ゴシック最後の話をすると言ったのに、そちらはまだ準備中。
年内に済ませられるかなぁ・・・
今日はすごい良い天気。
年末とは思えないぽかぽか陽気です。
ということで、現在無料で見られるSanta Maria Novella教会のChiostro grande(大回廊)に写真を撮りに行ってきました。
Chiostro grandeは1920年から数か月前まで軍の施設だったので、かつて2度ほど特別なイベントが有って、この中に入ったことは有ったのですが、写真は一切不可でしたが、軍が別の場所へ移動になり、今回この場所がフィレンツェ市に戻ってきた記念(?)で1か月無料で市民、観光客に公開されています。
来年からはSanta Maria Novellaの他の施設と一緒に公開されることになります。
つまり有料ね。 
簡単に歴史など。
1219年にBolognaからFirenzeにFra' Giovanni da Salernoに従って、12人のドメニコ会の修道士がやってきます。
1221年Santa Maria delle Vigneという9世紀に建てられた(1049か1094年)小さな教会に留まります。
当時この教会は城壁の外にあり、Vigneというようにブドウ畑に囲まれた農地に立っていました。
1242年フィレンツェのドメニコ会の共同体は新しい大きな建物を建てることを決め、1246年に建築が始まりました。
そして工事はとっくの昔に始まっていましたが、1279年10月8日、San Lucaの記念日にcardinale Latino Malabranca Orsiniの祝福(benedizione)の元、最初の石を置く地鎮祭のようなものが行われました。
新しい教会はファサードが南向きで、建築が終了したのは16世紀の半ばでした。
記録によると(これあまり正確ではないようで、議論が尽きないのですが)fra' Sisto da Firenze(フィレンツェ出身の修道士フラ・シスト)とfra' Ristoro da Campi(カンピ出身の修道士フラ・リストロ)が設計したと言われていますが、fra' Jacopo Passavantiも建築に関与したと考えられています。
鐘楼と修道院のほとんどは少々後でfra' Jacopo Talentiの手によるものです。
教会とそばにある修道院の建築は1300年の半ばくらいには既に終わっていたと考えられているのですが、正式に聖別(consacrato)されたのは、1420年丁度フィレンツェを訪れていた教皇Martino V(マルティヌス5世)によります。
現在修復中の鐘楼には写真の鐘楼は描かれた幕が張られています。
Chiostro Grande(大回廊)の方ですが、フィレンツェ市内では一番大きな回廊で、1562年から1592年に Cosimo Iの妻であるEleonora da Toledoがパトロンになって、建築家Giulio Parigiによって手が加えられます。
フレスコ画が描かれたのは16世紀から17世紀、Cosimo Iが開いたAccademia delle arti del disegnoに所属していたPoccetti, Santi di Tito, Cigoli, Alessandro Alloriなどの画家によってキリストとSan Domenico(聖ドメニコ)の物語が描かれています。
入り口入って真っすぐの壁にドメニコの話が描かれていて、まず物語は正面奥からスタートします。
と言っても四つ角はキリストの物語で
ここはキリスト誕生。
San Domenico(聖ドメニコ)の物語はキリスト誕生の隣の隣から始まっています。
聖ドメニコの誕生。
聖ドメニコはスペインのカスティリャ地方に生まれました。
母はドミニコを妊娠している時、松明を加えた犬の夢を見ます。
その犬がこの絵の上の方に描かれています。
犬のイタリア語はCane(複数形はCani)
犬は「忠誠」のシンボル、Dominicans→Domini canes(主の犬)と考えられています。
聖ドメニコは生まれる前から聖人になることを予言されていたと考えられています。
というのも生まれて来たドメニコの額には星の印がありました。
写真だと分かりにくいかなぁ…
こちらはお金持ちだったドメニコが貧しいものに、自分が持っている本を分け与えているところ。
特に左後ろに本がいっぱい見えます。
こちらはLa prova del fuoco
どちらが正しい宗教か?ということで、カタリ派と対決(言い過ぎ?)
お互いの聖書を火にくべ、燃えなかった方が正しい宗教、ということで本を焚火に放り投げています。
カタリ派の聖書は一瞬にして灰になったのに、ドメニコの方は3度くべても火の中から聖書が飛び出してきたということで。
これでカタリ派は異教とされました。
こちらはApprovazione dell'Ordine da parte di papa Innocenzo III
1216年ドメニコはpapa Innocenzo III(インノケンティウス3世)に会則の承認をお願いしますが、教皇はそれを認めませんでした。
すると夜、Chiesa di San Giovanni in Laterano教会を支えているドメニコが教皇の夢に現れます。(この絵では残念ながらドメニコの部分の劣化が酷いです。)
こうして教皇はドメニコ会の結成を認め、彼らの会則にはアゴスティーノ会のものを採用することを認めました。
教皇のベットの下にも忠誠の証の犬がいます。

聖ドメニコと聖フランチェスコの出会い、などなどが描かれ、最後天に召されるまでが描かれています。
窓の部分が有効利用されていて良いですね。
この後にはドメニコ会で重要な聖人たちが描かれています。
そして丁度キリスト誕生が始まる2枚くらい隣にはSanta Maria Novella薬局への入り口が有るのですが、
そこのフレスコ画だけはちょっと時代が下って18世紀のものでした。
サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局とは言わずと知れた現存する世界最古の薬局で、東京、京都にも支店が有りますよねぇ。
Santa Maria Fra Le Vigne時代既に修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合していたのが始まり。
1612年には薬局として認可され、一般営業を開始。
ヨーロッパ諸侯が顧客リストに名を連ねている。
創業についての助言と協力のあったトスカーナ大公(メディチ家)からは王家御用達製錬所の称号を受けた、とか。
まぁとにかく歴史の有る薬局です。
記憶が曖昧で申し訳ないのですが、この薬局で売られているAcqua di Rose(バラ水)が有るのですが、それがこの絵の聖女であるペルー出身のリマのローザにちなんで作られたもの、だった気がするんですよねぇ…
昔ここをガイド付きツアーで周った時にガイドさんが言っていた気がするんですよね。
ちなみに彼女はアメリカ大陸で初の聖人(聖女)です。
この他にも 丁度Dormitoio(寄宿舎)として使われていた場所の上にCappella dei Papi(教皇の礼拝堂)があります。
Chiostro grandeの2階には教皇がフィレンツェを訪れた際に利用していた教皇専用の住居はあります。
例えば1439年のConcilio di Firenze(フィレンツェ公会議)で訪れたEugenio IV(エウゲニウス4世)やメディチ家出身のLeone X(レオ10世)などがここを使っていますが、現在はほとんどその痕跡は残っていません。
唯一残っているのがこの礼拝堂。
正面はRidolfo del GhirlandaioのAssunzione della Vergine(聖母被昇天)
天井はグロテスク。
入り口の上には
若きPontormo (1515)が描いたVeronica(ヴェロニカ)
ヴェロニカはエルサレムの敬虔な女性であったと言われ、十字架を背負ってゴルゴタの丘へ向かうキリストを憐れみ、自身のヴェールを差し出し、キリストの汗を拭ってあげた。
すると、そのヴェールには、キリストの顔が浮かび上がっていた。
という伝承によるシーン。聖ヴェロニカが、聖顔布を手にした姿。
このはっきりした色遣いから既にマニエリズムの特徴が垣間見れます。
9つの四角の中には天使やメディチ家の紋章が描かれています。
こちらもメディチの印らしいのですが…既に記憶が曖昧。
ドアなどについている輪(すみません、なんという名前だったか忘れました)の下に小さな輪が付いているのが非常に特徴的、とガイドさんは言っていました。
実はこの礼拝堂だけは今回はガイド付きツアーでなくては入れませんでした。(既にツアーは満席です。)
ということでこの時期フィレンツェに居る方は是非覗いてみて下さいね。