その後どうなった? 閉園した遊園地の跡地利用

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広大な敷地の跡地利用は難問で、どこの自治体も頭を悩ませているようです。

活用できた例

横浜ドリームランド跡地→横浜薬科大学

横浜ドリームランド(1964~2002)

アクセスの主役になるはずだったモノレールが過大重量で橋脚に亀裂が発生したため1年半余りで運航休止。高度経済成長によりベッドタウン化が進んだことが重なって渋滞が悪化し、アクセス難から入場者数が伸び悩んだ。

赤字続きの末にダイエーの傘下に入ったが、ディズニーランドの開業による客離れや、ダイエー自体の経営難による再興構想の頓挫などで2002年に閉園。

横浜薬科大学

幼稚園から大学まで30近い教育施設を運営する都築学園グループが2006年に開学した単科大学。漢方薬学科を設立している唯一の大学として知られる。

都築学園グループは潤沢な資金を持ち、私学助成金を受けていない。

末期には資金不足により遊具の更新もできず縮小していたドリームランドは北半分が俣野公園に、南半分が横浜薬科大学になった。ドリームランドの象徴だった高層ホテル「ホテル・エンパイア」は五重塔のような和風の外観を持ち、最上階は回転レストランとなっていたが、この建物は取り壊されることなく大学図書館・学習室として活用された。ただし、回転装置は取り外されている模様。

小山ゆうえんち跡地→おやまゆうえんハーヴェストウォーク

小山ゆうえんち(1960~2005)

親会社の倒産により連鎖倒産。遊園地自体は黒字だったため規模縮小と休園日の増加で乗り切ろうとしたが、客離れによりさらに経営が悪化するという悪循環に嵌ってしまった。

ダイエーの支援のもと温泉入浴施設を開業してテコ入れを図ったが、遊園地の入場者数が温泉施設を下回るまでに落ち込んだため、全事業をヨークベニマルに売却し閉園した。

おやまゆうえんハーヴェストウォーク
不動産デベロッパー、ザイマックスの主導によりつくられた大型ショッピングセンター。
横浜ドリームランドから小山ゆうえんちに譲渡されたメリーゴーラウンドが施設のシンボルとして活用されている。

東京マリン跡地→東京アクアージュ

東京マリン
芸能人水泳大会などでおなじみの日本を代表するレジャープール施設だったが、他遊園地プールとの競合や通年営業ができなかったことで経営が悪化。設備投資の負担が重荷となり、2000年にグループ会社ともども倒産した。
東京アクアージュ
東京マリンの跡地を買収した東武不動産が開発主体となった大型分譲マンション。

小田急花鳥山脈跡地→日本大学花鳥山脈実習所

小田急花鳥山脈(1970~1998)
広大な敷地に野鳥園や遊歩道、ミニ遊園地、ミニSLなどが配されていたレジャー施設。四季折々の花が見られ、バードウォッチングもできるなど遊園地と言うより自然公園に近い独特の施設だったが、集客数の減少により閉鎖。
日本大学花鳥山脈実習所
正式名称は「日本大学生物資源科学部西富士校地花鳥山脈実習場」
野生動物学研究室では、ここを利用して動物相や動物生態の教育および調査・研究を行っている。 演習場内に遠隔操作ができるカメラが配置されており、研究室内で動物生態の観察が可能になっている。

神戸ポートピアランド跡地→IKEA神戸店

神戸ポートピアランド(1981~2006)
神戸ポートピア博覧会の遊戯施設としてオープンし、博覧会終了後も遊園地として営業が続けられた。 成人をターゲットに絶叫系マシンのみで運営、コンスタントに遊具を更新しコンパクトな敷地で「最も効率的な遊園地」と称された。
阪神大震災後の休園による客離れやUSJ、神戸ハーバーランドといった後発のライバルに客を奪われる形で衰退し、2006年に営業を終了した。
IKEA神戸店
北欧の家具製造・直販会社の大規模店舗で広大な敷地と駐車場を持つ。
ビストロレストランやオリジナルの生鮮食品店なども併設しており、家具を買わずに立ち寄る人もいる。もともとポートピアランドは敷地面積が小さめだったため、IKEAのオープンにより遊園地の面影は全くなくなった。

長崎遊園地→コアマンションマリナシティ長崎

長崎遊園地(1957~1996)
長崎で唯一の遊園地と言うこともあって80年代までは拡張・遊具の増設が行われ好調だったが、施設の老朽化やハウステンボスやオランダ村に押される形で来客が減少。1996年に営業を終了した。
コアマンションマリナシティ長崎
遊園地跡に建てられた3棟681戸の大規模分譲マンション。
ディスカウントストアのダイレックスが敷地内に併設されている。

伊豆富士見ランド跡地→日本通運研修センター(NEX-TEC伊豆)

伊豆冨士見ランド(1966~1999)
日本通運が1964年に設立した観光開発会社である日通伊豆観光開発が運営していた遊園地。一般的な遊具だけでなく植物園、ジャングル風呂、水上レストランなど盛りだくさんで、一日では回り切れないため宿泊施設も併設されていた。
来客者の減少により1999年に閉鎖。
NEX-TEC 伊豆
土地を所有していた日本通運が跡地をそのまま研修所として活用。
2017年に創設80周年記念事業の一環として伊豆研修センターをリニューアルして「NEX-TEC伊豆」を新設すると発表した。

小田急御殿場ファミリーランド跡→御殿場プレミアム・アウトレット

小田急御殿場ファミリーランド
小田急電鉄が運営していた遊園地。絶叫マシンに定評があった。
東名高速のインターチェンジに近くアクセスは悪くなかったが、80年代をピークに入場者が下降線をたどり、1999年に営業を終了した。
御殿場プレミアムアウトレット
三菱地所が運営する210のブランドショップとレストランを抱える日本最大級のショッピングセンター。開業時には遊園地時代の観覧車がそのまま残されランドマークとなっていたが、その後取り壊され小田急系のホテルが建設中。

ナムコワンダーエッグ跡地→二子玉川RISE

ナムコ・ワンダーエッグ

1992年に期間限定の都市型テーマパークとしてゲームソフト会社のナムコが運営していたテーマパーク。ギャラクシアンやドルアーガの塔などファミコンやアーケードで有名なゲームを参加型アトラクションにして人気を得た。

もともと駅前の一等地で再開発計画もあり、50か月の期間限定の予定だったが、事前に予定されていた再開発計画がバブル崩壊により着手が遅れたことから、数度のリニューアルと営業期間の延長が行われた。
2000年末にグランドフィナーレのイベントを行い、12月31日にカウントダウンで締めくくるという綺麗な形で営業終了。

二子玉川RISE
タウンフロント、リバーフロント、ステーションマーケット、テラスマーケットの4館、約180店で構成された住商一体型の大型モール。玉川高島屋SCとともに二子玉川の顔となっている。

スペースワールド跡地→イオンモール(2021年開業予定)


https://matome.naver.jp/odai/2148670371128496401/2152950197931350803
スペースワールド
新日鉄八幡製鉄所の跡地に建てられた宇宙をテーマにしたテーマパーク。当初は新日鉄の系列会社によって運営されていたが、営業不振により加森観光に運営権を譲渡。
各種アトラクションの移設や新設により一時は入場者数も持ち直したものの、土地の賃料負担が重荷となり2017年末に営業を終了した。

暗礁乗り上げパターン

多摩テック→大学の新設スポーツパークが頓挫し泥沼の紛争へ

多摩テック(1961~2009)
ホンダの子会社が運営していた日本で唯一のモータースポーツをテーマにした遊園地。
ゴーカートやミニバイクが遊具として設置されるなど他とは一線を画していたが、東京ディズニーランド、ディズニーシー、ユニバーサルスタジオジャパンなどの大規模テーマパークに若年層を奪われ赤字が常態化。ホンダが不採算事業の整理を進めたため2009年に閉鎖された。

明治大学が跡地を買収、スポーツ科学部を新設し校舎を設立。老朽化した八幡山のラグビー場を売却し都心部の体育会部活の合宿所や運動場を移設集約しスポーツパークとする予定だったが、東日本大震災復興事業や東京オリンピックによる資材・人件費の高騰の影響で経費が1.7倍に膨れ上がる見込みから計画を中止し土地の買取を拒否。 土地を手当てした三菱商事が裁判に訴え、明治大学は8億円の支払い命令を受けてしまった。

向ケ丘遊園→一部が生田緑地バラ苑として継続するも跡地利用は停止中

向ケ丘遊園(1927~2002)
戦前から小田急電鉄が運営していた歴史ある遊園地。フラワーショウを皮切りに花に関係したイベントを開催、花壇やプランターを並べた花の大階段は映画やドラマのロケでも頻繁に利用されるなど親しまれた。
ディズニーランドなどの大型テーマパークに対して「花と緑の遊園地」として差別化を打ち出し集客面では健闘していたが、バブル崩壊後の低迷と老朽化によるモノレールの廃線が響き、2002年に閉園を余儀なくされた。

https://matome.naver.jp/odai/2148670371128496401/2152374790532088603
生田緑地ばら苑
向ケ丘遊園内に1958年にオープン。春と秋の開花シーズンには553種、4700株のバラが咲き乱れる庭園で、「花と緑の遊園地」だった向ケ丘遊園の面影を現在も残す施設。 川崎市の援助と市民の寄付により運営されている。

もともと向ケ丘遊園地の土地は小田急電鉄の所有ではなく、地元の何人かの大地主からの借地で五年ごとに更新していた。末期には借地交渉も難航し、これが閉園の一因にもなっている。
跡地の開発は小田急が主導し「ガーデン&レジデンス」をコンセプトとした親自然庭園型住宅や老人ホームなどになる予定だったが、リーマンショックに端を発した金融危機や地元住民の反対などが重なり計画は頓挫。 長らく宙に浮いたままとなっていたが、2018年に温泉掘削の許可申請が出され、注目を集めている。

行川アイランド跡地→総合リゾート計画が中止

行川アイランド(1964~2001)
外房の恵まれた自然環境に南国の動植物園にプール、ホテルなどが整備されたリゾートパーク。 クジャクやフラミンゴのショーが人気を博していたが、鴨川シーワールドを皮切りに外房地に中小規模の観光・リゾート施設が開業すると客を奪われ低迷。
ディズニーランドの開業とバブル崩壊による急激な落ち込みに加え、高齢化したフラミンゴの買い替えが困難になったことで親会社が2001年に閉鎖を決定した。

跡地はドーミーインなどのビジネスホテル、ラ・ビスタなどのリゾートホテルを運営する共立メンテナンスが買収。複合リゾート施設「ウェルネスの森」の開設を目指したが、世界金融危機の影響もあり開発計画が中断。無期延期となっている。

石廊崎ジャングルパーク跡地→放置から町が土地を取得


https://matome.naver.jp/odai/2148670371128496401/2152374790532089403
石廊崎ジャングルパーク(1969~2003)
鹿児島に本拠を置く岩崎産業が「熱帯の楽園」と銘打ってオープンした植物園型テーマパーク。
伊豆半島の先端というアクセスの悪さから1973年をピークに来場者は減少の一途をたどり、2003年に閉園。人気パワースポットである石室神社に行く途中に廃墟が幾つも連なっている。

町営に移管された駐車場を除き土地トラブルなどが続いて再開発のめどはたっていなかったが、岩崎産業から南伊豆町が土地を買収。再開発計画が公募され、海洋調査・ITソリューション会社のウィンディーネットワークの設計により、2019年の開業を目指し再整備が行われる模様。

奈良ドリームランド跡地→複雑な地権と多重の規制から塩漬け状態に

奈良ドリームランド(1961~2006)
ディズニーランドを誘致しようとしたものの果たせず、ノウハウと技術支援のみうけて開業した遊園地。
横浜ドリームランド同様日本ドリーム観光によって運営されてきたが、1993年にダイエーに吸収され、そのダイエーも営業不振による事業整理から2005年にドリームランドを譲渡。USJなどの新興テーマパークに押される形で2006年に閉園した。

跡地には大規模駐車場などの計画があったが、複雑に絡み合った地権の問題から事後処理は困難を極めた。
解体工事もなかなか進まず、長い間廃墟状態となっており、皮肉にも海外の廃墟愛好家から注目を浴びるほど有名になってしまった。 公売に出されても買い手がつかない状態が長い間続いていたが、2015年にようやく落札された。

市街化調整区域に加え風致地区に指定されており、学校や社会福祉施設、スポーツ施設以外の建設ができない規制がかかっているため収益性の高い建造物は建てられず、再開発の目途が立っていない。

富士ガリバー王国→呪われたように跡地利用事業者が次々破綻

富士ガリバー王国(1997~2001)
おとぎの国と銘打ったテーマパークだが、よりによってサリン事件を起こしたオウム真理教のサティアンが同じ村内にあったため風評被害が発生。 競合する富士急ハイランドに全く太刀打ちできず開業からわずかに数年であっという間に破綻した。

オウム真理教のイメージが付きまとったことから数度の入札でも買い手がつかず、2002年にようやく落札。2004年に大規模ドッグランが開設されるもわずか1年で閉鎖。2006年にアーバンコーポレーションが跡地を買い取るも建物を解体し終わったところで同社も倒産とまるで呪われたように次々と跡地利用が失敗した。
結局再開発のめどは立っていない。

https://matome.naver.jp/odai/2148670371128496401
2018年06月21日