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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ただの季節の変わり目の頃

2011-03-19 01:26:52 | アフリカ

 ”MORNING JOY”by KING SUNNY ADE

 何年ぶりだろう、サニーアデのナイジェリア盤新譜なんて聴くのは。もしかして10年以上は軽く経っているのではないか。まあ、聴きたくてもアルバムを手に入れるのも難しかったし・・・いやそもそも、ナイジェリアに関してはフジ等のイスラム系ポップスに興味が行っていて、この人の存在を正直言って忘れていた。
 今回聴いたのだって、CDを売っているのを見て、街でずっと逢っていなかった同級生に出くわしてあんまり懐かしかったから、という感じに近いのが正直なところで。

 アデの最初の来日公演の際には、夜の”7時のニュース”みたいなメジャーな場所で話題にされたなんて、今の人は信じられないだろう。あんなにでかい会場で、あんなに多くの観客を集めた事も。音楽雑誌にはアデへの賛辞が並び、まさにワールドミュージックの季節の到来、アデはその王座に鎮座します。
 だが聴衆は気まぐれで、季節の変わり目は実に簡単に訪れる。それから何年も要らなかった、誰もワールドミュージックなんかに興味を持たなくなり、「そういえばサニー・アデって、どうしてんの?」なんてセリフはギャグにさえならなくなるのに。

 アデはいつの間にかナイジェリアのローカルスターの立場に戻り、日本にいてはさっぱり手に入らないナイジェリア・ローカルの盤だけをリリースするようになった。別に何をなくした訳じゃない、かっていた場所に戻っただけのこと。とは言うものの。
 なんかサンコンさんみたいな笑顔を浮かべたアデの姿がジャケのこの盤をまわしてみると、あまりにもさりげない昔のままの彼の音だったので、スポッとその世界にはまり込み、懐かしいと思う間さえなかった。誰かが「日向をコロコロ転がって行くような」と表現した彼のメロディ展開は変わらず、そいつに絡むアフリカの大地から湧いて出たみたいな丸っこくて暖かいコーラス。

 例のアフリカン・ギターもコロコロと転がり合いながら絡み合い、不思議なリズムを織りなしていた。聴いていると、生まれ育った風と土の上で満ち足りて微笑むアデの姿が浮んでくる。
 ここに来るまで紆余曲折はいろいろあったのだろう。と思う。私の聴いていない盤にはズタボロの悪あがき盤などもあったに違いない。いや、見当で言っているだけなんだけど。

 この盤では、風にそよぐ草原に触れたみないな気分にしてくれる4曲目の後半とか、ポジティブに生命の輝きを歌うラスト曲などに心惹かれた。これらの曲でアデがまた国際的人気を得る事はないだろうけど。うん、それは仕方がない。そしてそれでいい。もう季節は変わったのだから。

 さすがにこの盤の映像はYou-tubeにはなかった。代わりに、最近のライブ映像など貼っておきます。





ロケンロールの面影

2011-03-18 05:14:34 | その他の日本の音楽

 下は、1970年代にフラワー・トラベリンバンドのライブを見たとき、内田裕也氏がタンバリン振りながらブルー・スエード・シューズを歌ったのを聞いて、「あいつ、また同じ歌を歌ってやがるぜ」と仲間と顔を見合わせて噴出し、その場で即興で作った曲です。その後、我がバンドの重要なレパートリーとなりました(爆)


灰色のハイウェイは 果てまで行ってもギザギザで
俺の心に 空っ風吹き付ける
だからブルー・スエード・シューズ
だからブルー・スエード・シューズ
だから俺は ブルー・スエード・シューズしか歌わねえ
一つ覚えと言うなよ ブルー・スエード・シューズ
シェケナベイベ!


黄金の川を下って

2011-03-17 05:18:32 | 時事

 「覚醒剤は体と心を蝕む悪魔です。やめましょう」

 「あんなに便利なものをやめろというのなら、その代替案を出せ」

 ・・・というようなものだと思うんだが。「原発をやめろと言うのなら、その代替案を出せ」なんて原発支持派のセリフは。

 代替案なんてものがあっちゃいけないんではないか、そもそも。あのようなものに支えられている世界を”当たり前”とする、そのような考え方からまず捨てて行くこと。それが、我々がこれから戦わなければならない戦いではないのか。

 「原発なしに、あの便利な世界は手に入らない」と言うが、それは本当にそんなに便利な世界だったのだろうか?押し付けられた価値観を疑うことなく受け入れ、踊らされていただけではないのか?

 我々が信じ込まされていた、そのような価値観に対する破産宣告のような気がする、今回の原発事故は。

 それにしても気がふさぐ話で。こんなときはどんな人の歌を聴いたらいいものか?と思って、ふと頭に浮んだのがピート・シーガーのこの歌でした。アメリカの社会派フォークのヌシみたいなこの人の、私はまあ、ファンだなんてとてもいえないんだけど、なんかの拍子に、ふと聴きたくなったりする人であります。
 年老いた社会派フォークの闘士が、自分の生きて来た道を振り返り、育てた子供たちを思いながら、ボート遊びで川を下って行く。川辺の、生きとし生けるものたちの美しさに陶然となりながら・・・はじめて聴いたのは私がまだ青少年の頃でして、何を歌った歌なのかも良く分からなかったものでしたが。




漂流

2011-03-16 05:00:46 | 時事
 なんなのかね、あの計画停電ってのは?原発事故から国民の目をそらせようって小細工にしか思えないんだが。とか言いつつ、昨夕、一セット付き合わされたんだけど。手持ち無沙汰でしょうがなかったぞ、夜の停電。

 それはとにかく原発事故、どう考えてもヤバいんじゃないかって気がしてならず、日々、気が気ではない。深夜、いろいろな人の意見をネットで覗いて廻ってると、もう完全にこの世は終わりとしか思えなくなってくる。ここで落ち着いて音楽の話題を書く気にもなかなかなれないのですな。
 なんてこと言っていてもしょうがないからさっき、無理にも書いてみようかなと心を決めかけたところに、今度はこちらの足元で地震発生とは。昨夜のあの地震はなんと呼ばれるのだろう?静岡県東部地震?驚いたと言うより、時節柄、もの凄くいやな気がした。ああやっぱり音楽って気分じゃないや。

 とりあえず静岡東部を計画停電の対象から外して欲しい。それどころじゃなくなったんだから。で、大丈夫なのか、浜岡原発は?

 そういや、不愉快な噂を聞きました。テレビは地震の報道一色で、もう見ていること自体が心のヤマイの原因になるんじゃないかって思えるんだが、ちがいますか?でも、被害を受けた人たちがいる以上、お笑い番組なんかタテマエとして放送したりしてはいけないってことになるのかな?でも時々、間隙を縫ってアニメの放送なんかがされたりするようになってきた。いいなあ。わけの分からないニュース番組ばかりですっかり退屈しきっている子供たち、喜ぶだろうなあ。
 ところが。そういう放送には強硬な抗議が来たりするんだそうで。「大変な思いをしている人たちがいるのに、何をふざけた漫画など放送するのだっ!」とかね。真面目な人たちなんでしょうよ、ええ。真面目で何が悪い?いいえ、悪いなんて言ってませんよ。ただね。ちょっとね。

 本当に、そんな人々の抗議がプレッシャーとなり、テレビの放送が元の状態に戻れないのだったら、悲しくなるなあ。やりきれないなあ。なんて世の中なんだろう。
 そうかそれで、どうやらテレビCMが復活したなと思えば、いかにも良い人ぶりっ子な感じが気色悪かった公共広告機構(今、別の名前になったんだよね。それって正体隠す感じで、御社らしくないですよ。正々堂々と行くんじゃないんですか?)のものばかり連発されるのも、”真面目な人たち”って、ああいうキレイ事の世界、大好きそうだものね。それでなのかあ・・・






アメリカの根を掴んだ女

2011-03-15 03:06:11 | 北アメリカ
 ”Perfectly Legal”by Glenna Bell

 これ以上、地味にはなりません、みたいなジャケのモノクロ写真を見ながら、シワガレ声でアメリカ南部に100年前から伝わっているって感じの、新しいところなんか何もないオリジナル曲を彼女が歌うのを聴いていると、「なんだ、オバアサンじゃないか」と第一印象を持ってしまうが、彼女、実は発散するイメージよりもずっと若いのかもしれないのだ。
 アメリカのシンガー・ソングライター、Glenna Bell の、これがデビューアルバム・・・だと思うんだが、良く分からない。検索をかけても何も出てこないし、まあ、「聴いたことない名だから新人なんでしょ」ってなものです。

 アルバムの副題が凄い。”Songs of Sex,Love and Murder”なんて、若い女がデビューアルバムのタイトルにはなかなか使わない言葉ですよ。で、そんなカビの生えたアパラチア民謡研究書のタイトルみたいな副題がピタリと合ってしまうような歌を歌うんだな、彼女は。
 先にも触れたけど、彼女の灰色にくぐもったハスキーボイスは、アメリカの土着派の作家が描いた、因習に満ちた古いアメリカ南部を舞台にした重たい小説の中から聴こえてくる恨み歌みたいだ。バックのバンドも古いピアノやバンジョーやスライド・ギターなど、ステレオで入れていてもモノクロで聴こえる、みたいな古色蒼然としたプレイで彼女の歌の時代超越に磨きをかける。

 新大陸の土にへばりつくようにして貧相な作物を育て、報われない人生を送った白人の貧農たちと、同じように背骨を折る思いで南部名物、白人富豪のダンナ方にこき使われていた黒人たち。この両者が南部の泥土の上に育てた詠み人不明、黒人白人の文化混在のアメリカ俗謡の世界。彼女はその世界を体ごと、自らの血ごと今によみがえらせて見せる。何でそんな事をしたくなったのか知らんけど。
 でもまあとにかく2曲目に入っている古いR&Bナンバー、”Lost & Lookin'”の地味カッコいい”黒さ”なんか、たまらないものがあるね。

 それにしてもせっかくのアルバムが8曲しか入ってなくて26分で終わり。どこまでも愛想のない女性だと思うね。早く次作が出ないかな。




停電6時間、承った!

2011-03-14 04:05:24 | 時事

 計画停電だと?俺のところは朝晩二回停電で、おい、トータル6時間、電気が止まるんだぜ!
 いや、停電が必要というのは俺も理解した。だが、それなら国民全員の家の電気を一日二回、6時間止めたらどうだ、東京電力。変な差別があるのが納得できねえ!

 停電直前にこんな事言われたって。患者さん、電気が止まる前に医師と連絡が取れますように。
 ↓
 ”厚生労働省です。ご自宅で、電気を使う医療機器(人工呼吸器など)を使っている患者の方は、停電の時間帯の対応の方法について、主治医にご相談ください。”




この時期にツイッターで

2011-03-12 02:33:43 | 時事
 実は、この12日は、このブログをはじめて2000日目の記念すべき日です。もう少し楽しい事を書きたかったんですが。まあ、楽しくなりようがない状況なんだから、仕方がないのですが。

 こんな時期に、下のような事をツイッターに書いて喜んでいる奴がいるわけです。
 いわゆる”ソース”の提示もないし、文章自体もいかにもデマを飛ばしてますって感じの、実に品のない文章です。
 だいたい、”ニュースでも発令された”ってのは何かね?そんな”ニュース”があったら問題にならずにはすまないと思うが。そもそも”ニュースで発令”って何だ?どういう状態だ、ニュースで発令”って。
 でもこんなときですからね、こんな文章をうっかり信じてしまってパニックに陥る人もいるかもしれない。いや、そんな混乱を発生させて楽しみたい性格異常者なんでしょうね、これを書いたのは。”拡散希望”とか”コピペして知らせて”とか、皆を騒がせて楽しみたい愉快犯と丸分かりでしょ。
 こんな文章が出てくる。しかもそれを100人以上がリツィートする。頭が痛くなります。いかにツイッターがバカを育む温床となっているかの証左といえましょう。

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【拡散希望】今回の地震はプレートのずれの可能性があるため関東の方は深夜に地震が起きる可能性があるそうです。充分注意してください。ほんとにいつあるかわからないから気をつけて。ニュースでも発令されたから。みんなこれコピペして知らせて!!

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 もう一つ。こちらは逆に当方が、この場に”リツイート”させていただきます。
 ”始末に負えない様な道具は使うものじゃない”は、まったく同感です。たった一基の原発の不調さえ手にあまっているのに、日本中を原発だらけにして、どうするつもりなんだ。「原発はエコを考えたクリーンエネルギー」なんて、よく平気で言うよなあ。
 これを契機に原発全廃を考えてみるべきじゃないでしょうか。

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NHK。福島第一原発一号機で放射性物質を含む空気の放出を検討中。中の圧力が高まると最悪破裂と放射性物質の流出を招く。それを防ぐため空気を放出させるいうもの。放出する量は少ない(東京電力による)とのこと。少ないってどのくらい?始末に負えない様な道具は使うものじゃないとつくづく思う。

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凍土の下でロシアが歌う

2011-03-11 03:37:48 | ヨーロッパ
 ”Kokoon”by INNA ZHELANNAYA

 なんかこの人については、音楽マニアの暗黒の深部で一部の人々が盛り上がっていたようなので、逆にヘソ曲げて触れずにいた私なのだが。いやしかし、触れておかずにいられまいてよ。
 Innaは1990年代から活躍していたというロシアの女性歌手です。この昨年出たばかりの最新アルバムでは、トラッドというか土俗っぽい音楽性をプログレっぽいサウンドをバックに聴かせる人って感じなんだけど、ソロになる以前に属していたバンドでは、もっと民俗音楽色濃い事もやっていたらしい。その辺はまだ聴いてないですが、いずれにせよ土俗的な音楽に興味を持ってやってきた人のようです。

 このアルバムは、その”土俗”と言うテーマをさらに深く掘り下げてみた、という感じでしょうか。
 バックの音は音楽というよりサウンドエフェクトに近いもの。重苦しい和音を奏で続けるオルガン、秘教っぽい妖しげなリズムを打ち鳴らすパーカッション、地の底から湧き上がって来るような奇妙なサウンドエフェクトをまき散らすシンセ。
 錆び付いた扉が開くギ~という音が幕開け。すぐにフィールドレコーディングされたみたいな感触の、農夫たちのご詠歌か労働歌みたいなプリミティブなメロディの合唱が始まります。そこにシンセの重苦しい効果音が被り、男女のコーラスによる賛美歌らしき歌がご詠歌に取って代わる。

 なんて運びはもう、暗黒世界もののプログレでは定番の世界でもあるでしょう。そんな重く暗いサウンドの真ん中で、ロシアの大地が育んで来た伝承歌の呪文のようなメロディをひたすら内に向って歌いかけるInnaは、なんだか神降ろしの儀式でもやっているかのような。ふと、浅川マキの”赤い橋”なんて歌を思い出したりします。
 陰鬱なメロディの繰り返しが次第にこちらの心にまで染み付いてきて、妙な音楽だなあと思いつつも、気がつけば何度もこの古代ロシアの呪術世界に聴き入っている自分に気がつく始末。あな恐ろしや・・・

 このアルバムの音はYou-tubeでは見つからなかったので、Innaのライブの様子など、貼っておきます。




カナダの湖畔にて

2011-03-09 05:09:59 | フリーフォーク女子部

 ”Birds of My Neighborhood”by The Innocence Mission

 寒いッ「スね。冬なんてこの間、春一番だ吹いて、あれで終わったのかと思っていたら、冗談じゃない、今が本番じゃないですか。さっき、一時頃だったかなあ、コンビニに買い物に行ったら、吹き付ける夜風のあまりの冷たさに死にそうになった。なったく。なんだよ、これは。
 なんて事を雪も降らない土地の人間が言っていたら申し訳ないだろうか、雪国の人に。
 コンビニでついでに買ってきた、”コパン・メープルシロップ味”というスナック菓子をいくつかつまんたら、鼻の辺りにメープルシロップの淡い匂いが染み付いてしまい、しばらく取れない。嬉しいような迷惑のような感じだ。

 子供の頃はメープルシロップと言えばホットケーキを食べる時に使うもの、としか認識していなかったな。そんなものを食べることが十全な幸福を意味していたあの頃。まだ日本に貧しいけれどゆっくりとした時間が流れていた頃。
 あの独特の甘みのシロップが北国カナダの原生の樹液であると知った時にはちょっとした感動があった。灰色の空の下、冷たい空気の中で音一つ立てずに立ち並ぶ針葉樹林群があり、地平線の彼方まで木々は広がっている。雄大な光景。そしてその空間の空気はメイプルシロッップの甘い香りに満たされているのだ。

 アメリカの田舎から出て来た、Peris夫妻を要としたフォークユニット、”Innocence Mission”に”Birds of My Neighborhood”なるアルバムがあり、ここに”The Lakes of Canada”と言う曲が収められている。
 いつかカナダ旅行に行った時の思い出なのだろうか、その時撮った下手くそなスナップ写真の向こうで揺れているちっぽけな思い出のカケラに関する簡素な歌、そんな感じだが、妙に心に残って何度も聞き返してしまう。アルバムではこの曲の前にジョン・デンバーの”フォロー・ミー”のカバーが収められていて、この二曲の繋がりを続けて聴くと二倍、良い感じだ。

 今日、生まれてはじめて外に出て、その際のさまざまな驚きに満ちた見聞について語る幼い子供、みたいなあまりにピュア過ぎて面食らうくらいのPeris夫人の歌声を、ダンナやその友人が奏でる生ギターのシンプルな和音が支える。サウンドと言っても、それだけ。ときたまエレキギターが入れる簡単な間奏が不思議な音選びで新鮮な驚きがあり、あれ、結構やるな、などと感心したりする。

 今この静まり返った夜の連なりの遥か果てに広がるカナダを感知する。延々と連なる針葉樹の森と、メープルシロップの大気と。Peris夫妻の音楽を聴いている夜明け前。





北へ行く雲は

2011-03-08 00:35:48 | フリーフォーク女子部

 ”Everyone is Someone”by Dala

 一部で話題のカナダの女性フォーク・デュオのデビュー作。
 エレキギターやドラムも使われているけれど、それは後ろに下がり、生ギターのストロークが目立つフォークロック調の作り。二人のコーラスはいかにも北国というべきか、クールでやや翳のある、内向きの繊細な表情が覗えるもの。
 決して感情に流されずに、物静かに歌を語って行く二人。プロデュースの仕方によってはお嬢様系アイドルとして売り出すのも可能かと思える可愛らしさもあるんだが、二人はそんなことには興味がなさそうだ。

 彼女らの書くメロディも同様に、フォークというにはややポップでもあり、ことに60年代ポップスの香りみたいなものが漂っているのが不思議な気がする。そんなものをリアルタイムで知っている年齢では当然、ないわけだろうに。
 また、二人の書く歌詞も、難しい言葉を使うわけではないんだがその使い方がなにやら抽象的で英語が外国語でしかない身には理解しきるのは難しい。

 と挙げて行くとなんだか不思議だね、愛想があるんだかないんだか。でも、なんだかこの二人には独特の魅力があり、北国カナダの灰色の空の色をそのまま映して流れる、そのハーモニーをいつのまにか、繰り返し聴いてしまっている。
 そうして淡い水彩画みたいなシンと澄んだ二人の歌の世界を何度も訪れるうち、彼女たちが歌に込めた、言葉にはしがたい喪失感や孤独なんかが、同時代を生きる者として身近かに感ずるようになってくるのだった。