日蓮は「南無妙法蓮華経」と唱えれば死んだ子に会えると言っていますが(以下参照)、死者に会うのは、光明真言でも般若心経でも御真言・御寶號でも同じです。各宗派の枕経は當にこのためのお経でもあるとも言えます。さらに言えば、思い出すだけでも故人に会えています。当方も毎夕勤行の後に光明真言を唱えて所縁の死者に会うとともに供養しています。
(参考)「・・・若有聞法者・無一不成仏(法華経・方便品「もし 法を聞くことあらん者は 一人として成仏せずということなけん」)と申して、大地はささば・はづ(外)るとも、日月は地に堕ち給うとも、しを(潮)はみちひ(満干)ぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の・をもう子に・あわずという事はなしと・とかれて候ぞ。いそぎ・いそぎ・つとめさせ給へ・つとめさせ給へ。恐恐謹言。
正月十三日 日 蓮 花押
上野尼御前御返事」