「先生、もっと走って!」
「待ってヒナ……ちょっと、ヒナ……」
「立ち止まっちゃダメよ! ほら立って……ッ!」
銃を振り回して追跡してくるオバケたちに弾丸を叩き込む。
無数に飛び交う銃撃は一瞬にしてオバケたちの身体を貫くが、手ごたえを何も感じない。
消滅しては出現して、消滅しては出現する。まるで残機の存在しないNPCのように無限に増え続けるそれに、徐々に嫌気が指してきていた。
だけど、こちらには守るべき先生がいる。
逃げ出すわけにも、投げ出すわけにもいかない。
先生は古聖堂の中にいた。
幸いなことに、先生の付近には剣先ツルギ委員長や羽川ハスミ副委員長がいた。おかげで先生は無傷で済んでいたけれど……でも、そこから異変が続いている。
正実の主要メンバーから先生を預かった時だろうか。地面から突然、人が現れた。
生気を全く感じず、しかし確かに人の形をしていたそれを人間と形容するにはあまりに気配が無かった。
まるでオバケ……そう表現するのが一番腑に落ちるそれらは、私たちを見つけるや否や攻撃を開始した。
その中心にいたのは、またもやガスマスクを着けていないアリウス生。
この状況を作り出したのがアリウス生なのは、最早疑う余地が無かった。
「はぁ……はぁ……」
「ヒナ、無理しないで!」
「無理しないと先生を助けられない!」
「でも、血が」
「私のことは今はどうでもいいから! 早く合流地点に……」
あらゆる建物にひびが入っている市街地。そこでセナが迎えに来てくれる。
せめて先生だけでも……そう願っていたのに。
「えへへ……また会いましたねヒナさん」
「……性懲りもなく出てきて。寝てれば痛い目に遭わないものを」
「それはこちらのセリフだ。大人しくしていれば、痛い目に遭わずに済んだのだがな。空崎ヒナ」
「ッ……誰」
目の前には緑髪のアリウス生。声を掛けられたのは後。振り向くと、そこにはまた見覚えのない青髪のアリウス生。
古聖堂内で会ったのはマスクを着けたアリウス生だった。一体何人の幹部級のアリウス生が出張ってきているのだろうか。
「名乗る必要は無い」
「……そう」
会話が打ち切られる。お互いに臨戦態勢は整っている。先生を押しのけようとした、その時。
早歩きで目の前の青髪のアリウス生に近づく生徒がいた。マスクのアリウス生だ。
ここに来たということは、ツルギ委員長やハスミ副委員長は倒されてしまったという事実に他ならない。
最期の砦は、私ということ。
「リーダー、お待たせ」
「遅いぞミサキ。姫は?」
「もう少し。……空崎ヒナ、それと……あれが先生?」
「そうだ。マダムの言う『計画の一番の不安要素』だ」
「そう。じゃあ、早くケリを付けよう」
「そのつもりだ」
リーダーと呼ばれたアリウス生が銃を構える。隣にいるマスクのアリウス生も……あれはロケットランチャーか。あんな物騒な物を持ち歩くなんてね。
後ろでは大型ライフルを抱えた緑髪のアリウス生。話の流れ的に、おそらく「姫」と呼ばれているアリウス生も合流してくるはず。
「厄介ね」
「どっちが。この計画の中で最も明確な障害はお前だ、空崎ヒナ」
「随分買いかぶられてるのね。嬉しいわ」
「……随分とお喋りじゃないか。今でもユスティナ聖徒会の複製品は増え続けているが、お前に倒し切れるか?」
「勿論。この程度、私の敵じゃないわ」
確かに、今この瞬間も地面から生えるようにオバケは増え続けている。百はゆうに超えているだろう。でも、どれだけ強かろうと所詮はオバケ。
今の淡々とした会話でも、もう息は整った。随分とお喋りなのはそっちだと内心思ったが、ここで煽るのは悪手。
最高最大の火力で一掃する。
銃を上に掲げて、目を閉じる。
アリウスはこの状況に完全に油断しているようだ。例の彼女を攫ったというからプロ中のプロだと思っていたのだけれど──とんだ期待外れね。
数の利は私たちにある?
地形の利は私たちにある?
だからどうしたというのだ。
翼を大きく広げ、全身に迸る怒りを、神秘をありったけ銃口に収束させる。紫電が銃口に纏わり、視認できる空間を歪めるほどのエネルギーがそこに集中される。
アリウスがようやく警戒の目を見せた。でももう遅い。
「先生伏せて!」
「全員、伏せろ!」
私が叫ぶのとリーダーのアリウス生が叫ぶのは同時だった。勘だけは鋭いみたいだけど、それはオバケたちに伝わっているのかしら?
それを証明して見せてあげる。
「──消え去りなさいッ!!!」
先生が伏せた瞬間に、銃口を真横に向けて、足を軸に一回転。
空間を歪ませるほどのエネルギーは一筋の光となり、刹那の瞬間に実体を切り裂く威力を持った光線となる。
光線は銃口の動きに追従して振り回され、光の刃が辺り一面を建物ごと全てを切り裂いた。
オバケたち全員が一刀両断される中、一人どんくさい子が一人。
緑色のアリウス生だ。
「さ、サオリ姉さん……」
流石はキヴォトスの人間、身体は頑丈だ。
私のこの最大火力の攻撃に人体を斬れるほどの威力は無い。
だけど、装備を破壊するには十分だ。
この攻撃の実態はビームではない。人間が可視できる限界フレームレートを超えた連射を行うことで疑似的にビームに見える攻撃。
緑髪のアリウス生が抱えていた大型ライフルは溶かされたように断面がぐちゃぐちゃになり、真っ二つとなる。
先の戦闘でボロボロになっていた服にはとどめを刺してしまったようで、大事なところが丸見えになったし、背負っていたバックパックからは食糧や医療キットが零れ落ちる。
意識が途切れたのだろう。緑髪のアリウス生からヘイローの気配が消えて、その場で倒れ込んだ。
「ひ、ヒヨリッ!」
「慌てるなミサキ。ヒヨリは意識を失っただけだ。後で回収する」
「……了解。でもリーダー、ミメシスが……」
「問題ない。……来たか、姫」
新たな足音……しかし一つではない。いくつもいくつも、まるで軍勢。
私が使った今の攻撃は、とてつもない体力を消耗する。これを使って勝てなければ、勝敗が決してしまうほどに。
確かにオバケは一掃できたし、アリウス生も一人倒せた。
しかし、残り二人……いや、三人。
一気に疲労が押し寄せて、膝を折ってしまった。まだ敵はいるのだと、自分の足を殴る。
「……」
「ヒヨリがやられたが問題ではない」
「……」
「ああ、早々にケリを付けなければならない。私達も時間が無いからな」
彼女たちアリウス生の後ろには、無数のオバケたち。姫と呼ばれるアリウス生が引き連れてきたのだろう。
納得だ。姫と呼ばれる所以はここにあったか。軍勢を率いるは、という奴だろう。
「……ッはぁ」
「随分と消耗しているようだな、空崎ヒナ」
「えぇ……でも、まだ負けてない」
「そこまでして強がるか。貴様がどれだけ足掻こうと、結果は変わらん」
リーダーのアリウス生が銃をこちらに……いや、先生に向けた。
意識がこちらに向いているうちに先生を逃がそうと思ったのだけれど、そう上手くいかない。
車の音が遠くに聞こえる。あと何秒……いえ、何十秒この場を持たせればいいのか。
先生に照準が向いている今、考えている暇は無い。
だけど消耗した体力を回復する時間は与えてくれない。
足がもう、動かない。
「vanitas vanitatum et omnia vanitas……全ては虚しい。どこまで行こうとも、全ては虚しいものだ」
お願い、動いて。
待って、撃たないで。
リーダーのアリウス生が引き金に指を掛けた。
私が動けないのがわかっているから、彼女の動作はやけに遅い。焦って狙いを逸らすより、確実に先生を一撃で仕留めようとしている証拠。
先生は外から来た大人。私達キヴォトスに住んでいる人間とは違い、その身体の頑丈さはあまりに脆弱だ。
銃弾一発で死に至るなど、普通のことだろう。
「マダムの不安は私が取り除こう。アリウススクワッドの、この錠前サオリが責任を持ってな」
先生に向けられている拳銃の銃口がギラリと輝く。
錠前サオリと名乗った彼女が見せる、これで終わりだと言わんばかりの眼光に、叫んだ。
「先生ッ、逃げてぇっ!!!」
銃声が響いた。
他の音が何も聞こえなくなるような衝撃に、頭が真っ白になる。
咄嗟に手を伸ばした先にいた先生は……そのまま瓦礫の影まで走って行った。
「……貴様ッ」
気が付いた。今の銃声の発生場所は、錠前サオリの銃ではない。
他のアリウス生か。いや武器が違う。
なら、誰?
「お待たせしました、委員長!」
攫われたはずの例の彼女が、私の前まで駆けつけてきた。
どこからともなく現れた彼女が、いつもと違うショットガンを錠前サオリに向けて放ったのだ。
散弾は全て避けられてしまったようだが、先生への攻撃は見事に中断された。
「あなた、なんでここにっ……」
「ユスティナ聖徒会を追いかけてきたんです。アリウス御一行は随分と目立っていたので、すぐわかりました」
「でも、その傷!」
「大丈夫です! たかが右目がよく見えなくて左腕が折れてるだけですから!」
「だけじゃないわ! 今すぐ逃げないと……」
「それはダメなんです、委員長!」
彼女の言葉に異を唱えようとした時、背後から激しいスキール音が響いた。
振り向くと、セナが乗っている救急医学部の車。
迎えが到着した。
「委員長、先生! 乗ってください!」
「ッ、逃がすか!」
「今度は逃がさないってばさ!」
彼女がショットガンを振り回すようにコッキングし、再び錠前サオリに向けて発砲した。
狙いが上手い。絶妙な距離で放たれた散弾は姫と呼ばれるアリウス生にも直撃し、錠前サオリの気が散った。
そのわずかな隙に先生を車に押し込むことに成功。私も彼女のもとへ加勢しようとしたが、セナが私を車内に引っ張り上げる。
「っ、セナ!?」
「今ですセナさん! 行って!」
「アナタは!?」
「死体で運ばれますよ! 病床用意しといてくださいね!」
「……委員長、先生、動きます!」
「待ってセナ、あの子が!」
彼女は背負っていたカバンをひっくり返し、中から大量のトリニティ製の聖なる手榴弾を取り出した。
それを野球ボールのように投げつけて発生する爆炎に、錠前サオリが怒りを露わにする。
顔を真っ赤にした錠前サオリが銃を乱射して反撃してくるものの、彼女はその攻撃を受けながらショットガンの引き金を引いていた。
「ダメ、早く乗りなさい!」
「委員長、聞いてください!」
彼女が叫んだ。同時に、鳴った。
車が発進し、エンジン音に全ての音がかき消されそうになっている中、確かに鮮明に聞こえた。
トリニティが誇る厳かなチャイム。
それは、お昼休みの合図。
「風紀委員としての昼休み!」
車が走り出して、彼女の姿が離れていく。
だけど確かに見えた。
彼女がポケットから白い丸い物……おにぎりを取り出して、口に運んだのを。
「その返上を、ここに宣言します!」
マリにぎり(常温で3日くらい放置)