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03 西武帝国の興亡~会社は株主のものか


第3回 元コクド社長が語る名義株のからくり

 「名義株は相続税対策のためのものではない。かなり昔から行われていた」。

 こう語るのはコクドの元社長、中島渉氏だ。

 中島氏の父は堤康次郎氏の義弟。東京外国語学校専修を卒業後、宮内庁に入省。その後、康次郎氏に引き抜かれて、1922年4月に箱根土地に入社した。箱根土地は、コクドの前身である。1926年に同社の取締役に就任し、1958年に亡くなるまでコクドの社長を務めた。

 中島氏は父の後を継ぎ、堤義明氏が社長に就任するまでの1年間、コクドの社長に就いた。29歳のときのことである。義明氏の社長就任後は、再び平社員に戻った。その後、総務課長、宣伝部長を経て部長兼取締役でコクドを退社した。コクド退社後は、西武ゴルフと西武不動産を経て、62歳でグループを去った。

 「西武というのは堤家のものなんですよ。社長なんてダミーに過ぎない。だから私のような人事がまかり通るんです。これは今でも変わっていないと思いますよ」(中島氏)。

康次郎氏自身の名誉を守るため、名義株を利用

 中島氏によると、「名義株は相続税対策のために行われたと言われているが、実はかなり早い段階から行われていた」という。

 中島氏が続ける。「父は、コクドをはじめとする康次郎氏の会社の株の名義人となりました。駿豆鉄道もその一つです。しかし、これらは父が自ら資金を出して購入した株ではなく、ただ康次郎氏に名義を貸したにすぎません。

 全く名義上だけの株主なのです。父が亡くなったとき、国土計画(現コクド)株を5500株(当時は1株50円)持っていました。武蔵野税務署が1株を1200円と評価したため、700万円の相続税が課税されそうになりました。

 そのときは、上司に相談して名義株である証明書を発行してもらったので、相続税を納めずに済みました」(中島氏)。

 なぜ康次郎は、名義株という手法を使うようになったのか。

 箱根土地は、康次郎氏が経済界の大物たちに「自分が金を出すから」と声をかけ、当時事業家として名声を博していた藤田謙一氏を発起人・社長として1920年にスタートした。創業当初、康次郎氏は自分名義で株式を保有していたという。

 中島氏によると「箱根土地は、箱根や軽井沢の別荘地を開発していました。さらに東京・国立と小平で、それぞれ100万坪の土地を買収。駅を置いて発展していきました。

 しかし、手を広げすぎてしまい、1926年には社債が償還できず破産状態になりました。それ以降、康次郎氏は、取締役や株主として名前を出さなくなったと父から聞いています」。

 加えて康次郎氏は、1938年に衆議院選に出馬し当選した。企業経営以上に政治に大きな関心を抱き、「代議士として立候補する際に、会社と関連のないフリーな立場で国政に携わりたいと考えていた」(中島氏)という。

 名義株の利用は、康次郎氏が尊敬していた永井柳太郎氏(元拓務大臣)のアドバイスでもあった。破産や事故で、康次郎氏が責任を追及されるようなことになれば、政治生命も絶たれてしまうからである。

コクド株を買い集め96%を手中に

 しかしこの名義株に「操夫人、清氏、清二氏、義明氏、康弘氏、猶二氏の名義はない」(中島氏)という。

 「家族の名義にしてしまうと、自分の株だと主張する者が出てくる可能性もある。それを認めると、株が分散してしまう。このため、堤家の意のままになる奉公人(従業員)の名前を使ったのだと思います」(中島氏)。

 「竈(かまど)の灰まで堤家のものだ」といってはばからない康次郎氏はさらに、第三者が経営に介入してくることを嫌い、コクド株の買い集めを進めた。株券を新しいものに切り替えるときに、旧株券を持って来た外部の株主たちに、株の買取交渉を持ちかけるなどして、買い集めていったという。最終的には96%の株式を取得したと言われている。

 こうして集められた株式は、康次郎氏名義の株式15%以外は、名義株として、国立にあった箱根土地本社の金庫に1946年まで保管された。

 その後は広尾のお屋敷の分室の金庫に。さらにその後は、コクドの旧原宿本社1階の金庫や、新原宿本社ビル地下の金庫に保管されたという。

中島氏自身も名義株を取得

 中島氏は、1958年3月、コクドの社長に就任したときに名義株を取得した。

 「私自身、コクドの株式を約5万4000株持っていました。1株100円。会社を離れるときには約540万円の払い込みが私の口座にあり、それを1週間後、おろして会社に返しに行ったんです。もしこれが私の株なら、100円なんかでは絶対に売りません。その当時でも2000円ぐらいはしていましたから」。

 義明氏がコクドの社長に就任しても、存命だった康次郎氏が株を譲渡することはなかったという。康次郎氏の死後、義明氏が総帥となるにあたって、康次郎氏名義の15%は国立学園に譲渡された。その他の名義株から、全体の36%に相当する株式を義明氏名義にしたという。

 「康次郎氏は、全体の51%があれば会社は支配できると言っていた。だから、義明さんは合計51%の株式(義明氏自身の名義の株と国立学園が保有する株式)を、自身の直接のコントロール下に置いたわけだ」(中島氏)。

 ただし、康次郎氏が集めた96%の株式から、これらを除く45%分が、名義株として義明時代にも引き継がれることになった。これが西武グループの闇となり、組織の屋台骨を揺るがすことになるのである。

(松崎 隆司=経済ジャーナリスト)


松崎 隆司(まつざき たかし)
経済ジャーナリスト

中央大学法学部を卒業後、経済誌の出版社に入社。経済誌の記者やM&A専門誌の編集長などを経て1999年独立。
経営論から人事、M&Aなど経済全般について取材を進めている。11月には「知っておきたい昭和の名経営者」(三笠書房)を出版する予定。
主な著書
「会社破綻の現場」(講談社)
「闘う経営者」(実業之日本社)
「商売のしくみとしきたり」(日本実業出版社)


2006年1月27日 NIKKEI BP
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