6月8日、桂宮さまが66歳の若さで薨去されました。
ご高齢の三笠宮さまご夫妻(崇仁殿下98歳、百合子妃91歳)の悲しみはいかばかりでしょうか。
ご夫妻は、3人の親王に恵まれましたが、三男の高円宮さまは2002年に急逝、
長男の寛仁さまは長い闘病の後、2012年に薨去されました。
さらにそのうえ、次男の桂宮様までも…。
桂宮さまのご葬儀の喪主は三笠宮殿下ですが、ご高齢のため、故寛仁親王の長女である彬子さまが喪主代理を務められました。それでもニュース映像は、三笠宮ご夫妻がともに車椅子で、ご立派に連日の儀式に対応されているお姿を伝えています。そのご様子に、胸を打たれます。
三笠宮崇仁殿下は昭和天皇の末弟で、ご子息の桂宮様は今上陛下のいとこに当たります。両陛下の服喪期間は5日間ですが、薨去翌日の9日には「除喪」の手続きをして公務に当たられています。11日には葉山御用邸へ静養に出かけられ、欧米の若手研究者を歓迎するレセプションに出席。グラスを片手に歓談されました。この「除喪」について、衝撃を受けた方は少なくないのではないでしょうか。
ご葬儀の流れを、報道記事からたどってみました。
6月8日:桂宮さま薨去。
6月9日:両陛下は東京都港区のホテルで開かれた「全国重症心身障害児(者)を守る会」の創立50周年記
念大会に出席。桂宮さま逝去に伴う服喪期間中だが、一時的に喪を外す「除喪」の手続きをされた。
(皇太子さまは9日と11日に予定していた青年海外協力隊隊員との懇談を中止、10日の新日鉄住金君
津製鉄所視察を延期)
6月11日:両陛下は静養のため神奈川県葉山町の葉山御用邸へ。到着後、同町の湘南国際村センターで開
催されたレセプションに出席。グラス片手に欧米の若手研究者らと歓談された。13日までご滞在。
○除喪の手続きをしてご出席。グラス片手に歓談される天皇陛下のご様子
http://vpoint.jp/wtview/wp-content/uploads/800189.jpg
6月14日:午後2時頃、桂宮さまの棺を祭壇が設置された表の間に移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」
が行われた。その後、両陛下が赤坂東邸を訪問。三笠宮ご夫妻、彬子さまが立ち会う中、棺に拝礼。
6月15日:午後6時から、ご遺体が安置されている赤坂御用地の赤坂東邸で通夜が行われた。
三笠宮さまご夫妻、皇太子ご夫妻、皇族方、政界関係者が参列し拝礼。両陛下は慣例で参列されず。
6月16日:午後、天皇皇后両陛下が赤坂東邸を訪問し拝礼。
両陛下は慣例で、儀式や通夜には参列されないため、この訪問が最期のお別れとなった。
6月17日:本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」が、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれた。
ご遺体が納められた棺は午前9時頃に赤坂東邸を出発し、桂宮邸(千代田区三番町)の前などを
通り、豊島岡墓地に到着。皇太子ご夫妻はじめ、安倍首相ら三権の長など約560人が参列して斂葬
の儀が営まれた。午後、新宿区の落合斎場で火葬後、豊島岡墓地に戻り、寛仁さまの墓所の隣、
高円宮さまの墓所の向かいに造られた石室に納骨される。
投稿いただいた関連コメントを、別トピックから移動して掲載します。
残された三笠宮ご夫妻のお気持ちを思う時、痛ましさに胸がふさがります。
神道による服喪は、ご両親30日間、従兄の今上5日間です。今上と皇后は服喪期間中、除喪をして公務に臨みました。公務は2回、従って除喪も2回です。
神道における服喪を一時的に解除する除喪は、ないことはない祈祷らしいのですが、余程の突発事がない限りは行わず、まして5日間に2回の除喪とは前代未聞。
神道とは、八百万の神々に清浄な心身を以て奉仕し、その代償に五穀豊穣と安寧の恩恵を受けるものです。(私はそのように解釈しております。)
清浄な心身とは何か。皇居の賢所の話をしますと、神々に仕える内掌典は「大清」、日常生活は「中清」、日常生活でも下半身に触れた手やものは「次(穢れ)」、穢れの最たるものが「大次」となります。
大清、中清、次、大次は厳格に区別され、大清の神々の御用をしている間の内掌典は、腰から下を手で触れようものなら、おしろもの(塩)で浄めぬうちは「清くない手」なので、神事に携われません。
「よそよそ(トイレ)」「あせ(出血)」「まけ(生理)」などの大次の中で、人の死は究極の大次です。
親族の死亡を聞いた瞬間、その内掌典は大次になり、賢所の畳に触れることも許されず、同僚が敷いた新聞紙の上を歩いて玄関に行きます。自室にも戻れないので、帰省の荷造りは同僚がします。服喪を終えて賢所へ戻る時も、園丁の控え所、雑仕の控え所、内掌典の控え所で3度入浴し、濡れた身体を拭いたペーパータオル、晒し木綿の類いは使い捨てです。
何故ここまで喪(死)を忌むのか。
他人に穢れを移して、神々に対面できない状態にさせることを忌むわけです。
いとも安易に除喪を繰り返す今上、神道のトップとも思えません。
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●「銀のボンボニエール」雍仁親王妃勢津子 著より引用
株式会社 主婦の友社 発刊
平成三年六月二十七日 第一刷発行
平成三年九月七日 第四刷発行
>324項
両陛下(昭和天皇・香淳皇后)は弟宮のお亡骸とお向かいあそばしたまま、ご予定の三十分が一時間に及ぶまで、じっと宮さまのお顔を眺めつづけておいでになられました。
>325項
お柩を日本体育協会関係の各スポーツ界の代表者に担っていただいたこと、一般会葬者のために、お別れの時間を設けたこと、その間に、宮内庁楽部員によるベートーベン「告別」や、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」などの演奏が流されたこと。
これらは、いずれも従来の慣習からすれば破格のことだったと申せましょうが、宮さまのご意志に、いくらかでも添うことになったと思っております。
その実現は、すべて天皇陛下(昭和天皇)の温かいご理解と、高松宮さまの一方ならぬご尽力とによるものでございました。
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昭和天皇が弟宮に下された温かいお心遣い、お優しさ、兄弟愛は、読む此方側にも沁みこんできます。
今日(6月17日)は、桂宮さまの「斂葬の儀」です。
わずか5日間の服喪の両陛下は、2回も除喪をし、最初の除喪で皇后は純白のスーツに身を包まれ、2回目の除喪で天皇はワイングラス片手に歓談されました。
昭和天皇が秩父宮さまへ示されたような温かく優しい愛情を、平成からは感じられないのは私だけでしょうか。
服喪期間が5日だとのこと、それだけ従弟という血縁は遠いということなのでしょうが
すべての息子に先立たれたご高齢の三笠宮ご夫妻のお悲しみの深さを思うと
たったの5日ぐらいの服喪期間を大切になさっても良いのになあと思いました。
神道の定めは知りませんが、人の情としてです。
人の情というので言えば
桂宮さまのご遺体が宮邸に戻られてからのご弔問について
最初にご両親の三笠宮同妃両殿下がいらしたのですが
続いて秋篠宮御一家が弔問に訪れたらしいとのこと
本当なのでしょうか。
本来は、より血縁が深くゆかりの深い方々(義妹にあたる高円宮妃殿下や、姪にあたる三笠宮家や高円宮家の女王方)の方がお先だろうにと不思議です。
また、周囲が沈痛な面持ちで挨拶しあっているなかで、何もわからずに不思議そうな、不安そうな顔をして周囲をきょろきょろ見ている幼子まで、弔問に連れてくるというのも変な話だと思いました。
祖父の天皇陛下にとっても、除喪して御公務にと思うほど遠いご親戚なのです。
その孫に当たるあの幼子殿下までをお連れする必要があったのでしょうか。
小さい頃から可愛がって下さった直系親族が亡くなられたというわけでもないのに。
ともかく不思議に思いました。
単なる感想ですみません。
天皇皇后両陛下
平成14年11月21日
高円宮憲仁親王逝去
服喪期間11月21日~25日
11月21日(木)
天皇陛下 お話・午餐(最高裁判所長官始め)(宮殿)
天皇皇后両陛下 ご会釈(勤労奉仕団)(蓮池参集所)
皇后両陛下 ご接見(平成14年度「ねむの木賞」受賞者)(御所)
天皇皇后両陛下 ご接見(母子保健奨励賞受賞者)(宮殿)
11月22日(金)
天皇皇后両陛下 行幸啓(ご弔問)(高円宮邸)
天皇陛下 ご執務(宮殿)
11月23日(土)
天皇皇后両陛下 行幸啓(お舟入り当日ご拝礼)(高円宮邸)
11月25日(月)
天皇陛下 信任状捧呈式(スウェーデン、スペイン)(宮殿)
平成24年6月6日
寛仁親王逝去
服喪期間6月6日~6月10日
6月6日(水)
皇后陛下 御養蚕初めの儀(紅葉山御養蚕所)
天皇陛下 拝謁・お礼言上(平成24年春の勲章受章者及び褒章受章者)(宮殿)
天皇皇后両陛下 行幸啓(ご弔問)(寛仁親王邸)
6月7日(木)
天皇陛下 ご会見(アルメニア大統領閣下)(御所)
天皇皇后両陛下 拝謁(人事異動者)(御所)
天皇皇后両陛下 行幸啓(お舟入りに先立ちご拝礼)(寛仁親王邸)
6月8日(金)
天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻(エクアドル、ロシア、シンガポール))(御所)
天皇皇后両陛下 ご会釈(勤労奉仕団)(蓮池参集所)
天皇陛下 ご執務(御所)
皇后陛下 ご説明(国立療養所菊池恵楓園園長[国立ハンセン病療養所の地域開放(園内の保育所設置等)につき)])(御所)
天皇皇后両陛下 ご挨拶(秋篠宮同妃両殿下(ウガンダご訪問につき))(御所)
9~10日の記述なし
皇太子同妃両殿下
平成14年11月21日
高円宮憲仁親王逝去
服喪期間11月21日~25日
11月21日(木)
皇太子同妃両殿下 ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所)
11月22日(金)
皇太子同妃両殿下 憲仁親王殿下薨去につきご弔問(高円宮邸)
11月23日(土)
皇太子同妃両殿下 故憲仁親王 拝訣(高円宮邸)
平成24年6月6日
寛仁親王逝去
服喪期間6月6日~6月10日
6月6日(水)
皇太子殿下 ご視察(東邦チタニウム株式会社(神奈川県茅ケ崎市)
皇太子同妃両殿下 寛仁親王殿下薨去につきご弔問(寛仁親王邸)
6月7日(木)
皇太子同妃両殿下 故寛仁親王 拝訣(寛仁親王邸)
秋篠宮家
秋篠宮家のホームページ記載は平成16年7月からのため高円宮憲仁親王逝去時の記録なし。
平成24年6月6日
寛仁親王逝去
服喪期間6月6日~6月10日
6月6日(水)
文仁親王同妃両殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下並びに悠仁親王殿下
寛仁親王殿下薨去につきご弔問(寛仁親王邸)
6月7日(木)
文仁親王同妃両殿下 故寛仁親王 御舟入、 拝訣(寛仁親王邸)
6月8日(金)
文仁親王同妃両殿下並びに眞子内親王殿下 宮内庁人事異動社ご会釈(宮邸)
文仁親王同妃両殿下 ウガンダご訪問につきご参拝(賢所)
文仁親王同妃両殿下 ウガンダご訪問につき天皇皇后両陛下へご挨拶(御所)
6月11日~17日はウガンダ訪問のため斂葬の儀は眞子内親王お一人で参列。
6日のご一家でのご弔問は当初は報道がなく後に報道されたと記憶しています。