goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

太陽の帝国

2011-03-07 03:45:24 | 時事

 ふとつけたテレビで、NHKのドキュメンタリー、「日本人はなぜ戦争に向ったのか」をやっていた。とりあえず見とこうか、程度の興味で見始めたが、そして、今はじめて知る真実、といったものもなかったのだが、それでも気がつけば番組に見入ってしまっていた。
 そして、日本が勝てるはずはない戦争に自らを追い込んで行く場面では、なんとかならないのか、ともう過ぎてしまった歴史をどうすることも出来ないのはわかっていながら、それでも開戦を回避する妙案が飛び出してくる奇蹟を私は、手に汗を握りつつ願っていたのだった。

 バカな話じゃないか。当時の日本の指導者連中の中で、アメリカと開戦して勝てると考えていたものは一人もいなかったのだ。一般に戦争推進派と思われている東条でさえ、開戦には乗り気ではなかったし、戦ったところで勝てるとは思っていなかったのだ。
 すべては指導者たちの責任のなすりつけ合い、そしてすでにはじめてしまっていた日中戦争を終わらせる勇気のなさが、地獄へ突き進んだ理由のすべてだった。「私の責任でいい、開戦を避けよう」と言う勇気ある発想は、重臣たちの誰一人として持ち合わせなかった。

 「あんたのところで”戦争は出来ない”と言い出してくれんかね?あとはこちらがなんとかするから」
 「何を勝手な事をいっているんだ」

 ・・・このやりとりのたらい回しの間に、事態は取り返しのつかないところに至っていた。

 そして国民は”愛国行進曲”を歌っていた。

 愛国行進曲は1937年、閣議決定された”国民精神総動員”により国民の愛唱歌を作らんがために公募された歌詞により作られた、行進曲調の、一聴なにやら大言壮語、誇大妄想、なんて言葉が頭に浮んできて仕方がない大日本帝国賛歌である。
 さっそくレコード会社各社より発売されたこの歌、発表当時は大いに売れ、売り上げの累計が100万枚に達したというから、当時の人口を考えれば大変なことで、大いに日本国民に愛された歌であると言っていいだろう。

 この歌を愛好した庶民の姿を、当時の新聞記事で読んだことがあるのだが、東京下町で町工場に勤めるある男、この行進曲をことのほか好み、早朝より幾たびもいくたびも大音量で行進曲のレコードをかけ、大いに興奮して自宅の狭い庭を一人、終日、行進し続けていたという。

 悲痛な話じゃないか。行進曲の歌詞は”四海の人を導きて 正しき平和打ち立てむ”と景気は良いのだが、現実には、オノレの国の未来をありうべき方向に進める方策さえ、この国の上層部は見失っていた。
 国民も、うすうすと予感していたのではないか。自分たちが何事か巨大な渦の最中に巻き込まれ、いずこかに運び去れられようとしているのを。そしてその渦を、まさに行進曲で歌われている幻想が現実化されるような光栄ある輝きに満ちた世界への入口と信じたのだが。
 
 だが。行進曲の歌詞は”大行進の行く彼方 皇国常に栄えあれ”と結ばれているが、彼らが放り込まれたのは一幅の地獄絵図の中だった。
 私は考えるのだ。その、終日、愛国行進曲を聴きながら一人行進していた男は開戦後、どのような日々を送ったのだろうと。凍りつくソ満国境で、あるいは飢餓地獄のニューギニア戦線で、愛国行進曲の幻想と抱き合い過ごした日々を思い出すことがあったろうかと。だとすれば、どんな気分だったろうかと。





パンソリ・ブルース・ライド・アゲイン

2011-03-06 01:49:42 | アジア
 ”려 (Scent of Trot)”by 유지나( Yujina )

 という訳で、もはや我が一推しの韓国トロット演歌歌手と成りました、ユ・ジナ女史の新譜であります。国楽パンソリで鍛えたハガネの喉を武器に、パワフルな演歌を真正面から叩きつける彼女の迫力に私、すっかり参っておるのであります。あ、”最愛の”という表現は、もう少し歌の頼りなくて若い女の子の歌手のためにとっておきますが。ひひんひん。”レインボウ”のボラちゃん、早く次のアルバムを出さないかなあ。

 まあ、それはそれとして。私が勝手な事を言うのは良いのですが、ユ・ジナの肝心の韓国での人気はどうなっているのか?などと思っておりましたが、ここに登場した最新盤、ジャケなどちょっとした写真集仕立ての豪華変形ジャケでありまして、ユ・ジナもさまざまに衣装を替え、こちらの目を楽しませてくれます。
 肝心の音のほうも、バックにストリングスつきフルバンドをハッシと従え、期待通りの堂々の歌唱を聞かせてくれます。冒頭の温泉小唄調、”善男善女”なる曲が楽しい。

 ともかく非常に安定した出来上がりという感じで、一瞬、このまま安定成長を続けると人畜無害な演歌のオバサンになってしまうんじゃないかと危惧の思いも過ぎったんだけど、大丈夫だ。6曲目、ちょうど半分まで行った所に収められた、同じレコード会社のボデイコンイケイケ姐ちゃん、キム・ヤンのヒット曲カヴァー、”愛のショショショ”あたりから様子が変わってきて、ポンチャク的というか、なんでもありの雰囲気になってきた。
 ユ・ジナもそれまでの悠然たる歌いっぷりをかなぐり捨て、次の”情深い女”では情緒纏綿たる絶唱を、民謡調の8曲目、”スリラン”では得意のパンソリっぽい唸りも聴かせてくれる。なんか前半が公式サイド、後半が本音サイドって気もするな。

 そしてどうやらヒット曲になったらしい9曲目、”空の星を探して”だ。良い曲です。日本では昭和30年代以来死に絶えたみたいな、悠然たる股旅演歌の王道を行く曲。

 寄る辺ない放浪者、今夜はどこに体を横たえる。
 布団は空、枕は夜露。疲れた体で眠りにつく。
 朝日の前に夢の中でお前の星を探すがいい。

 アバウトな訳詞なんで突っ込まないように。なんか”生活の柄”みたいな歌詞内容でおかしいね、と言いたかっただけだから。
 そして最終曲の”祈る女”、これこそパンソリの流れを汲む地を這うようなスローバラード恨み節、血を吐くような絶唱演歌でありまして、うっわー聞いてるうちに、猛烈に酒が飲みたくなって来た!突然ですが、これで終わらせていただきます。




我もまた一人のトリポリ市民として

2011-03-05 03:16:51 | 時事

 先日、NTT東日本のガッキーが出ているCMの中で鳴り響く電話の呼び出し音が過剰に耳につき、違和感を感ずるという話を書いた。
 心臓の悪い母親など「あれが流れるたびにギョッとして寿命がちじむ」などと負担に感じているというんだが、CMなんてもの、どんな人が見ているのやら分からないものなのだから、その辺にも気を使えないものだろうかと思う。
 実はあの時、「あなたの周囲の迷惑広告などありましたら教えてください」なんて組織にチクっておいたんだが、さて、どのような効果があったんだろう。まあ、そんな抗議はものともしないんだろうけどね、大企業なんてものは。そのまま何が改まることもなく、あのCMはそのまま流されているんだろう。

 CMの中で無理やり鳴り響いて違和感を呼ぶ電話の呼び出し音といえば、嵐のニノミヤくんが出ている日立の冷蔵庫かなんかのCMも、疑問に思うぞ。CMフィルムのど真ん中で非常にリアルな電話の呼び出し音が鳴り響き、ふと自分の家の電話機を振り向いてしまう、なんて人もおられるのではないか。
 NTT東日本、そして日立。どちらのCMも見え透いているよね、そうする意図は。そんな具合にお茶の間の人々にショックを与えて、CMに目を向けさせようって魂胆だ、つまりは。などと熱くなって怒ってみても、「何をむきになってるんだ、あのアホ」としか思ってもらえない世の中だ。

 結論としては。私はあのようなCMを流したゆえに、日立の製品は、今後絶対に買うことはないということだ。それだけは宣言しておく。ということだ。私一人が買わなくたって痛くも痒くもないだろうけどね、会社側は。庶民なんてのは無力なものです。いや、それは重々分かっている、とうの昔に。そういう世代なんだよ、俺は。
 あとNTT東日本には。どうすりゃいいのかな、ウチは西日本なんだ。まあ、おいおい考えて行く。 
 という訳で、俺もまた砂漠にいる。生ぬるいサハラ砂漠で申し訳ないが。



カサブランカ式ジャンプ法

2011-03-04 02:11:13 | イスラム世界

 ”Lik'Oum”by Oum

 モロッコはカサブランカ出身の自作自演歌手だそうだ。まだ若く、アクティヴな女性に見えるけれど、どのような経歴を持つ人なのか、非常に知りたい気分である。
 とても痛快に感じてしまったのは、彼女が聴いて育ったのであろう西欧のポップスやジャズやソウルやファンクなんかからの影響を実に無理なく彼女の血の中にあるアラブの伝統色と楽々と混交させて、非常にカッコいいアラビアンR&Bを作り上げているから。

 いわゆる”アラビックなコブシ廻し”と、いわゆる”ブルージーなフレージング”が巧妙に絡まりあいながら、地を這い脈打つリズムの上を流れて行く。そのリズム処理だって、アラブの市場からニューヨークの黒人街まで、一飛びだ。
 それも、どちらの側に属するうるさ型連中をも納得させる、という優等生的なものではなく、どちらにも公平にアカンベしてみせている、みたいな跳ね返り精神が彼女の魂のド真ん中に鎮座ましましているのを感じ取れるのが嬉しいのである。
 「な~にか文句あるってぇの?」と不敵に微笑み返す歌手、Oumのドヤ顔が音の向こう側に浮んでくる。あんたたちのように頭だけで音楽をやってるんじゃないのよ、と。そいつが痛快なのである。

 そんな次第で、「もうワールドミュージックとか言っている場合じゃないかもなあ」とか意味不明な呟きを洩らしつつ、このCDを何度も聴き返している一夜なのである。サラーム!サラーム・アレイコム・ベイビー!




メキシコの地下水道

2011-03-03 00:06:34 | 南アメリカ

 ”Lagrimas Mexicans”by Vinicius Cantuaria & Bill Frisell

 え~、これはどういう意図のアルバムなんだろうか?メキシコの涙?私のまるで知らなかったブラジルのシンガーソングライター、ヴィニシウス氏と、北米のジャンル越え系異能ミュージシャンとしてへんてこりんな音楽ばかりやって来たギター弾きビル・フリゼールの共演盤で、どうやらメキシコがテーマらしい。
 まあ、正直言って半分はジャケ買いです。ジャケの、中南米名物・天然シュールレアリズムっぽい素朴画に惹かれ、不思議な形でアメリカにこだわるフリゼールが、メキシコ相手にどんな奇想を繰り広げるかに興味を惹かれた。

 すべての曲のボーカルを取っているヴィニシウス氏は、自らの内に沈み込むような物静かな芸風の人のようで、深夜のロウソク相手に歌うような囁き声が殷々と続く。
 フリゼールはギターで奇怪な迷宮を編み上げて行く人であるし、ここはカラッと陽気なラテンの血が騒ぐ、なんて作品にはなりようもなし。照り付ける南国の陽光など受け付けぬ、意識の深層へ降りて行くような音の冥界探訪が記録されることとなった。

 たとえて言えば前々世紀、ヨーロッパから新大陸に派遣された学術調査隊にひょっこり隊員として紛れ込んだシュールレアリズムの詩人かなんかが、本来は真面目に書くべき報告書に、新大陸の珍奇な風物とオノレが古きヨーロッパでクスリまみれで増殖させていた幻覚とを混交させた意識下の胎内巡りを書き込んでしまった、そんな奇書を読んでいる感じだろうか。
 あるいは、陽気に打ち鳴らされるボンゴの響きのもう一つ下層を流れるラテンの無意識界に切れ者二人が手を突っ込んで見せた?

 思ってもいなかった視点からの切り込みに虚を突かれた、そんな驚きが心地良い、地味だけど忘れがたいアルバムに出会ってしまった。




グルンヴァルト1410

2011-03-01 01:22:05 | ヨーロッパ

 ”Kas Tave Šaukia”by Donis

 バルト三国はリトアニアのバンド、とのこと。この国のバンドを、というか大衆音楽を聴くのはこれがはじめてなんだけど、ちょっと民族的にどこと繋がりがあるのか見当が付かない感じだ。他のバルトの国と同じく北欧の国々と親和性の高い音と思えるが、北欧っぽい透明感とも違う重さが感じられる。ハンガリーあたりにむしろ近いんだろうか?
 バンドはトラッド風味のプログレバンドといったところ。リトアニアの民俗楽器がシンセやエレキギターなど現代音楽の楽器と混交して音の壁を作り上げ、中世の軍楽の要素でも取り入れたのであろう、勇壮なリズムに乗って突き進むあたり、相当な迫力である。
 ヴォーカルの女性も力強い声を響かせ、これは相当な実力派バンドなんだろうな。

 CDを取り出すとジャケの中央に”偉大なるグルンヴァルトの戦い600周年を記念して”なる書き付けが現われる。
 ウィキペディアなどで調べてみると、この戦いは別名タンネンベルクの戦いとも言われ、1410年7月15日、ポーランドとリトアニアの連合軍とドイツ騎士団の間で戦われた戦闘だそうな。この戦いで勝利をおさめたポーランドは勢力を拡大、ロシア以外ではヨーロッパで最大の版図をもつ強国として最盛期を迎えたとある。ちなみに当時のポーランド国王はリトアニアの大公も兼ね、つまりこの戦いに勝利した頃は両国にとって栄華を極めた最高の時代だったのだ。

 灰色に垂れ込める雲の下、枯れ果てた大地に両勢力の軍勢が激突する、壮大な歴史絵巻が音楽によって描かれて行く。リトアニア語が分からないのが残念だが、荘重な響きのこのバンドは、このような物語の語り部にまさに適役かと思われる。民族色濃厚な音の壁を食い破って飛び出したギター・ソロが、切々たる感情をぶちまけるあたりは、主演俳優が千両役者の見栄を切る、といった場面なのだろう。
 ボーカルの女性は、トラッドぽい曲は伝統表現に使える巫女として余計な情感を排して叙事に徹し、その一方、途中に差し挟まれた美しいバラードはアルカイックな世界から帰ってきたナマの感情を持った女性として歌い上げ、バンドの描く中世の戦場と、それを見守る今日の我々とを繋ぐタイムトンネルとしても作用してくれる。

 なんか、聴き終えると映画の一本も見終えたような気分になってしまったのだが、こんなバンドがあんなヨーロッパ辺縁の小国にいるんだからなあ。なんて驚き方をしたら失礼か。
 それにしても壮絶な戦いでした、グルンヴァルトの戦い。まさに極彩色の歴史絵巻だった。



我が大地の歌

2011-02-28 05:41:50 | その他の日本の音楽
 ”私の子供たちへ”by 笠木透

 mixiのマイミクの神風おぢさむ。さんの日記にコーヒーの値上がりに関する話題があり、これでは10年前に「そのうち中国人が珈琲飲むようになったら、珈琲って飲めなくなるかもな」と話していたことの、嫌な形の”当たり”ではないかと書いておられた。
 そのブラックジョーク的上塗りとして、「中国の国民すべてが腹いっぱいご飯を食べられるようになると、それ以外の国の国民が食べるご飯がなくなる」というのはどうだ?こういうジョークを言ってはいけないんでしたっけ?

 そういえば敬愛するフォークシンガー、笠木透は”ひとつぶの涙”という歌の中で、このように唱っている。

 「この地上に一人でも餓えている人がいる限り 私たちの食事はどこか楽しくはないでしょう」と。

 それはどうかなあ?と私は首を傾げてしまうのである。もしかして貧乏くじを引いてしまった境遇の人たちがある程度いた方が、食事は美味しくいただけるものなのかも知れないじゃないか。というか、そちらの方が人間の本質を突いているような気もする。
 なんていうと怒る人もいるだろうけど。いや。だから。人間って、そこまで罪深いものである、という話です。どっちが”正しい”かはまた別の話。

 このあたり、昔風の理想主義者の歌だなあ・・・と、ちょっと困ってしまうのだ、彼の歌のファンとしては。ちなみに笠木氏は1937年生まれ。

 同じくこのアルバム中の憲法第9条に関する歌、”あの日の授業ー新しい憲法の歌”は、第二次大戦中、教え子を戦地に送ってしまったのを悔いている教師が戦後、布告された新憲法の、とりわけ第9条について非常に力の入った授業を行なう、その有様を描いた歌なのだが、「軍備などなくても心細く思うことはありません。私たちは正しい事をしているのです。世の中に正しい事ほど強いものはありません」などと論を進めるあたり、ウヨクのヒトビトから「左翼のお花畑的世界観」などと揶揄の標的されるのは必至、の感がある。

 弱っちゃったなあ、とは思うのだが、だからどうと言うこともない、私はぶきっちょな昔ながらのフォークシンガー、笠木透のファンである。
 同じくこのアルバムに入っている「我が大地の歌」に惚れちゃっている私なのであって。この一曲があれば、ほかにどんな歌を歌っていようと、特に問題とは思えない。
 「我が大地の歌」に私は、あれは第何回だったろう、”京都宵々山コンサート”で、高石友也たちが歌ったものではじめて出会ったのだった。

 山登りをした際に作った歌なのだろうなとは、その時点で想像がついた。雄大な山々の連なりが走り、そのふもとにはその土地土地の風土の中に生きて来た人々の喜怒哀楽があり、そして悠久の時が流れて行く。
 この歌もあちこち突っ込みどころはあるような気もするのだが、歌全体の、そして作者自身の、一人のんびりと大海を行く鯨みたいに茫洋たるありようを前にすると、そんな事はどうでもいいと思えてくる。いくたびか春をむかえ いくたびか夏をすごし いくたびか秋をむかえ いくたびか冬をすごし。

 そして今夜も、どこか遠くの人跡も稀な山奥で熊に触れられた立ち木の枝が一本折れる、ポキリという音の響きを今聴き取った、みたいな幻想を弄びながら果てしなく飲んでしまうのだった。




アンゴラ、乾いた哀しみのリズム

2011-02-27 02:05:12 | アフリカ

 ”Angola Soundtrack ”

 西欧世界には知られることなく燃え上がっていた、アフリカ・ローカルの熱い大衆音楽音源の発掘を行なうアナログ・アフリカの作業は実に血湧き肉踊る成果を提示しつつあり、いつのまにか新作のリリースを首を長くして待ち受けるようになってしまった。
 今回は60年代後半から70年代にかけて南アフリカはアンゴラで燃え上がっていたサウンド群の解放。タイトルにはアンゴラとあり、副題には”ルアンダからのユニークなサウンド”とあり、ん、どっちだ?と調べてみればアンゴラが国名でルアンダがその首都名だった、というくらい当方には馴染みのない国であった。その音楽も初聴きに近い。

 パチパチと弾けるような複合リズムに乗って、独特の哀感と不思議にクールなダンディズム漂うメロディラインが疾走する。いつものこのシリーズのようなファンク色は薄く、むしろサンバなんかに近い(時にサンタナっぽくなったりもする)サウンドが展開される。かってポルトガルの植民地だった時代があり、今でもアフリカ最大のポルトガル語人口を誇る国ゆえ、大西洋を挟んでブラジルあたりと相似形のサウンドが形成されたのだろう。
 リンガラっぽくなったりハイライフっぽくなったりするが微妙に似て非なる、手数は多いのだけれどクールな音色のギターが終止カラカラと鳴り渡り、同じく手数の多いベースや打楽器群が沸き立つリズムを奏でる。

 どのミュージシャンもどの曲も、吹き零れそうな哀感を抱きつつ弾け疾走するが、あくまでクールな表情は変えない、その独特の、禁欲的とまで言ってしまいたくなる姿勢が印象に残った。
 それにしても、知ったつもりでいた音楽大陸の、未知だった顔のいかに広大で魅力的なことか。ある意味、恐ろしくもなってくるのである。




ロックシティ・バンコックの幻

2011-02-25 01:48:11 | アジア

 ”SHADOW MUSIC OF THAILAND ”

 1960年代、タイにおいて英国のインストロックバンド、シャドウズ”に憧れて”エレキでゴーゴー”な青春を送っていた連中が残したレコーディングを集めたものだそうだ、このアルバム。CDを手に入れた時点ですでに、聴き所は現地タイの民俗系の音と流行りのエレキギター・サウンドの激突部分、との情報は入っている。

 まあこの種のものは、収められているサウンドの奇天烈ぶりに脳天くらくらさせられるスリルを楽しむもの、と相場が決まっているようだが、一聴、私は、「ありゃ、このサウンド、聴いた事があるぞ。それも我が日本のバンドマンによる代物をリアルタイムで」と、そっちの方向でのけぞり気分となってしまったのだ。
 どこで聞いたかといえば、私なんかより前の世代、いわゆる団塊の世代の人々がベンチャーズなんかに狂い、空前のエレキブームだった60年代当時に、彼ら相手に出版されていたエレキバンド教本、その付録についていた模範演奏のソノシートで、こんなサウンドは展開されていたではないか。

 その種のものには定番として”十番街の殺人”であるとか”ウォーク・ドント・ラン”なんて本来のエレキものの曲と一緒に、ベンチャーズ調に編曲された”ソーラン節”とか、民謡調の曲が入っていたものだ。
 あれらはいったいなんで入っていたのかね、そもそも?当時、エレキ・インストやってた連中は、そういえば確かに、その種の曲をレパートリーに入れていたような記憶がある。あれはバイトで村祭りなんかで演奏をする際、押さえておかねばならない結構重要なレパートリーだったのだろうか?

 話が余計な方に行ったまま入り組んで長くなりそうだから無理やりやめるが、それらの演奏、このアルバムに収められた、エレキ・インスト調にアレンジされたタイの民俗ポップス演奏に、結構似ていたじゃないか。びっくりしないよ。意外と言うより、ある種、懐かしいサウンドなんだから、これは。いや、例外にも中華風やらインド風など、エキゾティックな意匠を凝らした素っ頓狂な代物も当然、飛び出しては来るのだが。

 それでも違いは当然あり、タイ側はどうやら、ここに収められている”民俗調エレキ”が演奏の主幹をなすものであり、爺さん婆さん受けに片手間にやっていたわけではないようだ。なにしろちゃんと聴いて行くと、そのアレンジの本気度、結構なものがあり、アルバム中盤で聴ける低音民俗楽器の動きを模したらしいベースの異様な動きとか、民俗調メロディの”エレキバンドのリフ”への取り込み方のアイディアなど、結構ドキッとさせられないでもないのだ。

 これがほんとに60年代半ばのタイの連中が達していたレベルなら、ワールドミュージック的興味で見るならば、ではあるけれど、かなりのものではないかなあ。取りあえず私は、アルバム後半に至り相当本気で聴いていたし、ラストの、夜闇に浮ぶは街の灯りか星屑か、ヘッドライトに火影も蒼い、ああ切ないメロディだわな、の”Bangkok by Night”に、すっかりセンチになってもいたのだった。

 それにしても、こういった連中と、彼等が切り開いた道ってのはその後、どうなってしまったんだろうね?アフリカ辺りの70年代ロックの再発なんかを聴いていても思うことなんだけど。独自の道をそのまま突き進むという例はあまり聞かない。いつの間にか消滅してしまって、また一からアメリカあたりの流行りの音を真似し直すばかりってのも、なにやら悔しいじゃないか。




生まれたものは

2011-02-24 02:52:32 | ものがたり
 ~~~

 ☆小林麻央が妊娠5ヶ月 海老蔵7月にパパ(ORICON STYLE - 02月23日 12:15)

 歌舞伎俳優・市川海老蔵(33)とフリーキャスター・小林麻央(28)夫妻に今夏にも第一子が誕生することが23日、わかった。海老蔵の所属事務所によると現在、麻央は妊娠5ヶ月で7月に出産予定という。

 ~~~


 十月十日の日満ちて、生まれた子供は黒人なりき。さらにその子、ミルクを灰皿に満たして飲むをことさら好む。怨念の残露の恐ろしきかな。

 ここにいたりて海老蔵、ついに観念し、その子をリオンと名付けけり。

 まこと因果は巡る糸車、それを演ずるは歌舞伎役者の本懐と、江戸市中の人々、大いに噂に興じたりと言ふ。平成大飢餓の前年の出来事なり。