銀灰暦四七〇年。
幻冬季──一日目。
軍馬・牝の荒馬「フィンテ」に荷物を括り付けると、一行はフェスタースの都市をぐるりと覆う巨大な城壁、その北門から出ていった。
時刻は午前五時。空はまだ暗い。一年の始まりの日に、このすこぶる冷える早朝に旅に出ると言うのも悪くない──というのが、ライヴェンが真っ先に抱いた感想だった。
何はなくともまずは山を降りる必要がある。
フェスタースの街は山の八合目あたりを普請し、作られたものだ。
山城に分類されるだろう。地形そのものを利用した守りが各地にあり、堀切や切岸、竪堀などが見られる。
これは極東のジパングからやってきた「サムライとブショウ」が伝えた技術であるとされる。
彼らの国にはオオナマズという魔物がいるらしく、地鳴りの被害が多い理由から大規模な城壁が建てられないという。
建てたところでいつ崩れるかわからないし、崩れた城壁で民が死んでしまったら意味がない。
故に彼らの国では「山そのものを防衛陣地にしてしまう」という考えが広まったらしい。また、揺れに強い石垣というものが普及しているという。
このフェスタース城もそれにならい、平時には跳ね橋をかけているが、堀切があるし、切岸も然りだ。
枡形虎口なんかは、守る上でこの上なく心強い工夫である。
堀切を超えて、尾根筋に沿って開かれた道を降りていく。
このジパング方式の山城建造が可能だったのは、エルヴァスティアの山々が岩山だけではないことに由来している。
土と木の山、これがジパング式山城の絶対条件なのだ。
道を進む間、野生の獣が地を走っていた。
ユキウサギに飛びかかって仕留めたのは、北エルヴァスティアに生息するスノウフォックスである。
雪原に赤い血を散らして、頚椎を噛み砕いたスノウフォックスはこちらを牽制するように睨む。
ライヴェンは「奪ったりしない」と言うふうに両手を開いて見せる。
そのノンバーバル・コミュニケーションが通じたかどうかはわからないが、スノウフォックスは踵を返して去っていった。
「オスだな」フィノーラは言った。「狐は基本的に一夫一妻、この時期、ちょうど奥さんが身籠り始めるから、ああしてオスがメシを獲る」
「……ヨメさんの尻に敷かれるのは人も狐も同じなんだな」ノルトは世知辛そうである。
さて、一行は山を下っていく。
次第に、東の空が白んできた。
「フェスタースは……」
ライヴェンは説明するというよりは、故郷のことを記憶に書き込むように口を動かした。
「南の国境監視団に物資と兵員を送り込む中継地なんだ。軍事的な緊張が起こると、まずはこの街に人員と物資が集中する」
フィノーラがご自慢の毛皮をもふもふ風に躍らせる。ネコというよりヒョウに近いような太い尻尾を揺らして、応じた。
「ほう。それは籠城戦に備えるためってわけか」
「うん。国境に人員を送って撃退できる規模ならそうするし、援軍必至なら、無駄な犠牲を出す前に籠城して耐える。実際、六年前の籠城戦はそうだった」
南から押し寄せる敵軍──大ユゴリア帝国軍、ロジェール方面隊の軍勢は二万にも達した。
対する国境監視団の兵員はおよそ五千。勝負にならない。
詰めていた城兵はおよそ四千。籠城戦に持ち込めば、やり過ごせるとみて、城主オードネは前線部隊に城へ駆け込むよう命令の文書を早馬で送った。
城兵が城に駆け込む道中に戦闘が起き、およそ三百名が死傷。うち五十名が捕虜となる。
「この戦は酷かった」ノルトが言う。「敵は城を囲み捕虜を見せしめに斬首、その首を城内に放り込んだ」
投石器を現場で組み立てるのは攻城戦の常であるが、敵はそれにフェスタース軍の捕虜の首をくくりつけて放り込んだのである。
さらに、胴体は腐乱してから投擲。これによる疫病蔓延を目論んだ。また、心理的動揺を誘ったと見られるが、しかしてフェスタース軍は絶望しなかった。
怒りを堪えて援軍を待ったのである。これは、懸命に説得し、演説を打ったオードネの指揮官としての手腕である。
「『怒りを鞘に収めて、今一度抜剣の時を待て。見え透いた策に乗せられるような愚鈍な兵が、我が軍勢におるなどとは信じておらぬ。我が配下に思慮のない愚か者はおらぬ。
戦に勝つ軍とは如何なる軍かを問う。それすなわち、賢将と、勇猛なる騎士と、果敢なる兵からなる軍である。
我が軍には欠けたるものはなし。足並みを乱せば負ける。揃えて待てば勝つ。今は耐えよ』」
ノルトは一言一句違わず、城主オードネの演説を復唱した。そうして続けた。
「長らく耐え、そして援軍がきた。一万の援軍と九千の兵は一気呵成に敵に挑み、これを討ち払った。その戦で最も首を奪ったのが、ゴルドールさ」
そう言っているノルトは二番である。彼は呪文を書き込んだ魔法矢を用いることもある。それによって「燃える矢」「雷を放つ矢」を用いたり、「雨のように降り注ぐ矢」を放つことも可能だ。
一人で百人分の弓兵の働きをするとも称される。
「その頃ライヴェンは何してたんだ?」フィノーラはそう聞いてきた。
「俺は城で雑用。そんとき、ノルトに引き立てられた。基礎はできているからつって一年で小姓を卒業して、昨日まで従騎士やってたよ」
「下町にロイツェっていう厳ちいオヤジがいてな。あいつに礼儀作法を叩き込まれたらしい」
空はもう明るい。日の具合からして、七時ごろか。
二時間かけて麓まで降りると、一行は南ロジェリア街道三十二次の一宿目、フェスタース・ゲート宿で朝食がてら休憩を取ることにした。
この街道〇〇次という考えも、百二十年ばかり前に恵戸から来た使節団が伝えたものである。
一行は「ジュラーズ・カフェ」という店に入ることにした。
馬留めにフィンテを入れる。
「いらっしゃい……って、ノルトさんじゃないか」
「やあミス・ジュラー。熱い抱擁はなしかい?」
「今は営業時間だからね。正装じゃないけど、また旅かい?」
「ああ。仲間らと武者修行の旅をな」
「何かやらかした……ってこたあないんだろうけどね。……注文は?」
ジュラーと呼ばれた年増の女は、深く聞くことはしなかった。
ノルトは「あったまる飲み物がいいな。あとは、煮込みとワッフルを。馬に水と餌を頼む」と言って、それを人数分オーダーする。
フィノーラは「私を信頼していいのか?」と唐突に聞いてきた。
「今更だな」ライヴェンはマフラーを解いて椅子にかける。「なんで? 信じちゃまずいのか?」
「いや……信じてくれるならそれでいいが。人が良いと苦労するなと思ったんだ」
「苦労が多い方が、騎士として磨かれると思ってる。それに、俺がフィノーラを信じる信じない以前に、先に俺を信じたのは、そっちだろ」
フィノーラは「う」と言葉を詰まらせた。
「いや、いい。私は……こういう生き方だから、人から信じられることがなくてな。どう言う顔をすれば良いのかわからん」
「普通にしてたら良いと思うけど……」
ノルトが口元を覆って、肩を震わす。
「なんだ、ノルト。私が可笑しいか」
「いや、青春だなって……。いいね、若いってのはいいことだ」
「なんのことだノルト。俺は別に変なこと言ってないだろ」
「朴念仁め」
「うるさいな」
フィノーラは初めての感覚に、妙に、胸が熱くなるのを感じた。
ジュラーが運んできた煮込み料理は、ロジェールの伝統的なものだった。フォリコールという、羊肉とキャベツの煮込みである。
熱々の肉を頬張る。獣骨と野菜屑からとった旨みと、塩とバターの味付け。そこにフラトブローという平らなパンがついてきて、三人はそれらを平らげる。
汗をかきそうなくらい温まって、腹具合もよろしい。
北エルヴァスティアの料理は素朴で、基本的な味付けは塩味である。
だからこそ、甘味が愛されると言っていい。
ヴァフレールとクイェクス・カッフェは、その白眉。
ロジェール人の魂の郷土料理と言えるもので、どんなに忙しい朝でも、これだけは忘れないのである。もちろん、ここまで余裕のある暮らしができるのは城の付近だけであるが……。
三人は目的のない談笑をしていた。
その時であった。
ドアを、ドンドンと強く叩く音が響いた。ライヴェンはそれが尋常なものではないと察して、椅子に欠けていた鉄色のマフラーを掴むのだった。
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Lance
城の構造と籠城戦のことや、カフェでの食事についてまで、事細かに書かれていて驚きました。ここまで書けるとは凄い。情景が見えてきます^^
※ 注意!このコメントには
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Lance
2025年11月3日 19時25分
夢河蕾花
2025年11月3日 19時27分
実はお城については漠然としか知らなかったのですが、史跡巡りをしたり、それでお城の構造に興味を持ったりして、いろいろ本を読んで勉強しました。カフェのことに関しては、スウェーデンの方の解説動画を見て、知識を拝借した感じですね。
※ 注意!この返信には
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夢河蕾花
2025年11月3日 19時27分
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