【ひと目で分かる】歴代の自民総裁、「保守」をめぐる発言や政治姿勢
結党70年を迎えた自民党。歴代総裁は「保守」をどう語り、どのような政治を目指してきたのか。
安倍晋三氏の祖父・岸信介首相が目指した日米安全保障条約の改定は「安保闘争」に発展。採決を強行した結果、退陣を余儀なくされた。
その後を継いだのが、大蔵官僚出身の池田勇人首相。池田氏は「寛容と忍耐」をスローガンに、政策の軸を安保から経済へとシフトさせた。日本経済は高度経済成長期を迎え、池田氏の「国民所得倍増計画」はその牽引(けんいん)役を果たした。
池田氏が率いる派閥「宏池会」は党内ハト派として、一方の岸氏の流れはタカ派へと連なっていく。
三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘各氏が首相の座を争い、「三角大福中」とも呼ばれた1970年代、自民党の派閥政治は全盛期を迎えた。だが「カネ」と「ポスト」を力の源泉とする派閥は「政治とカネ」の問題を生じさせる。リクルート事件を受けて国民の政治不信は頂点に達し、93年には「非自民非共産」の細川護熙連立政権が誕生。自民は初めて野党に転落した。
短命に終わった森喜朗首相を継いだのは、「古い自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉純一郎首相。2005年の郵政解散で、地滑り的な勝利を収め、安倍晋三氏、福田康夫氏へと継承。4氏ともにタカ派「清和会」の出身で、その後に裏金問題が起きる「清和政策研究会」へとつながっていく。自民は09年に民主党に政権を明け渡したが、3年後の12年に奪還。返り咲いた安倍氏は保守層を意識した政権運営を行い、最長政権を築く。
【連載】「自民党 保守のゆくえ」 第1回はこちら
自民党は15日、結党70年を迎えました。かつてない党勢低迷を前に、「保守」を意識した政治姿勢を強調する高市早苗総裁は、自民をどこへ導くのか。党員、政治家への取材を重ね、自民の今とこれからを探ります。