週刊現代(11/29号、11/17発売)は、<浩宮が即位したら「皇太子」がいなくなる>というタイトルを表紙に刷りこみ、全4ページの記事に仕立てています。皇室典範には代替わりについての大きな穴があり、現皇太子の浩宮さまが皇位についたとき、皇太子がいなくなってしまう、「秋篠宮も愛子さまも悠仁さまも、皇太子にはなれない」と、まるで衝撃の事実のように書き立てています。そして、女性皇太子は国論を二分する女帝・女系容認の大変革に繋がるから困難と片付け、「皇太弟」が現実的であるかのように誘導します。

▲愛子さま皇太子案は非現実的と退け、秋篠宮「皇太弟」案、悠仁さまを秋篠宮に代わって継承させる案に誘導する『週刊現代』
皇室典範には、「第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」とあります。ここに言う「皇子」とは「天皇の息子」を意味し、徳仁天皇の息子ではなく娘である愛子さまも、天皇の弟である秋篠宮も、天皇の甥である悠仁さまも、あてはまりません。よって、次代の「皇太子」は不在となります。
そうした事態となることは目に見えていたので(皇室に男子が生まれないまま約40年が経過)、天皇の娘が皇太子になれるよう=愛子さまが皇太子になれるように、政府は皇室典範を改正しようとしたわけです。それを当たり前のことと受け止めていた国民世論も大きく後押しし、小泉総理が強力に推進する典範改正案は成立に向かって進んでいました。これを覆したのが、ご存じ秋篠宮妃の懐妊スクープです。
当時は皇位を狙ってのことではないと弁解していましたが、その年の9月には大方の予想通り男子が誕生。以降、秋篠宮妃は「将来の天皇」という言葉をことあるごとに口にされ、男子誕生前にはありえなかった“凄すぎる特権”を振り回しておられます。皇太子殿下を差し置いての天皇陛下お見舞い、半蔵門の使用、幼稚園・小学校・大学へのズル入学、実を伴わない博士号取得、視察や外交という名に隠れた頻繁な海外旅行などなど。その特権濫用と、濫用に目をつぶり礼賛一色にすり替えるマスメディアの厚顔無恥ぶりは、呆れるほかありません。
いえ、呆れるだけではすまない恐ろしさが、平成皇室にはあります。ネットとマスメディアを使った雅子さま愛子さまへの非人道的バッシングが10年にも及んでいるのです。その凄惨さ執拗さを見れば、秋篠宮家に皇位が継承されたら、どれほどの非人道皇室になるか、情報統制国家になるか、正義が通らずズルが通り、黒を白、白を黒と言いくるめられる国になるか、容易に想像できます。とても北朝鮮を嗤うことはできません。このような暗黒皇室を戴く日本は、精神的荒廃、退廃を免れないでしょう。
この件に関する投稿を、他のトピックから転記してご紹介します。
●恥知らずな理屈(Unknown)2014-11-22 09:23:41
「宮中晩餐会での皇太子妃飛ばしはなかった」と証言する秋篠宮殿下(アーヤ)をめぐっては、「御世代わりのあと、皇太子が不在になる」「それは、東宮職がなくなることで、ゆゆしきこと」「皇太弟制度を作るべき」と、国民をミスリードして、アーヤに利するようにと画策する輩が居ること、銘記しておかねばですぞ。皇太子が不在だなんて、よくあること。現に昭和では、昭和27年まで、つまり26年間強もの間、皇太子は不在でした。成人しないと皇太子になれませんからね。
それよりも「保元の乱」が起きた理由を、思い出していただきたい。あれは、皇統と摂関家の跡目をめぐっての争いなのです。摂関家は、子がなかなかできない長男の跡継ぎを次男にしようとして、次男を盛り立て、周囲もその気になったところに、長男に跡継ぎが産まれたことで、対立。天皇家は、若い兄(崇徳)に譲位を迫って弟(近衛)を即位させるにあたり、「皇太子」でなく「皇太弟」にした。つまり、兄に准父の権威を与えず、結果、近衛が早世したあとの跡目をめぐって、崇徳の意向がまったく無視された(崇徳には親王がいた)ことが、遺恨の原因です。
現天皇の権威を真っ向否定する形になる「皇太弟」は、争いのタネ。跡継ぎがたぶん産まれないだろう、ぐらいで弟をもてはやすと、摂関家みたいに、あとで跡継ぎが産まれたら血で血を争う争いになる。ましてや、世界のトレンドをうけて、「女性天皇女系天皇ok」の世論が八割をしめる時代に、「敬宮さまを天皇に」の声を封じようとしてるとしか思えない拙速な「皇太弟」必要論。
皇太子不在なんて、歴史上よくあること。むしろ、皇太弟が戦乱のタネとなった先例の方が恐ろしい。なのに、何食わぬ顔で嘘をついて、「秋篠宮を皇太弟に」というアドバルーンが断続的にあげられている。そういうアーヤが「皇太子妃飛ばし事件なんてなかった」と証言しても、証言に信用性は薄いと思いますよ。
●祈り (Unknown)2014-11-22 23:01:12
皇室について詳しくはないですが、感じること思うことはたくさんあります。最初に非常に嫌な感じがしたのは、礼宮さんと川島さんの喪中婚約。昭和天皇崩御で悲しみに沈む日本で、大慌てで婚約しなければならないどんな事情がお二人にあったのでしょうか? 川島さんと結婚しなければ礼宮や天皇皇后両陛下にとって、何か皇族の威厳にかかわる不都合なことがあったのでしょうか? 何かを恐れていたのでしょうか?
敬宮様は非常に聡明で生まれながらに帝王の風格をお持ちです。幼い頃より人の心、ものごとの本質を見抜いておられます。敬宮様が天皇に懐かないという、天皇にあるまじきご発言がありましたが、それは天皇ご自身の心がご存知でしょう。まっすぐな曇りなき心でなければ敬宮様に対することはできないです。また何かやましいことや穢れた心があれば敬宮様を抱くことはできないでしょう。
男系男子って?それは狂気の沙汰です。そのような不自然は摂理ではないということです。XとかYとかの染色体?それが何なのでしょう?男性も女性も神道で言えば天照大神の御子です。皇太子様から敬宮様へ皇位が継がれますように、切に願っています。
(投稿転記による紹介ここまで)
この件に関するあなたのご意見・情報を、どうぞお寄せください。
▲愛子さま皇太子案は非現実的と退け、秋篠宮「皇太弟」案、悠仁さまを秋篠宮に代わって継承させる案に誘導する『週刊現代』
皇室典範には、「第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」とあります。ここに言う「皇子」とは「天皇の息子」を意味し、徳仁天皇の息子ではなく娘である愛子さまも、天皇の弟である秋篠宮も、天皇の甥である悠仁さまも、あてはまりません。よって、次代の「皇太子」は不在となります。
そうした事態となることは目に見えていたので(皇室に男子が生まれないまま約40年が経過)、天皇の娘が皇太子になれるよう=愛子さまが皇太子になれるように、政府は皇室典範を改正しようとしたわけです。それを当たり前のことと受け止めていた国民世論も大きく後押しし、小泉総理が強力に推進する典範改正案は成立に向かって進んでいました。これを覆したのが、ご存じ秋篠宮妃の懐妊スクープです。
当時は皇位を狙ってのことではないと弁解していましたが、その年の9月には大方の予想通り男子が誕生。以降、秋篠宮妃は「将来の天皇」という言葉をことあるごとに口にされ、男子誕生前にはありえなかった“凄すぎる特権”を振り回しておられます。皇太子殿下を差し置いての天皇陛下お見舞い、半蔵門の使用、幼稚園・小学校・大学へのズル入学、実を伴わない博士号取得、視察や外交という名に隠れた頻繁な海外旅行などなど。その特権濫用と、濫用に目をつぶり礼賛一色にすり替えるマスメディアの厚顔無恥ぶりは、呆れるほかありません。
いえ、呆れるだけではすまない恐ろしさが、平成皇室にはあります。ネットとマスメディアを使った雅子さま愛子さまへの非人道的バッシングが10年にも及んでいるのです。その凄惨さ執拗さを見れば、秋篠宮家に皇位が継承されたら、どれほどの非人道皇室になるか、情報統制国家になるか、正義が通らずズルが通り、黒を白、白を黒と言いくるめられる国になるか、容易に想像できます。とても北朝鮮を嗤うことはできません。このような暗黒皇室を戴く日本は、精神的荒廃、退廃を免れないでしょう。
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●恥知らずな理屈(Unknown)2014-11-22 09:23:41
「宮中晩餐会での皇太子妃飛ばしはなかった」と証言する秋篠宮殿下(アーヤ)をめぐっては、「御世代わりのあと、皇太子が不在になる」「それは、東宮職がなくなることで、ゆゆしきこと」「皇太弟制度を作るべき」と、国民をミスリードして、アーヤに利するようにと画策する輩が居ること、銘記しておかねばですぞ。皇太子が不在だなんて、よくあること。現に昭和では、昭和27年まで、つまり26年間強もの間、皇太子は不在でした。成人しないと皇太子になれませんからね。
それよりも「保元の乱」が起きた理由を、思い出していただきたい。あれは、皇統と摂関家の跡目をめぐっての争いなのです。摂関家は、子がなかなかできない長男の跡継ぎを次男にしようとして、次男を盛り立て、周囲もその気になったところに、長男に跡継ぎが産まれたことで、対立。天皇家は、若い兄(崇徳)に譲位を迫って弟(近衛)を即位させるにあたり、「皇太子」でなく「皇太弟」にした。つまり、兄に准父の権威を与えず、結果、近衛が早世したあとの跡目をめぐって、崇徳の意向がまったく無視された(崇徳には親王がいた)ことが、遺恨の原因です。
現天皇の権威を真っ向否定する形になる「皇太弟」は、争いのタネ。跡継ぎがたぶん産まれないだろう、ぐらいで弟をもてはやすと、摂関家みたいに、あとで跡継ぎが産まれたら血で血を争う争いになる。ましてや、世界のトレンドをうけて、「女性天皇女系天皇ok」の世論が八割をしめる時代に、「敬宮さまを天皇に」の声を封じようとしてるとしか思えない拙速な「皇太弟」必要論。
皇太子不在なんて、歴史上よくあること。むしろ、皇太弟が戦乱のタネとなった先例の方が恐ろしい。なのに、何食わぬ顔で嘘をついて、「秋篠宮を皇太弟に」というアドバルーンが断続的にあげられている。そういうアーヤが「皇太子妃飛ばし事件なんてなかった」と証言しても、証言に信用性は薄いと思いますよ。
●祈り (Unknown)2014-11-22 23:01:12
皇室について詳しくはないですが、感じること思うことはたくさんあります。最初に非常に嫌な感じがしたのは、礼宮さんと川島さんの喪中婚約。昭和天皇崩御で悲しみに沈む日本で、大慌てで婚約しなければならないどんな事情がお二人にあったのでしょうか? 川島さんと結婚しなければ礼宮や天皇皇后両陛下にとって、何か皇族の威厳にかかわる不都合なことがあったのでしょうか? 何かを恐れていたのでしょうか?
敬宮様は非常に聡明で生まれながらに帝王の風格をお持ちです。幼い頃より人の心、ものごとの本質を見抜いておられます。敬宮様が天皇に懐かないという、天皇にあるまじきご発言がありましたが、それは天皇ご自身の心がご存知でしょう。まっすぐな曇りなき心でなければ敬宮様に対することはできないです。また何かやましいことや穢れた心があれば敬宮様を抱くことはできないでしょう。
男系男子って?それは狂気の沙汰です。そのような不自然は摂理ではないということです。XとかYとかの染色体?それが何なのでしょう?男性も女性も神道で言えば天照大神の御子です。皇太子様から敬宮様へ皇位が継がれますように、切に願っています。
(投稿転記による紹介ここまで)
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人類が歴史を学び研究を続けるのは、もはやどれだけ遺物が発見されようとも明らかにならない過去の真相追求が目的ではなく、過去の失敗から学び同じことを繰り返さないようにするためである。
皇太弟や皇太甥などに誰かを据えようとして、その結果何が起きたのか?
そのことを明らかにせず騒ぐのなら、彼らは過去を振り返ることすらしない人類ですらない。
>第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。
ご存じのように、大正天皇までの皇室は嫡子であることをさほど重視せず、側室の子も皇位継承権がありました。
たとえば近年では、光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇、明治天皇、大正天皇までは、いずれも庶子です。
しかし、欧米の王家にならい、庶子には皇位継承権がなく、側室という制度もない形に改められました。
このおかげで、男系男子継承がぐっと難しくなったのは周知の通りです。
それからまた、
>第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。 一 皇長子 二 皇長孫 三 その他の皇長子の子孫 四 皇次子及びその子孫(以下略)
>第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。
>第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
というあたりをみると、直系であることを厳格に守ろうという理念が明確です。
養子ができないこと、皇太弟や皇太甥という制度がないことは、血統による直系主義を最優先し、無用な混乱を避ける措置でしょう。
皇長子に子がいない場合は、皇次子とその子孫が皇位を継ぐのですが、それは皇長子が亡くなってからのことで、それまでは皇長子に皇嗣が誕生することを期待して、
皇長子の生前に皇次子の系統の承継を決定づけることのないよう、養子もできないし、皇太弟や皇太甥の制度もないのです。
直系主義が重視されているのは、側室制度の力を借りてはいるのですが、江戸時代以降おおむね直系での皇位継承になっているからでしょう。
光格天皇以下は直系でつながっています。
光格天皇は、後桃園天皇の一人娘である欣子内親王と年回りが近く、欣子内親王の夫たり得る皇族だったので天皇となり、欣子内親王を中宮に迎えました。
もしもこの欣子内親王の親王が長生されれば、実は女系ですが、ここでも直系継承が果たされたのですが。
それはさておいても、後桃園天皇よりも上、霊元天皇~後桃園天皇までについても、直系継承ですね。
嫡子および直系(長子優先)主義は、現在の国民の感覚とも合致しています。
せっかくの先人の知恵に逆行する皇太弟や皇太甥は実に危うく、きなくさい。
現行の皇室典範に穴があるとしたら、それは皇太弟や皇太甥がないとか、養子ができないとかの部分ではなく
むろん庶子に皇位継承権を認めない部分でもなく
女性天皇女系天皇を認めていない部分についてでしょうね。
ところで、しょっちゅう旧宮家の皇族復帰を言いたがる人がいますが、こういうのって、もしやるとしたら手続きはどうするのでしょう。
現行皇室典範のままでは、旧宮家の皇族復帰の余地はないのですが。
特別立法でもして、その時点で皇位継承順位を付けることになるのかな。
手続きが面倒そうですね。
そうすると、徳仁天皇の御代において皇太子が不在と云う一大事になるので、秋篠宮を皇太子もしくは皇太弟にしようと云う話が出ているのですが、これは非常に不思議に思える話です。
厳密に云えば、平成とて、数年間でしたが、浩宮徳仁親王が立太子されて名実ともに皇太子となるまで、平成の皇太子は不在でした。
そもそも長い天皇史において、皇太子不在の御代など珍しくありませんでしたし、親王どころか結婚すらしないまま崩御された天皇すらいました。
その場合は、生母の身分や生母ご実家の勢力などを勘案し選ばれた親王が立太子すると同時に即位しました。
光格天皇も皇太子ではありませんでしたが、先帝の突然の崩御によってイレギュラーで東宮となり即位しました。
それらを考えると、どうして皇太子不在を恐れる必要があるのでしょうか。
東宮職と云う役人のための予算確保なのでしょうか?
これは私個人の考えなのですが....東宮職と云う役人のための予算確保もあるでしょうが、根底と云うか真相は、天皇家の予算を増額したいがために、皇太子とか皇太弟をつくり出すと云うことではないでしょうか。
何故そのようなことを想像するかと申しますと.....山下晋司さんと云う元宮内庁職員が幾度も「秋篠宮家には皇位継承者が二名いるのだから、予算や職員を増やすべきである。」と発言しています。
天皇とて生身の人間ですので、いつの日にかは必ず新しい御代になります。
その時から天皇家は徳仁天皇と雅子皇后、敬宮愛子内親王のお三方だけになります。
でも、ここで秋篠宮を皇太子もしくは皇太弟にすれば、秋篠宮家の五人も天皇家になると考えられます。
そうすれば、山下晋司さんが幾度も発言している「秋篠宮家への予算や職員を増額し増員する。」と云うことが合法的に行われると考えられます。
考えすぎかもしれませんが、長い天皇史を考えたら、皇太子不在など珍しくはないのですから右往左往する必要など無いのです。
ともかく「皇太子がいなくなる。」と書き立てるのは、ただ単に無知なだけかもしれませんが、今までの皇室報道を思い返してみると何かしらの裏があるとしか思えません。
あれだけ酷いバッシングを受けて、愛する人を同じ目に遭わせたいと思うでしょうか?
旧皇族11宮家で、皇族復帰希望者ゼロだそう。
こんな絶望的なロイヤルファミリーって……。
日本中探しても、いると思いますか?
そうしたら、、
日本も終わりですね。。。
ザイルの神経とか、成り上がりとか、政治目的とか、売名とか…。
イギリスでも王族には「ふさわしい相手からは敬遠され、よからぬ相手が寄ってくる」とか描かれた記事があったかに記憶しています。
日本でも、これだけやっちゃうと、ふさわしい相手からは敬遠どころか絶対拒否でしょうが…。それでも天皇を担いで何かしたいという目的があるのなら、……。
今上帝ご夫妻は、本当に取り返しのつかないことをなさいましたね。
>それなりに志願者はいそうに思いま す。
>ザイルの神経とか、成り上がりとか、 政治目的とか、売名とか…。
>イギリスでも王族には「ふさわしい相 手からは敬遠され、よからぬ相手が 寄ってくる」とか描かれた記事があっ たかに記憶しています。
といった具合になってますね。
川島さんとかスペンサーさんとかは、後者は何か悲劇のヒロインめいていますが、上記のような山師でしょう。お蔭で英皇室は大被害にあいましたが。