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日常「聖婚」

 

佐藤賢一「オクシタニア」をポチってみました。アマゾンのレヴューでも好評っぽいですし、異端カタリ派の信仰や生活、粛清にいたる過程など、わかるかもしれません。

ローマ教会は「マグダラのマリア聖日」の1209年7月22日、カタリ派を抹殺すべくアルビジョア十字軍をラングドックのペジェに派遣し、史上類をみない残虐な手段で数万人もの老若男女を虐殺した、そうです。強い「マグダラのマリア」信仰があったのですね。

 

グノーシス風の信仰がどうして突然現れたのか謎です。
10世紀半ばに南フランスで起こった運動ですが、いきなり教祖も経典もなく起こったのか、具体的にwikiだけでは分からないことだらけです。もしかしたら、聖典が確定するに伴い、お家芸である焚書を免れた異端の「福音書」(トマス、マリア、ユダ、真理)が実は受け継がれていた、とかなら楽しいです。

マニ教の影響も指摘されています。マニ教はキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教のミックス宗教で、かなりの世界宗教だったようです。それにマニ教は「トマスの福音書」を大事にしていましたから、焚書を免れた写本があったのかも。それが巡り巡って南フランスにたどり着いた。それが南フランスにある「マグダラのマリアが南フランスに逃げてきた」という伝説を生んだ。なんて考えたりしました。ついでにマニ教ふうの輪廻転生という考え方もやってきたのかもしれません。

実際、歴史的に迫害されてマグダラのマリアが南フランスに逃げてきた可能性もあるかもしれません。

 

地下水脈的な信仰が、当時の教会の腐敗などによって力を得た、という感じなのでしょうか?

わかり易い解説を見つけました。
http://sugata.harimaya.gr.jp/_trip/france/Langeudoc/Langeudoc.html

 

 

「トマスの福音書」に出てきた「聖婚」でちょっと思い出したのが、「油を塗るマリア」。
グノーシスフィルターをかけ、下記の事を考えれば、一種の「儀式」という意味にもとれるかのです。

 

「聖婚」と「メシア 油注がれし者」

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。(ヨハネの福音書12:3

女祭司との結婚を通し、配偶者は王族の身分を授かり、「聖油を注がれた者ーメシア」として知られるようになる。
王の頭に聖油を注ぎ(聖別)、豪華な食事を並べる役、敵の前で王の擁護者となる役は、近東固有の古い秘儀の中では女神が勤めた(ギルガメッシュ抒情詩)。王家の血を引く女祭司と、選ばれた王との神聖なる結合は、共同体全体の再生、活力、調和の源と期待して行われていた。後にこの風習は、近東全域で新年(太陰暦の新年、秋頃)の祝賀行事として催されるようになり、豊穣の儀式にも反映された。

メソポタミア地域の一部の宗教は、土地の豊饒を持続させるために、地元に神殿に仕える女祭司が選んだ配偶者を、儀式的にいけにえとしてささげていた。いけにえになった王の葬式は、作物の順調な生育と人民の反映を保証すると考えられていた。

この儀式はギリシャ語でヒエロ・ガモス(聖婚)と呼ばれた。

頭に塗油する儀式には性的な意味も秘められていて、「聖油を塗布される」男根をこの頭部が象徴している。花婿は、女神の代行の王族の女祭司によって聖別され、人々は町を上げて喜び祝い、豪華な結婚の宴が何日も続く。祝福された王家の結婚は、家畜や穀物の継続的な繁殖と、共同体の反映の象徴となった。

聖婚は、象徴的な意味を持つ古代の儀式であり、一般的に春に行われた。これは冬が生命活動に乏しく死を象徴するため、春はそれからの蘇りと考えられたことによるもので、死と再生の儀式の一環である。 この儀式は、宗教の主権者と神殿娼婦によってしばしば実施されていた。ヘレニズム期の女神の神殿には「聖娼」と呼ばれる女性司祭(神殿娼婦)がいて、男性信者と性的な儀式を行うことによって女神の神性を男性信者に与えてイニシエーションを施した。

この「聖娼」の時、聖娼は男性信者に「塗油」を行っていた。

古代のヒエロス・ガモスの儀式では、女(花嫁)は、自分が選んだ男(花婿)の頭と足-性器-に香油を注ぐ行為によって相手を讃えます。

 

また、聖なる王への塗油として巫女が選んだ男(王となる者)に香油を注いだのち、聖婚(=聖なる婚姻)として知られる性の儀式を通して運命を授けます。
儀式の間、男には神が、巫女には女神が乗り移り、絶大なる力を手に入れる、この巫女の力なしには、選ばれし王とてその地位につくことは出来なかったそうです。

 

「足」が「性器」を表す例。

4:24 さて、途中、一夜を明かす場所でのことだった。主(ヤハウェ、エホバ)はモーセに会われ、彼を殺そうとされた。 4:25 そのとき、チッポラは火打石を取って、自分の息子の包皮を切り、それをモーセの両足につけ、そして言った。「まことにあなたは私にとって血の花婿です。」 4:26 そこで、主(ヤハウェ、エホバ)はモーセを放された。彼女はそのとき割礼のゆえに「血の花婿」と言ったのである。(岩波版、旧約聖書『出エジプト記』4章24)

注釈によれば、二行目の「彼の両に」という語句の、「両」は性器の婉曲表現だそうです。

 

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/mary_magdalene.html#6

 

  

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