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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

40年目のスワブリック

2010-12-07 00:08:37 | ヨーロッパ

 ”Raison D'etre”by Dave Swarbrick

 デイブ・スワブリックといえばイギリスのエレクトリック・トラッドの開祖、フェアポート・コンベンションの看板バイオリン弾きとして、いまさら説明の必要もない。
 60年代末、それまでトラッド歌手のマーティン・カーシーとコンビを組んで渋い英国民謡を演奏していたスワブリックが、トラッドの世界に旅立とうとしていたフェアポート・コンベンションから、アルバム”アンハーフブリッキング”製作のためのセッションに招かれた時のエピソードが面白い。

 「異種音楽とのセッションだって?それも相手がジャズバンドならまだしも、ロックバンドとは!”俺を誰だと思ってるんだ」と困惑をあらわにしつつ出かけて行ったスワブリックがその夜、相棒のカーシーにかけてきた電話は、「おい、信じられるかい!最高のセッションだったんだ」との内容だった。この話は大好きだ。

 そして、一日だけの付き合いのはずがスワブリックは、以後十年余の長きに渡ってフェアポート・コンベンションなる”ロックバンド”の看板スターとして活躍することとなる。
 フェアポートを抜けた後のスワブリックは自身のバンドを率いてみたり、フェアポート時代の同僚、サイモン・ニコルとデュオを組み、あるいは旧友マーティン・カーシーとのコンビを復活させたりと、それなりの活躍をしていたのだが、いつの間にか名前を聞く機会もなくなっていた。
 そういえばこの頃スワブリックの音沙汰がないな、と思い始めた90年代、かっての仲間が”スワブ・エイド”なる基金を組み、「苦境にあるスワブリックを救おう」などと呼びかけるようになる。

 何事かと思えば、スワブリックは重い肺気腫に侵され、明日をも知れぬ健康状態だったのだった。思い起こせばフェアポート時代、咥え煙草でバイオリンを奏でるスワブリックの勇姿は、まさにバンドの看板スターにふさわしいかっこよさだったのだが、その影で彼の肺はボロボロとなっていた。
 スワブ・エイドが立ち上がった頃スワブリックは、酸素吸入器が離せぬ車椅子暮らしで、ひとたび風邪でもひこうものならそれだけで命取りとなるような状態にあったようだ。一時はそんなところまで行ってしまったスワブリックだったのだ。

 その後、思い切って受けてみた肺の移植手術が成功し、どうにか社会生活に復帰できるようになったとの知らせが、「意外にも」なんてニュアンスもないではなくもたらされたのは、何年後だったろうか。
 ネット越しで届けられた、吸入器もなしに歩き語り、そしてバイオリンを奏でるスワブリックの映像は、まさに”地獄から生還を果たした者”のそれで、ひどく年齢を重ねた感じのその姿に、かってのひょうきん者のバイオリン弾きの面影を探すのは難しかった。

 そんなスワブリックから届けられたアルバム、これは彼の復活宣言・・・と言っていいのだろうか。
 ともかく聴いてみると、「ああ、ずいぶん音が細く硬くなってしまったなあ」と感じないでもなかった。が、そのバイオリンの節回しのクセは、昔と変わらぬスワブリックのそれである。トラッド曲あり自作曲あり。ダンス曲で弾み、メロディアスな曲で泣かせ。気ままにメロディをまさぐり、自身の世界を編み上げて行くスワブリックに、「まあ、生きてりゃいいじゃん」と頷いてみせたい気分になっていた。うん、ずいぶん長い付き合いだよなあ。

 スワブリックはすべての曲に自筆の解説文を寄せているのだが、最終曲、18世紀のアイルランドのハープ祭りに関する話が妙に心に残った。
 10人のアイリッシュ・ハープ弾き。そのうち6人が盲目で、皆、70歳を越えている。最高齢者は97歳。そこに音楽の記録のため、18歳のオルガン弾きの少年が呼ばれていた。
 そして今日、スワブリックは時空を越え、それらハープ弾きの音楽を我がものとする事が出来た・・・

 手術後のスワブリックを貼るところだろうけど、これがスワブリック初対面という人もおられるだろうし、スワブリックとフェアポートが一番生き生きとしていた1970年頃の映像を貼る。と言うか私も、久しぶりに若い彼らを見たくなった。



草原の残照

2010-12-06 00:37:36 | 南アメリカ

 ”Verano Porteno 1967”by Orquesta Anibal Troilo

 タンゴの巨人、アニバル・トロイロの楽団結成40周年記念のコンサートが豪華ゲストたちを招いて開かれた年、録音されたアルバムの。まあ、40周年記念盤と言うことでしょう。
 この時点で御大トロイロは自分の楽団をもう持っていなかったという。このアルバムでは編曲のスコアも書いていないし、演奏面でもバンドネオン合奏では音を出しておらず、ソロ部分でだけ、チョコッと弾いているだけだそうな。
 つまりはもうトロイロ御大は功成り名を遂げてのハーフ・リタイヤ状態にあった、という解釈でいいんではなかろうか?もう、めんどくさいことは”若い者”に任せ、カッコいいところだけ登場して見栄だけ切って去って行く、という余裕の境地。

 とはいえ、編曲も演奏も御大トリロの意思に叶うように”若い者”たちは当然、全力を傾けるだろうから、ここで聴ける音はつまり、タンゴの巨人トロイロの巨大な影と考えられる。タンゴの歴史に巨大な足跡を残したトロイロの影が夕日を受けて長く長く地上に落ちている。そいつを追いかけて後を追う連中が懸命にその輪郭をトレースしまくったのが、このアルバムで聴かれるサウンドなのである。
 時に映画音楽みたいな広がりを見せるスケールのでかいストリングスがバンドネオンの拍動を包み込み、流れて行く。なんともゴージャスな、そして切ない響きであり、この黄金の雲に巻かれて天上を飛ぶみたいな感触は、巨匠の栄光を讃える音楽の天使の羽音かと思える。

 いやあ、あんまりでかい声でいえないんだけど・・・トロイロ名義で出ているアルバム(そりゃ、何枚も聴いちゃいないけれど)の中で、実は私、このアルバムが一番好きなんだ、心地良く聴けるとおもうんだ・・・なんて言ったら「タンゴが何も分かっておらん!」と叱られちゃうだろう(なにしろトロイロが何もやっていないに等しいこのアルバムである)けど、私にとってはそうなんだから、これは仕方がないね。
 それにしても、どんな気分のものなんだろうね、人生において成功を収めるってのは。

 残念ながらこのアルバムの音はYou-Tubeには上がっていなかった。まあ、そりゃそうだろう、という気もするが。仕方がないからトロイロの大ヒットナンバーなど。




タンゴ・ブルース・アフリカ

2010-12-03 21:27:06 | 南アメリカ

 ”Tango Clasico”by Juan Carlos Cáceres

 暗い空間にピアノの鍵盤が並んでいるジャケ写真。その上方に浮かぶピアノを弾き語りしている男は、すでに老人と言える年齢である。だがごま塩の顎鬚に縁取られた顔は精悍で、内に秘めた強い意思が窺われる。
 盤を廻してみると、まずその暗い空間をまさぐるようにポツリポツリと置かれて行くピアノの音が聴こえてくる。タンゴによくある、華麗に流れて行くスタイルのピアノではなかった。むしろモダンジャズのそれを思わせるクールな響きがあった。
 そして彼、Juan Carlos Cáceresの歌声も、ドスの効いた低音が深くしわがれ、タンゴの甘美な美学とは違う手触りがあった。もし彼がもう少しメソメソした性格で、だらしないルーズな歌い方を得意技としていたなら、”タンゴ界のトム・ウエイツ”という呼び名も妥当だっただろう。

 ギャア、こいつはカッコいいやと、何となく見当で未知のミュージシャンの盤を買ってきた私は、その”当たり”振りに喝采を叫んだものだった。時々シンプルにバンドネオンの音が響いたりはするが、基本的にピアノの弾き語りである。それも、ジャズの雰囲気横溢である。ラテンの華麗さよりはブルースの苦さが濃厚に漂う。
 歌われている曲目に関する知識はなかったが、アルバムタイトルからして、タンゴの、それもかなりマニアックな名曲集なのだろう。そいつのジャズィーな歌唱集。
 その後に調べたところでは、このJuan Carlos Cáceresなる男、1940年代の生まれで、遠くタンゴの故国アルゼンチンを離れて主にヨーロッパで活動して来たミュージシャンであるとのこと。そのあたりが普通のタンゴのミュージシャンと異なる感覚を身に付ける理由となっているのだろう。

 彼の名を高めたのは、”タンゴ=ネグラ”なる構想の提示だったようだ。
 今でこそ国の人種構成がほぼ白人100パーセント、南米にありながら”南欧の国”を僭称するアルゼンチンだが、19世紀の中頃まで、その人口の30パーセントはアフリカ系の人々だった。”タンゴ”なる言葉の由来もアフリカはバンツー系の言葉に由来する、”太鼓”や”黒人の集会場”を意味する言葉だったのだ。
 Juan Carlos Cáceresは、そんなタンゴの歴史を遡行し、タンゴの裏面に秘められたアフリカの血を抉り出すための音楽プロジェクト、”タンゴ=ネグラ”を立ち上げ、独特の”黒人系タンゴ・サウンド”をぶちまけてみせたのだ。

 当然と言うべきか、そんな彼の姿勢は賛否両論で迎えられた。より”非”の比率が高めのほうに。ネットを検索しても”タンゴ=ネグラ”へのタンゴファンの反応は「興味深い試みだが、これではもうタンゴとはいえない」といったものが多いようである。残念なことであるが、まあ、初めから結果は予想できたところだ。独自の美学に耽溺する快感が欲しくて多くの人はタンゴを聴くのだろうし、そのような試みを面白がるのは、もっと別のジャンルの音楽のファンであるような気がする。
 そんなJuan Carlos Cáceresが、この盤のような激渋なタンゴアルバムをものにしたのは、何かの皮肉でもあったのだろうか。それとも、もっと素直に、これが彼のタンゴへの愛情の表出なのだろうか。いや、それともこれ自体がもう一つの”タンゴ=ネグラ”の試みなのだろうか。例によって何の資料もなく、なんの確証もないままに、この文章を終わらねばならないのだが。



夜風が呼んでいる

2010-12-02 02:46:23 | 時事
 カブキのエビゾーの被暴行事件に関するテレビ報道をひまに任せて見ていて、ふと疑問が湧いて来たんだけどね。
 あのさあ、歌舞伎ってのは、どの程度のビッグビジネスなの?なにやら伝統芸能の何のとずいぶん偉そうにしてるけど、つまりどのくらい儲かっているのさ?

 とりあえず私は歌舞伎なる芸能に何の興味もない。ナマの舞台を一度も見に行ったことはないが別に残念とも思わないし、一生見に行くことはないと思う。それでいいと思っている。
 私の周囲の平均的日本国民を見回しても、これに関しては、まあ似たような意識じゃないだろうか。それは、今回のように芸能ゴシップネタに引っかかってくれば興味も持とうが、それだけのことだ。
 と言うことは、どんな連中が見に行っていて、カブキの経営を支えているのか?テレビの”今回の事件に関する街の声”なんてインタビューを見ていると、つまりはそこらのオバサンみたいなんだが。で、そんなに儲かるのか、カブキってのは。

 それにしても「俺は人間国宝になる人間だ!」ってのは凄いタンカだねえ。まあ、そんな事を平気で言う奴を人間国宝にしちゃいかんのではないかと思うんだが、そのくらいの奴にしか人間国宝に成る機会は巡ってこないのかも知れない。
 で、エビゾーが暴行を受けた現場と言うもの、報道された通りとすれば、なにやら荒涼たるものがある。なにしろ人間国宝になる奴が暴走族のリーダーなる人物と、夜更けどころか夜明けまで飲み歩いているんだから。そして図に乗ってリーダー氏の配下の者たち相手に居丈高な説教をしてみたり灰皿に注いだテキーラを飲めと強要したりでついに怒らせてしまい、ボコボコに殴られたというんでしょ、筋書きとしては。

 そのエビゾーの言動やらメンバーの反発の急角度に燃え上がるありようなどからは、原初の、それこそ川原に掘っ立て小屋を建てて興行していた妖しげな芸能たるカブキなる見世物が孕んでいた、野にある民の荒ぶる魂のカタブキが脈打って見えるように感じられるのだ。
 そしてそこから時空を越えて吹いてくる風、わけあって市民生活の埒外に追いやられつつも生きて行く定めの人々が残した汗や埃や血の臭いを孕んだ風が、その時、事件現場のスナックを満たしていたのだろうと想像される。
 伝統の継承、という奴だよなあ。それこそカブキの伝統に連なるものとしてエビゾーは、今回の事件の顛末を一幕の芝居に仕上げて自ら演ずる事を推奨したいが、いかがか?もともとさあ、カブキってのはそういうものじゃなかったのか?

 そりゃ、そんな所業は”人間国宝への道”には一利もないだろうが、うん、これをやったらこの日記で褒めてあげる。という取引はどうだ。



サイケデリック・アフリカンビート!

2010-11-30 03:17:44 | アフリカ
 ”PSYCHO AFRICAN BEAT”by PSYCHEDELIC ALIENS

 こんな音があったんだなあ!60年代末の西アフリカの夜を彩った最高にファンキーなバンド!なにしろサイケデリック・エイリアンズのサイコ・アフリカンビートなのである。他に何を言うことがあるだろう。あとはミニミニスカートでゴーゴーゴー!あるのみなのである。夏の太陽は待っちゃくれないぜ!
 暴れまわるリズムに煽り立てられるまま、エレキギターがオルガンがうねり、当時、いっちゃんナウかったオープンエアーのディスコの空気はますます熱く燃え上がっていった。

 その音が”アフリカのミーターズ”というべきサウンドになっていたのは、これ、偶然の産物なのだろう。メンバーが時流に乗りアフリカの血が騒ぐままに、”エレキでゴーゴーだ、ニューロックだっ!”と一発勝負に出た結果、このホットでクールな音空間が現出していた。
 これはカッコいいね。60年代から70年代へと歴史の扉がスイングする頃、当時の西アフリカのロックシーンは、こんな具合に盛り上がっていたんだ。ロックの”正史”からは見落とされたまま。

 まだ青かったロックとアフロの血が絡み合うままに黒いグルーブがのた打ち回り、ファズやらワウワウやらのかかったギターが切れまくり、最高クールに歪んだ音でハモンドが闇を切り裂く。
 なんか聴いているうちに「先祖がえりをしたアフロ・キューバン・ミュージックがどうのこうの」なんてお定まりのアフロポップ近代史の講義なんかぶっ飛ばせって気分になってきたのよな。ロックしかねえだろ、ええ?シェケナベイベ・ナウ!

 めちゃくちゃ凝った装丁のジャケから、この幻の西アフリカ・サイケバンドの発掘作業を行なった連中の気の入れようが強力に伝わってくる。欧米のマニア連中の、この”失われたアフロ音源”の探求、どこまで続くのだろう。こちらも、この世の果てまでつき合わせてもらう気でいるが。



ヒョリ姐さんのエロ革命

2010-11-29 00:23:42 | アジア


 ”STYLISH...”Lee Hyori

 今、日本で話題になっているような韓国のアイドルグループが何かのインタビューで、彼女の事を「ヒョリ姐さん」と呼んでいたのがなんか面白かったので、イ・ヒョリを取り上げる気になった。
 イ・ヒョリといえば韓国のポップス界のエロ化に大いなる功績のあった人である。そもそもは韓国のR&B系セクシー・アイドルグループの草分けと言うべき”ピンクル”のリーダー格として90年代のハングル男子の股間を大いに刺激した。そして2003年8月13日、満を持して発売されたのが彼女のソロ・デビューアルバム、”STYLISH...”である。

 このアルバムにおいてイ・ヒョリはグループ時代における”かわいらしさ”路線から逸脱、儒教国韓国においてタブー視されていた”エロ路線ダンスポップ”に完全と挑んだ。というか、もともと持っていた彼女の資質を全面公開してみせた、ということなんだろう。
 性愛経験に関する奔放な発言、露出の多い衣装とセクシーなダンス、いや、そもそもその茶髪だけでも、清楚なる黒髪が当たり前だった当時の韓国芸能界においては衝撃だったと聞く。当然反発も多かったが、”イ・ヒョリ・シンドローム”なんて言葉まで出来るくらいの大衆の支持が集まってしまった。もう止まらない。

 ピンクルにはボーカル部門補強のために加入させた”上手い歌”担当のメンバーがいたし、ソロになってからも激しい踊りゆえ息が切れるとかで、テレビ出演の際にはいわゆる”口パク”を多用し、それをたびたび非難されてもいる。
 もっとも私は彼女の歌、評価するけどね。彼女の歌声の、頼りなくフワフワしつつも妙にヌルッと濡れているようなところ、多湿多雨な東アジアの気候に準拠した微妙なセクシーさをひそやかに分泌している感じで、よろしいんではないか。

 その後も彼女はエロな話題各種を振りまき、エロいアルバムを連発し、慶賀の至りなのであるが、一つ何とかして欲しいのは写真集である。一冊出ているのだが、これが水着一つ披露していない地味な代物で、この辺、セクシー・アイドルとしては猛省していただきたいところだ。まあ、韓国では歌手がこの種のものを出すこと自体、珍しいんだけれど。



ロック少年の歌謡曲な日々

2010-11-28 05:43:12 | 音楽論など

 昨日に続き、友人知人のmixi日記などに寄せたコメントの持ち帰りであります。

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 ☆2010年11月24日 22:26
 これ(注)のCD、興味を惹かれたんだけどネットで試聴してみたら、あまりにも芸術的過ぎるんで「ついて行けないかも」って気がして、買うのは一時保留としてしまった。どうしようかな~。(注・坂本龍一&大貫妙子「UTAU」)

 ☆2010年11月24日 22:19
 鈴懸の道には思い出がある。大学に入学して、すぐにジャズ研究会に入ってテナーサックスを吹いていたのだけれど、「スイングをやろう」みたいな話になって上級生からあてがわれたのが”鈴懸の道”だった。
 なんだよこれは。ジャズじゃなくて昔の歌謡曲だろう、と我々は猛抗議、演奏曲は”5スポット・アフターダーク”に変更された。でもなぜか歴史のあるジャズ研では伝統的に”スズカケ”をやるみたいですね。
 今ではこの曲を聴くと学徒動員とかが思い浮かぶようになったけれど。この曲とか”森の小道”なんかを胸に抱いた学生が戦場に駆り出されていった、あの時代のことが。
 いずれにせよ、あんまり演奏する気になれない曲であるのは同じことなんですが。

 ☆2010年11月20日 20:45
あこるでぃおんが弾けたらなあ。
萩原朔太郎の出入りするやうな場末のかふええの薄暗い席に陣取り
日がな一日、誰にも忘れられた古びた恋歌を奏で続けようものを。
誰にも気付かれず、その日の終わりまで。

 ☆2010年10月29日 01:14
 ボタン式アコーディオンでなくては始まらないタンゴなんかが好きなくせに、実は私は楽器としては鍵盤式のほうが好きなのでした。あの、もったりとしてちょっとリズムに乗り遅れるみたいな感触がたまらない。
 たとえば70年代のアメリカ南部ロックのバンドがやる”ケイジャン風の曲”なんかでモサ~ッと鍵盤アコの音が流れる、あれがたまらん。実は本物のケイジャンではあんな音は聴かれないんで、あいつも虚構の産物なんでしょうけど。
 あと、万国の歌謡曲のバックで流れる鍵盤アコのダルな味わいなども忘れがたい。こいつは大都市のホールからずっこけて下町へ身を落としていったアコーディオンの貴種流離譚か?とか想像してみたりします。

 ☆2010年06月25日 22:44
 「全人類の心の中にある感性の湖」みたいなものを妄想することがあります。その湖は底の方で民族や文化の垣根を越えてつながっている。そこで鳴り響いているのが、”ホテルカリフォルニア系”の、マイナー・キイの貧乏臭い歌謡曲じゃないのか?
 そいつの一味は、たとえば”ストップ・ザ・ミュージック”であり”ダンシング・オールナイト”であり、”黒く塗れ”であり”哀しき街角”であり、”パイプライン”とか”シークレット・エイジェントマン”なんてのも含まれるのかも知れません。
 そいつの正体を掘り当てたくて、あちこち世界中の音楽を自分は聴きまわっているのかも知れません。ワールドミュージック歴が長くなるほど、そんな思いが強くなっています。



ロック少年のフォークな日々

2010-11-27 20:15:16 | 60~70年代音楽

 掲示板や友人・知人のmixi日記なんかに書き込んだメッセージというのもオノレの貴重な記録ではあるんで、そのまま散逸させるのは残念だなと思っていた。そこで、ここに再録してみました。どんな流れの中での発言かお分かりにならないかと思いますが、まあ、お読みください。

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 ☆2010年11月01日
 谷啓氏もそうだったのだけれど、今回の野沢那智氏もそうだ、ほんとに大事な思い出のある人の訃報は、軽々と日記には出来ないものなんですね。何もかけなかった、というか書く気になれなかった。
 那智氏はラジオの深夜放送、パックイン・ミュージックを聴いてました。深夜のラジオの楽しみを教えてくれた人と申しましょうか。
 「風のささやき」は、当時、平凡パンチ別冊号の付録の歌本(ギター・コード付きで、中高生バンドは大変重宝した)に載っていて、そこに付けられたコメントが記憶に残っています。いわく、「息の長いヒットになりました。このままスタンダード・ナンバーになるでしょう」と。
 そりゃあどうかな?と当時の私はガキながら首を傾げました。だって、もうとうにみもフタもないロックの時代はやってきていて、「良い曲を何人もの実力派歌手が歌い継ぐ」なんて悠長なことは今後、誰もやらないかもしれないのに、スタンダードナンバーも何もあるもんかよ、と。まあ実際、そんな時代がやってきていましたね。

 ☆2010年10月28日 04:15
 マリアンヌ・フェイスフルというと初期英国ロックの歴史における助演女優賞、みたいなスケベな視線で見ていたもので、レコードは”涙溢れて”くらいしか聴いていなかった!
 けど、こんな良い感じのアルバム(注)を出していたんですね。調べてみたけど盤としては廃盤みたいで残念です。別にオリジナル盤が欲しいとか言わない、CD再発してくれえ!盤が欲しい、盤が! (注)Marianne Faithfull / North Country Maid

 ☆2010年10月30日 00:52
 ナッシュビル・スカイラインは、考えてみれば最初に聞いたディランのレコード。それまで、バーズとかマンフレッドマンとか、ディランの曲をカバーしたロックバンドのレコードには親しんでいたので、まるではじめてって気はしなかったが。
 聞かせてくれたのは高校の先輩のタナカさんで、東京の大学に通いながら”フォークゲリラ”をやっていた人。春休みの里帰りのついでに、故郷の町にもゲリラの下部組織を作ろうとしていて、そのメンバー候補として、我々音楽好きの後輩が「俺っちに遊びにに来いよ」とか誘われた次第。
 私は、本とレコードだらけで壁にモジリアニの展覧会のポスターなんか貼ってあるインテリチックな(?)先輩の部屋に感心してしまっていた。単純だったねえ。
 春風の中でつまらないことにもドキドキしていたあの頃。そんな風にこの盤を聴いたのだった。

 ☆11月25日
 エレキから入った私だけど、生ギターも面白いかと思い始めた高校時代、好きだった曲(注)だった。でも周囲に賛同者がいなかったから、冬、水の入っていない高校のプールサイドで一人で弾き語りの練習をしていた。「その曲好き」と言って隣に座ってくれる女子一名・・・は、現れなかった。(注・Early Morning Rain)




スコットランドの行路灯

2010-11-25 01:17:20 | ヨーロッパ

 ”Air Chall∼ Lost”by Rachel Walker

 スコットランドの民謡歌手の中では、もう伝説上の存在みたいな感もあるレイチェル・ウォーカー。これは彼女の4年ぶりの新譜。堂々の横綱相撲、みたいな落ち着いた出来上がりである。
 特別、熱唱をする訳でなく、むしろ淡々とケルトの民の残した言葉、ゲール語で古き伝承歌を歌い紡いで行く。もうベテランのはずの彼女の声がいつまでも瑞々しい響きで聴こえるのは、そのか細い美声のせいなんだろう。深い森に住む妖精の物語を歌うに、いかにもふさわしい。緑の森の息吹が、まさに彼女の歌声に乗ってこちらに伝わってくるのだ。
 一体何歳になるのか知らないが、いつまでも神秘の美少女のイメージがある人である。

 今回のアルバムも彼女らしい”凛”とした手触り。しっとりとした情感が終止流れていて、まさに深い森の緑に抱かれたような気持ちにさせられる。
 今回の盤、タイトルにも”Lost”の文字が見えるが、”喪失”がテーマとなっているととるべきなのだろうか。最後に置かれた、恋人を海で失った女性の嘆き歌がとりわけ印象的だ。他に、生まれたばかりの赤ん坊を抱きながら、水夫の夫の帰りを待つ妻の歌や妖精に恋した男の不思議な物語など。伝承曲7曲、自作曲4曲。

 途中、11曲収録中の6曲目だからアナログ盤だったらA面の最終曲になるのだろうか(申し訳ないが、いまだにこういう聴き方をしている。CDの曲順を見ながら、「これはB面の3曲目に相当するんだろうな」などと)そのあたりに置かれたアルバム中唯一の英語曲、”Home On My Mind”にもドキッとさせられる。
 そこでは、それまでゲール語で繰り広げられていたファンタジィの霧がひととき晴れ、生身の彼女が生きる、剥き出しの現実が顔を出している。深夜の都会の通りと孤独の物語。通り過ぎた雨が濡らしていった歩道が行路灯の明かりに光り、冷たい風が吹き抜け、彼女は夫と幼い子供たちが待つ家を想う。

 すべては過酷な現実の上に頼りなく浮ぶ泡のようなもので、そいつはふとした運命の気まぐれで一瞬にして失われてしまう。その儚さの中で人が最後に信じ、握り締めるものは何だろう。
 さて、彼女からの次の便りは何年後になるんだろうな。



王様とブルース

2010-11-24 01:04:32 | アジア
 ”by His Majesty King Bhumibon Adulyadej”

 タイのプミポン国王が大変な音楽マニアでいらっしゃることをご存知の方は多いかと思うが。たとえば故・景山民夫の短編小説の中に、バンコクのジャズクラブに愛用のテナーサックスを抱えて乱入、恐れ入るクラブのハコバンをバックにバリバリとアドリブを吹きまくる若き日の国王の姿などが活写されていて、おい、本当かよと呆れてしまうのだが、あながち作り話ばかりではないようだ。
 国王だからと言って、タイの伝統音楽や宮廷音楽を追求していたり、あるいは我が国の皇室ご一家のように西洋のクラシック音楽をご愛好というのではなく、最愛の音楽がジャズ、というのが嬉しいじゃないか。

 その他、プミポン国王は庶民の好んで聴くポップスのタグイにも理解を示されており、国王作曲の歌謡曲、なんてのも何曲も存在している。それらをタイの有名歌手たちが歌った、大変に畏れ多いアルバムなども作られており、そこに収められた曲群の、プミポン国王らしいジャズっぽいフィーリング漂う親しみやすい曲調に、かたじけなさに涙こぼるる次第である。
 今回のこのアルバムもそんな”国王御作”のポップスを集めた作品。タイの民族楽器であるクルイと呼ばれる木管楽器、西欧のティン・ホイッスルに形も音色も良く似た小さな笛なのであるが、全編、それで国王のメロディを吹きまくった異色作である。で、これがなかなか良い感じの出来上がりなのであった。

 もう冒頭からジャズ、というよりディープなブルース・フィーリング漂うメロディが提示されるのだが、これが透明感溢れるクルイの響きで奏でられると独特の浮遊感のある出来上がりとなり、いかにも”国王陛下御作”っぽい浮世離れたファンタスティックな世界が出来上がり、これがなんとも心地良いのだった。
 さらにこうして爽やかな笛によって奏でられることによって、国王の紡いだメロディの奥底に通奏低音みたいに流れている、何処か遠くの世界へ向けた視線と聴こえる切ない憧れの感情の表出がグッと前に出てくる。遠くの世界と言うのは特定の場所ではなく、誰の心にもある、追っても届かない青春の日々の感傷のようなものなんだが。

 プミポン国王お得意のブルースっぽいメロディの内に潜む、そんな切ない感情を引き出してみせた、というあたりにこのアルバムの価値を認めたい。別にこれは国家機密じゃないだろうし、かまわないと思うんだけどさ。
 と言うわけで、これは意外に愛聴盤となっている国王陛下御作のメロディ集であったのだった。それにしてもプミポン国王の青春の日の夢ってなんだったんだろうね。