ヤンナム、魂の叫び 「俺はAVが嫌いだ」
※前置きが少々長めです。特段大した内容も書いていないので、読み飛ばしってもらって構わないです。本編は「ヤンナム、魂の叫び」という見出しから。
先駆少年(当時5歳)は勃起した。泥に塗れた同級生の裸で。
私が通っていた幼稚園には「農作業体験」というものがあり、園が所有する近くの田んぼで稲作体験をしていた。秋になると、収穫した米をみんなで食べるのが恒例だった。
その日はたしか田植えの日。バスに乗って田んぼへ向かい、私も同級生たちも泥だらけになって田植えを楽しんだ。ここまでは何の変哲もない、どこにでもいる幼稚園児の光景だ。
問題はそのあとだった。泥まみれになった幼稚園児を、そのまま家に帰すわけにはいかない。そう、洗わなければいけないのだ。
幼稚園児なんて性別があるようでないもの。誰もがまだ「子ども」という一つの括りにいた。もちろん男女関係なく同じ場所に集められ、全員真っ裸になって、一人一人先生に洗われる。
先生に体を洗われるのを待つ待機列の最中。先駆少年は目を全速力で走らせる。キョロキョロと視線を動かし、ターゲートをロックオン!
そこで先駆少年(当時5歳)は見てしまったのだ。
(す、すきなこのはだかってあんなかんじなんだ…!)
その瞬間、先駆少年の下半身に今まで鳴りを潜めていたリビトーが一気に解き放たれた。この時の興奮を今でも強く、強く覚えている。みんなが性別関係なく「子ども」という括りの中にいるなか、ただ私だけ「男」だったのだ。
もちろん、当時の私は勃起という概念を知らない。うろ覚えなのだが、当時の友人に「おめーのちんちんでっけーなw」的なことを言われたのを覚えている。まあ、そんなことを言われても私にはなぜ自分のちんちん※が大きくなってしまったのか分からないし、当然、当時の私はそれを恥ずかしいことだと思っていなかった。
(※幼稚園児の男性器は「ちんちん」と表現するのが一番ふさわしいと感じた。)
私は自身のちんちんを大きくさせたまま、列に並び続けた。そして、ついに先生に体を洗ってもらう番が来る。先生も唖然としただろう。まさか5歳の幼稚園児がこの時点で性に目覚めているなんて。
せ、せんせい、ごめんなさい。
今思うとめちゃくちゃ恥ずかしいですね、この話。
「もう勃起なんてこりごりだ〜笑!」
FIN
少々体験談が長くなってしまったが、これが私の「性の目覚め」である。私の覚えている中での初勃起は三次元世界の女性だった。ここでタイトルに戻ろう。
ヤンナム、魂の叫び「俺はAVが嫌いだ」
なんて恥ずかしいタイトル笑(自己冷笑。意味はない。)
そんなことは置いておいて、このnoteではなぜ三次元で性に目覚めた私が
三次元的性的コンテンツの象徴であるAVのことが嫌いなのか、について書いていきたいと思う。
初めに断っておくが、私は三次元が嫌いなわけではない。AVが嫌いなのだ。
「ボ、ボキュはエロ漫画‼️エロゲー‼️ASMR‼️でしか抜けないんだい🤓👍」
というツイッタランドで度々見かけるような人間ではない。
そのことを念頭に置いておいた上でこのnoteを読んでね!(アルカイックスマイル🤓ニチャア…)
ヤンナム、魂の叫び
まず最初に、私が指すAVとは何なのか定義しておこう。
私の考えるAVとあなたの考えるAVに齟齬があったらこのnoteの価値がなくなってしまうのでね。
AV 性行為をすることを職業としている者(世間一般的に言うとAV女優・AV男優)によって行われる性行為の様子を動画に収めたもの。Pornhubなどに上がっている素人の性行為動画はこれに該当しない。
AVの定義がひとまず済んだところで、私にはひとつ、誇れることがある。
「AVで抜いた回数が、片手で数えられるほどしかない」
ということである。
「いやお前w AVで抜いたことあるんかーいw 何が“ヤンナム、魂の叫び”だよw」
──そうツッコミを入れたくなったそこのチミ、ブラウザバックは待ってほしい。
確かに私は、二次元大好きヤンナム高校生であるにもかかわらず、AVで抜いたことがある。
しかし、こう解釈していただきたい。
AVで抜いたこともないのにAVを批判するのは、机上の空論であり詭弁だ。
私はAVというものに真正面から向き合い、その上で「嫌いだ」と自覚したのだ。
もっとも、私はAVに精通しているわけではない。
クラスの野球部や陸上部の口から飛び交う、
「〇〇(任意のAV女優)マジ可愛くね!?」
「お前、〇〇(任意のAV女優)の新作見た?あれマジでエロいわ〜笑」
といったAV女優トークは、正直ちんぷんかんぷんである。
(“またのんき先生が〜”とか“えかきびと先生が〜”なら分かるんだけどね!)
とはいえ、マイナー女優は知らなくとも、涼森◯◯・石◯◯・七◯◯あたりの有名どころは存じている。
実際、片手で数えられるほどの回数しかない、AVを用いた私の射精は彼女ら有名AV女優に向けてのものであった。
その射精を通じて私は感じたのだ。
「何だこの性的コンテンツ…気持ちわりぃ…(エロ呂布カルマ)」
あれー?おかしい。Pornhubとかの素人動画ならなんの心置きもなく抜くことができるんだけどなー。
確かに、女優さんは可愛いし、もちろんエロいとも感じた。実際、射精することもできた。
でも、何か「引っ掛かり」を感じた。
その「引っ掛かり」を言語化したのがこのツイート↓
俺、AVが嫌いなんだよ
— 先駆 (@Sa_Ki_Ga_Ke) September 14, 2025
コテコテに化粧した整形顔、あまりにもツルツルすぎる高画質、現実ではありえないトンデモ設定、覆面を被った男優、金のための愛のないセックス
全部、全部気持ち悪い
何が演技じゃ、セックスは演技でやるものちゃうねん、セックスを舐めてるとしか思えない
「童貞がセックスを語んな」
そんな耳の痛い声が聞こえてきそうだが、今だけは黙っていてほしい。
ここから始まるのは、童貞の、童貞による、童貞のための、AVへの批評である。
・・・
・・・
・・・お母さん、ごめんなさい。あなたの息子は17歳にもなってこのような文章を書いています。どうか、お許しを。
01.金セックスVS愛セックス
AVが一大アダルトコンテンツとして世に蔓延っているのも頷ける。
女優は美しく、演出も洗練されている。欲望を刺激する仕掛けも徹底されていて、理屈の上では完璧な抜けるコンテンツだ。
だが、射精はできても、心の奥に“引っ掛かり”が残る。その正体を突き詰めると、やはりそこに「愛」が存在しないという一点に行き着く。
出演者は出演料を受け取り、与えられた役割(性行為)を果たす。
しかし、それは仕事であり、演技であり、彼ら彼女らにとっての「生きるための手段」にすぎない。
彼ら彼女らがカメラの前で見せる快楽の表情も、台本に沿った演技であり、そこに「愛」は存在しない。
セックスとは本来、愛情や信頼の延長にある行為であるはずだ。身体の交わりは、感情の交わりに支えられて初めて成立する。
にもかかわらず、私たちはその映像をセックスと呼び、あたかも愛ある交わりであるかのように消費している。
果たして愛のない行為を、セックスと名づけてよいのだろうか。
愛が不在である以上、それは本質的に性交ではなく「労働」だ。
だが、俺が見たいのは“労働としての性行為”ではない。私が求めているのは、互いの欲望と感情が絡み合う、あの生々しいセックスだ。私がPornhub等にあがってる素人動画で存分にヌキヌキできるのはこれが理由だ。
もちろん、素人にも「続きはFantiaで!」という姑息な手段で金を稼ごうとする不誠実な輩もいる。しかし、素人がFantiaで得る金銭は、あくまで「性行為の副産物」でしかない。
「普段しているセックスを映像に撮って、ちょっとお小遣い稼ぎができたらいいな〜」
その程度の、生活の延長線上にある欲望なのだ。
彼女らにとっての優先順位は、1に愛、2に金。
だが、これがAVになると、たちまちその順序は逆転する。AVを見ていると、どうしてもその境界線の向こう側に「金銭的な意図」が透けて見える。
私の中のおばさんが
「あら…この子は自らの身体を売るという低俗な行為をしてまでお金を稼ぎたいのね…😅」
と囁いてくる。
その構造が見えた瞬間、私の中の何かが冷める。私の欲望が向かう先は、身体そのものではなく、感情の交わり、魂の触れ合いだ。
確かに、エロ漫画の作者もまた、作品を売り、生活の糧を得るために描いている。そこに金銭的意図がまったく存在しないわけではない。
しかし、決定的に違うのは、作者が創り出す世界の中には「愛」が設計されているという点だ。登場人物たちは、誰かに指示されて体を交わしているわけではない。そこには魂の馴れ合いが存在する。
画面の中の彼らは、金のために抱き合うのではない。
作者の内に芽生えた「こうであってほしい」という愛の理想形が物語という形を借りて現れ、彼らはその世界の中で生きている。
私はエロ漫画において「絵柄」よりも「ストーリー」を重視する。
— 先駆 (@Sa_Ki_Ga_Ke) August 31, 2025
どんなに絵柄が良くてもいきなりセックスシーンから始まるような作品は駄作だ。
セックスまでの過程を丁寧に描け。
それが丁寧であればあるほど、出る精子は濃いものになるのだ。
↑ちなみに私のエロ漫画に対する思想
それに対して、AVは「演じる」ことで愛の真似事している。だが、その真似事は、どこまでいっても本物にはなり得ない。
なぜなら、そこに映っているのは「愛し合う男女」ではなく、「金を受け取り、役割(性行為)を演じる労働者」だからだ。
そこには感情の交流も、魂の触れ合いもない。
───ああ、私って面倒くさい童貞だ。
02."設定"の中で生きるAV女優
エロ漫画やエロゲにも、現実ではありえないトンデモ設定は山ほどある。
教師と生徒が結ばれたり、屈強な男にレイプされたり、異世界転生後にエルフの爆乳お姉さんに助けられ、お家に呼ばれたと思ったら、実はそのお姉さんが性欲モンスターで、朝まで汗だくセックスが始まったり。
ん?最後だけやけに具体的…?
……おっと、これは昨日、私が抜いた作品のあらすじだった。あはは。
ともあれ、冷静に考えれば、どれも倫理的にも物理的にもあり得ない。
だが、それらはあくまで虚構の中で完結している。
我々消費者は、その非現実性を理解した上で、自らの欲望を安全な領域(二次元)で発散させる。。
だが、AVは違う。二次元の「トンデモ設定」を、三次元空間に持ち込もうとする。教師もの、レイプもの、異世界転生もの───
どれも“設定”のはずなのに、そこでは実際に人間の身体と身体が触れ合い、性交が行われている。
その瞬間、虚構と現実の境界線はねじれてしまう。
フィクションの設定を三次元の肉体に落とし込んだ瞬間、そこには「その設定を遂行する女性」が実在してしまう。
※以下、閲覧注意
これは、最近Twitterで流行った画像なのだが、このパッケージに写っているAV女優は「変顔の天才アイドル 顔面崩壊変顔絶頂アクメ」という設定を遂行するために、顔面全体にありえない器具を付け、その醜態を晒しながら性行為を行っている。
私はこのトンデモ設定を三次元空間で行い、それを遂行する人物が存在するという事実にどうしようもない気持ち悪さを覚える。
カメラの前で演じるその人は、エロ漫画のように物語の一部ではなく、現実の誰かの身体だ。
たとえその女性が自ら望んでその仕事を選んだのだとしても、私はそこに気持ち悪さを覚える。彼女の自由意思を尊重したい気持ちと、その意思の裏にある「選ばされてしまった現実」を同時に見てしまう。
だから、抜きながらもどこかで罪悪感を覚える。
フェミニストチックな文章になってきて、少々きな臭くなってしまったが、要は私が言いたいのはこういうこと↓
なんかエロいというより頑張ってるんだな...🥲って感情が出てくるんすよね
— 先駆 (@Sa_Ki_Ga_Ke) October 23, 2025
俺がAVで抜けないのもこれが理由
「01 金セックス VS 愛セックス」で述べたことに帰着するのだが、「金銭が欲しい」という汚れた欲望のために、三次元空間ではあり得ないトンデモ設定を受け入れ、それを遂行してしまう女性(AV女優)が気色悪い。もちろん、男性(男優)も。
03.不気味の谷
「不気味の谷」と呼ばれる心理現象について知っているだろうか?
【不気味の谷現象】
ロボットやCGなどの人工物が人間に似れば似るほど好感度が上がるものの、あるレベルを超えて非常に人間に近くなると、逆に強い不快感や恐怖感を抱いてしまう心理現象
この現象は、本来ロボットやCGに対して感じる現象なのだが、私はこの現象をAVに対しても感じてしまう。
4Kや8Kの高解像度、過剰なライティング(=写真や動画を撮影する際に光の当て方や光量などをコントロールすること)、加工された女優の顔───
AVはこれら“性欲を刺激する装置”に莫大な資金を投じ、より「リアル」に近づこうとしている。
だが、そのリアルさこそが、私には気味が悪い。
人間のはずなのに、人間ではないように見える。
私たちは生身の女性を見ているはずなのに、そこに“生”の気配がない。
「不気味の谷」とは、人工物が“人間そっくり”になりすぎたときに起きる感情の断絶である。
AVの“性欲を刺激する装置”はまさにこの断絶を引き起こしている。
ライティングも、構図も、演技も──すべては消費者の満足度を高め、「リアル」に見せるための人工的な構築物だ。
だが、その“構築されたリアル”こそが、不気味の谷の正体なのではないか。
リアルに近づけようと試行錯誤した結果、不気味の谷へと真っ逆さまに落っこちる。
高精細な映像技術は、本来なら「より生々しいリアル」を再現するための手段だったはずだ。だが、皮肉なことに、それが過剰に洗練された結果、私たちは“不気味さ”を感じる。
終わりに
まずはありがとう。(こんな駄文をここまで読んでくれた皆様に感謝。)
まさか「私がAVに対して考えること」をつらつら書いただけで5000字を超えるとは思っていなかった。
はっきり言って、私の理論は穴だらけであるし、いくらでも反論の余地はあると思う。だが、これはあくまで、陽キャラ(=敵)に対する陰キャラ童貞(=私)の妄言である。
『妄言にも価値はある。誰も言葉にしようとしない違和感を、拙くとも言語化すること。それが、童貞なりの抵抗なのだ。』
そう言い残し、私は今日もAVを批判しながら、二次元の殻に籠るのであった。
先駆少年(当時17歳)は勃起しなかった。汚い欲に塗れたAV女優の裸で。


18歳未満がAV観るなーっ☝️💦 という話は置いておき、非常に共感できる文章でした。終わりの言葉のように、先駆さんがこうして一つの論理としてまとめてくださって心強さのようなものを感じています。 ふとわいた疑問なのですが、 ・愛の有無は視聴者の我々は理解できるのか? ・性交から産まれ…
なんていうんでしょうかね、人工物が人間に似始める過渡期を「不気味の谷」と呼ぶなら、AVの例は「人間が人工物に似始めてしまった例」とでも呼びましょうか 演出はどこまでいっても演出なんですよね
同じ価値観の人が居てただただ嬉しい。 AVは表面は本物だけど裏側は偽物っていう中途半端さがノイズなんよな、それを不気味な谷と表現するのは凄く腑に落ちた。 そしてストーリーというか背景が大事ってのも同意。
一語一句共感できて笑えました。めちゃくちゃ腑に落ちた。