ガリガリガリ、とトニトルスが床を擦る音が鳴る。コツン、コツン、と靴音が響いた。
のそり、と巨体が蠢く音が聞こえる。ズリ、ズリ、とバケモノが迫る音が耳へ届いた。
私はこちらに迫る、小柄個体のアメンドーズを観察しながら、自分の認識の間違いに気づいた。
こいつを通常の上位者、記憶にあるアメンドーズと同じように考えてはいけない。
確かに私が戦ったアメンドーズはこいつよりも遙かに巨大だ。攻撃も重く、一撃で殺される危険もあり、腕の一振りで意識もなく殺される。
でも、目の前のアメンドーズはそれよりも小さい。
腕の範囲も違い、足の大きさも違う。重さも違う。
攻撃は速く軽い。間合いは狭い。
だが、これはアメンドーズ同士で比べた話だ。
こいつはあくまでも上位者、人間を超えた存在。
私が受けたあの一撃すら、通常の人間なら肩を砕かれ内臓へ重度の痛手を負っていただろう。当たり所が悪ければ一撃死。
攻撃の強さそのものは、我々狩人の常識にある腕力の埒外。
つまり、油断などできるはずがなかったんだ。
下手すれば時計塔のマリアと戦うよりも厄介かもしれない。
でも、私は冷静だった。冷静にアメンドーズと対峙していた。
こいつの強さは、上位者としての攻撃力と小柄な体躯であるが故の速さ。特異な能力である体液巻き散らし、光線の類いを使えること。
少し違うが、こいつのような体躯で、私が最も手強いと思った敵がいる。
「お前は、ガスコインのような奴だな」
脳裏によぎるのは、私が最も手こずり、今なお記憶に残る強さを持った狩人。
ガスコイン神父。
自分の妻と娘たちを守らんと戦い、獣に墜ちた狩人。
初見のときはあまりの強さに瞬殺され、そこから何度殺され狩人の夢に戻ったことか。
何十回と挑み、諦めて心折れたこと両手の指で数えきれず。
ようやくガスコインを狩ったとき、私は狩人になれたと自覚した。
あれと同じだ。
狩人と同じ速さで動きながら、狩人を超えた攻撃力と耐久性で襲いかかってくる、まさしくバケモノ。
あのときと違って、私には一つだけ有利な点がある。
それは、アメンドーズは人の業(わざ)を使わない。
ガスコインは初期の段階も、獣に墜ちた段階でも、人の業(わざ)を操った。仕掛け武器と銃、爪や体術。
人を超えた存在が人の業(わざ)を使うことの、なんと絶望的なことか。
しかしアメンドーズにそれはない。腕をぶん回し、光線と体液を吐く。
それだけだ。
私の中のアメンドーズへの認識を修正し、戦うのみ。
それが、7秒だ。
手応えでわかる。トニトルスの雷撃と殴打を駆使すれば、雷光持続時間7秒で狩れる。
こいつは巨大なアメンドーズよりも、耐久性はない。
逆に、7秒以上かかるようなら、私は死ぬだろう。
いつも通りだ。いつもの狩りと、変わらない。
ガリガリ、とトニトルスを床に擦って雷光を生む。
のそり、とアメンドーズがこちらに迫る。
間合いに、入った。
ガリっ! とトニトルスを強く地面にこすりつけて振り上げ、一際強い雷光を生み出して踏み込む。
ドン、とその場で踏ん張って腕を振り回すアメンドーズ。
1秒目。
アメンドーズの左腕三本が私の脇腹を横切る。獣のような爪が、私の体を深く切り裂いた。
飛び散る血しぶきの中で、トニトルスの一撃が振り切られたアメンドーズの腕三本の肘部分にまとめて叩きつけられた。
私とアメンドーズの血しぶきが舞う。同時に、私の体の傷と服の破損が修復された。
リゲイン。
狩人は傷を負っても、すぐに相手を殴り返して興奮すれば、精神の奮起よって傷は治るし服の破損も直る。
原理はわからない。だが、そんなもんだ。狩人ってのは。
相手の血しぶきを浴び血の匂いにえづき、なお興奮する自分を否定しない。
アメンドーズの左腕三本は肘への一撃と同時に雷撃で焼くことで破壊。
2秒目。
右腕の突き出しを繰り出したアメンドーズのそれを、首を傾けることで躱す。しかし、頬を深く切り裂きその下の歯と歯茎を露出させ大量の血を失う。
下から振り上げるような一撃を、奴の脇へと見舞う。トニトルスを握る腕から伝わる、体を破壊した感触。再び血しぶきにより、私の頬は修復された。
3秒目。
破壊した右脇と左腕ではあったが、アメンドーズは構わず左腕の突き出し。今度は躱しきれず、私の銃を握る左肩口に命中。肩の骨が砕ける音が、脳髄に響く。衝撃で吹き飛ばされるのをこらえ、体を捻って力を溜める。
4秒目。
アメンドーズの顔に、体液が滲む。最初の一撃で漏出させた体液とは違う、私の体を蝕む猛毒の体液だ。
これを撒き散らそうとした瞬間、力を溜めたトニトルスの重撃がアメンドーズの脳天に直撃、一際強い出血を見舞った。骨折を含めた体の傷は、完全に修復された。
5秒目。
アメンドーズは衝撃で動けず硬直中。私も渾身の力を込めた一撃のため、咄嗟の行動ができない。
だから、治った左肩を動かして短銃をアメンドーズの顔面に向けて発砲。大きく仰け反る形でアメンドーズは後ろへと下がった。
6秒目。
私は再び体を捻って力をトニトルスに込め、アメンドーズはのけぞりから立ち直る。
最後の一秒の攻防が、始まる。
6秒と7秒の間。
私のトニトルスによる脳天への一撃と、アメンドーズの両手挟みが同時に着弾。
アメンドーズの網目状の顔面は破壊されて、私は両肩を破壊される。ギリギリでリゲインが間に合うものの、全快とは言えない。
7秒目。
トニトルスの雷光が消えた。チリ、という最後の雷光音と共に、トニトルスはただの鎚に戻った。
そして、アメンドーズの顔面と左腕三本、右脇腹を完全破壊。
血を垂らし、アメンドーズは前のめりに倒れる気配を出した。
終わった――と思った瞬間、アメンドーズの顔面が輝き出す。
7秒と8秒の間で、私は悟る。
アメンドーズを仕留めきれなかった! と。
同時に思い出す。アメンドーズは確かに炎、雷、神秘に弱い。さらにこのアメンドーズの生命力はそんなに強くない、今までの連撃で仕留められるほどに。
ただし、私の持つトニトルスが「重打」傾向の武器でなければ、だ。
アメンドーズはどちらかというと、刺突傾向の武器の方が有効だ。同時に高い打点への攻撃ができるノコギリ鉈の変形状態など、こいつの顔面破壊に適していると思ってるほどに。殺るならば教会の杭を持ち出すべきだったか!
有効属性による攻撃であろうとも、非適正傾向の武器で戦った。それが、私のミス。
8秒直前。
アメンドーズの光線が、私に向けて放たれようとしている。
普段であれば死んでも夢として復活できるし、生きてさえいれば輸血液で回復もできただろう。
だが、ここでは輸血液をポンポン使うわけにもいかず、しかも私のリゲインによる回復は完全ではない。この光線を浴びた瞬間、即死するだろうと確信した。
いや、これで良かったのかもしれない。
私がおかしくなる前に、こいつに痛手を負わせて死ねるのだから。
このアークで、輝く太陽の下で、狂い果てた私という災害が解き放たれずに済む。
すまない、指揮官。私は君の願いを叶えたかった。
あの地上を、人の手に取り戻してあげたかった。
君が大切に思うニケたちの力になってあげたかった。
ここで死ぬ私を、許してくれ。
「死ねバケモノぉおぉぉおおお!!」
ガゴン!
と、凄まじい衝突音と共に、アメンドーズの顔面が横に大きく吹き飛ばされる。余波で光線が天井へと放たれた。光線は天井を貫き、上の階すら貫通して、外にまで至る。
なんだ、何が、起こった。極限まで圧縮された時間の中、私は見た。
ドバンが、ローゲリウスの車輪を持って、アメンドーズの顔面を奴の後ろからぶっ叩いたんだ。
視線を転じれば、私が激突したことでアトラスケージは歪んで開いており、側にいたシュガーが右腕を抑えて蹲っていた。顔は苦痛を堪えるように、耐えていた。
そうか、アトラスケージからローゲリウスの車輪を取り出し、シュガーがドバンに投げ渡したのか。
ドバンはそのままアメンドーズを背後から襲い、私の危機を救ってくれた、と。
目に涙が滲む。歓喜で体が震える。
私は一人ではない。独りじゃなかったんだ。
ヤーナムにいた頃、私が関わった人は悉くが発狂して死んだ。信じてヨセフカ診療所やオドン教会に避難させた人たちも、死んだ。
ここでもそうなるだろうか、と不安ではあった。
なのにどうだ。
ドバンとシュガーは死なず発狂せず、こうして私と共に戦ってくれるではないか!
感動のあまり、打ち震える。獣ではない人の素晴らしさに。こんな状況で戦える、ドバンの勇ましさに、己の体を顧みず行動できるシュガーの献身に。
「■■■■!!!!!」
「うおぉぉおお!?」
アメンドーズが振り向きざま、ドバンへ腕の一振りを浴びせようとした。自分の背後から攻撃してから鬱陶しい敵を排除する、それだけの感覚だろうさ。
致命的な隙を晒してることに気づいてなければ愚かでしかないがなっ。
8秒目、
構えた銃が火を吹く。
アメンドーズの横顔に命中した弾丸は、同時に攻撃中だった奴の体に大きな衝撃を与え、膝立ちにさせる。
右手のトニトルスを捨てる。
左手の短銃から手を離す。
一気に踏み込む。
9秒目。
踏み込んだ私の右の貫手が、アメンドーズの横顔、弾丸が命中して傷になった場所へと放たれ、貫く!
奴の体内で手を開き、中身をしっかりと握りしめた。
「おおおおぉおおぉおっ!」
握りしめた腕を引っ張り、内臓を引きずり出す。
10秒目。
アメンドーズが余波でこっちに向かってくるから、一気に内臓を引きずり出しつつ右肩による衝突をみまう!
奴は顔面から夥しい量の出血と共に、私の右肩突き飛ばしによって後方へと大きく吹っ飛んだ。
右手の中にある、脳みそや謎の血管といった内臓器官を、一気に握りつぶして破壊。
内臓攻撃。
敵の攻撃中に弾丸を命中させて硬直状態にさせ、弾丸命中地点の傷に右腕を突っ込んでそのまま内臓を引きずり出しつつぶつかって相手を吹き飛ばし殺す、狩人の大技。
普通のアメンドーズだったら、顔面への攻撃を繰り返してからの硬直状態で行うだろう。
でも、こいつは小柄だ。上手くすれば銃弾パリィからの顔面内臓攻撃が可能だと踏んだが、まさか本当にできるとはな。
「はぁ……はぁ……!」
疲労のあまり、その場で膝を突く。ギリギリだった。本当に、ギリギリの勝利だった。
私の油断と、こいつの特異性、そしてドバンたちの助力と不確定要素が絡み合ったが故の、薄氷の勝利。
「勝った……ようね……」
シュガーが後ろから私の肩に手を置き、労ってくれた。
振り向くとシュガーの顔がますます辛そうだ。私は慌てて、倒れそうになった彼女の体を抱えて座り、支えた。
「大丈夫か、シュガー!」
「えぇ……なんとか……あの車輪を触った瞬間、頭が痛くて……目にも違和感が出たし……そこの怪物も、見えるようになったわ……」
「他には?」
「ないわ……残念だけど、妊娠はないみたいね」
「ない方がいいに決まってる」
シュガーは照れくさそうに笑った。
どうやら彼女はもう、大丈夫なようだ。このまま上位者の影響が残るこの建物から脱出し、彼女を病院に――。
――■■■■。
ふと、耳に届いた鳴き声。
慌てて振り向くと、なんとアメンドーズが手足をばたつかせながら顔面に光を灯させている。あれは光線を吐く気か!!
「くっ!」
失った血をリゲインでどれだけ取り戻そうと、持久力そのものは回復してようと、人として疲労感からは逃れられない。立ち上がろうとした私の膝が動かなかった。
このままだと光線がっ、
「くそぉ、このバケモノがぁ!!」
だが、アメンドーズの顔面をローゲリウスの車輪が叩き潰した。血を撒き散らし、最後に手足をばたつかせて断末魔のあがきをしたあと……アメンドーズは完全に動きを止める。
側にはドバンが立っていて、彼がローゲリウスの車輪でアメンドーズの顔面を潰すことで光線を妨害したんだろう。そして、私の代わりにトドメを刺してくれたわけだ。
ようやく、狩りが終わった。
私はシュガーを支える手とは反対の腕をドバンに向けて上げ、笑った。
「やはり、ドバンは良い狩人になりそうだなっ」
「二度とこんなことやるものか!!!!!」
なんかドバンがキレた。
せっかくYOU HUNTEDしたのによぉ。
私とシュガーの笑い声、あとドバンのキレた声で、アメンドーズを目的とした上位者狩りは終わりを迎えたのだった。
ドバンファンのみんな、ドバンの活躍がないのは不安よな。
ドバン、出ます。
内臓攻撃に関する引きずり出し最中の肩口を使った体当たりは、私の解釈です。普通、引きずり出したらこっちに来るはずだしなぁ、て思ったので。
あとは閑話とエピローグを挟んで、第一部は終了です。