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冠婚葬祭の変遷 9 「イエ」の終わり 

A.まとめ
 文芸批評家、斎藤美奈子さんが書いた岩波新書「冠婚葬祭のひみつ」を読んできた。文学や小説の話ではなく、日本の近代化のなかで冠婚葬祭がどのように考えられ、人々によって、行われてきたか、をかなり的確に論じていると思う。社会学をやってきたぼくとしても、戦前の日本社会をおおもとで支えてきた各種の慣習・制度、規範意識というもののうち、「イエ」と「ムラ」が非常に重要な役割を果たしてきたことは、戦前の農村社会学・家族社会学が中心的に追求してきたことであり、冠婚葬祭が江戸時代以来の習俗をそのつど修正・変形するかたちで、明治民法が示した「イエ」制度は大きな役割を果たしていたことは指摘されていた。
 また、戦後の経済成長時代にもじつは「イエ」的習慣は、発展する企業社会のなかでも、ある意味で効果的に生き残ってきたことも、「イエ社会の人間関係」が日本的経営に貢献してきたのだ、という見解も一時は流行した。しかし、斎藤さんも言うように、それはいろんな無理、とくに女性の人生に大きな矛盾として意識され、21世紀に入ってもう「イエ」的なものの考え方は、衰弱したことは確かだ。しかし、それに代わるものはまだはっきりとは現われていないのかもしれない。

 「私たちは冠婚葬祭についてあまりに知らない。知らないから本をうのみにする。メディアリテラシーのかなり高い人でも、この件に関しては手も足も出なくなる。
 問題は、冠婚葬祭の最重要課題は「しきたり」「作法」なのかということだろう。世の中が安定していたころは、それでよかったかもしれない。が、激動する現代、お作法の先生に全権を委任するには、結婚も死も大きすぎるテーマなのだ。
 本章の冒頭で近代の冠婚葬祭には三つのエポックメーキングな時期があったと述べた。それを冠婚葬祭の担い手別に改めて整理して考えてみると、このような区分が見えてくる。
 ①家(血縁)+地域共同体(地縁)(1900年代以降)
 ②家(血縁)+企業共同体(社縁)(1960年代以降)
 ③個人+家族(狭い範囲の血縁)(1990年代以降)
 ②から③への流れを決定づけたのは、少子高齢化社会の到来だった。戦後になっても人々の内面を縛りつづけた「家意識」は、ここへきてさすがに寿命が尽きたのだ。
 冠婚葬祭に地殻変動が起こった時期は、はからずも、親王(現秋篠宮)と川島紀子氏の婚儀(1990年6月29日)、皇太子親王と小和田雅子氏の婚儀(1993年6月9日)の時期と重なっている。
 大正天皇の結婚が一夫一婦制の広告塔となり、昭和天皇の結婚が優生思想を学習させ、現天皇の結婚が戦後民主主義のイメージリーダーだったのに比べると、彼らが与えた影響はさほどではなかったかもしれない。が、平成のロイヤルウェディングも平成の結婚事情を映し出してはいるのである。弟が兄より先に結婚し、結婚相手は大学の後輩。兄は33歳まで独身で、結婚相手は外務省勤務のキャリア女性。末妹が36歳までシングルだったことも含め、「家」から「個」へと力点が移っていることが、そこには見てとれる。
 ただし、そうなると男系男子相続にこだわる現行の皇室典範が、人々に与えている心理的影響は見逃せないだろう。いかに「われわれとはちがう」といったところで、皇室典範は明治民法の「家制度」をあきらかに踏襲している。人々は天皇家の結婚に家族のモデルを見てきた。だとすれば、皇室典範が男系男子の継承にこだわっている限り、「家意識」から人々が完全に抜け出すのはむずかしいのではないか。
 高度成長期が「多婚少死」の時代だったとすれば、現代は「少婚多死」の時代である。このまま行けば、高齢者だけの世帯、非婚や離婚による単身世界はますます増加し、血縁に頼らない「個人」単位の相互扶助が否応なしに必要になるだろう。
 現在でもすでに、社会学者の落合恵美子らがいう「双系制」社会ははじまっている。双系制とは、男系男子で財産や祭祀を継承してきた「父系制」にかわり、夫婦ともに両方の親をみるようなシステムのこと。一人っ子同士で結婚した場合、二人で四人の親をみなければならない。「嫁にやった」「嫁にもらった」なぞといってる場合じゃないのである。
 現在もなお、結婚で改製するのは95%以上が女性である。しかし、彼女らの中には「名を捨てて実を取る」、すなわち名字だけは夫に譲って、結婚後も実家と緊密な関係を保ったままの妻が少なくない。おもしろいことに、1980年代までのシンプルな核家族の時代以上に、親世帯と子世帯のつき合いは深くなっている。
 いちばんの理由は、共働き世帯の増加である。「おばあちゃん」に子育ての応援を頼まなければ共働きができない家庭が増えているのだ。父親の育児参加ならぬ祖母の育児参加! 仕事をもった母親への支援体制が整っていない(そして父親の育児参加がしにくい)状況のせいとはいえ、三つの家庭(子育て中の夫婦および双方の実家)の関係はけっこう微妙だ。祖母の育児参加を脱却した後に待っているのが、今度は親の介護である。
 それが冠婚葬祭とどう関係するのかって?関係するに決まっているじゃないですか。盆暮れにどっちの実家に帰省するか。それが現実の冠婚葬祭なんだから。
 結婚離れ、結婚難の先にあるもの
現実に立ち戻って、現在の結婚と葬儀を考え直してみよう。
 結婚に関していえば、結婚式以前に、現在進行しているのは、晩婚化・非婚化を含む「結婚離れ」と呼ぶべき事態だろう。2000年の独身率は、男性25~29歳で69.5%、30~34歳では42.9%。一方、女性25~29歳では54.0%、30~34歳で26.4%となっている。生涯独身率(学問上は「生涯未婚率」といい、50歳時の未婚率をさす)は男性で12.4%、女性で5.8%である。
 人は必ず結婚しなければならぬものではないものの、「結婚離れ」はなぜ起きたのか、その理由くらいは考えてみてもいいだろう。
 社会学者の山田昌弘は、結婚しない(できない)層の中心は、父親や本人に経済力のある女性と、経済力のない男性であると指摘した(『結婚の社会学』)。
 心理学者の小倉千加子は、結婚を、生活のために結婚する低学歴層(生存結婚)、今の自由を手放したくない高学歴層(保存結婚)、賃仕事は夫にさせて自分は上澄みを吸って生きていきたい短大卒クラスの中学歴層(依存結婚)に分け、現在の晩婚化は中学歴層の「依存結婚」が不可能になったからだと看破した(『結婚の条件』)。
 格差問題で一躍有名になった三浦展は、「下流社会」の到来が原因だと述べている。高度成長期から急増した恋愛結婚は「一億総中流社会」だったから実現した。階層化が進めば自由恋愛は困難になり、それが結婚離れを加速させたというのである(『下流社会』)。
いずれにしても、彼らが示唆するのは、現代の結婚離れは「結婚忌避」ではなく「結婚難」だということである。各種アンケート調査から浮かび上がるのは「結婚はしたいが、適当な相手がいない」という消極的な未婚者の姿である。
 彼らに「結婚忌避」の気分はないかもしれない。だが、「近代の結婚」を構成してきた要素が魅力やメリットを失っているのも事実だろう。
 一夫一婦制(婚外セックスの禁止)、婚姻届けの提出(片方の改姓が必要な法律婚)、残存する家意識(妻が夫の家に「嫁」に入る)。同居の強制(生活が変わる)、姻戚関係(互いの家族とのつきあい)、性別役割分業(夫が一家の経済を支え、妻が家事育児の一切を担当する)、恋愛結婚至上主義(結婚は恋愛の結果でなければならないという呪縛)。重い。重すぎる。それなら今のほうが楽でいいや、と。
 恋人同士が結婚に踏み切る動機は、だから現実的なのが多い。わかりやすいのが「できちゃった婚」である。現在の日本では、法律婚をするカップルの四組に一組が「でき婚」だ。ことに女性が拾大の場合は81%、20~24歳では58%が「でき婚」である(「第12回出生動向基本調査」2003年)。ブライダル業界ではこれを「おめでた婚」と呼んでいる。一方では十代の妊娠中絶率も上がっている以上、軽々にはいえないが、かつての「でき婚」について回った後ろめたさやふしだら感がかなり払拭されたのは事実である。ただ、女性が十代で結婚した場合の離婚率は58.4%、20~24歳の離婚率は42.5%である(厚生労働省「人口動態統計」2003年)。「でき婚」の二人に一人は離婚する。恐ろしい統計である。結婚にしがみつく理由も、すでに失われているのだ。
 私はこの先、結婚の二極化がますます進むように思う。子どもなしの事実婚を選ぶ高学歴・高所得層と、若年の「でき婚(のち離婚」に流れる低学歴・低所得層と。
 一方、目を転じれば、少子高齢化社会は多死社会。以後40年間は多死社会が続くといわれている。葬儀の目下の流行は「自分らしいお葬式や墓を」という模索である。が、「自分らしさ」は些末な問題。多死社会に備え、むしろ必要なのは葬式と祭祀の見直しだろう。高齢者だけの単身世帯が増え、親の葬儀を支える子どもの数が減っているのに加え、この先、経済格差がさらに広がったら、葬儀を出すこと自体が困難な層が増えることが予想される。
 今問題になっている晩婚化・非婚化は、主として少子化問題とのかねあいだ。だが、しばらくしたら「独身の高齢者問題」が浮上するにちがいない。
 また、墓に関しては環境問題も大きい。せっかく建てた墓も、二、三代で無縁墓となる現在、問題になっているのは墓石のゆくえだ。年間、約30万基の新しい墓が建てられ、建て替えに際して約10万基の不要になった墓石が出るともいわれる現在。その処理はどうするのか。
 ポスト墓の救世主のようにいわれる散骨も、過渡的な葬送法ではないかと私は思っている。自然に帰す。墓に固執しない。それはインテリ好みの葬送である。しかし、海や山に粉にした骨を撒いたところで、環境問題とのかねあいは必ず出てくる。
 この先、日本の冠婚葬祭は、どこへ向かうのだろうか。
 どこへ向かうにしても、冠婚葬祭がこれまで通りの「しきたり」や「作法」ですむ問題ではなくなってきたのは事実だろう。冠婚葬祭マニュアルはマニュアルの使命として「型」の伝授に努めてきた。しかし、これまで見てきたように、「型」は時代の要請に合わせて変幻自在に姿かたちを変えてきたのである。
 冠婚葬祭は一面では「結婚」や「死」という人生の重大な局面に隣接した事態だが、一面ではビジネスでありファッションだ。神前結婚式が発明され、近代的な火葬が普及してからすでに百年。現代の冠婚葬祭は、当時の大変革にも負けないほど、おもしろいことになっている。マニュアルに頼る時代から、自分で自分の行動規範を決める時代へと、このジャンルも確実に変化しているのだ。」斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書、2006年.pp.92-98.

 この本は、2006年に刊行されている。ここで指摘されている冠婚葬祭、とくに結婚式と葬式のやり方は、この本が出た時点からさらにかなり変わってきている。したがって、ある意味で塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』の時代はもう終わったように、この『冠婚葬祭のひみつ』も役割は終えつつあり、岩波新書は再版されていない。時代の移り変わりは、ますます速度を速めている。


B.敗戦国の77年
 日本が戦争に負けて、連合国の占領を経験したことは、日本人にとってどんな意味があったか?簡単には答えは出ない。占領時代から、「不幸な戦争」について多くの人たちが反省を込めて語ってきたことも多様化した。しかし、いまこの国の政治を握っている「保守派」の政治家たちは、どうやら「あの戦争」は、東京裁判で悪しき軍国主義者のやった人類への犯罪、という見方は間違っている、そして憲法を改正して、強力な軍隊を自由に動かせる国にしたいと考えているようだ。それは言い換えれば、戦前の大日本帝国に戻そうという復古的な色彩を帯びることは避けられない。戦後のすべてを、ある意味で敗戦で強要された虚偽の国家として見ていくのは、実際に戦争の時代を体験している人たちには、やはり歴史を知らない、過去を歪曲した修正主義にみえるだろう。でも戦争を体験した人たちは、まもなくいなくなる。
 ウクライナで現に戦われている戦争を見るにつけ、いまこそ戦争について改めて考えることが必要だと思う。

 「政治季評:敗戦国に生きる意味 戦争への悔恨をかみしめて 重田 園江
 戦争に負けることは特別な経験だ。五木寛之氏は8月12日の朝日新聞への寄稿で「私にとって本当の戦争は、あの夏から始まった」と書いている。1945年の夏のことだ。これは平壌の中学校に通っていた五木氏が、国から見捨てられた末の自力での引き揚げを回顧しての弁だ。敗者にとっては、戦争が終わったときに本当の戦争が始まるのだ。
 戦争中は勅語の暗唱、軍国主義に染まった教師である父親の存在などによって、戦地に行って10代で死のうと考えていたそうだ。神国日本のための自己犠牲という価値観が洗脳であり欺瞞であることは、大陸に渡った人々を無残に見捨てた国の態度によって五木氏の脳裏に刻まれた。
 ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」にも、敗戦後に軍需物資を横流しして大もうけする元軍人や役人たちの横暴に、餓死寸前で闇市に頼るしかない人々の怒りが向けられたと書かれている。こうして敗戦によって政府や上層部の化けの皮がはがれたのだ。もし勝っていたら、皆ずっとだまされたままだっただろう。
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 第2次大戦の敗戦国として、ドイツと日本は国際軍事法廷で裁かれた。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という罪名で、戦争犯罪を世界平和と正義の観点から裁くという前代未聞の裁判には、当時から批判も多かった。それでもニュルンベルクと東京で、ドイツと日本は負けた上に不正義を行ったという判決が出された。国際軍事法廷を通じて国家として戦争責任を負わされた国は、いまだにこの2国だけである。
 ドイツはその後、4カ国に分割統治された。また、東西ヨーロッパの中間に位置するため、戦後すぐに冷戦の最前線となった。これに対して日本では、朝鮮戦争前の数年間、一から国を作り直そうとするある種の理想主義が支配した。占領当局と日本の人々が自由と民主主義の夢を共有した時期があったということだ。ダワーはこれを、日本人が「敗北を抱きしめ」た時代であると表現した。日本国憲法はこのとき作られた。終戦後のこの数年間は、日本にとって重要かつ特異な時代だと言える。では「敗北を抱きしめる」とはいったいどのような経験なのだろう。
 人々は日本国憲法を押しつけと感じたのか。誰に戦争の責任があると考えられたのか。天皇の戦争責任が問われず、裕仁が退位しなかったことはどう受け止められたのか。食糧不足と飢餓は誰のせいだと思われたのか。支配層の変わり身はどう風刺されたのか。GHQによる検閲を、教師や生徒はどう受け止めたのか。そして何より、日本軍と日本人が戦時中に行った残虐行為について、どうやって見ないふりをしたのか。
 敗北を抱きしめることの中には、平和と民主主義を自分たちのものにするという誓いも含まれていた。民主主義は希望で、二度と戦争をしないことは未来への約束だった。それを押しつけたアメリカの方針転換で、数年後にはこの理想は、冷戦イデオロギーによって踏みにじられたが。
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 ひるがえって、ロシアはどうだろう。ロシアを代表する作家シーシキンは、次のような見方をしている。ロシアは戦後も脱スターリン化されず、ソ連共産党の支配にはニュルンベルクのような裁きもなかった。これがプーチンを生んだ。たしかに驚くべきことに、ソ連時代の数々の残虐行為について、ロシア政府は精査も謝罪もしていない。
 とりわけスターリン時代から戦後に至る、虐殺や強制移住、収容所での拷問や強制労働などの実態は、今も不明なままである。これらを実行するうえで大きな役割を担った、諜報機関や特殊部隊がプーチンを生んだ。ロシアでは今も諜報活動が盛んで、暗殺が頻発し、正規軍とは異なる武装組織が暗躍している。
 過去の戦争について反省も謝罪もしない国がもう一つある。アメリカだ。ベトナムでの枯葉剤散布も、チリのピノチェト独裁支持も、イラクの大量破壊兵器の誤認も、日本の原爆も、一度も謝罪していない。
 ロシアは日露戦争の敗北を、ツアーリ時代のこととして記憶から抹消したようだ。アメリカはベトナム戦争を、遠い異国で起こした間違いとして片づけてしまったのだろう。
 日本はこれらの国とは違う。戦争に負けたことを認めさせられ、国際法廷で裁かれた。それまで皇国の臣民として扱われていた人たちが、一夜にして棄民に変わった。上層部や特権層の多くはうまく立ち回り、戦後の混乱に乗じて私腹を肥やした。これを目にした人々は考えを変え、権威は地に堕ちた。人々は敗北を抱きしめるしかなかったのだ。
 この経験は、負けを知らず、負けを認めず、軍事大国を降りることができない国々の傲慢さより、よほど貴重だ。戦争の記憶が敗北と結びつき、後ろめたさと悔恨を呼び起こすこと。これは、敗れた国に生きる者にしか抱けない心情なのだ。目下、憲法改正や軍事費増強について威勢のいい議論が盛んだ。それらに乗っかる前に、敗戦国の経験をもう一度抱きしめること、負けたことで生まれた憲法の意味を振り返ること。これが、暑い暑い8月に、私たちに課されているいることのように思われる。」朝日新聞2022年8月23日朝刊11面オピニオン欄、耕論。

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