”New Bigining”by Jade Kwan
いけね、これ、去年のクリスマスに取り上げるつもりのCDだったんだが忘れてしまったと頭をかきつつ、まったく時期外れの今頃、引っ張り出した次第である。
クリスチャンの中国国民、なおかつ根っからの香港っ子という自らの足元にあるものをじっと見据えつつ、聖夜、喧騒の香港の通りに降り注ぐ神の祝福の美しさを清冽な余情を込めて歌ったアルバム、”Shine”を発表し、私のような俗人をもシンとした気分にさせてくれたジェイド・クヮンである。あれはきれいな音楽だったよなあ。
昨年の年末にも彼女は、このアルバム”New Bigining”を世に問い、クリスマス気分を盛り上げてくれるはずだったのに、何に気を取られていたのか忘れたが私は、せっかく買い込んでいたこのアルバムを聴きもせずに歳を越してしまった。
それでもまあしょうがない、今日あたりを”旧”のクリスマスってことにしようよ、などと言いつつ、どんどん聴いてしまう。
今回もまた”聖夜”からみのアルバムであることは、中ジャケに載せられた写真が雪まみれであることからも明らかだ。深夜、雪明りの荒野に一人、アップライト・ピアノだけをお供にジェイド・クヮンは立っている。
しかし、前作よりも彼女の歌が線が細く、思いつめた表情になってしまったのが気がかりではある。前作では彼女は暖かい部屋のソファに座ってさまざまな思い出にふけりながら聖夜を祝っていたはずなんだが、今回の彼女はキリストの舐めた苦しみを我が身にも、とでも言うように裸足で雪の降り積む荒野に立っている。そりゃ、そこがスタジオであり彼女に降りかかっているのが発泡スチロールや白色のスプレーによる積雪ではあるにせよ。
音楽も同じノリであり、先のアルバムで微笑みながら祝福を与えていた周囲人々への思いが、今回は、「どうかこの人たちに幸せを」と、イエス・キリストにすがりつかんばかりの勢いである。
収められた各曲のメロディラインも、いつものように美しいスロー・バラード中心のものなのであるが、今回は心を絞り上げるような痛切な想いの吐露の趣きが濃く、ある種、痛々しさを伴う感もある。
いや、それは私の勘ぐり過ぎで、彼女の表現の個性がそのようなものである、だけのことかも知れないんだけど。
その一方で、それはジェイド・クヮンという感受性の強い娘の意識を通って表に出て来た時代の貌、なんて気もしているんだけどね。
いけね、これ、去年のクリスマスに取り上げるつもりのCDだったんだが忘れてしまったと頭をかきつつ、まったく時期外れの今頃、引っ張り出した次第である。
クリスチャンの中国国民、なおかつ根っからの香港っ子という自らの足元にあるものをじっと見据えつつ、聖夜、喧騒の香港の通りに降り注ぐ神の祝福の美しさを清冽な余情を込めて歌ったアルバム、”Shine”を発表し、私のような俗人をもシンとした気分にさせてくれたジェイド・クヮンである。あれはきれいな音楽だったよなあ。
昨年の年末にも彼女は、このアルバム”New Bigining”を世に問い、クリスマス気分を盛り上げてくれるはずだったのに、何に気を取られていたのか忘れたが私は、せっかく買い込んでいたこのアルバムを聴きもせずに歳を越してしまった。
それでもまあしょうがない、今日あたりを”旧”のクリスマスってことにしようよ、などと言いつつ、どんどん聴いてしまう。
今回もまた”聖夜”からみのアルバムであることは、中ジャケに載せられた写真が雪まみれであることからも明らかだ。深夜、雪明りの荒野に一人、アップライト・ピアノだけをお供にジェイド・クヮンは立っている。
しかし、前作よりも彼女の歌が線が細く、思いつめた表情になってしまったのが気がかりではある。前作では彼女は暖かい部屋のソファに座ってさまざまな思い出にふけりながら聖夜を祝っていたはずなんだが、今回の彼女はキリストの舐めた苦しみを我が身にも、とでも言うように裸足で雪の降り積む荒野に立っている。そりゃ、そこがスタジオであり彼女に降りかかっているのが発泡スチロールや白色のスプレーによる積雪ではあるにせよ。
音楽も同じノリであり、先のアルバムで微笑みながら祝福を与えていた周囲人々への思いが、今回は、「どうかこの人たちに幸せを」と、イエス・キリストにすがりつかんばかりの勢いである。
収められた各曲のメロディラインも、いつものように美しいスロー・バラード中心のものなのであるが、今回は心を絞り上げるような痛切な想いの吐露の趣きが濃く、ある種、痛々しさを伴う感もある。
いや、それは私の勘ぐり過ぎで、彼女の表現の個性がそのようなものである、だけのことかも知れないんだけど。
その一方で、それはジェイド・クヮンという感受性の強い娘の意識を通って表に出て来た時代の貌、なんて気もしているんだけどね。