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男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

群馬県の甘利さん

2021年03月31日 | この名字のルーツは?
甘利氏は、甲斐武田氏の始祖信義の長男一条忠頼の末孫と云われる。家紋は花菱ですが、群馬県の甘利さんは丸に松川菱紋が多い。同じ菱紋系である。
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群馬県の阿部氏ルーツ

2021年03月30日 | この名字のルーツは?
丸に木瓜(もっこう)紋の阿部氏は藤原氏道兼流。
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群馬県の新井氏ルーツ

2021年03月29日 | この名字のルーツは?
新井氏は埼玉県と群馬県に多いが、群馬県の新井氏は圧倒的に新田源氏流が多く、家紋は、丸に違い鷹、丸に五三の桐、丸に抱き沢瀉、丸に田字草、丸に蔦、丸に蔦、丸に根笹、丸に二引き、丸に抱き茗荷等さまざま。藤原秀郷流は丸に木瓜、左三つ巴等。武蔵七党丹党は丸に三つ柏。桓武平氏流は七曜に袋。菅原氏流は丸に梅鉢。
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松本市奈川黒川渡の古幡氏調査

2020年07月06日 | この名字のルーツは?
古幡氏は長野県下では安曇野市穂高牧と穂高に最も集住している(家紋は橘紋)が、松本市内は松本市奈川黒川渡に最も集住していました。行ってみたら山に囲まれた辺ぴな地域に古幡氏が何軒もありました。
ここの古幡氏は家紋が剣片喰と笹竜胆の二種類でした。笹竜胆は源氏ゆかりの家紋と言われますので、見た瞬間、予想外な感じがしました。奈川村誌の中に、嘉永二年(1849年)の文書によれば、江戸後期の奈川村庄屋の古幡彦一郎は、もとは永嶋姓で家紋も永の文字紋だった。文久元年の文書では古幡姓になっていて、家紋も笹竜胆に替えたという。
調査家系は丸に剣片喰紋。奈川の半分くらいはこの家紋と同じでした。木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏も丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重(ふるはたほうきのかみいえしげ)は通称孫兵衞または孫助といい、木曽家村の三子黒川三郎家景の後裔と伝える。この系は明治時代に後継ぎがなく断絶。しかし同家から奈川村に出た古畑(古幡)氏もある。片喰系の家紋が一致することから調査家系のルーツはここと思われます。木曽氏流黒川氏の流れか?現木曽郡木曽町に古幡(古畑)氏が集住している。
ところで木曽氏(清和源氏)の家紋は笹竜胆です。奈川村のもう一つの古幡氏、永嶋氏から改姓し庄屋古幡氏も笹竜胆であることから木曽氏との関りがあり、古幡氏と一緒に移住した可能性もある。ちなみに現在も永嶋姓が多い地域は木曽郡木祖村でした。
以上のことから、当古幡氏は清和源氏義賢流木曽氏、義仲の八世孫家景が古幡(古畑)を名乗った系、のちの古幡伯耆守の後裔の可能性が大きい。奈川の「黒川渡」の地名だが、木曽にも同じ「木曽郡木曽町新開黒川渡」の地名がありました。奈川黒川渡の地名は土地が似ていることから木曽の黒川渡と同じ地名を付けたかもしれません。
様々な一致点はルーツであることを物語っています。一軒一軒まわってみれば伝承が残っているかも知れませんが、村誌には反映されないことも多い。系譜学上の新しい発見になるかも知れません。
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長野県フルハタ氏調査

2020年07月05日 | この名字のルーツは?
写真は降旗神社。場所は古幡郷と呼ばれていた松本市梓川上野。滋野氏の一族西牧氏のもとで古幡氏は管理(古幡牧)を任されていた。
フルハタさんは、古幡のほか、古畑、古畠、古旗、古籏、振旗、降旗、降籏といろいろ。ルーツは同じかと思ったら単純ではありませんでした。
平重衡の処刑後に遺児の重度が鎌倉幕府から逃れ、信濃国に勢力をもっていた仁科氏を頼って現在の安曇野市明科東川手名九鬼に落ち延び、そこで名を降旗氏に改め隠れ住んでいたという。
また同じ降旗氏でも、清和源氏木曽氏族流を名乗る系もあった。岡谷市の降旗氏、木曽地方の古畑氏は鷹の羽紋も多い。
また、木曽福島町で庄屋を務めた古畑氏は丸に片喰紋。古畑(古幡)伯耆守家重は通称孫兵衞または孫助といい、木曽家村の三子黒川三郎家景の後裔と伝える。
安曇野市穂高牧及び穂高の古幡氏は橘紋。松本市奈川の古幡氏は丸に剣片喰紋と笹竜胆紋。
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石川県岡田家ルーツ

2020年07月04日 | この名字のルーツは?
石川県能登町の岡田氏調査、家紋は蔦でした。
清和源氏義光流
源 義光の子・親義(ちかよし)は、保元元年(1156)に平野神社領(のちに岩清水八幡宮領)であった信濃国筑摩郡岡田郷(長野県松本市岡田町)の浅間神社領の荘官として下向し、岡田冠者を称した。
また「武田系図」には佐竹正義の子・親義が、信濃国筑摩郡岡田郷を領して岡田氏を名乗ったとある。
寿永2年(1183)の越中国志保山合戦で、木曽義仲に従っていた親義は平 知度(たいら の とものり)を打ち取り、同族の岡田久義(義の次男)は平 為盛(たいら の ためもり)と組打ちをしている。
「武田系図」「尊卑分脈」                    諸説あり
〇源 義光-義業-佐竹昌義-岡田親義(冠者)-重義
〇源 義光-岡田冠者親義-重義・久義

清和源氏満政流
山田重親の次男・泰親が、尾張国知多郡岡田(愛知県知多市岡田町)を領して岡田氏を称した。
別資料では、重賢の子重篤は山田を改めて岡田与七郎を名乗り、以後岡田氏を称した。また重政が尾張国知多郡岡田村に住して、岡田与二郎を称したという説もある)ともある。
重政が斯波氏に仕え、善同が徳川家康の旗本で5千石。

「寛政重修諸家譜」 〇山田重親-岡田泰親…重政-重章-重賢
-岡田重篤-重頼-重善-直孝・善同-善政
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古幡姓

2020年06月29日 | この名字のルーツは?
近々、家系調査をする古幡姓。古幡のほか、古畑、古畠、古旗、古籏、振旗、降旗、降籏とフルハタさんは多いがもともとは同じでしょう。田村正和さん主演のテレビドラマ『古畑任三郎』警部補は長野県東筑摩郡本城村出身という設定で実在した地名ですが、今は合併して筑北村(ちくほくむら)になっています。フルハタさんは全国では長野県が一番多く、続いて東京都、茨城県、神奈川県、千葉県となっています。
ルーツは信濃国古幡牧(古幡郷)発祥。古幡氏は戦国時代の武将に古幡伯耆・降旗三郎右衛門。古幡郷の牧を支配した一族。藤原氏良門流上杉氏族。家紋はさまざまであるが代表的家紋は丸に揚羽蝶という。
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珍しい名字 静岡県

2020年06月22日 | この名字のルーツは?
紅林
紅林姓は(名字)は全国4,200人。約2,500人いる静岡県が一番多い。
「くればやし、くりばやし、こうばやし、こうりん、べにばやし、べにもり」。
静岡県牧之原市に戦国時代、東京都千代田区千代田が政庁の江戸幕府の幕臣に江戸時代に確認できる名字。静岡県島田市向谷では戦国時代・安土桃山時代・江戸時代の武将の徳川家康が同地の西にある大井川を渡る際に助けて賜ったと伝える。静岡県島田市切山、静岡県牧之原市大江に分布。

進士
飛鳥時代以降の律令制で儀式を管轄した式部省の試験合格者を意味する進士シンシからきている。神奈川県鎌倉市雪ノ下・小町が政庁の鎌倉幕府の幕臣に鎌倉時代、京都府京都市上京区御所八幡町付近が政庁の室町幕府の幕臣に室町時代、神奈川県小田原市城内が藩庁の小田原藩士に江戸時代に確認できる。静岡県下田市吉佐美が本拠。三重県三重郡菰野町川北が本拠。同地では「神士」と表記していたと伝える。推定では江戸時代。神士は現存するか不明。

小粥
静岡県浜松市中区曳馬では静岡県浜松市北区三方原町で1573年1月(元亀3年12月)にあった三方ヶ原の戦い後に落ち延びてきた戦国時代・安土桃山時代・江戸時代の武将である徳川家康に粥を出して賜ったと伝える。愛知県愛西市立田町では平安時代の武将の源義朝が1160年1月から1160年4月(平治元年12月から永暦元年3月)の平治の乱により落ち延びてきた際に捧げた粥からと伝える。京都府宮津市鶴賀が藩庁の宮津藩士に江戸時代にあった。
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珍しい名字 長野県

2020年06月19日 | この名字のルーツは?
降旗
松本にはフルハタさんが多い。降旗は古畑の異形。長野県松本市丸の内が藩庁の松本藩士。今調べている人は古幡さん。「えっ~古畑です~」任三郎さんより。


全国約800人。「もたい、かめ、おう、よう、つるべ」。信濃国佐久郡茂田井村発祥。安曇野にも。茂田井の異形。「母袋」は山形県に多い。

室賀
長野県上田市上室賀・下室賀発祥。

両角
「もろずみ」。長野県茅野市の大泉山・小泉山から発祥。同地で鎌倉時代に戦いがあった際に戦功により賜ったと伝える。「両泉」が原義。両泉はモロイズミ。長野県茅野市北山柏原が本拠。長野県茅野市豊平塩之目では木田姓から改姓して当初は「諸角」と表記していたと伝える。時代不詳。。長野県諏訪市高島が藩庁の諏訪藩士、長野県伊那市高遠町東高遠が藩庁の高遠藩士、長野県上田市二の丸が藩庁の信濃上田藩士、長野県長野市松代町松代が藩庁の松代藩士に江戸時代にあった。
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珍しい名字 山梨県

2020年06月18日 | この名字のルーツは?
薬袋
薬袋の読み方は「みない、みなえ」。「御薬袋」も同じ。全国約1,500人。
現在は山梨県に一番多く見られ約560人。他に東京、神奈川、北海道、静岡。
甲斐国巨摩郡薬袋村発祥(山梨県南巨摩郡早川町薬袋)
武田信玄に仕えた「永田徳本」という医者は「医聖」の異名も持つほど非常に優秀な医者であったため、「永田徳本がいれば薬はいらない 。 薬袋は見ない」という云われで、同氏が滞在した場所に薬袋という地名が付けられたと言われています。

小俣
下野の足利荘小俣村(栃木県足利市小俣町)発祥。清和源氏のひとつ河内源氏の名門 源義国を祖とする足利氏の支族の一つ。足利泰氏の子の小俣賢宝を祖とする。

加賀美
清和源氏の武田氏流で遠光(とうみつ)が甲斐国巨摩郡加賀美郷を領した。代表家紋は松皮菱紋。加賀美から派生した名字に「秋山」「小笠原」「南部」などがある。

輿水
「こしみず」小清水の異形。山梨県北杜市須玉町江草では同地を1596年から1615年(慶長年間)に開発した清水氏の子が「小清水」、「輿水」と称したと伝える。
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