御神命

   四


 索道搬器ごんどらで目を覚ました玄吉は、まず、己を締め上げた挙句肩を外した女天狗を視界に収めた。

 背が高い──そう思った。身丈はゆうに六尺五寸|(約一九五センチ)はあろう。


(捕まったのか)真っ先に玄吉はそう思ったが、手足は縛られていない。

 だが、晒しの巻きが緩く、ぎちっと歯を噛んだ。


「お前ら、見たな」

 玄吉は低く唸った。声変わりが済んだ男の声で。しかし、その美貌と言って差し支えない顔は、男とも女とも言える不思議なものだった。

 千両役者と並んでも見劣りしない目鼻立ちであり、性別という概念を凌駕した美しさがそこにある。


「落ち着きなさい、私たちはあなたの敵じゃない」

「なぜ、ならば──母様を、……俺の腕を落とした!」


 あの狂乱の中でも──索道搬器の扉の側に立っている男が、己の腕を落としたことははきと覚えていた。

 包帯が巻いてある左腕の感覚はないが、痛みはある。奇妙な感覚に、脂汗を垂らす。


「お前の母親を殺したのは俺たちじゃあない。それから腕を落とした理由は、そうせねばお前の全身が燃えていたからだ。そうでなくとも、焼け腐れた肉が蚕食していけば、肺腑まで終わっていただろう」

 男はもっともらしくそう言った。


「なら、誰が母様を」

 その話は、葬儀の時にも聞いた気がするが、覚えていなかった。あの時は色々なもので心も頭もぐしゃぐしゃで、真っ当な思考など、出来やしなかった。


「まず自己紹介からじゃないのか、少年。……俺は和真。弓張子ゆみはりのこの桜之丞さくらのじょう和真。いらん誤解を招くから先に言っておくが、純血ではなく半妖の鬼だ」

「……玄吉だ」

宵張子よいっぱりのこの梟福殿きょうふくでんなつめ。天嵐神社勤めの神使よ」


 玄吉は思わず「神使だって?」と聞き返して、起き上がった。

 気色ばむ玄吉に、和真がため息をついた。

「俺たちは別に、流民だったお前らを締め上げるために大霊山へ行くわけじゃない」


 またしても新情報である。

「何? 待て、何だそれは。大霊山ということは総本社に行くのか、これから」

「そうよ」なつめは頷いた。「あなたの出自について調査せよ、可能なら連れてこいとの命令を受けている」

「俺は……、確かに無断で化獣ばけものを狩ったりもしたが、決していたずらに痛めつけたわけではない」


 和真が顎を引く程度に頷く。

「それはお前の目を見ればわかる。俺も獣狩ししがりだから。事はそういう単純なものではないのだ。……時に、お前は己の出自を聞いているか」

「母様がいうには木の中にいたと。俄かに信じられんが、木から生まれたと聞いた」


 玄吉は素直に答えた。

 己が精通し十になった日、母は全て語った。玄吉のその出自、一切の生まれと育ち、その全てを。

 今から十四年前の燦天季に己がこの地上に生まれたこと、そして、その出自は神木とされる桜のうろの中からの出生であったこと。

 木からひとが生まれるものかと思ったが、いざその桜の木を見に行くと、妙な温かみと懐かしさを抱いた。そうして理屈ではなく本能でここが己の命の座なのだと実感したのを、覚えている。


 玄吉は己のように奇天烈な存在が、いつまでも神の目を欺けるなどとは思っていなかった。

 だがしかし、なぜ、母は死んだのか──殺されたのか。

 火葬の際の話が甦る。


「鉄砲で殺されたと言ったな。山では弓と投げ鑓以外は御法度と聞いている」

「鉄砲は、弱者の武器よ。妖怪ならば研鑽した技と術で戦う。じゃあ、誰がそんな卑怯なおもちゃを使うのでしょうね」


 玄吉は「人間」と答えた。「人間が、この山に……」うめくような声だった。

「わかっただろう玄吉」和真が揺れる索道搬器の中で、深緑色の目に──力強く、そして美しい慈悲を湛えて言った。「何かが起きているんだ。のっぴきならないほどの、何かが」


 なつめを見ると、彼女もしかと頷いた。

 状況は己が思う以上に厄介であると察せられ、玄吉は、生唾を飲んだ。

 やがて索道搬器が停止した。がらりと和真が扉を開くと、夏の爽やかな匂いを孕んだ風が吹き込んでくる。

 標高はすでに六七〇丈|(二〇一〇メートル)。空気は薄いが、高山で暮らしている山岳郷の民にはまるで苦痛ではない。

 平地で暮らしていると、大霊山礼拝中、この高さでさまざまな障害を発生させて落伍していく者が相次ぐ。しかし空を飛べるなつめはもちろん、和真や玄吉はまるで問題なかった。


 山腹の社殿にある社務所にて一行は来意を告げる。神使であるなつめがいるので実質的には通行に問題はなく、一行はすぐに通された。

 神域行きの専用索道搬器ごんどらに乗り換えて移動を開始し、道中、三人は互いに持っているさまざまな情報を交換した。

 それは山の暮らしのことだったり、獣狩としてどんな狩りをしてきたかだったり、山での不思議体験だったり。


 何ら特別踏み込んだ会話ではなかったが、玄吉にとっては己の小さな世界が広がりを見せていくようでとても楽しかった。

 索道搬器が標高一三五〇丈|(四三五〇メートル地点)にまで達し、外から扉が開かれる。

 伝統的な赤ら顔の天狗面で顔を覆った神使たちが「こちらへ」と静かに促し、一行は湯殿へ案内される。


 神使たちに衣を脱がされて、蒸し風呂に通された彼らは見目麗しい天狗たちに糠袋で体を洗われた。

 汗が吹き出し、それまでの垢が剥がれ落ちていく。

 玄吉は、それらの垢と一緒にこれまで蓄積してきた経験が落ちるような気がして嫌だったが、まさか総本社に参拝するのに汚い身なりではまずい──ということも、理解していた。


 玄吉は時折、敏感な部位に触れられる都度おかしな声をあげそうになった。

 半月はにわり(両性具有者)である己には人より多くの性感帯がある。神使たちはそれを知ってか知らずか、執拗に、そうした部位を洗おうと手を伸ばす。

 これは何の苦行かと思いながら耐え忍んでいると、やがて、一連の清めの儀式も終わった。

 手拭いで体を拭って、褌を巻き、しかし晒しはするなと言わんばかりに素肌に襦袢と小袖、羽織を着させられる。下は天嵐神社の正式色である、深緑色の袴。


 なつめと和真も同じ格好である。

「行きましょう」

 なつめがそう言って見上げた先には、長い長い石階段が天まで伸びていた。


 三人が階段を登り始める頃には昼近くになっていた。

 階段の左右には幽鬼の如く揺れる霊魂が踊り、それらはかつてここに仕えていた神使たちの御霊なのだろう。

 彼らは玄吉らが一段一段進むのに合わせて神楽鈴が取り付けられた杖の石突を打ち、じゃらりと鈴を鳴らして、消えていく。


 何段──何百段、千、千数百──空気はいよいよ薄い。

 階段が雲海を突き抜ける頃、一行はようやく天嵐神社総本社に到達した。


 美しい社である。深緑色の龍を模った鳥居の向こうには神使による楽師隊が、雅楽の音色を奏でている。

 姫巫女──妖怪が信奉する神社において、主祭神の耳であり目、口であり手足である女子が、恭しく一礼。

「こちらへ」そう言って、姫巫女は玄吉らを総本社拝殿の内部へと案内する。


 山でとれた金銀をふんだんに用いた壮麗な作りの拝殿内。

 帝王学というものを、金品の無駄遣いとしか思えぬ連中には理解のできない光景だが、玄吉はなるほど確かに、郷の威信を思わばこそ贅を見せつけねばならぬ場所があると、思い知った。


 まじりっ気のない純粋な黄金と白銀で作られた龍の像。その値打ちは、決してつけられたものではない。

 白金と呼ばれるさらに貴重な貴金属で形成された燭台がずらりと並び、青い火を焚く蝋燭がぼんやり灯る。


 雅楽。笛と鈴、弦と鼓。

 そこに混じる衣擦れと、拝殿の先に設られたご寝所──その天幕が擦れる音。

 陰る女神の上背は、余裕で、三丈三尺(およそ十メートル)に達し、そのご尊顔は拝謁叶わぬだろうけれど、神気は嫌でも感じる。

 じゃらじゃらと、何かが擦れる音が聞こえていた。


 なつめ、和真に倣い、玄吉も腰が抜けそうになるのをどうにか堪えて、ゆっくりと平に伏した。

 舞の音色がどこか遠くに感じられる。漂っている甘く香しい香木の煙が、どこか意識を変性させている気がする。

 天幕がゆっくりと持ち上げられた。

 ゾッとするほどに美しい女神がそこにいる。


 半人半龍ともいうべき様相の女神で、天雷を思わせる金色の毛髪と、岩山を思わせる灰色の肌。

 古木を感じさせるような年輪を刻んだ角が額から三対生えており、瞳は左右合わせて四つ。それぞれ、萌葱色をしている。

 女神──天慈颶雅之毘売あまじくがのひめ様はぬう、と龍の面を三人に近づけた。


「なつめに、その右腕の和真に、そして我ら龍族に連なる少年か……名をなんという」

「はっ……は……、げ、玄吉と申します」

「げんきち。げん、とは我ら母なるこの星と同じ字かえ?」

「恐れ多くも、その通りにございます」


 天慈颶雅之毘売はそれを聞いて「なるほどのう」と身を引っ込めた。

 それから大きな煙管を一服吸い、あまったるい煙を吐き出す。それは阿片の煙であったが、人を、妖を狂わし壊すそれは、とてもじゃないが神を壊すには至らないらしい。

 平然と一吸い二吸いして、かん、と脇の金の柱に雁首を打ちつけて中身のごみを飛ばし捨てる。


 玄吉はその音に恐れをなし、震え、失禁しそうになった。なんなら、少し漏れた。


「妾と同じ両性具有はにわり……悪くないなぁ。よろしい、お主の妖気、龍気は確かに十四年前感じたものと同じだ。きっとお主が、龍神に連なる子なのだろう──」


 ──俺が、龍神に連なる子だって?

 玄吉は驚いた。しかし、天慈颶雅之毘売様に限ってつまらぬ嘘を言うとは思えなかった。


樹洞じゅどうのこの桜暁殿おうぎでん玄慈げんじ──今日を以てそう名乗れ、玄吉よ。妾が直々に元服と認めよう」

 玄吉は感激のあまり何も言えず、地にこすりつけんばかりに平伏するのが精一杯だった。


 天慈颶雅之毘売様は玄吉──いや、玄慈の態度に満足したとみえ、「おもてをあげよ」と命じた。

 主神の命令に背く行いは、不敬である。どんなに恐れ多くとも、面を見せろと言われた手前、そうせねばならない。

 玄慈は両手をしかとついたまま顔だけを上げた。


 壮麗で美しい、金と翡翠の鱗が入り混じる龍体がそこにあった。

 上半身は女体だが、顔は龍に近い。豊満な乳房にはなんら隠し布もつけず、薄緑色の乳輪とその乳頭を晒している。

 全身から鳴るじゃらじゃらという音の正体は無数の黄金と白銀、白金を用いた鎖飾りであり、それにはこれでもかと宝石が散りばめられている。


 天慈颶雅之毘売は玄慈に向かって、言った。

「そなたに神命を下す。──龍の鼓動に耳を欹てよ」


 龍の鼓動に耳を欹てよ──それは、どういう……?

 とは、聞き返せなかった。天慈颶雅之毘売様の美しさに、心が囚われてしまっていた。

 陶然とする玄慈に天慈颶雅之毘売はゆるく腕を伸ばしてその頬を撫で、ねっとりと口吸いをした。


「このように、鼓動を感ぜよ」


 同じようになつめと和真も面を上げさせ、口吸いをしていく。

 拝謁は時間にして半刻ほどか。

 天慈颶雅之毘売は「未曾有の大乱の世が迫っておる。暁の星に気をつけよ」と言って、それから「左腕もくれてやらねばな。カラクリ衆に頼るがよかろう」と、そう周囲の神使に下知を送ると、天幕の向こうへと姿を消した。


 混迷の時代が迫っている──その予兆を、他ならぬ女神もが、感じていたのだった。

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