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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

吹雪の日、音を紡いで

2011-01-28 01:48:33 | ヨーロッパ

 ”kurr”by Amiina

 毎日、クソ寒くて嫌になりますね。というところで、今回も北の果てアイスランドの音楽など。
 アイスランドのロックミュージシャンのバックでバイオリンとかの弦楽を奏でていた女性4人組が作ったバンドです、amiina。さらに遡ればアイスランドの首都、レイキャビクの音楽学校の仲間とかで、おそらく仲の良い同志、リハーサルの合間なんかに楽器を鳴らして遊んでいるうち、成り行きでバンドになってしまったんじゃないか、なんて気楽なノリが伝わってくるのが嬉しいですね。

 サウンドは、クラシックの室内楽のオモチャ版とでも言ったらいいんでしょうか。不思議な静けさにみちたヒーリング・ミュージックなんだけど、どこかに漂うユーモラスな遊び心が嬉しい。なんたってシンセから北欧の民俗楽器、ハンドベルからオルゴールやノコギリまで飛び出すんだから。

 しなやかで自然な歌心が、その響きの中に溢れています。極北の、厳しい自然に囲まれて生活しているからこそ、心の中からホカホカさせてくれる音楽が自然と生まれてくるんじゃないか、なんて思ってみたりします。
 ジャケで、メンバーが並んで編み物をしている姿も良いですね。You-tubeで見つけた演奏風景を見ても、なんか友達が集まって台所で楽しみに料理を作っているみたいに見えてしょうがない。そんな、なにげなさがいいんですよね。




帰ってきた70年代のマキ

2011-01-27 04:30:34 | その他の日本の音楽
 ”MAKI Ⅱ”by 浅川マキ

 これでめでたく、なんていう状況ではまるでないにせよ、長らく入手が不可能だった浅川マキのかってのアルバム諸作がこの19日、彼女の一周忌に捧げるが如く再発され、入手が可能になった。
 手に入らなかった理由は、マキ自身が「CDの音が納得できない。それに録音自体、ジャズの音ではない」などと主張し、過去のアナログ盤のCD再発を強行に拒んでいたからと聞く。 とはいえ、「CD文庫」とかいう安価版シリーズなどで一時期、マキのアルバムの一部が再発されていたのではあるが。いや、それを聴いて嫌気が差し、絶版を主張するようになっていたのか。

 その辺の事情は良く分からないが、そもそも浅川マキ、そんなことが気になって自らの過去作品を封印してしまうほど、オーディオマニア的志向があったのかどうか。その辺がちょっと不思議だ。
 70年代初期、事情があってその辺のステージの裏方の如きものをやっていた当方、「あ、私の歌は、どこで歌いだしてもかまわないようにアレンジが出来てるの」とか笑いながらリハに臨む浅川マキを、1メートル足らずの距離から見ていたものだが、その辺の細かいことに囚われずにしなやかにリズムに乗って歌っていたマキの姿と、CDの音質云々を神経質に語る彼女と、どうもしっくり重なり合わないのだが。

 それを80年代以後、妙に生硬な”芸術”志向の実験的なレコーディングを連発するようになる彼女の姿勢と考え合わせると、なにか妙なこだわりに囚われてしまう何かが、浅川マキの人生に起こっていたのかなあ、などとも思ったりする。もちろんその頃には私は彼女と”何の関係もない人”となってしまっていたので、何の確証もなく、ただそう想像するだけなのである。結局、彼女が一人で墓場に持って行ってしまった謎と受け止めるしかないのだが。

 けどまあ。こうして手軽に70年代の浅川マキ作品に接する事が出来るようになったのは、ありがたいことなんだよな。それが、CD再発を拒否していた歌手本人の死去によって、やっと実現されるなんて、皮肉な話で、彼女の遺志を思えば、何となく腰が落ち着かない気分にならないでもないのだが。
 まあ、言いたいこともあろうけど、安らかにお眠りください、マキよ。街は今日も変わらず、あなたがよく歌った、あの夕暮れの匂いと共に暮れて行く。あたりは何も変わらぬのに、ただ人だけは。ある日、ふと姿を消して、そしてもう二度と戻ってはこない。

 もう、本当に久しぶりで”港の彼岸花”を聴き返したんだけど、アレンジが結構勇壮に聴こえるんで、ちょっと驚いた。リアルタイムではなんとも思わなかったのに。これが時の流れという奴、”70年代の人”の持っていたエネルギーなんだろうね。



サイケからイェイェへ・ハンガリー編

2011-01-26 02:12:57 | ヨーロッパ
 ”Sarolta Zalatnay”

 さて、”見知らぬ国々、サイケの旅”を続けているわけですが(そうか?)今度はハンガリー。かの国を代表するロック姉ちゃん、Sarolta Zalatnayです。60年代の後半あたりからハンガリーのロック界で活躍を初め、その後ずっと、かの国のロックをリードして来た偉大なるボーカリストであります。
 この人はもう、フリー・ソウルのジャンルとかで話題になって日本盤も出ているとかで、知っている人もいるかと・・・なんつって、どのみちマイナーな話題でしかないんでしょうけど。

 激しくうねるベース、重たく打ち込まれるドラムス、早弾きのギターが宙を切り裂き、そして超ハスキーボイスの女性ボーカルが魂込めてシャウト、と来れば、これはもう世界中どこに参りましてもその土地その土地に存在するという”オラが里のジャニス”の一人がまた登場したと申せましょう。なんて嫌味な紹介をわざわざすることはないんですが。
 いや、この人をリアルタイムというか70年代に聴いていたとしたら私も感激したと思う。まだ”東欧諸国”の中につなぎとめられたまま、ロックをやるのも不自由な国情にもかかわらず、ここまでやったか!とね。実際、そういう視点で見れば凄い人だと思うよ。という事でまず、彼女の”ハンガリーのジャニス”状態の歌をお聴きください。




 と、こんな具合なんだけど、なんかもう、私にはお定まりの定食みたいに思えてきちゃってねえ、こういう音楽って。冷たい言い方ではありますが、これが私の正直な感想なんだからしょうがない。
 などといいながら私、You-tubeで彼女の映像をあたっていたんですがね、そこにいくつも転がっている”ジャニス化以前”のSarolta Zalatnayの姿が結構良いんですな。 なんか、フレンチポップス界のアイドル歌手みたいなノリなんですよ。声も見た目もいかにもアイドルな女の子でね。
 これはヨーロッパ芸能界のより深い根っこなんかを感じさせて、お洒落でいいじゃないか。まあ、下の映像をご覧ください。




 ね、良いでしょ?そこで相談があるんだが、業界の実力者の方々、この頃の、いわば”イェイェ時代”のSarolta Zalatnayを、我が国の音楽ファンに売り込んでみる気はないですか?こっちの方が人気が出ると思うんだがなあ。つーか、私はこっちの方が好きなんだけどね。どうでしょう?ダメか、やっぱり。
 しかし、それぞれの人にそれぞれの歴史があるもんですな、まったく。

世界は1970年、ナイジェリアで終わった

2011-01-23 02:13:25 | アフリカ

 ”World Ends: Afro Rock & Psychedelia in 1970s Nigeria”

 さて、昨日に続いて、”もう一つ別の国のサイケ”を探るといたしましょう。てなことで、1970年代の初めにアフリカはナイジェリアで、全世界的には知られることなくリリースされていたサイケなロック盤の数々が昨年、このようにして2枚組のCDにまとめられております。
 こいつがカッコいい代物でした!こんな音群が30余年もアフリカローカルでしか知られぬままレコード会社の倉庫に眠っていたとはもったいない話。いや、実にタフで図太いビートを孕んだ、そして見事にサイケな音が満載なのであります。1970年代にここまでやっていたとは、ってんじゃないんだ、そのような注釈抜きで素晴らしい出来上がりになっている。

 サイケなロックと言っても、多くはファンク色濃い仕上がりになっているのは、やはり黒人同志、その辺に親和性を感じちゃうんだろうか。とはいえ、やはりド真ん中に突き通っているのは凛としたロックのノリでありまして、こいつが迷いがなくて清々しいんだ。
 いやもうね、内ジャケに収録バンドの写真が載せてあるんだけど、連中のギターの構え方、ステージへのアンプの並べ方まで、”サイケの時代”の空気を知ってる私には深く共鳴させられるものを感じる。そうなんだよ、こんなノリだったんだ、バンドやってる奴らは皆、さ!

 ファズギターはグリグリゴリガリと凶悪なアドリブを繰り出して世界を切り裂き、オルガンは機材の都合で音はチープながらもジャズィに空間を泳ぎまわって極彩色の幻想を描く。エネルギッシュに暴れまわり、それを支えるベースにドラムス。ともかく思いっきりパワフルなサイケが次から次へと繰り出されてくる盤なのであります。
 ちょっと心動かされてしまったのは、収録メンバー中唯一の女性アーティスト、The Lijadu Sisters なるデュオなのでした。まあ、ピープル・ゲット・トゥゲザ~♪的なソウルっぽいメッセージソングを歌ってるんだが、ジャケに載ってる彼女らの、その面構えも加算してのロック姉ちゃんぶりが、男たちに負けていないナイジェリア女性の逞しさを感じさせて爽やかだったのでした。

 それと関連して。内ジャケに、70年代当時のナイジェリアで出されたシングル盤のジャyケが載せられているんだけど、気になる一枚が。野原で一人の女性が炎に包まれている姿がイラストで書かれていて、”ファイアー・ウーマン”なんて曲名が書かれている。
 これ、アジア・アフリカの旧弊な男尊女卑の社会習慣に囚われている社会のあちこちで行なわれている、女性の焼身強要に関する歌だったんじゃないか?
 たとえば、「今度来た、あのウチの嫁さんは実は処女ではなかったらしい」なんて噂が近所に立つ。あるいは、誰かと不倫しているとか。すると、噂の的となった新妻は野原で自らの体を炎に放り込んで、潔白を主張しなければならない。ならないったって、結果として焼身自殺させられて、やっと”潔白”を認めてもらったってしょうがないじゃないか。

 昔、テレビのドキュメンタリーやら現地ルポ本でそんな現実があると知り、やりきれない気分になったものだが、それに関する歌なら、気になるところだ。それについても触れておいて欲しかった。まあ、もしその種の歌なら、ということなんだけど。



サイケなトルコの航跡を追って

2011-01-22 00:37:27 | イスラム世界
 ”Hava Narghile : Turkish Rock Music 1966 To 1975”

 半裸の女たちに囲まれて禿頭のオヤジがパイプで水タバコを吸う。いかにもうさんくさいジャケ写真であります。「マトモな音楽は入っていません」と宣言しているようなものだ。そして、ジャケに記されたタイトルの”Hava Narghile”は、ハバ・ナギラのことだろうか?しかしあれはユダヤの民謡なのであって・・・なんて事を気にするようなノリの悪い奴は聞いちゃいけない盤なのかもね。
 という訳で、60年代から70年代にかけて、トルコ・ロック界で何が起こっていたかという、貴重な資料集であります。

 聴いてみれば、もう思い切りGSでサイケな世界だったのね。切なく呻くボーカル、グルグル渦を巻くファズ・ギター、ボコボコボコと際限のないソロをとるベースギター。やかましいドラム。聴いていると、「うわあ、ゴールデン・カップスだ!あれ、モップスじゃないのか!」と飛び起きる瞬間、たびたびあり。ユーラシア大陸の両端で、似たような事をやっていたのだなあ。
 そう言ってもいられなくなるのが、サイケが高じ、トルコ風インド音楽(?)かなんかが始まると、それが中東風ロックの道を開いてしまうあたり。意味ありげにファズギター(トルコ人はファズが大好きだ!)が悩ましげにアラブ風なフレーズを奏で、ドンツカトットットゥンとドラムが民俗打楽器風の波打つリズムを送ったかと思えば、ボーカルの奴は妙にシリアスにアラブ歌謡の結構本格派に聴こえる節を唸り出すのだった。あれ、こいつら、いつの間に本気になってたんだ?

 うん、60年代のロックバンドがサイケの文脈の中でいい加減なインド~中近東っぽいサウンドを出す例というのは、あった。一番適切な例はアイアン・バタフライの大作、胡散くさい大作、”イン・ナ・ガダダヴィダ”だろう。まあ、ビートルズのジョージのシタールでもいいし、ジェファーソン・エアプレインの”ホワイトラビット”でもいいけど。
 ともかくそれらに影響を受けたと見えるトルコのサイケなGS連中もそれ風のものをやり始めるんだが、それがいつの間にか彼らなりのルーツ探求ロックみたいなものになっていってしまう。そりゃ、厳正な目で見ればいい加減なものだろうけど、方向性としては。
 で、ありゃりゃ、これは本気で聴かなきゃいかんのかな?と襟を正せば、歌が終わったとたんに能天気なファズギターが延々、どことなく寺内タケシの香るサイケなソロを大乗りで弾き倒すのだった。

 まあ、どこまで本気でどこまでサイケだ、なんていったってねえ・・・「イギリスの最新ヒットが手に入ったって?あれ?こういうのがナウいサイケなのか?こんなんだったら俺っち爺サマが昔から村祭りの時にやってるぜ。ちょっとやってみようか?こんな具合だ」「うわあ、うまいうまい。もう一回やってくれよ。俺たちも合わせるからさ」とかね、そんなのやっているうちに、本気になっちゃったのかなあ。
 でも、その先は?彼等がその後、トルコ独自の土着的な深いロックを創造したって噂も聞かないんだけど、うん、ちょっと気になる。まあこういうのって、肩透かしのエンディングしか待っていないものなんだけど、それは知っているけど。

 あ、中ジャケに、”ほぼ全裸の女GS”の写真あり。いやまあ、一応、情報として。



南アフリカ、打ち込みと指笛

2011-01-21 02:25:12 | アフリカ

 ”NDZI TEKE RIENDZO NO.1 ”by FOSTER MANGANYI NA TINTSUMI TA TILO

 機械の打ち込みのリズムの感触を手動で真似てみた、みたいなカチカチした太鼓の音に導かれ。昨年、「なんじゃこれ?」と半分歓喜し半分首をひねったあのサウンド、南アフリカ発のテクノ・ダンスサウンド、シャンガン・エレクトロの第2派が早くも我が皇国の岸に到着した!
 とりあえず私も大いに面白いと思い、昨年の年間ベストに入れさえしたのだが、何だか得体の知れない奴らだなあ?との思い、聴くごとに深まるばかりで、確かに凄く面白い音を出す連中ではあるものの、どうもその正体がつかめない。
 前回のように、いくつかのバンド参加のオムニバスのような、でもその正体は皆、同じバンドかも?なんて謎をますます深めるような盤じゃなく、今回はFOSTER MANGANYIなる人物率いるバンドの音をじっくり味わえる盤であるから、これでやっと勝負は五分と五分(?)なのであるが。

 それにしても、先に述べた、なにやら人力による非常にご苦労さんなテクノ・サウンドの再現集団、との感触、このアルバムを聴きこむにつれ、ますます深くなってくる。いや、打ち込みの音も確実にバンドの音のど真ん中でクールなビートを刻んではいるんだけれど。
 パーカッションばかりじゃない、いかにもチープな音のキーボードもシンプルなフレーズを繰り返して、ミニマルを気取ってるし、一つの曲の演奏中、一音か二音だけを執拗に繰り返すだけの口笛、いや指笛だろうか、これは機械じゃなくてひょっとしてナマでやってないか?なんかえらい乗ってブロウ(?)しまくってくれてるけど。
 そしてそれに被ってくる、なにやら凄く暖かい響きに満ちた子供たち(女性たち?)のコーラス。クレイジーなバンドどころか、心温まってしまうぞ、これでは。

 さらに今回の盤、曲のタイトルが気になる。英訳されたものを見てみると、「天使たち」「主のために働く」「私の魂」「アーメン、アーメン」「私は祈り続けるだろう」と、ゴスペルかよ?と突っ込みたくなるようなものばかり。そもそもがそういう性格のバンドのうちで起きたムーブメントなんだろうか、シャンガンって?
 しかし、この指笛のパワーも凄いなあ。奄美~沖縄のシマウタ関係者、いずれ勝負の時が来るかも、ですぜ。
 と、こちらが「?」キーばかりを押しまくるうちにも演奏は続く。なにやらアフリカの村の集会場に打ち込みの機械を置き、そいつを囲んで盛り上がりまくる民俗音楽集団、なんて妙な風景ばかりが頭に浮ぶ。しかも、村の上に広がるのは強化ガラスの向こうの、見知らぬ宇宙の星々だ(”キリンヤガ”ってSF小説を読んだことありますか?マイク・レズニック著。まあ、関係ない話だけれど)

 と、いろいろゴタゴタまとまらない事を書いてるけど、You-tubeにはこの盤の音、貼られていないんで、聴いてもらうわけにも行かないのでした。似たような音さえ見つからないし。すいません、興味をお持ちの方、何とかしてこの盤を手に入れてください。損はさせません。
 しょうがないから以前紹介した盤の映像を貼っておくけど、この盤、これとはかなり印象は違うとお心得ください。



ムーミン谷の隠れ歌

2011-01-20 03:15:46 | ヨーロッパ

 ”Moomin Voices”

 北欧の作家、トーベ・ヤンソンが創作した童話・・・とかなんとかいう説明も蛇足だ、という気がするけど、まあようするに、あの”ムーミン”の物語にかかわる音楽です。
 アニメのムーミンに付けられた主題歌や挿入歌なんてものは世界中に山ほどあるんでしょうが、これは1950年代、ヤンソン自身が劇場用に自ら作ったメロディを元に創られた、いわば”本家”みたいなアルバムです。

 作家自身が作ったメロディ・・・そんなものがあるんですね。散逸していたヤンソン作のメロディの断片を集めてきて、スウェーデンのジャズ・ピアニスト、ミカ・ポージョラが形を整え、同じくスウェーデンの人気ジャズ歌手、ヨハンナ・グルスネルを迎えて吹き込んだのが、このアルバムという次第。
 ヤンソンが作った音楽の原型は聴いた事がない、というか聴くすべもないんだけど、作家はもちろん音楽の専門家ではないので、それほど要領の良いものではなかったのではないか?「劇場版は繰り返しが多くて面白いものではなかった」なんて盤に添えられたミカ・ポージョラのメモに、チラと本音(?)がもれていたりする。

 そのようにして出来上がった音楽は、ジャズをメインに、かたや現代音楽、かたや北欧民謡のメロディなども織り込みながらの、なかなか聴き応えのある楽しいものとなりました。
 これはヤンソン自身のメロディがもともと放っていたものだろうけど、いかにも北欧らしい、やや影のある旋律がさまざまなバリエーションを加えられながら、時に美しいハーモニーを伴いつつユラユラと歌いつずられて行くのを聞いていると、聞き慣れないスウェーデン語のエキゾティックな響きも相まって、どこか遠い遠い見知らぬ国の深い雪に包まれた隠れ里に住む不思議な種族が歌う歌、という感触がとてもリアルに感じられて来て、その種族の喜怒哀楽や手触りや体温まで感じ取ったみたいな幻想をもたらしてもくれるのでした。

 ところで残念なことに、You-Tubeにはこのアルバムの音は上がっていないようです。でも、何も貼らないのも悔しいんで、別のレコーディング(テレビ番組のためのものなのかな?)から、このアルバムの2曲目に収められているユーミンのテーマソング(?)など、貼っておきます。フィンランドでは、この歌を知らない子供はいないのだそうな。




地の果てのワルツ

2011-01-19 03:17:10 | 南アメリカ

 ”LA REYNA Y SENORA”by JESUS VASQUEZ

 ペルー名物。きっとそうなのでしょう、バルス・ペルアーノなる白人系大衆音楽の、彼女は最初のスターとのこと。名花JESUS VASQUEZ 、デビュー。1939年のことであります。可憐な声で切なく美しいメロディを彼女は、夜空に瞬くお星様を仰ぎつつ心を込めて歌い上げます。
 バルス・ペルアーノ。アルゼンチンのタンゴなんかでも”ワルツ”なるサブ・ジャンルが存在しているのであるし、その辺の”ラテンアメリカ・三拍子文化圏”の中のものという方向から捉えていいのか?

 確かにその南欧の尻尾を付けた妖しく美しいメロディ展開は、その血族である事を主張しているが、バックのサウンドは、優雅なタンゴ世界のそれとはかなり違っていて、なにやらリズム・セクションが前のめりにジタバタとせっかちな進行をするあたり、あまり洗練されているとは言えず、ブエノスアイレスのタンゴ紳士たちからはイナカモノ扱いを、そりゃされるんではないかな?私などはこのパワフルなリズム展開はずいぶんと心地良く感じられるのだが。

 などと余計な心配をしている間にもアルバムは進行して行きます。今、南欧仕込みと書きましたが、いったい古きヨーロッパからペルーの地はどれほど離れているのか。彼女の歌に聴き入り、あるいはリズムに合わせてダンスのステップを踏む男女に、再び大西洋を越えて故郷に帰り、グラナダを見る機会などあるのだろうか?
 切なく流れるギターの音よ。哀しく揺れるピアノの和音よ。そして可憐なる少女歌手よ。君も我も、共に明日知れぬ人生の旅人ならん。

 旅路の果ての新大陸、荒れ果てた大地で見上げる星、二度と帰れぬ故郷を思い、可憐なるペルーのワルツにただ酔い痴れてみせる、わけあるバガボンドの心細き心情に想いを至らせば我が胸にもまた望郷の涙、溢れ出でて止まるところを知らぬのであります。



”艶歌”の捏造

2011-01-18 02:46:00 | 書評、映画等の批評
☆創られた「日本の心」神話
 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 輪島祐介・著(光文社新書)

 まだ形成されたばかりと言っていい「演歌」なる大衆音楽のジャンルを、まるで大昔から我が国に存在した音楽であるかのように吹聴する。そして「日本人の心である」などと言いくるめる。そんな無茶な歴史捏造はなんのために発生し、どのように人々に受け入れられて行ったのか。日本の大衆音楽史の大いなる闇にメスを入れる書。
 さらに、五木寛之の小説に登場する昔気質のプロデューサー、”演歌の竜”と、そのモデルになった人物とのキャラの落差が何を意味するか?など。
 あの頃、なんでもなく聞き流していた”流行歌”の影で何ごとが起こっていたのかが執拗とも言いたい追求の内に姿を現す。凄い凄い。




中東ロック in 60'

2011-01-17 02:53:52 | イスラム世界

 ”Hard Rock From The Middle East”by The Devil's Anvil

 70年代、クリームやマウンテンといった印象的なロックバンドを世に出した、ミュージシャン&プロデューサーのフェリックス・パッパラルディが1967年、ニューヨークはグリニッッジビレッジあたりでたむろしていた在合衆国の中東系の人々によるロックバンドと繰り広げた音楽的冒険の記録。あるいはバカ騒ぎの記録。これは血が騒ぎますな。

 冒頭、エレクトリック・ギター&ベースのゴツゴツした”ロック”なリフに導かれ、武骨なアラビア語のボーカルが呪文の如きコブシ付きで呻き出される。バックのサウンドはアラブ方面の民族楽器各種とロックバンドの標準装備との混交だが、あくまでロック志向なのが嬉しい。そりゃそうだ、まだワールドミュージックなんて概念のない時代のセッションなのだから。
 ともかく、アラブの旋律や伝統楽器の音が、いかにもこの時代らしいサイケなロック音、ファズギターの轟音と絡み合いながら進行して行く様は痛快の一言。ガツガツと刻まれるロックのリズムの上をイスラミックなメリスマをくねらせながらボーカルが渡って行くカッコ良さといったらない。

 いや、実は「ワハハ、来てるぜ、アラブ・ロックが」とか言って、その出来上がりのうさんくささをせせら笑うつもりでいたのだが、実際を聴いてみたら。「いや、これで正しいんじゃないのか」と思わされてしまったのだった。アラブ音楽の臭味とロックのケレンは、結構相性がいいのではないか、なんて思われてくる。
 アナログ盤で言えばA面がすべてアラビア語のボーカルによるアラブ・ネタであり、B面に行くとさらにトルコ語やギリシャ語も飛び出し、それぞれの国のサウンドが導入されて、彼らの音世界はさらに多岐に渡ることとなる。ギリシャ語のバラードの哀切さが心に残る。

 このバンド、というかこの”中東風ハードロック”なる音楽上の試み、この一枚で終わってしまったようだけど、もったいなかったね。もっと続ける道はなかったものか。とか思うが、1960年代という時代を思えば、ゲテモノとして一瞬受けて忘れられるという結末しか、いずれにせよなかったのかも知れない。やはり、つかの間の夢で終わるしかなかったのか。
 それにしてもパッパラルディって、日本に来た時もクリエーションの連中と遊んで行ったし、なんか”異文化社会におけるロックバンド”なんてテーマに興味があるんだろうか?その興味、何らかの結果は出たんだろうか、彼の内では?どこかで語ってはいないものかと思う。