即ち性起の性とは単なる理性にあらず、般若の大智と無相法界の理と不二冥合し、理行一如の如来の果体(覚りの結果)を性と名け、その果体の感に趣き機に応ずる用を起といふ。しかして此の性起門よりいへば、如来の大智は本来衆生の心中に遍在し、一切衆生、修生作佛をまたず本来出纏の果位に住するものにして、十界の依色心は果徳を具せる如来の妙用妙相である。性起品にかかる深趣を開説するが故に、八十華厳には此の品を如来出現品と名く。
華厳経探玄記(巻十六)に華厳経性起品の宗趣を明かすに十門を分かち、其の分相門に曰、
『・・「性」に三種有り。謂く「理」「行」「果」なり。
「起」に亦た三有り。
初めに謂く「理」は了因を待ちて顯現するを「起」と名ずく。
二に「行性」は聞熏を待つに由りて資發し果を生ずるを「起」と名ずく。
三は「果性起」とは謂く、此の果性は更に別體無し。即ち彼の理行は兼ねて修生を具し果位に至る時合して果性となし、應機の化用を之を名ずけて起となす。是故に三位各の各の性、各の各の起の故に性起と云う。今此文中に正しくは後の一を辨じ、兼ねては前の二を辨ずる也。・・」
17/06/19