買う人がいるから売る人がいる 仏の買春処罰法の立役者が語る性売買

編集委員・大久保真紀

 「お金で体を買うのはレイプと同じ。暴力です」

 フランスの元国会議員、モード・オリビエさん(72)は断言する。

 2016年にフランスで制定された「買春処罰法」を成立させた立役者。処罰法は、性売買の「買う側」を処罰する一方で、「売る側」を被害者と位置づけて保護し、性売買からの脱出を支援することを規定する。性教育や予防の強化も盛り込まれている。

 パリ郊外に生まれた。ソルボンヌ大学で仏文学を学んだ後に会社員に。組合運動を経て地方議員と市長を務め、12年にオランド政権下で社会党の国会議員になった。

 政治家になったのも、女男平等を目指すフェミニスト活動に力を入れたのも、労働者として組合運動に力を注いだ父の影響が大きい。

 父は、会社の中での不平等や差別には敏感だった一方で、女性は必ずしも仕事をしなくていいという考えの持ち主だった。兄にはしっかりキャリアを積むよう求めて支えたが、「私には小学校か保育園の先生ならいいという感じだった」と振り返る。そうした性別による不平等を是正したいと政治の道に入った。

 市長時代に幼い子を抱えた22歳の女性と面会した。女性はホームレスで、金に困って性売買をしていたと打ち明けた。

性売買への認識が変わった面会

 フランスでは、性売買をする女性たちは自らの選択で行っているとの見方が根強くあったが、目を見開かされた。「(性売買をするのは)彼女の選択ではない。明らかに貧困が原因だ」

 性売買をする当事者と会い、支援するNGOから話を聞き、「セックスワーカー」と呼ばれる女性たちは「被害者」だと確信した。

 フランスの性売買従事者は約4万人いると言われる。「性売買の原動力は客の需要。買う人がいるから売る人がいる。売る人を減らすにはまず買う人を減らす必要がある」。買春者を罰する法律をつくろうと決意した。

 11年に行われた性売買の実態調査で、性を「買う」客の99%は男性で、「売る」側の85%は女性だった。「性売買は女性と男性の不平等を示す最も顕著な指標。私たち女性全員にかかわる問題だ。女男平等を訴えるなら、金銭で体を買う行為を廃止させるしかない」

 だが、国会議員やメディアの抵抗は強かった。芸能人やアーティスト、記者など350人近い著名人らが連名で反対し、殺害予告も届いた。

 しかし、信念は揺るがなかった。

 「私には娘や孫、社会の女性たちに責任がある。私は幸いにも性被害の経験はないが、その幸運を被害者のために使う義務と使命を感じた」

 反対する政治家一人ひとりに粘り強く説得を続けた。「性売買する人は非現実的な存在ではなく、母や姉、妹など身近に存在しうる」。学生も少なくないことを指摘し、「お金がなければ、あなたの娘さんも学費を得るために性売買に携わるかもしれない」と訴えた。多くの女性団体が処罰法の制定を後押しし、性売買経験者からも賛同の声が上がった。

「セックスワーク」という言葉は「現実を隠蔽」

 オリビエさんは「セックスワーク(性的労働)という言葉は、性搾取の現実を隠蔽(いんぺい)するためのプロパガンダ用語だ」と喝破する。「性売買は経済的な理由で強制され、隷属状態におかれる行為。労働ではありえない」

 買春処罰法は来年、制定10年を迎える。「法律ができて意識が変わった」とオリビエさん。19年に実施された世論調査では78%の市民が法律を良いものと評価し、79%が他人の体や性交を「買う」ことは許されるべきではないと答えたという。

 当初は腰が重かった警察も、特に未成年者を保護するために、法律の施行を優先的な課題とするようになった。24年末までに約1万人の男性が違反調書を取られた。被害者は1579人で、うち659人が未成年だった。1342人が社会復帰支援の恩恵を受けたという。また、23年には、性売買からの脱却を支援する組織がようやく全県に設置された。

 しかし、闘いは続いている。あっせん業者など処罰法に反対する人たちは、憲法裁判所に異議申し立てをするなど抵抗を続ける。人員や予算は足りず、性教育の実施も進んでいない。

 オリビエさんは17年に国会議員を退いた。いまはフランス南部にある別荘で、庭いじりや10代の孫2人と過ごす時間が一番の楽しみだ。だが、フェミニスト活動家として四つのNGOに参加し、女性の人権や女性への暴力の問題に取り組み続けている。「買春処罰法を支えるのは、私の責任。もう議員ではないが、法律を見守り、きちんと運用されるようにしなければ」と言う。

 やさしく、温和な物腰の中に、決めたことは最後までやり通す、凜(りん)とした強さを併せ持つ。「女性の体を買うことができる社会で、女男平等を実現させることはできない。女性への性暴力を許す社会に、自分の娘が生きてもらいたいかを考えてほしい。性を売る必要のない社会を構築していかなくてはならない」

       ◇

 オリビアさんは11月初旬に初来日し、東京で開かれた国際シンポジウムに参加した。処罰法の制定経過や成果などについて語った講演に、オンラインも含めて約370人が耳を傾けた。

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この記事を書いた人
大久保真紀
編集委員
専門・関心分野
子ども虐待、性暴力、戦争と平和など
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    藤田直哉
    (批評家・日本映画大学准教授)
    2025年11月15日23時49分 投稿
    【視点】

    セックスワークが単なるワークだと思いにくいな、と筆者も思っていました。もちろん、自由意志で選択し、その結果を有益に活用している人もいるでしょうが、一般的には心身に侵襲性が高く、その点において普通の仕事とは違うのではないか、危険、屈辱、汚染などが多い仕事なのではないかと思うのです。しかも、多くの場合、弱い立場にいる者を、強い立場にいる者が金で言うことを聞かせることが多く、そこには支配の優越感と従属の屈辱感もが快の源泉として作動しているように思います。それは、グローバル格差、男女格差、健常者と障碍者、家庭に恵まれている者と恵まれていない者の差の残酷さをグロテスクに示すような「不正義」だと筆者には思えてなりません。このような「不正義」や侵襲性がなくなり、自由意志と合意と喜びに満ちたセックスワークの世界が実現すればいいな、と思うのですが、そうでない限り、やはり見て見ぬふりをせず介入し改善を志すような社会であってほしいと思います。

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    太田啓子
    (弁護士)
    2025年11月16日9時45分 投稿
    【視点】

    フランスの買春処罰法に学ぶべきことは、「買う側」を処罰するのと同時に「売る側」を処罰せず被害者と位置づけて保護し、性売買からの脱出を支援することを規定していること、性教育や予防の強化も盛り込まれていることだ。この全てが日本に足りていない。高市首相は買春行為処罰を法相に検討するよう指示したが、同時に行うべき他の施策についても含め、どれほど本気だろうか。注視したい。 フランスでも、「性売買をする女性たちは自らの選択で行っているとの見方が根強くあった」というのは今の日本社会と同様だ。「(性売買をするのは)彼女の選択ではない。明らかに貧困が原因だ」というのも日本社会と同じだ。 性売買をする女性の背後に何があるのか、社会は本当は知っていながら目をそらしているように思う。オリビエさんは「性売買をする当事者と会い、支援するNGOから話を聞き、「セックスワーカー」と呼ばれる女性たちは「被害者」だと確信した。」との指摘は非常に需要だ。貧困や孤立などの複合的な困難がなければそこにいない女性たちが大勢いることを、本当は社会の多くの人はうっすら知っているはずだ。そこから目をそらさず、それに乗じて買春することを合法とする社会を許容し続けるのか、私たち皆が問われている。 フランスでも容易な道のりではなかったことが記事からもうかがえるが、それでも「女性への性暴力を許す社会に、自分の娘が生きてもらいたいかを考えてほしい。性を売る必要のない社会を構築していかなくてはならない」と闘った人達の尽力で社会が変わりつつあることもわかり、希望を感じる。

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