自分はいま闘っているのか?
イギリスに来て2ヶ月ちょい。なんだか気障なセリフだけれど、生活の変化、新しい学校生活のドサクサに紛れて、いつの間にかそう自分に問うのを忘れている気がした。
80人のクラスメイトの中で手を挙げて自分の意見を主張するのは、そりゃあ勇気がいる。正直こちらに来る前はもっと自分はできると思ってた。想像以上にみんなよくしゃべるし、Non-nativeでも目茶苦茶英語うまいし、なんだか自分がアホみたいに思えて萎縮してしまう自分はやっぱり周囲の目を気にしてミスすることを怖れる日本人なんだなと気づく。自分はTypicalな日本人とは違うんだ、なんて気取って偉ぶっていた自分が、欧米人から見たらTypicalな日本人の誤差の範囲に過ぎなかったことに気づく。
闘うこと、新しいことにチャレンジすること、勇気を持って聴衆の視線にさらされることは自分の信条だと思っていた。それができていない自分は「手足をもがれた鳥のようだ」なんて気障なもんじゃなくて、戦う前から逃げて防空壕でぬくぬくと敵が去るのを2年間待ち続けようとしている臆病者のようだと思う。
「このケースの主人公の性格はどんなだと思いますか?」と教授に聞かれて、"I think he's very passionate, because..."とか、比較的簡単な問いなもんだから今のうちに答えておけとばかりに発言して、クラスにパーティシペイトした気になってしまう自己満足も何だか違う気がする。
世の中には、この人が登場するとその場の空気が変わる、という人が時々いる。ビル・クリントンがそうだという人は多い。ジョージ・W・ブッシュはどうなんだ?という議論はさておき、登場しただけでとまでは言わなくとも、クラスのディスカッションの中で空気を変える発言ができるようになりたい。
パーティでアングロ=サクソン系の人たちに入り込んで、表面的なHow are you?で始まる2,3の言葉のキャッチボールでコミュニケーションしたつもりになって、比較的親しみやすいチャイニーズ系に逃げ込んで英語を話している自分を確認してやっぱり自分は国際人なんだと安心するんじゃなくて、自分の思っていることをきちんと相手に伝えるという基本的なことを誰に対しても堂々とできるようになりたい。
Study Groupの仲間に夕食に誘われ何だか認められたような気になって喜ぶんじゃなくて、グループを完全に仕切って引っ張って行けるようなリーダーシップを発揮したい。
「苦しいときが上り坂」とはうまいことを言ったもんだ。闘うことは傷つくことだし、なかなかにしんどい。自分が本当に闘っているのか、闘っているつもりになっているだけなのか。忘れかけていたものを少しだけ思い出した。