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AI絵師という「鬼」

「AI絵師って早く絶滅してほしいよね」に、30万以上ものいいねが付いてから1年以上が経った。

今日の生成AI、とりわけ画像生成AIによって作成されたイラスト・画像を発表する『AI絵師』を巡る議論には多種多様な立場がある。
しかしその中でも、AI絵師に対する否定的な立場は、少なくともX上では非常に大きな勢力となっている。

先日(11/7)、2025年冬コミ(C107)のサークル当落発表があった。
東1~3ホールの工事、コミケ50周年イベント特設ブースの配置、コロナ明け以降最大規模のサークル参加申し込みといったさまざまな要素が重なった結果、例年よりも多くのサークルが抽選洩れ(落選)になってしまうという結末を辿ってしまう。

数々のサークルがコミケ落選に嘆く中、にわかに浮かび上がってきたのが「AI絵師がコミケに受かって、手描きの絵師がコミケに落ちるなんておかしい」という言説だ。

「コミケにAI絵師は必要ない」「排除しろ」といったポストが、少なくとも数千以上の支持を集めるという事態は、いかにAI絵師という属性が嫌われているかをまざまざと浮かび上がらせている。

そして、このような言説を目にすると、貴重なサークル参加枠を「AI絵師」が不当に圧迫しているかのような印象を想像してしまう。

しかし、実際のところはどうだろうか

生成AIに対し否定的な立場のユーザーによる調査によれば、C107のスペース数28,763のうち、生成AI使用を表明して参加するサークルは2日間合わせてたったの20、AIの使用を表明していないサークル数も併せれば40程度だと推定されるという。

するとどうだろう、

全体のわずか0.06%の存在が、コミケという「場」に対する脅威として語られているという、奇妙な事実が浮かび上がってくる。

なぜ、AI絵師はここまで脅威とみなされ、嫌われ、排除が叫ばれるのであろう?

AI絵師を駆逐せよと叫ぶ人々は、いくつかのもっともらしい理由を並べる。

「AI を使ってるのに、自分で描いたみたいな顔をするから嫌われる」
「著作権侵害だ」
「まだ法整備が追いついていない危険な領域だからだ」

表層的には、これは倫理と法の言葉をまとった批判であるかのように見える。
だが、これらを一つ一つ解剖していくと、実はあまり筋が通っていない。

たとえば、「自分で描いたみたいな顔をする」が問題なのだとすれば、二次創作という「他人の褌」で堂々と相撲を取りながらインプレッションを稼ぎ、他人のキャラクターを勝手に裸にひん剥いた挙句に「続きはFANBOXで!」と言っているような絵描きも等しく槍玉にあげられるべきであるし、
CLIP STUDIO ASSETSにある素材で作品制作することなど到底認められないはずだ。

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楽してズルして絵を描こうとしてる!

しかし、そういったクリエイターが「AI絵師」同様に取り沙汰されることはまずない。
この非対称性が、「自分で描いた顔」論の脆さの証拠となる。

では、
「絵師の作品を無断で学習させている。著作権侵害だ」
「絵柄を無断で模倣している、著作権侵害だ」
といった主張はどうだろうか。

無断、という言葉が入ると、確かに違法のような気がしてしまう。
しかし現行法では、2018年の著作権法改正30条の4により、創作的表現の享受を目的としない機械学習(=情報解析)は、一定の例外を除き、著作権者に無許可で行うことが出来る。

特定のアーティストの画風(いわゆる“絵柄”)の模倣はアイデア・様式に属するため、著作権の保護対象にはならない(これをアイデア表現二分論という)。

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AIと著作権II|文化庁 P.7


つまり、「著作権」を根拠に AI絵師を犯罪者呼ばわりすることは法的には成り立たない。

では、「まだ法整備が追いついていない」についてはどうだろうか。

機械学習利用を認める著作権法改正は 2018 年。
それ以降も文化庁著作権課によりAIと著作権の関係が何度も整理されてきたが、2023年以降特に大きな動きはない。

AI 利用全般の枠組みを定めた AI 推進法は 2025 年 6 月公布
少なくとも「生成AIはまだ法律の及ばない領域」のような状態では、とっくになくなっている。


AI絵師はなぜ嫌われるのかという自問自答は、ここでいよいよ迷宮入りを迎える。


画像生成AIを取り巻く問題は、倫理と法律の問題だと言われる。法的には認められている生成AIという存在に対して、倫理や道徳がどのように折り合いをつけていくか、だと。

しかし、特定の属性に対して、「死ね」「絶滅してほしい」という言葉が放たれ、そこに少なくない賛意が集まるとき、そこにはもはや倫理や法の議論を超えたプリミティヴな感情の回路が働いている。

AI絵師の態度や素行が悪いから嫌われるのだという人がいる。
しかし、かたやそれを叫んでいる勢力自身が掲げているのは、相手の「死」と「絶滅」なのだ。

手描きの絵師を含めた<わたしたち>と、AI絵師という<あいつら>という、論理ではなく感情や感覚に基づいた善悪二元論的な世界観が展開されていることはもはや疑う余地もない。


あえて言おう。

この「AI絵師排除ブーム」ともいうべき風潮は、AI 技術に関する知識の欠如や不安、もしくは生成AIに対する法整備の遅れ、AIを使用するユーザーのモラルの欠如といった要因から生まれた一過性のものではない

ましてや、生成AIという最新技術が生み出した新たな社会問題などでは決してない。

もっと長い時間のなかで、私たちの想像力と感情のパターンに染み込んできた何かが、ここで再演されている。
その何かは、法律の条文にも、倫理学の教科書にも書かれていないが、多くの人が子どもの頃から親しみ、疑うことなく受け入れてきた物語のかたちとして、静かに内面化されている。

この論争の背景にあるのは、
法律の知識不足でも、倫理の欠如でもない。

桃太郎である。


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「むか~し むかし」からあるお話



①存在するだけで成り立つ「悪」


日本でもっとも有名なおとぎ話の1つ、『桃太郎』。
シンプルでありながらも時代を超えた人気があり、日本人なら誰もが知る物語と言っても過言はないだろう。

そのストーリーラインはもはや誰もが知るところであるため、詳細な紹介は割愛するが、ざっくり4段階に整理するとこうだ。

  1. 川から流れてきた桃から男の子が誕生し、桃太郎という名をつけられ、おじいさんとおばあさんのもとで成長する。

  2. 成長した桃太郎は、おばあさんから貰ったきび団子で犬・猿・雉をお供につけ、鬼ヶ島へ鬼退治に向かう。

  3. 鬼ヶ島に到着した桃太郎が、鬼と戦い勝利する。

  4. 桃太郎は金銀財宝といった宝物を鬼ヶ島から持ち帰る。
    めでたしめでたし。


このように並べたところで、わたしたちはふと疑問を浮かべる。

「桃太郎の鬼って……どんな悪さをした悪役なんだっけ?」
「桃太郎って、どうして鬼ヶ島の鬼を退治しに行ったの?」

そう。私たちがよく知るこのストーリーライン上には、
桃太郎という正義のヒーローの英雄譚を描く上で一見重要そうな、「鬼の悪行」、もっと言えば「鬼に苦しめられた被害者の存在」、そして「桃太郎が正義の刃をふるう動機」が、まるっきり欠落してしまっているのである。

これは一体どういうことか?


『桃太郎』は口承文学(folklore)である。
明確な作者や発祥を持たず(岡山県がゆかりの地として最有力とされているが、定かではない)、その成り立ちは室町時代末期から江戸時代初期頃のどこかと曖昧だ。

重要なのは、『桃太郎』という民族伝承が口承、つまり人から人へ語り継がれていく過程で、鬼が悪である理由や、鬼の悪行、鬼に苦しめられる被害者の存在といった要素が欠落していったということである

これはなぜか。
答えは簡単、「そんなの必要ないから」である。

もしかしたら、一番最初に誰かが考え出した桃太郎の世界には、鬼の悪行に噎び泣き、桃太郎に助けを乞う哀れな被害者の姿があったのかもしれない。
しかし、『桃太郎』が口承として収斂進化を遂げていく中で、そういった要素は歴史の闇に葬り去られてしまって、今や見る影もない。

 いまわたしたちが自由に『桃太郎』という物語を再話するなら、 多分、「鬼が悪さをする被害者がいた方がクライマックスが盛り上がる」と考え、 そうしたシーンを盛り込もうとするのではないだろうか。 しかし、フォークロアという伝言ゲームでは、 それぞれの語り手の創意工夫が加わる余地もある反面、 語り手たちの創意工夫としての面白い要素だけが生き残り、 無駄はそぎ落とされていく
 このケースで「ムダ」とされたことのひとつに、「鬼の悪行=被害者の存在」があったのだ。

白倉伸一郎 著『ヒーローと正義』 P38


興味深いことに、正義のヒーローの物語を語るうえで、鬼がいかに悪であるかという説明は重要ではなく、それどころか語り伝えられていく中で欠落していく蛇足ですらあったのである。

試しに、インターネット上にある児童向けの『桃太郎』を一部読んでみよう。

ある日、桃太郎は二人に言いました。
「鬼ケ島に悪い鬼が住んでいると聞きました。」
「時々村に来て悪いことをするのでみんな困っている。」
とおじいさんが答えると、
「それでは私が行って退治しましょう。おかあさん、きび団子を作って下さい。」

ももたろう 童話 | 昔話童話童謡の王国 より

鬼の所業は「悪いこと」の4文字で片付けられ、具体性がまるでない。
もし本当にここが重要なら、例えば村に火を放ったとか、娘をさらったとか、ものを盗んだとか、田んぼを荒らしたとか、児童向けとはいえいくらでも言いようがある。
ところが、むしろ物語は<あいつら>の行いについて、「悪いこと」という消極的かつ抽象的きわまりない紹介でさっさと済ませてしまうのである。

「あなたがかしらですか。」と言うと桃太郎はすばやく鉄棒の上に飛び乗り、
「悪い鬼、村人に悪いことをしたからには許せない。私のこぶしを受けてみろ。」
「アイタタ、ごめん。ごめん。許してくれ。降参だ。」

ももたろう 童話 | 昔話童話童謡の王国

しかし、それでも鬼は勧善懲悪の「悪」として立派に成立してしまうのだ

ここに、まず一つの結論を立てよう。
勧善懲悪の物語を成立させるのに、悪は悪事を働く必要すらない
そこに悪であるべき存在が“いるだけ”で足りるのだ。


この記事のタイトル、「AI絵師という「鬼」」
この意味するところを、読者諸君はそろそろ感じ取ってきたはずである。


②鬼退治は「おもしろい」

桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな

桃太郎 (童謡)

誰もが一度は聴いたことのある童謡「桃太郎」一番の歌詞である。
作曲者は岡野貞一だが、作詞者は不詳である。初出は明治44年『尋常小学唱歌(一)』だというが、この歌も桃太郎という民間伝承の一部であると言えよう。

ここで、再び新たな疑問が浮かぶ。
この曲は、『桃太郎』という物語を象徴する主題歌であるにも関わらず、なんと「桃太郎が桃から生まれる」という、桃太郎のアイデンティティそのものともいえる序盤の場面がまるっきり割愛され、きび団子を渡すシーンから再生されているのである。

前述した「鬼の悪行」も当然のごとく歌詞に登場しないがそれはさておき、

桃太郎という物語を語るうえでは「桃から生まれた」というオリジナリティあふれる出自すら不要と見做され得るということである

では、この歌は桃太郎という物語のどういった部分を重視しているか。
言い換えれば、桃太郎という物語で一番のカタルシスはどこか。


意外と知られていないが、この曲はこの一番で終わりではなく、なんと六番まである。

その歌詞を以下に引用する。

二番
やりましょう やりましょう
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう

三番
行きましょう 行きましょう
あなたについて何処までも 
家来になって 行きましょう

四番
そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて 攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島

五番
おもしろい おもしろい
のこらず鬼を 攻めふせて
分捕物を えんやらや

六番
ばんばんざい ばんばんざい
お伴の犬や 猿 雉は
勇んで車を えんやらや

桃太郎 (童謡)

二番までは辛うじて聞いたことがあっても、それ以降は初めて知るという人が多いのではないだろうか。

この童謡『桃太郎』の歌詞を、構造だけ抜き出すとこうなる。

  1. 「きび団子くださいな」と家来が桃太郎に話しかける

  2. 「鬼の征伐について来るならやりましょう」と突然“征伐”宣言

  3. 家来になる決意

  4. 「一度に攻めて つぶしてしまえ 鬼が島」と総攻撃

  5. 「おもしろい おもしろい のこらず鬼を攻めふせて」と殲滅のカタルシス

  6. 戦利品を積んで「ばんばんざい」と凱旋


この曲がわざわざ桃から生まれるという極めて重要なシーンを割愛してまで、桃太郎とそのお供が鬼ヶ島を攻め滅ぼすシーンを2トラックもかけて念入りに歌っているのは、『桃太郎』という物語において、鬼退治こそが最大の山場であることの証左に他ならない。

この曲の表現をそのまま借りてしまえば、鬼退治は「おもしろい」のである。

しかし、この物語は鬼の視点からすればたまったものではない。

なぜ鬼はここまでひどい目にあわなければならないのか。


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新聞広告クリエーティブコンテスト(2013年)最優秀賞受賞作品

作中で行った所業は「悪いこと」の4文字でぼかされ明らかになっていないにもかかわらず、わざわざ住処まで攻め込まれ、「一度に攻めて つぶしてしまえ」と一方的に殲滅を宣告され、「おもしろい おもしろい」と笑われながら、「ぶんどりものを えんやらや」と財産を根こそぎ奪われなければならない理由は何か。

理由は拍子抜けするほど単純である。

「鬼だから」だ。

「鬼」というラベルが貼られた瞬間、その存在は悪として完結し、理由も証拠も説明もいらなくなる。鬼であることそれ自体が罪であり、殲滅の根拠になり、その征伐は勧善懲悪として成立してしまう。

ここまで見てきたように、童謡『桃太郎』には、桃から生まれるシーンも、鬼の悪行も出てこない。
そのかわりに丁寧に歌い込まれているのは、『征伐』『つぶしてしまえ』『のこらず攻めふせて』『おもしろい』である。

さて、時代は変わって令和。
多様性とコンプラ意識が声高に叫ばれる時代に、『桃太郎』という残虐非道な迫害の物語の道徳性が見直されることがあるかというと、そんなことは全くない。

桃太郎は永遠に子供たちのヒーローであるし、鬼は悪役だし、その鬼退治は何度も絵本や劇で演じられるほど人気である。

そして、その「鬼退治」的価値観は無意識下で内面化される。
<わたしたち>の世界のために、<あいつら>は絶滅させなければならないという価値観だ。

変わったところがあるとすれば、「おもしろい」「いいね」になったくらいだろう。

③鬼、ゴキブリ、AI絵師

鬼という種族は、『桃太郎』に限らず『一寸法師』や『酒呑童子』など、数多くの日本の民話のなかで繰り返し「悪」や「混沌」のメタファーとして登場してきた。その系譜をたどれば、中世の能楽における鬼の造形にルーツを見いだせると言われるが、ここで重要なのは由来よりも、「なぜ鬼がそのような役割を担うようになったのか」という点である。

答えは、実のところそれほど複雑ではない。
鬼が「人間としての要素」を濃厚にまとっているからだ。

現在、一般的に描かれる鬼は、頭に2本、もしくは1本の角が生え、頭髪は細かくちぢれ、口に牙が生え、指に鋭い爪があり、虎の皮の褌(ふんどし)や腰布をつけていて、表面に突起のある金棒を持った大男の姿である。

Wikipedia『鬼』より

ふつう、人間ではない生物の姿の表現に「大男」という言葉は使わないはずである。

つまり、姿かたちはおおむね人間に近いにもかかわらず、角や牙、奇妙な服装によって「明らかに人間ではない」ことが強調されている。

鬼とは、<わたしたち>人間と、<あいつら>妖怪のちょうど境界に立つ存在だ。

この境界性ゆえに、鬼は理屈で「危険だ」と判断される以前に、まず身体のレベルで「気味が悪い」と感じさせる。
具体的な被害の有無とは別に、「何だか分からないが嫌だ」という生理的嫌悪感を受け止める器として機能してきたのである。

この「生理的嫌悪を喚起する存在」の現代的な類例が、ゴキブリだろう。
多くの人にとって、ゴキブリはそれがどんな行動を取ったかに関係なく、「そこにいる」という事実だけでぞっとさせる対象だ。実際に被害を受けていなくても、家の中で姿を認めた瞬間に「叩き潰さなければならないもの」として、新聞紙やらゴキジェットで処理される。そこでは、
気持ち悪い = 悪い = 排除してよい
という短絡が、ほとんど無意識のうちに成立している。

興味深いのは、実際にAI 絵師がしばしばこのゴキブリになぞらえられることである。

批判の文脈においてAI 絵師を「ゴキブリ」と呼ぶ比喩を持ち出した時点で、その発言者はすでに、自分が「生理的な嫌悪」と「社会的・倫理的な悪」とを区別できていないことを自白してしまっていると言ってよい。
ゴキブリという語は、相手の具体的な行為を評価するための概念ではなく、ただ「見たくない」「存在してほしくない」という感覚を投げつけるためのラベルだからだ。
「私はこの人たちを、何をしたかに関係なく、気持ち悪いというだけの理由で悪とみなし、排除してよい存在だと思っている」と宣言しているのと同義である。

ここに、まさしく『桃太郎』の鬼と同じ構造が見て取れる。
鬼は何をしたかではなく、「鬼である」という存在理由のみによって悪と裁かれる。鬼への嫌悪感の理由を、先に<わたしたち>人間と<あいつら>妖怪の境界に立つことだと述べたが、AI 絵師もまた同じ境界に立たされる

すなわち、<わたしたち>=手で絵を描く人間と、<あいつら>=それ以外の人間のあいだに位置づけられてしまうのだ。
手で絵を描かないのに、美麗な絵を生成してしまうという「境界の侵犯」。さらに、生成AI という技術の複雑さが「どうなっているのか得体が知れない」ことが重なって、AI 絵師に対する生理的嫌悪感を増幅させている。

生理的嫌悪と社会的悪を同一視し、「気持ち悪い」と「悪い」を区別しない。
その回路こそが、AI 絵師を「ゴキブリ」と呼ぶ言葉の奥で静かに作動しているのである。


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節分では、鬼に対して「鬼は外、福は内」と言いながら豆を投げる。
鬼という境界の侵犯者に対する対抗手段は、
「外」と「内」を明確に二分し、相手を向こうに追い出すことである。

得体の知れない、気持ち悪い、境界の侵犯者。
AI絵師とは、正真正銘「鬼」なのだ。


④桃太郎は「日本一」のヒーロー

おばあさんはとてもおいしい日本一のきび団子を作り、桃太郎はそれを腰の袋に入れるとさっそく鬼ケ島に向けて旅立ちました。
旅の途中、桃太郎は犬に会い、
「桃太郎さん、袋の中に何が入っているだい。」
日本一のきび団子だよ。」
「僕に一つくれればお伴します。」
犬は桃太郎から一つ団子をもらい家来になりました。

ももたろう 童話 | 昔話童話童謡の王国


桃太郎のパブリックイメージの1つに、「日本一」という称号がある。
桃太郎が陣羽織を着て鬼ヶ島に出征するイラストには、犬・猿・雉といったお供たちと同等かそれ以上に、「日本一」と書かれた幟が登場する


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くどい


しかし冷静に考えてみれば、桃太郎の何が「日本一」なのだろうか

桃太郎は、天下一武道会のような日本全国選りすぐりの若武者が集まる大会で優勝したわけでもなければ、日本一を標榜する何某かに勝利したわけでもない。
童話内で「日本一」というワードが登場する時、その形容詞の指す先は「きび団子」になっているが、別にこのきび団子は「全日本和菓子大会」のようなコンペティションで優勝したわけでもなければ、ミシュランで三ツ星を取ったわけでもない。

ましてや、きび団子が日本一であるのだとすれば、この幟はあくまできび団子の宣伝文句にしかなっていない。
しかし、桃太郎はきび団子を売って練り歩く行商人ではなく、鬼退治へ向かう勇ましいヒーローであり、きび団子はその戦力を増強する小道具であり、「日本一」は桃太郎のヒーローとしての強さを保証するフレーズとして登場するのだ。

言い換えると、
桃太郎は「日本一」の根拠の検証を抜きにしても、頑なに日本一を名乗るからこそ、正義の側に立つのである。


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世界名作ファンタジー「ももたろう」
文:平田 昭吾  絵: 大野 豊  出版社: ポプラ社

日本一とは、要するに実績の指標ではなく、記号上の合言葉にすぎない。
どこにも「日本一」であることを証明する審査員も審査基準もいないのに、その四文字を掲げた途端、桃太郎は「強く・正しく・勝つべき者」として了解される。旗に書かれているから日本一なのではなく、日本一と名乗ること自体が、正義のフレームを起動させる呪文なのである。

序盤で取り上げた、AI絵師の排除を叫ぶ人々が掲げる「著作権」や「盗用」という言葉も、しばしばこれと同じ働きをしている。
本来の著作権法は、複雑な支分権や権利制限の規定にもとづき個別事例を判断する司法制度的な枠組みだが、SNS 上で飛び交う「AIは著作権侵害だ」「AIは盗用をしている」という言い回しは、たいていそのような精査を経てはいないため、コミュニティノートにツッコミを食らったりする

それでもその合言葉が一度掲げられれば、詳細な事実認定や法的検討が行われる前に、<わたしたち>が正義であり、<あいつら>は「悪」であり「断罪されるべき者」として扱われる。
ここで機能しているのは、法概念としての著作権(copyright)ではなく、自分たちの側を正義とし、相手を鬼とみなすための合言葉としての「著作権」である。

日本一の幟を掲げれば、桃太郎は理由なしに鬼を討つことができる。
同じように、「著作権」「盗用」という合言葉を掲げれば、AI ユーザーを社会悪とみなして叩き潰す口実が手に入る。その合言葉に、厳密な法的整合性や事実関係の正確さは必ずしも求められていないし、むしろ単純な善悪二元論を脅かすという点では邪魔ですらある。

鬼の酋長はもう一度額を土へすりつけた後、恐る恐る桃太郎へ質問した。
「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明かし下さる訣には参りますまいか?」
 桃太郎は悠然と頷いた。
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後ろへ飛び下がると、いよいよまた丁寧にお時儀をした。

芥川龍之介『桃太郎』

芥川龍之介版『桃太郎』では、これまでに述べた既存の『桃太郎』における悪の不在・桃太郎の動機の不在を指摘したうえで再構成された寓話である。その中では、桃太郎にはただ「征伐したい」という欲望が先にあって、その上から「日本一」や「正義」の旗が後付けされるにすぎないことが、容赦なく暴き出されている。

AI絵師排斥のスローガンとしての「著作権」もまた、その延長線上にある。
「著作権」が、本当に「著作権」である必要のない世界がここに展開しているのだ。

⑤鬼と生きていけるか?

最後になるが、私は決して「AI絵師と対話して、和解しよう。分かり合えるはずだよ」などと主張するつもりは毛頭ない

なぜならば、無理だからである。

<わたしたち>は AI 絵師とは永遠に和解できない。
前述のように、AI絵師は鬼であって、ゴキブリであって、
不倶戴天の敵だからだ。

『桃太郎』は民間伝承として語り継がれる中で、明治時代の富国強兵思想と結びつき、第二次大戦中にはとうとう桃太郎は日本軍の兵士として出征する。

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国策動画映画『桃太郎 海の神兵』(1944)より

もはや明らかなとおり、桃太郎が訴えるテーゼは一貫してこうである。

「<わたしたち>の世界を脅かす、気持ち悪い<あいつら>を打倒せよ!」

この<あいつら>という変数に、「鬼」とか「鬼畜米英」とか「AI絵師」とかを代入したりするだけなのだ。

C107では、AI絵師がサークル参加するという情報が飛び交う中で、「AI絵師だけを一つの島にまとめろ」という言説も上がった。

AI絵師専用の島を作れば、そこは名実ともに「鬼ヶ島」となる。

当然、どこかの勇敢な桃太郎が、日本一の幟を掲げて「おもしろい」ことをしに行く事件がいつか発生するだろう。


さて、もしこれを読んでいるあなたがAI絵師であり、<わたしたち>からの敵意から逃れたいのであれば、私から提案できるのはたった一つ。

鬼は鬼らしく、『泣いた赤鬼』に倣う事である。


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『泣いた赤おに』
作・浜田広介 絵・つちだのぶこ あすなろ書房

『泣いた赤おに』には、2人の優しい鬼が登場する。
赤鬼が村の人間たちと仲良くしようと「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」と看板を立てて村人の歓心を買おうとするも、疑いの目を向けられて上手くいかない。
仕方なく、赤鬼は友人の青鬼と共謀して、村で暴れる青鬼を退治するというひと芝居を打ち、やっと赤鬼は青鬼との交友関係と引き換えにして村人に受け入れられる。

本作は学校教科書にも採用される名作であるが、この物語は裏を返せば、結局<あいつら>を派手に征伐する鬼退治でしか、<わたしたち>の世界には受け入れられないという残酷な現実である。

これに倣って、赤鬼のように、SNSで炎上していちばん悪質とされたAIユーザーを目の敵にして燃やし尽くすことを続けていれば、少なくともあなたは『良い鬼』として一時的に赦されるかもしれない。
これ以外にない。
だってあなたは鬼なのだから。

鬼は"悪として登場し、討伐され、絶滅されること"が望まれる存在であって、そもそも和解や共存など望まれていない。

『桃太郎』がそうであったように、<あいつら>の側の事情も、言い分も、罪の有無すらも物語には必要とされない。

だから<わたしたち>は、この脚本を信じ続ける限り、
これからも「おもしろい」と笑いながら、
未来永劫、鬼退治の物語を繰り返し演じることになるだろう。

問題は、
わたしたちの世界には
「めでたし、めでたし」と言って本を閉じてくれる人が誰もいないという事だけだ。


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