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天然倫敦 日々雑感

天然居士の英國MBA留学

第四日目

2006年07月25日 07時49分58秒 | 倫敦

今日から語学学校のビジネスコースに通い始める。スペイン人3人、スイス人2人、ロシア人1人、日本人3人というメンバー。日本人以外は本当におしゃべりだ。日本人的な感覚では授業中は黙って聞いているもんだが、彼らは何か思い付くとすぐに口に出す。そういうカルチャーなんだろう。語彙力自体は日本人の方が勝っているのだが、思い付いたことをすぐ言葉にする能力は彼らのほうが優れている。彼ら/彼女たちは根っからのおしゃべりだから、少々の言葉の不自由くらいでは黙っていられない。だから何でもまず話してみるし、それによってスピーキング能力も伸びるという好循環にある。見習うべき点はある。

学校の後、昨日に続いて今後住むことになるロンドン大学寮International Hallに赴く。今度は中を見せてもらえる。比較的新しく心地よさそうで気に入る。

 

ロンドンに4日間住んで気付いたこと。

ミーハーなコメントで恐縮だが、ロンドンという都市は、街を歩いていても色んな人種、民族の人がいて、いろんな言語が耳に入ってくるし、人々のライフスタイルが自由というか、気取りがないというか、窮屈さがないように思う。(悪く言えば人の目を気にせず、大雑把。)日曜の朝に上半身裸のおっさんが乳母車を押していても何の違和感もない。エレベータが混んでいたら次が来るのを待てる心の余裕みたいなのもなんだか新鮮。

よくありがちな「日本は窮屈で住みにくい、海外は自由で本当の自分らしくいられる」なんていう海外かぶれなことを言うつもりはない。ただ、確かに日本では人々の行動は常に人の目を意識するし、型にはまっているというか、レールに乗っている感はある。それはよく言えば規律正しいということだし、より貴族的というか、洗練されているということかもしれない。それは「程度」の問題であって、イギリスでは人の目を気にする度合いが低いということに過ぎない。それは歴史的な経緯もあるし、多民族国家であるという事情もある。日本のように長らく均質性が保たれてきた民族とは異なる。

「自由」の度合いが大きいことは、逆に言うと「いい加減」だったりもする。日本のようにオペレーションは洗練されていないし、空港の受付カウンターは美人で丁寧な日本人のお姉さんではないということだろう。

とりあえず、今はいろんな意味で日本とのカルチュラル・ディファレンスを楽しんでいる。