オタクはともかく手を挙げて
習作エッセイ5月18日「オタクはともかく手を挙げて」
僕は、全国のオタク君、オタクちゃんこそ、学級委員長決めとかで手を挙げてみるべきだと思う。
手を挙げてしまう性分だった。目立ちたがり屋だったと言えばその通りだ。僕が一番嫌いなのは、「だれも手を挙げずに様子見の時間が続く」ことだった。高校のときなんかは、それが30分くらい続くこともある。学級委員長やその他クラス委員を決める時、もしくはなにかの犯人捜しや関係者を探しているとき。大抵は無関係を決め込んでしまう。僕はまだ知らないが、大人の世界でもそうかもしれない。
僕はこの「だれも手を挙げずに様子見をしている状態」がとにかく嫌いで、全然陰キャだし、友達も陰キャグループだし、間違ってもみんなのリーダーではないのに、学級委員長決めのとき、手を挙げてしまうことがよくあった。受験を間近に控えた高校3年の二学期の学級委員長も、僕しか手を挙げなかったので僕になった。よくよく考えると、もう内申点とははほぼ決定しているし、全然一般受験組だったから、アホなことをしたもんだ。
しかし、その時の僕にとっては、とにかくその日も帰って塾でちゃんと勉強することの方が大事だった。頭良さそうに見えて全然アホである。
しかし、この手を挙げる癖をつけておくことは便利だったな、と思う。待つのが苦手な性分の人はいっぱいいるだろう。例えば、行列に並ぶのがいやだったから行きたかったラーメン屋を避けてさびれた町中華で昼飯を食うみたいなことをしたことある人もいるだろう。
僕は、せっかちで待つのが嫌いで、しかしボーっとしているオタク君こそ、いろいろな役職決めで手を挙げてみるべきだと思う。それで、そこから人間関係がうまくいって友達も増えて、彼氏彼女もできて・・・みたいな楽しいことは、おそらくないし、むしろ場違いな空気のなか、「なんであの時手を挙げちゃったんだろ・・・」とか後悔する確率のほうが、100倍くらい高い。
しかし、「得をする、損をする」といった観点で、「オタク君が手を挙げてみる」ことをお勧めしているのではないし、むろん「それまでの自分を変えてみろよ!!ともかく行動だ!!」みたいな、僕らの大嫌いな自己啓発のノリでもない。
僕がオタクくん、オタクちゃんたちに手を挙げてみることを勧めるのは、とても残酷だが、僕らオタクが「世の中は他人たちの思惑で動いている」ということを少しでも知っておくことが大切だと思う。むろん、教室内での地位の低い僕らは、学級委員長に繰り上げでなったとして、なにもうまくいかないと思うが、うまくいかなくていいじゃないか。
今日、僕は酒に酔っていてうまく話ができないが、僕は、さえないオタクくんが教室でバチボコにうまくいかない方がいいと思っている。だって、どうぜ僕らはうまくいくと勘違いして調子にのるバカなんだから。
話がまとまらない。でも、一度手を挙げてみるのは悪いことじゃないと思うよ。
2025/05/18


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