原作の魅力が消えた映画
「興行的には間違いなく大成功だが、映画としての出来は“微妙”と言わざるを得ない」
「原作の魂を抜き取ってしまっている駄作」
「良くも悪くも、吉沢亮と横浜流星の美しさだけを見る映画」
大ヒットとは裏腹に、業界内ではこのような酷評が聞こえている。彼らがそこまで辛辣な意見や感想を述べるのはなぜなのか? 業界人たちの生の声を聞いた。
国内の映画配給会社に勤務する30代の男性プロデューサー・A氏はこう嘆く。
「原作ファンだった身からすると、映画に落とし込む過程で膨大なストーリーを大胆に削りすぎた点が許せませんでした。吉田修一さんの小説『国宝』は上下巻800ページを超える大作で、歌舞伎界の内情や時代の変化、複雑な人間関係を重層的に描き出している。しかし映画では、その大部分が省略されている。原作どおりに歌舞伎界の厳しさや時代背景をもっと忠実に描いてほしかった……」
さらに、A氏は原作から削ってほしくなかった箇所についても語った。
「吉沢亮さん演じる主人公・喜久雄の少年時代からの付き人・徳次との交流です。原作では徳次は喜久雄の良き理解者で欠かせない存在だった。彼からの視点がストーリーの深みを担っていたのに、映画ではあまりにも存在感が薄かった。彼がいることで喜久雄が抱える孤独や傲慢さが巧みに表現されていたのに、映画では喜久雄がただの天才役者に見えてしまったのは残念な限りです。
また、高畑充希さん演じる喜久雄の幼なじみ・春江と横浜流星さん演じる俊介との関係性も唐突すぎましたね。小説では丁寧に積み重ねられた感情の起伏があって、ようやく2人は夫婦になっていくのですが、映画ではわずかな会話でサラリと処理されてしまっていた。“なぜ春江は俊介と結婚することを選んだのか?”という葛藤や繊細な心理描写が希薄になっていた。原作を読まずに観た人は感情移入できなかったのでは?」
そんなA氏は「あくまでメインは喜久雄と俊介。彼らの人生だけにフォーカスしたかったのでしょう」と、制作側の意図も汲み取りつつフォローをしていたものの、人気俳優が向き合う2人のシーンやストーリーのテンポだけを重視した改変に納得がいっていない口ぶりだった。
「ただ、女形を演じた吉沢亮さんと横浜流星さんの演技力は良かった。舞台での鬼気迫るような艶っぽい表情や佇まい、声や視線の送り方などは本物の歌舞伎役者を凌ぐほどの完成度でした。演技の中で演技をするのはかなり難しいことですが、難なくやってのけていた2人は只者ではないと思いました。業界人の多くも、2人がイケメン俳優という枠組みを超える存在感を持つと感じたようで、同作の公開以降に重厚な映画への出演オファーも絶えないそうです」(前出のA氏)