goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ツイッターで最近呟いたこと・残暑

2010-09-15 21:15:03 | つぶやき
民主党の代表選について何事か述べている奴って、実は全員、自民党の支持者だよね。まあ、みんなもとうに気が付いているでしょうけどwww
posted at 23:09:01

缶コーヒーの”ジョージア”のテレビCMにモーニング娘のOGたちが出ていると言うんだけど、時代劇の衣装を着ているのと個人のアップ画面のなさゆえに、いくら目を凝らせど誰が出ているのやらまったく分からない。無意味な企画だよなあ。
posted at 22:06:13

谷啓の訃報を伝えているはずなのに、植木等の歌ばかり流すニュース番組。
posted at 22:55:16

それならいっそ、「経典も信仰もそれを信ずる人々の心の中にあり、焚書などで奪えるものはなにもない」と。 RT @r----- 電子書籍版のコーランや聖書、仏典が入ったiPadやキンドルを持ちよって「焚書などで我々の信仰は揺らぐことはなく、教典はこのように永遠に不滅」と宣言
posted at 05:54:22

私の町では今、市長選挙中でもあるわけです。今度の日曜が投票日。通りかかった選挙カーに、「おい、小沢一郎!頑張れ!」とか「菅、負けるなよ!」とか声かけてからかってやるんだが、たいした反応がない。ギャグで返せよなあ。
posted at 21:30:27

この件でいつも疑問に思うこと。南部の人々には”北部の奴等に何が分かる!”といった反発はないのだろうか?ということ。南部人は”オールド・ディキシィ・ダウン”を素直に聴けたのだろうか? RT @t----- 米国北部の作詞家や作曲家が、米国南部についての曲を作っていた、
posted at 22:01:23

♪コンドーム付けたら沁みたっけ 秋の最初の青空を 突き刺すみたいにツンと来た 惚れたあの子で抜いた日を 思い出させる あ~あゴムの匂いの一人旅♪ RT @s----- 「性病に罹った男性が着けると染みるコンドーム」なんてのがあるの?
posted at 01:07:5

しかもそいつが延々と売れ残ってしまったりする・・・ RT @s----- 世界で500枚限定発売と言われてたCDが、輸入盤屋さんの店頭にあった。
posted at 00:34:10

洒落言うとる場合か、という・・・ちなみに私はアラバマ・ジュビリーというと、宵々山コンサートにおけるドン佐野氏の、関西弁の英語(?)による歌唱を思い出してしまう。 RT @t------- オイルを避けた魚介類がアラバマ州モービル湾でジュビリー(祝祭)を形成しているそうな。
posted at 22:42:23

mixiニュース2題。なんだか分からねーが、私は朋ちゃんを支持しておこうと思う→☆はるな愛、85キロ完走し号泣(ORICON STYLE - 08月29日)☆華原朋美さん、意識もうろう…病院に搬送(読売新聞 - 08月29日)
posted at 21:59:12

ヴァレンシア発黄泉の国紀行

2010-09-14 04:25:55 | ヨーロッパ
 ”Cor De Porc”by L'ham De Foc

 スペインはヴァレンシア出身のトラッドバンド、L'ham De Focが2005年に出した3rdアルバム。ここのヴォーカルのアマンダ女史のソロ・アルバムは以前ここで取り上げたことがあります。

 まずジャケ。なにやら漆黒の闇の中で演奏していたバンドに、入り口のドアでも開け放たれたのか、眩しい光が差している。あるいは、一条の光しか差さない路地ででも演奏をしていた?設定はよく分からないものの、不思議なインパクトのあるジャケです。フリオ・キリコの描く抽象画など思い起こさせます。
 差し入る光は何となく夕日のそれみたいな粘り気を感じさせ、そしてバンドのメンバーが立つ地面も、荒く乾いた地肌を持つもので、すべてが重苦しい気配を帯びています。ジャケのうちに収められた音楽の業の深さを予告するみたい。実は、このジャケが気になってこの盤をジャケ買いしちゃったんですがね。

 バンドの音楽は、一聴、全曲由緒ある伝承曲かと思ったのですが、ほとんどメンバーのオリジナル曲のようで。ともかく濃厚な土着性を感じさせる歌と演奏です。
 使われている楽器はブズーキやハーディガーディといったヨーロッパの古楽の響きを伝えるものから、ウードやカヴァルといったオリエント世界の楽器まで。と言うより、地中海の伝承音楽の世界を一回りしてかき集めてきたような多種多様なもの。

 奏でられる音楽自体も、汎地中海サウンドと言うんでしょうか、スペインより発して南イタリアやバルカン方面、挙句は小アジアにまで達する、広大な曼荼羅を描きます。呪術的ニュアンスさえ感じさせながら地を這い炸裂する複合リズムと、絡み合うエキゾティックな旋律たち。
 各民族楽器を見事に使いこなした精緻な音の細密細工に乗って、アマンダ女史の深い深い地霊を呼び起こすみたいなディープな歌声が吹き上がって来る。
 濃いですねえ。子供の頃、風邪で高熱に浮かされ、吹き抜ける夜風を聞きながら、こんな音楽が鳴り渡る夢を見た記憶があります。

 気になったのが、ジャケや歌詞カードに描かれているハープを抱えた豚の絵。こいつにはどんな意味があるのでしょう。ヨーロッパ、およびその周辺では豚という動物は、宗教的にもいろいろわけあり、の存在であるんですからね。
 アルバムのタイトルも”豚の心”という意味のようだし。調べてもよく分からない、いや、まるで分からなかったんだけど、気になります。なにやら悲しげな表情を浮かべ、パープに頬寄せる豚の表情など見ていると、ね。

 それにしても、体調悪い時に聴いたりすると消化不良起こしてしまうような、深くて濃い音楽であります。



逃げ出す者の時間

2010-09-13 03:13:15 | アンビエント、その他

 ”Les Esprits de la Nature”by Daniel Perret & Crista Galli

 スイスの音楽療法士とフランスのスピリチュアル・アンビニエント・ミュージックのユニットの共演による、癒しの音楽・・・なんか、胡散臭いですか?
 いや、面目ないですが、この編の音楽にこの頃、妙にはまってしまって。ことに今夏の延々と続いて終わらない猛暑にはやられましたからねえ。終わりなき熱の世界に疲れきった体と心は、多少、うそ臭くてもいい、この世ならぬ世界からやってくる安らぎが欲しいのでありました。
 というか、この妖しげな世界にそれと知りつつ身をゆだねてみる甘美なる背徳の喜びに目覚めてしまった、とでも言うべきなのかも知れません。

 ライナーなど読みますと、音楽療法士のダニエル・ペレ氏はケルティック・ハープのプレイヤーであり、共演のアンビニエント・ユニットのクリスタ・ガリもまた、ケルト音楽の影響下に音楽を作っているとかで、そのあたりを共通項にこの共演が成されているのでしょう。と言っても、音楽の要素としての”ケルト”はあまり感じられない。むしろ観念としての”ケルト神秘主義”みたいなものが演奏のキイとなっているようです。ますますうさんくさいですが。
 小鳥の鳴き声なんかも聴こえてくる、静けさに満ちた世界で、たおやかにパープが爪弾かれ、尺八みたいな笛が奏され、ガムランで使うみたいな音律打楽器がしめやかに打ち鳴らされます。ときおり、女性のきれいなソプラノの歌声が通り過ぎます。
 別の時間と空間に浮ぶこの世界では時は流れを止めているとの証明でしょうか、どんなリズムも刻まれることなく、すべてカデンツァ状態でユラユラと音像は立ち現れては消えて行きます。この音楽の流れの内だけに存在する非在の楽園の響き。

 嘘、嘘。こんな世界はないし、こんな音楽も存在しません、本来は。でも、ちょっと現実に疲れた時、こんな世界に退避して、幻想の海辺のホテルの幻想の部屋で幻想のシーツに包まって遠い海鳴りを聴きながら惰眠を貪る夢くらい見たっていいじゃないか、などと思ってみるわけですよ。



シャボン玉、ソウルの空に

2010-09-11 03:45:13 | アジア
 ”Devote one's love”by SHOO

 先日も書いたことだけど、我が国で韓国の女子アイドルグループの人気に火がつき始めている、しかも日本において彼女らを支持しているのは、主に女の子たちである、なんておまけまで付いた意外な展開になって、何がどうなるやら分からんなあ、などと感慨にふける私である。
 そんなある日、ふと気になり手にしたアルバムがこれである。現在、韓国の女子アイドルグループの最前線に位置して活躍しているグループ、”少女時代”や”カラ”たちの大先輩と言うことになろうか、その種のアイドルグループとしての行き方を韓国において切り開いた大先輩グループ、”SES”のメンバーだった”SHOO”の、これはソロアルバムである。

 今、なにやら分かった風の事を書いた私だが、実はこのSESが現役で活躍していた時代は、韓国の音楽にはまだ興味を持っておらず、リアルタイムで聴けていない。後に振り返って資料的に彼女らの存在を知っただけであり、SESの音楽に親しいわけでもなんでもないのだ。
 それなのにこんな分かったような文章を書き出したのは・・・ただただ先日、このアルバムの存在を知り、ジャケを手にした際に心に生まれた切なさや懐かしさや暖かさ、みたいなものが入り混じった不思議な感情が膨れ上がり、こんな文章でも書かねば始末がつきそうになくなったからだ。

 まずこのアルバム、大人気だったはずのアイドルグループ、SESから独立したSHOOのソロアルバムなのであるが、なんとグループ解散後、8年目に出たアルバムなんだそうである。何でそんな時間がかかったのだろう?彼女、一時的に引退でもしていたんだろうか?
 今だにその事情は知らないのだが、なんかあんまり幸運じゃないのかもしれない彼女の生涯、なんてものを勝手に想像してしまった私なのである。ついでに言えば、写真など見る限り、メンバー中、一番のんびりしていて人の良さそうな顔立ちのSHOOである。

 そして、ジャケ写真である。裏ジャケ、高層ビルに囲まれた空き地でシャボン玉遊びに興ずる彼女の姿がある。頭上には冬の青空が広がっている。・・・服装から想像するに季節は冬だよね?
 寒風の吹き抜ける青空の下に大地は広がり、数え切れないくらいの多彩な人生がそこでは送られているのだろう。そんな青空の下でSHOOが吹き上げるシャボン玉は、まるで儚く、大気の中を渡って行く。彼女の人生にも、様々な事があった筈だ。何とか皆、この人生をやりくりしつつ生きている。シャボン玉の輝きみたいにちっぽけな夢や希望をよすがにして。
 なんて事を考えてしまって、胸がいっぱいになってしまったのだ。(そういう次第で、上には慣例を破ってこのCDの裏ジャケのほうを貼ってある)

 そんな思いで聴けば、流行りのR&Bっぽい作りの曲調ながら、なんとも柔らかな手触りの彼女の歌声は、いろいろな辛苦を舐めて来た人特有の、すべてを優しく包み込むような暖かさに満ちている、なんて感じられるのだった。
 いや。あのね。上に書いた事、私の勝手な思い込みで、すべて見当違いかも知れないんですがね。そんな風に感じられ、聴こえてしまったものは、もうしょうがないじゃないかと居直りつつ。



タンゴ・エレクトリカの成熟

2010-09-10 04:20:26 | 南アメリカ

 ”Lima Nueva”by Narco Tango

 タンゴ・エレクトリカ。エレクトリック・ポップ化されたタンゴというわけで、はじめて接した頃は(考えてみれば、もうずいぶんな昔のことだ)いかにもゲテモノ、ひとときの仇花で消え去ってしまうに決まっている、などと外角低めに見送っていたのだが、いつの間にかそれなりに表現を深め、簡単にバカには出来ない勢力として、その存在を主張しはじめている。
 と言うわけで、そんなタンゴ・エレクトリカ勢力の大物、ナルコタンゴの新作。先に述べたようにタンゴ・エレクトリカの連中もキャリアを重ねるごとに表現を深め、独自の世界を主張しはじめているのだが、ここのところの彼らの新譜にはやや戸惑いを感じさせられないでもない。なんだかちょっと芸術として高尚になり過ぎてはいませんか?という意味において。

 登場時の、打ち込みのリズムが無機的に時を刻み、その上を昔ながらの哀感を呟きながらバンドネオンが漂う。呟くように読み上げられる一節の詩。などという、ある種山っ気の溢れたインチキ臭いタンゴ・エレクトリカを、どうやら私は愛していた、と言えるようだ。ひとときの仇花ではないか、などと怪しみながら、そのインチキ臭い見せ物っぽさに溢れる人間臭さを、多分私は愛していた。
 だからこうして、彼らが”それなりの巨匠”として芸術性とか深めてちゃんとしたミュージシャン然としたアルバムなどリリースされてしまうと、これは凄いなと感心しつつも、何だか話が違うぞ、なんてとまどいをも感じているのも事実なのだった。

 このアルバムでも、もはや電子のピコピコ音は聴こえない。代わりに目立つのは早弾きのジャズィーなフレーズをまき散らすギターやピアノ、タイトなリズムを打ち出すドラムやベース、昔ながらのタンゴの郷愁を胸に秘めつつ、新時代の都会の夜をリードする(?)乾いた感傷をまき散らすバンドネオン。
 そこにはジャズやロックの影響も受けつつ、それを見事に自分の音楽へと昇華させた、渋いオトナの音楽としての”タンゴの新しい地平”が広がっている。ことにアルバムの後半部分、バンドの表現がどんどん深まっていって、名演奏の連発となるあたり、もう何も言うことはありません、なのである。それはそうだ。

 やっと登場した電子音が濃厚な都市の迷宮を描く中を、何ごとかを求めて手探りで歩き出すバンドネオンの独白が印象的なオープニングから、各楽器がソロを受け渡しながらどんどん意識の底へ突き進んで行くような最終曲の繰り広げた闇は、ちょっと忘れがたいものがある。
 うん、それもいい、それもいいんだけど、次回作ではまた電子楽器炸裂の怪しげなタンゴ・エレクトリカも聴かせてほしいなあと、小さな声でリクエストする私なのであった。




韓国美少女ディスコ演歌近況

2010-09-09 04:37:39 | アジア
 ”The Rebirth”by 금비(Geumbi)

 アーティスト名のハングル文字は、これで”クムビ”と読むらしい。そういえば私は、韓国美少女ディスコ演歌路線、なんて代物に入れあげていたんだった、と今これを聴きながら思い出したのだった。
 韓国では、アイドル歌手で通用しそうな可愛い女子をド演歌の歌い手としてデビューさせているようで、しかもそのサウンドが身もフタもないディスコ・サウンド仕立てである。そのパチパチ弾けるリズムの感触と、意外に高い歌唱力を誇る少女たちのコブシコロコロの歌唱の熱さが、奇妙にヒリヒリする切実さをもって聴く者に迫ってくるようで、もの凄く惹かれるものを感じていたのである。

 それを私は勝手に美少女ディスコ演歌路線などと名付けて面白がっていたのだが、そのようなムーブメントが当時、韓国本国に起こっていたのかどうか、いまだ分からない。とりあえず、その路線に入りそうなアルバムを見つけては買い込んで来たのだが、そこは気まぐれなワールドもののファンである。その方面以外にも気を引かれるサウンドが見つかり、そのあたりに夢中になっているうち、美少女たちのディスコ演歌の世界をうっかり忘れていたのであった。

 で、このアルバムだが。
 いつかこの場でも取り上げたことのあるが、韓国演歌をヒップホップの要素を取り入れて、と言っても全然お洒落じゃないんだが、とにかく独特のコミカルなノリでディスコ演歌を聴かせて、韓国演歌界に唯一無二の世界を築いていた”タートルマン”なる男女三人組のユニットがあった。面白いアルバムを連発していたのだが、2年前だったか、中心人物だったボーカルの男が急死してしまった。(巨漢だったからなあ。心臓やられたと想像している)それで、そのままあっけなくユニットも解散となったようで。
 そのタートルマンで歌っていた女の子二人組みの片割れがこの子、クムビである。オヤブンの死後、健気にもこうしてソロデビューしてきたんで、さっそく聴いてやろうとCDを回転させた途端、あ、これは一時凝っていた美少女ディスコ演歌サウンドじゃないかと思い出した次第。そうだよなあ、忘れていたけど、俺はこの音、好きだったんじゃないか。

 もともと、藤本美貴が調子悪い時、みたいなルックスのクムビちゃんだったのであるが、その歌声もルックスに恥じない清純路線であった。”若い清純な女の子に無理やりえげつないド演歌を歌わせてしまう”という、美少女ディスコ演歌特有の嬉し恥ずかしさ感覚は自ずから溢れ、すっかり嬉しくなってしまったのだ。
 思えばあの頃から時は流れ、韓国の女子アイドルグループが我が国でも大人気、なんて昔では考えられない状況が生まれてさえいる。しかも、その女子アイドルを支持しているのが、我が国では同じ女の子たちであるなんて、事は意外な方向へ進行しているようだ。

 まあ、この美少女ディスコ演歌のピリピリ人の心を炒り立てる唐辛子のような韓国裏町の演歌魂は、我が国の若い女の子たちにまさか受けはしまいが、とりあえず私は一人、ここで支持の札を上げているんでガンガン行って欲しいと、役にも立たないエールを送っておく。
 それにしても下に貼った映像、ミキティというよりはむしろスザンヌみたいに映っていて笑えるね。



言論弾圧コメディアワー

2010-09-08 03:46:03 | 時事

 先日、アフガニスタンで日本人ジャーナリストが現地の武装勢力に拘束され、5ヶ月ぶりに解放される、なんて事件がありました。正確な事の次第は、下にFNNのニュースを引用させていただきますんでご覧になってください。

 ~~~~~
アフガニスタンで取材中に武装勢力に拘束され、およそ5カ月ぶりの9月4日に解放され、帰国した常岡浩介さんが記者会見し、事件が地方のイスラム武装勢力による犯行であることをあらためて強調した。
常岡さんは、「今回の事件はタリバンが行ったのではなく、地方軍閥、それも腐敗した人たちが中央の統制を離れて暴走して行ったと認識している」と述べ、犯行グループについては、地方のイスラム武装勢力「ヒズミイスラム」による犯行だとして、タリバンによる犯行であるとしているアフガニスタン政府とは異なる見解を強調した。(FNN )
 ~~~~~

 まあ、無事で何より、だったんですが、解放直後に、またもツイッターの世界でこの件に関する面妖な噂話が持ち上がりました。非常に滑稽な実例なんで、ツイッターで見つけた人々の呟きをここにすべてコピペでご紹介したい気分なんです、が著作権と言うものがある以上、そうも行くまい。

 とりあえず噂の概要を書きますと、この件の真相を外務省が隠そうとしている、との説が出てきたのです。常岡さんが、「犯行を行なったのはタリバンではなくアフガンの地方軍閥である」と話しているのが気に入らないらしい、とのこと。日本政府はあくまで犯行はタリバンが行なったこととしておきたいのである、と。
 まず外務省から報道関係者に、「常岡さんをメディアに出さない様に」との通達があったとの噂が流れた。また、常岡さんが現地の日本大使館員から「拘束したのはタリバンだと言え」と強要された、との噂も。そして、「そういえば、解放直後の常岡さんにはテレビ局からの出演依頼が相次いでいたらしいのに、ある時を期して急にその話はなくなったようだ」との”内部情報”も。

 だけどねえ。そんな噂をツイッターで囁き合っているその頃には、特に先鋭的でもない大新聞の記事として、あるいはテレビのニュース番組で、「常岡さんは犯行がタリバンによるものではないと語った」なんて流されちゃってるのに、いまさら外務省は何を隠せるの?実際、常岡さんは、口止めなどされていないとのこと。
 それから、出演依頼がなくなって行ったのは、今回の解放劇に日本中があまり関心を持たなかったから、視聴率が優先のテレビ局が引いちゃった、それだけの話じゃないの?
 いや、そもそも国は何を画策して、犯行を行なったのがタリバンであるとしたがった訳? この事件に怒った日本国民の中からタリバンへの怒りがホウハイとして巻き起こり、国民全員の総意として憲法第9条の廃棄が行なわれ、自衛隊は正々堂々軍隊の名を名乗りアフガニスタンに遠征、正義のためにタリバン掃討作戦を炎のように繰り広げる、なんてことでも考えたって言うわけ?

 もともとは常岡さんの、「犯行を行なったのはタリバンではない」って主張が捻じ曲げられたりせずに報道されるだろうか?って懸念から生まれた妄想なんだろうけどさ。
 そりゃ、「国家の陰謀にツイッターをもって立ち向かう、正義の電脳戦士」としてあれこれ書き込んでいる間は楽しかったろうけど、あなた方はその間、たとえば関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」なんて根も葉もない噂を流して大変な悲劇を生んだ、あのヒトビトと同種のヤカラだったんだからね。その事実、深く深く噛み締めて欲しいぞ。




インダストリアルロック・フロム・キンシャサ

2010-09-06 03:11:54 | アフリカ

 ”Assume Crash Position”by Konono No 1

 あのキンシャサの騒音王、コノノNo1の新譜である。彼らの「アフリカからのダイナマイトが150トン」とでも仇名したいような禍々しくも騒々しくも美しいデビューアルバムがリリースされた時、私は「こんなバンドを待っていた!」と狂喜して、私版年間ベストアルバムの第1位に選出したりもしたものだった。なんかあれからずいぶん長い時が流れたように思える。
 さて今回は。私的見解によると、ということになるのだが、より彼らの音に”テクノ度”が増した気がする。まあ、はじめから”人力テクノ”なんていわれていた連中なのであるが、その要素、より濃厚になった。

 まず、バンドの主役である親指ピアノの音色が、よりクリアーになった。初登場時の、歪みまくりザラザラと”障り”の音を振りまきつつ鳴り響いていた、あの特徴ある親指ピアノの音とはずいぶん違った印象となり、ピンポンホンコンと、カラーボールが跳ね回るような陽気なイメージを振りまいている。
 こいつがまず、今回のアルバムの”テクノっぽさ”を演出する。全体の音作りも大分風通しが良くなり、各楽器同士のフォーメーション・プレーも明確に見通せる事となり、そこで結構クールな彼らの音構造に、「こりゃテクノだなあ」と舌を巻く、という次第だ。

 親指ピアノがピキポコと跳ね回り、同じフレーズ、あるいはそのバリエーションの執拗な繰り返しを奏でて、次第にリズムは熱くなって行く。アフリカ音楽では定番の進行だが、バックで鳴っているギターはお洒落な音色で結構クールなフレーズを奏でていたりする。たびたび登場する親指ピアノとパーカッション群の絡み合いなども、熱狂的なようでいて実は冷徹な構成美の支配する世界だ。
 大作、”コノノ・ワワワ”の後半、各楽器が延々とフリーキーなフレーズで鳴き交し合う部分など、事情を知らない奴にそこだけ聴かせたらテクノバンドによるシンセの演奏と普通に信ずるんじゃないのか。まさか工事現場から拾ってきた廃材で作った楽器の集合体とは気が付くめえ。

 これは彼らの心変わりというより、アフリカ音楽が元々そのような要素を秘めていて、そいつが新しいアルバム作りの課程で表に出て来た、と考えるべきだろう。ふとスライの曲に”アフリカが君に語りかける”なんてのがあったよなあ、なんて関係あるようなないような事を思ってみたりして。なんかゾクゾクするなあ。こいつはいいよ。
 なにしろさあ、この自動車部品の林立する表ジャケや中ジャケの写真、考えてみれば相当にインダストリアルな代物だ。こうなったらヨーロピアン・ロック好きな連中に、むしろ薦めたく思う。いや、ほんとに。



オタクの出て来た日

2010-09-04 02:38:57 | 北アメリカ

 ”On The Road Again ”by Canned Heat

 さっきネットの書き込みで、キャンドヒートのメンバーだったアル・ウィルソンの、昨日が命日だったと知った。命日ったって、もう何年経つというんだ。奴が急死したのは1960年代の終わりの話だぜ。とはいえ、とりあえずは彼のファンだった者としては何か書いておこうかなどと気まぐれを、今、おこしたところだ。
 起こしたはいいが、ロック史の片隅に、ほんの数歩、足跡を残しただけの彼について、書くこともあまりないのだが。

 彼の属していたキャンド・ヒートというバンドは、ギター&ハーモニカ奏者だったアルとバンドのボーカルだった巨漢のボブ・ハイト、この二人のブルース・マニアが中心になって1960年代半ばにアメリカ西海岸で結成されたものだった。相当に地味なブルースバンドだった彼らだが、当時の”新しいロック”の波にうまく乗ることが出来、何曲かのヒット曲も生まれた。
 それらヒット曲のうち、”オン・ザ・ロード・アゲイン”と”ゴーイン・アップ・ザ・カントリー”の2曲で、独特のスモーキーなボーカルを取っていたのが、アルだった。この不思議なボーカルの存在感と言うか違和感が、間違いなくこれらの曲のヒットの要因だった筈だ。

 で、私はアルの裏声のようなそうでもないような妙な歌声が、品質の悪いSP盤から聴こえてくる、戦前のブルース歌手の歌声の響きを真似ているのだろうなと気が付き、そんな遊びを音楽に紛れ込ませるアルのセンスに大いに好感を持ったのだった。だってそんなの、ブルース表現どうこう以前の、宴会芸の次元のネタじゃないのか。
 一方で「黒人以外にもブルースは歌えるのか?」なんて生真面目な論争さえ行なわれていた時代である。あのすっとぼけたボーカルをレコード化してしまい、その上ヒットまでさせてしまったアルの行為は、とてつもなく痛快に感じられたのだ。

 そうこうするうち、アルの歌う”ゴーイン・アップ・ザ・カントリー”は映画”ウッドストック”の準テーマソングみたいな扱いとなり、かなりの頻度でラジオからも流れ始めた。こいつは面白い事になってきた、と思った翌日には物語は終わりを迎える。アルはパーティに招かれた友人宅で、死因不明の遺体となって発見されるのだ。お定まりのドラッグとの関連も取りざたされたのだが、いまだ死因は不明のままではないのか。
 当時、ジャニス・ジョプリンなどロック界の大物の死が相次いだ時期だったので、「こんな時に死んだって目立たないよなあ」とか余計な事を思ったりしたものだ。
 その後、アルの死を境にバンド自体の人気も次第に頭打ちになり、人々の記憶から徐々に消えて行く事となる。

 まあ、話としてはこれで終わりなのだが、ここで注目したいのはアルの外見である。ロック・ミュージシャンにはありえないようなポックリとした肉付きの体に、脂っぽい肌がヌラリと光る。中途半端な長髪の下には極度の近視のせいなのかも知れないが、何かに取り付かれたような視線を放つ焦点の合わない目があり、愛用しているカントリーっぽい柄のシャツの腹はグッとメタボに張り出している。
 相棒のボブ・ハイトも相当のデブであったのだが、ボブくらいになると「悪役レスラーかと思ったら歌手なのかよ」とのギャグが成立しうる、つまり、”キャラが立っている”肥満体だったのだが、アルの体型はどうも中途半端だ。なんというか、「こいつ、人前に出てきていいのか?」と心配になるような生臭い存在感が、アル・ウィルソンの外見にはある。

 まあ、なんのことはない、そんな彼に大きな紙袋とか持たせて、流行りのAKB48とかのライブに通わせてみればいい。あるいはただ単にパソコンの前に座らせて”2ちゃんねる”にでも繋がせるだけでいい。めちゃくちゃはまるのではあるまいか。
 私は思う。アルって、人前に昂然と姿を現した最初のオタクだったのではないか。戦前ブルースのSP盤を収集し、自らも真似事の演奏を行なう暗いブルース・オタクだった彼が、”ロックの革命の時代”のドサクサに紛れて、”ロックスター”として日のあたる場所に放流されてしまった。そんな間の悪さみたいなものをジットリ放つアルの負のオーラにご注目を、と言っておきたい。いまさら遅いが。

 そのことと彼の変死とはまさか関係はあるまいけれども。いや、あのアル独特の違和感がたとえば10年後、20年後にはどのように変化して行ったかちょっと見たかったなあ、などと野次馬はいつも無責任な事を言うのである。




東方の海を目指して

2010-09-03 05:51:04 | ヨーロッパ

 ”Spezie Live”by INDACO

 イタリアのプログレッシヴ・ロックのバンドの中で、もっともイタリアらしい香気に溢れているといわれる、歴史ある大御所バンド”バンコ”のギタリストがバンドの別働隊(?)として始めたユニットの確か3枚目のアルバムである。
 ライブとなっているが、バンドのメンバーがテクニックあり過ぎで演奏に破綻部分がまったく無いゆえ、スタジオ盤と何も違った印象がない。これでは立派な演奏が出来ることがめでたいのかそうでもないのか、よく分からなくなってくる。と言うのもおかしな話だが。

 演奏は、打ち出されるタイトなリズムに乗り、ブズーキのような伝統楽器とシンセサイザーの響きが交錯する、過去からの伝承と未来の混交する独自の世界を提示してみせる。古い地中海のリズムに揺られながら、バイオリンや、アラブの民族楽器サントゥールの音を模したキーボードが、神秘なオリエントのメロディを辿ってみせる。錆びたボーカルがメリスマの効いた海の神への祈りを詠い上げる。
 ある外国の通販サイトでこのバンドの事を”プログレ・フォーク”なるジャンル訳をしていて笑ってしまったのだが、”民族プログレ”と言う言い方が、確かに妥当かもしれない。

 古い南イタリアの民謡のメロディなど飛び出しつつ、キビキビと演奏は続く。イスラミックと言うのか東地中海各地の伝承音楽の面影が飛び交い、全体の印象は”航海”である。古代の貿易船に乗って地中海を行き来した船乗りたちの物語。沈みかけた夕日を目指して波を切って行く巨大な帆船の壮大な旅の面影。そんなものが音の向こうに浮かび上がる。潮の香漂う幻想が

 などと、遠い彼方の時間と空間のロマンに酔い痴れつつ、暑過ぎ、長過ぎる夏に疲れた体を、エアコンの前にへたり込ませている我が身、というのもなかなかに情けないのであるが。

(このライブの音源はyou-tubeにはないみたいなので、ちょっと時代は違うが最近のものなど貼ります)