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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

マリアンヌ・フェイスフル、なんとかなりませんか?

2010-12-21 04:15:26 | フリーフォーク女子部
 今、マリアンヌ・フェイスフルのデビュー当時のアルバムが欲しくてね。でも、内外ともに絶版状態みたいで手に入らず、くさっているのである。なんだこれは。

 デビュー当時のフェイスフルって、結構可憐なフォーク調のものを歌ういい感じの歌手だったんだね。ロリ系のさ。こっちは彼女をリアルタイムで知ってはいたけど、ストーンズのメンバーとのあれこれとかそんなものばかり興味を持ってしまい、彼女がどんな音楽をやっていたか、興味を持つ機会もなかった。でも今調べてみると、なかなか面白い内容のアルバムを出しているんだよ。
 特に、「ノース・カントリー・メイド」っていうアルバム、これが欲しくて。なかなか泣かせる選曲でね。あ、そう来たか、みたいな曲が並んでいる。
 まあ、詳しくはそちらで勝手に調べて欲しいんだが。うん、きっとあなたも欲しくなるに違いないって。

 で、さあ、このアルバムなんて、通販サイトになんというか”売り切れ”の表示さえないんだ。「この盤があったんだけど売り切れです」じゃなくて、その存在の痕跡さえ残っていない。そんなに売りたくないか、通販サイトもさ。
 とか言ってるけど、ますます悔しいのは、何年か前に”デッカ・イヤーズ”って彼女のボックスものが出ていて、実は”フォーク期”のフェイスフルは、これを買っておけば一網打尽だったんだよな。全部手に入っていた。まったくねえ・・・よくある話でさ。その価値に気が付いた時には、もう思いっきり絶版なんだよな。

 ねえ、なんとかならんか、レコード会社よ?



囁きの森から

2010-12-19 02:41:26 | フリーフォーク女子部
 ”My Room In The Trees”by Innocence Mission

 なぜそんなに惹かれるのか言葉に出来るような理由はないのだけれど妙に気になって仕方がない音楽、というのが今年は二つあり、ついには我慢できなくなって追いかけ始めてしまったのだが。
 その一つがテクノやエレクトロニカと呼ばれているらしい音楽であり、もう一つがこのアルバムのような、女性の低血圧系囁きボーカルがメインのフォークっぽい音楽である。
 これら物憂げな女性たちの歌声がたびたび部屋に流れるようになり、まあ本来が怠け者の私の生活はますますレイジーボーンなものとなって行ったのだが。

 ポツリポツリとシンプルに音を置いて行くギターやピアノのプレイ。そして素朴過ぎるほどに飾り気もなく無防備に歌いだされる歌。ベビーベッドで眠りこけている赤ちゃんの姿などがふと脳裏に浮かんだりする。繰り出されるメロディもまさに、子守をしながらふと口ずさむのが似合いみたいな、なにげない暖かさ柔らかさに満ちている。
 歌っている女性とバックでギターを弾いている男性とは夫婦であるとのこと。アメリカのペンシルヴァニア州ランカスター出身で、カトリック・スクールの舞台劇のためのバンドとして一緒に演奏したのがすべての始まりとのこと。

 持ち歌はすべて女性の自作、あるいは夫婦の合作という形のものがほとんどのようだ。このさりげない安らぎは、自宅で夕食を終えた二人がふと楽器を手に取り歌いだした、そんな間合いから生まれてくるのだろうか。
 とはいえ、この騒がしい世の中で生まれて育って、このような静けさに満ちた音楽をやると言うのは、それなりにひねくれた行為であり、ある種の異議申し立てなのであろう、意識的であれ、無意識ではあれ。なんて話をするのもヤボと言うものだろうが。

 たびたび引用して申し訳ないが作家の故・鈴木いずみの言葉に、「皆は1969年がすべての始まりと信じているだろうが、実は世界の終わりだったのだ」というのがある。
 どういう気分だろうね。生まれてみたらもう世界は終わっていて、その事に気が付いてしまう、というのは。歩きはじめてはみたが、吹き過ぎる夕暮れの風は冷たく、足元の道は歩を進めるごとにボロボロと頼りなく崩れて行く。
 だからこの夫婦は夕食後のキッチンで楽器を取り出し、優しくて柔らかで懐かしいメロディを手繰り寄せて歌いだしてみた・・・

 このアルバムの中ほどに収められている”all the weather”は、マヨネーズのコマーシャルのBGMに使われ、茶の間にも流れた。放浪者を気取った福山雅治が開け放たれた貨車に座り込み、サンドウィッチのタグイを頬張る。外を流れて行く緑豊かな自然は、カナダかそのあたりのように見える。吹き抜けて行く風には、太古と変わらぬ生まれたばかりの森の匂いがしたのだろう。



ツイッターで呟いたこと・2010年秋~冬

2010-12-18 03:37:11 | つぶやき
2010年12月16日(木)
この間、映画監督の故・黒沢明が描いたクリスマスカードかなんかをテレビで見た。サンタが”影武者”の時の仲代達也みたいな顔してんの。たかがクリスマスカードまで、もっともらしい”芸術”めかさねればいられない黒沢って、なんてうっとうしい奴かと。

2010年12月15日(水)
「孤独」と「五徳」は全然似てねえぞ、小西真奈美!

2010年12月13日(月)
しかし小沢って、それほどのもんですか?このところの小沢に対する過大評価の論を見るたび、民主党がヘッポコと認めざるを得なくなった民主党びいきの人々の最後の言い訳って気がしてならない。「小沢がやれば大丈夫だから」って・・・

2010年12月10日(金)
ブラザー・リオンは、事件の落着後の身の振り方として、EXILEへの加入を提案したい。

2010年11月23日(火)
しばらく前から街のスーパーでBGMとして流れている「ズンドコ節」があまりにも愚劣で、腹が立ってならない。あんな音楽を作った奴は死ねば良いと思うのだが、どなたか呪殺の方法などご存知でないか?

2010年11月16日(火)
なんで××××とか言う奴の発言をいちいち大勢がリツイートするのかな?大勢が廻し読みするほどの内容でもないと思うんだが。奴が××××のメンバーだから?笑わせるねえ。「発言者の名前ではなく内容に価値を認めるツイッター」とか言って、結局、有名人にヨイショか。

2010年11月08日(月)
さっきスーパーに買い物に行ってきたんだけれど、灯りを落とした夜の街はシンと冷えた顔をして、「さあ、いつでもクリスマスになる準備は出来ましたよ。その気になったら言ってください」とか言っているようだった。そんな事を言われたって、こちらはまだ、一年を終わる心構えなんか出来ちゃいないし。

2010年10月13日(水)
全員救出!と人数を数えてみたら一人多い。名簿と照らし合わせてみても誰も増えてはいないのだが、という座敷わらし的結末を期待。チリ方面。

2010年10月12日(火
「ゆうちょで年金」のコマーシャルに、バイクにまたがった藤岡弘が出ている。 その藤岡が着ている、妙にテラテラ光った薄茶色のどでかい革ジャンが、な~んかうっとうしくて嫌です。仰々しい、というんでしょうか。

2010年10月11日(月)
夕方のテレビで。ニュース番組の中に特集のコーナーがあるが、あそこでスーパーの万引きGメンとか高級ブランド物の持ち込まれる質屋とかマグロの解体ショーをやる寿司屋の話とかは、もう何度見た分からないし、とっくに視聴者は飽きている、ということを番組製作者は気が付いていないんだろうか?


ウオッカ=マッコリ・システム

2010-12-17 03:53:31 | ヨーロッパ

 ”I VNOV’ LUBOV'”by NADEGDA KADUSHEVA

 ディスコ仕立てのロシア民謡集、みたいな作品であります。実際この歌手、ナジェージュダ・カディショヴァ姐さんは、ガチガチのロシア民謡のアルバムを出してもいるようなんで、これもその一種なのかも知れません。
 なにしろロシア語の壁とかもあって何がなにやら分かりません、のロシア大衆音楽の世界。それでも、その独特の哀愁やらうちに秘めた広大な孤独(変な言い方だが、他に表現の方法がない)やらを伝えてくる、ほの暗いメロディに惹かれて、ほら今日も、ジャケの文字が一つも読めないCDを買ってしまう・・・

 で、なにやら下町の気のおけない大衆酒場の口うるさいけど人は良いママ、なんてルックスの、そして歌声もそんな感じのカディショヴァ姐さんなんでありますが。検索をかけてみるとプーチン時代に人民芸術家の称号を得ている、なんて記述にもあるのであった。まあ、それがどれほどの重さを持つやら私は知りませんけど。
 もっとも、音の方はまったくの庶民派のカディショヴァ姉でありまして、ドッスンドッスンとみもフタも無く鳴り渡るディスコな打ち込みの音に調子よく乗り、屈託なく歌い上げる哀愁のロシアンメロディ。もう、明るいんだか暗いんだかよく分からない世界。若い頃、政治運動とのかかわりでロシア民謡に馴染んだご老人なんか、「なんと軽薄な!」と憤慨されるんではないかなあ。

 それにしてもこのアルバム、ようするにポンチャクですな。韓国の軽薄なるディスコ演歌。考えてみれば、あれにかなり近いものがある。
 とにかくバシバシと機械が打ち込む、ほとんど記号のリズムに乗り、まるでメドレーみたいな運びで次々に、同じような分かりやすいノリの曲が放り出されてくる。いや、一曲一曲の間に切れ目は入ってるんだけど、次に始まる曲が同じリズムの似たような曲、それが延々と続くんで、聴いてるこちらはある種のトランス状態に置かれる感じなんです。
 そして、特に山場も谷間もないままに全収録曲21曲、時間にして70分近くがただ元気が良いだけの恐怖の一本調子で歌われるペラペラの音楽世界。これは、かの韓国の誇る世界一恥かしい大衆音楽、ポンチャクだよねえ。

 そう、中村とうよう先生は言われました。美は単調にあり、と。変に気取ったロマン主義のお高い芸術的演出なんか、目先の快楽のみを求めてドンチャン騒ぎで突き進むここには、入り込む余地はないのであります。
 ヨーロッパの一国のような顔をしているけど、広大な面積のアジアをそのうちに呑むロシア。知らないうちにアジアの宴会タマシイをその血の中に深く受け止めてしまっていないか。
 うん、いっそここで「大衆音楽ポンチャクの論理で行けば、ロシアは韓国の一部だ」とか思いつきで言って見るのも一興かも知れないな。まあ、言っても意味ないから言わないけどさ。




サハラの鎮守の神様の

2010-12-16 04:17:51 | アフリカ
 ”SYSTEM 5”by ALHAJI SAKA OLAYIGBADE

 それは遠い異国の土俗ポップスのことなんで、まあ、さすがに「もう大体分かった」なんて偉そうな事を言うつもりはなかったにしても、もう、現地に詳しい人々によって聴く価値あるミュージシャンは紹介済みなんだろうなあ、などと漠然と思っていたのだ。何の話かというと、この場合はナイジェリアのイスラム系ダンスミュージック、つまりフジやアパラなんかの事なんだが。
 この辺の音楽の、パーカッションとコーラス隊のみをバックに、イスラミックなコブシ回しを凶器にハガネの喉で吠えたくる、実にスリリングなノリにはタマシイごとのせられてしまうものがあって、たまらなく好きなのだった、私は。

 で、こんなのがまだ出て来るんだねえ。結構楽しめたんだ、この、ALHAJI SAKA OLAYIGBADEなる、どちらかと言えばトボけた顔をしたオヤジの音楽は。
 でも、今頃になってその音盤が日本初登場。ジャケを一目見てアナログ盤のCD化と分かるから、相当なキャリアはあるはずなんだ。何で今まで話題にもならなかったのかね?

 まあともかく、その音楽を聴いてみましょ。
 まず、このサカラなる音楽を特徴付けているゴジェ・フィドルなる民族楽器、つまりは一弦の原始的なバイオリンの音で始まる。そいつから鄙びた音で飛び出してくるのは、我が国の村祭りの笛の音と同じ音階の使われた祭囃子のメロディです。これ、ほんとに私の街の夏祭りのお囃子に似たフレーズがあり、本気で郷愁を感じたのだった。

 で、サカラと言うから私は、あのユスフ・オラトゥンジ翁がやってるみたいな激渋サウンドを想像してたんだけど、それはまったく違うのであって、結構生々しさに溢れてます。でも、フジやアパラみたいにドスの効いたノリじゃなくて、どこか独特の愛嬌がある。
 そして、なにやらヒョコタンヒョコタンしたリズムで始まるそのサウンド。よく、この辺の音楽は日本の河内音頭に喩えられるけど、このALHAJI SAKA OLAYIGBADEのサカラのサウンドが、それに一番近いんじゃないだろうか。
 なんかねえ、おなじみトーキングドラムや各種パーカッションによって織り上げられてゆく、そのリズムの中核にあるノリそのものも、我々が神輿を担いで練り歩く時に通じるような”練る”感覚が存在するような気がする。大地の上に粘りつきつつ躍動する、みたいな微妙なノリが。「ソイヤ!ソイヤ!」と掛け声が聞こえてきそうな、ね。
 ともかく不思議な郷愁と愛嬌を感じた一枚、というのが私の感想なのであります。

 これが、が今回手に入れたALHAJI SAKA OLAYIGBADEの3枚の内一枚目、そのタイトルも「システム5」なのであって。さて、あとの二枚はそれぞれ「システム7」と「システム12」と銘打たれているわけだけれど、どのような展開を見せてくれるのか。期待しよう。なんつって、聴いてみたらあんまり変わりませんでした、なんてのもワールドミュージックの魔境には良くあるお話なんですが。さて。

 さすがにYou-Tubeには、ALHAJI SAKA OLAYIGBADEの音は上がっていなかったので、「いわゆるサカラと呼ばれている音楽」の例を下には貼っておきます。




曇り空とタマシイ

2010-12-15 02:58:31 | フリーフォーク女子部
 ”Heart And Crime”by Julie Doiron

 しばらく前から、ときどきこんな音楽を聴くようになっている。ほぼギターの弾き語り。独り言を呟くような歌い口。劇的なメロディの起伏といったものはない。時に、遠くのほうからピアノやトランペットが聴こえたりする。
 メジャーセブンスっぽい、モヤっとした和音が雰囲気を支配して、時の止まった世界からのメモを受け取るようだ。ただポツポツと自分自身に語りかけるような内向きの歌声が続く。じっと聴いていると、擦りガラスの向こうの風景を眺めているような気分。雨も降っているのかもしれない。
 カナダのシンガーソングライターなんだそうだ。いかにもそんな、空気の冷たく澄んだ大地が似合いそうな歌声。頭上に広がる、薄ら寒い曇り空。

 歌詞カードが付いていないんで何を歌っているのか正確には分からないが、「すべての壊れた心」とか「私はダンスが好き」とかいうタイトルを見る限り、そんなに気にすることもなさそうだ。きっと音楽そのものと同じように、日常の時間の経過の中でふと頭に浮ぶ想いの断片みたいなものを並べただけではないか。
 劇的展開などと言うものはない。起承転結もあるのかどうか分からない。ただモヤッとした灰色の不定形な感傷が指の間をすり抜けて行く。
 そう、そいつは多分、感傷なんだろう。私の心の内におそらく、共鳴する同じ形の灰色のものがある。
 憂鬱な曇り空にこそ覆われて守られるタマシイのことなど考えてみる。




ジャカルタにおけるホワイトクリスマス問題

2010-12-14 01:53:11 | アジア

 ”Puji Syukur”by Lisa A.Riyanto

 さて、時節柄と申しましょうか、「ロハニってのはね、まあインドネシア語のゴスペルみたいなもので」なんてアバウトな説明もしておられなくなる一枚の登場であります。インドネシア・ポップス・ファンには、その可憐な歌声でお馴染みのかたもおられるのではないかと思う Lisa A.Riyanto嬢、ロハニ歌手としても活動するようになっていたんですな。

 これは、そんな Lisa嬢が2008年に世に問うたロハニのアルバムなんだけど、これがもうクリスマス気分横溢なのです。まさに飾り付けられたクリスマスツリーの輝きなんかを連想させる分厚く華麗なオーケストレーションに乗って、今にも消え去らんとしつつ、でも健気にも持ちこたえ歌い続ける、みたいないたいけな Lisa嬢の歌声が、そんな彼女に実に似合いの清楚なメロディを歌い上げて行きます。

 歌詞カードを見ると各曲に数字が振ってあるけど、これは”賛美歌何番”みたいな番号なのかなあ?だとしても不自然ではない、心洗われるようねメロディばかり。
 それにしても、ここに横溢している”ホワイトクリスマス気分”はどう理解したらよいものでしょう?いやなに、一応ロハニって、インドネシアのクリスチャンたちが日常的に聴いて楽しむ音楽のようなんだけど、この盤に収められている音は北国のクリスマスにあまりにも似合い過ぎている。日本の今頃の商店街で流しても何も不自然はないんだから。

 聴いていると映像が浮かんでくるんですね。
 ジャカルタ市内に勤めるサラリーマンのスギアントさん。彼は、混み合う夕方の通勤バスから降り、予約していたケーキを受け取るために街の通りを歩いていた。彼は呟く。思いつめた表情で。
 「病院に入ったきりだった娘が今日、クリスマスのこの日に特別に先生の許可が出て家に帰ってくることが出来た。でも、私は知っている。愛する娘がきわめて治癒の難しい××病だということを。このクリスマスが、彼女が生きて迎えられる最後のクリスマスになるかも知れないのだ」
 そこでスギアントさんは空から降ってくるものに、その時気が付く。
 「雪だ」
 周囲の人たちもすぐにその異変に気が付き、ジャカルタの街に突然降り始めた大振りなボタン雪を唖然として見上げるのだった。
 スギアントさんは思った。
 「神様は、こんな南国に住む私たちにホワイトクリスマスをプレゼントしてくれるのだ。これはきっと、どんなことでも起こりうる、希望を捨てるなとの神様からのメッセージに違いない。そうだ、心を強く持とう」と。

 とかね、そんな話がすぐに思いついてしまうんだ、このアルバムを聴いていると。バカいってんじゃねーよ、赤道直下のインドネシアで、雪なんか降らねーし。
 いや、でもほんとにね。明らかに南国の響きのあるインドネシア語で、切々と”暖炉の廻りに家族が揃い、クリスマスを祝う喜び”みたいな世界を歌い上げられると、どうして良いのか分からなくなる。この音楽の中では確かに、ジャカルタに雪が降っているんだから。

 You-Tubeにはこのアルバムからの音は上がっていなかったので、他のアルバムからの音を貼っておきます。まあ、こんな感じの音ではあるんで、よろしいかと。



虚構峠のエロ演歌

2010-12-12 01:16:34 | アジア

 ”사랑이숑(愛がぴょん)”by 김양(Kim Yang)

 今日の韓国トロット演歌界におけるエロ路線の最先鋭、キム・ヤン嬢の新譜を紹介できる事を大いに喜びたい。
 なんたって結構いい女のキム・ヤンがラメラメのミニのドレスに身を包んだジャケ写真がもうエロであるし、その恰好でステージに登場し、ウッフンアッハンと溜息混じりに専属ダンサー引き連れて身振り流し目も悩ましく腰を振り振り歌い上げるは最新ヒット曲、”愛がぴょん”なのである。なんだよ、ピョンて?よく分かりませんが。

 この辺の理不尽が堂々と横行するのも大衆音楽の真実と言えましょうな。理不尽と言えば、なかなかの歌唱力でエロ歌を歌い上げてしまうヤン嬢であるが、その歌声の響きから伝わってくるのは、たとえば我が国のコウダクミみたいな、「私はエロです。もう根っからのエロ女です」ってメッセージ(?)では、実はない。
 ヤン嬢の場合、もともとは普通の歌好きのお姉ちゃんで、レコード会社の営業政策上、そのようなキャラを演じさせられているのがよくその歌声に耳を傾けると感じられ、その辺の無理やり感がまた、歌の孕むエロ度を上げているのである。

 この虚構性の強いエロ感覚がヤン嬢の歌の魅力と私は勝手に決めている。だからド演歌+ハードロックに韓国の村祭りが強引に乱入したみたいなアレンジの3曲目、「あっ熱い」みたいなハッタリ色の強い曲が面白い。7曲目のファンク化された民謡、「カンウォンドのアリラン」なんかもスリリングで、楽しめるのだ。
 しかしこの民謡の堂々たる節回し、ただものじゃないぞと思っていると、次に控えるのはなにかとディープ過ぎる韓国民歌、「恨五百年」なのである。いくらなんでも若い姉ちゃん歌手がこんなの歌うかあ、とのけぞるんだが、ヤン嬢はこの歌も真正面から歌いこなしてしまうのであって、ますますのけぞる。

 もしかしたら彼女、大変な才能なのかも知れない。これは今後を注目だなあ。まあ、そうでなくとも美人のヤン嬢であるから、初めから注目はする予定であるのだが。
 と盛り上ったところではじまってしまう英語曲3曲。なんだこりゃ?”エロ歌謡曲→ド演歌→ド民謡”と、どんどんディープに進行して来た曲の流れがここであさっての方へすっ飛んで行ってしまう。収められているのは”Killing Me Softly”とか、その辺の曲なんだけど。

 なにやってんだよ、と思いつつ聴いて行くのだが、それらの歌、ヤン嬢はかなり上手いんだよね。と言うか、先に述べた”無理やりエロ歌”である「愛がピョン」の逆で、ヤン嬢はそれらの歌を実に無理なく歌いこなしている。非常に安定した歌の世界。
 おそらくヤン嬢はもともとこういった”洋楽”が好きで歌手を志したんだろうなあ。けど、そんなの商売にならないってんで、無理やりトロット演歌歌手、無理やりにエロ歌路線。お情けで今回は三曲だけ歌わせてもらったけど。かわいそうになあ。

 と思いながら聴く”愛がピョン”は、やっぱり萌えるなあ。というのがこちらの事情だ。がんばれ、キム・ヤン!贔屓にしてるぞっ。



太陽のボレロ

2010-12-11 01:43:05 | 南アメリカ

 ”ROMULO VARILLAS ”

 昨今、ごく少数の達人たちの間で密かに、だが確実に支持を増やしているとの噂の、ペルーの哀愁の歌謡ワルツ。彼はその歌い手の一人である。この人相の悪さだけでも、大衆音楽の歌い手として、期待できそうな雰囲気濃厚である。ちなみに彼は、”海賊”というニックネームであったとのこと。
 ペルーの名門ギター&ヴォーカル・トリオであった(ということだ)ロス・アンバサドーレス・クリオージョで40年代から初代リード・ヴォーカルをつとめていたロームロ・バリジャス氏(1922~98)のソロ歌唱を集めた復刻盤。トリオの残した録音からロームロの歌中心の音源をまとめて、彼個人のアルバムとしてしまったのだろうか?まあ、これだけ声を張り倒して歌い上げる歌唱法なのだから、「この男だけで十分だ」と判断した者がいたとしても無理はない。

 ペルー歌謡界のどうやら名物らしい、哀感吹き零れそうなメロディが、ワルツやボレロが並んでいる。鍛えられた喉でピンと張り詰めた余情をロームロは、南米高地の乾いた大気を思い切り震わせ、歌い上げる。手加減と言うものはない。高く澄んだ美声は余白なく極彩色で空間に描きこまれる。
 切なく濡れたガットギターの調べが、行った事もない夜の都会の涙雨の冷たさを、こんな山間の村にも伝えてくる。通りの向こうのラジオから漏れ聞こえてくるロームロの張り詰めた歌唱による終わりなき嘆き節を背中に聴きながら、女は行ってしまった男の事を想う。切ないメロディを粋に歌い上げるイナセなその歌い手の名を呼んでみたが、なぜか脳裏に浮かぶのは、彼の見事な禿頭だったりする。

 いやいや。本当に市民社会にとってヤバいのは、過激な事を言う二枚目の革命家なんかじゃなく、ロームロみたいに風采の上がらない男が歌う甘いボレロだったりするのだ、本当は。
 ラテンの、罪深いほどの甘美なメロディが、貧しい人々の枯れた大地を焼き尽くす古き太陽に向って昇って行く。とうもろこしとからっ風と、眩しすぎる人生と。




惚れたぜ、ユ・ジナ!

2010-12-08 03:30:25 | アジア
 ”SHOW SHOW SHOW”by 유지나 (ユ・ジナ)

 まあ、私くらいの達人になってくると、気になっていたCDが手に入るとそれだけで安心してしまい、「よし、これでかの国の音楽の主たる潮流、おおかた分かった!」と膝を打って買ったCDは聴きもせず枕元におき、そのまま大いびきで昼寝に入り、目が覚めればCDのことなど思い切り忘れている、なんてのは平気であることなのである。自慢にゃならんがね。
 そんな次第でせっかく買ったのに放ってあったCDを、ある日ふと気まぐれを起こして聴いてみて、それがあまりに傑作なんで、うわ、これを聴かずにいたのか、なんて蒼ざめることなども珍しくはないのである。これなどもその一枚といえましょう。あ、一枚っつーか2枚組ね。トロット演歌のアルバムに良くある、ノンストップ狂乱のメドレー形式。

 というわけで慌てているのである。このアルバムの主人公、ユ・ジナ女史がもの凄く私好みの歌い手である事実に今頃気がついてしまったんで。このアルバム、2008年盤じゃないか。ちゃんと聴いておけば、2年前の我が年間ベストに入れることが出来た。かねてよりの念願でもある「演歌のアルバムを自分の年間ベスト1として発表してみたい」の実現が可能だったのである。いまさら言っても仕方ないけどさ。

 この場では彼女のアルバム、すでに取り上げている。もともとが、韓国の伝統的民俗芸能であるパンソリの歌い手である彼女のキャリアを生かした、民謡色の強いトロット演歌集、”Minyou Party”を。あの時、何で気がつかなかったのか、といえば、そのような変則アルバムであったからであり、こうして直球勝負のド演歌アルバムを突きつけられてみると、歌手ユ・ジナの良さ、嫌でも分かろうとい言うものなんである。
 ともかく、あの絶唱調の発声が特徴的なパンソリで鍛えた彼女の、ハガネの喉が良い。いかに怒鳴り倒したってビクともしないのである、ユ・ジナの喉は。むしろその強力なハスキー・ボイスは活躍の場を得た喜びに打ち震え、ますます快調に天に向って屹立するのである。

 その、演歌のコブシに乗せて炸裂する、ドスコイど根性の姉御のキップの良さがカッコいいのだ、ユ・ジナ演歌は。しかもこれは韓国名物、盛り上がりさえすればそれで良し、のノンストップ演歌集。ただ演歌がもたらす快楽を求めて何もかも消費しつくすのだけが目的の刹那的2枚組企画なのである。
 伴奏陣も容赦はしない、フルバンドのホーンセクションがフルパワーで煽り立てて彼女のドスの効いたシャウトを盛り立てれば、何を今どきのチョッパー・ベースがドクドクと脈打ち、ハードロック仕様のエレキギターが炸裂する。念のために言っておけば、全曲、ドロドロの韓国演歌だ、歌われるのは。文明国のお洒落な市民の顔をして日々を送りたい人は、ボリュームなんて上げて聴けませんよ、近所の手前。

 それにしても、その環境で聞くユ・ジナの岩石のようなハスキーボイスは気持ちが良い。メドレー形式でたて続けに、これでもかと押し寄せてくる演歌の波にドンと腰を据えて微動だにせず乗って行くその貫禄は、只者ではない。惚れたぜ、ユ・ジナ!
 以上、ユ・ジナの歌声に惚れた身が一時の熱情に煽られ、推敲無しで一気に書き上げました上の文章、意味が通っていたらおなぐさみ、だ。それにしてもこの盤、年間ベスト1にしたかったなあ。今年やったらダメか?2年前の盤だものなあ。