火に踊る

   三


 ──戦廻暦五十七年の燦天季、五十五日。


 龍笛の音色が炎に踊っていた。

 鉄砲に倒れた女獣狩を焼き、弔う音色であった。

 葬儀は獣狩式で行われることとなって、大石岳の山庭師である蔵内家の敷地内で大火を熾し、弔った。

 これはただの獣狩ししがりの死でも、葬儀でもない。


 とうとう戦の気が、神霊の満ちるこの山に入り込んできたことを意味している。

 大人たちは郷境さとざかいの警備強化と天狗衆による警戒網の強化を論議し、壮健な若者を男女問わず募集して守備隊の発足を意見する者もいる。


 しかし玄吉にとってはどうでも良かった。

 母であり女であった、大恩ある乳母が亡くなった。しかも己が狩りに出ている数日の間に。死に目にさえあえなかった。

 共にいれば守れたはずの命を──おめおめと見逃した。己の愚鈍がこれほどに呪わしく思ったことはない。


 けれど同時に胸に抱いた清々しさにも似た感情に、己は嫌悪した。

 ずっと思っていたことだ──あの女さえいなければ俺はもっと自由だったと。

 しかしそれは、恩人に思うことではないし、間違った感情だと、そう考えていた。


 ──玄吉、女を教えてやろう。

 初めて母を抱いたのは精通した十になったある朝。抱いた──いや、抱かされた。気味が悪いと思っていた気がする。

 それまで母だったものが、欲望に塗れた女に……牝なったのだ。


 しかしそれでも、育ての親だった。


 玄吉は涙を堪えようとしたが、止まらなかった。いっそこのままあの大火に身を投げれば母様に会えるだろうかと、妖しげな考えまで浮かんできてしまう。

 炎のゆらめきが、玄吉を呼んでいるかのように感じられ、気づくとふらりと立ち上がっていた。

 玄吉は駆け出す。周囲が「おいっ、何してる!」と叫んだ。構うものかと、玄吉は両手を火に伸ばした。


 炎が爆ぜて、玄吉の小袖の左を燃やす。火はみるみる燃え上がり、玄吉の左上腕が炎上した。

 事ここに至って、玄吉は初めて、悲鳴をあげた。

 激痛に正気を取り戻すというのもおかしな話だが、気づけば「熱い、熱いよぉ!」と叫んで火を消そうともがいていた。


 そこへ、剣鉈を抜いて駆ける青年が一人。

 左のこめかみから、二股に割れた黒い角を持つ鬼である。銀の髪を振り乱しながら、短く呼気を吐き、剣鉈を振るった。

 一閃が、玄吉の左上腕から先を落とす。

 燃える着物ともども腕が落ち、玄吉が激痛にのたうちまわった。

 鬼の青年は素早く細い麻縄で玄吉の肩口をぐいと力強く縛り上げて、乱雑ながらも止血をする。


「なつめ!」

「ええ。皆、話は今の方向にまとめなさい。あの子のことは私が──天嵐神社総本社が預かります」


 論議を行なっていた山庭師と、その主だった衆頭しゅうがしらたちが頷いた。

 なつめは痛みに狂う玄吉に、山の花から煎じた眠り粉を吸わせると、首筋にも眠り毒を塗った針を打ち込み、意識を刈り取った。


「よく機転を効かせてくれたわね、和真かずま

「悪い、これ以外に助ける方法がなかった」

 なつめは「いや、いいの」と言った。あのまま放っておけば、玄吉の全身が炎上していただろう。

「なつめ、この子が……?」

「ええ。どうも十四年前に神木の樹洞から生まれた子らしい」


 和真と呼ばれた青年が、玄吉を見た。

 眠ってはいるが、苦悶に歪める表情がなんとも痛々しく、見ていて、胸が握りつぶされそうになる。


「腕はどうする? 治癒術師のところまで保たせられるか?」

「無理ね。荒療治で傷を塞いで、カラクリの義手に付け替えるしかない」


 そう言ってなつめは、札を一枚抜いた。それは火術の式符だった。

 荒療治──即ち、焼いて傷口を塞ぐのである。

 なつめは震える呼吸を整えて、いっそ恨むならこのなつめだけを恨めと心で念じ、玄吉の腕を焼き塞いだ。




 日輪の輝きを浴びる索道搬器ごんどらが山々を繋いでいる。

 それらは頑健な、鋼藺草はがねいぐさを撚り合わせて作った縄の索道を用いて搬器を吊るし、滑車を使って動かしている。

 動力に関しては山々の間を吹き抜ける風で、風車によって風を回転力に変換し、歯車を回していた。

 衝撃と熱、低温耐性と摩耗性に優れる特殊な金属鉱石──狂飆鉱きょうひょうこうが採れるこの山は、時折、外界からの狼藉者の侵入も許してしまう。

 だがその都度“天狗衆”や“鬼廻り”たちがそれを退け、あるいは、見せしめに縛り首にしてきた。


 人間はこの行いを野蛮と後ろ指をさしたが、しかし、外界で人間がやっていることも同じか、もっと酷い。

 大義とすら言えぬ曖昧な「天下布武」という言葉の下に次々戦を起こし、大勢を討ち殺し、戦に勝てば乱取りという盗賊団も真っ青な略奪行為を行う始末。

 女子供は奴隷として人買いに売られ、男は殺される。


 ──さて、どちらが“野蛮”か。


 なつめには、答えられなかった。

 人間と妖怪は、「違う」存在だ。人間と獣が「違う」のと同じ。違うから狩り、牧畜し、喰らうように、だからこそ妖怪は人間をそのように「違うもの」として見ているだけなのだ。

 違う者同士。故に、同一の基準や規定に当てはめて「どちらが野蛮」と定義することはできない。

 人間から見れば妖怪は野蛮だ。そして、妖怪から見れば人間はおぞましい怪物に見える。


 この世に生まれ落ちて八十七年。八十七年の齢を重ねてなお失われぬ美貌が、人間との違いを如実に語る。


 なつめはもう、人間との共存を半ば諦めていた。奴らはこちらから歩み寄っても、その足を蹴り付けて、差し伸べる手を切り落とさんばかりに汚いものとして見る。

 挙句、静かに山や川、海、土で暮らしていればこれだ。


 少年から親御を奪い、──。


 なつめは玄吉の脂汗を拭ってやる。和真は索道搬器の扉の脇で腕を組んで立っていた。

「その子は、なぜ木から生まれた?」

「わからない。あの日山を降りていく際に霊視して、この子の生きた時間を見てきたけれど……わかったことは三つ」


 なつめは“少年”の小袖をはだけた。胸には晒しが巻いてある。

「この子が確かに木から生まれたこと。そして、母親から性的な虐待を受けていたこと。がその原因かどうかは不明だけれど……」


 晒しを巻き取ると、そこには、女の乳房がたわわに実っていた。

 和真は流石にこの程度で狼狽するほど子供ではないが──続けて股間のふんどしから珍宝が覗けば、いよいよ驚きに表情が変わる。

半月はにわり……」


 または、半陰陽、双形ともいう。両性具有の者を指す言葉だった。


「わかったでしょう。何かの使命を帯びている。ただの孤児みなしごではない」

 なつめはそう言って、玄吉の衣服を整えてやった。

 索道搬器は朝日を背負って、大霊山──天嵐岳へと登っていった。


────


 はきと言ってしまえば、玄吉にとって重要だったのは小さな世界の崩壊だった。

 そこだけしか知らない己にとっては、その小さな世界が──山小屋とその周辺が己の全てであった。

 それが壊れるということは、否応なしに未知へと舟を漕ぎ出すことを意味しており、恐怖はいや増した。


 けれども、思い返せば己は母を愛していただろうか?

 わからなかった。


 怖かった──と思う。

 この世界を構築する主であり、神であるそれの逆鱗に触れぬように、無意識のうちに機嫌を取っていたのかもしれない。


 そして自分は、それに縋ることで生きることしか知らなかったから、喪失に耐えられなかったのだろう。

 では。


 ──心の奥底、深い深い闇の底から望んで、そうして掻き抱くように手に入れたこの自由を。

 ──後追いというくだらない形で投げ出して良いのか。


 ふとそんな疑問が湧いた。

 そして同時に、赤い、怒りが湧いた。

 ちがう、断じてちがう。


 ──俺は、母様の奴隷ではないぞ。


 燃え上がるような赫怒が爪先から脳天を駆け巡った。

 そうして玄吉の意識は、再び現世へと浮上していった。


 玄吉十四歳。

 彼は、己を縛り付ける枷を、断ち切らんともがいていた。

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