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Conversation

凄い本だ。人はなぜ「働かなきゃ」と思うのか。何が労働へと人をかき立てるのか。もうすぐ月曜だけれど、なぜぼくらは惰性的に出勤するのか。その動機の根源が示されている。著者グレーバーは「奴隷制」によって人は「働かなきゃ」と思わされていると述べている。21世紀の今も、ぼくらは奴隷である。 人はいつ奴隷になるのか。それは、親類や友人も含め、一切合切の人間関係を断ち切られた時だ。「断ち切られた」というと言い過ぎだろうか。だが、人間関係が、まるでモノでも交換するように代替可能なものになっていく時、ぼくらは強者の奴隷になる。「お前の代わりはいくらでもいる」なんて言って、あたかも部品であるかのように強者から扱われる時、ぼくらはすでに奴隷なのだ。 では、何によってぼくらは人間関係を断ち切られるのか。それは「貨幣」である。お金によってぼくらの値段は決まる。「雇うとしたら、これくらいだよね」といった感じでぼくらは値踏みされる。で、労働に対して賃金が支払われる。賃金を払う相手として、労働者は「貨幣という同じ尺度で価値を測られているという意味で」みな平等だ。「平等」といえば聞こえはいいが、実態は人を交換可能なモノとして扱っているに過ぎない。 そこでは、人格の価値は低く見積もられる。人間性や社会性も関係ない。だから、そうして労働力として貨幣価値で値踏みされる人間は、人間関係を断ち切られてしまうのだ。 ほんとうは、誰一人例外なく、ぼくらは誰かの「掛け替えのない存在」であるはずだ。それが、貨幣によってショボい存在へと転換させられるのである。 では、人間関係を断ち切られた人間はどうなるか。雑に扱ってもいい存在になるだろう。捕虜だ。家畜だ。そして、奴隷だ。そして、あなたを雇う強者はこう考えるだろう。「給料を与えてやっているんだぞ」「生かしてやっているんだぞ」「だから、この恩はきっちり返してくれるよな」と。 恩とは「負債」である。この恩返しを振りかざして奴隷であるあなたに迫れば、あなたは言うことを聞かざるを得ない。恩返しという鎖につながれた奴隷であるあなたは、裏切ることもできず(後ろめたくなるから)、粛々と強者の言いなりになる。 あるいは、強者にちやほやされ、おだてられることで、積極的に「役に立つ」存在として頑張るかもしれない。「組織のお役に立って光栄です!」とでも言わんばかりに。これも奴隷根性だと言える。 ちなみに、強者にとって奴隷は「何をしたっていい」存在だ。貸したっていい。捨てたっていい。それが所有権というものだが、強者は奴隷を「所有」しているので、やはり好きにしていいということになる。もちろん、奴隷とは「財産」に過ぎないから。自分の財産は、基本、自分の好きなようにしていいものだろう。奴隷もまた同じである。 一方で、強者に雇われる側、つまり労働者であるぼくらも、いまは積極的に自分の労働力を貨幣価値に換算して売りに出している。奴隷根性、ここに極まれりといった感じだ。そうして、ぼくらは理不尽な上司にさえペコペコしている。自分の体を売りに出し、譲ったり、臓器を販売したりまでしている。 何とつらい世界か。 だが、グレーバーは言う。この奴隷制から脱する道はあるよ、と。それは本書を読んで直に確かめてみてほしい。 『負債論』 著者:デヴィッド・グレーバー 発行:以文社
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