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食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ローマ人の食事(7)酢の話

2020-07-10 20:15:39 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(7)酢の話
ローマ人が日々の生活でよく飲んでいた飲料に「ポスカ(posca)」と呼ばれるものがある。これは酢を水で薄めたもので、ハーブで風味付けをすることもあったようだ。町にはポスカを売る屋台が出ていて、のどが乾いたら買って飲んだらしい。現代の清涼飲料水に相当するものと考えてよいだろう。

プリニウスの「博物誌」によると、エジプトの女王クレオパトラは、ローマの三頭政治の一人アントニウスを歓待する宴席で豪華さを演出するために、国宝級の真珠を酢に溶かして飲んで見せたということである。

それに先立つ古代ギリシアでも、水に酢と蜂蜜を混ぜて作った「オキシクラット(oxycrat)」と呼ばれる飲み物があり、これもよく飲まれていた。また、酢は健康に良いという考えが「医学の父」と呼ばれる古代ギリシア人のヒポクラテス(紀元前460年頃~前370年頃)によって広められ、呼吸器疾患や傷の治療などに使われたそうだ。

人類は古くから酢を作っていた。紀元前5000年頃のメソポタミアでは、ナツメヤシや干しブドウから酢を作っていたという記録が残っている。エジプトのファラオの時代の花瓶には酢を作っている様子が描かれており、また、旧約聖書にもワインで作った酢の記述がある。

酢は通常は5%ほどの酢酸の溶液であるが、ほとんどの微生物は0.5%以上の酢酸存在下では生育することはできない。このため酢は食べ物を保存するのに使われたり、飲み水を殺菌するのに使われたりした。古代の旅行者は酢を携帯していて、行く先々で水に酢をたらして殺菌してから飲んでいたらしい。また、傷の消毒や体を清めるのにも使用されていた。

酢は調味料としても重要だった。例えば、料理書の「アピキウス」の多くのレシピにも酢が使われている。古代ローマのケーナでは、酢を入れたボウルがテーブルの上に置かれていて、パンをそこに浸して食べたそうだ。また、古代ローマ人はフライした魚を酢に漬けて作る「マリネ」を生み出したと言われている。

古代には酢のほかには塩くらいしか調味料は無く、多くの料理で酢と塩が組み合わされて使われていた。例えば、オリーブオイルに酢と塩を混ぜ合わせて作ったドレッシングは、古代より現代にいたるまでいろいろな野菜の風味付けに使用されている。ローマ軍では戦いの前に、ニンニク、タマネギ、ヤギのチーズとコリアンダーで作ったサラダに、オリーブオイル・酢・塩で作ったドレッシングをかけて食べるのが習わしだったそうである。

ところで、塩味と酸味が組み合わさると、お互いの刺激的な味を弱めて全体としてまろやかな味なることが知られている。これは「味の抑制効果(相殺効果)」と呼ばれ、漬物やすし酢などが美味しいのはこのせいだ。先のドレッシングが古代から使い続けられているのも、この塩味と酸味の抑制効果によるところが大きいと考えられる。

さて、酢は一般的に酢酸菌が発酵によってアルコールを酢酸に変化させることによって作られる。例えばワイン酢(ワインビネガー)の場合は、ぶどう果汁を酵母でアルコール発酵させた後に、酢酸菌でさらに発酵させることによってできる。酢酸菌は身の回りに広く存在している常在菌で、ブドウなどの果実には酵母や乳酸菌と一緒に付着している。これがアルコール発酵後に働き出すのだ。



酵母が酸素を使わないで発酵を行うのに対して、酢酸菌は酸素を使ってアルコールを酢酸に変える。このため、酢酸菌は酸素に触れやすいように、アルコールの表面に膜を作るように生育するという特徴を持っている。酢酸菌はワインなどの比較的アルコール濃度の低い酒でしか生存できないので、アルコール濃度の高い日本酒では酢酸発酵をすることはできない。そこで、米酢を作る時には日本酒を薄めてアルコール濃度を低くしている。

なお、日本酒は悪くなると酢になると言われるのは、乳酸菌によって乳酸ができて酸っぱくなるからだ。これを「火落ち」と呼ぶ。酢になっているわけではないのだ。

古代ローマ人の食事(6)酒宴「コーミッサーティオ」

2020-07-08 17:40:12 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(6)酒宴「コーミッサーティオ」
ケーナの後にはしばしば「コーミッサーティオ (comissatio)」と呼ばれる飲酒パーティーが開かれた。これは古代ギリシアの「シュンポシオン」を取り入れたもので、ソラマメやフルーツ、お菓子などの軽食を食べながらワイン(古代ローマ人は白ワインを好んで飲んだ)を飲み、おしゃべりや遊びを楽しんだ。徹夜して飲む場合には途中でお腹がすくので、夜食(ウェスペルナ)が出されることもあったようだ。
*シュンポシオンはこちら⇒古代ギリシアの宴会「シュンポシオン」

ケーナには男性付き添いのもとで女性も参加できたが、コーミッサーティオの参加者は通常は男性に限られていた。ただし、女性の楽器演奏者やダンサー、そして高級売春婦(hetaeraeと呼ばれた)も参加することがあった。

コーミッサーティオを始める前に服(トガ)が汚れている場合は着替えて手を洗った。そして香水をつけて、ユピテル(ギリシア神話のゼウス)を象徴する樫の冠やバッカスを象徴するブドウやツタの冠、もしくはバラなどの花の冠をかぶった。香水やこのような冠には悪酔いを防ぐ力があると信じられていたからだ。なお、ローマの守護神はユピテルで、ローマの中心にはユピテル神殿があり戦いの神として崇められていた。

ギリシアのシュンポシオンと同じように、ローマ人もワインを水と混ぜて薄めてから飲んだ。水以外には、オーテプセ(写真)と呼ばれた専用の器具で温めたお湯や、ローマから30キロメートルほど離れたペンニクル山から運んできた雪がワインを薄めるのに使用された。この雪は冬に運ばれてきて雪蔵の中で保存されていた。古代ローマでは雪で冷やして作ったアイスクリームを暑い日に食べるのが人気だったという。

   オーテプセ

ギリシアでは大きなクラテールという容器でその日に飲む分のワインが水と混ぜられたが、ローマでは小ぶりのカップでこまめに混合が繰り返された。いろいろな種類の酒が飲みたかったのだろう。

コーミッサーティオが始まると、まずレックス・ビベンティと呼ばれる進行役がサイコロで決められた。この進行役がワインを薄める割合を決めるとともに、どのような飲み方をするかとか、どのような遊びをするかなどを決めた。コーミッサーティオでは、一つの酒盃を順番に回して、参加者全員が同じ量のお酒を同じ回数だけ飲んでいくのが普通だった。レックス・ビベンティが参加者の中から一人を選び、その人の名前の文字の数だけ乾杯を繰り返すということがよく行われたようだ。

コーミッサーティオでもケーナと同じように、ソファに寝転がって酒を楽しんだ。飲むときにワインが床にこぼれることも多かったが、これは死者への捧げものの意味があった。実は、邸宅の食事室の地下はお墓になっていたという過去があり、死者は地下で生活していると考えられていたのである。食べ物も床に落ちると死者のものとなり、拾うのはタブーとされた。床がワインでびしょびしょになって来るとおがくずがまかれて、最後に食べ物と一緒に集められて捨てられた。

進行役のレックス・ビベンティは場を盛り上げるために、出席者の様子を見ながらその場にふさわしいおしゃべりのテーマを工夫しなければならなかった。古代ローマの著述家のプルタルコス(西暦46年頃~127年頃)によれば、「ニワトリと卵はどちらが先に生まれたか」「人は秋になると食欲が出るのはなぜか」などが話題に上ったらしい。ちなみに秋に食欲が出るのは、涼しくなったことで食事をした後に起こる発熱(食事誘導性熱産生と呼ばれる)によって体にダメージが出なくなり、そのことを脳が察知して食欲を増進させるからである。

コーミッサーティオではおしゃべり以外に、歌を歌ったり、詩を朗読したり、ボードゲームをしたり、賭博を行ったりもした。また、曲芸師や音楽家、ダンサー、役者などを呼んで芸を披露してもらったり、剣闘士に模擬試合をやってもらったり、ライオンやヒョウなどの猛獣を見たりしたようである。このように客に珍しい体験をさせて自分の権威を示すのがコーミッサーティオの目的の一つであり、古代ローマの重要な社交行事だったのだ。

古代ローマ人の食事(5)ケーナ③ デザート

2020-07-06 17:36:24 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(5)ケーナ③ デザート
今回は、ケーナの最後のパートのデザート(メンサ・セクンダ)だ。デザートと言っても現代のデザートとは少し異なっていて、主にお酒(ワイン)を楽しみながら、つまみのようなお菓子をつまむ時間だった。このため、残されているレシピにはコショウが使われているものが多い。もちろん、ローマ人が大好きなフルーツもたくさん出されていた。

    貝殻の形のデザート皿

ここからは、主に料理書の「アピキウス」に記載されているお菓子のレシピを紹介しよう(アピキウスには簡単な記載しかないことが多いので、いくらか補足してある)。

お菓子① 古代ローマのオムレツ
クルミとヘーゼルナッツを細かく砕きます。 それらをトーストし、ミルクととき卵を加え、蜂蜜とコショウ、ガルムで味付けします。時々かき混ぜながら固まるまで弱火で加熱します。最後にオリーブオイルをふりかけてできあがり。

*この料理は現代のオムレツに似ている。ここで使われているミルクは牛乳ではないと思われる。古代ローマでは牛乳も飲まれたが、あまり美味しいものとは思われていなかった。それよりもヤギのミルクの方が好まれたし、いちばん美味しいとされていたのはラクダのミルクだった(とても高価で金持ちしか買えなかったが)。ラクダのミルクはとても濃いようで、水で四分の一に薄めて飲まれたそうである。熱をかけるとすぐに固まったのだろう。


お菓子② 古代ローマのプリン
ミルクの中に卵を入れてよくときほぐします(ミルク1リットルに卵5個)。そして、好みの甘さになるように蜂蜜を加えます。味が整ったら、こし器でこしながら深いお皿に注ぎ込みます。このお皿をオーブンで温めておいた温水バスに浮かべます。しばらくオーブンで温めて中まで固まるのを待ちます。オーブンから取り出したら、表面に蜂蜜を塗り、コショウをまぶしてできあがり。

*これはどう見てもプリンだろう(コショウが振ってあるが)。砂糖が無かったので蜂蜜を塗っているが、十分に美味しかっただろう。なお、裕福な人の家の台所にはオーブンがあって、単にローストするだけなく、この料理のように湯せんで熱する調理法も使用されていたようである。


お菓子③ 古代ローマの揚げ菓子
ナッツとレーズン、コリアンダー(香菜)をみじん切りにして、そこに蜂蜜とコショウ、ミルク、卵を加え、混ぜ合わせます。これをオーブンで固めに蒸し焼きにします。冷めたら小さく切り分け、オリーブオイルで揚げます。油から取り出したら蜂蜜に浸し、コショウをかけて出来上がりです。

*現代でこのお菓子に似たものを私は知らないが、甘くて香ばしい風味がして美味しそうだ。ただし、卵とミルク、蜂蜜、そしてオリーブオイルもたっぷり使っているので、とてもカロリーが髙そうである。


お菓子④ 古代ローマのフレンチトースト
パンを大きくちぎってミルクに浸す。オリーブオイルをたっぷり引いたフライパンにパンを乗せて焼き色が付くまで焼く。皿に移したら、上から蜂蜜をかけて出来上がり。熱いうちに食べましょう。

*現代のフレンチトーストは、牛乳と卵と砂糖を混ぜ合わせた液にパンを浸して作る。古代ローマのミルクは濃かったので、卵を入れなくてもしっかりパンにからんだのだろう。パンがしっとり、モチモチして美味しそうである。


アピキウスにはチーズを使ったお菓子は詳しく書かれていないが、リコリッタチーズとナッツ、レーズンなどを混ぜ合わせて作ったチーズケーキが絵画として残っている。ローマ人はチーズも大好きで、大量に食べたと言われている。いろいろな動物のミルクからチーズが作られており、また様々な属州からも輸入された。中でもガリア産がもっとも美味しいとプリニウスは記している。

古代ローマ人の食事(4)ケーナ② 主菜

2020-07-04 14:50:15 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(4)ケーナ② 主菜
今回はケーナの主菜(メンサ・プリマ)について見て行こう。
当たり前であるが、主菜では前菜を上回る料理が出された。当初は魚あるいは肉の一皿だけだったが、ローマが豊かになるにつれて品数が増え、中身がどんどんと豪華になって行った。

ここで、当時の豪華な料理について描写した「トリマルキオの饗宴」に出てくる料理を紹介しよう。「トリマルキオの饗宴」は、政治家・文筆家のペトロニウス(西暦20年頃~66年)の小説「サテュリコン」に収められた有名な一節で、解放奴隷で大金持ちのトリマルキオが贅を尽くした料理をふるまうお話しである。

ちなみに、古代ローマでは奴隷が様々な労働(医師や教師などの高度な仕事も)をすることで社会が回っており、能力がある者がしっかり働いていると、10年もしないうちに解放されることが多くあった。彼らは手に職を持っていたので、その能力を生かして金儲けを行い、大金持ちになる者も少なくなかったらしい。以前にNHKの「ブラタモリ」でローマのロケを放映していたが、その中でパン屋が寄進した石造りの立派な門を見てタモリがすごく驚いていた。このパン屋も解放奴隷のうちで大金持ちになった一人だと思われる。

さて、トリマルキオのケーナの主菜では、まず12星座の絵が縁に描かれた円形の大きな台が運ばれてくる。それぞれの星座の近くには、その星座にちなんだ料理が皿に盛りつけられている。例えば、魚座(双魚宮)には以前に紹介した高級魚のヒメジの料理、山羊座(磨羯宮:上半身がヤギで下半身が魚)には伊勢海老の料理、みずがめ座(宝瓶宮)にはガチョウ(水鳥)の料理、おとめ座(処女宮)にはメスブタの陰門の料理といった具合である。なお、古代ローマでは陰門や乳房のように数と量が少ないものは高級で美味とされていた。

しかし、この料理を見ても出席者は誰も喜ばない。トリマルキオほどの金持ちが出すような料理ではなかったということだろう。この程度の料理なら当時は普通に食べることができたのかもしれない。

実はこれはフェイントだったのだ。出席者ががっかりした様子を見せたところでトリマルキオが声を上げると、4人の奴隷の踊り子が踊りながら台に向かい、料理が乗った板を取り外した。すると中には、丸焼きの野兎の背中に作り物の羽をつけて「ペガサス」のように見せた料理が飾られていたのである。そして、その周りには狩で仕留めた鳥の料理がどっさりと盛り付けられていた。古代ローマ人は野生の「貴重な」動物の肉をとても好んだらしい。つまり「レアもの」に目が無かったということである。

この料理の趣向はそれだけではなかった。器の四隅には精霊の小さな像が立っていて、そこからガルムのソースがあふれ出ていた。そして、ソースが集まるくぼみはまるで川のようで、中には様々な魚の料理が泳いでいるように並べられていたのだ。このように趣向を凝らした料理をみて出席者が喜んだのは当然である。

このような料理といっしょに、携帯オーブンで温められた焼き立てのパンやワインも一緒にふるまわれた。また、これらを配る奴隷たちはめいめいに歌を歌い、場を盛り上げた。

小休止の後は、仔ブタの料理だ。焼き色を付けた仔ブタを丸ゆでにしたものである。しかし、運ばれてきた料理を見たトリマルキオは突如怒り出す。料理人が時間を急ぐあまり内臓をとらずに料理してしまったと言うのだ。そして、料理人呼び出し、目の前で拷問にかけようとし出したのである。慌てた出席者たちは、トリマルキオに許しを乞うてやるのだが、この一連の騒ぎもすべてトリマルキオが立てた筋書き通りだったのだ。

気を取り直したふりをしたトリマルキオは、それならばこの場で内臓を取り出せと料理人に命令を出した。かしこまった料理人が包丁で仔ブタの腹を裂くと、びっくり箱のように中からいろいろな腸詰の料理が飛び出してきたのである。それを見た出席者たちは大喜びした。場がさらに盛り上がったのは間違いない。トリマルキオの饗宴では軽業師の曲芸(下図)などでも出席者を喜ばせようとしたが、全員がそれには目もくれずに黙々と料理を口に運んだと書かれている。



トリマルキオの話は小説の中の物語だが、決して荒唐無稽な話ではなかったと考えられる。実際に裕福な古代ローマ人はありとあらゆる珍しい料理を他人に見せびらかすかのように食べていた。古代ローマの属州が北アフリカにも広がっていたので、そこに生息するキリン(キリンの脚の肉はとても美味しいらしい)、ダチョウ、ライオンなどの珍しい動物の料理も食べられた。また、フラミンゴの舌(フラミンゴの肉の方はとても不味いらしい)、ニワトリのとさか、ラクダのひづめなどのレアものも人気だった。とにかく、珍しいものなら何でも食べてみるのが流行りだったのだろう。


古代ローマ人の食事(3)ケーナ① 前菜

2020-07-02 21:13:21 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマ人の食事(3)ケーナ① 前菜
いよいよ古代ローマのメインの食事のケーナ(cena)について見て行こう。古代ローマ人は基本的に一日に三食で、当初ケーナは二度目の食事として正午に開催されていたが、ローマが豊かになるにつれて終了が日没になるように夕方近くから開かれるようになった。これにともなって、昼にはブランディウムと呼ばれた軽い食事をとった。

ケーナが開かれたのは裕福な市民が住んでいる一戸建ての邸宅ドムスで、そこには大きな台所もあったし、腕のいい料理人もいた(腕利きの料理人をそろえるのが金持ちのステータスだった)。なお、料理人はすべて奴隷で、奴隷自身もより良い主人に雇ってもらおうとしたし、そのためにお互いに足の引っ張り合いもしたらしい。

ケーナを開催する金持ちは客を招待するわけだが、単なる友人や知り合いだけでなく、何らかの有名人や話や歌などが上手い人にも声がかかった。また、たまたま知り合った貧しい人を施しの意味から呼ぶこともあった。このため、出会いの場でもあった公衆浴場では金持ちからケーナに誘われるのを待つ人たちがたむろしていたそうだ。

ケーナの参加者は9人以上で、この「9」という数字はギリシア神話の9柱の女神ムーサ(英語名:ミューズ)に由来する。食事をする部屋には3つのソファがコの字型に並べられ、それぞれに3人ずつが寝転がって食事をとることになる。

食事の話をする前に、ケーナのしきたりをお話ししておこう。
ケーナの前には公衆浴場あるいは邸宅内にある浴場で体をきれいにした。また、ケーナは正式な食事だったので、ローマ人の正装が求められた。一般の人の普段着はトゥニカ(下図左)と呼ばれるものだったが、ケーナではトガ(下図右)という服を着た。トガが買えない人は主賓から借りることもできたようだ。



食事をする部屋には右足から入った。部屋には金属を持ち込むことは禁止されていたが、これは武器を持ち込ませないという意味があった。装飾品を身に付けて持ち込むのもダメだった。部屋に入ったら手を洗った。

さて、ケーナは共和政(紀元前509~前7年)以降、前菜・主菜・デザートの3部構成になった。それ以前は前菜が無かったか、あっても簡素なものだったそうだ。ケーナは前菜のゆで卵から始まってデザートのリンゴで終わるのが定番だった。このため、「始めから終わりまで」を意味する「卵からリンゴまで」という決まり文句があったそうだ。

少し話が脱線するが、ローマ人は卵と鶏肉がとても好きだった。これがこうじて世界初の養鶏産業を興した。郊外で大量のメスのニワトリを飼育して、都市部の卵の需要にこたえたのだ。ちなみに、古代ローマの法律によってメスのニワトリは生まれて3年間は殺してはいけなかった。それまでは卵を産むからだ。その後は殺して食べても良かったが、すでに肉が固くなって食べられたものではなかったそうだ。また、若いオスのニワトリも闘鶏に使用されることから殺すことが禁じられていた。

しかし、食欲旺盛の古代ローマ人はどうしても若くてやわらかいニワトリの肉が食べたくて、抜け道を作り出した。それは、オスでもなくメスでもないニワトリを作り出すために「去勢」をすることだ。熱した金属棒で若鳥の生殖器を焼いたらしい。思いがけず、これには「肉を美味しくする」効果もあった。と言うのは、生殖器から放出される性ホルモンは筋肉でのタンパク質の合成を高めて肉を固くするが、去勢によって性ホルモンが出なくなってしまったために脂肪が付きやすくなり、やわらかくて美味しい肉になったのである。なお、古代ローマ以前から、各地でウシやブタなどの家畜の去勢処理が行われていた(現代でもオスウシやオスブタの去勢が普通に行われている)。

やがてゲルマン民族の大移動によってローマ帝国は衰退するが、これにともなって養鶏産業も消滅する。それ以降はせいぜい修道院や貴族の邸宅の庭で少数のニワトリが飼育されるだけになってしまった。

さて、話をケーナの前菜に戻そう。前菜にはゆで卵のほかに、温製ないし冷製のハムや野菜が入ったオムレツ、カスタード、キッシュなどのタルト、塩漬けオリーブ、オリーブのタペネード(エピテュルム)、パン、ソーセージ、魚のつみれ団子、ヤマネ、小魚、串焼き豚などの比較的あっさりした料理が出された。ヤマネ(写真)はネズミの仲間で、冬になると冬眠して痩せてしまうので、専用の壺を開発してエサを与えて太らせてから食べた。

 
      ヤマネ

第2代皇帝のティベリウス(在位:西暦14~37年)の時代以降は、蜂蜜酒やムルスムと呼ばれるワインに蜂蜜を加えたもののような甘い食前酒もふるまわれるようになった。

私なら、すでに前菜の段階で満腹になりそうである。