五
戦廻暦五十七年、燦天季六十日。
総本社拝殿を後にして、再び索道搬器で下まで降りる。
大霊山・天嵐岳より直線距離四里先にある山──桜之丞岳。
一行は山麓の村で宿を取り、休むことにした。
地下から湧き出る湯をふんだんに使った温泉街であり、山の内外から客が訪れるそこは夜でもなお賑やかである。
鬼に天狗、狐に狼、狸といった妖怪。
小鼓の音や笛の音が聞こえ、月夜の空にうっすらと朧げな雲がかかっている。遠くから、山では不夜鳥とも言われるフクロウの鳴き声がした。
唐突のことの繰り返しで、挙句、最後には総本社への参拝となった。
それから都合五日、あちらで逗留していた。理由は玄慈の新たな左腕を作るためだ。
五日待った甲斐もあって、精巧なカラクリの義手が左腕に取り付けられていた。狂飆鋼と砕いて粉末にした龍鱗、龍骨を用いた最高の義手である。
美しい黒鉄色で、さまざまな機構が用いられている仕込み義手でもある。
余談だが──本来大霊山参拝は徒歩が基本であるから、索道搬器を用いた今回の大幅な短縮旅程は異例中の異例であった。
玄慈にとってはそれも相まって己が特別な存在であることに息を呑む。少しだけ思い上がり、舞い上がっていることも自覚していた。
己の僅かならぬ、薄汚い自尊心に辟易した。
けれどどう自責しても、言葉では言い表せないとても奇妙な高揚感を抱いていた。それはある種の心地よさでもあった。
これまで鳥籠のような小さな世界しか知らぬ己にとっては、あまりにも、大きな一歩だったのだ。
母はきっと、己が巣立っていくのが怖かったのだと思う。置いていかれる恐怖があったのだと思う。
自分も親離れをしようとしなかったが、母も子離れを拒んだのだ。結果、歪んだ関係を築いた。
しかし、だからといって、死んでよかったとは思っていない。いずれにせよなつめが来たのだから、このように旅立つことは必然だったのだ。
ならばこそ、しかと、正当に話し合って旅立ちを祝福して欲しかった。その機会を永遠に奪った者を、己はどうしたって許せそうにない。
夜風に龍笛の音色が混じる。
なつめが龍笛を吹いている。
窓辺の欄干に寄り添い、和真は短刀でテンランヒノキを削っている。この山岳郷に自生する、森林限界域以降にも見られる巨木である。
他にもテンランザクラ、テンランオオスギなどの種が、森林限界適応樹木として見られる。
なつめの龍笛はテンランオオスギから作られている。その音色は大天狗が咆哮しながら空を切る音にも似て、鋭く、そして力強い。
和真はその音色を聴きながら像を彫っていた。顔つきは穏やかで、手元の狂いもない。程よく集中している。周囲に気を漂わせつつ、指を切らぬように。
彫っているのはテンランオオフクロウの像だった。見事なもので、土産物にもできそうなくらいの精巧さだ。
今にも翼を広げて襲いかかってきそうな気魄と、ずっとそこで魔を睨み据えて黙らせるような静けさとが同居している。
玄慈は言葉を切り出す機会を伺って、しかし、何度もそれを逃してしまう。
行けるところはあったと思うが、音色と、木材を削る音が心地よくて、黙ってしまう。
やがてなつめが龍笛から口を離すと、それを丁寧に拭って手入れし、専用の箱に入れてしまった。
「どうしたの」
どうやらこちらが話しかけようとしていたことはお見通しだったらしい。
玄慈は、呼吸を整えて切り出す。
「龍の鼓動に耳を欹てよ、って言葉の意味を考えていた」
無理に続きを促したり、こちらの考えや行動を規定するような言葉をぶつける野暮はせず、なつめは黙して静かに待っていた。
温泉街の、賑やかさも減りつつある夜の旅籠に、木彫りの音が響く。
「龍脈を巡ることなんじゃないかって思えた。最初は、俺自身の鼓動だとも思った。母様を殺した人間を追え、というような。気持ちに従え、というような。
けど、天慈颶雅之毘売様がそんな、個人的な復讐を御神命にするとは思えなかった」
なつめは顎を引く程度に小さく頷いた。和真が短刀の付け根をくるりと小さくえぐらせて、フクロウの目を彫り込む。そうして木屑をまとめると、軽い火術で消し去る。
顔を上げた和真は、しかし、何をどうする? という問いを浮かべることはなかった。したいようにしてみろ、と言う顔であった。
「俺は龍脈を……龍穴を見てみたい。俺がどこから来たのか……もちろんそれは、龍の神木って言われる桜……なんだが、その根源を知りたいんだ」
結論を、行動の目標を自ら立てた玄慈に、なつめはようやく口を開いた。
「そうね、そうしてみましょう」
和真も頷く。
「ああ。……俺たちも同行するが、構わないか?」
玄慈は思わず、「ありがたいくらいだが、いいのか? 俺は、だって……なつめ、さんを……」と言って、それから、「勘違いとはいえ、殺そうとすらしたのに」素直にそう言い切った。
「十四の子供に首を奪られるような女じゃないさ」和真は木彫りのフクロウを出窓に置いた。月明かりを浴びるそれは、どこか幽玄である。
なつめも頷く。「そうね。それに、状況が悪すぎた。むしろ普通の反応よ」
玄慈は「ごめんなさい……話を聞くべきでした」そう言って、素直に頭を下げた。
天嵐神社総本社に滞在している五日間、玄慈は、己の家庭環境の全てを洗いざらい神社の者に話している。当然なつめたちにも共有されているだろう。
筆下ろしの文化の一環として、ときに近親相姦が行われたり、あるいは有力な血族であれば血を残すため近親婚が当たり前だが、しかし、一般的な妖怪にとってそのような真似は稀な状況を示している。
筆下ろしにしたって近所の未亡人や床離した女が担当するだろうから。
「あの、俺……少し席外していたほうがいいかな」
「変な気を使わせているようだが、俺となつめはそこまで盛り合うほど子供じゃあない」
「それに発情期は過ぎているから」
フクロウの発情期は春頃である。今は夏。それにその夏も、じき終わる。
玄慈は安心と、それから自分の浅はかさを恥じ、またしても「ごめんなさい」と縮こまるのだった。
一行はすでに湯も飯も済ませている。
なつめが懐から地図を取り出した。褪せた色。羊皮紙だろうか? 山には山羊が多い。その皮をなめして作った紙は、当たり前にある。
しかしおそらく、なつめのは鹿皮紙と思えた。質感や、におい、広げた時の音が、玄慈の中にある鹿の紙と合致していた。
丸めたそれを広げれば、何やら地図が書き込まれている。
「地図なんて、初めてみた」玄慈はそれをまじまじ見ながら呟く。
「ええ、そうでしょうね。地図は軍事的な戦略物資だから、神社も流通させないように制限している」
「お前はもしかしたら知らないかもしれんが、この郷では土地を無断で測量することも禁じている。敵方に地形を知られたらおしまいだからな」
和真はそれから、「知られないこと、ってのは、思う以上に大きな優位性になる。実際、そのおかげで俺たちはくだらん戦から遠ざかっていた」と付け加えた。
和真の顔には怒りとも悲しみともつかない痙攣が浮かんでいた。
なつめは気づかないふりをしているのか、彼の言葉は拾わず、
「龍穴を巡るなら、まずこの桜之丞岳から西に行った“額狩岳”がいい。龍穴が一つある。この桜之丞岳にもあるんだけれど……」
「親父が入れるわけがない。いくら龍族であろうとな。あの男はがめつい」
和真は嘲るような、しかしどこか憐れむようにも取れる口調でそういった。
そういえば和真は弓張子という産号(註1)と、桜之丞という苗字だった。
「えっと、和真、さんは……」
「……言ってなかったか。俺は桜之丞の山庭師の子だ。妾腹の子でな。家督争いの邪魔になるからと家を追い出されたのだ」
「その話は、また今度にしましょう」なつめは和真を強く見つめた。
玄慈は、見てはならない場面を見てしまった気がして、思わず視線を逸らす。
「この額狩岳は、疲れのあまり額を付いてしまうほどの山よ。狩りに出るものさえ額を伏してしまうから、額狩岳なんて名前がついた」
「標高自体は、せいぜい六百丈(約一八〇〇メートル)だ。大霊山で平気だったお前なら、山憑きにもならんだろう」
山憑きとは、高山地帯でかかる病のことを指す。
山の──とくに、高山地帯の気に憑かれるせいで、そうした病になるから、山憑きと言った。
頭痛や疲労感、吐き気に食欲の不振……そしてめまいと、疲れているのに眠れないというような症状は、山憑きの典型的な苦しみである。
「額狩岳は、何がそんなに疲れるところなんだ?」
「とにかく起伏が激しい。俺もなつめに鍛えられていた時にここにいたが、一刻も歩いていりゃあ、膝が笑い始める」
「なつめさんって、そんな無体な修行をさせてたのか」
「十人並にこなせる修行をさせたって十人並みにしか育たないわ。百人にやらせて、九十九人が脱落するようなことをさせてこそ、真に意味のある鍛錬になる」
どうやらなつめは、相当に厳しい考えの持ち主らしい。
「こうは言うが、別に弟子のことが嫌いなわけじゃあない。おかげで俺は比類無いほどの体力と持久力を手に入れた。いまじゃ一日中夜を徹して山狩りしてても疲れん」
「鬼は飛べないから、こうして鍛えないと。……兎賓天狗と鬼の半妖でね、彼」
「うさぎ、ってわけだ。足腰の基盤はあったんだ。それから怪力とな」
玄慈はなるほどと思った。
それから、弓掛けにかけられている和真の獣狩和弓を見つめる。
「あの弓は、じゃあ、天狗じゃ引けないのか?」
「素の筋力じゃあ無理ね。弦の張力で指が吹っ飛ぶ」
「鬼は筋肉だけじゃなくて皮も分厚いし、肉もしなやかだ。あの弓は化獣の素材を複合的に使って、弦にはほぐした狂飆鋼の繊維と化獣の心筋を使っている」
聞くだに恐ろしい弓だ。──あんなものに射られれば、それこそ龍すら墜ちそうである。
「ところで玄慈、お前は得意な武器は?」
「俺は……馴染むのは長巻だ。でも、今は手元にない。あるやつだと、剣鉈かな」
「長巻ね……明日、地元の狩猟店で買いましょう」
「そうだな、肝心の玄慈が戦えないんじゃ旅する意味がない」
玄慈は確かにと思った。武器を買ってもらうことを当然と思ったのではなく、己が戦うことが当然だと思ったのだ。
「ありがとう、なつめさん、和真さん」
「ええ。……あと、さんはいらないわ」
「ああ。対等な旅仲間だ。遠慮はいらん」
和真は傍に置いていた大徳利を掴んで、ぐい呑みに一杯注ぐ。
和真からなつめ、そして玄慈に渡され、三人がそれぞれ焼物のぐい呑みを手にする。
早いものなら、十から十二で酒を飲むようになる──精通と同時に大人と見做されるのが妖怪である。
玄慈の場合、寺社に通っていないと言う理由で正式な元服がつい最近まで遅れていただけだ。
さて──。
「玄慈の旅に」和真がそう言って酒を掲げた。なつめも「玄慈に」といい、玄慈は「二人の仲間に」といって、それぞれ酒をぐいと行った。
ツンと辛みのある常温の和深酒は、しかしふと時間が経つとまろやかに丸みを帯びた風合いに変わり、飲み込む頃には穏やかに米の甘みさえ感じる後味を残していく。
この、複雑な味わいは和深酒の特徴であり、地域によって、この風合いや度合いが大きく変わるために、「化け酒」とも呼ばれていた。
そうして酒を飲み、しかし下戸である玄慈はあっけなく大の字の転がって、いびきをかいてしまった。
その傍で、酔いが回って、ついついというふうに和真となつめが睦み合っていたことに、玄慈はまるで気づいていなかった。
同じ頃。
額狩岳の山麓──厨村。
そこに住まう狗賓天狗や兎賓天狗たちは逃げ惑っていた。男たちは畑を荒らす化獣用に用意しておいた槍などで武装して対抗するが、飛び交う鉄砲玉に一人また二人と倒れていく。
組み立て式の轟廻砲──束ねた八つの銃身を回転させ、順繰りに弾丸をぶっ放していく恐ろしげな回転機銃を前に、村の男衆はあっという間に蜂の巣にされる。
「貴様らァ……何者だ……」
この狼藉者が人間だということはわかっている。しかし今にも息絶えんとする狗賓天狗の男の恨みの誰何には、なぜこのような真似をするのかという言外の問いが込められていた。
人間の狼藉者の頭目は「女とガキは犯せ、男は皆殺しだ」と短く命じてから、狗賓天狗に鉄砲を向けた。
「お前らに、子や妻を食われた人間の末裔だよ、腐れ妖怪共」
蒸気圧でぶっ放された弾丸が、男をぶち抜く。
その後、村では乱妨取りが行われ、娘や女妖怪たちは妖力封じの首輪を取り付けられた上で男たちの前で散々に犯され、妖怪を売り買いする連中に引き取られていくのだった。
なお、言うまでもないが。
──女子供以外の妖怪たちはみな、処刑であった。
※註1:産号という命名方式はミタマタケハヤ世界オリジナルのもので、現実には存在しない。産まれた時の場所や状況、逸話を用いている号。
コメント投稿
スタンプ投稿
このエピソードには、
まだコメントがありません。