかそれなりの人気を博し、現地のレーベルからヒット曲さえ生み出すようになっていった。
 ISSA JUMAが故郷を出でてウガンダやコンゴといった国々での音楽修行を経た後、ケニアの地に腰を据えてバンドマン人生を送ったのは、やはり経済の問題、ようするにギャラが良かったからなんだろうなあ。いや、それがバンドマンの基本ですから、洋の東西を問わず。

 でも、国境を越えてバンドマン稼業を営むについての外国人労働許可証の問題は常にISSA JUMAを悩ませていたようだ。(正式に許可証を取るには、かなりの金が必要だった・・・と、これも20年ほど前、現地に何度も出かけてアフリカ通と称していた友人の話)
 ISSA JUMAは1980年代の終わり頃、この問題により2ヶ月を監獄で過ごす羽目になり、その時に得た病を引きずった挙句、1990年代の始め頃、あっけなくこの世を去る。

 私が目の前にしているISSA JUMAの業績を伝えるこのCDが、彼の死から10年近くも過ぎた今、突然リリースされた理由は分らない。が、とりあえずひと時、東アフリカのローカル・ヒーローだった男の生きた証しがこうして陽の目を見るのは、悪い事ではないだろう。
 それでは、スゥインギン・スワヒリルンバ、Go!

 (この盤に収められている音源はYou-tubeでは見つからなかったので、彼名義のほかのものをとりあえず貼っておく。まあ、サウンドは似たようなものだから、ね)




浅川マキ追悼企画BOXセットの内容に納得ができない。

2010-03-24 01:48:24 | その他の日本の音楽

 なんじゃこれは?と首をかしげたのである。ほかでもない、先ごろ亡くなった浅川マキの、今度発売される追悼企画盤なんだけど。レコード会社が重い腰を上げて10枚組の追悼盤(なのだろう、きっと)を出すと聞いたので、その広告を今ちょっと覗いてみたのだが。
 とりあえず、下にその”10枚組ボックス”のレコード会社による告知をコピペしておいたんでご覧ください。

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 浅川マキの世界 CD10枚組BOX自選作品集【復刻限定生産】
 1990年に発売され、現在入手困難のため復刻の要望がとても強かったアイテムの自選作品集を緊急復刻!

1.浅川マキの世界(1970.9.5)
2.裏窓(1973.11.5)
3.浅川マキライヴ 夜(1978.2.5)
4.ONE(1980.4.5)
5.CAT NAP(1982.10.21)
6.SOME YEARS PARST(1985.2.21)
7.アメリカの夜(1986.3.1)
8.こぼれる黄金の砂-What it be like‐(1987.2.25)
9.UNDERGROUND(1987.12.25)
10.Nothing at all to lose(1988.12.21)

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 どうなんだろうね、この作品選択って。浅川マキファンのあなた、これで納得できますか?私は全然出来ないんだが。
 なにより、レコーディング・アーティストとして彼女がもっとも輝いていたのは70年代である、これは彼女のファンのほとんどが同意してくれると信ずるのだが、この”緊急企画”には、70年代作品が3作しか収められていない。その代りに、ファンの間でも毀誉褒貶のある実験的色合いも濃い80年代の作品が7作も復刻されるという。

 ”Blue Spirit Blues”はどうしたんだ?また、名作と世評も高い”灯ともし頃”を倉庫の隅に眠らせておくというのか?それから、山下洋輔4とくんずほぐれつの死闘を繰り広げた”Maki Ⅵ”もか?それから、それから・・・
 ちょっとこれは信じられない処置であり、担当者のセンスを疑うものである。

 あるいはこのラインナップ、浅川マキ本人の選択になるものなのかもしれないが、だとしたらマキ、あなたはこの選択をした際、自分というものをまるでわかっていなかったと言わざるを得ない。
 晩年、自身が世に送り出した作品の復刻を世人には理解しがたい理由で拒絶していた浅川マキであり、何ごとか意固地になって自分の殻に閉じこもっていた感のある晩年の彼女だった。この選盤も、その意固地の発露の一つと、私には見える。おそらくその頃、入り込んでいた音楽実験の袋小路を正当化するための歪んだセレクトではないのか?

 なあマキよ・・・もう”雲の向こうには何があるか分かった”あなたなのだから、肩の荷物は下ろしてかまわないのではないか。”凄い芸術”なんか、もうどうでもいいよ。そうじゃないか?

 なんだかなあ・・・こんな場所で私が何を言おうと、浅川マキの追悼企画盤はこのラインナップで世に出、そしてその他の作品はおそらく、レコード会社の倉庫の中で資源ゴミかなにかになって行く可能性も大かと思う。哀しいなあ。淋しいなあ。情けないなあ。

 それからレコード会社よ。”在庫がなくなり次第、終了となります”ってどういうことかね?
 売切れたら、またプレスしろよ。また売ろうよ。ずっと売ろうよ。”あの娘がくれたブルース”が、この虚ろな世間を彷徨う限りは、いつまでも売り続けようじゃないか。