ふとつけたテレビで、NHKのドキュメンタリー、「日本人はなぜ戦争に向ったのか」をやっていた。とりあえず見とこうか、程度の興味で見始めたが、そして、今はじめて知る真実、といったものもなかったのだが、それでも気がつけば番組に見入ってしまっていた。
そして、日本が勝てるはずはない戦争に自らを追い込んで行く場面では、なんとかならないのか、ともう過ぎてしまった歴史をどうすることも出来ないのはわかっていながら、それでも開戦を回避する妙案が飛び出してくる奇蹟を私は、手に汗を握りつつ願っていたのだった。
バカな話じゃないか。当時の日本の指導者連中の中で、アメリカと開戦して勝てると考えていたものは一人もいなかったのだ。一般に戦争推進派と思われている東条でさえ、開戦には乗り気ではなかったし、戦ったところで勝てるとは思っていなかったのだ。
すべては指導者たちの責任のなすりつけ合い、そしてすでにはじめてしまっていた日中戦争を終わらせる勇気のなさが、地獄へ突き進んだ理由のすべてだった。「私の責任でいい、開戦を避けよう」と言う勇気ある発想は、重臣たちの誰一人として持ち合わせなかった。
「あんたのところで”戦争は出来ない”と言い出してくれんかね?あとはこちらがなんとかするから」
「何を勝手な事をいっているんだ」
・・・このやりとりのたらい回しの間に、事態は取り返しのつかないところに至っていた。
そして国民は”愛国行進曲”を歌っていた。
愛国行進曲は1937年、閣議決定された”国民精神総動員”により国民の愛唱歌を作らんがために公募された歌詞により作られた、行進曲調の、一聴なにやら大言壮語、誇大妄想、なんて言葉が頭に浮んできて仕方がない大日本帝国賛歌である。
さっそくレコード会社各社より発売されたこの歌、発表当時は大いに売れ、売り上げの累計が100万枚に達したというから、当時の人口を考えれば大変なことで、大いに日本国民に愛された歌であると言っていいだろう。
この歌を愛好した庶民の姿を、当時の新聞記事で読んだことがあるのだが、東京下町で町工場に勤めるある男、この行進曲をことのほか好み、早朝より幾たびもいくたびも大音量で行進曲のレコードをかけ、大いに興奮して自宅の狭い庭を一人、終日、行進し続けていたという。
悲痛な話じゃないか。行進曲の歌詞は”四海の人を導きて 正しき平和打ち立てむ”と景気は良いのだが、現実には、オノレの国の未来をありうべき方向に進める方策さえ、この国の上層部は見失っていた。
国民も、うすうすと予感していたのではないか。自分たちが何事か巨大な渦の最中に巻き込まれ、いずこかに運び去れられようとしているのを。そしてその渦を、まさに行進曲で歌われている幻想が現実化されるような光栄ある輝きに満ちた世界への入口と信じたのだが。
だが。行進曲の歌詞は”大行進の行く彼方 皇国常に栄えあれ”と結ばれているが、彼らが放り込まれたのは一幅の地獄絵図の中だった。
私は考えるのだ。その、終日、愛国行進曲を聴きながら一人行進していた男は開戦後、どのような日々を送ったのだろうと。凍りつくソ満国境で、あるいは飢餓地獄のニューギニア戦線で、愛国行進曲の幻想と抱き合い過ごした日々を思い出すことがあったろうかと。だとすれば、どんな気分だったろうかと。