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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

街角のタンゴ2010

2010-08-07 05:34:17 | 南アメリカ

 ”Tricota”by Otros Aires

 この頃はタンゴの新しい波と言うか、例のゴタン・プロジェクトとかの活躍もあり、タンゴ・エレクトロの世界にも興味が集まるようになって来たようで。いや、そりゃたがか知れてますよ、そんなものに興味を持つ人なんて、まだまだほんのひと握りだろうけど。
 そんな訳で、これも一時、ゴタン・プロジェクトなんかと一緒に話題にされたエレクトリック・タンゴの注目バンド、Otros Aires の新作であります。

 と、書いたそばからナニですが、ここで聴かれる彼らのサウンドは、売り物だった打ち込みやらサンプリングやらの要素は大きく後ろに退き、かといってもちろん昔ながらのタンゴ表現に帰るはずも無し、なんだか妙に肉体性を感じさせると言いますか、生音も響きも生々しい”街角のタンゴ”の表情をうかがわせるものなのでありました。
 ともかく一番目立つのがロックの出自を隠すことのないワイルドな、というかもしろ”ガサツな”と呼びたいドラムスのプレイなのでした。こいつがガシガシと生々しいリズムをど真ん中で刻み、結構切ない調べを奏でてそれらしい雰囲気に持って行こうとするバンドネオンやピアノの動きを寸断しまくります。そしてこいつもワイルドに街のチンピラの激情をツバを飛ばしつつ語り通すボーカル。

 いずれにせよ、このバンドがデビュー当時に売り物にしていた妖しげなエレクトロニック・ポップ化されたタンゴの退嬰的な響きは後ろに下がり、なんだか”パンク・タンゴ”とでも呼びたいような生々しい”今の街の響き”をこの、今年になって出たばかりの彼らの盤は感じさせるのでした。今後の彼らがこのような方向へ完全に行ってしまうのか、それは私には分かりませんが。
 ここで思い出すのが、あれは8年前のことでしたか、日韓共催のサッカーのワールドカップで、移動の際のバスの中でアルゼンチンの代表選手たちが手拍子を打ち鳴らしながらタンゴの曲を歌っていた、というか喚いていたシーン。私はそれをテレビで見ながら、時代の中に生きる生々しいタンゴの姿を感じ、息を呑んだものでしたが。そういえば、あの時バスの中で演じられていた音楽が、この盤で聴かれる音にやや近いと言えそうな気もします。

 と言う次第で、You-tubeには、まだこの盤の音が上がっていないようなので、せめてその手触りにある程度近い、ライブの音を下に貼っておきます。




天狗面の因縁話?

2010-08-06 05:25:18 | いわゆる日記

 やっと終わった夏祭りだが、じつは私の町の祭りには「祭り内祭り」とでも言うのか、「もう一つの祭り」が挿入(?)されている。それは「厄年の祭り」とでもいうもの。
 その年、厄年を迎える男たちだけが神輿を担ぎ、町を練り歩き、海に神輿ごと突入して厄落としをする、そんな趣旨の祭り。

 で、その市中練り歩きの際、神輿の先導をする形で天狗の扮装をした者が立ち、脇に抱えた升の中の麦コガシの粉を、家々の門口や、うっかり通りかかった不運(?)な観光客なんかにかける。というか粉の固まりを叩きつけて粉だらけにする。
 それをかけられると、その年は無病息災とかいう、まあ、よくあるパタ-ンになっている訳だが。

 ところが・・・「その役を受け持つのは栄誉である」という事になっている、その「天狗」の役には因縁話があって、その役を行った者の親が必ず、祭りの直後に亡くなる、というのである。

 確かに、私がその祭りをやった年も、天狗役だったトビのアオチャンの親父さんは、祭りの3ヵ月後に急死している。そういえば、その前年の天狗役の者の母親も祭りの後、半年と経たずに亡くなっているのだ。
 その他、歴史を逆上って調べてみると、あながち迷信とばかりも言い切れない様な事例がゴロゴロ出てくるのだ。ヤバイなあ、そんな「伝統」は継承しないほうが良いのでは。いや、これをやめると、さらに危険なタタリなどがあるのだろうか?

 これの「科学的根拠」というものを考えてみれば、厄年を迎える男の親たちといえば、やはり、それなりの年齢は重ねているのだから・・・というあたりになるだろう。少なくとも、早稲田大学のオ-ツキ教授はこの説を取るだろう。まあ、実際、そんな所だろうと、私も思う。

 今、厄年の、ではない方の神輿を担ぎ終え、一杯引っかけて上機嫌のトビのアオチャンがやって来たので聞いてみようか。

 お-い、アオチャン!今年の「天狗」の親が急死するかどうかで賭けるってのはどうだい?
 「バカ言ってんじゃねえよ、死ぬに決まってんだろ。賭けるまでもねえよ。昔からの事だからな。そういうもんなんだ」
 だったらお前、なぜ天狗なんかやったんだよ。
 「名誉な事だからじゃねえかよ。一生に一度、なかなかやれねえものなんだぜ。死んだ俺の親父もやったことだしな」

 う-ん・・それならいいのか。いや、よくないか。なんだか分かりません(@@;
 とりあえず、邦楽の横笛演奏などお聴きになり、魂の行方などに心をお寄せください。





遠い日のハワイ歌謡

2010-08-05 04:49:50 | その他の日本の音楽
 日野てる子 - 夏の日の想い出

 先日来、ぼやいているように、ここのところの異常な暑さで文章を書く気にもならない、というかそれ以前に音楽を聴く気にもなれないのであって、こりゃ弱ったものだなあ。
 などとぼやきつつ、何となくYou-tubeを流離っていたら、こんな人が出て来た。そうだなあ、この人も、もう死んじゃったんだなあ。私なんぞの世代は、思春期のトバクチに立って、微妙に切ない思いで聴いたものだ。というか、生活をしていたらふとテレビから流れてきて何となく印象に残った、というのがより正確な言い方だろうけど。

 ついでだから映像を貼ってみる。
 後ろにウクレレを持ったお姉さんが二人いるんだけれど、向って右側のお姉さんは「私はウクレレを持っているだけです」と軽い気持ちでその場にいるのに対して、向って左側のお姉さんは、なんか本気で弾いてるみたいな思い入れでいるんで、笑える。笑えるといえば、途中で”こまどり姉妹”が三味線もって乱入してくるんだけど、あれはどういうギャグだ?これは紅白かなんかの映像なんだろうか?

 昔のハワイアンの人って、こんな感じのマイナー・キィの曲をよく歌っていたけど、あれはどこから来てるんだろう?有名な”南国の夜”とかね。本場のハワイアンに、あんな感じの曲調って、あんまりないと思うんだけど。
 おそらくこれも、大昔にスペインやポルトガルが太平洋に残していった”進出”の爪あとというか、ラテンのメロディの傷痕なんだろうけど。その辺を、昔ながらの自国の歌謡曲と同じマイナー・キィだからって、ああハワイアンってこういうものなんだろうなと勝手に馴染んでしまって、我が日本人はこのような”ハワイアン・ソング”をいくつも作り、好んで歌ったのだよなあ。

 あの頃はまだ、ハワイってのは”夢のハワイ”だったんだよねえ。一生に一回、行けるか行けないか、くらいの場所でさ。まだ日本が歴史の中を徒歩で歩いていた、のどかな時代の遠い記憶の中の歌。。





サルサの裏庭にて

2010-08-04 03:51:44 | 南アメリカ

 ”Return On Wings Of Pleasure”by Pedro Padilla Y Su Conjunto

 もうほんとに毎日クソ暑くてだね、何の音楽を聴いていいのやらも分からず。しょうがないから、今夜は思い切り暑そうな国のCDを引っ張り出した次第。
 カリブ海の、ニューヨーク・サルサの故郷と私なんかはまずそういう認識しかないのだが、プエルトリコ島。そこの白人貧農の心の歌、ヒバロ音楽のアルバムである。フィーチュアされるのは、ヒバロ音楽を象徴するような民俗弦楽器、クアトロ。ボディだけ見るとギターに近いが、マンドリンみたいに複弦の4コースとなっている、中米音楽では、お馴染みの楽器である。この楽器を弾いてもう40年と言う Pedro Padilla 率いる楽団の、1997年度作品である。

 CDが廻り出すと、行きなりカリブ海の小島の土の香りが部屋に満ちる。お洒落な都会の響きなんかかけらも無い。いかにも田舎の、裸の民衆の歌、という感じだ。シンプルなパーカッションとギターの爪弾きに乗せて、クアトロが鄙びた味のソロを取り、歌い手たちのコーラスが始まる。
 クアトロはいかにもラテン音楽らしい華麗なる装飾音を大量に含んだフレーズを歌い上げるのだが、どうしても漂ってしまう貧しい島の哀感。それが胸に迫る。
 入れ替わり立ち代りソロを取る歌い手たちも、やや喉を詰めた発声に、どこか”カリブのブルース”などと呼びたくなってしまう重苦しい情熱が漲る。

 その中でいささか唐突に始まるのが、あの懐かしいライ・クーダーの70年代のライブアルバムで聞き慣れている切ないナンバー、”Volver,Volver”である。あれはメキシコの曲だろうに、なんでここでと思うのだが、カリブ海を囲むスペイン語文化圏というくくりの中で珍しいことではないのかも知れない。それにしても、この曲だけ澄んだ声の、いかにも村一番の二枚目といった歌い手に歌わせているのがいかにも、で楽しい。
 そういえば他にも、あまりにも地味なアレンジなんであんまり印象に残らなかったがメレンゲなんかも、彼ら村の楽団はこのアルバムの中で演奏をしているのだった。

 こんな素朴な音楽を胸の奥に抱いて、この島から大都会ニューヨークへ職を求めて旅立っていった若者たちがいたのだなあ、と思うと万感胸にに迫るものがある。そして出来上がったのが、あのシャープな都会の音楽、ニューヨーク・サルサ、というのが信じられないくらい、ペドロ氏の率いる村の楽団は、素朴な祝祭を繰り広げてくれたのだった。

 (You-tubeには残念ながらPedro Padilla楽団の演奏は見当たらなかったのだが、Pedro の作った曲をマンドリン・プレイヤーが演奏しているものがみつかった。プエルトリコの哀感の雰囲気だけでも、お味わいください)



アルメニアR&B発火!

2010-08-02 03:02:38 | ヨーロッパ

 ”HIMA”by Sirusho

 ともかく連日続くこのクソ暑さ、何の音楽も聴く気にはならない、なんてダレ場状態で、ふとこのアルバムを手にしてしまったのは、「クソ暑さ」→「炎天下の砂漠」→「シルクロードを包んで広がるゴビ砂漠」→「アジア西端の国々のエキゾティックな音楽」なんて連想が働いてしまったのか。西アジアの小国、アルメニアの音楽である。
 なかなかきれいな姉ちゃんがジャケに映っているが、今回ばかりはアルメニアと言う、まだ未知の国への好奇心が勝っている。ジャケ買いではない。そうであっても不思議はないのだが。

 そのきれいな姉ちゃん、このアルメニアの歌手は通名シルショ、本名シルヒ・ハルトゥニャンという。どちらもアルメニアでは高名な芸術家である両親の元に生まれ、10歳にもならぬうちから音楽の才を見せ始め、自作の曲なども発表している。2000年、13歳の時にはもう、アルバムデビューしている。早熟の天才肌の少女なのだろう。
 このアルバムは2007年に発表した3枚目のアルバムである。冒頭、能管みたいな鼻をつまんだような管楽器の音がアラブっぽいメロディを高々と吹き上げる。バンジョー系の鄙びた弦楽器が爪弾かれ、中央アジアの砂漠の風の気配を運んでくる。
 それらをバックに歌い始めるシルショの歌声は非常に今日的な響きがあり、メロディラインの民俗音楽的もっともらしさなどあざ笑うように溌剌と躍動し、するとそれに合わせるように今日風打ち込みのリズムが入って来たりする。

 シルショの発声法やコブシ回しは、完全にR&B歌手のそれであり、節回しも実に黒人っぽいものだ。よほどその方面が好きなのだろう。そして歌われる曲調は、いかにも西アジアの、東と西の文化の激突するあたりに位置する国のものらしい、様々な要素が混交したもの。
 アラブっぽい曲が多いとは言っても、本場中東のそれにくらべて、ずっと淡白な印象がある。その一方、バラードものなどは非常にヨーロッパっぽい洗練されたメロディを持ち、聴いているうちにもう一度、アルメニアという国の位置を地図で検めたくなってくる。8曲目の男性歌手とのデュエットなど、昔のフレンチ・ポップスとしか聞こえないのだ。

 ネットで彼女のことを調べても、”アルメニアン・R&B”などという表現にぶつかるのだ。そんな表現が何も不自然ではない、ソウルフルな歌声を誇るシルショ嬢なのである。おそらく、元々好きだった欧米のR&Bの手法をもってアルメニアの伝統的歌謡に殴り込みをかけた、そんな存在なのだろう、彼女は。そいつがアルメニア民衆にも支持を受けているらしいのは、彼女が若くして、すでにいくつもの音楽賞を獲得している事実が証明している。
 このアルバム、イスラム色濃い西アジア風音楽がシルショという若い才能の血の騒ぎを得て新らしい音楽として脈動を始めた、そんな格好の良さがある、なかなかに血の騒ぐ作品なのだった。
 このアルバムの出来上がりにして、まだ20代前半である彼女であり、今後の活躍を見守りたい、というか見守れるようにアルメニア盤が順調に手に入りますように(つまんない事を言うようだが、ワールドミュージック好きにはいつも付きまとう煩悶なのだよ)

 それにしても、アルメニア文字にはいつ見てもビックリさせられる。アラブ文字とインドの文字との中間を行く、みたいな不思議な造形美がある文字なのだ。もちろん、読めない。発音も分からない。想像もつかない。
 小さな国なのに、独自にこんなものを生み出しているんだなあ。もっともこの国は、紀元301年に世界で初めてキリスト教を国教とした、なんて逸話もあり、歴史ある国なのだ。そういえば、あの”ノアの箱舟”が洪水の後に漂着したのが、この国にあるアララテ山でもあるのだった。




倍音精舎

2010-08-01 04:11:23 | アジア


 と言うわけで。先日書いた次第で義母が亡くなり、線香くさい不祝儀な日々を過ごしていたのだった。まあ、人付き合いのいい加減な私は通常、葬式などはバイクに乗って会場に飛んで行き、とっとと焼香だけ済ませて帰ってくる。所要時間5分とかそんなものなのだが、さすがに義母となるとそうも行かず、久しぶりに通夜から告別式までフルに参加してしまったのだ。
 が、ともかく長い!葬式って長過ぎないか、お立会い?しかもこの、これでもかと言う炎天下。正直言って居眠りしたよ、何度か。しょうがないじゃないか。

 また、考えてみればあの宗派の式にははじめて出たのだが、なんというか盛り上げるような演出になっていないのだな。私の家の菩提寺の葬儀などはやたらと、「はい、お手元の本の何ページを開けてください」とか言って経文を唱和させる、オーディエンス参加型なのだ。しかもその間、鐘や木魚でリズムを打ち出し、かなりの音楽的演出がある。と言うことに今回はじめて気が付いたのだ、義母の家の宗派の葬儀に出席して。

 あちらはともかく坊さんの説教は長いし、それが終わったかと思えば、まあワールドミュージックで使われるような用語を使えば詠唱とかチャントとかいう部類に入るんだろう、リズム無しで御仏の教えとかを歌い上げるのであって、こちらはただかしこまってそれを聴いていなければならない。この炎天下、しかも所要時間も長い。しょうがないだろ、眠くなったってさ。
 無理やり分ければ、私の家の宗派はより音楽的、あちらの宗派は、いわば文学的なのだろう、リズムに乗った経文を僧と一緒に唱えさせて宣撫(なんていってはいかんのだろうが)を謀るのではなく、もっぱら唱え挙げる文章内容そのものによって説教を行なおうとするのだから。

 それでも読経がクライマックスに至ると、音楽的面白さは出てくるのであって。なんて事を書いていていいのかどうか知らんけどさ。ともかく、いつも複数の僧による読経を聴くと感じる、あの不思議な音楽効果は起こってくるのだった。
 作家の五木寛之によると、読経の技術が仏教と共に大陸から伝来した当時、お経と言うものはきれいな4パートに分かれたハーモニーを持っていた。それを動きの少ないモノクロームなメロディ進行に”退化”させてしまうのが日本の文化の傾向のようなのだが。いや、こうして聴いているとハーモニーの代わりになるものはあるではないか。

 それがいつも気になっている、あの倍音効果なのだが。今回の宗派で言えば、なんだかホーミーでも始まりそうな押しつぶした低音で歌いだされ、それに、微妙に音程が異なる他のスたちの読経が重なって行く。そのユニゾンのようでユニゾンでない、微妙な和声の中からフワ~ンとッ揺れ上がる倍音の響きがあるのだ。
 これはたとえば、アフリカ音楽のあるものに当たり前に聴き取れるものであって、大人数のユニゾンコーラスの狭間から、エフェクターでも使って作ったのではないかと思いたくなる玄妙な倍音の響きが満ちてきて、こいつがたまらなく魅力的なのだが、そんな倍音世界が、どの宗派の読経にもある。

 これ、意識してやっているのかなあ?坊さんが修行の際、「倍音を生み出す読経重唱の演習」とか言って、あれの練習をしているとはあんまり考えられないし。何となく、「こうしたほうがカッコいいな」なんて形で認識され、伝承されてきたんだろうか?そもそもあの読経の際の独特の節回し。あれはどのような背景と歴史を持つのだろうか?
 もしかして仏教音楽の世界、突っ込んでみたら面白いのかも?と思ったりするのだが、あまりにも地味そうで、そんなものを楽しめるほどの学者気質ではないしね、こちらも。

 などと言いつつ。盛夏、義母を送る儀式は進行していったのだった。合掌。しかし、暑いねえ。いつもの夏も、こんなに暑かったっけ?う~む。

 下に貼ったのは、この話題と関係あるのか分からないが、仏教音楽である”声明コンサート”の模様など。



激走、シャンガーン・エレクトロ!

2010-07-29 01:48:46 | アフリカ
 ”Shangaan Electro - New Wave Dance Music From South Africa ”

 ああ、ついにアフリカから来た来た来たっ!
 いやぁ、このところずっとアフリカ発の生きの良いサウンドに出会えず、すっきりしない気分が続いていたんだ。で、ネット某所にキンシャサとかで撮られた現地の若い衆によるラップなんかの愚劣な映像がいくつも紹介されているのなんか見つけて、「そうか、アフリカも、世界中を同じ退屈の鉛色に染め替える、あのラップの泥沼にうずもれて腐り果てて行くのか」なんて、すっかり落ち込んでいたんだが。
 いやあ、やはりアフリカは負けない、こんな面白い音楽が芽生えていたんだねえ。

 音楽の名はシャンガーン・エレクトロというらしい。このCDの副題には”南アフリカ発のニュー・ウェーブ・ダンスミュージック”とある。一言で表現すればそういうことになるんだろう。レコーディングは2004年から2009年と言うことで、どうやら現在進行形で南アフリカ・ローカルで燃え盛りつつある最新サウンドの実況報告としてのコンピレーション・アルバムのようだ。

 ジャケにグロテスクなホラー風味の扮装をしたバンドのメンバー(あるいはダンサー)の姿があしらってあるのが象徴的だが、いかにもクールな諧謔趣味が各バンドの演奏を貫いている。(バンドと言っても、ここに収められた演奏がそれぞれ、どの程度独立性を持っているのか、よく分からない。同じ演奏家の手になると思われる音があちこちに出てくるし、実はメンバーがかなり重複する、あるいは、かなりの実力者らしいプロデューサーが全体のサウンドを弄繰り回しているのか。なんか後者のような気がするが)

 音は、乱打されるマリンバの音とチープなキーボードの電子音が絡み合い、民族色あったり無機的だったりのソロやコーラスの歌声と一緒に、やたらとぶっ早い打ち込みのリズムに乗って疾走して行く。ブラックジョークっぽい語りや叫びが随所に挟み込まれ、音楽に含まれる猥雑度をいやがうえにも高める。
 近代テクノロジーと民族性の融合なんて話が始まると、なんか素晴らしい新時代のサウンド誕生、なんて方向に話が行くのがワールドものの定番だが、この場には変な上昇志向なんかかけらもうかがえず、ひたすらお調子者の浮かれた疾走が続く。こいつは韓国のポンチャクなんかの魂の兄弟というべき音楽なのだろう。

 「アフリカに先祖がえりしたアフロ・キューバン音楽の」なんて定番の解説も、「おっさん、意味ない話はやめろよ」と道化師のおどけた哄笑に吹き飛ばされるがオチだろう。南アフリカの伝統音楽の影は濃厚に差しているのだが、休み無く打ち込まれるテクノな乗りの電子音からの突っ込みに絶えず晒され続け、漫才の相方の地位を強いられたままだ。頻出するマリンバの響きも、民俗音楽的というよりは、テクノだったりミニマル・ミュージック的だったりの方向にすっ飛んでいる感じだ。

 なんか意味不明の文章で訳分からないと思うけど、いやあ、音楽自体が訳分からないんだから。それも、素晴らしく素敵にクールにムチャクチャなんだからしょうがないよ。
 さて、この音楽の明日はどっちだ?なんて余計な事は考えずに、思いっきりのアホのポーズで見守らせてもらおう。行け行け、シャンガーン・エレクトロ!



ニューオリンズにいられたら

2010-07-28 03:05:05 | 北アメリカ

 ”I Wish I Was In New Orleans”by Tom Waits

 かねてから入院加療中だった義母(妹が嫁に行った先のお母さん)がいよいよ危ない、この数日だろう、なんて知らせが入ってきたので、冠婚葬祭の苦手な私は×××。そうでなくともこの夏の酷暑に打ちのめされ、かつ、仕事上もあれこれ問題発生で弱っているところだものなあ。そんなこと言うなよ。とは言うものの。
 また、義母のご主人は政界の人だったので、それは亡くなってかなりの歳月が流れているとは言うものの、そのルートがまだ有効だったら普通の葬儀では済まないんではないか。なんていってみても私んちの葬儀でもなし、どうにもならないのだが。

 それにしても結構な暴君だったらしいご主人に尽くして何度も政界に送り届け、家では三人の息子をそれぞれにエリートとして育て上げた義母の目には、私のような人間はどう映っていたのか。ヒッピー崩れの遊行者だものなあ。ほとんど人間の屑と思われていたのではないか。実際、一度も敬意というものをもって見られた記憶がないものなあ。ま、しょうがないんだけどね、それが正当な評価というものだ。
 などと言いつつ。来て欲しいわけでもないその瞬間をただ待つしかないのが残された者の出来ることだったりする。

 しょうがないから夜のウォーキングに出る。しかし今年の夏はなんだ。例年なら日が落ちればそれなりに気温も下がり、快調に歩き出す気分にもなるのだが、今年は深夜にいたってもモワッとした熱気が街を包んで動かない。ウォーキングは今夜も中途半端に終わり、汗を拭き吹き途中にあったコンビニに入り、本の立ち読みにかかる。
 いつも思うのだが、気持ちが落ち込んでいるときにコンビニの片隅のエロ本コーナーにしけこむ際の、物悲しいようななんだか懐かしいような、この暖かく湿った感覚は何だろう。ルーザース・パラダイス”なんてタイトルの曲があってもいいような気がするが。
 トム・ウェイツの”I WISH I WAS IN NEW ORLEANS ”などは、そんなひとときのテーマソングにちょうど良いかも知れない。

 南からのあまやかに匂う夜風が通う、時代から取り残された音楽の都で、昔ながらの酒に酔っていたい。すべてのものの輪郭が夜闇のうちに曖昧になる、そのことの優しさ。懐かしい友、会った事もない友、何百年も昔に死んでしまったはずの友と手を組み、ジャズの音流れる古い通りを大笑いしながら酒瓶片手に闊歩していたい。
 そんな時間の内に、世界などは崩れ去ってしまえばいい。もう辛い浮世などを振り返る必要がないように。この世のすべてが終わりのない祭りで、酷薄な運命を運んでくる夜明けなど、永遠に訪れることなどないように。

 そして来るべき朝。酔いどれて道に横たわる罪人にはそれ相応の報いが必ず用意されており、であるからこそ、罪人はますます深く酔わねばならないのである。



地中海組み立て方

2010-07-27 03:59:04 | ヨーロッパ

 ”CAMPI MAGNETICI”by FRANCO BATTIATO

 ああ、こういうときにはむしろ、この種の難解盤が向いてるのか。なるほどなあ。などと、他人にはどうでもいい事で頷いてしまったのでした。
 なにを隠そう、このところのクソ暑い気候のせいで文章を書く気力もまったく起こらず、文章をまとめる能力も霧散してしまった。というか、肝心の音楽を聴いてみてもさっぱり乗れず、むしろうっとうしいからやめとこうか、といった具合で、まったくの無為の夏を過ごしていた私なのでありますが。
 いやそれにしても夏って、こんなに暑かったっけ、昔から。

 と言うわけでイタリアの怪人音楽家、フランコ・バッティアートであります。この人は以前この場で、シュールレアリズム詩人とのコラボ作など紹介したことがあったんだけど。
 何しろこの人、電子楽器を駆使して前衛的な実験音楽を作ってみたかと思えば、ごく普通のポップスをギター抱えて歌いまくり、かと思えば本格的なオペラをものにしてみたり、頭の中がどうなっているやら見当もつかない、といった大変な人なのであります。今回のこのアルバムだって前衛バレーのための音楽とかで、クラシックの専門レーベルから発売されている。

 とはいえ、収められた音楽は普通にクラシックと納得できるものじゃなくて、電子楽器を駆使したアバンギャルドなダンス・ミュージックとでも言うしかない代物。まあ、ダンス音楽の伴奏として作られたものなのだから、ダンスと一緒に鑑賞しなければ本当のところは分からないかも知れないね、なんて意見もあるかと思うが、いや、そんなことしたらますます訳がわからなくなると思う、私は。変なダンスに決まっているもの、バッティアートなんかを音楽に起用する踊りなんてものは、さ。

 とにかくビシバシと打ち込みのリズムが降り注ぐ冒頭のトランスミュージック(?)から、バッティアートの奔放なイマジネーションの世界が容赦なく展開され、もうこれはついて行ける奴だけついて行くしかないよね。
 シンセの描く奇妙な音像がゆらめく中、お得意のクラシック調というべきか、グレゴリオ聖歌かオペラのアリアかという歌声が天から舞い降りてきて、ソロで、コーラスで、異形の幸福に満たされた別世界の輝きを歌い上げる。
 それだけやりたい放題やっていても普通に聴けてしまうのは、彼の音楽の中に地中海の陽の光をいっぱい浴びた陽性のパワーが漲っているからではないかなあ。光浴びた海辺にいっぱいに広げたキャンバスを相手に自由奔放に絵の具を塗りたくる、そんな開放感に満ちた音楽だから、バッティアートの作品は。

 そして最後に、まるで冗談みたいに置かれた古いシャンソン、”ラ・メール”が朗々と歌い上げられる。ああ、作者自身も念頭に”海”を置いてこの作品を作ったのか。なんだか、照りつける夏の陽光にうんざりした挙句にこの盤を聴きたくなったこと、作者から「正解」とお墨付きをもらったみたいな気分になった。
 あるいはこの作品全体が、子供の心に帰ったバッティアートが夏休みの宿題として描き上げた自由奔放な一枚の絵みたいにも思われ、楽しくなってくるのだった。



”パリ発ワールドミュージック”の効率的な捨て方は

2010-07-26 00:37:21 | 音楽論など
 (king sunny ade:Synchro System )

 前回のまとめと、その後の展開を思う。

 まずまとめとして言えば、他人の文化や他人の立場に、もう少し謙虚に接するべきではないか、ということ。そうすれば、高所から「そんなものを評価するなんて、ブラジル音楽を聴いてないんじゃないの?」なんて発言は出てこないんではないか。
 そしてもう一つ、そもそもあの盤が突きつけている問題は、ブラジル音楽ウンヌンという切り口で解決がつくものなのかどうか?と言うこと。

 たとえばここに、キング・サニー・アデが1983年に発表したアルバム、”シンクロシステム”があります。英国のアイランド・レコードが、所属アーティストだったレゲのボブ・マーリーが急逝した後、次なる「第三世界からのイーロー」として売り出さんと白羽の矢を立てたのがアデでした。
 アフリカはナイジェリアのローカル・ポップス、”ジュジュ”のトップミュージシャンだったサニー・アデが、世界の音楽市場を相手に打って出た記念すべきアルバム(これはアイランドからの2枚目だけれど、インパクトはこちらの方が強かった)なんだけど、これなんかどうでしょう。

 このアルバムを耳にしたとき、多くの人々は”ナイジェリア音楽を知らない人”であったはずです。あの頃、突然に”通”の人が光臨して一言、”シンクロシステム”を「これを評価する人ってナイジェリア音楽を聴いたことのない人だね」と切り捨てたら、どのような作用が起こったのだろう。
 ”シンクロシステム”が”ゲッツ/ジルベルト”と取り巻く状況で一番の違っていたのは、関係者一同が、つまりミュージシャン、プロデューサー、マスコミ、そしてその音楽を受け止めるファンの側まで含め、裏の事情まで知っている上での、”参加者全員確信犯”の”イベント”であったのですね、

 つまり、”シンクロシステム”はナイジェリアで聴かれている本来のジュジュ・ミュージックそのままの音楽ではなかった。西欧のレコード会社が世界市場の大衆の好みを想定し、彼らが受け入れ易いようにあちこち細工した音楽だった。アフリカ音楽の泥臭さを取り除き、一曲の長さも短く刈り込んで。
 振り返ってみればあの当時、ワールドミュージックがそれなりに商売になっていた頃、そんなアルバムが続々と生み出されていたものです。”パリ発ワールドミュージック”なんて言葉もありましたねえ。アラブのポップスをはじめて全世界に紹介して見せたシェブ・ハレドの”クッシェ”とか。パキスタンの宗教音楽カッワーリーの巨匠、ヌスラットなんて人も、聖なるお方にもかかわらず、ロックな音をバックに声を張り上げていた。

 そして時は流れ。その辺のアルバムって聴かれますか、ご同輩。私はもう聴くことはまずないですね。聴こうにも、それらのアルバムのほとんどを、もう手放してしまっている。現地盤を手に入れ、現地で聴かれている音を聴くことの出来る今となっては、それら”世界仕様”盤は、あまり必要のないものになってしまっているから。
(だからと言って、「あんなものをありがたがる奴はアフリカ音楽を知らない奴だよ」とか言うつもりは、もちろんありませんよ、もちろん)

 ところで。そんな私ですが、「ゲッツ/ジルベルト」は、たまに聴きたくなるアルバムです。なんかね、これも前回書いたことですが、なんとなく気になる部分があって、本場のブラジル音楽が聴けるようになったからといって用澄み、でもないんですよね。
 この辺が微妙なところで。さて、私がとうに手放した”パリ発ワールドミュージック”がなんだか気になりだして、慌てて買い戻す日なんてのは来るのでしょうか。なんとも分かりません、来るべき明日のことなど。つーか、今、ここに音を貼るために”シンクロシステム”をYou-tubeで本当に久しぶりに聴き直したら、なんか新鮮で、「これもありかな」なんて思い直している次第で。