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護法と弘教の信心


法華講の信心は、組織のために人があるのではなく、人のために組織があるのであります。一人ひとりが立派な信心に立ってもらうために組織があり、その為に全面的に応援しているのが法華講であります。信心の目的は、言うまでもなく成仏でありますから、一人で陥りやすい我見を打ち破るためにも、法華講としての異体同心の信心を実践して、仏法者としての基本精神をしっかりと身につけることが肝要であります。
仏法の基本精神は、まず第一に、御報恩を旨とするところから出発しなければなりません。恩という字は因の心と書きます。現在私達がこうしているのは、御本尊様のおかげであるという意識を持ち、現在ある境涯に感謝していくところから御報恩がはじまるのであります。そして、この御報恩を実践する信心とは何かと言えば、それは護法と弘教に極まると思います。殊に法華講は、不惜身命の熱原法華講の信心が原点であります。大聖人様を弾圧した急先鋒の平左衛門が、当時、純粋に大聖人様への信仰を貫いた熱原方面の農民に対して、念仏の信仰に戻れと、過酷な拷問のあげく神四郎をはじめ3名を処刑し、他の農民を追放しました。このような法難の中でも、お題目を唱え続けられた信心に対して、大聖人様はいよいよ時を感じられ、法華講の名のもとに、本門戒壇の大御本尊様を御図顕あそばされました。清純な信仰を邪義謗法に汚されまいとする護法の一念と、自行化他の題目を唱え続けるという、身命を賭けた弘教の実践が、本門戒壇の大御本尊御図顕となって顕われたのです。信心の基本は、このような法華講の原点から学ばなければなりません。
宗祖日蓮大聖人様は『四恩抄』に
 「三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにして仏道を成ぜん」
と仰せられ、三宝様への御報恩なくして、絶対に成仏はあり得ないと述べられています。また『開目抄』には
 「無量の諸罪(中略)現世に軽く受くるは、斯れ護法の功徳力に由る」
と護法の大事を明かされ、第二粗日興上人は「未だ広宣流布さざる間は身命を捨てて随力弘通を致すべき事」と弘教の実践こそ、無上の功徳と一生成仏の源であります。
御本尊様に「あれも叶えてください、これも叶えてください。」と請求書ばかりを出す前に、「御本尊様、今日一日の無事、本当にありがとうございました」という、御報恩の領収書を出せるような信心でありたいものです。
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