”SENTUHAN HARI RAYA”
ハリラヤとはマレーの人々にとってのお盆のようなもの、と聞いた。彼らの信ずる宗教イスラムの重要な季節の行事のようだ。そのなかでももっとも大規模なものは、有名な断食の月ラマダンが明けた日を祝って一族の集まる祭り、ハリラヤブアサなのだそうだが、まあ、こんな付け焼刃の伝聞など書いていても何の説得力もないだろうなあ。
ともかく今回の盤は、そのハリラヤを祝うための音楽を収めたもの。ここにあるような音楽を聴いてイスラムの祭りを寿ぐのだろう。とはいっても、たとえばナイジェリアのフジであるとかパキスタンのカッワーリーのように濃厚なイスラム的個性を持った音楽がハリラヤ用に存在している、というのでもないようだ。
男女の歌手の掛け合いでウィ・アー・ザ・ワールド調に盛り上がるバラードものや、レゲのリズムでホテルカリフォルニアっぽい歌謡ロックのメロディを聴かせたり。その合間にマレーっぽいメロディが差し挟まれたりする。でも基本はアジアっぽくマレーっぽく解釈された今風の世界標準ポップスという感じだ。
やはり世俗音楽と一線を画すのは、どの曲の歌詞にも律儀に”ハリラヤ~♪”の一言が挟み込まれていたり、参加歌手は皆、背筋のきちんと伸びた清潔感のある人たちで、ヤクザな個性を売りにしている気配がないところだろう。
そしてなにより、どの曲にも家族的といっていい優しさや暖かさが込められているのが、この音楽の特徴と言えるんではないか。どこか鼻の奥がツンとしてきそうな懐かしさに包まれて、「俺たちは家族じゃないか」と呼びかけてくるような。そんな音楽。
聴いていて、ふと昔読んだ、”怪傑ハリマオ”のモデルとなった人物の評伝の最後のページなど思い出した。故国である日本と生まれ育ったマレーの地。第2次大戦の真っ只中、その二つの故郷の狭間で翻弄された人生。彼はその人生の最後の時に臨み、マレーの地のイスラムの墓に自ら望んで身を横たえたのだった。
ハリラヤとはマレーの人々にとってのお盆のようなもの、と聞いた。彼らの信ずる宗教イスラムの重要な季節の行事のようだ。そのなかでももっとも大規模なものは、有名な断食の月ラマダンが明けた日を祝って一族の集まる祭り、ハリラヤブアサなのだそうだが、まあ、こんな付け焼刃の伝聞など書いていても何の説得力もないだろうなあ。
ともかく今回の盤は、そのハリラヤを祝うための音楽を収めたもの。ここにあるような音楽を聴いてイスラムの祭りを寿ぐのだろう。とはいっても、たとえばナイジェリアのフジであるとかパキスタンのカッワーリーのように濃厚なイスラム的個性を持った音楽がハリラヤ用に存在している、というのでもないようだ。
男女の歌手の掛け合いでウィ・アー・ザ・ワールド調に盛り上がるバラードものや、レゲのリズムでホテルカリフォルニアっぽい歌謡ロックのメロディを聴かせたり。その合間にマレーっぽいメロディが差し挟まれたりする。でも基本はアジアっぽくマレーっぽく解釈された今風の世界標準ポップスという感じだ。
やはり世俗音楽と一線を画すのは、どの曲の歌詞にも律儀に”ハリラヤ~♪”の一言が挟み込まれていたり、参加歌手は皆、背筋のきちんと伸びた清潔感のある人たちで、ヤクザな個性を売りにしている気配がないところだろう。
そしてなにより、どの曲にも家族的といっていい優しさや暖かさが込められているのが、この音楽の特徴と言えるんではないか。どこか鼻の奥がツンとしてきそうな懐かしさに包まれて、「俺たちは家族じゃないか」と呼びかけてくるような。そんな音楽。
聴いていて、ふと昔読んだ、”怪傑ハリマオ”のモデルとなった人物の評伝の最後のページなど思い出した。故国である日本と生まれ育ったマレーの地。第2次大戦の真っ只中、その二つの故郷の狭間で翻弄された人生。彼はその人生の最後の時に臨み、マレーの地のイスラムの墓に自ら望んで身を横たえたのだった。