吉田拓郎からVaundyまで。その「最上」を切り取った新たな通史!
1972年の吉田拓郎(序章)
「ポップスター」としての評価の難しさ
本書でたびたび登場する言葉「ポップスター」は、実は吉田拓郎を強く意識したものである。つまり、彼をジャンルでカテゴライズすることの無効性を肯定し、ポップスターと言いきってみたいのだ。
いうまでもなく吉田拓郎は「フォーク」の人だった。70年代当時、一般的に「フォークのプリンス」として語られ、その後もフォーク界の親玉のように取り扱われたのだが、それでも音楽性は、いわゆるフォークのイメージ、例えば、アコースティックギターに乗せて切々と歌うというスタイルから大きく逸脱する楽曲も多かった。
では「ロック」はどうか。のちに触れるイノベーティブな音楽活動や精神性は個人的に、まさにロック的だと思っているが、ただ「ロック」は、先の一般的な「フォーク」の対義語でもあったので、少々かみ合わせが悪いだろう。
では「ニューミュージック」ではどうか。いや、これはもう死語だ。そしてさすがに「Jポップ」も違う。吉田拓郎の最盛期と時間軸がずれている。
そこで「ポップスター」を提案したいのだ。
もちろん、ここでの「ポップ」は音楽用語である。「フォーク」「ロック」「ニューミュージック」「Jポップ」をも包含する「ポップス」の「ポップ」だ。だから自作自演する音楽家のレッテルとして悪くないだろう。
加えて、「ポップ」という言葉から漂う、華やかできらびやかで躍動的な感じ、それらが「スター」によってさらに増幅されると、まさに吉田拓郎的だし、ひいては矢沢永吉的で桑田佳祐的でもある。
この本は、そういう時代を席巻し、後世に影響を与えた自作自演音楽家としてのポップスターを語る本である。「何がフォークか」「ロックとは何か」などのしかめっ面したつまらない議論をぴょんと飛び越えて、ポップスターとしての吉田拓郎をストレートに語る本である。
ただ、まさにそんなポップスターでありながら、吉田拓郎の真価は実に見えにくい。語られにくい。その理由となるのが、先に述べたカテゴライズの難しさだ。
意識的(狭量)なフォークファンからは、その「ポップ」な活動やキャラクターが商業主義だ、軟弱だと批判された。逆に、こちらも意識的で狭量なロックファンからは「ギター一本だからしょせんフォークじゃないか、ロックじゃない」と思われた。
そして、私世代にとっては若い頃、一世代上のコアなファンが熱っぽく「拓郎!」と叫ぶのを見て、「古いなぁ」「70年代的だなぁ」と思ったものだった。
これらの狭量なあれこれがこんがらがって、吉田拓郎の功績やすごみ、さらには「ポップスター性」が、十分に語られてこなかったと考えるのだ。
かくいう私も、先のような先入観から、何となくずっと敬遠してきた。しかし後年、おそるおそる作品を聴いてみて驚いた。
──「すごい。これ、フォークだし、ロックだし、ちょっとソウルだし、そして強烈にポップじゃないか!」
シンプル志向のサウンドと日常的な歌詞
概念的な話が続いたので、具体的な話に切り替える。吉田拓郎の音楽的功績の1つ目は「シンプル志向のサウンド」の確立だろう。
アコースティックギター主体の音楽性を確立した。この「音楽性を確立」という言葉には、岡林信康など、それまでのフォーク勢よりも、技巧的かつ垢抜けたサウンドを創造したという意味も込めている(後述する)。具体的に言えば、譜面台を立てて、アコースティックギターを抱えて弾き語るというスタイルの確立。
また素朴で、まるで鼻歌で作ったような普段着のメロディも画期的だった。
こちらも具体的に言えば、あとで触れる『結婚しようよ』(72年)は「ド・レ・ミ・ソ・ラ」の5音しか使わない「ペンタトニック」(五音音階)という、演歌や世界中の民謡で使われる素朴な音階で作られている。だからこそ、当時の若者の口に馴染みやすい、独特の人懐っこさを持っていた。
そう言えば、歌謡曲作曲界のレジェンド・筒美京平は、「吉田拓郎の登場は脅威だった」という意味のことを何度となく語っていた。
確かに、日本のポップス史を振り返ってみると、筒美京平やすぎやまこういち、鈴木邦彦、村井邦彦らがグループサウンズ(GS)を通じて作り上げた、洋楽ベース、クラシック・ベースの音楽性に向かって、吉田拓郎という若者が、素足かつ素裸で踏み込んできたような印象を受ける。筒美京平にとって、それはそれは脅威だったことだろう。
功績の2つ目として「若者の日常を切り取った歌詞」も挙げられよう。
それまでのフォーク界を席巻していた、社会に疑義を唱えるメッセージソングではなく、あくまで日常と、その日常に対する個人的心情を歌うというパラダイムチェンジを成し遂げたのだ(それゆえ「守旧派」のフォークファンから、かなりの批判を浴びたのだが)。
日常は、この日本という風土における毎日の生活ということになる。例えば『夏休み』(71年)や『旅の宿』(72年、作詞は岡本おさみ)などは、のんびりとした日本的な風景やシチュエーションを歌っている。
これら「日本の若者の日常」的歌詞世界は、例えば《♪森と泉にかこまれて 静かに眠るブルー・シャトウ》(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ『ブルー・シャトウ』67年)などの「無国籍的、でもそこはかとなくヨーロッパ的」な張りぼて・書き割りのような言葉を蹴り飛ばす攻撃性を持っていた。
以上、「シンプル志向のサウンド」と「日常を切り取った歌詞」(に加えて、まくしたてるように歌う・がなる「字余り唱法」=「拓郎節」)の結果として、団塊世代の多くの若者が「俺にも出来る」と思った。そしてアコースティックギターを手に取って弾いてみた。歌ってみた。そして曲を作ってみた。
日本でエレキギターをもっとも売った音楽家はベンチャーズだと思う。アコースティックギターは吉田拓郎ではないだろうか。
背景にあった独自の音楽観とポップ観
しかし、吉田拓郎を目指した若者のほとんどは途中で挫折することとなる。なぜならば、一見誰にでも真似できそうな作品の背景には、広くて深い音楽的素養があったからだ。
まずは当時の日本において(ビートルズならまだしも)ボブ・ディランを志向した先進性。次に、ソロデビュー前にリズム&ブルース・テイストに溢れたバンド「ダウンタウンズ」を組んでいたという事実(音源が残っているが、かなり上手い)。
つまり吉田拓郎はフォーク一筋の人では決してなく、広く深い音楽的素養を背景に、いわば、いくつもある選択肢の中からフォークを選択したのだ。それもボブ・ディランに象徴される、込み入った音楽性・思想性も組み入れたフォークを。これらはすなわち、吉田拓郎ならではの音楽観・音楽知識のなせる技だった。
さらに面白いのは、本書で取り上げる他のポップスターとは異なり、いわゆる芸能界的な世界まで射程に入れていたこと。
66年、その頃組んでいたバンドメンバーとともに、当時隆盛を極めていた渡辺プロダクションを、広島からわざわざ来訪している(そのときにお茶を出したのが、のちに吉田拓郎から『襟裳岬』を提供され、74年の日本レコード大賞を受賞する森進一と言われている)。
この事実に象徴されるのは、「いい音楽を作れば売れなくてもいい」という(日本の音楽シーンに今も沈殿し続ける)まったくポップではないスタンスの真逆となる価値観=「まずはとにかく売れたい」という革新的な「ポップ観」も併せ持っていたことだ。
独自の音楽観とポップ観の両立。だからそう簡単には吉田拓郎にはなれなかったのだ。そんな「吉田拓郎フォロワー」の数少ない勝利者の1人が長渕剛ということになる。
音楽観とポップ観に裏打ちされたビジネス才覚
さらにすごいのは吉田拓郎の功績が、ポップ観の具現化、つまりビジネスの領域にも及ぶことだ。端的に言えば「音楽は金になる」ということを示したのだ。
まずはコンサートツアーというスタイルを確立したこと(さらにはコンサートでの演奏水準も飛躍的に高めた。アルバム『LIVEʼ73』参照)。そして日本初の大規模オールナイト野外コンサート「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋」(75年)を成功に導いたこと。
さらには、小室等、井上陽水、泉谷しげるとフォーライフ・レコードを創立し(75年)、のちに自身が社長を務めたこと。
また、テレビ出演を拒否しながら、ラジオには頻繁に出演して、達者なしゃべりを披露する。そして歌謡界にも頻繁に楽曲を提供したのも、吉田拓郎のビジネス才覚をよく表していると思う。
つまり「いい音楽を作れば売れなくてもいい」ではなく、「いい音楽なんだから、売れなきゃならない」という、吉田拓郎の音楽観とポップ観に裏打ちされた活動のように思えるのだ。
吉田拓郎を継ぐ形で、音楽をビジネスとしてさらに確固たるものに更新した桑田佳祐は、自身のラジオ番組で「吉田拓郎を聴いて、音楽で金を稼ぐって、すげぇいいなと思ったんです」と話した。このエピソードは、吉田拓郎が日本の音楽ビジネスに果たした役割を、極めて端的に示している。
だが、そんな無敵の吉田拓郎も、80年以降は正直、時代とずれ始めたと言わざるを得ない。
当時のシングル『元気です』(80年)を聴いて、当時中2だった私は、難しいことはよく分からなかったが、直感的に古いなと思ったものだ(今から考えればペンタトニックによる、いわゆる「拓郎節」がそう思わせたと考えられる)。
時代は桑田佳祐、そして同じく広島出身で長身、3歳下の矢沢永吉の方向に向いていく(ちなみに吉田拓郎は80年代の一時期、「桑田佳祐がライバルだ」と言っていた。その頃の拓郎に対する、桑田佳祐からの屈折した応援歌が85年のサザンオールスターズ『吉田拓郎の唄』である。
ただ、そんなことがどうでもよくなるほどに、70年代の吉田拓郎はすごかった。いや凄まじかった。なぜなら、矢沢永吉も桑田佳祐も、吉田拓郎が敷いたレールの上を走ったにすぎないのだから。
──「ポップスター」と書いて、「吉田拓郎」と読む。