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たのしいゲーム

たのしいゲーム

街 ネクストストーリー4

2014年05月02日 16時00分00秒 | 街 サウンドノベル
●13:00 タワーレコード前

馬部はタワーレコードビルの前に立っていた。

「喫茶店……喫茶店……」

辺りを捜すが、それらしい建物がない。

馬部は、道の端で馬部に背中を向けて立っていた浮浪者に声を掛けてみた。

「あの。すいません」

「…………ふぁい。なんでひょう」

まだ若そうな男だが、馬部に背中を向けたまま、モゴモゴした声で返事をした。

「この辺に喫茶店はありませんか?」

「ひりまへん」

聞き取れいにくい返事だが、どうやら「知りません」と言っているらしい。

「そうですか。すみません」

そそくさと立ち去る浮浪者を尻目に、馬部はキョロキョロと辺りを見回した。

「あいたッ!」

すると、馬部の頭に何か固いものがぶつかった。

「何だ……?」

それは、どこからともなく飛んできたゴルフボールだった。

そのゴルフボールは馬部の頭にぶつかった後も点々と歩道の上でバウンドを続けていた。

「あっ」

やがてそれは車道に飛び出し、通りかかった一台のトラックの窓に飛び込んだ。

「バカヤロー!」

制御を失ってふらふら走るトラック。

トラックの周りの車は急ブレーキを掛け、幾つものクラクションが辺りに響いた。

しかしやがてトラックは制御を取り戻し、普通に走り出した。

「よかった……あっ!」

そのとき馬部はトラックの向こうにある特徴的な形のビルの一階に喫茶店があることに気付いた。

「あった! 怪我の功名ッ!」

馬部は喫茶店に向かって走り出した。



馬部が勢いよく喫茶店のドアを開けると、店中の客がビックリして馬部を見た。

「ウマちゃん」

「馬部」

その中には、向かい合って座るみちると牛尾の姿もあった。

牛尾はみちるの手を取って、宝石箱のようなものを握らせていた。

「ちょっと待ったあ!」

馬部は呆然とするみちるの手から宝石箱を取り上げた。

「う、牛尾さん。悪いけど、これは受け取れません」

「ウマちゃん……」

「マスター、コーヒー牛乳」

馬部はみちるの隣に座ると、宝石箱を牛尾の前に置いた。



・浮浪者:馬部は気付いていないが、さっき宮下公園に繋がる地下道で会った謎の謎の浮浪者。

・ゴルフボール:白峰が篠田を脅していて落とした物。このゴルフボールはこの後、プラットホームを渡ってアレフガレドに流れ着く。「プラットホーム」はJR渋谷駅。変に深読みしないように。

・トラック:虎駆運太のトラック。

・喫茶店:喫茶シルベール。オタクな刑事御用達。

・マスター:ヒゲがトレードマークのマスター。本名増田知鈴(ますだ・ともすず)。つっこみに困るギャグ研究家。



●13:10 喫茶シルベール

「結婚の話があるってのは、本当か?」

牛尾は既にみちると馬部とのことを知っているらしい。

「ええ、本当よ」

みちるが俯いて、それを肯定する。

「馬部。本当なのか? 恋人ってだけじゃなくて?」

牛尾に問われて、馬部はハタと冷水を浴びせかけられたような気になった。

「……!」

「どうしたの、ウマちゃん」

今まではヤクザの親分になりたくない一心でみちると牛尾を捜していたが、いざ見付かってみちると結婚するのかと訊かれると、馬部はそれもまた、ためらいがあった。

男と女が結婚する以上、やはり女性を娶るという形で結婚したい。

しかし、今の馬部にみちるを娶るだけの器量があるのかと言えば、正直言ってとてもないというのが現状だ。

昨日撮り終えた「独走最前線」ではかなり良い演技ができたと思うが、みちるより格下であることには違いがない。

みちるはそれでもいいと言ってくれているが、それではこちらの気がすまない。

「どうなんだ。馬部」

牛尾が馬部を睨み付ける。自分と同じ顔とは思えないほど迫力があった。

「はははい。ボクは、みちるのことが好きです……」

顔から火が出るような思いで、それだけを言った。

「結婚する気があるんだな?」

牛尾の言葉に、ますます顔を赤くして馬部は頷いた。

「ウマちゃん。考えてくれてたの……」

目をうるうるさせるみちるを見て、馬部は慌てて言った。

「いやでも今すぐとかそういうことじゃなくて、そのあの、ゆくゆくはというかなんというか……」

馬部の声は段々小さくなっていき、最後はごにょごにょした独り言になってしまった。

「分かった! 皆まで言うな」

牛尾が、手を上げて馬部の言葉を制した。

「実は俺も、この3日間でみちるに惚れちまった。さっき正式にプロポーズしようとしたところにお前が乱入してきたってわけだ」

牛尾が、ジッとみちるを見た。

「ここは一つ、みちるに決めてもらおうじゃねえか……みちる、どうするんだ?」

「そんなこと言ったって……」

みちるは困惑の表情を崩さない。

「俺か、馬部か……ああ、デュークって奴もそうか? 誰を選ぶんだ?」

「…………」

みちるは俯いて黙り込んでしまった。

重い沈黙が降りた。



●13:20 喫茶シルベール

重苦しい空気を察してか、店内にいた客はほとんど勘定をすませて出て行っていた。

入ってこようとした客も、その空気に気付くと慌ててきびすを返していく。

現在店の中に残っているのは、みちると牛尾と馬部、それにマスターの四人だけだった。

マスターがカウンターの中で頭を抱えている。気の毒だが、もう少し我慢してもらうしかない。

「どうだ。答えは出たか?」

牛尾がみちるを見た。

みちるは俯いた顔を上げた。

「私……馬部さんが好きよ」

「みちる!」

馬部にはみちるが薔薇色に光る女神のように見えた。

牛尾は黙っている。

「……でも私、牛尾さんも……」

「えっ」

途端に薔薇色の光が色褪せる。

牛尾はニヤリと笑って馬部を見た。

「どっちにするか、決めかねてるってわけか」

「そ、そんな」

デュークの話題は出なかった。

「すみません……でも、これが正直な気持ちです」

みちるが再び顔を伏せる。

振り出しに戻ってしまった。

「…………」

馬部は黙ってコーヒー牛乳を飲んだ。

現実と同じく、冷たかった。

「よし。分かった」

牛尾が口を開いた。

「こうなっちまった以上、仕方ねえ。俺と馬部がサシで話付けるぜ」

「サシで……」

「だから、みちる。お前はロケバスに帰ってろや。本人が目の前にいちゃ、話しづらいこともあるからな……ここは俺が払っとく」

牛尾は伝票を手で押さえた。

「……牛尾さん、大丈夫なの? ウマちゃんに乱暴しない?」

みちるは心配そうな目で馬部を見ている。

そんなみちるの目を見ていると、馬部の心の中にもファイトのようなものが湧いてきた。

「大丈夫だって。今まで、そんなに乱暴したことないだろ?」

「そ、そうさ。君は安心してロケバスで待ってるといいよ」

沸き上がったファイトは、馬部をかつてないほど大胆にした。

「きっと迎えに行くから」

「牛尾さん。ウマちゃん……」

みちるは、うっすら涙ぐんでいた。

「分かったわ……」

みちるは、素早く涙を拭くと喫茶店から出て行った。

「これで二人っきりだ。腹割って話し合おうぜ」

牛尾は、目の前のコーヒーをグイッと飲み干した。

「ええ。お互いにね」

馬部がコーヒー牛乳をグイッと飲み干す。

「マスター!」

二人は同時にマスターにお代わりを頼んだ。



●13:30 喫茶シルベール

「さて……なにから話す」

お代わりが来てマスターがカウンターに下がると、牛尾が話し始めた。

「話すことは一つしかありません……プロポーズのことです」

「馬部。もう一度訊くが本気なのか?」

牛尾の言葉に馬部はムッとして言い返した。

「本気です。牛尾さんがみちると会う遙か前から、その話はあったんです」

「でも結局プロポーズはしてないんだよな。何を言っても生返事ばかりで、その気があるのかないのか分からないってみちるは言ってたぜ」

「グッ……」

見事にカウンターを入れられた。

「でもボクらは何度もデートを重ねて来ましたし、3年も付き合ってきたんですよ」

「昔の話は問題じゃねえだろ。要は今よ。今、俺とお前がプロポーズして、みちるが迷ってる。迷ってるってことは、同じ土俵に立ってるってことだぜ」

今度はクロスカウンターだ。

馬部は危うくダウンしそうになる心を奮い起こして牛尾に立ち向かった。

「で、でも……そうだ、白峰組だ!」

馬部は何とか反撃の糸口を掴もうと必死だった。

「白峰組? 馬部、まだ白峰組に関わってるのか?」

「るい子さんや白峰さんがボクに付きまとって困ってるんですよ。ボクを牛尾さんの身代わりみたいに考えてるんですよ」

「へえ」

牛尾には、それは初耳らしかった。

「牛尾さんが白峰組に戻れば、丸く収まるんです。大松さんたちも期待してましたから、組に戻ってあげたらどうですか?」

「俺はもうカタギの人間だ。今更白峰組に戻る気はねえ……るい子お嬢さんはいい子だぜ。馬部、もらっちまったらどうだ?」

「…………」

マズイ。押されっ放しだ。何か言わないと。

しかし考えても考えても、馬部には自分が牛尾より有利な立場にあるという論拠が見付からなかった。

馬部は今更ながらに、自分がみちるに対して、自分の気持ちを伝えるようなことを何もしていなかったことに気付いた。

確かに馬部はみちると3年付き合っている。しかしそれが何だというのだろう。

「悪ィが、俺がプロポーズさせてもらうぜ。この牛尾政美、惚れた女を譲るほどお人好しじゃねえ」

牛尾が鋭い目つきで馬部を睨んだ。

この目は――本気だ。



●13:40 喫茶シルベール

馬部は、今までのみちるとの過去を回想していた。

みちると一緒に結婚式場の前を通ったとき、みちるの「わたしたちも近くここに来るんでしょうね」という言葉を「そうだね、木公田聖子さんの結婚式、もうすぐだもんね」と惚けたこともあった……。

みちると一緒に東急本店へ買い物に行ったとき、ダブルベッドを見て「ウマちゃんの体格じゃ、このぐらいの大きさがないと二人で寝れないかしらね」というみちるに「ボクは一人しかいないよ」と無理にトボけたこともあった……。

「確かにボクは今まで、みちるにハッキリした返事することから逃げてきた」

馬部は俯いて小声で言った。

みちると比較されることが恐かった。

それはみちるに俳優としての輝きを奪われることが恐かったということだ。

俳優の持つ輝きは、水とは逆に低い方から高い方に流れていく。

つまり輝きをあまり持たない脇役俳優は、より輝きを持つ主役俳優に輝きを吸い取られ続ける。

その結果、芸能界は数人の主役俳優を頂点とした輝きのピラミッドを構成することになるのだ。

ピラミッドの底辺に蠢く無数の名もない俳優は、より輝きを持つ俳優を輝かせるためのエサにすぎないのだ。

現実として今の馬部とみちるが結婚した場合、馬部はみちるに輝きを奪われ、世間からは「みちるの」亭主としか見られなくなる。

それは確実だった。

「――それでも」

馬部は顔を上げた。

みちるに過度に依存することは、俳優としての馬部甚太郎の死を意味する。

俳優として、その道を選ぶことに馬部は躊躇していたのだ。

「――それでも!」

体が熱くなる。頭に血が上る。目の前に真っ赤なカーテンが掛かったような感覚に、馬部は異常に興奮していた。

「おい、大丈夫か?」

牛尾の声も、馬部の耳には入らなかった。

馬部は興奮のあまり、椅子を蹴って立ち上がった。

「みちるを取られるわけにはいかないんだ!」

馬部の叫び声が、ガランとした喫茶店にこだまする。

「オイ、何だよ急に」

牛尾は急に立ち上がった馬部に面食らって目をパチクリさせている。

馬部は牛尾に指を突き付けて言い放った。

「う、牛尾さん。ボクはあなたに決闘を申し込みます!」

「なにっ! 決闘だと?」

牛尾は仰天して、飲みかけのコーヒーを吹き出す。

コーヒーが馬部の顔に掛かったが、馬部は全然熱くなかった。

「ボ、ボクも男です。あなたと同じで、惚れた女を他人に渡すわけにはいきません。たとえ体を張っても、みちるは守ってみせます!」

馬部の体にはコーヒーより熱い闘志がメラメラと燃えていた。

「本気か?」

牛尾は、さっきと同じ問いを発した。

「もちろんです。さあ、時間と場所は牛尾さんが指定して下さい。今からでも結構です」

牛尾は馬部の捨て鉢の勢いに驚きつつも、真剣な表情で考えていた。

「……分かった。今日の午後6時。場所はハチ公前でどうだ」

今からちょいとヤボ用があってな、と牛尾は続けた。

「分かりました。それで結構です」

馬部は座ったまま動かない牛尾を尻目に、さっさと喫茶店を出た。



・木公田聖子:元祖アイドルにして元祖ママドル。特定のモデルはない。渋谷で香月ミカレに対抗してつばめ狩りをしているという噂。

・輝きのピラミッド:ピラミッドの中には小さなピラミッドがあり、その中にはもっと小さなピラミッドがある。カースト制は細かく区切れば区切るほど制度自体は強固なものになる。

・ヤボ用:高峰綾の恋愛相談。綾の恋人が積極的でないので牛尾が相談を受けた。結局牛尾が恋人のフリをすることになる。



●13:40 ファイアー通り

「うおおおおおお!」

馬部は、ファイアー通りを炎のように燃えながら走った。

牛尾との決闘には負けるわけにはいかない。

なにせみちるが賭かっているのだ。

馬部は、もちろんみちるが好きだ。結婚したいと思ってる。

しかし今まで、自分の心情的な都合でみちるにを待たせてしまっていた。

この決闘は、いわばみちるへの贖罪だ。

今までの優柔不断な自分を清算し、新たな気分でみちるにプロポーズするのだ!

「うおおおおおお!」

馬部は、ファイアー通りを炎のように燃えながら駆け抜けた。



「きゃっ!」

火の玉と化していた馬部は、一人の女性の悲鳴で我に返った。

馬部はハチ公前まで来ていた。

どうやら興奮して走りすぎたらしく、人にぶつかってしまった。

「あっ……すみません」

馬部の足許に、黄色い上着を着た高校生くらいの女性が尻餅をついていた。

「優作が……」

「え?」

「ウアアアアアアァァァァァ!!」

「ああ……赤ん坊か……」

女性の胸に抱かれた赤ん坊が、火が着いたように泣き出した。

女性は咄嗟に赤ん坊を庇ったのだが、やはり倒れたショックを殺しきれなかったらしい。

「ご、ごめんなさい」

「いえ、いいんです」

馬部が謝っても、赤ん坊の鳴き声が小さくなることはなかった。

「ひそひそ……」

「あの人、さっきもキャベツ教の人を……」

「赤ん坊にまで……」

馬部の回りにいた人が、口々に何かを呟きながら離れて行った。

「キャッ! 寄らないで!」

馬部が見ただけで、回りの女性は悲鳴を挙げて逃げ去った。

「…………」

そうしている間にも、赤ん坊の泣き声はますます激しくなっていく。

馬部がぶつかった女性は地面に手を突いたまま、まだ起きていなかった。

「あっ。どうぞ」

馬部が倒れた女性に手を差し出す。

「……いえ、大丈夫です。一人で起きられます」

女性はそう言ったが、その声には力がこもっていなかった。よく見れば顔色も蒼ざめている。

「ひょっとして、何か病気なんですか?」

「いえ。ちょっと疲れただけです……大丈夫です」

「そう言わず。さ、そこに座るとよいですよ」

馬部はガラガラになったベンチの一つを指さし、女性を座らせた。



●13:50 ハチ公前

「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です」

ベンチで少し休むと、女性の顔色はすぐに良くなった。赤ん坊もそれを察したのか、今は静かに眠っている。

「本当に、病気じゃないんだね?」

「昨日徹夜で荷物をまとめて出てきたもので……多分疲れが出たんでしょう」

確かに、女性は大きな荷物をいくつも抱えていた。

「えっと……」

高校生くらいの女性が赤ん坊を連れて、大荷物で東京に出てくる。

こ、これはひょっとして……。

馬部は一抹の不安を感じた。

「君、ひょっとして家出してきたんじゃないの?」

「え? ヤダ。なに言ってんですか」

女性は、驚いて目を真ん丸にした。

「悪いことは言わないから、すぐに家にお帰りなさい。東京は、そんなに甘いところじゃないよ」

ドラマの世界でも、家出娘は東京を目指すものと相場が決まっていた。

『東京に出れば、きっと巧い働き口が見付かって幸せになれる』

そんな夢を抱いて上京するものの、大概は夢やぶれて水商売に身を落としたりするのだ。

「ホントに私、家出して来たんじゃないですよ……あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私、片瀬ユキと言います。19歳です」

ユキは、胸に抱いた赤ん坊の顔を馬部の方に向けた。

「息子の優作です。ホラ、優作。おじさんにご挨拶なさい」

ユキは眠ったままの優作の体を少し傾けて、お辞儀させた。

馬部は優作の頭を少し撫でて微笑んだ。

「初めまして、優作君。馬部甚太郎です」

優作はムニュムニュと口を動かしたが、すぐにまた寝入ってしまった。

「眉がしっかりしている。きっと将来は、女の子にモテてしょうがないイイ男になりますよ」

馬部は誉めたつもりでそう言ったのだが、逆にユキの表情は暗く曇ってしまった。

「そう見えますか? それはきっとパパに似たんでしょう」

……まずいことを言ってしまった。

すると優作はプレイボーイに騙されてできた子どもなのだろうか?

女の子に生ませっぱなしで責任をとらないとは、悪い奴がいるものだと馬部は一人憤慨した。

「あ、そんなじゃないです。優作は陽平と真剣に愛し合ってできた息子です」

陽平というのがプレイボーイの名前らしい。

考えたことが表情に出たのだろうか? ユキが先回りして馬部の疑問に答えた。

「でも、魔が差すって言うんですか? 結婚前だって言うのに陽平ったら、そういうことが頻繁にあるみたいで……」

馬部は『そういうこと』が頻繁にあるようでは、『魔が差す』とは言わずに『手癖が悪い』と言うのではないかと思ったが、それを言っても詮のないことである。

代わりに馬部は、ユキを安心させてあげることにした。



●14:00 ハチ公前

「ユキちゃん。実はボクも、今度結婚することになりそうなんだ」

「えっ!」

相手はもちろん、るい子ではなくみちるである。

馬部は今晩の牛尾との決闘に勝って、みちるにプロポーズするのだ。

「ホントですか?! 相手の方は、どんな方なんですか?」

ユキは、こぼれんばかりの笑みを浮かべた。

女の子は大概、こういう話題に目がないものなのだ。

「まだ正式なことじゃないので名前は伏せさせてもらうけど……すごく優しくて、ボクのことを信じてくれる人なんだ」

そう。

みちるは、常に馬部を信頼してくれていたのだ。

『そんなに自信ないなら、役降りるなり、役者辞めるなり、どうぞ好きにしなさいよ』

3日前の池落ちのシーンの直後。

みちるは馬部に厳しい一言を放った。

一見冷たい態度に見えることがあっても、それは馬部を奮起させるためのことなのだ。

馬部は内心それに気付きながらも、気付かないふりを続けていたのだ。

気付いてしまえば、みちるの思いは馬部にとって重荷になる。馬部はそれを背負うことを、拒否し続けていたのだ。

結婚話も、馬部が遠からずみちる以上の輝きを持つ役者になると信頼したからこそみちるは乗り気だったのだ。

みちるが結婚話を切り出す度に、馬部の良心はチクチクと痛んでいた。

「ボクはその人以外に、女の人を好きになることはないだろうね」

「ひゃあ……」

聞いているうちに興奮したのか、ユキは顔中真っ赤になっていた。

「ちょっと、その人が羨ましいです。そこまで言ってもらえるなんて」

馬部も少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

「ボクも彼女のことを信じてるからね」

「陽平も私のこと、信じてくれてるのかな……」

ユキは溜め息を一つ吐き出した。

「そうだ、ユキちゃん。いい言葉を一つ、教えてあげよう。『苦難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず』。これはね……」

「ハイッ! ご説明致しましょう!」

誰一人回りにいなかったはずなのに、突然分厚い辞書を持った坊ちゃん刈りの少年が馬部とユキの前にあらわれた。



●14:10 ハチ公前

「あ、あれ? 君、誰?」

「き、きみ、どこから来たの?」

突然あらわれた少年に戸惑う馬部とユキを無視して、当の少年は悠然と解説を始めた。

「数々の映画や小説などに引用されるこの言葉は、元々は新約聖書にある言葉です。ローマの信徒への手紙の中で使徒パウロが述べた言葉として、第5章第3~4節に記されています。

以来、この言葉はイエス・キリストへの無条件の信頼を示す言葉としてあちこちに引用され、世界中を巡ることになるのです。この言葉を始めとして、『この中で罪のない者がまず石を投げなさい』や『カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返すがよい』など、聖書にある言葉は様々な形で人々に記憶されています。世界一のベストセラーの面目躍如というところですが……」

馬部とユキは呆然と少年の解説を聞いていた。

「……お呼びでない? お呼びでない?」

馬部とユキは不機嫌な表情で頷いた。

「こりゃまた失礼しました~~」

その場にいた人が全員すっ転んだ。

少年は、現れたときと同じように突然姿を消した。



●14:20 ハチ公前

「何だったんだ……あの子は?」

「さあ?」

「あれが噂の……」

「……うんちく少年?」

謎の少年が去った後のハチ公前がざわめいている。

馬部とユキはベンチに座り直して、話を再開した。

「ま、変な邪魔が入ったけど、要は君が……陽平君? 彼を好きなら、どんなことがあっても彼を信じ抜かなきゃ」

ユキは優作の頭を撫でながら、少し考えた。

「そうね。それはそうだわ。私が陽平を信じなきゃ、他の誰も陽平を信じないわ。だって私は……」

馬部は、ここぞとばかりに同調した。

「そうさ。君が陽平君を信じなきゃ、陽平君も君を信じてはくれないよ。君が陽平君を信じれば、きっと陽平君は君を信じてくれる。男は信じた女を裏切れないんだよ」

「馬部さん!」

ユキは歓喜の表情で馬部に抱きついて、軽く頬にキスをした。

「ユ、ユキちゃん……」

「馬部さん、ありがと! 正直言って、もう一つ陽平を全面的に信じ切れていなかったの。だけど、あなたのお陰で最後まで陽平を信じる覚悟ができたわ!」

馬部は若い娘の意外な行動に、柄にもなくドキドキしていた。

ユキにキスされた辺りをそっと手で擦ると、口紅らしき朱が馬部の指先を薄く染めた。

馬部とユキの間に挟まれた優作が目を覚まして、ダーと声を挙げた。

「私、さっそく陽平を捜しに出掛けようと思います……実は馬部さんと会ったときも陽平を探している途中だったんですよね」

ユキは優作を素早く抱え直すと、すっくとベンチから立ち上がった。

「探すって、陽平君の居場所に心当たりがあるのかい?」

「さっき、おばさまに電話で聞いたんです。陽平、渋谷のどこかのデパートにいるらしいですから」

「じゃあ今どこにいるのか、分からないね」

馬部がそう言うとユキは大きな瞳を馬部に向けて、ニコッと笑った。

「だったら、片っ端から当たってみるまでよ!」

馬部は、自分がもう若い娘の行動力についていけない年齢であることを自覚した。



●14:30 西武百貨店A館

「ユキちゃん、大丈夫?」

「ハイ……大丈夫です」

馬部とユキは渋谷駅から最寄りのデパート、西武百貨店A館に来ていた。

馬部はユキの大荷物の一部を肩に担いでいた。

ユキは固辞したのだが、赤ん坊連れの上に体調の悪いユキに無理をさせるわけにはいかないと、馬部が半ば無理矢理荷物運びを手伝ったのだ。

「さあて……陽平いるかしら?」

ユキはキョロキョロ辺りを見回しているが、それらしい人影は発見できなかったようだ。

「呼び出しを掛けてもらえば、ハッキリするさ」

馬部は手近な店員を捕まえて、呼び出しの頼み方を尋ねてみた。少しユキの行動力に感化される部分があったらしい。

「呼び出しは案内所で頼むらしいよ」

馬部とユキが少し歩くと、階段の脇にある白いカウンターが見えてきた。

「ああ、あそこよ。行きましょ、馬部さん」

馬部とユキが着くと、カウンターに立っていた制服姿の女性店員が上品に礼をした。

「いらっしゃいませ」

「あの。呼び出しをお願いしたいんですが」

馬部が言うと、女性店員は専用の用紙を取り出した。

「それでしたら、こちらにお呼び出しになりたい方のご住所とお名前をお願いいたします」

女性店員が、カウンターのユキの前に紙とボールペンを置いた。

ユキはボールペンを手に取るが、同時にフウと大きな息をついた。そういえば、顔も少し赤くなってきている。

やはり疲労が溜まっているのだろうか?

「……ユキちゃん。荷物運びのカートと薬を買ってきてあげるから、しばらくここにいるんだよ」

「えっ。そんなの、いいです。大丈夫です」

ボールペンで陽平の住所を書いていたユキが顔を上げたが、馬部は有無を言わさずユキの額に手を当てた。

「ホラ! すごい熱じゃないか。君は陽平君に会いたいんでしょう? こんな大荷物持ってるのに体調が悪いままじゃ、陽平君に会う前に倒れてしまうよ」

「でも私のために、馬部さんにそこまで迷惑を掛けるわけにはいきません」

「何を言ってるんだい? 君のためじゃないさ」

「えっ?」

「優作君のためさ。今、君が倒れると優作君が困るじゃないか。ボクは子ども好きでね」

馬部は、ニッコリ笑ってユキを見た。

「馬部さん……」

「本当は病院に行くのが一番なんだけど……君は病院に行きたいかい?」

ユキはぶるると顔を振った。

「なら薬くらいは大人しく飲まなきゃ駄目だ。優作君のためにも、ね」

「……じゃあスミマセン。お願いします」

「動いちゃ駄目だよ」

馬部は一つ頷くと、ユキに背を向けて走り出した。



●14:40 西武百貨店A館

『お客様のお呼び出しを申し上げます。渋谷区神泉からお越しのトビサワヨウヘイ様。お連れ様がA館一階の案内状でお待ちでございます……』

ユキの掛けた店内放送を聞きながら、馬部はデパートの中を走っていた。

「デパートの中に薬局があるかもしれない」

馬部は、デパートの中をグルグル走り回った。



●14:50 西武百貨店A館

「な……ない」

馬部は地階から最上階まで走り回ったものの、薬局を見付けることができずにションボリとエスカレーターで降りていた。

「店員さんに訊いてみるか……」

馬部は手近な店員を捕まえて、薬局の場所を訊いてみた。

「当店では、薬品類は扱っておりません」

白髪の混じった年輩の男性店員は、眉一つ動かさずにそう言った。

「え、全然ないんですか? 風邪薬でいいんですけど」

「そもそも、当店には薬局薬店がありませんので……」

百貨店と言うくらいだから何でも売っているものと馬部は思っていたが、西武百貨店には薬局はないらしい。

「よろしければ、非常用に常備してある店の薬をお分けしますが……」

ありがたい話だが、別にユキは倒れたわけでもウンウン唸っているわけでもないので、そこまでしてもらうのも申しわけない気がする。

「いや、そこまでして頂かなくても……」

しかし困った。この店に薬局がないとすると、店の外まで風邪薬を買いに行かなければならない。

確か渋谷駅から109に行くまでに薬局があったはずだ。少し時間がかかるが、風邪薬はそこま行って買うしかないだろう。

馬部は、もう一つ店員に訊いた。

「ショッピングカートは、どこで売っていますか?」

年輩の店員は相変わらず無表情だったが、慇懃な口調でそれに答えた。

「それでしたら、2階の家事雑貨売場になります」

「そうですか、どうも」

馬部は、挨拶もそこそこに駆け出した。

馬部はエスカレーターを走り降りて2階の家事雑貨売場に駆け込むと、展示してあったカートをひっ掴んでレジに差し出した。

「ありがとうございました」

代金を払うや、馬部はカートを引いて走り出した。



・薬品類は扱っておりません:長距離電話掛けて聞きましたから間違いないです、ハイ。

・薬局薬店:薬局と薬店の違いをご存じか? ズバリ言えば調剤が出来ずにクスリを置いてるだけなのが薬店。調剤が出来るのが薬局。設備や仕事内容などに違いが出る。

・109に行くまでに薬局があった:京都から実際行って確かめてきました。ハイ。

・2階の家事雑貨売場:これまた長距離電話掛けて聞きました・ハイ(同じパターンでしつこいって?!)



●15:00 西武百貨店A館

A館を出たところで十月らしからぬ強い日差しが馬部に照り付けた。

馬部は上着を脱いでカートに縛り付けた。

「……マーフィーの法則って、本当だな」

こんな大荷物を持って走り回らなきゃいけない日に限って太陽はきついし、気温も高いのだ。

「えい、仕方ない!」

馬部がカートを持ち上げて走り出そうとしたそのとき、地面が大きく揺れた。

「きゃっ!」

「地震よ!」

道行く人々が、慌てて頭を庇ってその場にしゃがみ込んだ。

「わっ!」

馬部はカートを持ち上げるタイミングがすっかり狂ってしまい、派手に転倒した。

「いたたた……顔、擦っちゃったな……」

馬部が顔を押さえながら立ち上がった。

手で擦ってみても血は出ていなかったが、右頬がヒリヒリしていた。地面に頬をしたたかに擦り付けた。

馬部が顔を上げると既に地震は収まっており、辺りの人は互いに「ビックリしたね」などと言い合っている。

「収まったか……あ! こんなことしてる場合じゃなかったっけ!」

馬部はカートを抱え上げると、再び走り出した。



目的の薬局に着くと、馬部は薬剤師の常駐しているカウンターに直行した。

「すみません。下さいな」

馬部が言うと白い上っ張りを着た女性の薬剤師は、スプレータイプの薬をさっとカウンターに置いた。

薬の胴体には赤い文字でメキロンと書かれていた。

「目に入らないように、ガーゼに吹き付けてから傷に宛てるといいですよ」

ユキの症状も言わないうちに薬が出てきたことに面食らって、馬部はスプレーを手に取った。

「擦り傷、切り傷、金瘡……なんです、これ?」

「擦り傷の薬じゃないんですか?」

白衣の女性は、さも意外なことを言われたかのように眉を寄せ、後ろの棚に掛けてあった鏡を取って馬部に渡した。

「げ……!」

馬部の頬には、さっき倒れたときについたとおぼしき擦り傷が一筋ついていた。

「てっきり、その傷の薬だと思って……」

偶然か、擦り傷の位置は昨日までヤクザ傷の会った辺りだった。

「いや、そうじゃなくて、風邪薬が欲しいんです」

「どんな症状ですか?」

馬部はユキの症状を説明して、薬剤師に薦められた解熱剤を買った。

「急がなきゃ!」

馬部は解熱剤をポケットに押し込むと、再びカートを担いで走り出した。



・薬剤師:家が薬局だったから薬剤師になった人が一番多い。二番目に多いのは医師になり損ねて薬剤師になった人。そう言う人は妙に医師にコンプレックスがあるらしい。

・メキロン:プロレスラー大牟田厚がCMをやっている。大牟田は今、自分の団体を旗揚げするために5万円だけもって渋谷を徘徊している。

・薬剤師に薦められた:風邪は感冒や疲労など、「少し体の調子が悪い状態」の総称なので、「このクスリを飲めばどんな風邪でも治る!」というクスリは存在しない。風邪薬は症状を言って薬剤師に選んでもらおう。



●15:10 西武百貨店A館

「あれ? ユキちゃん?」

馬部がユキと別れた案内所に戻ってみると、ユキの姿は消えていた。

「???? ……あの、すみません」

さっき呼び出しを頼んだ案内所の店員を捕まえて事情を聞いてみると、ユキは若い男女と何やら話し合っていたらしい。

「陽平君に会えたのかな? ……で、ユキちゃんは、今どこに?」

女性店員は営業スマイルを崩さずに答えた。

「体調がお悪かったようで、お連れの男の方がおんぶして表に向かわれました」

「! ホラ、言わないことじゃない」

やはり体調を崩してしまったらしい。

おんぶされて運ばれて行ったそうだから、多分病院にでも運ばれたのだろうが……。

「ユキちゃん、大丈夫かな……?」

結局、ユキが陽平に会えたのかどうかも、確実なことは不明なままである。

「このまま放っておくのも、何となく無責任な気がする」

ユキがあの状態では優作のことも心配だ。

「病院に行ってみよう」

馬部はカートをその場に置き去りにして、デパートを後にした。



●15:20 渋谷中央病院

渋谷中央病院は、東京とは思えないほど広い敷地のド真ん中に建てられた総合病院だった。

「ここか……」

その玄関に立つと馬部は『白い巨棟』という病院を舞台にしたドラマを思い出した。

「あの頃のドラマは面白かったなあ……いや、そんなこと言ってる場合じゃない」

病院の玄関にある案内図を見ながら、馬部は考えた。

「タクシーで運ばれて来たんなら……ERかな? それとも風邪だから内科かな?」

そのとき馬部の袖を、誰かがチョイチョイと引っ張った。

そちらを見ると、浅黄のパジャマに空色のカーディガンを羽織った小さな女の子が、馬部の服の袖を引っ張っていた。

「だれか、捜してるの……?」

7、8歳だろうか? 透き通るような色白ながら大雑把なおかっぱ髪の女の子は、子どもらしからぬ無表情で馬部を見上げていた。

「ああ……君は、入院してるのかい?」

少女はコクリと頷いた。

「ここ2、30分ほどの間に女の人が運ばれてこなかったかい? 黄色い服を着た、片瀬ユキって名前の女の人なんだけど」

少女は表情を変えずに、小首を傾げた。

「ずっとここにいたけど、そんな人、来てないよ」

「本当? ウーン。困ったな」

ここに来ていないとすると、もっと遠くの他の病院に運ばれた可能性がある。

あるいは陽平の家や知り合いの病院に運ばれたとすれば、馬部には捜しようがない。

「その人、心配?」

少女が馬部に訊いた。

「ああ、心配さ。ユキちゃん、ちょっと体調を崩してたからね」

馬部は少女に話しかけながら、この少女の持つおかしな雰囲気に気付いた。

顔立ちは悪くないものの、表情の乏しさがその魅力を打ち消していた。

発育不良かと思えるほど手足が細く、立っているのが不思議に思えるほどだった。

少女は無造作だが、身じろぎもせずに馬部を見つめていた。

「だいじょうぶ。今日はだれも死なないから、ユキさんもきっと生きてるわ」

少女は、初めて感情――薄笑いを表に出した。

「はあ……?」

馬部は困惑の表情で、奇妙なことを言い出した少女を見つめていた。

「こらっ、絵梨! また余計なこと、いってるなッ!」

ロビーの方から年輩の男が、車椅子に乗ってやってきた。車椅子を押している白衣の男は、この病院の医者だろう。

「…………」

少女――絵梨は目だけ男の方を向いたものの、男の声など聞こえないように馬部の方を向いていた。

「絵梨ちゃん」

車椅子を押していた若い医者がそう言うと、絵梨は初めて声が聞こえたようにクルリと振り向いた。

「そろそろ部屋に戻らないと駄目だよ。約束したよね?」

「ん」

絵梨は頷くと、トトトとロビーの奥に駆け込んでいった。

「あ……ありがとう。絵梨ちゃん」

馬部が言うと、絵梨は角に消える直前に、チラリと馬部の方を見た。

「…………」

そして身を翻して、角の奥に消えてしまった。

「大人が挨拶してるのに、無視するとはどういう子どもなんだ!」

車椅子に乗った年輩の男は、相変わらずプリプリ怒っている。絵梨に何か恨みでもあるのだろうか?

「照れてるんですよ。あの子も悪い子じゃないんですよ」

「先生、冗談言っちゃいけない。わしにはあの子が悪魔か死神の子のように思えるがな」

年輩の車椅子男は、馬部を見た。

「あの子は、誰がいつ死ぬかをピタリと当てるんだ。悪魔以外に、そんなことができるか?」

そういえば、確かに絵梨は「今日は誰も死なない」と言っていた。不思議なことを言う子だと思っていたが、それが当たるとは馬部にはとても思えなかった。

それより、せっかく病院の医者に会えたんだ。ユキのことを訊いてみようと馬部は思った。

「先生、ここ三十分ほどの間に黄色い服の患者が運ばれて来ませんでしたか?」

医者は受付や看護婦にも訊いてくれたが、その答えは絵梨のものと同じだった。

「そうですか……分かりました」

ユキがこの病院にいないのなら仕方がない。デパートの店員も陽平らしき男に会っていたと言っていたし、きっとユキは無事でいると信じよう。

馬部には、そうするしかなかった。

「それよりあなた、頬を擦りむいていらっしゃいますね」

白衣は、さっき馬部が転んだときにつけた頬の擦り傷に気付いたらしい。

「消毒しておかないと、破傷風になるかもしれませんよ……僕は鳥居と言います。さ、奥へどうぞ」



・白い巨棟:新人医師が主人公の病院ドラマ。半ば伝説となっているが、ビデオが出ていない。なぜ?

・ER:緊急病棟のこと。一刻も早い処置が必要な人が運ばれてくる。エマージェンシールームの略。黒人の医師がハバを効かせている。

・小さな女の子:真喜志絵梨。シーハーの妹。連日変な夢を見て、行動にも奇矯な点が認められるので入院している。キャラクターの掘り下げでは趣味に走ってしまいました。スミマセン。

・年輩の男:コンビニ「生活採花」店主。疲労で入院中。まだ自力で歩けないので車椅子生活だが、やたら元気そうなのは気のせいだろうか?

・誰がいつ死ぬかをピタリと当てる:昔スクールウォーズでこういう人がいた……。

・破傷風:最近ではその恐ろしさを忘れられつつある。若い男女の血をホラ貝一杯ずつ混ぜて浴びせても治りません。

・鳥居:小児科医師。絵梨の担当医。



●15:30 渋谷中央病院前

鳥居に傷を消毒してもらった馬部は、病院を後にしていた。

傷は特に痛くはなかったが、馬部の右頬には大きなガーゼが張り付いていた。

「兄貴!」

病院の前庭を歩いていた馬部の後ろから、聞き覚えのある声が追い掛けて来た。

「……ゲッ!」

それは、大松だった。

大松は玄関を出て、こちらへ向かって走って来ている。

咄嗟に馬部は逃げようとしたが、大松と自分の体力差を考えると追い付かれる可能性の方が高いと考えて、逃げたがる心をグッと押さえ付けた。

「お、お前、どうしたんだ。こんなところで」

馬部に追い付いた大松は、消毒液の匂いを発散していた。

「毎日、傷口の消毒に来なくちゃいけないんす……全く、山吹が渋谷に潜伏してるってのに、本当はこんなことで時間取ってられないっすけどね」

馬部は、自分が吐いた嘘がまだ生きていることに意外な思いに捕らわれた。

「そうだ、兄貴。山吹に射たれた傷は大丈夫っすか?」

「えっ?! 山吹に? 射たれた?」

そんな話は、初耳だ。

「えー……コホン。大松、一体誰から、そんな話を聞いたんだ?」

「え? 組の若い連中っすけど……兄貴が射たれた直後に、何人か若い連中が駆けつけたでしょう? そいつらが事務所に戻って報告したんすよ。ここには、その傷の手当に来たんすか?」

いよいよ、初耳だ。

ということは組の若い者は、誰が撃たれたところを見たのだろう? 少なくとも自分ではないことは分かっている。すると……。

「牛尾さんだ! 牛尾さんが山吹に?」

思わず叫んだ馬部を、大松が不思議そうな表情で見ていた。

「そうっすよ。兄貴、自分のことなのに何言ってるんすか」

「い、いや……」

山吹が本当に渋谷に潜伏しているとは思わなかった。

馬部はヤクザ社会には詳しくないが、関東一円に勢力を広げている白峰組を敵に回しいた場合、即座に東京から逐電して地方で今回の事件の熱が冷めるのを待つのが、普通ではないのだろうか。

「それが、射たれたときの傷ですか?」

「いや、これは……」

頬のガーゼを見て大松は大袈裟に騒ぎ立てた。

「拳銃持った相手に素手で立ち向かってこの程度ですむなんて、いやさすが“暴れ牛”。ますます貫禄がついたっすよ!」

「そ、そうか」

馬部は、困った顔で適当に相槌を打った。



・傷口:指を詰めた傷。小指を詰めると握力が落ちるため、ドスが握れなくなる。それにより極道生命を立つことが本来の意味。拳銃が出来てからはタダの懲罰としての意味しかなくなった。



●15:40 渋谷中央病院前

「……それより兄貴。この病院には絵梨ちゃんの見舞いに来たんすね? オレ、さっき見たっす」

「絵梨ちゃん?」

馬部は、さっき病院の玄関であった女の子を思い出した。

「大松。お前も、絵梨ちゃんを知ってるのか?」

「もちろんっす。シーハーの妹っすからね」

「シーハー?」

と、言われても馬部には誰のことだか分からない。人名にしては変わっている。外国人だろうか?

あまり余計なことを言うとぼろが出るので馬部が黙っていると、大松は一人でしゃべり続けた。

「いいとこあるっすね。舎弟の妹を秘かに見舞うなんて」

どうやらシーハーというのは、白峰組員の名前らしい。

「ま、まあな。兄貴分として、当然のことだ」

「さすがっす、兄貴!」

そのとき、どこかで携帯電話の電子音が鳴った。

大松は右手一本で携帯をポケットから出すと、通話スイッチを入れた。

「ハイ、大松っす……ハイ。ハイ……分かったっす……え?」

大松は、そこまで言うと急に馬部の方を見た。

厭な予感。

馬部は思わず目を逸らした。

「兄貴なら、ここにいらっしゃるっす……ハイ。代わります」

大松は、携帯を馬部に差し出した。

「組長からっす」

やはり、厭な予感というのは当たるものらしい。馬部は大松から目を逸らしたまま、それを受け取った。

「ご、ご無沙汰しています」

「ウン? 牛尾じゃないな。馬部君か?」

「ハ、ハイ……」

どうやら白峰は牛尾に用事があったらしい。

馬部はまたしても、牛尾のとばっちりを喰らった形である。

「それがその……」

「あの後、君と別れた場所に人をやったが、芸能事務所なんて何処にもなかったと報告して来おった……どういうことだね?」

「いや、それは話せば長いことで……」

馬部はしどろもどろになったが、白峰を納得させられるだけの説明は思い付かなかった。

「とにかく今から車を回す。その車に乗って、事務所に来たまえ。君にも話がある」

「ハイ……」

馬部は、反論せずに従うことにした。

街 ネクストストーリー3

2014年05月02日 15時00分00秒 | 街 サウンドノベル
馬部 甚太郎 「The wrong man 馬 take2」
作者名 K.K
☆10月14日

●10:00 夢の中

『お願いよ。ちゃんと殺してきてね』

恋人の椎名みちるの顔が、馬部甚太郎の目の前にあらわれた。

みちるに言われて馬部は刑事と拳銃で射ちあい、更にヤクザに命を狙われて松濤公園の池に沈んだのだ。

あそこで死んだ方が幸せだったかもしれないな、と馬部は考えた。

『兄貴!』

次にあらわれたのは、狐島三次だった。

そうだ。最初に馬部を牛尾政美と勘違いしたのは、三次だった。

三次と一緒に宝石店強盗をした牛尾というヤクザと人違いされて、馬部はとんでもない3日間を送るハメになったのだ。

あるいは三次と会わなければ、こんな事態は避けられたかもしれない。

『やっぱり、今はお父さまのところが一番安全だと思うんです』

次はライダースーツからブーツまで黒で固めた白峰るい子の顔があらわれた。

るい子も馬部を牛尾と勘違いした一人だった。

るい子の勢いに押されてバイクに乗った馬部は、白峰組の門をくぐったのだ。

『明日までに、三次の首と、チャカをもってこい……お前の話はそれからだ』

次は日本刀を持った白峰忠道の姿。

三次が持っていた拳銃は、白峰の拳銃だったのだ。

そのせいで、警察の捜査が白峰に伸びる前に拳銃を持って来なかったら殺されることになってしまった。人違いが決定的になったのは、この時からだった。

それからは、イロイロあった……。

ロケ隊に戻れたこともあったが、すぐに大松に連れ戻されてしまった。

『欲出したのは失敗だったな、山吹』

結局事件の裏で糸を引いていたのは、白峰組代貸の山吹だった。

関西ヤクザと手を組んで白峰組を乗っ取ろうとしていたのだ。

『確かに宝石強盗はオレだ。だがオレ一人でやったことで、あいつは何も関係ねえんだ』

三次の叫び声が思い出される。この一声で、あらぬ誤解は解け、警察からも白峰組からも解放された……はずだったのだ。

『あんた、本当にるい子と結婚しないか?』

白峰の言葉に、るい子が抱きついてきた。

『馬部さん……今度こそ本当に、もう離れません』

るい子の、頬を赤らめた顔。

「馬部さん……馬部さん……」

るい子の声が、頭の中で反響する。

「馬部さんっ!」

「……はっ!」

怒鳴り声と、体を揺すられる感覚。

馬部はハッと目を覚ました。



●10:10 白峰邸客間

「馬部さん、目が覚めました?」

目の前すぐに、るい子の顔があった。

「ワッ!」

「きゃっ!」

馬部は顔を慌ててそむけようとして、ベッドから転げ落ちてしまった。

「イテテテテ……」

「まあ。馬部さんたら、朝から……」

馬部の下に、顔を赤らめたるい子が倒れていた。

馬部が上に覆い被さる形になっていたのだ。

「わっ!」

馬部は、慌ててベッドの反対側に逃げ込んだ。

「どうしたの? 馬部さん」

るい子が不思議そうな声で、ベッドの端に座った。

「る、るい子さん……」

恐る恐る馬部が言うと、るい子はニッコリ笑った。

「おはよう、馬部さん。もう10時よ」

「は……」

落ち着いてみれば、馬部とるい子がいたのは大きな洋室だった。ドンと大きなベッドがあり、テーブルやソファなども置かれている。

「こ、ここは……」

「あら、忘れたの? ここは私の家よ」

るい子の一言で、馬部は全てを思い出した。

今、夢で見たことは、全て現実だったのだ。

昨日ロケが終わった後、現れたるい子と白峰が馬部に結婚を迫り、組の若い衆に命じて強引に白峰邸に連れてきたのだ。

「ボ、ボ、ボクは……」

青ざめた馬部が何か言おうとするが、巧く言葉にならない。

「……牛尾さんじゃないって言うの?」

馬部が、ブンブンと顔を縦に振る。

こんなところに連れてこられたのは、何かの間違いなのだ。

例えば、牛尾政美と間違えられているとか。

「バカね。昨日も言ったでしょ。私は、馬部さんが好きなのよ」

るい子はそう言って、ベッドの上を馬部の方ににじり寄ってくる。

馬部は下がって逃げようとするが、じきに壁際に追い詰められてしまう。

「そんなことより……さっきの続き、しましょ」

「あ……いや、その」

るい子が強引に唇を重ねようとしたとき、救いの主があらわれた。

「……ハイ」

誰かが部屋の扉をノックしたのだ。

「代貸、お嬢さん……起きてるっすか?」

声の主は大松らしかった。

「組長が、広間でお待ちっす」

「分かりました。すぐに行くと伝えな」

るい子が体を起こし、組長の娘の声になって言う。

「行きましょ、お父さまは和室よ」

るい子はさっさと立ち上がって歩き出す。

「ハ、ハイ」

「続きは後でね」

「…………」

馬部は無言で、るい子の後をついて行った。



●10:20 白峰邸広間

「お父さま、お待たせしました」

馬部とるい子が広間に入ると、上座には既に白峰が座っていた。

「ウム……来たか馬部君、るい子」

白峰の脇に座った柏木が、表情で座るように促した。

馬部とるい子が下座に座ると、スッと襖が開いて美少年が人数分のお茶を持って入ってきた。

美少年は、黙ってお茶を置いていく。

「あ、どうも……」

美少年が馬部の前にお茶を置いたとき、馬部はつい挨拶してしまった。

「…………」

しかし美少年は馬部に一瞥(いちべつ)をくれただけで、何も言わなかった。

美少年がペコリと頭を下げて退室すると、白峰は煙草を灰皿に押しつけた。

「昨夜はよく眠れたか?」

「は、はい。お陰様で……」

特に白峰が威圧しているわけではないが、気弱な馬部はすっかり白峰に気圧されていた。

本当は何をされるのかと一晩中ヒヤヒヤしっ放しで殆ど眠れなかったのだが、白峰の前でそれを言うわけにはいかない。

馬部がオドオドしているのに気付いたか、白峰が少しだけ頬を緩めた。

「心配するな。取って喰おうというわけではない」

白峰が取って喰うつもりなら、馬部などひとたまりもない。

しかし白峰に呼び出されたこの状況では、何を言われてもロクなことではないだろう。

るい子と馬部を交互に眺めながら、真剣な表情で白峰が言った。

「馬部君とるい子との式のことだが……」

「!!」

白峰は、既にるい子と馬部の結婚が決まったものと考えているらしい。

確かにるい子は美人だが、馬部にはるい子と結婚する気はない。

第一、馬部には既にみちるという恋人がいるのだ。

「跡目を継ぐなら系列組長を呼んでお披露目もせねばならんし、見届け人も早めに頼まねば……」

「ままままま、マッテ下さい!」

馬部は必死で言葉を振り絞り、白峰の言葉を遮った。

馬部の心臓が、激しく鳴った。

今だ。今、言うしかない。

今、るい子と結婚するつもりがないと言わなければ、ヤクザの親分にされてしまう。

しかし、ここで結婚する気がないなんて言ったら……。

『私を騙していたの?!』

るい子が美しい眉をキッとつり上げた。

『白峰組をナメた落とし前、きっちり付けてもらうぜ』

柏木が懐から例の短刀を取り出し、ギラリと光らせた。

『貴様! エンコぐらいではすまさんぞ』

白峰が日本刀を抜いて馬部の前に立ちはだかった。

『覚悟しろ。馬部』

白峰の日本刀が振り下ろされ、馬部は一刀両断に……。

「どうかしたかね? 馬部君」

「ワッ!」

馬部が正気に戻ると、白峰が訝しげな表情を浮かべていた。

どうやら、今のは馬部の妄想だったらしい。

馬部は自分が今人生の岐路に立たされていることを自覚した。ここで勇気ある選択をしないと、一生を棒に振ることになるのだ。

思いきって馬部は勇気ある選択をした。

「トトト、トイレに行かせて下さい!」



トイレと言って出てきたものの、それで稼げる時間は知れている。

馬部はできるだけゆっくり歩いて、その時間を一秒でも延ばそうとしていた。

「その間に何とか方法を考えないと……」

馬部が焦れば焦るほど、思考は空回りするばかりだった。

「兄貴!」

馬部が悶々としながら歩いていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ああ……君は確か……」

大松だった。まだ馬部を牛尾と間違えているらしい。

大松は連れていた組員に何か言って先に行かせると、嬉々とした表情で馬部に追い付いて来た。

「兄貴。組に復帰するんですって?」

「えっ! そんなこと、誰に聞いたんです?」

馬部は顔面蒼白になりながら言った。馬部とるい子と結婚することが、既に組中に知れ渡っているのだろうか?

「いやあ、もう組中の噂っすよ。『やっと“暴れ牛”が復活する』って。やっぱり山吹は代貸の器量じゃなかったっすよ。山吹に従っていても、古株の組員は心の中じゃ兄貴を慕ってたらしいっす」

「…………」

大松は硬直した馬部には気付かず、喜色満面でまくし立てていたが、ふと真剣な顔に戻った。

「そうだ、兄貴。若い衆に捜させてるっすけど、山吹の奴、まだしぶとく逃げおおせてるんすよ」

「……山吹が?」

「まあ裏切り者が捕まったらタダじゃすまないから山吹も必死っすけど……遠からず見付かるでしょうね」

馬部は『裏切り者』という単語にビクリと反応した。

るい子と結婚する気がないなどと言ったら、自分も『裏切り者』になるのだろうか?

「た……タダじゃすまないって、どうなるんです?」

馬部は大松に訊いてみた。

大松はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。

「『山が好きか、海が好きか』って訊くんすよ」

「山? 海? 行楽にでも連れて行ってもらえるのか?」

「兄貴も人が悪い。知ってる癖に……」

大松は笑って、ギブスを填めていない右手で首をかっ切る真似をした。

「ゴミは捨てるんす……」

馬部は自分が埋められる様子と海の藻屑になる様子を思い描いて、再び顔面蒼白になった。

「渡世の義理から外れた外道には、似合いの最後っすよ」

馬部には大松の不気味な笑いが自分に向けられたもののように思えてならなかった。

「大松の兄貴!」

さっき先に行った若い衆が、廊下の先で大松を呼んだ。

「おっと、いけねえ。兄貴、今日自分、事務所の掃除当番なんで……失礼します」

ペコリと頭を下げて、大松は去った。



馬部は便所の個室に入って鍵を掛け、頭を抱えていた。

「どうしよう……どうしよう……」

馬部がるい子と結婚することは既に白峰組中に知れ渡っているらしい。

しかも山吹が馬部を狙っているかもしれないという。

「や……屋敷から出られない……」

昨日は興奮していたから山吹の前でも啖呵を切ることができたが、同じことをもう一度やれと言われても不可能だ。

『馬部さん……今度こそ本当に、もう離れません』

かといって屋敷に残っていても、るい子と無理矢理結婚させられてしまう。

「や……屋敷から出なきゃ……」

しかし屋敷から出たら山吹の恐怖に怯えなければいけない。

堂々巡りだ。

『やめときな。一線越えたらオシマイだ』

一昨日の夜、ホテルのトイレで隣り合った男の声が蘇る。

確かに、るい子と一線越えたら終わりだ。

「ん?」

馬部はトイレ男の声をもう一度思い出してみた。

『やめときな。一線越えたらオシマイだ』

「何だ。牛尾さんの声じゃないか。あれは牛尾さんだったのか……あっ! 牛!!」

そうだ。

るい子は元々、牛尾のことが好きだったんだし、白峰組の跡目も牛尾が継ぐはずだったのだ。

つまり、今の馬部の状況は……

「全部牛尾さんのトバッチリじゃないか!」

自分は行きがかり上、巻き込まれただけなのだ。跡目を継ぐなら牛尾が継げばいいし、るい子だって会えば牛尾が恋しくなるに違いない。

「う、牛尾さんを探さないと……」

自分と無関係の事件に、これ以上巻き込まれてたまるか。

馬部は白峰邸から逃げ出す覚悟を決めた。



・上座:最も格上の人が座る席。早い話が床の間を背負った席のこと。

・大松:白峰組の若い衆。脳味噌がプリンで出来ているので、牛尾と馬部の区別がついていない。

・義理:ヤクザが最も尊ぶもの。結婚式や葬式などもこう呼ぶことがある。



●10:30 白峰邸玄関

「行ってらっしゃい!」

一昨日会った下足番の男が、愛想よく頭を下げた。

「おう」

馬部は牛尾のふりをして鷹揚に応えた。

この屋敷では、山吹を退けた牛尾の威光は絶対のものになっているらしく、馬部は特に誰かに止められることもなく白峰邸を出ることができた。

「そ、それっ!」

馬部は、門を出た瞬間に全力で走り出した。



●10:50 公園

馬部は一昨日目を覚ました公園に来ていた。

馬部は公園の端に設置されたブランコに腰を降ろして、滝のように吹き出る汗をハンカチで拭いていた。

「はあ……はあ……ここまで来れば大丈夫かな」

ハンカチを湿らせた汗は、熱くて出たものだけではなかったようだが。

「るい子さんたち、怒ってるだろうな……」

広間に柏木と白峰組長、るい子を置いてきぼりにしてしまった。これも見付かればタダではすまないことだろう。

「な、何とか牛尾さんを捜さなきゃ……」

どうやって捜す?

馬部は自問自答した。

「とりあえず、みちるを捜そう」

馬部は、小さくブランコを漕ぎ始めた。

昨日馬部が牛尾と別れた後も、みちるは牛尾と一緒だった。ひょっとしたら牛尾の居場所を知っているかもしれない。

「それにしばらく落ち着いて話もしていないし……」

みちるに数日会わないだけで、馬部の中で恋しさが募っていっていた。

漕いでいたブランコを蹴って馬部は立ち上がった。

「白峰組に見付からないうちに、ロケ隊を捜そう」

立ち上がった瞬間、児童公園の前に黒塗りのベンツが停車した。

「オイ、馬部君じゃないか」

「!」

ベンツ後部座席の窓が開いて、白峰が顔を出した。

「し、白峰さん。何でこんなところに……」

「君がなかなか帰ってこないので、柏木に後を任せて事務所に向かう途中なのだが……君は何故こんなところにいるのかね?」

白峰がベンツの扉を開けて、降りてこようとする。

「ワッ! く、車から降りないで下さい!」

思わず叫んで、しまったと思った。

「どうして降りてはいかんのかね?」

白峰は不審気な表情で馬部を見ている。当然だ。

「えっと……えっと……」

『ゴミは捨てるんす……』

大松の不気味な笑い顔が脳裏に浮かんだ。

「わーーーっ!」

「どうしたんだね? 馬部君」

「い、いや。何でもないです」

馬部は必死になって大松の笑い顔を振り払い、言い訳を考える。

ん? 待てよ。大松といえば……。

「や、山吹」

「なに!」

「山吹がいたんです! 屋敷の壁の上から覗いていたので、それを追って……」

馬部が嘘八百並べ立てると、白峰は顔色を変えた。

「山吹がそんなことを?!」

巧く馬部の言葉を信じてくれたらしく、白峰は頭を引っ込めると、車の窓を閉めた。

「よかった。さあ、今のうちに……」

しかし後部の窓が閉まった次の瞬間ベンツの前の扉が開いて、運転手らしきサングラスを掛けた若い衆が走り出てきた。

「さあ、ベンツの方へ!」

「……え?」

「今、あなたを失うわけにはいかないと、組長のお言葉です。さあ!」

「あ……いやその」

馬部は拒む間もなくベンツに乗せられてしまった。



●11:00 ベンツの中

白峰組事務所へ向かう車は、首都高三号線下を抜けたところだった。

運転手を務める若い衆は、車を運転しながらも、山吹を警戒してチラチラ車の外へ目を走らせていた。

そのせいか黒ベンツの威光か、周りを走る車は皆ベンツを避けて走っている。

唯一ふらふら前を走っていたタクシーがベンツの走行を邪魔していたが、それもクラクション一発で慌てて車線変更していった。

白峰はベンツの後部座席にどっしり腰を落ち着けて座っている。

しかし、その表情はさっきまでと比べものにならないくらい厳しいものになっていた。

「あまり無茶をするな」

「す……すみません」

馬部は白峰の隣で小さくなっていた。

「屋敷に電話を掛けた。山吹は組の若い衆に捜させよう」

咄嗟に口をついて出た一言で、大変なことになってしまった。

「君はワシが事務所で降りた後、この車でるい子のところへ帰りたまえ」

ますます大変だ。

早く自分の意志を伝えなければ、無理矢理にでも結婚させられてしまうだろう。

ここは一つ、清水の舞台から飛び降りるつもりで、るい子との結婚を断るしかない。

「し、白峰さん! 実は……」

「む……ちょっと待ってくれたまえ」

運転席の背に取り付けられた車載電話が、けたたましい音を立てた。白峰は受話器を取ると、「ワシだ」とだけ言った。

「ああ……馬部君ならワシと一緒におる……ああ……そうしてくれ。馬部君はこの車で返す……ウム。頼んだぞ」

誰からだったのだろうか。話が終わると、白峰は受話器を置いて馬部の方を向いた。



・タクシー:田中秀樹のタクシー。妖怪ワンメーターに悩まされてフラフラしていた。

・清水の舞台:日本の代表的寺院の一つ。ゴジラも避けて通る。

・車載電話:電話をしてきたのは柏木。いつまで経っても馬部がトイレから帰ってこないので連絡したのだ。



●11:10 ベンツの中

「話の腰を折って悪かったね。さあ、話を続けてくれたまえ」

「あ……いや……」

今更そんなことを言われても、既に清水の舞台からは飛び降りてしまっている。再び清水の舞台まで上がるのはちょっと難しい。

「何か言いにくい話なのかね? ……よし分かった。オイ、事務所へ行くのは少し待て。しばらく、その辺を回っていてくれ」

白峰が運転手の若い衆に声を掛けると、手を伸ばして何かのスイッチを入れた。

すると後部座席と運転席との間に不透明な仕切り板がせり上がり、密室を作り出した。

「これで誰にも聞こえん……さあ、何でも言いたまえ」

白峰が、話を聞く気になっている。

今だ。今が最後のチャンスだ。

馬部はまだ清水の舞台まで上がれていなかったが、後は野となれ山となれという気持ちで言った。

「じ、実はボクには、付き合っている人がいるんです!」

言った。

朝から言いたかった一言が、やっと言えた。

しかし、白峰はキョトンとしていた。

「るい子のことかね?」

わ、分かってない。

「い、いえ。るい子さんじゃなくて、るい子さんに会う以前からの恋人が……」

「なに!」

馬部の言葉を理解すると、さすがの白峰も顔色を変えた。

「そんな女性がいるのかね?」

白峰が馬部を睨み付けた。

「は、はい。彼女とはもう4年になります」

付き合った期間を、少し長い目に言った。

みちるとの付き合いが長いと知れば、白峰も諦めてくれるだろうと思ったのだ。

「そうか……そうだな。君も若い健康な男子だ。恋人の一人や二人は、いて当然だ」

白峰が大きく溜め息を付いた。良い兆候だ。

馬部は、真っ暗な闇の中に一筋の光明を見た気がした。

「だから、るい子さんとの結婚は……」

「分かった! 一人で悩ませてしまって悪かったね」

馬部の目の前が、パッと明るくなった。

白峰が続けた。

「その女性との別れ話は、この白峰が責任を持って当たらせてもらう。君は安心してるい子と一緒になりたまえ」

馬部は、真っ暗な闇の中に逆戻りした。

「あ……あの……」

「いやいや、気を使わなくてもいい。組にはこうしたトラブルに慣れてる者もいるんでね」

一筋の光明も、幻だったらしい。



●11:20 ベンツの中

「い、いや。聞いて下さい。白峰さん」

馬部は、必死になって抗弁を試みた。

「仮にも4年付き合った恋人です。彼女には自分の口で別れを告げたいんです」

な、何を言ってるんだ。ボクは!

馬部は心の中で慌てて口を押さえていたが、本物の口は回る一方だった。

「それに彼女は芸能人です。少しでも白峰組と関わりあったことがマスコミに漏れれば、スキャンダルになります」

確かに、それは馬部の本音でもあった。

みちるは既に、三十代後半だ。何かの拍子でマスコミに叩かれれば、そのまま浮かんでこられないということも十分考えられる年齢なのだ。

ましてや、みちるはアイドルとして、また演歌歌手として挫折している。

馬部はもう二度と、みちるに挫折を味あわせたくはなかった

「そうか。そうまで言うなら、君が自分で話をしたまえ」

どうやら、みちるに禍が及ぶことは避けられたらしいが、余計に厄介なことになってしまったようだ。

「善は急げと言う。今から行って来たまえ」

「え」

渡りに船とは、このことだ。これで白峰から解放される。

「お、お願いします」

「ウム。どこに行けばいいのかね」



●11:30 コンビニ生活彩花前

「こんなところに芸能事務所があるのかね?」

ベンツが止まったのは、何の変哲もないコンビニの前だった。

「ええ。建物の2階が事務所になっていて、今、みちるはここにいるはずなんです」

まるっきりの出鱈目だったが、幸い白峰は馬部の出鱈目を信じてくれたらしかった。

「そうは見えないが……」

いや、そうでもないらしい。

しかしこうでもしないと、ボディガードとして組の若い衆を付けられかねない。いや実際白峰はさっき、ボディガードを付けようと申し出たのだ。

若い衆を連れて会っては、みちるに迷惑が掛かってしまうし、牛尾と会っても結婚を断りたいとは言えないだろう。

牛尾だ。とにかく牛尾に合えば総て解決するのだ。

「……そうか。後で車を寄こすから、それまでこの事務所から出るんじゃないぞ」

「はい」

そのころには、馬部はとっくにこの場所から離れているはずだ。

「それから事務所の番号を渡しておく。何かあったら、ここへ電話したまえ」

馬部が白峰からメモ用紙を受け取る。

「では馬部君。くれぐれも気を付けてな」

黒ベンツは、一つクラクションを鳴らして走り去った。



●11:40 コンビニ生活採花前

「い……行った……」

昨晩白峰に捕まって以来、精神的に追い詰められっぱなしだった馬部は、白峰組の魔手から解放されて、今ようやく息を吐くことができた。

「ああ……やっと自由になれた……」

馬部は思いきり伸びをした。

これでやっと、牛尾を捜すことができる。

「ん?」

ホッと安心した途端、馬部のお腹が鳴った。

そういえば昨晩も今朝も、ロクに食事を摂れなかった。お腹が減っていて当然だ。

幸い、目の前にコンビニがある。

馬部は迷うことなくコンビニに足を踏み入れた。



「いらっしゃいませ」

精気のない店員の声が馬部を迎え入れるが、馬部にはそんなことはどうでも良かった。

大の甘党である馬部は迷わずケーキの冷蔵庫に直行した。

「さて……どれにしようかな」

馬部は冷蔵庫の中の商品を嘗め回すように見た。

まるごとバナナケーキ、笹モチ、ジャンボカスタードシュー、エクレア……

馬部はゴクリと生唾を飲み込んだ。

「ど、どれにしよう……」

馬部は悩んだ末に、まるごとバナナケーキとジャンボカスタードシュー、缶ジュースを手に取ってレジに向かった。

「あ、そうだ。新聞も買っておかないと」

馬部も芸能人のはしくれである。

スポーツ新聞で最新の芸能情報をチェックしておくのも、仕事のうちだった。

「税込みで457円になります」

レジの店員が無愛想にそう言って、商品をポリ袋に詰めた。

馬部はポリ袋を持ってコンビニを出た。



・精気のない店員:渡辺英明。5日間連続勤務の4日目。疲れがピークに達している上にマゾの客だの勝手に本を破る客だの妙な客ばかり来るので、不機嫌になっていた。

・税込み:諸悪の根元、消費税。何か物を買うともれなく5%付いてくるお得な税金(例外あり)。このソフトが出るときには撤廃、もしくは真っ当な徴税方法になっていることを望む。



●12:00 宮下公園

馬部は宮下公園に来ていた。腹が減っては戦はできぬ。牛尾捜しもみちる捜しも、取りあえず後回しである。

「さて。ケーキケーキ……」

馬部は芝生に座ってケーキをポリ袋から取り出し、さっそく封を切った。

「おっとっと……まるごとバナナケーキはクリームを落とさないようにしなくちゃな」

馬部は、まるごとバナナケーキにかぶりついた。

甘いバナナと白くて口当たりのいいクリームが絶妙な味わいを醸し出している。

あまりの美味しさに、馬部の頬は緩みっぱなしになっていた。

「もう一つ」

返す刀で、馬部はジャンボカスタードシューに噛み付いた。

柔らかい皮を歯で破り、ぷつりぷつりとカスタードクリームが口の中に漏れてくる感覚が堪らない。

「……しあわせ」

馬部は思わず目を寄せた。



●12:10 宮下公園

お腹の方が落ち着くと、馬部はお菓子と一緒に買ってきたスポーツ新聞を広げた。

途端、馬部は顔色を変えた。

「な、なんだって……!」

馬部は我が目を疑った。

『デューク浜地、椎名みちるにプロポーズ』

新聞は、そう報じていた。

見出しと共に、見覚えのあるホテルのロビーで抱き合うデュークとみちるの写真が掲載されていた。

「な、何かの間違いだ。みちるがそんなこと……」

そう言いつつ、馬部は写真を穴が開くほど見つめた。

ハッキリ映った写真の女性はみちるに間違いなく、みちるを抱いている男もデュークに間違いなかった。

「そ、そんな馬鹿な」

馬部は、必死の思いで本文に目をやった。

「10月13日深夜、ドラマ『独走最前線』のロケ隊が宿泊する渋谷アークホテルのロビーで、人気俳優デューク浜地さんが共演中の女優、椎名みちるさんと抱き合っているところを本紙記者が目撃、撮影に成功した。浜地さんとみちるさんはその後、一緒にホテルの奥に消え……そんな馬鹿な!」

馬部は、今日何度目かのその台詞を吐いた。

みちるは馬部と付き合っているはずなのだ。

既に何度もデートを重ねているし、結婚の話も出ている。

しかし。

「ま、まさかみちる、二股かけていたんじゃ……」

ありえる。

みちるほどの女性が、馬部程度の男一人で満足するはずがないだろう。

いやむしろ、馬部とのことはタダの遊びだった可能性が高い。

「そ、そんな」

馬部は目の前が真っ暗になった。

「嘘だ! 嘘だ! 嘘だあ~~!」

馬部は思わず立ち上がって絶叫した。



●12:10 宮下公園

「な、なんだス?!」

そのとき絶叫を聞き付けたか、奇妙な方言を使う警官が馬部の方へ走ってきた。

少し興奮しすぎたらしい。

馬部は精神を落ち着かせようと、二、三度深呼吸した。

何故か赤い薔薇を胸ポケットに刺した警官は馬部の側までくると、不審気な表情で馬部に質問した。

「もスもス。何かあっただスか?」

「あ、いや。何でもないんです。すみません」

「何でもないこと、なかんべ」

警官が薔薇を刺した胸ポケットから手帳を取り出して、何か書き付けた。

「住所と名前は?」

「はあ……」

馬部は素直に住所と名前を告げたが、その間ずっと、警官の胸ポケットに刺された薔薇に目を奪われていた。

あの薔薇。もしやデューク浜地にもらったものでは……?

もしもそうなだとすれば花はそんなに長持ちするものではないから、警官は数時間以内にデュークに会ったことになる。

デュークの居場所が分かれば、みちるの居場所も分かるし、記事の真偽も確かめられる。

「……あのう」

馬部は思いきって訊いてみることにした。

「ん? なんだス?」

警官がポケットに手帳をしまい込むと、ハラリと薔薇が落ちた。馬部は薔薇を拾った。

「この薔薇、どうなさったんですか?」

「欲しいんだスか?」

イイ歳した男が花を欲しがるわけがない。

「いや、実は知ってる人が薔薇をよく配っているもので……」

こういうとまるで花売りの少女と知り合いのようだが、実際、『知ってる人が薔薇をよく配っている』としか言いようがない。

「この薔薇はさっき、キャベツ教の女性信者からもらったものだけンど?」

「もらった?」

キャベツ教のシンボルはキャベツではなかったのだろうか? あるいは、その女性がデュークに会ったのかもしれない。

「パトロールをスてると、たまにそういうことがあるですよ」

警官は、薔薇をもらったことが余程の自慢なのか、ニッコリと笑みを浮かべた。

「はあ。お巡りさんは渋谷の顔役ですからね」

馬部のお世辞に、警官はますます機嫌が良くなった。

「嬉しいなあ! 警察官と言えば地域の顔役。親も同然。いやあ、分かってるじゃないですか」

いきなり警官の言葉は訛りが取れ、東京弁になった。

「ところで、そのキャベツ教の女性にはどこでお会いになったんですか?」

「ファイヤー通りを駅の方に行かれましたよ。ここからなら、トンネルを抜けて行くと良いでしょう」

やはり東京弁で話す警官に礼を言って、馬部はその場を離れた。



・奇妙な方言を使う警官:尾形敬治。コスプレ警官。ミニスカポリスと大差ない。

・渋谷の顔役:顔役は代表者の意味。警官の中から顔役を選ぶとしたら、井の頭通りの三叉路の交番でいつも立ってるお巡りさんが選ばれるだろう。



●12:20 宮下公園前トンネル

馬部は、警官の言葉に従ってトンネルを目指して走っていた。

キャベツ教のクリーム色のワンピースは非常に目立つが、渋谷の人混みの中にあっては見付からない恐れもある。

できれば、キャベツ教の女性が渋谷駅に着く前に捕まえたい。

馬部は全力でトンネルを走り抜けた。

「ヒッ!」

トンネルの中に蹲っていた浮浪者が怯えた声を挙げたが、馬部はそれにも構わずトンネルを走り抜けた。



・浮浪者:謎の浮浪者。馬部の知り合い?



●12:30 渋谷駅前スクランブル

「い、いた」

それとおぼしきキャベツ少女は、スクランブル交差点付近で見付かった。

「こんにちは。良い国をつくる会の者です。こんにちは……」

忙しく行き過ぎる通行人は、殆どキャベツ少女の言葉には耳を貸さない。

ハチ公前で待ち合わせする人も、さり気なくキャベツ少女から視線を逸らしていた。

「こんにちは」

「わっ!」

馬部が少女に声を掛けると、少女は飛び上がらんばかりに驚いた。

「なななな、何ですか」

自分から声を掛けることには慣れていても、自分が声を掛けられることには慣れていないらしい。

「さっき薔薇の花をお巡りさんにあげたのは、あなたですか?」

「薔薇? ああ! 薔薇の花!」

少女は、頭を抱えて座り込んでしまった。

「ど、どうしたんですか?」

さっきまでキャベツ少女を無視していた人までが一斉に馬部を見た。

「あ、いや。ボクは何も……」

キャベツ少女は、相変わらず座り込んで動かない。

「薔薇のことは、言わないでッ!」

「いやあの。あの薔薇を誰に貰ったのか、訊きたいだけなんだけど」

動かない少女の周りで馬部がオロオロしていると、何事かと人々の足が止まる。

冷たい視線が馬部に注がれる。

「と、とにかくこっちへ!」

馬部は視線を逃れて、少女をJR渋谷駅の構内に連れ込んだ。



「だ、大丈夫です」

少女は、ようやく普通に立てるようになっていた。

相変わらず行く過ぎる人はジロジロ馬部を見て行くが、人波に押されて立ち止まらないので、大騒ぎにならなくてすむ。

「お見苦しいところを見せてしまって……」

「いやいや。いいんですよ」

キャベツ少女が丁寧に頭を下げたので、馬部は慌てて頭を上げるように言った。

「それよりあの……例の赤いアレのことなんですが」

理由は分からないが、この少女は赤い薔薇に異常なコンプレックスを感じているらしい。馬部は少女に気を使って、ぼかした言い方をした。

少女はちょっと顔を赤らめて答えた。

「ア、アレですか。アレは、男の人に貰ったものなんです」

やはり、そうか。

馬部は勢い込んで訊いた。

「デューク浜地さんにもらったんじゃないですか?」

「デューク……浜地さん、ですか?」

少女は眉を寄せて戸惑いの表情を浮かべた。

「あの人と、お知り合いなんですか? 白いスーツでマフラーした……」

まさしく、デューク浜地だ。しかし、この年代の少女がデュークを知らないとは珍しい。

「どこでその人に会ったんですか?」

「タワーレコードの前です。私と会った後、タワーレコードに入って行かれました」

「さっそく行ってみるよ。ありがとう」

「待って下さい!」

馬部がきびすを返そうとすると、キャベツ少女が馬部を呼び止めた。

「あの人に、会いに行くんですか?」

「ああ、そのつもりだけど?」

キャベツ少女は、相変わらず顔を赤らめたまま言った。

「あのッ! 今度は大丈夫ですからッて! 伝えて頂けますか?!」

「? 分かった。会えたら伝えるよ」

「よよよよよろしくッ! お願いしまっすッ!!」

妙に興奮した様子の少女を置いて、馬部はタワーレコードに向かった。



・デュークを知らない:キャベツ教に限らずカルト教団は「合宿」「共同生活」など、大概信者を世間から隔絶する手段を持っている。もちろん協議を刷り込むのに祐子だからである。

・妙に興奮した様子の少女:実はこの少女、さっきデュークにファーストキスされたのだ。八方美人の達人デュークはそんなこと覚えていないが、少女にとっては大事件。「今度は大丈夫」と言ったのは、キャベツ教の教義「子どもは人類の宝。どんどん愛し合いなさい」に基づく。



●12:40 タワーレコード前

「ここか」

タワーレコードの前には、見慣れたロケバスが停まっていた。

中を覗いても誰もいなかったが、ロケ地がここであることだけはハッキリしたようだ。

「行くぞ」

馬部は、ロケ隊の姿を求めてタワーレコードの中を探し回った。



●12:50 タワーレコード7F

「あっ」

馬部が7階の洋書売場まで来たとき、黄色い悲鳴が上がっているのが聞こえた。

「あれは……」

悲鳴はレジの近辺で上がっているらしい。

馬部がレジに近づくと、騒ぎの中心地にデューク浜地がいるのが見えた。

「…………」

デュークはふと馬部の方を見て、汚ならしいものでも見たように眉を顰めた。

「ちょっとごめん……大事な用件なんだ……」

デュークはその表情のまま人だかりから抜け出し、馬部の方にやってきた。

「あ。どうも、お久しぶりです」

「フン。今更何の用だ? よくも僕の前に顔を出せたものだな」

「え?」

デュークは冷たい目で馬部を睨み付けた。

「僕に謝りに来たのか? 今ならみちるの前で土下座すれば、決闘は許してやってもいいんだぜ」

「決闘?」

どうも、話が通じない。どうも、デュークは馬部に心当たりがないことを話しているらしい。

「あ……デュークさん!」

そのとき、人だかりを掻き分けてサギ山がやってきた。

「段取り終わりましたんで、スタンバイお願いします」

「うるさいぞ。たかだかADの分際で」

一瞥をくれただけで、デュークはサギ山を黙らせた。

「今、このウシ君と話をしている最中なんだ。黙っていてくれ」

「ウシ?!」

牛尾のことだろうか? デュークに牛尾との面識があるとは思わなかった。

「デュークさん。牛尾さんと知り合いなんですか?」

「なんだと? 君がウシ君じゃないか」

どうやら、まだ牛尾と馬部を混同している人がいたらしい。

「あの。ボク、ウシじゃないです。ウマなんです」

「何だって?」

「あのデュークさん」

事態がややこしくなると思ったのか、サギ山が話に割って入った。

「この人は、馬部さんです。さっきお会いになられた牛尾さんの弟さんです」

「えっ……サギ山君。君、牛尾さんに会ったの?」

しかもさっきと言った。

思わぬ言葉を聞いて、馬部はサギ山に詰め寄った。

「ハイ。牛尾さんはさっき、みちるさんを訪ねていらっしゃいましたよ」

「オイ、サギ山!」

向こうでクマ野が腕をグルグル回して、「巻き」のポーズを作っていた。

「はーい。……デュークさん。スタンバイお願いします」

「うるさい。僕は、この男と話をしているんだ。収録なんか後回しだ」

デュークは、すっかり馬部に意地になっており、サギ山の言うことなど聞きそうになかった。

「困ったなあ……そうだ!」

サギ山が、ポンと手を打つと、手でメガホンを作った。

「みなさあ~ん。ただ今よりデューク浜地さんのシーンを収録しま~す。お静かに願いま~す」

「何考えてんだ。バカ!」

クマ野が頭を抱える。

「えっ? デューク浜地?!」

「どこどこ?」

「浜地さんの演技が見られるわよ!」

さまざまなどよめきが、フロア中を駆けめぐった。

「デュークさん。ファンの皆さんが待っています!」

「…………」

デュークは、帽子を目深に被って俯いていた。

「デュークさん」

「まあまあ。待ちたまえ。僕の体は一つしかないんだよ」

顔を上げたデュークは、すっかり機嫌を直していた。

「キャー! 浜地さん!」

「こっち向いてぇ」

「浜地さ~ん。サインしてぇ!」

デュークは押し寄せるファンに囲まれて、満足そうな表情を浮かべていた。

「きみに、これを」

どこからともなく薔薇の花を取り出して、ファンの娘にやったりしていた。

「本番行くぞ! 取り巻きを静かにさせろ!」

クマ野が苦々しい表情でサギ山に怒鳴った。

「はーい」

「大分、ADが板についたようだね」

馬部が感心してサギ山に言った。

「ホントですか? でも、もうすぐ辞めるのにそんなこと言われても、あんまり嬉しくないですよ」

言いつつサギ山は頭をポリポリ掻いた。

「それより牛尾さんのことなんだけど、何の用事でロケ隊を訪ねてきたの? 今どこにいるの?」

「ウシさん、午前中にデュークさんを殴りかけちゃったんですよ」

「えっ」

「ウシさんがみちるさんに指輪渡して何か話してたんです。そこにデュークさんが割り込んで、みちるさんを連れていこうとしたのに腹を立てて」

「ん? 指輪? それは……」

「……牛尾さん、まるでプロポーズしてるみたいでしたよ」

「ええっ!」

馬部は、顔から血が引いていくのを感じた。

「あああああの、それでみちるは何と……」

「満更でもなかったみたいでしたけど」

馬部は顔面蒼白を通り越して土気色になった。

「でも牛尾さんがデュークさんを殴りかけちゃって……で、怒ったデュークさんが牛尾さんに決闘を申し込んだんですよ」

「はあ」

確かにデュークは決闘がどうしたとか言っていた。馬部がロケ隊から少し目を離した隙に、すごいことになっているようだ。

「で、みちると牛尾さんは今どこにいるんだい?」

「二人で食事に行っちゃいました。多分、二人っきりで話したかったんじゃないですか?」

「サギ山!」

ファンに囲まれたまま、動かないデュークを見かねて、クマ野が叫んだ。

「はい! すみません、ウマさん。僕、行きます」

「ままま待って! 牛尾さんたち、どこに食事に行ったか分からない?」

「前のビルにある喫茶店に行くって言ってましたよ」

「あ、ありがと! ……あ、そうだ。デュークさんにキャベツ教の女の子が『今度は大丈夫ですから』って言ってたって伝えてくれる?」

「分かりました!」

「じゃ。頼むよッ!」

馬部は、階段を一気に走り降りた。



・洋書売場:秋山薫と細井美子のバイト先。現在昼食中ですれ違い。残念。

・どこからともなく:デュークがいくらでも薔薇を出すので、デュークのポケットは四次元に繋がっていて、いくらでも薔薇を収納できるのではないかという噂が立っている。




街 ネクストストーリー2

2014年05月01日 16時00分00秒 | 街 サウンドノベル
○ 10月15日AM0:40 

山吹事務所屋上



馬部は錆び付いたドアノブを手にしたまま、諦めきれないように、ため息をついた。

馬部「ダメだ……! どうしても開かない!」

るい子「でも他に出入り口はないし…、何とかして開けないと…」

るい子も真剣な顔で考えている。

二人はさっきからもう30分以上も、ドアを開けようと努力している。

だが、馬部とるい子の前に立ちはだかる鉄製の頑丈なドアは、びくともしなかった。

るい子のお陰でロ-プは解けたのだが、このドアが開かなくては、ここから1歩も逃げることはできない。

馬部「む…んッ!」(少し離れたところから、ドアに向かって走りもう1度体当たりする)

ドン! とドアに当たるがやはり、ドアはびくともしない。

馬部「はあはあ(馬部は肩で息をしている)……もう1度、体当たりしてみましょうか」

るい子「でも、さっきからもう20回以上は試しているのに……」

馬部「他に、何かいい手があるといいんですが……」

二人は顔を見合わせて、うーんと唸った。

馬部「大体、ここはどこなんでしょうかね?」

るい子「私、考えたんですけど。ここは、山吹の息のかかった場所だと思うんです。山吹が使っている事務所の、地下室か物置じゃないでしょうか」

二人は先刻、他の出入り口を求めて室内をくまなく探してみた。

が、部屋はの床も天井もコンクリートで、出入り口は目の前のドア一つきりだ。

明かりとりらしい窓が上の方にあるにはある。

が、それはせいぜい15センチ四方程度のもので、ネズミや猫が通れるのが関の山だった。



るい子「……何か音がしませんか?」

るい子がいった。

馬部は耳を澄ました。

…確かにるい子のいうように、どこからか音が聞こえる。

るい子「靴音かしら?」

コンクリートに、音が響いてる。

るい子「階段を上り下りしている音みたいですけど」

(カツン、カツンという足音)

足音は段々大きくなる。

この部屋に近づいてくるようだ。

山吹か?

それとも、山吹の手下たちが戻ってきたのか?



馬部「誰か来る!」

るい子「山吹かしら?」

るい子は不安そうに唇を噛んだ。

緊張のあまり、馬部の背中にはじっとり

と汗が滲んでくる。

もう、駄目か?



馬部「まだ死にたくない! まだ死にたくない!」

馬部は口の中で、ぶつぶつと念仏のよう

に繰り返し唱えていた。

馬部「だってまだ、ゲスト主演の自分の放映分を見てないんだから!」

馬部は悲痛な声でそう呟いた。



ドアの前で、ぴたっと足音が止まった。

馬部とるいこは息を殺して、外の様子を伺った。

ガンガンガン!

何者かが、目の前の頑丈な鉄製のドアを思い切り叩いた。

このドアを開けられたら、殺される!

馬部はそう思った。

ドアの前に立ち、両手でドアを押さえた。

開けられたら、きっと殺される。

男「畜生、開かねえ!」

男が苛立った声で怒鳴った。

男「そこにいるのか!? どきやがれ!」

馬部「るい子、さん…」

馬部はるい子を見た。

るい子「死ぬときは一緒だわ」

るい子は馬部にいった。

熱い視線が絡み合った。

もはや二人は、死を覚悟した恋人同士だった。

馬部「いや、僕も男です……ッ。相手は一人

かもしれない。ドアが開いたら、僕がおとりになります。山吹たちを押さえている間に、るい子さんは一人で逃げてください……!」

るい子「イヤよ! そんなの絶対駄目です! あなたは私が守ります!」

馬部「るい子さん……!」

二人はお互いを見つめ合い、固く手と手を握り締めた。



ばん!

ドアがこじ開けられた。

黒い服を来た男が室内に転がり込んできた。

馬部(もう。だめだ!やられる!!)

馬部は目をつぶったまま、男に向かって決死のタックルをした。

馬部「うわああああ!」

牛尾「よせ、俺だ、牛尾だっ!」

みちる「ウマちゃん!」

男の後ろから、馴染み深い女の声がした。

みちる「助けに来たわ!」

飛びこんで来たのは、みちると牛尾だった。

牛尾「ああ、見つかって良かった。随分探しちまったぜ」

馬部「みちるさん、牛尾さん、どうして、ここが……」

馬部は呆気にとられて、尋ねた。

牛尾が答える。

牛尾「お嬢さんが誘拐された、といって柏木が泣きついて来た。ホテルの玄関にバイクが残ってて、お嬢さんが訪ねたはずの部屋に、お嬢さんのネックレスが落ちていたんだそうだ」

馬部「ああ。あのときの金鎖……」

牛尾「それで、お嬢さんが翠竜会(白峰組と抗争中のヤクザ)の連中にさらわれたとすぐわかった」

みちる「でも私たちは、ウマちゃんがその金鎖をるい子お嬢さんから貰ったって知ってたから、ウマちゃんに何かあったってすぐ解ったんだけどね」

うふふ、とみちるが笑った。

牛尾「うむ。柏木はそれを知らなかったんだな。お嬢さんは肌身離さず、金鎖を付けていなすったから」

るい子「まあ……」

るい子は馬部と顔を見合わせた。

るい子「きっと、天国のお母さんが助けてくれたんだわ……馬部さん! 私たち助かっ たんですよ!!」

るい子が馬部に抱きついてきた。

牛尾「お嬢さんの身に何かあったら、柏木が責任をとらされることになってらしい。まして、お嬢さんが組の銃を持ち出したとなれば。しかも、相手は翠竜会だ。下手したら全面抗争になっちまう。……だがな、今の俺なら、白峰組に関係なく動ける」

馬部「あの、『翠竜会』って……?」

牛尾「山吹だ。ホテルの部屋は翠竜会の幹部の名前で予約されてた」

馬部「でも、みちるさんと牛尾さん。どうして、二人が一緒に……?」

馬部は牛尾といるみちるを見つめた。みちるが頬を赤く染めた。

みちる「ゴメンねウマちゃん。私、牛尾さんにプロポーズされちゃった!」

馬部「え……?」

馬部は目を丸くした。

みちる「私、もう待てないもの。38だし、結婚したいの。そのことを伝えたくて……ウマちゃんを街中探したのよ。

牛尾「今回のことじゃ、ウマに世話になってるんだ。これが、仁義ってもんよ」

馬部は力つきて、へたへたとその場に座り込んだ。

るい子「牛尾さんご結婚なさるんですか?」

牛尾「ま、まあな」

るい子「おめでとうございます。この方と?やっぱり決まった方がいたんですね……」

牛尾「決まったっていうかな」

るい子は馬部に抱きついたまま、首を振った。

るい子「もういんです。わたしには、馬部さんがいますから……!」

みちる「あなたは…?」

みちるが尋ねた。

牛尾「組長の、お嬢さんだ」

るい子「白峰るい子と申します」

るい子は丁寧にみちるに挨拶した。

牛尾「みちるさん。挨拶はあとだ、あと」

牛尾がいった。

牛尾「じき山吹が戻ってくる。お嬢さんとウマは早くこのビルの下まで降りろ」

みちる「牛尾さんは?」

牛尾「ここで、山吹の奴を待つ」

馬部「!」

みちる「そんなの、危ないわ」

馬部「山吹は俺を恨んでる。昔兄貴分だった、俺を、だ。アイツはもう腐ってる。俺は奴とサシで話がしてえんだ」



○ 山吹事務所前 AM4:00

遠くから風に乗って、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。



覆面パトカーから降りてくる鯨井刑事。

馬部に走り寄ってくる。

鯨井「馬部さん!」

馬部「遅いじゃないですか……!」

鯨井「みちるさんが誘拐されたっていうのは、本当ですか?」

馬部「本当です。牛尾さんと一緒にこのビルに監禁されたんです。今二人は屋上に……。早く応援を呼んで下さい」

鯨井「わかった、すぐ我々も現場へ向かおう !」

鯨井、馬部、ビルの屋上へ向かう。



○ 山吹事務所屋上 AM4:00



ビルの屋上で、山吹が牛尾にむかって拳銃を構えている。

みちるはその後ろにいる。

周囲には山吹の手下が2、3人のびている。



牛尾「おい、山吹、やめろ…、それをよこせ」

牛尾は山吹に手を差し延べた。

山吹「なぜ。なぜお前は、いつも私の邪魔をするんだ! もう少しで全て上手くいくはずだったのに。なぜだ!?」

山吹が牛尾に向けて銃を構えながらいった。

山吹「……最初に組に入ったときからそうだった。何もかもお前さえいなければうまくいったのに……!」

牛尾「山吹!」

山吹が引き金を引いた。

ズギューン!

音がして、牛尾の肩を弾がかすった。

硝煙が上がる。

牛尾「山吹、よせっ!」

馬部「牛尾さんッ、大丈夫ですか!?」

馬部と鯨井は息せききって、屋上に着いたところ。

牛尾はまた一歩、山吹に近づいた。

山吹が一歩また下がる。

屋上の低いフェンスぎりぎりのところまで来ている。

牛尾「山吹、やめろ……!」

ガクン! 

突然、山吹の体が後ろにのめるように倒れた。

手摺りが後ろへ一緒に倒れる。

山吹が叫んだ。

山吹「うわあああああっ!」

牛尾「山吹!」

牛尾は手を差し伸べたが、間に合わなかった。

山吹は屋上から道路へと、真っ逆さまに落ちた。



るい子「見て、山吹が…」

鯨井「! 落ちるぞ! 危ない!」

鯨井が叫ぶ。

馬部とるい子はビルの屋上から、落ちていく山吹を見ていた。

ドン! 

鈍い音がした。

牛尾が屋上から下をのぞき込んだ。



「ああ……!」

ビルの真下の道路に、血まみれになった山吹の姿が見えた。

るい子「馬部さん……!」

馬部「見るな、見ちゃいけない」

馬部はるい子を、自分の後ろに押しやった。

馬部「終わったんだ…、僕らは助かったんだよ」

るい子「ええ……、馬部さん」

鯨井「みちるさん。大丈夫ですか?」

みちる「え、ええ……」

鯨井「牛尾、とりあえず署まできてもらおうか」

鯨井刑事がいった。

みちる「牛尾さんのせいじゃないわ……!」

 みちるが鯨井に抗議する。

みちる「私、あの人が撃たれるの、見ていました。牛尾さんは犯人を助けようとまでしたんですよ!」

鯨井「ああ、もちろん事情聴取だけです。私も落ちるのを一部始終目撃していたわけですし……。あの男が発砲したのも、牛尾さんが撃たれたのも知っています」

みちる「じゃあ、なぜ、牛尾さんを……」

鯨井「ま、形式って奴です。心配ならみちるさんも署までご同行下さい」



○ AM10:00 白峰邸



馬部とるい子の二人は時計を見ている。

馬部「牛尾さんの事情聴取は終わったんだろうか……」

るい子「まあ、こんな時間。急がなきゃ……」

馬部は礼服である。

るい子が自分のドレスを見ながらいった。

るい子「せっかくの結婚式なのに。馬部さんに私に振り袖が似合うところを見せようと思ってたのに。今からじゃ……髪を結う時間もないわ」

馬部「今朝まで、忙しいかったですからね… …」

るい子「式が決まったのも急だったから」

馬部「でも似合ってますよ、その服」

るい子「本当? そう言ってもらえると自信がつきますけど」

馬部「あのー、組長は?」

るい子「ああ、お父さんは先に行くって。新郎の付き添いだもの」

馬部「そう(少しほっとする)」

るい子「私たちは時間に間に合うように、行けばいいのよ…。道玄坂マジディスカ教会 だったわよね。お式は2:30からだから、1時間前にいけばいいわね」



○ PM1:30

二人は組の者が運転する車で道玄坂マジディスカ教会へと向かった。

車中、るい子はやはり振り袖が着たかったと残念がっていた。

だが馬部は、まだ生きている実感を噛み締めていた。

るい子「今日の結婚式はね、いとこの美奈子ちゃんの結婚式なんです。彼女、まだ高校生なんです。お相手もまだ高校生なの。よく考えると……なんだか、現実離れしてるわ。でも、まあ美奈子ちゃんのお父様たっての希望だから、いいんでしょうけど」



○ PM1:30 

結婚式場(聖マジディスカ教会)控室



会場は混雑していた。

然して広くはないのだが、白峰の姿は見えない。

美奈子「るい子お姉さん!」

美奈子がるい子を見つけた。

嬉しそうにるい子を呼んで、手を振った。

美奈子「こっちこっち、陽平クンを紹介する わ」

るい子「美奈子ちゃん、とってもキレイよ」

るい子は美奈子の純白のウエディングドレスを、うっとりと眺めた。

美奈子「でも、陽平クンもすごく素敵なの」

美奈子は新郎の陽平のもとへ、るい子を案内した。

美奈子「陽平クン、紹介します。いとこのるい子お姉さん」

るい子「はじめまして、白峰るい子です。本日はどうもおめでとうございます」

るい子は新郎に頭を下げて挨拶した。

父白峰から少し聞いていただけあって、顔には出さなかったが、内心は驚いていた。

なんといっても高校生同士の結婚式である。

私が高校生の頃は、そんな相手はいなかったわと思いながら、美奈子の陽平クンとやらを観察した。

陽平「ありがとうございます。飛沢陽平です」

少年はるい子に挨拶を返した。

るい子「……美奈ちゃんが選んだだけあって、さすがにカッコイイわね」

陽平「ハハハ、よくいわれます」

陽平はるい子のお世辞に、屈託なく笑った。確かにハンサムだが、るい子にはどうでもいいことだった。

るい子は自分に話を振った。

るい子「実は、私ももうすぐなんですよ」

にっこりと笑顔でそう伝える。

陽平「あ、そうだったんですか」

るい子「ええ。だから今日はいろいろと参考にさせてもらおうと思って」

陽平「どうぞどうぞ」

るい子「あ、じゃあカレのことも紹介しますね……馬部さん、こっち!」

るい子は馬部を呼んだ。

馬部が緊張の面持ちで、黙って入ってきた。

白峰忠通、すなわちるい子の父が馬部を眺めていた。

るい子が美奈子に馬部を紹介する。

るい子「私のフィアンセ馬部甚太郎さんです。こちらが新郎の飛沢陽平さん」

陽平「飛沢です。本日はどうもありがとうございます」

(Z:飛沢陽平、結婚式場、飛沢陽平は秋葉美奈子と結婚式をあげるため、道玄坂マジディスカ教会にきている。今はその控室)

馬部「馬部です。おめでとうございます」

馬部は飛沢陽平と名乗る少年に挨拶した。

もしかしたら、もうすぐ遠縁になる少年だと思うと馬部の表情は緩んだ。

陽平「アレ……何日か前にお会いしませんでしたか?」

陽平が馬部に訊いた。

馬部は首を傾げた。

こんな少年に会っただろうか?

ひょっとしたら……又、牛尾と間違えられているのかもしれない。

念のため、一応謝ることにした。

馬部「ええと…そう、でしたか……すいません、この5日間いろいろとあったものですから」

美奈子「本当、陽平クン!?」

美奈子が横で驚きの声をあげる。

美奈子「実は私も偶然お会いしてるのよ。ねえ、馬部さん」

馬部「は、はあ……」

馬部は少し戸惑った。

この新婦の方にも見覚えがない。

彼女が会ったのも、やはり牛尾なのだろうか?

るい子が見かねて、助け船を出してくれた。

るい子「馬部さんはね、今売り出し中の役者さんなんです。それで見覚えがあるんじゃない?」

るい子は笑っていった。

陽平「ああ…そうかもしれません。そういえば前にテレビで」

陽平が答えた。

るい子「おとといまではね、『独走最善線』て刑事ドラマのロケでゲスト主役やってたのよ。放送されるときは見てね」

陽平「はい、是非」

美奈子「お姉さんたちはいつ頃の予定なの?」

美奈子が訊いた。

るい子は馬部を見上げた。

るい子「できるだけ早いうちがいいと思ってるんだけど…ねえ、馬部さん」

馬部「はい。何か、新しい人生が始まるって感じで嬉しいです」

馬部も頷いた。

るい子「じゃ、私たち、他にも挨拶しなきゃならない方がいるので…行きましょう馬部さん」

るい子がいってさっさと歩き出す。

馬部は黙って、るい子の後からついて行った。

後ろから陽平と美奈子の会話が聞こえてきた。

陽平「おとなしそうな人だね、馬部さんて」

美奈子「きっと幸せで胸がいっぱいなのよ」



○ PM2:30 聖マジディスカ教会・中

いよいよ結婚式が始まった。

白峰に付き添われた陽平は、会堂の右手の通路からゆっくりと入場した。

聖壇に向かって左側に新婦方の参列者、右側に新郎方の参列者が座っている。

聖壇前まで来た陽平は、やや緊張の面持ちで花嫁を待っていた。

るい子「お父さんったら、すごく緊張してい るみたいね」

神妙な顔をしている白峰を見ながら、るい子がさもおかしそうに馬部をつついた。

るい子「私のときもああかしら?」

馬部「そうかもしれませんね」

馬部は相槌をうった。

やがて、後方のドアが開いた。

右手に花束を持ち、左腕を父親に預けた美奈子がゆっくりとバージンロードに踏み出した。

るい子「美奈子ちゃんったら、すごく綺麗!」

るい子がため息を漏らす。

参加者1「わあ…!」

 〃 2「キレイ…!」

美奈子の美しさに、参列者の間から次々と称賛の言葉が流れた。

美奈子が聖壇の前に着くと、陽平は歩み寄って手をさしのべた。

秋葉は組んでいた腕を解き、陽平に美奈子を引き渡す。

陽平は美奈子の手を取り、並んで牧師の前にたった。

るい子「いいわねえ」

るい子は馬部の横でうっとりしている。

るい子「やっぱり、ウェディングドレスは女性の憧れですよね」

馬部「…………」



オルガンの演奏が賛美歌に変わった。

全員がそれへ唱和する。

式はとどこおりなく、進行しているように思えた。

牧師が、神の教えや結婚の意義について式辞を述べる。

牧師「『二人はもう別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせて下さったものを、人は離してはならない』マタイの福音書、第19章の6にこのようにあります。夫婦は……」

いよいよ誓約式が始まる。

牧師が、陽平と美奈子の前へ歩み寄った。

牧師「飛沢陽平、あなたは秋葉美奈子をめとり、神の定めに従って婚姻を結ぼうとしています。あなたはその健やかなるときも、病めるときも、常にこれを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り固く節操を守ることを誓いますか」

陽平「はい、誓いま……」

ユキ「いっちゃダメよ、陽平!」

新郎側の参列者の後方の席に座っていた赤ちゃんを抱いた、少女が突然叫んだ。

声が会堂中に響いた。



ユキ「そんな結婚、絶対しちゃダメ!」



バン! 

間髪入れず、後方の扉が勢いよく開いた。

馬部とるい子は、思わず振り返った。

出席者の殆どが一斉に振り返った。

亜美「待って下さい!」

息せききって駆け込んで来たのは、赤い服を着た少女だった。

今度はそちら視線が集まる。

亜美「その結婚、どうか待って下さい! わたしのお腹には、飛沢君の赤ちゃんがいるんです!」

参加者1「!?」

 〃 2「何、何だって?」

 〃 3「どうしたの?」

 〃 4「いったい何だ!?」

教会中が騒然となった。

陽平は立ち尽くしたまま、微動だにしない。

ユキ「ちょっと待ちなさいよ! 今ワタシが陽平を助けようとしているんだから邪魔しないで!」

亜美「ユ……ユキさん?! 優作君も……どうして?」

ユキ「どうしてじゃないわよ。アナタまだそんなウソ続ける気なの?」

亜美「ウソじゃありません! 私は本当に……!」

ユキ「いいからアナタは引っ込んでて! 陽平の子供はね……この優作だけよ!」

そう叫ぶと、少女は抱き抱えていた赤ん坊を高く掲げた。

「!!!…」

再び会場が騒然となった。

るい子「……」

るい子は馬部の横で目を丸くしている。

ユキ「こっちはもう陽平とは長い付き合いでお互いに良く知ってるの。イイ加減なところもあるけど、結局陽平はワタシとの相性が一番合ってるのよ。だからアナタはもう諦めて」

亜美「私だって。一度は諦めようかと思いました。でも……どうしても飛沢君が好きなんです! 飛沢君と一緒にいるときだけ、私は本当の自分になれるんです!」

赤い服の少女は必死に訴えている。

陽平は気を失いそうになった。

牧師「これはどういうことですか……!」

牧師が声を荒げた。

陽平「……」

牧師「結婚に異議を唱えるものがあれば、神の祝福は受けられないのです。あなたがたは神の御心に背くことになり式はここで中止しなければなりません」

美奈子が、叫んだ。

美奈子「そんな、待って下さい!」

ユキ「結構です、すぐに中止して下さい!」

亜美「私も異議を申し立てます!」

少女たちも負けずに叫ぶ。

るい子と馬部は席で話をしていた。

るい子「馬部さん聞きました? 異議を唱えるものがあれば式は中止になるんですって」

馬部「……知りませんでしたね」



美奈子「あなたたち……一体何の恨みがあってこんなことをするの? これは私の大切な結婚式なのよ。これ以上邪魔しないで、二人とも早く出てって!」

ユキ「このコはね、自分にウチが金持ちなのをいいことに、陽平をお金で買おうとしている最低の女なの!」

美奈子「何ですって……! あなたみたいなだらしない母親に、そんな失礼なことをいわれる筋合いないわ。自分の旦那さんに相手にされなくなったからって、今度は陽平クンに言い寄ろうっていうの?」

美奈子は新郎の両親に向かっていった。

美奈子「お母様、こんなひといつまでも甘やかして面倒みてちゃダメです!」

しかし、陽平の母親、和子は父親周平ともどもすでに気を失っている。

ユキ「……本当に負けず嫌いなんだから。いっとくけど、この人には何いってもムダよ。陽平を横どりしようとして、妊娠してるってウソまでつく女だから」

亜美「本当です! 私のお腹には、飛沢君の赤ちゃんがいるんです!」

ユキ「こっちだって、優作の父親で、ワタシの夫になるのは、そこにいる飛沢陽平ただひとりよ!」

美奈子が腕を振り上げて叫んだ。

美奈子「陽平クンは私と結婚するの! 今その最中なの! もう邪魔しないで!」

少女たちは陽平の前に駆け寄った。



亜美「飛沢君! 本当のことをいってあげて下さい!」

ユキ「陽平! はっきりいってやって」

美奈子「陽平クン!」

陽平「……………」

三人に詰め寄られた陽平は、ただ立ってた。

陽平「……ウソ、なんだ」

陽平はようやく口を開いた。

少女たちは口々の騒ぎたてた。

美奈子「そうよ、この人たちは大嘘つきだわ。陽平クン、早く出て行くようにいって」

亜美「私、ウソなんてついてません! ねえ、飛沢君!」

ユキ「陽平、この人たちのウソ、全部バラシちゃって!」

陽平「ちがうよ…。ウソは…俺。…ゴメン…」

赤ちゃんが泣き出した。

美奈子が尋ねた。

美奈子「陽平クン、私と結婚したかったんじゃなかったの?」

赤い服の少女が詰め寄った。

亜美「私のお腹の赤ちゃん、どうしろっていうんですか」

陽平「………」

ばしっ!

鋭い音がして、陽平は少女に平手打ちされた。

彼女は踵を返して走りだす。

入ってきた扉から外に飛び出だした。

ユキ「最低…!」

ぱしん!

もう片方の方の少女も陽平を殴ると、赤ん坊を抱いたまま、教会の入り口から出て行った。

美奈子「陽平クン…」

美奈子は信じられないという表情で陽平を見る。

陽平「美奈、ちゃん…」

白峰「小僧……!」

白峰がゆっくりと立ち上がった。

るい子と馬部も慌てて立ち上がる。

白峰は完全に殺気だっている。

るい子「お父さん…!」

るい子は殺気だっている白峰を止めようと、追いかけた。

陽平「!……」

白峰「こんな屈辱は初めてだ…」

陽平「あわわわ」

陽平はオロオロと後ずさる。

るい子「お父さん、落ち着いてください」

だが、白峰は聞く耳を持たない。

白峰「この白峰によくも恥かかせてくれたな。いや…ワシより美奈子のメンツはどうしてくれる! 貴様、たとえ美奈子が許しても、ワシが許さねえ……!」

陽平「うわあああッ!」

陽平は逃げ出した。

白峰「待ちやがれ!」

美奈子「陽平クン!」

陽平が教会の外へと飛び出した。

待機していた白峰組の男たちが、何事かと振り向いた。

陽平はその前を突っ切って走り抜ける。

白峰「その小僧、捕まえろ! 生かしちゃおけねえ!」

白峰の叫び声が教会の中から響いた。

るい子「お父さん!」

白峰「うるせえッ! るい子あっちへいってろ!」

聞く耳を持たない白峰にるい子はため息をついた。

るい子「もう、お父さんたら。完全に頭に血がのぼってるわ」



○ PM2:30 道玄坂マジディスカ教会(Z:篠田正志、教会の前、正志は今道玄坂を歩いているところ)

白峰「あの野郎ッ……」

組員「おやじさん。あんまり興奮すると心臓が……」

白峰「うるせえ!……この白峰をコケにしやがって……!?」

青年「白峰……!?」

通りがかりの見知らぬ大学生が、驚いたように、声の方へ目を向けた。

その青年に気づいた白峰は、怒ったまま彼の方へやって来た。

白峰「……」

彼の前に、立ち止まる。

青年「は…ハイ何か?」

白峰「貴様、何しに来た」

青年「あ、あの…」

白峰の顔が怒気に紅潮した。

今にも爆発しそうだ。

るい子「お父さん……」

るい子が白峰に声を掛けた。

白峰「む」

白峰は一瞬黙り込む。

るい子が馬部と一緒に白峰のところへやって来た。

るい子が青年を見て尋ねた。

大学生くらいか、ちょうどるい子と同じくらいの年格好に見えた。

るい子「お父さん、こちら、お知り合い?」

青年「あ、ああ。ちょっとした友人でね」

誰か知り合いの息子さんだろうか、馬部は思った。

るい子はなおも尋ねる。

るい子「…お父さまの?」

白峰「キン……」

るい子「キン……?」

白峰「イヤ、金田一君、紹介しよう。娘のるい子だ」

青年「あ……」

青年はるい子とは初対面だったらしい。

紹介されると、何故か息を呑んだ。

るい子は青年に丁寧に挨拶した。

るい子「初めまして、いつも父がお世話になっております」

青年「お……お噂はかねがね」

青年はるい子をじっと見つめている。きっと美人だから見とれているのだろう、と馬部は勝手に解釈した。

るい子は馬部を紹介した。

るい子「彼、馬部陣太郎さん。フィアンセなの」

馬部「う、馬部です。いや、フィアンセというのは……マダその…」

るい子「ねえあなた、美奈子ちゃんんたちも凝ったイベントをやるわね。私たちのときもこのくらい派手にやりたいわ」

馬部「いや……あの…」

馬部は額に汗をかいている。

組員「おやじさん…」

また組員がやってきて白峰に耳打ちをした。

組員「…が…スクランヴル」

会話はよく聞き取れないが、ものものしい様子が伝わってきた。

白峰「それじゃあ、金田一君…」

白峰はるい子と馬部の背を押して、挨拶もそこそこに青年の前から去った。

白峰「あの小僧、ぶっ殺してやる!」

白峰はまだ、怒っている。

るい子「お父さん、聞いてた?本当に凝ったイベントでしたわねえ」

額に青筋を立てて怒っている白峰の横で、るい子はころころと笑った。

白峰「イ、イベント?」

るい子「だって、今、秋葉のおじさまが、そうだって。最近の、結婚式ではいろんな趣向こらして、出席者を楽しませてくれるんです」

秋葉「あ、ああ。そうです。これは、美奈子と陽平クンの愛の深さを確かめあうことを機軸にした大イベントなんです。白峰さん、今日は本当にありがとうございました」

白峰「では、あの小娘たちは?」

白峰が尋ねた。

馬部「エキストラですよ。いやあ、迫真の演技だったなあ」

馬部は腕組みをして、感心している。

白峰「……では、あれは全部、芝居だったのか?」

白峰は怪訝な顔をした。

るい子「そうよ、決まってるじゃありませんか。だって、美奈子ちゃんの彼に二人も子供がいるだなんて。本当だったら結婚を許すはずないじゃないですか。ねえ、秋葉のおじさま」

秋葉は白峰に出て来られて余計話がこじれると困るので、大きく頷いた。

秋葉「そう、そうなんです!」

白峰「だったら、何故、最初からそういわんのだ……!?」

秋葉「それは、そのお…」

るい子「いったら面白くなくなっってしまうじゃないの。イベントなのよ、お父さん」

馬部「…でも、シナリオとしてはちょっと嘘っぽすぎましたね」

馬部の言葉にるい子も頷いた。

るい子「あら、やっぱり。馬部さんもそう思いました? 途中から分りますよねえ。出来過ぎてるもの」

馬部「そうそう」

白峰が腕組みをして、唸った。

白峰「……最近の若い者の考えることはよくわからん……」



○ PM8:00 白峰ビル社長室



白峰「やれやれ、今日は疲れた」

白峰忠通がいった。

るい子「ええ、まったくね」

るい子が頷いて、目の前の自分の杯に手酌で日本酒を注いだ。

るい子「この『腰の寒梅』、本当においしいわ。疲れた体には一番の薬ね。馬部さんも、どう一口?」

馬部「ハハハ…」

馬部は意味もなく笑った。

白峰「おい、るい子、わしには勧めてくれんのか?」

るい子「あ、はい、今お代わりいれます」

ここは白峰ビル10階の社長(組長)室だ。

スモークガラス張りのビルの、黒革のソファで白峰とるい子は酒を飲みながら、ゆったりとくつろいでいる。

組の若い者には祝い酒をだした。

もう大かたのものは返してしまい、下に白峰の運転手とボディガードを残してあるのみだ。

疲れたので、3人だけでゆったりと過ごしたいとるいこが提案したのだった。

るい子「馬部さん、明日のお味噌汁はやっぱりお豆腐にします?」

るい子が、微笑みながら尋ねた。

馬部「……え? ええ…」

馬部は顔を引きつらせながら答えた。

これは、明日も一緒に朝食を取るということだろうか。

もはや馬部は、自分のアパートへ帰ることはできそうもなかった。



ぱあん!

音がした。

るい子は窓の方へと振り返った。

渋谷の街になぜか突然、花火があがっていた。

るい子「まあ、花火だわ。綺麗!」

大きなガラス窓に映る花火を見ながら、るい子がいった。

白峰「るい子の結婚式のイベントとやらには、盛大に花火でもあげるか」

白峰はうっとりして花火を眺めている、るい子に、提案した。

るい子「お父さん、すてきだわ! 今日の美奈子ちゃんのよりも、うん派手にやってくださいね」

白峰「イヤ、今日の秋庭のところみたいなのはやめてくれ」

るい子「もっと沢山、イベントを考えますわ!」

白峰「るい子の他に2人もオンナがいるなんてふざけた芝居、もし、本当だったら、馬部くん、あんたを殺さなきゃ、おとしまえがつかんからな。なあ」

馬部「ハハハハ……」

馬部も横で話を聞きながら、顔を引きつらせながら笑った。





もはや、馬部の悪夢は一生尽きることはなさそうだった。



「悪夢は終わらない」終











街 ネクストストーリー1

2014年05月01日 15時00分00秒 | 街 サウンドノベル
馬部 甚太郎 「悪夢は終わらない」

作者名 T.M

○ 10月14日AM9:00 白峰邸・客間



馬部はうなされて目をさました。

馬部「……夢か」

びっしょりと寝汗をかいている。

馬部「…そうか、夢か」

馬部はひとり呟いた。

スゴイ夢だった。

悪夢だ。

夢なら昨日も見たが、昨日は夢の中身を覚えていなかった気がする。

今日の夢は、TV番組『独走最善戦』のヤクザの組長役に大抜擢され、演じていた馬部が本物のヤクザに間違えられ、強盗犯人として渋谷の町中、ヤクザと警察に追いかけられる、スリルとサスペンスに満ちた感動巨編だ。

馬部「最後はどうなったんだっけ?」

確か、馬部が撮影をすべて終えてロケバスを降りたところで……。 



側で女の声がした。

るい子「目がさめました?」



馬部「!!!!」

馬部は思わず跳ね起きた。

白い割烹着姿の女が馬部を覗きこんでいる。

るい子「おはようございます。朝食の用意ができています」

馬部「……るい子、さん」

じゃあ、これまでの事は、夢、じゃ、な、い…!

馬部は辺りを見回した。





馬部「!!!!!」



住み慣れた、自分のアパートではなかった。そこは、客間だった。

見覚えのある雰囲気。

ここは、もしかして。

るい子「昨夜は遅くなったんで、お泊まりになったんですよ。早く、ここでの生活に馴染んで頂かないと」

るい子はにこにこと笑った。

るい子「お味噌汁、あさりにしたんですけど、お口にあうかしら」



そうだった。

ここは東関東白峰組組長の白峰忠通の自宅、目の前にいるのは組長の一人娘るい子だ…!

逃げなければ…、と馬部は思った。

昨夜のことがまざまざと蘇る。

ロケバスを降りた馬部に白峰とるい子がよって来て、『ところで君、本当にるい子と結婚しないか』といったのだ。

言うが早いか両側から組の強面に両脇を固められ、白峰の愛車のベンツに乗せられた。そして、家に帰る間もなく白峰の自宅の20帖敷の部屋へ連れて来られたのだ。

その後、確かまた酒を飲まされて……。

冗談じゃない。

確かにるい子は白峰の自慢の一人娘だろうが、僕にはみちるさんが…。

馬部「ここから、逃げなきゃ。早く逃げなきゃ……」

るい子「馬部さん、どうかしました? こちらへどうぞ」

るい子が馬部の腕を、引っ張り上げて起こした。



次の間には、朝食の用意がきっちりされていた。

膳にはしゃけの切り身、のり、卵、あさりのみそ汁、漬物、それにササニシキのご飯が盛られた茶碗。まるで旅館の朝食さながらの様子である。

そして湯気のたつ向こうには、白峰忠通が、馬部を待ちかねていた。

るい子「お父さん、馬部さんをお連れしました。どうぞお召し上がりください」

るい子はおとなしく白峰に一礼した。

こうしていれば、るい子は本当に楚々とした美女である。

白峰「うむ」



白峰は頷いて、食事を始めた。

馬部「………」

馬部は固まってしまって、朝食を食べるどころではない。

一向に膳に手をださない馬部を見て、白峰は眉を潜めた。

白峰「るい子が君に食べさせたいといって、珍しく朝から台所に立ってな」

馬部「は…」

白峰「まるで、死んだ妻を見ているようだった。あれの母親も和服と割烹着がよく似合ってな。姐さんとしても一流だった…」

白峰は遠い目をして、しみじみと語った。

馬部は座ってるばかりで、箸を持とうにも手が震える。

るい子「どうかしました? 馬部さん、どうぞ。遠慮せずに、お食事さなさって」

馬部「は、はい」

るい子に横からつつかれて、馬部はようやく箸を持った。

だが、手が震えて旨く食べれそうもない。

馬部が手をだそうとしないのを見かねた白峰が言葉を発した。

白峰「……食え」

静かだが凄みがある。

白峰「それともるい子の作ったものは箸がつけられないと?」

馬部「い、いえ」

馬部は慌てて首を振った。

馬部「…そんなことは、ありません。い、戴きます」

味噌汁に口をつけた。

が、慌てるあまり、むせてしまう。

馬部「うっ」

ゴホゴホゴホッ。

咳をして口を押さえた馬部を見て、るい子は青くなった。

るい子「熱かったですか」

馬部「い、いえ、そうでは…」

るい子「お口に合わなかったのね?」

馬部の答えに、るい子は狼狽した。

るい子「…ひょっとして、お豆腐のお味噌汁が良かった?」

馬部「え? ……え?」

るい子「…そうなのね!? 私ったら……!」

馬部「いえ、あの、るい子さん」

るい子「妻として失格だわ。今すぐ、豆腐屋に行って参ります。私、作り直しますから。待っていて下さい」

そういうが早いか、るい子はすっくと立ち上がった。

馬部「いえ、あの…」

馬部は止めようと声を掛けた。

が、止める間もなく、るい子は急いで部屋を出て行った。

馬部「あの……」

馬部は白峰を見た。

白峰「………」

気まずい空気が、二人の間を流れた。

これでは、馬部が味噌汁の具にケチをつけ、るい子が作り直すために席を立った構図になってしまう。

白峰の一人娘をないがしろにしたとあっては、何をされるか、わからない。

おもむろに、白峰が口を開いた。



白峰「私も実は、味噌汁は豆腐にネギだ。君とはどうも気が合うようだ」

馬部「は、はあ……」

白峰「るい子は気ばかり強くて、気配りが今ひとつでな。それがあんたのこととなると、一皮も二皮も剥けたようでな」

馬部「…………」

…どうやら、怒っているわけではないらしい。

馬部はひとまず、ほっと胸を撫で下ろした。

白峰「わしが酔狂で君にるい子をもらうようにいったわけじゃない。山吹の芝居を見破った君なら、跡目としてもやっていけると思ったからだ」

馬部「……」

白峰「今やヤクザも山吹のように頭脳が必要なんでな」

横の襖がすっと開き、柏木が顔を出した。

柏木「組長、お時間です」

白峰「うむ」

白峰は頷くと、箸を置いた。

白峰「柏木、今日は自宅の方はお前に任せる。若い二人のいいようにしてやってくれ」

柏木「へい」

白峰はゆっくり立ち上がった。

白峰「さてと、わしは事務所に行かなければならないので、これで失礼する。今日は親類の娘の家へ仲人として挨拶しに行かなければならないし、(Z:今日白峰は飛沢陽 平の結婚式の手筈を整える予定)相手をする予定の、雑魚もいるしな(Z:篠田正志は今日も事務所にユスリにくる)」

白峰が柏木と部屋から出て行った後、室内には朝食の膳と馬部が一人で残された。

馬部「逃げなくっちゃ」

でも、まずは腹ごしらえだ。

馬部はるい子の作った、朝食を平らげた。

食事らしい食事をしたのは昨日のことだ。

馬部「(一口食べて)あ、おいしい」

イケる味だった。

見かけはああでも、彼女は結構料理上手らしい。

女優業に忙しいみちると結婚しても、こうはいかないだろう。

極道の一人娘でさえなければ、るい子はかなりいい女の部類に違いない。



ガラッ!

突然、襖が開いた。

馬部はるい子が帰ってきたのだと思った。

慌てて姿勢を正して、振り返った。

だが……。



そこには、なぜか山吹が立っていた。



馬部「!」



山吹「一緒に来てもらおうか」

底冷えのする目で、山吹が静かにいった。

昨日の今日である。

悪事がばれたばかりで、白峰邸にやってくるとは…。

山吹は余程、面の皮が厚いに違いない。

馬部「ぼ、ぼ、ぼくは、牛尾政美じゃ、じゃ、じゃないぞ」

馬部は必死に抵抗した。

山吹「わかってる。馬部甚太郎、役者の卵だ」

馬部「卵じゃない、プロの俳優です」

山吹「役者だろうが俳優だろうが、そんなことは、どうでもいいんだよ!」

言いながら、山吹が馬部の腕を後ろでに絞り上げる。

馬部「い、い、い痛い! 痛いじゃないですかッ!?」

山吹「フ……、牛尾になんか、私の計画が見抜けるはずはないと思っていたんだ。それなのに、お前が横から暴きやがって。今じゃ、破門寸前なんだよ、お前のせいで」

馬部「!」

山吹「あんたがね、牛尾じゃなくても、こっちは全然構わないんだよ。全く。るい子お嬢さんの前から牛尾が消えてせいせいしていたところへ、今度はあんただ」

山吹は馬部の耳元に口を寄せると、低くゆっくりと囁いた。

山吹「私とお嬢さんの間の邪魔者は、



 ……死んで貰う」



馬部「(馬部の顔は引きつった。)じゃ、じゃ、じゃあッ、僕からいいます、るい子さんには。僕には、全くるい子さんと結婚する気はないと……」

山吹「るい子さんなどと気易く呼ぶな! るい子お嬢さんだ!」

馬部「あ…ハイ。その、るい子お嬢さんさんとは、結婚する気がないと……」

山吹「だがな、お嬢さんはその気だ」

馬部「!」

山吹「それに、どういうわけか、あんたのことは白峰組長も気にいってるらしい。組長ももうろくしたな。娘かわいさにヤキが回ったもんさ」

馬部「い、いや。僕は……」

山吹「チッ」

山吹が舌打ちした。

馬部と目を合わせる。

馬部の額に冷や汗が浮かび上がった。

馬部「トーシロの貴様に跡目だと? ふざけるな! お前のことはじっくりとかわいがっ てやろうじゃねえか…」

山吹はおもむろに、上着の内ポケットから拳銃を取り出した。



馬部「!!!」

山吹は、馬部の額に拳銃を突き付けていた。

山吹「一緒に来てもらおうか」



○ 白峰邸・廊下

主のいない白峰邸内は、静かだった。

馬部「なんで、こんなときに限って誰もいないんだよ……」

馬部は誰か止めてくれないかと期待した。

が、悲しい程誰も出て来ない。

(それもそのはず、るい子と馬部が二人きりになれるように、柏木が邸内に戒厳令をひいていたのである)

山吹「声を出したら、命はないものと思えよ」

山吹が馬部をそう脅す。

馬部「ハ、ハイ」

馬部は泣きそうになりながら、山吹に引きずられるように歩いた。

白峰は、今大松たち殆どの手下をつれて、事務所のあるビルに出勤している。

山吹は馬部に銃を突き付けたまま、裏口から、目立たないように白峰邸を出た。

裏に止めてあった自分の車に、馬部を連れ込む。

車内には山吹の手下のチンピラが待っていた。

山吹が運転手にいった。

山吹「やってくれ」

手下「へい」

車は滑るように動きだした。

馬部がどもりながら山吹に尋ねた。

馬部「こ、こ、こ、こんなことをしてどうするつもりだ?」

山吹「聞かない方が、幸せじゃねえのか?」

山吹が答えた。

つまり、馬部にとってロクでもない事が又も起ころうとしている、という事とらしい。

車は少し走ってすぐに止まり、渋谷の駅前にあるホテルの裏に着いた。

山吹「おかしな真似すんじゃねえぞ」

おかしな真似といっても、銃をつきつけられている以上、そんなことは馬部にはできっこない。

言われるがまま、びくびくしながら一緒に歩いた。



○ ホテル内・廊下

部屋は予め、取ってあったらしい。

用意周到な山吹らしかった。

真っすぐ、エレベーターで部屋のある階まで連れていかれる。

山吹はドアの前でノックした。

山吹「私だ」

ドアが内側にすっと開いた。

山吹「入れ」

部屋の前で、山吹は馬部に命令した。

廊下に人影がないか確かめる。

用心深くホテルの従業員が現れないように、『DON´T DISTURB』の札をノブにかけた。

山吹「これでよし。邪魔される心配はない」

馬部「……」



○ ホテル・客室内

山吹「お前たち、よく見張ってろ。もし、私よりさきにお客さんが現れたら、丁重におもてなしして、ここで待っていてもらえ。ま、そんなの早くは現れないと思うがね」

手下1「へい」

手下2「わかりやした」

山吹「念のため、口にはガムテープでも張っておけ。騒がれると面倒だからな」

手下「へい」

山吹はそう言い伝えると、手下にまかせて部屋を後にした。





○PM1:00 ホテル客室

ここは、馬部がつれてこられたホテルの一室だ。

室内では、山吹の手下たちが馬部をじっと見張っている。

山吹は馬部を手下にまかせて、どこか他の場所へ出掛けてしまった。

馬部は山吹の手下に見張られたまま、身動きもできない。

山吹が指示したとおり、口にはガムテープがべったり張られ、両手首はロープでぐるぐる巻に縛られている。

山吹はカバ沢組よりは大分、羽振りがいいらしい。

このホテルは馬部が昨日まで泊まっていたアークホテルよりは高級ホテルだ。



どこかから、電話のベルの音が聞こえてきた。

他の部屋で電話が鳴っているらしい。

近くの部屋に誰か宿泊客がいるのだ。

騒げば聞こえるだろうか、と馬部は考えた。

せめて、このホテルの他の客に、自分が監禁されていることを教えることができたら……。

(Z:このホテルには脚本家市川文晴が住んでいる。今彼は、ホテルの別の部屋で高峰厚士からの電話を取っているところ)

馬部「うう……ううッ」

試しに馬部はしゃべってみた。

だが、ガムテープをベッタリ張られた口では、馬部の声はうめき声にしかならない。

馬部が唸っているのに気づいた見張りの若い男が怒鳴りつけた。

若杉「うるせんだよ!」

馬部の頬にいきなり往復ビンタを食らわせる。

馬部「(い、痛い)ふ、ふがが…」

若杉「組長の大切なるい子お嬢さんを、たぶ らかしやがって! この色男ッ」

馬部「ぅう…もがもが…(たぶらかしてなんかないぞッ)」

馬部は反論したいが声が出ない。



やがて電話のベルは鳴り終わった。

周囲にはまた静寂が戻った。

若い男はヒマをもてあましたのか、持っていたウイスキーの角ビンの蓋を開けてラッパ飲みを始めたた。

若杉「ふーっ、うめえ」

馬部「……」

若杉「白峰組なんかもう古いんだよな。これからは、渋谷は山吹組のシマ、この街は山吹組の天下になるんだ」

若い男は誇らしげにいった。

手下「若杉、いい加減にしとけよ。昼間っから酔っ払ってると代貸が怒るぞ」

この若いチンピラ男は若杉というらしい。

見張りをしている他の男が、若杉にそうクギを指した。

若杉「堅いこと、いうなって」

手下「代貸は、コイツをどうするつもりなのかなぁ」

若杉「決まってる。最初の計画通り、東京湾に沈めるんだろ」

馬部「………」

それを聞いて、馬部は恐怖におののいた。

やはり自分は殺される運命にあるのだ。

馬部「(どうしよう。逃げなくちゃ。早くここから、逃げなくちゃ)



○ PM2:40 ホテル客室

コンコン。

ノックの音がした。

山吹「私だ」

低いが凄みのある声だった。

山吹が帰って来たのだ。

手下の若いチンピラどもは、頭を下げうやうやしくドアを開いた。

山吹が静かに部屋へ入ってくる。

おもむろに、手下に尋ねた。

山吹「変わりはないか?」

手下1「へい、ありません」

手下2「こいつ、すっかりびびってますぜ」

チンピラたちが答える。

山吹「うむ」

山吹が頷いて、変わりないか室内を見回した。

無遠慮に、馬部に近づく。

山吹「フン、この手の面を見ると本当にムカつくぜ!」

馬部「ふがふがっが……ふが(じゃあ、見ないでくださいよ)」

モガモガいってる馬部を、イライラした調子で山吹は見降ろした。

馬部が首にしている、るい子がくれた金鎖のネックレスに視線が止まる。

山吹「こんなもの、これみよがしにチャラチャラしやがって……」

にがにがしげに馬部の鎖に手をかけ、引きちぎった。

鎖はしゃらっと絨毯の上に落ちた。

山吹はそれを、憎々しげに靴底でギリギリと踏み付けた。

山吹「お嬢さんも組長も、ヤキが回ったもんだな」

若杉「代貸、なんでいつまでもこんなとこにいるんです? 早くこんな奴殺っちまいましょう」

若杉がいった。

山吹「まあ、待て」

山吹は顎で馬部をしゃくった。

山吹「もうすぐ、カモが向こうからネギ背負ってやってくるはずだ。事はそれから、ゆっくりだ」



廊下から足音が聞こえた。

バン!

部屋のドアが思い切り開いた。

るい子「山吹! 馬部さんをお離し!!」

突然声がして、るい子が部屋に飛び込んできた。

手には拳銃が握られている。

室内にいたものはどよめいた。

るい子「山吹、拉致監禁は、犯罪だよ」

山吹「ヤクザにむかって何いってるんです。治外法権だ」

山吹は口に笑みを浮かべて、冷静に言い返した。

るい子「!? 何笑ってるんだい、山吹!?」

山吹「お嬢さん、どうして。ここがわかりましたか?」

るい子「簡単だよ、お前の後つけてきたのさ。

馬部さんが急に帰ったって聞いたけど、どこにもいない。朝外へ買い物にいったとき、お前の車を見かけたのを思い出して、ひょっとして、と思ったのさ」

山吹「とても、お利口さんでした、といいたいところですがね。……お嬢さんが来るの待ってました」

るい子「何ッ!?」

るい子が気色ばんだ。

山吹「お嬢さん」

山吹はるい子に向かっていった。

山吹「もちろん話によっちゃ、この男をすぐお返ししてもいいんですよ」

るい子「じゃあ、すぐに返なさい」

山吹「まあ、まあ、そんな物騒なものは早くしまって下さい」

山吹はるい子が持つ拳銃を、用心深く眺めながら言った。

山吹「私のだす条件は、ただひとつ。お嬢さんが私と結婚することだ」



全員「!」

この期に及んで山吹がそんなことをいいだすとは誰も思っていなかったので、室内にいた者はまたどよめいた。

るい子が吐き出すようにいった。

るい子「何を馬鹿なことを…!」

山吹「お嬢さんさえその気なら、きっと白峰組長も昨日のことは水に流してくれるでしょうからね」

手下1、2「なあるほど」

感心したように、若いチンピラどもは頷く。

るい子「お断りよ!」

るい子は叫んだ。

るい子「死んだってあんたとなんか…!」

山吹「やはりね。そういうと思いました」

山吹は頷いた。

口元に不気味な笑みを浮かべる。

山吹「じゃあ、これではどうですか。おい、若杉、やれ」

山吹は顎を杓って、若杉と呼んだ若い男に指示をした。

若杉は馬部の首筋に、ドスを寄せた。

馬部「ふがふがふが……(や、や、やめてくれ)」

馬部が悲痛な声を出した。

つつーっとドスの先から血が滲みだす。

るい子が青くなった。

るい子「山吹! 何の真似だい!? 馬部さんから手をお離し、でないとこの銃をぶっ放すよ!」

るい子は大声で叫んだ。

その時。

ぐらぐらっと、ホテルが足元から揺れた。

馬部「!」

若杉「!?」

手下1「何ッ?」

手下2「地震だ!」

るい子「地震だわッ!」

突然の、地震だった。

しかもかなり大きい。

室内にいたものは皆、この予期せぬ出来事に驚いて戸惑った。

だが山吹だけは、冷静だった。

この千載一遇のチャンスを逃すような男ではなかった。

さっと、るい子に近づいた。

それはまさに一瞬の隙だった。



るい子「山吹ッ!」

るい子は驚いて叫んだ。

だが力勝負でこられては、るい子も所詮はただの女だ。

山吹に敵うはずもない。

絨毯の上に、るい子の持っていた拳銃が

弾き落とされた。

るい子「!?」

慌てて銃を拾おうとしたるい子の腕を、

山吹が掴んだ。

ぐいっと絞り上げる。

山吹「形勢がまったく変わりましたね、お嬢さん」

るい子「い、痛い、何するの!?」

山吹「お遊びはお終しまいです。勝手に組の物を持ち出すなんて、悪い子だ。オモチャはお父さんにお返ししないと」

るい子「何するの、返して!」

山吹「大人しくしていれば、手荒な真似はしませんがね」

そういわれて、るい子は唇を噛んだ。

るい子「離して、離してよ!」

山吹「さて、さっきの話の続きだ。もう一度尋ねます。お嬢さん、おとなしく私と結婚する気はありませんか? 一生不自由はさせませんよ」

るい子「嫌よ、誰があんたとなんかと……。何度もいうようだけど、あんたといると虫酸が走るの!」

山吹「お嬢さんが、『うん』といいさえすれば、こいつは簡単に助かるんですがね」

山吹は手下に押さえつけられている馬部に目をやる。

るい子は、悔しそうにつぶやいた。

大きくかぶりを振る。

るい子「イヤよ。死んでもいや!」

山吹が氷の様に冷たくいい放った。

山吹「だったら……」



山吹「お嬢さんにも、死んでもらう」



全員「!?」

馬部も部屋にいた者も目を見開いた。

るい子「…なんですって?」

山吹「あんたを盾に白峰組の跡目をとれないのなら、話がこじれるだけだ」

山吹が計算高くいった。

るい子は慌てて反論した。

るい子「父がそんなこと、許すはずないわ…!」

山吹「この問題はね、この先お嬢さんに何人恋人ができても、必ず蒸し返される。お嬢さんの結婚は白峰組の跡目問題に、帰結する。…一人娘ですからね。強いては、白峰組の死活問題なんですよ。ことは簡単にいかないんです」

るい子「もし、もしも、私が殺されたら……父があんたを許すはずないわ!」

山吹「フ……、遺書でも書いてもらいましょう。あんたたち二人は心中すんだよ」

るい子「そんなの! 心中しなきゃならない理由なんてないじゃない!」

山吹「あるさ」

山吹は簡単にいってのけた。

山吹「この男が牛尾の身代わりにされて、ヤクザの抗争で間違えてられて殺されるんだ。それを、あんたが後追い自殺する。……人を欺く筋書きは、意外とどうとでも書けるもんなんですよ、お嬢さん」

普段は気の強いるい子も、こうなってはひるんでしまう。

今にも泣きだしそうな表情だ。

るい子「山吹、こんなことして、……許さないからねッ!」

山吹「お嬢さんは泣いた顔も初々しくて、私好みなんですけどね。私の腕の中で泣かせてみたいと、常々思っていたんですよ」

るい子「馬部さん、馬部さん、助けてッ!」

たまらなくなって、るい子は叫んだ。

馬部に助けを求める。

だが、馬部は身動きがとれない。

引きつった馬部の顔を、山吹の手下が眺めている。

馬部は口をテープで張られたままなので

声も出せない。

「馬部「ふがふがふ(るい子おじょうさん!)……」

山吹「お嬢さん、悪いがちょっと黙っていてください」

るい子「黙るもんか、山吹、私はねッ」

ドスッ!

山吹がるい子の腹を突いた。

馬部「ふがふがふ(るい子お嬢さん)!!」

馬部が叫んだ。

るい子「う…」

るい子は呻いてその場に崩れた。

気を失ったらしい。

山吹「お嬢さんには悪いがちょっと黙っていてもらいますよ」

(手下に向かって)

山吹「ロープを貸せ」

山吹はるい子の細い手首を、ロープでぎゅっと縛り上げた。

山吹「さあ、引き上げだ。ここでの事は済んだ。地下の駐車場に車を回せ」

手下1「へい」

山吹「いいか、なるべく目立たないようにだぞ。いいな!」



○ PM4:00 山吹のワゴン車内



山吹のワゴン車は、馬部たちを乗せたまま道路を走り続けていた。

馬部「(どこを走ってるんだろう?)」

馬部は心の中でつぶやいた。

馬部にはどこをどう走っているのか、さっぱり見当が突かない。

るい子は山吹に殴られてから、気絶したままだ。

馬部の横でぐったりしている。



馬部「ふが…ふががが…ふがががうふがづがっが……ふふぁふぁが……(ああ、どうしよう。るい子お嬢さんさんまで、山吹につかまっちゃって。もうこれでは誰も助けにきてくれない)」

若杉「うるせえぞ。こいつ、何かブツブツいってやがる」

若杉が馬部に文句をいった。

馬部「ふががが……ふがが…(あとは、白峰組長がるい子お嬢さんが誘拐されたのを知って、助けをよこしてくれるのを待つだけだ。でも、るい子お嬢さんがいないのに、誰も気づかなかったらどうしよう)」

若杉はまだ手に飲みかけのウイスキーの角ビンを持っている。

馬部の様子を見ながらいった。

若杉「へへへ、こいつ、びくついてやがるんだ」

そう言いながら、若杉は自分がラッパ飲みしていた瓶を、馬部の頬に押し付けた。

若杉「ちょっと飲ませてやろうか?」

酒の強い香りが鼻孔をつき、馬部は頭がクラっとした。

馬部「う……」

角ビン男は呻いた馬部には気づかない。

調子にのって、口のガムテープを剥がしだした。

べりべりべり。

若杉のおかげで、馬部の口は久し振りに自由になった。

が、間髪いれず、男は馬部の口にウイスキーをストレートで注ぎこむ。

馬部は苦しさに呻いた。

馬部「ううッ…」

若杉「うめえか、うめえよなあ。安物の酒でもこの世の名残と思えばなあ。オラオラ、もっと飲め、飲め」

ごくっ。

注がれた酒を、馬部は喉の奥に流し込んだ。

ごく、ごくごく。

馬部「……熱い…」

馬部の目が、座りはじめる。

世界中がぐるんぐるん大回転し始めた。

車内は若杉の安物のウイスキーの匂いで、充満した。

山吹が顔をしかめてて文句をいった。

山吹「おい、若杉。酒臭いぞ」

馬部「……そうだよ。くせえんだよっ!」

馬部が突然、両手を振り上げて叫んだ。



車内「!?」

若杉「な、なんだ?」

馬部「てめえら、ふざけんな! この俺をどこの誰だと、思ってやがる」

山吹「おい、静かにしろ!」

馬部の変貌に、若いチンピラは驚いている。

馬部「昨日まではな、俺は組長だったんだ!」

若杉「何を、この!!」

若杉が馬部を、力づくで押さえつけようとした。



馬部「バミれよッ!」

馬部が若杉に向かって、突然怒鳴った。

馬部「お前近づき過ぎなんだよ。立ち位置はそこだ。ソコでバミれ!」

馬部が怒鳴りながら、若杉を突き飛ばす。

男「危ねえッ!」

狭い車内で、運転をしている男に若杉がよろけて倒れかかった。

山吹「何してる!?」

山吹が拳銃を振り上げた。

馬部「チャカなんか、怖くねえぞ!」

山吹「……何をッ!?」

ゴン!

振り上げた拳銃は馬部の頭にあたった。

馬部は殴られて、気が遠くなった。

山吹「……こいつ、2重人格か?」

山吹は殴られ椅子に倒れこんだ馬部を見て、呟いた。

冷や汗をかいていた。



○ PM11:00 山吹事務所屋上



馬部は小さな窓しかない、暗い部屋の中で目が覚めた。

馬部「……?」

周囲には誰もいない。

あんなに馬部にべったりとついていた山吹の手下は、もう一人もいなくなっていた。

狭い部屋に押し込められているようだ。

もう、随分時間がたったように、馬部には感じられた。

あれから……もう、4、5時間はたっただろうか。

だが、時計がないので何時か正確な時間は全くわからない。

馬部「ここは、どこだ? いったい何時なんだろう?」

馬部はつぶやいた。

山吹の事務所なのだろうか?

だが、だとしたらだれか山吹の手のものがその辺にいるはずだった。 

ロケの終わった今、馬部を助けに来てくれる人は誰もいない。

馬部はこのまま殺されてしまうのか?

殴られた頭がガンガンする。

ビンタされた頬もズキズキ疼いていた。

馬部「うう、痛い。体中痛い……」

手で痛む頭を押さえようとして、馬部は自分の手を動かそうとした。



馬部「!?」

そこで初めて、馬部は自分の置かれた状況に気づいた。

手を動かそうにも、足を動かそうにも動けない。

両手両足を縛られ、座らされた格好でぐるぐる巻に椅子にくくり付けられていた。

仕方なく、

馬部は声を出してみた。

馬部「おーい」

声は出た。

今度は叫んでみる。

馬部「誰かが側にいればきっと聞こえるはずだ…、おーい、誰か。助けてくれ!」

馬部は出せる限りの声を出して、力の限り叫んでみた。

しばらく待ってみる。

……だが、どこからも返事はなかった。

もう一度叫ぶ。



馬部「オーイ、誰かぁ」

馬部は返事を待った。

誰からでもいい、返事が欲しかった。

だが、どこからも答えは返ってはこない。

馬部の声が遠く空しく反響するだけだ。

馬部「……」

馬部はがっかりしてうなだれた。

馬部「どうしたらいいんだろう? 大体、ここはどこなんだろう?

身動きできない体で、馬部の頭は動き始めた。

考えようとするが頭がズキズキして旨く思い出せない。

だが、馬部目が覚める以前のことを思い出そうと、できるだけ努めた。

そうだった。

自分はホテルで、るい子お嬢さんと一緒だったのだ。

るい子は一体どうしたのだろう?



暗闇の中で、目が段々と闇に慣れてきた。

馬部は目を凝らした。

馬部がいるのは、殺風景な部屋だった。

どちらかというと、部屋というよりは物置か地下室のように見える。

剥き出しのコンクリートの床には、ごちゃごちゃといろいろな物が積まれていた。

馬部は再び、目を凝らした。

段ボール箱や不要になったらしい椅子や机など埃塗れの家具が置いてある。

馬部の足元にも、何か置かれていた。

馬部はそれを見た。

よく見ると、それはロープとスコップと青い大きなビニールシート、それに黒い

ゴミ袋だった。



馬部「!」

見た途端。

馬部の背中には、ぞくっと悪寒が走った。

思わず狼狽する。

馬部「こ、こ、これは……」

明らかに、馬部をどこかへ埋めるための用意だった。

馬部「山吹は、僕を殺す気だ……」

馬部はつぶやいた。

今度は本気だ。

すぐに殺さないのは、夜が来て目立たなくなるのを待っているか、さもなければ、じわじわといたぶって殺すつもりなのではないだろうか。あれは残忍な男だ。

馬部「ああ……僕が何をしたっていうんだ。神さまどうか助けて…ッ」

馬部はいつしか、涙声になっていた。

馬部は一昨昨日から、まったくの不運続きだった。

馬部「僕はいつもどおり、普通に仕事をして いたはずなのに……ッ」

これというのも、牛尾政美という馬部そっくりのもとヤクザの男が現れたせいだ。

そのせいで、ヤクザから追いかけ回されることになったのだ。

一昨昨日から、馬部は何故か命の危険にさらされてばかりいる。

これではいくら命があっても足りやしない。

現実がこうなってくると、役者の生活がひどく懐かし感じられた。

馬部「まだ、死にたくない」

馬部は悲しそうにつぶやいた。

馬部「死にたくないよー……。主役だって張ってないのに。『独走最善戦』の自分のオンエアだって、まだ見てないのに……。せっかく大抜擢されて、いい演技ができたのに……。監督もみちるさんも、みんなもほめて拍手までくれたのに……」

馬部はがっくりと肩を落とした。

ああ、いったいどうしたらいいのだろう。

馬部「う…」

どこかで、何かが呻く声がした。

馬部は辺りを見回す。

暗くてよく見えない。

目を闇に慣らそうと、暗闇の中、再び目を凝らした。

ゴソッ。

荷物の横で何かが動いた。

大きな固まりと思っていたものが、動いている。

馬部「?」

馬部はよく見ようとした。

が、自分からは少し遠い。

ガタン!

屈もうとした拍子に、椅子が動いた。

馬部の座らされている椅子は、床に固定されていなかったのだ。

馬部「あ、コレ、少し動ける!」

馬部は気づき、体をもぞもぞと動かした。

確かに椅子は動いていく。

尻と足を使い、少しずつ動かせることがわかった。

馬部「よしッ」

馬部は時間をかけて、ゆっくりじりじりと椅子ごと移動した。



ようやく側まで寄ることができた。

馬部「!?……」

よく見ると。

その固まりは、るい子だった。

馬部「……」

るい子まで閉じ込めるとは。

山吹は、やはりるい子までも殺してしまうつもりなのだ。

例えばもし、るい子が生きて帰れば、白峰忠通にるい子を拘束監禁したことがバレてしまうだろう。

そうなったら、山吹は今度は自分の命が危ない。

そんな事態になるよりも、るい子を殺して口を塞いでしまった方が、誰が見てもてっとり早い。

馬部「ううむ……」

馬部は考えながら唸った。

もはや、馬部たちに助かる道がないのだろうか?

るい子「う……」

るい子がまた呻いた。

馬部はるい子をのぞき込んだ。

だが、るい子はときどき呻くものの、意識はないらしい。

衣服も乱れていた。

しかし何度も呻くところを見ると、まだ生きていることだけは確かだった。

るい子の目が覚めれば、何かいい方法を考えつくかもしれない。

馬部はふと、そう考えた。

馬部「3人集まれば文殊の知恵というなァ……」

この場合は二人だが、この際細かいことは気にしないことにした。

一人より二人の方が心強いに決まっている。



A 馬部はるい子を起こすことにした。



馬部「しっかり、しっかりしてください!」

馬部はせいいっぱい足を延ばす。

足先でるい子の体を、何度も揺り動かした。

るい子「うう…」

るい子は小さく呻いた。

馬部「るい子お嬢さん、生きていますか、大丈夫ですかッ、るい子お嬢さん!!」

馬部は何度も足先でるい子の体を揺すり続けた。

馬部の叫びに答えるように、やがて、るい子はうっすらと目を開いた。

のぞき込む馬部の顔に、驚きの表情を見せる。

一瞬怯えた顔をしたが、すぐに誰だか分かったらしい。

るい子「馬部さん!」

 るい子は喜びのあまり叫んだ。

るい子「良かった! 馬部さんもご無事だったんですね!?」

そういいながら、起き上がろうとした。

だが、動かない手に気づきはっとしたようだった。

るい子「!」

自分の置かれた状況に、ようやく気づいたようだった。

るい子「馬部さん、わたし、縛られているみたいだわ!」

馬部「僕もです」

闇の中、二人は顔を見合わせた。

壁の小さな窓から、白い月明かりが零れていた。

もう夜なのだ。

月が上って何時間もたったのに違いない。

るいこが尋ねた。

るい子「ここは、どこ?」

馬部「わかりません。るい子お嬢さんこそ、大丈夫ですか」

るいこは首を振った。

るい子「馬部さん、イヤよ。お嬢さんなんて、そんなの。前にも言ったでしょう、るい子って呼んでください」

馬部「……ハイ、でも」

るい子「る、い、子、よ」

馬部「…………」

馬部はためらった。

だがいわないと、るい子の視線が怖い。

馬部「……るい子、さん」

馬部がようやく彼女の名前を呼んだとき、薄暗闇の中、るい子は嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。

舞い降りた天女のように、美しい。

こんなときなのに、馬部は思わずるい子のその顔に見とれた。

いや、こんなときだからなのかもしれなかった。

馬部「……キレイだ…」

るい子「……え?……」

馬部がつぶやいたその一言に、るい子は頬を赤く染めた。

るい子「…そんなこといわれたの、生まれて初めて」

馬部「ええッ、だってこんなに、美人なのに……?」

るい子「ウソばっかり。私、もてないのよ。ずっと追いかけてばかり。だって、みんな逃げちゃうんです」

るい子は悲しげに俯いた。

伏せた睫に憂いが漂っていた。

それはそうだろう、と馬部は妙に納得した。普通の生活をしているまともな男なら、白峰組の組長の一人娘に追いかけられれば、必死で逃げるに違いない。……だって、極道なんだから。



馬部の様子を気遣って、るい子がいった。

るい子「馬部さん、大丈夫?」

馬部「るい子さんこそ、大丈夫ですか?」

るい子「大丈夫よ。カスリ傷程度」

るい子は大きく頷く。

馬部は話を続けた。

馬部「すみません、こんなことになってしまって……」

るい子「まさか、山吹がこんな手にでるなんて、誰も思わないわ」

るい子は首を振った。

馬部「でも、僕を助けに来なければ、るい子さんまで捕まることにはならなかったのに……」

るい子「そうね、でもね……」

るい子は小首を傾げていった。

るい子「…夫の窮地を救うのは、妻の務めですから。結婚式でも誓うじゃないですか、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまでって」

馬部「あのぉ、まだ、結婚してないよ」

るい子「でも、一昨日私に、プロポーズしてくれました」

るい子はうっとりと答えた。

馬部が思い出していった。

馬部「あれは……」

るい子「じゃあ私、馬部さんを助けに来ない方がよかったですか?」

るい子が急に真顔になって、馬部に尋ねた。こんなときだからか。

馬部の口から本心がほろりとでた。

馬部「……いや、嬉しかったです。助けに来てくれて」

るい子「ほら」

るい子がにっこり笑った。

陰っていた月明かりが小さな窓から、また零れだす。

そういえば一昨昨日から、馬部を助けてくれたのは、るい子だけだった。



るい子は周囲を見回した。

部屋の中に置いてある品物に気づく。

唇を噛んだ。

るい子「……どうしよう、馬部さん。スコップやビニールシートまで用意してある。山吹は本気で、わたしたちを殺して、どこかに埋める気だわ」

るい子も、ようやく山吹の『二人を殺す』というのが本気だということを気づいたらしい。

るい子は、決意したように強い口調でいった。

るい子「馬部さん。死ぬときは、二人一緒よ」

馬部「るい子…さん」

るい子「わたしはどこまでも、あなたとご一緒します」

今の馬部には、本当に心強いセリフだった。

馬部はたずねた。

馬部「…本当に?」

るい子「ええ」

馬部「本当に、ずっと一緒にいてくれる?」

るい子は力強く頷いた。

そして頷きながら、馬部に頼んだ。

るい子「それ、プロポーズみたいですね。馬部さんもう一度いって」



馬部「…るい子さん、死ぬまでずっと一緒にいてくれる?」



るい子「馬部さん、嬉しい! 嬉しいわ! 私、わたし、誓うわ! ずっと一緒にいま す。もう一生離れない!!」

映画や小説でも、よく出てくるが。

異常な危機状況になった二人の若い男女は、恋に陥りやすいという話だ。

そして、今の馬部とるい子の二人は完全にその状態だった。



るい子「……でも馬部さん」

馬部「ハイ」

るい子「まずは逃げましょう、二人で」

馬部「どうやって、ですか?」

るい子「まずは、この縛ってあるロープを解きます。体が自由になったら、きっとドア もを開けられると思うんです」

意外にも、るい子は冷静に状況判断をしている。

馬部は尋ねた。

馬部「でも、どうやってロープを解くんですか?」

るい子「今、ナイフを出します。それで、ロープを切りましょう。まずはそれからです」

馬部「ナイフ? そんなものどこに持ってきたんですか?」

馬部は聞き返した。

るい子は頷いた。

るい子「ちゃんと用意してきました。もしも のときに備えて、ここに」

るい子はそう答えると、自分の服の胸にあたりをごそごそ探し始めた。

やがて、器用に胸の谷間から細いナイフを取り出した。

上手に口にくわえる。

かなり無理な姿勢だったが、るい子は上半身だけ起き上がった。

椅子の後ろできつく結ばれている馬部の手首のロープを切りにかかった。



ゴリゴリゴリゴリ…。

馬部の後ろから、るい子がロープを削る小さな音がリズミカルに聞こえはじめた。



ゴリゴリゴリゴリ…。

るい子は無理な姿勢なまま、丹念にロープを切っている。

馬部はるい子の顔の方へと、振り返った。

るいこの額には、うっすらと汗が滲んでいる。

馬部「るい子さん、がんばって、がんばってくださいッ!」

るい子「(ええ)」

るい子は馬部に目で返事をした。



ゴリゴリゴリゴリ…。

突然、ぱらりと、馬部のロープが切れ、緩くなった。

馬部「切れた!」

馬部が嬉しそうにいった。

上下に手を動かしてみる。

すると、ばらっと切れたロープが床に落ちた。

馬部「るい子さん、切れたよ!」

馬部はるい子の顔を見た。

るい子は額に、汗をびっしょり掻いている。

自分のために一生懸命なるい子が、けなげで馬部は嬉しかった。

試しに手を、上下に振ってみた。

長時間同じ姿勢をしていたので多少のしびれは残っている。が、何ともない。

馬部「よしっ」

馬部はるい子から、ナイフを借りた。

椅子にくくりつけられている腰のロープを切り、今度は屈んで自分の足首のロープを、急いで切る。

両手さえ自由になれば、ロープを解くのは簡単だった。

馬部「やった、もう自由だ!」

るい子「馬部さん、わたしのも、早くお願いします」

馬部は頷いた。

そしてすぐに、るい子の手首を結んでいるロープをを切りにかかった。



5日目につづく










街 シナリオライター

2014年04月30日 15時00分00秒 | 街 サウンドノベル
街では、発売後、登場する脇役の5日間のストーリーと牛尾、馬部の10月14日、15日、2日間のストーリーのシナリオ募集がされました。1998年7月末日までの募集でした。街2のシナリオになるかもとのことで、盛り上がりました。

ここで、その中で優秀賞として、チュンソフトホームページで紹介されたものを出したいと思います。

現在は公開されていないものなので、著作的に問題があるならば、連絡お願いします。

作家の方は、イニシャルとさせていただきます。