06/02/08 11:54
最終回 西武グループ再生の舞台裏
2006年1月16日、西武鉄道、コクド、みずほ銀行のコンプライアンス担当部門に対して「建言書」と書かれた文書が送られた。
送り手は「西武の伝統を守る会」。西武の元役員たちが、西武グループの窮状を目の当たりして立ち上げた組織だ。米サーベラス・グループや日興プリンシパル・インベストメンツを引受先とする増資案を柱とする西武グループ再生計画に危機感を抱いている。
これに先立つ1月12日、大手全国紙の1面トップを、サーベラスの関連会社と暴力団に関する疑惑が飾った。
「3月に発足する西武グループの統括会社である『西武ホールディングス』の筆頭株主がこのサーベラス社であり、しかも同社から派遣される取締役の一人が暴力団との関係が指摘されている人物であることは言語同断であるといわざるを得ません」(「建言書」)
「西武の伝統を守る会」は、西武グループ経営陣が進める再建策について、これまでも多くの疑問を提起してきた。サーベラスの報道はこれを確信させるものだったという。
増資の引受先の問題はサーベラスだけではない。日興プリンシパルは、「粉飾まがい決算」の疑惑が取りざたされている
みずほコーポレート銀行は当初、コクドと鉄道、ホテルの統合を構想
金融庁は2004年8月30日、みずほコーポレート銀行に対する金融特別検査に着手した。ターゲットは西武グループだ。
そこでコクドが債務超過となっている可能性が指摘されたため、みずほコーポレート銀行はコクドの債務者区分を正常貸出先から破綻懸念先に変更した。
このときコクドは経営危機に直面していたという。
西武鉄道の幹部によると、「コクドは営業利益段階で100億円近い赤字が出ていた。これを簿価80円程度で持っていた西武鉄道株を売ることで利益を出し、黒字化しようとしていた。
しかし西武鉄道の上場廃止で株が売却できなくなってしまった。主要取引銀行は2年3年ルールで早急に再建案を考える必要に迫られた」。
2年3年ルールは、債務者区分が破綻懸先以下の取引先との取り引きを、銀行がオフバランス化するためのルールだ。銀行は、破綻懸念先となった取引先の再建策をは早急に検討する必要が生じる。
2004年11月、みずほコーポレート銀行などの後押しで西武グループ経営改革委員会が設置され、西武グループの経営の実態が調査された。
このときみずほコーポレート銀行は、「コクドの優良資産を分離し、西武鉄道やプリンスホテルと合併させる。新会社が実施する最大2000億円の増資を引き受ける」という構想をまとめていた。
経営改革委員会委員長を務める太平洋セメント相談役の諸井虔氏はこのとき、みずほコーポレート銀行の案で再建を進めるべく、堤義明氏の了解を得るために奔走したという。
ところが義明氏らは、コクドが保有している西武鉄道の株式を水面下で売却。2005年3月、義明氏は有価証券報告書虚偽記載とインサイダー容疑で逮捕された。
この間隙をつくかのように、経営改革委員会は、みずほコーポレート銀行の意向を強く反映した最終答申を発表した。前述のように、コクドと西武鉄道とプリンスホテルと合併させるとともに、2000億円の増資を行う。
加えて、総額2000億円の資産を売却する。これには、有利子負債圧縮のための総額1000億円の新たな資産売却も含む。これらにより、1兆4000億円ある有利子負債を4000億円削減して1兆円以内とするという。
そして、3社を一体として再生することによりグループの営業力を強化。2004年3月期には、西武鉄道とコクドを合算して約160億円(売上高営業利益率2.2%)だったした営業利益を、2008年3月期には約540億円(7.9%)に引き上げるという。経常利益も、約80億円(1.0%)から約290億円(4.2%)にまで拡大させる。
このとき諸井氏は「義明氏から白紙委任をもらっている」と語っていた。しかし、記者から証拠を求められると、日ごろ温厚な諸井氏が烈火のごとく激怒した。
「確かに義明氏が諸井氏に対して『よろしくお願いします』といった信書を送ったのは事実。だが、白紙委任といった法的拘束力のあるものは何もなかった」(西武鉄道幹部)
後藤社長が再建路線を変更
みずほコーポレート銀行から経営改革委員会の委員として派遣され、さらに西武鉄道の社長に就任した後藤高志氏は、当初は経営改革委員会の提案を受け入れる姿勢を見せていた。
しかし、最終的には持ち株会社方式による独自の再建案を提示した(本連載の第1回を参照)。3社の企業風土があまりにも違うため、合併してもうまくいかないと判断したかからだ。しかも委員会の案は、主要取引銀行間の調整がきちんとついていなかったという。
「主要取引銀行は表面的には一枚岩だったが、実際にはみずほコーポレート銀行以外は出資にも消極的だった。経営改革委員会の案は、結局のところ絵に描いた餅だった」(西武鉄道幹部)
経営改革委員会の案を前提に主要取引銀行に話をしてきた、みずほコーポレート銀行の斎藤宏頭取は、西武鉄道の後藤社長が勝手に改革案を変えたことに激怒したという。
「みずほコーポレート銀行は、コクドなど3社を合併した会社に優先株を発行させて、それを資本に貸付金を回収しようといった話をしていた。これに対して後藤社長は、西武鉄道の立場で再建したいと考えていた」(西武鉄道幹部)
銀行からの出資も、後藤社長の方から断ったのだという。
「西武鉄道の社長に就任するよう後藤氏に最初に要請したのは、みずほコーポレート銀行の斎藤宏頭取だ。その後、後藤氏は、プリンスホテルのメインバンクだったみずほ銀行の杉山清次頭取からも西武グループの建て直しを頼まれた」(西武鉄道幹部)という。この人事の裏には、ある思惑が隠されているという指摘がある。
旧興銀派による旧第一勧銀派の追い落としだ。
みずほフィナンシャルグループは第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が経営統合してできたメガバンク。みずほ銀行は第一勧業銀行出身者、みずほコーポレート銀行は日本興業銀行、そして持ち株会社は富士銀行の出身者が経営トップに突くという棲み分けがこれまであった。
このため、みずほコーポレート銀行に居た第一勧銀出身の後藤氏は、興銀出身の斎藤頭取によって排除されたのではないか、というわけだ。
ミレニアムリテイリング・和田繁明氏による西武グループ再建案
「実はミレニアムリテイリングの和田繁明氏が、義明さんに後藤さんを推薦していた」
取材を進めていく中で関係者の間からこんな証言が飛び出した。和田氏は、西武百貨店とそごうを傘下に持つミレニアムリテイリングの社長。義明氏とはセゾンにいたときから懇意にしていた。
西武鉄道の後藤社長は、そごうと西武百貨店の経営統合のときは、両社を取り持ったみずほコーポレート銀行の事実上の責任者だった。それ以来、和田氏とは懇意な関係にあったという。
ある事情通は「和田さんは、ミレニアムリテイリングと西武グループを経営統合し、野村プリンシパル・ファイナンスに株を持ってもらう再建案を検討していた。野村プリンシパルとミレニアムリテイリングは、ミレニアム誕生時に野村プリンシパルが出資した縁がある。
ところが野村プリンシパルは、ハウステンボス再生のために300億円の資金が必要になった。このため、逆に、ミレニアムリテイリング株を売却する意向を示した。ミレニアムリテイリングは新しい株主を探さなければならなくなった。
最初、イオンに依頼したがだめで、結局セブン&アイホールディングスに株を持ってもらうことになった」と語る。
宙に浮いた形になってしまった西武グループが苦肉の策として考え出したのが、サーベラスや日興プリンシパルを引受先とする増資案なのではないかと言われている。
堤猶二氏はこうした見方に対して「西武グループが進めるスポンサー選定のプロセスは非常に不明瞭だ。安い株価で増資するのも、苦肉の策で増資引受先を選んだからではないだろうか」と感想を漏らす。
いっぽう西武鉄道広報担当者は、「事実無根だ」とこれに反論する。
「今回の再建で和田さんは関係ない。スポンサーは広く公募し、株の評価額よりも再建案の中身で選定した。選定過程では、西武グループ内の銀行出身者はすべて排除した。後藤社長も最終段階でしかかかわっていない。公募には30社ぐらいが集まった。
まず5社を選び、その中から最も提案内容のよいものを選んだ」(関根正裕広報部長)
さらに続けていう。
「30社の中には西武をばら売りするようなものもたくさんあった。サーベラスの提案はずば抜けて優れていて、満場一致で支持された。猶ニ氏の案と大きな開きがあるのは、企業に対する評価の違い。
評価会社によると、コクド株の評価額は100数十億円から500億円、西武鉄道株は600円から800円。サーベラスの評価は、むしろかなり高いものだと思います。
猶ニさんたちの評価は、経営内容を精査しているわけではないから正確なものではない。彼らの案に乗らなかったのは、言われているような金額を出すという確約がもらえなかったからだ」(同)
再建策はすでに動き出している。1600億円の増資は実行された。
暴力団との関係を指摘されているサーベラスから送られた役員は、事実関係を否定しながらも就任辞退を申し入れた。
真っ向から対立する西武グループ経営陣と創業者一族。両者の間にある深い溝はいったい何を意味しているのか。企業再生の必要性を強調する経営陣、株主の権利を主張する創業者一族、果たして西武グループは今後どうなっていくのか。
「西武帝国の興亡~会社は株主のものか」は今回が最終回です。ご愛読、ありがとうございました。
(松崎 隆司=経済ジャーナリスト)
松崎 隆司(まつざき たかし)
経済ジャーナリスト
中央大学法学部を卒業後、経済誌の出版社に入社。経済誌の記者やM&A専門誌の編集長などを経て1999年独立。
経営論から人事、M&Aなど経済全般について取材を進めている。11月には「知っておきたい昭和の名経営者」(三笠書房)を出版する予定。
主な著書
「会社破綻の現場」(講談社)
「闘う経営者」(実業之日本社)
「商売のしくみとしきたり」(日本実業出版社)
2006年2月6日 NIKKEI BP
カテゴリー:人物・伝記